「じい・・・・いえ、あの、おじいさまとおばあさまはどこにいらっしゃるのでしょう。」
リースティアという名を頭の中で何度か繰り返していたラルフィスは、問われて首を振った。
「僕たちがここに来た時には誰もいなかったよ。人がいたという気配もない。」
その答えが少女に新たな涙を呼んでしまったのに若い漁師は狼狽した。壁際に寄せてあった椅子を引き出し、彼女を座らせるとどうしたものかというようにカナンの方を見る。カナンはやれやれ、というようにリースティアの横に立ち、腰を軽く折ると優しい声音で言った。
「私たちが力になれるかもしれません。一体何が起こったのですか。リースティアさん。あなたはどうして閉じ込められていたのです？」
少女はそっと涙を拭い白い手を額にあてて考え込んだ。
「・・・・・何が起こったのかはっきりとはわからないんです。おばあさまと一緒にお針の稽古をしていたら、出かけていたおじいさまが急いで帰っていらしたんです。そして、床下に私を入れると、しばらくしたら戻ってくるから、そこで静かにじっとしていなさい、とおっしゃって・・・・しばらくしたらたくさんの人たちが歩き回る音がして・・・・・私はずっと待っていたのですけれど、おじいさまもおばあさまも来てくださらなくて・・・・・そこへお二人が来てくださったんです。」
ラルとカナンは顔を見合わせる。夜盗の類が襲ってきたのだろうか。・・・・それにしては家の中が整然としすぎている。
「おじいさまとおばあさまはどうなさったのでしょう・・・・・」
カナンはぶつぶつと呟いた。
「誰かに襲われて拉致されたか・・・・」
少女の顔が歪む。慌ててラルが言葉をひきとった。
「ここで争ったあとが無いもの。お二人ともきっと逃げられたんだよ。ね、リース。・・・あ、リースティア。」
初対面の少女に呼びなれている愛称を使ってしまい、ラルは表情を変えずには居られなかったが、少女にはそれが却って緊張をとかせたらしかった。
「リースって呼んで下さい。おじいさまもおばあさまもそう呼びます。」
と、ドアのところからこちらを覗きこんでいる気配がして、３人は振り向いた。
そこに居るのは夥しい数の妖精たち。百人は越えているのではあるまいか。
「うわっ！」
「なんだ、こんなにたくさん！」
「あななたち！大丈夫だった？」
叫んでから３人は顔を見合わせる。
「君、妖精が見えるの？」
「あんた妖精が見えるって何者なんだ？」
「お二人とも妖精が見えるのですか？」
同時に言ってから３人は笑った。リースが手招きすると妖精たちは彼女をとりまくように集まってきた。混雑しすぎて彼女のところに到達できなかった者はちゃっかりとカナンやラルの頭や肩や膝に乗っている。
その様子を見てリースは微笑んだ。
「お二人とも、心の清い方なのですね。この子たち、あなた方のことが大好きになったみたいです。」
水の妖精、風の妖精、大地の妖精、火の妖精、光の妖精、闇の妖精、司るもののわからない妖精・・・・・そして、たくさんのたくさんの手伝い妖精。この国で居なくなってしまったはずの妖精たちがここにはなんとたくさん居るのだろう!!
「ねえ、みんな？おじいさまとおばあさまは？」
妖精たちは揃って首を傾げる。
リースは落胆したようだった。
「そうなの。わからないのね。」
しかし、ぱっと顔を輝かせる。
「ミードさんは？」
また妖精たちが首を傾げたのを見て、リースは肩をおとしたが、すぐに目をあげた。
「あなたたちがこんなに元気なのですもの。ミードさん、またすぐに来てくださるわね。」
と、一人の手伝い妖精がコップに水を入れて持ってきた。
「ありがとう。あ、そうだわ！」
リースはぽん、と手を一つ打ち合わせた。
「もう暗くなってきたようですし、一緒にご飯を食べていって下さい。私、つくりますから！おじいさまやおばあさまが戻っていらしたときに、お二人が助けてくださったことをお話ししたいですし！ねえ、みんな！お手伝いして！」
ラルたちの返事を待たないでリースは炊事場へと足を運び、妖精たちは彼女について移動していった。後ろから声をかけようとしていたラルをカナンはとめた。
「あの子のやりたいようにさせておけ。人間、何かしら忙しくしていた方が気が紛れていいこともある。・・・・・それに・・・・・何か変だ。」
「変？」
吟遊詩人は肩をそびやかす。
「ただの俺の感覚だ。根拠はない。・・・・・俺はもう少しこの家の中を調べたい。お前、あの子の傍で見張っていろ。あの子と妖精たちに異変があったらすぐに対処してくれ・・・・じゃ、任せたからな。」
カナンは先ほど楽譜を見つけた部屋へと入って行った。ラルはそうっと炊事場へと入る。そこではもう竈に火が入り、大きな鍋がかけられていた。白いエプロンをかけたリースはからっぽの籠を覗き込んで腑に落ちない顔をしていた。
「変だわ。たしかにタマネギやジャガイモを出しておいたのに・・・・」
手伝い妖精がラルたちが先ほど調べなかった小さな扉をあけて木箱をひきずりだしてきた。そこには山盛りのジャガイモやトウモロコシが入っている。
「ありがとう！これでスープが作れるわ！」
彼女は慣れた手つきで皮を剥いていく。そして羽の生えた妖精たちに声をかけた。
「何か森から果物をとってきてくれる？」
頷いて了解した妖精が10人ほど窓から飛び出していく。
「僕も手伝おうか？」
腕まくりをしたラルにリースは笑って首を振る。
「お客様に仕事をさせてはいけません。」
「でも、ご馳走になるんだし。」
リースは妖精たちと目で会話しているようだったが、微笑んで包丁とジャガイモを差し出した。
「それではお願いします！」
食事の支度は楽しいものだった。リースは可愛らしい声で鼻歌を歌い、妖精たちはそれに合わせて踊りながら食器を持って運んでいく。手伝い妖精がフォークを使って器用にトウモロコシの実を軸から外し、床に飛び散った実を拾い歩いている大地の妖精たち。よく見ると踊っているだけの輩もいるが、ご愛嬌だろう。
あっという間にスープが出来上がり、薄いパンケーキも焼きあがった。森に出かけていった妖精たちが真紅の小さな実をやまもりにした小さな籠を大人数でつるして飛び帰ってくる。別の妖精が白い花を束にして抱えて歩いてきて机の上の花瓶に飾る。
「さあ！どうぞ！」
リースに言われ、スープを口に入れた二人は思わずにっこりした。素朴な味であったが、野宿を続けてきた二人にとっては非常なご馳走であった。
「おかわりたくさんして下さいね！いっぱいつくりましたから！」
果物に手をつける頃になって、３人はかなり打ち解けていた。
リースは記憶にかなりの混乱があるらしく、また、何故か何かを隠そうとしているような気配があり、話題によっては短い沈黙がその場を通るようなことがあった。が、それ以外では彼女の素直な好もしい話の仕方が、二人の旅人を和ませた。
食事が終わり、リースが片付けの為に席を立つと、カナンはまた楽譜のあった部屋へと消えた。ラルはリースの手伝いをすることにした。リースは妖精たちに、旅人のために寝台を整えてくれるように声をかけていたが、ラルが汚れた食器を手に取るとそれをとめた。
「男の方にお皿まで洗わせてはおばあさまに怒られます。」
ラルは頭を掻いた。
「ここではそういうことになっているの？僕の村では手が空いていて疲れていなければ男や女に関係なく家の仕事をすることになってたんだけど・・・・」
言いつつもうすでに皿を洗っている。ラルが皿を洗い、リースが拭く。置いた食器は妖精たちが棚に運んでいく。そしてすべての片付けが終わったとき、リースはぴょこんとお辞儀した。蜂蜜色の髪がふわりと揺れる。
「ありがとうございました！片づけがこんなに楽しかったの初めてです！ラルフィスさんは歌がうまいんですね！私、踊りたくなっちゃいました。」
「え？僕、歌っていたかな？」
こくこく、と頷く彼女。
「もう一度歌ってみようか？」
ラルが小さく歌いだすと、リースは深く腰を折って一礼した。それはフレアに習ったダンスを始めるときの仕草によく似ていた。ラルが応えて芝居がかった調子で一礼すると、リースは軽く手を重ねた。
ラルの歌に合わせて二人は踊った。・・・・・きっとリースはただの村娘ではない。だってダンスは王宮で踊られるようなものだったから。彼女はミラ王女と同じくらい優れた踊り手で、彼女に半ばリードされるようにラルは軽やかに踊った。・・・・・・ミラ王女とのダンスと違うのは、何か暗いものを抱え込んでいるようであったミラの表情と違い、リースがずっと輝くような笑顔を見せていたことだった。ターンに失敗するとリースはくすくす笑い、見事に成功しても、それを嬉しがってクスクスと笑った。
と、いきなりピカリと窓の外が昼のように明るくなり、どーんと雷の落ちる音がした。リースが思わずラルにしがみつく。
「す、すみません。雷は苦手なんです！・・・・・ごめんなさい・・・・・初めてお会いした殿方に抱きつくなんて私・・・・・きゃっ！」
一度離れた彼女だったが、再び落雷してまたラルの胸に顔を埋める。ラルも少女の細い体を反射的に抱きしめる。
「・・・・・・・・・」
おずおずと顔をあげたリースは頬を赤くしていたが、ラルを不思議そうに見上げた。
「変・・・・・なんです。なんだか・・・・・私、あなたにお会いしたの、初めてじゃないみたいな気がするんです。・・・・・・どうして・・・・どうしてなんでしょうか・・・・・・なんだか・・・・とっても安心できる・・・・・」
と、カナンがラルを呼ぶ声が聞こえた。
「おい！ラル、ちょっと手、貸してくれ。」
ラルはそうっと少女の蜂蜜色の髪を撫でた。
「カナンが呼んでる。リースは休んでて。」
カナンは楽譜を片手に握り締め、初めにリースと出会った部屋に居た。
「カナン？」
カナンはリースが一緒でいないことを確認すると、眉根に深く皺を寄せてこつ、と一つ床を足で蹴った。
「どうしたの？」
「まずこれを見ろ。」
彼が差し出したのは一枚の楽譜だった。
「これがどうしたの？」
「・・・・俺たちは楽譜というものを使わない。聴いて歌って覚えていくんだ。楽譜というのは一所に留まって歌う王宮付きの歌手や音楽教師が使う。・・・・・だが俺でも少しのことならわかる。・・・・・この曲は俺もよく知っている曲だが、かなり古い曲だ。この楽譜も相当古い表記の仕方をしている。・・・・・しかし・・・・・下に書かれている文字はこの曲が最近創られたというようなことを示している。・・・・・・古い時代の楽譜なのだろうが、それにしては保存状態が良すぎる・・・・・奇妙だろう？・・・・・そこのところはわかったな。・・・・・では一緒に来てくれ。気を確かに持てよ。」
地下の部屋に続く床の入り口を上げる。
「無人の家・・・・地下室に一人で居た少女・・・・・彼女は何かを隠しており、また、覚えていないことも数多くあるようだ。・・・・・俺はこの地下室に手がかりがないかと調べてみた。・・・・いいか。叫んだり喚いたりするなよ。」
旅で使ってきた小さなランプに火を点す。板をはった床に黒い染みが広がっていた。
「これは・・・・血のあと？」
無言で頷くカナンは視線で部屋の奥を示した。
そこには小さな寝台があった。そこには小さな人間が寝ていた。いや、倒れていた。
硬く閉じられた瞼。青白い顔。蜂蜜色の髪は乱れており・・・・・・白いブラウスの左胸には一本の剣が突き立っていた。
「リースティア・・・・・死んでる・・・・・？」
カナンがゆっくりと頷く。
「何故？彼女は生きているじゃない。これは彼女の双子・・・・!?」
背後の物音に２人は振り向いた。
ベッドの上の骸と同じほどの青白い顔をしたリースティアがそこに立っていた。瞳は放心して大きく開かれ・・・・・
「リース！」
ラルの声に我に返った少女は跳ねるようにきびすを返して逃げ出した。
「リース！」
少女は玄関の扉を開け、月明かりに照らされた家の周りを見、しゃがみこんで悲鳴を上げた。
「違う！違う！ここは私の家じゃないわ！こんなに大きな木はなかった！じいやと一緒に苗木を植えたの。お花が咲く細い木を植えたの。その木はどこ？どこにいっちゃったの？・・・・・・じいやはどこ？ばあやはどこ？・・・・・・・思い出した・・・・・思い出した・・・・・・剣を持ったたくさんの人が来て・・・・・・隠れているところにも来て・・・・・・私、刺されたの。痛かったわ。とても痛かったの。殺されたの。私。・・・・・じゃあ、ここに居る私は何？私・・・・・・死んだのに。幽霊？どうして？どうして？どうしてなのーッ!!助けて、ミードさん！ミードさん！どこに居るの？」
少女は意味の通らない叫び声を上げ、頭を抱えた。ラルが抱きしめたが、悲鳴は止まらない。彼女の瞳にはもう何も映っていなかった。耳も皮膚も何も感じなくなっていた。
「兄ちゃんたち！耳塞いで！」
いきなり飛び出してきた赤毛の少年に怒鳴られ、ラルとカナンは耳を塞いだ。
白い僧服を着た青年が、胸に抱えた不思議な形の竪琴を掻き鳴らす。すると、喚いていたリースが急に静かになり、その場に崩れるように倒れた。踊り子の衣装をつけた少女が優しくリースの髪を撫でる。
「もういいよおッ！」
耳を塞いでいた手を少年に剥がされ、ラルとカナンはリースのそばに跪く。踊り子姿の少女はにっこり笑う。
「大丈夫。眠っているだけ。・・・・・事情はわかってるわ。リースティアのことなら私たちは何でも知ってるの。・・・・・・よかった。間に合ったみたいね。ラル、カナン、リースをベッドまで運んでくれる？」
カナンはギョッとして怒鳴った。
「おい！何で俺達の名を知っているんだ？」
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
たくさんの妖精たちに囲まれ、リースはよく眠っていた。表情は苦しそうだが、寝息は安らかだ。踊り子・・・・フィスはそうっと彼女の髪を梳いた。
「カナンもラルも、もう少し・・・・・えっとなんていうのかな、そう、気配り？気配りってやつをすればこんなになんなかったのにさ。自分の死体見せられたら、誰だっておかしくなっちゃうってば。」
茹でたジャガイモに塩をかけ、ほお張った少年・・・・レムは、じわっと目を潤ませた。
「531年ぶりのジャガイモ！しかも大きくてほくほく！おいら生きてて良かった。あれ？生きてんのかな？ま、いいか。」
吟遊詩人も漁師も、新参者の３人を警戒して見つめていた。自分たちのことも、リースティアのこともよく知っているという３人。すっかりくつろいで２個目のジャガイモに手をのばす赤毛の少年、優しい瞳の踊り子の少女。生真面目そうな白い僧服の男・・・・・・
「あんたのことだけは、なんとなくわかる気がするぜ。司祭様とやら。」
カナンは青年が手にした金属の竪琴を睨みつけるようにして言った。
「古い古い伝承だ。俺も今日までただの作り話だと思っていた。・・・・・・昔、500年以上も前に滅んだ遥かな国には、音を使って呪いをする宗教があったという。宗教と言えば聞こえはいいが、裏を返せば殺しを請け負う呪殺集団だったという。・・・・・その宗教集団はあんたの持っているような金属でできた多弦の竪琴を使っていた。・・・・・先ほどあんたが使ったのは眠りをもたらす呪歌だろう。違うか？」
踊り子の少女がカナンをキッと睨む。
「確かに、あれは呪歌よ！でも司祭様は音楽で人を殺したことなど一度だってないわ！そんな人じゃないです！そんなことができるような人だったら、司祭様は・・・・司祭様は・・・・」
激する少女の肩をぽんぽんと青年は叩いた。
「かばわなくてもいいのですよ。私があの宗派の司祭であったことは事実なのですから。」
口の中をジャガイモでいっぱいにしたレムが大声でいう。
「そう、そう。でも、司祭さま、いい人だよ。たぶん、カナンの十倍は。」
ラルが唇に人差し指を当てる。
「しいっ。リースティアが起きてしまう・・・・」
レムは両手で口を押さえた。
「そだね。そだね！リース、ゆっくり休ませなけりゃね。・・・・・やっぱりラルは優しいね。おいら、だからラルのことが好きなんだよ。」
数人の風の妖精が注意を喚起するように、彼らの前を旋回した。
リースティアは薄く目をあけていた。
「リース、大丈夫？」
フィスに頷いてみせるとリースはその場の全ての人に目をやった。
「お話します。私が知っていることすべてを・・・・・」
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