嫌な夢を見た。・・・・・・・・それがどんな夢であったかは覚えていなかったが、嫌な夢だったことははっきりと覚えていた。・・・・・・・体に何か黒いものが絡みつき、息苦しく、進もうとしても進めず、叫ぼうとしても叫べなかった。
額にじっとりと汗が噴出しているのを感じながら、ラルは宿屋の硬い枕に顔を埋めた。
（大丈夫？）
黒いビーズのような目をした大地の妖精がラルの頭の横に歩いてきてそっとこめかみに触れた。
『君は砕け散ったはずなのに、どうしてここにいるの？』
目を閉じたままラルは妖精に声をかける。いや、目を開けているもう一人の自分がいた。彼は半身を起こし、そっと妖精を両手で胸に抱く。見下ろせばもう一人の自分は眉根に皺をよせ、苦しそうに眠っている。
両手の中で妖精はラルを見上げ、その小さな目を糸のように細くする。
（これは夢だから。夢の中だけでもラルと一緒にいたいから。それじゃ駄目？）
『駄目だなんて。僕は嬉しいよ、また君と出会えて。君はリースなんだろう？』
妖精は肯定も否定もしなかった。しかし、ラルがふと気づくと、妖精は故郷の森で別れた少年の姿の守護精霊に変わっていた。はっとすると、その姿はレムに変わった。次いでフィス、そして鶫、スレイ・・・・・最後にはリースティア王女の姿になった。
『君は・・・・・・誰なの？』
リースティアの姿をしたものは小さく笑みを浮かべた。
（みんな、私。私は一人。私はもう一度生まれなおし、そして新たな絆を作るの。）
それはいったいどういう意味なのかとラルが訊ねる前に、ガランガランという大きな音が耳から入って頭を揺さぶった。
ラルは今度こそ本当に目を覚ました。既に「鶫」は服を調え、レムを揺り動かしており、ラルに気づいたカナンが開け放された窓を指差す。
「妖魔がなだれ込んできた！奴ら東門を突破して王宮に向かっているぞ！」
服を着ながら窓から身を乗り出すと、町のあちこちから火の手があがっており、黒い妖魔の群れが・・・・・町の大通りを埋めるほどの数が、王宮へと黒い雪崩のように突き進んでいるところだった。
竪琴だけを抱えて走り出たカナンを追って司祭と少年と一緒に武器と薬草類を持ち、宿の廊下へと飛び出す。隣の部屋の戸からはフィスが出てきたところだった。彼女はマントを外し、足首に銀の鈴をつけていた。妖魔の前に飛び出すには不向きな姿だが、彼女はこれから自分がやることをよく知っていた。
「いきましょう！」
そう行ったのはフィスのあとから出てきたリースだった。その凛とした声は、少女のものとは思えない一種の威厳に満ちていた。青い瞳はしっかりと前を見据え、白いリボンで結ばれた蜂蜜色の髪は廊下の窓から差し込む朝日に輝いている。誰も「それは危険だ」などと言わなかった。
リースを先頭に階段をかけおりると、宿屋の者や客達が騒いでいた。怯えてうずくまるものあり、どうしたら安全だろうかと大荷物を背負い、戸外を窺がうものあり・・・・・その宿の入り口にはスレイが静かに立っていた。
「スレイさん！」
灰色の傭兵は王女を見、大剣を抜いた。
「遅れずについて来い。・・・・・・・お前が追いつけなければ、俺は俺のやり方で妖魔を滅ぼす・・・・・そして、すべてを助けることはできないことを知っておけ。」
「は、はい！」
駆け出すリースをラルはすっと抱き上げた。リースは落ちないようにしっかりとしがみつく。何かを期待するように見上げるレムをカナンは仏頂面で背負った。
「いいか、レム、王女もだが、いざってときには自分の足で立つんだぞ。手が塞がっていては槍は使えない。魔法も撃てん。竪琴も奏でられん。お前達のせいで俺やラルが死んでは寝覚めもわるかろう？」
言いながら走る。
妖魔から逃げる人々と逆に、７人は妖魔に向かって足を進める。大剣を振りかざし、目の前にあるものはすべて切り捨てるといわんばかりのスレイの形相に人々の流れは割れ、リースティアたちの前に道を作った。
東門は完全に壊れていた。門の両脇で妖魔を押し戻し、門を塞ごうと兵士達が必死に戦っていたが、次々と妖魔の蹄や角や、風や、吐き出される炎で次々に倒れていく。
「ラル！お前か！」
懐かしい長兄の声がしてラルは叫び返した！
「ローン兄さん！」
北門を守っていたローンの部隊は妖魔と戦いながらやっとここまで到達したのだ。
スレイが斬り込む！彼は一頭の大鹿の咽喉を大剣でとらえ、ぐっと振りぬいた。大鹿はもんどりうって倒れ、何頭かの妖魔をなぎ倒す。ラルはリースを下ろし、別の妖魔の足を槍で突いた。腱を切られた妖魔は先程の大鹿の横に身を横たえる。スレイの横に飛び込んできたローンも剣を数旋し、妖魔を屠る。・・・・・・そして、次々と城壁に入ってきていた妖魔の流入が止まった。
その時、「白き鶫」の竪琴が鳴った。カナンがその音に対旋律をつける。
リースは静かに妖魔の前に進み出た。彼女を助けようと剣を構えて前に出ようとするローンをラルが止めた。
「あの少女は・・・・・？」
「説明すると長くなりますが、この国に滅ぼされた国の王女です。彼女はこの戦いを終わらせる力を持っています。」
「王女？」
「ええ。名前をリースティアと・・・・リースといいます。」
弟の答えにローンは押し黙った。
彼女の周りにはたくさんの空飛ぶ妖精たちがキラキラと羽を輝かせながら舞っている。その姿を見、妖魔たちは何か忘れ去ってしまった大事なものを思い出しかけた。鶫は歌う。吟遊詩人もまた声を被せる。フィスが舞う。
リースが口を開いた・・・・・そこから流れ出たのはヒトの言葉ではなかった。優しい音楽のような言葉・・・・・・ラルは気づいた。それはリースが疲れた妖精たちを労い元気付ける時の声と良く似ていることに。
リースは目の前にいた一頭の野牛の妖魔の大きな首を抱いた。
「もう、いいのです。戦いは終わったの。たくさんの命を壊すようなことは辞めて。命を紡いで回していく。それが私とあなたたちの定めですもの。・・・・・もう休んでいいの。一人の為にあなたたちは在るのではないの。風を、水を、火を、土を・・・・・・あなたたち自身で感じて・・・・・・」
妖魔は弾けて、旧都のときと同じようにたくさんの妖精の姿になった。妖精たちは元の姿に戻って顔を見合わせ、笑った。そしてこれもまた旧都のときと同じように残りの妖魔のところに飛んでいってその耳になにやら囁くと妖魔は魔法が解けたように妖精へと還る。
黒い、死をもたらす妖魔の奔流は、光り輝く優しい妖精へと変わった。その中央にいるリースは、彼女自身が光を放って輝いているように見えた。
「預言の通りだ！『最後の希望』の巫女姫様が降臨なさった！」
様子を見ていた一人の男が叫んだ。
「リースティア様！光の王女、万歳！」
「虐げられしファリアーナの民に栄光を！再興を！」
通りに走り出てきた人々は、褐色の肌を持つこの国の人々よりも少し髪や肌の色が淡かった。・・・・・きっとかれらはファリアーナ人の末裔なのだろう。彼らはリースを遠巻きにして跪いた。やがて褐色の肌をもった人々もそれに並ぶ。
「悪しき妖魔を善き妖精に変えるなんて！奇跡だ！」
「きっとあなたは聖女様なのですね！」
「有難うございます！あなたはこの街を救って下さった！」
人々はひれ伏した。リースは目を閉じ、ゆっくりと首を横に振る。
カナンがじゃらん、と不協和音を鳴らした。
「おお、お付きの方は翠の髪か。さすがは光の王女様！」
カナンはがなった。
「ひとまずそこを退くんだ！王宮を取り囲んでいるあの妖魔たちがお前達には見えないのか？道を空けろ！」
畏敬の念で人々はさっと両脇によけた。
リースはラルの横にいるローンを不思議そうに見上げた。
「ローン・・・・・様？」
仔細は知らぬローンであったが優しく微笑み頷いてみせた。
「リース。これからは私の部隊もあなたと共に行きましょう。それでいいですか？」
リースは頷いた。
ラルは再びリースを抱き上げる。
全速で走るラルの腕の中でリースは呟いた。
「私は聖女なんかじゃないのに。」
「・・・・・・わかってるよ。」
「・・・・・ファリアーナを再興するつもりもありません。」
「うん。それもわかってる。」
「・・・・・・・私はいったい何者なんでしょう。」
「君はリースティア。僕たちの大切な仲間。」
リースは安心したように一つ息をついた。
７人はいまやローンの部隊も味方につけ、無数の妖精を背後に従え、王宮への道を進んだ。町の人々が窓を大きく開き、ラルの腕の中のリースに歓声を浴びせかける。妖魔に近づいてリースはラルの腕から降りた。司祭の歌とフィスの舞に動きを止めた妖魔たちは、リースの言葉と、妖精たちの囁きにその姿を妖精に戻す。
・・・・・・しかし、王宮の強固な城壁に執拗な攻撃を加えていた妖魔の一部は既にその内部へと突入していた。そして・・・・これが一番の問題だが、歌も舞もリースの言葉も効きにくくなっていた。
城壁を警備していた兵士と言葉を交わしていたローンはラルに向き直った。
「城の内部は敵の襲撃に備えて迷路状になっている。道は一本ではない・・・・・中に入ってしまった妖魔は20頭はいるだろう。・・・・・・彼女の不思議な力で全てを収めることはできない。俺の部隊はここからわかれ、別経路を取ろうと思う。道を知っている者を一人そちらに付けよう。」
と、副隊長を務める男がローンの横に並んだ。
「ローン隊長。おそらくはその方が、妖魔たちとの戦いの要となる方。・・・・・隊長がその方々と共にいらして下さい。我ら一同、隊長の下、いままでの妖魔との戦いで腕を磨いてきました。ご心配なく。」
ローンは頷いた。
足に怪我を負った兵士が多くの妖魔が向かった方角を指差した。・・・・・・王族が王宮の奥に篭ってしまった今、彼らに命令を下すものはなく、この異国の部隊だけが、頼りになる者達であった。彼は妖精に囲まれたリースに深々と頭を下げた。リースは走りよって兵士の傷に手をあてた。みるみるうちに塞がっていくその様子に兵士達は呻き声とも歓声ともつかぬ声をあげ、跪く。それは貴人に対しての礼をつくした動作であった。
「では。・・・・・・いくぞ。ラルフィス。」
先頭にローン、続いてラル。フィスとリースとレムはひとかたまりに真ん中を行き、歌い手の二人がその次に。しんがりはスレイが務める。彼らは城壁から王宮へと続く迷路のような通路へと踏み出した。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
その頃、王の間では王族一同が集まり、兵士達の報告を聞いていた。ミラは一人離れ、壇の下に身を屈めている。実の親子とはいえ、母が下賤の女ということで、国王は他の兄弟達とミラを同列には扱っていなかった。
王は兵の話を聞き顔色を変えた。
「その娘、確かにリースティアというのだな。」
兵士は頷く。
「確たる証拠はありませぬが、城下の者どもがその名を叫んでおりました。そして、『預言の王女、最後の希望』などと・・・・・」
王は首を振る。・・・・・ファリアーナ王家を滅ぼした後、この大地は妖精たちから見放されていった。それはリースティアという小さな王女を殺したことに発していると父祖伝来の書物は告げていた。そのときに王都を襲った狂いし精霊「ミード」を北の森に封印しすべては闇に葬ったと思っていたのだが。・・・・・800年以上前に殺した王女がなんの為に蘇った？そして何のためにここまで来たのだ？復讐だ！・・・・そうに違いない。滅ぼされたファリアーナ、殺された家族、奪われた未来の復讐に来たのだ！
「息子たちよ。聞いてのとおりだ。リースティアという小娘がこの城にやってきた。・・・・・・き奴は人心を惑わす術を持ち、民どもの目をくらませ、我らを滅ぼすつもりなのだ！・・・・・・・騙されるな。その娘こそが妖魔を操りこの大地から妖精の守護を奪った元凶なのだ。・・・・・・・この“王の間”周辺の兵を残し、すべての兵はリースティアを討つために全力を上げよ！」
兵は驚愕して目を上げた。
「陛下。・・・・・・その女は民を襲う妖魔を妖精に変えて救ったのですが・・・・・」
「・・・・・・お前に何がわかるというのだ。聞こえなかったのか？その女を、リースティアを討て。」
ミラはかすかに口を動かそうとした。だが、一人の王子の言葉によって出しかけた言葉を引っ込めた。体が弱く、王子達の中では一番蔑ろにされている三番目の王子はすっと父親の前に進み出た。ミラは驚いた。その兄は、ミラもまた弱気な軟弱者として碌に話したこともなかったから。
「父上。私も魔道を操るものの一人です。惑わしの魔法などでそれだけ大きなことができるはずがありません。それは父上もおわかりのことではないのですか？私たちは学者達に妖精を取り戻す方法を研究させました。しかしそれはかなわなかった。それをその少女はやってのけたのです。・・・・・善き物を取り戻す力をもつ少女が何故悪しき者だとおっしゃるのですか。」
王は三番目の王子の横面を平手打ちした。
「臆病者め！・・・・・・今ここでその者を討たねばこの王国はおしまいだと思え。・・・・・・この国を想うのならば剣をとり、魔道の炎をその掌に宿らせろ。」
（わからぬのか。今王女を打たねば、民の心はみな王女のものになってしまうということが！我らが玉座から追われ路頭に迷うということが！・・・・・・・最悪の場合、王族皆が処刑されかねぬということが！）
頬を打たれて転倒した王子はうなだれて自分の席・・・・・末席へ戻った。
王は側近を呼ぶと、一つの箱を持ってこさせた。蓋を開けると大人の肩幅ほどの長さのワンドが現れた。
「ミラよ。」
自分の名を呼ばれ、ミラはぴく、と肩を動かした。
「リースティアは強大な力を持った魔女だ。・・・・・父祖伝来のこの“封印の杖”を持ち、彼の者を封じ込めよ。・・・・一族のうち、もっとも強い魔力を持つお前にこそこの仕事は相応しい。・・・・・この国の王女として責任を果たしに行ってくれ。・・・・・・案ずるな。お前が失敗すればお前の兄たちが後をひきつぐ。・・・・兵を連れて行け。妖魔の居る場所は把握しているが、リースティアのもとにたどり着く前に出会ってはことだからな。」
ミラは自分の眼前に差し出されたワンドを見つめた。大きな魔力が込められた杖・・・・・たしかそれは術者の魔力を喰らい、ときには精神力をも喰らい尽くすというものではなかったか？父は自分に死にに行けと言おうとしているのか・・・・？
しかし、ミラはワンドを受け取り静かに言った。
「はい、お父様。私は王家と国のために力を尽くして参ります。」
それきりミラは父も義母も兄弟達も見ず、夜色のドレスを翻して部屋から出た。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
「まだ妖魔って残ってるのかな？」
レムが妖魔が弾けて出てきた妖精たちと戯れながら言った。
「ええ、・・・・・・まだ気配を感じるの。怒りと悲しみの気配が伝わってくる・・・・・・」
リースに言われ、レムははあ、と息をつき、ちょっとうつむいてつま先で床を蹴った。
「おいら・・・・何の役にも立ってないね。」
「・・・・なんだ。今頃気づいたか。」
カナンに言われ、レムは吟遊詩人の長い足にぐいと組み付きその場に転ばせた。
「お前はどういう反応を期待しているんだッ！」
「うーんと・・・・・・・・」
「考えるなッ！答えを聞いても嬉しくはない！」
『鶫』は笑って二人の様子を見ていたが、横でフィスが顔を曇らせているのに気づいて声をかけた。
「フィス。どうしましたか。」
「・・・・・・・・司祭様・・・・・・・さっきの妖魔。司祭様の歌も、私の舞も・・・・・・・聞こえず、見えない、といった感じでした。・・・・・・・妖魔は正気に戻れば妖精に戻ってくれます。・・・・・でも・・・・・・・精霊のミードはリースティア王女を殺したこの王家の祖先に深い恨みを抱いています。その恨みの気持はきっと王族に近い位置に行けば行くほど高まっていくのでしょう。私たち、これから先は妖魔たちを殺していくしかないのかもしれません。・・・・・私、あの子たち・・・・・妖精たちを殺したくはないのに・・・・・どうしても助けられないでしょうか。」
『鶫』はそっとフィスの髪を撫でた。
「フィス。私はあの教団にいたとき、『自分はこれからずっと人殺しとして生きていくのだ』と思い込んでいました。・・・・・希望はないと確信していました。・・・・・・・助けはこないのかもしれません。でも来ないと言い切ることもできませんよ。」
「はい・・・・」
と、カナンとのどたばたに決着をつけたレムが二人を見ていた。
「フィス姉ちゃん、司祭様のこと好き？」
フィスは真っ赤になる。
「あ、あのね、レム。変なこと言わないで。」
「・・・・・・へんなことかなあ。司祭様？」
『鶫』はくすっと笑って、ぽん、とフィスの頭に手を置く。
「そうですね。フィスのことは大好きですよ。」
あなたのことと同じようにね、と続けようとした『鶫』だが、その前にレムが口を挟んだ。
「ふーん。だったらケッコンとかはしないの？」
これには冷静な司祭も顔色を変え、仰天して咽た。
「あ、あ、あのですね、レム。私たちは死んでいたわけですし・・・・・・・弱りましたね。そのう・・・・・そんなこと今まで考えたこともありませんでした。・・・・・・・」
「それじゃ、今から考えるんだ？」
司祭とフィスはお互いに頬を赤くし、顔を見合わせて微笑んだ。
ローンはラルからリースティアと４人の話を聞き、妖精に囲まれているリースを見、唸った。
「自分の出自を知って以来、生半可な事では驚かないようになっていたが、そうか、そんなことが・・・・・会った時、俺の名前をあの子から呼ばれて驚いたが、確かにお前の守護精霊殿によく似ている・・・・・ともかく・・・・・無事で良かった。」
そういってライスリート家の長男は末弟の手をぐっと握った。
「それにしても、何故連絡をくれなかったのだ。ミラ王女は毎日のようにお前と約束したという宿屋へ人を送って心配をしていたのだぞ。」
ラルは懐からミラに貰ったピンを取り出した。
「兄さん、この紋章と同じものが、リース王女の骸に刺さっていた剣についていたんだ。ミラ王女にはすまないことをしたけど、リース王女を連れてその宿屋に行くのは危険かもしれないと考えた。彼女を妖魔との戦い以外で危険な目に遭わせたくなかった。」
「そうだな。俺がお前でもそうしたかもしれんな。・・・・・さて、休憩はそろそろ終わりだ。皆。いこう。これからはしばらくは一本道だ。私がしんがりをつとめる。」
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
ミラは目を閉じ、神経を集中させた。護衛の兵士達は傍に控えている。
「大丈夫です。この付近に妖魔はいないようです。」
明らかにほっとした兵士達は、次の瞬間に顔を顰めたミラに気遣わしげに声をかけた。
「王女様！どうなさいましたか！」
「・・・・・・・・なんでもありません。」
ミラは微笑んだ。・・・・・・彼女が捕まえたのは妖魔とは別の気配。何人かの人間のもの。それは悪しき気配ではなく・・・・・・・何かまばゆくて明るい気配であった。彼女が顔を顰めたのは、その気配の主を討とうとしている自分の行為におそれを感じたからであった。・・・・・かの少女は妖魔を妖精に変えたと言う。城下の者達は彼女を聖女、光の王女と呼び、歓声をあげたという。・・・・・・そしてリースティアというその名前。・・・・・・・ラルフィスの守護精霊の名前「リース」とよく似た優しげな名前。
とにかく出会わなくてはいけない。・・・・・リースティアという少女に出会ったら、兵を下がらせ、話をしてみよう。そして、その少女に非がないと判断したら・・・・・・自分はどうしようというのだろう・・・・？父を裏切り野に下るのか？・・・・・・
ミラは父親を愛してはいなかったが、この国を、故郷として大切に思っていた。そして、民の支持を得ていないとはいえ、今の王家が瓦解したならば、東方の国が確実に攻めてくるということを承知していた。
「ここからは私が先に進みます。お父様が私に封印を命じた者は、大きな力をもっている様子です。あなたたちの剣や槍では太刀打ちできないでしょう。・・・・・・呼んだならばすぐに来て下さい。頼りにしていますわ。」
ミラは小走りに進んだ。兵にリースティアを討たせないために。彼らが到着するまでに少しでも長く話をするために。
明るい光の気配を追って迷路状の回廊を駆け抜ける。小さな頃からここはミラの一人遊びの場所だった。現実にはいない妖精のお友達を頭の中で作り上げて追いかけっこや隠れんぼをした。
光の気配はますます強くなった。ミラは胸がどきどきとし、曲がり角に身を潜め、向こうからやって来る人物を待った。
光の王女がやってくる。・・・・・大勢の妖精を従えて。妖精たちは彼女の周りを飛び回り、彼女は妖精たちを見て微笑んでいる。そして彼女を守るように歩く人々・・・・・大柄な灰色の剣士、あちこち跳ね回ってあるく少年。白い司祭服の男性。踊り子らしい娘。ミラはローンの姿をそこに認めてあっと声をあげそうになったが、カナンとラルが一緒なのには更に驚いた。
と、光の王女が敷石に躓いてよろけた。ラルがすっと手を貸し、抱き寄せて支えた。王女は“ありがとうございます”といい、ラルに微笑み、ラルも微笑を返す。
どうして？
どうしてカナンとラルフィスがここにいるの？
王都に着いたなら宿に来てくれると約束したのに。
何故その王女・・・・・リースティアと一緒にいるの？
私は一人だったのに。寒々しい王宮の中、ずっと一人でいたのに、光の王女、あなたは何故そんなにもたくさんの人に囲まれているの？・・・・・・・そんなに近しい人たちがいるのに、優しいラルフィスまであなたは自分のものにしたいの？善きもの・・・・・妖精に囲まれてあなたはなんて幸せそうなのかしら。ラルフィスに抱きとめられてそんな風に笑わないで。そこはあなただけの場所じゃないわ。・・・・・・・あなたはお父様のいうように魔女なのね。・・・・・・人の心を操る魔女なのね。だからラルフィスは連絡をとってくれなかったのだわ。・・・・・・・許さないわ。そんな酷いことをするなんて。あなたが憎いわ、私に無いものをもっているあなたが憎い！
憎い
憎い！
憎い!!
そのとき、ミラの頭の上の空間がどす黒く変色し、扉のようなものが開いたかと思うと馬ほどの大きさの金の眼をした黒豹が躍り出た。
黒豹の姿をした妖魔は、その咽喉笛に牙をたてようと光の王女に向かって一直線に向かっていった。
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