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８ 天には栄光・・・・
“黒き穴”の内部は濃密な魔力に満ちていた。魔道士二人は互いに顔を見ることはなく、殺気を発する方角を見つめた。 「・・・・・・・・やっかいな相手のようじゃな・・・・・・」 「ふっ・・・・・・ブライ、お前さん、怯んだのか。」 「怯むものか！事実を述べただけじゃ！」 「ブライ！」 「ブライ殿！」 アレクの声とライアンの声が後ろから聞こえた。ブライは片腕をあげて制止する。 「アレク、援護をしてくれ。・・・・・・ライアン殿、貴殿はこの魔力の渦には残念ながら耐えられまい。間に合うかどうかはわからんが、クリフトとミネア殿を呼んできてくれまいか。あの二人ならばなんとかこの中でも耐えられる。・・・・・魔法力全開での戦いになる！この敵だけは外に出してはならん！」 ライアンは頷いた。何人にも負けぬ剛剣を振るう腕を持った彼だが、魔法の素養がないことを自らよく知っていた。彼が踵を返して出て行くとブライは杖を構えなおした。アレクも剣を構えなおす。 「来るぞ・・・・・・・・！」 ただの気配だったものが、はっきりとした形をとって実体化してきつつあった。黒い霧が集まり、黒い鎧を纏った巨大な魔物が出現する。かつてアレク達が倒した魔王エスタークに酷似した魔物・・・・・・魔物は右手に持った剣を大きく振りかぶり、振り下ろした。 真空の刃が魔道士二人が立っていた場所に向かって放たれた。老人二人はそれぞれ右と左に老人とは思えぬ俊敏さで飛び退いた。アレクは二人よりも前に出る。と、ブライがアレクの更に前に出た。 「アレク、よく聞け！この場の魔力に耐えられてしかも剣技に優れているのはお前さん一人じゃ！・・・・・攻撃はわしらに任せろ・・・・・・そして、わしらの魔法でも歯がたたなかったら・・・・・・・そのときにこそ頼む！今は敵の様子を見るんじゃ！そして、奴の動きを見切ってくれ！・・・・・・まずは様子見じゃ！」 ブライは小さな氷の針を魔物にぶつけた。魔法は鎧の表面で雲散霧消する。それに続いて反対側から炎魔法がぶつけられたが、これもまた同様に何の手傷も与えられなかった。 魔物はまた振りかぶる。 「マホカンタ！」 魔法反射の魔法をブライが叫ぶ。真空の刃は跳ね返されたが、魔物はその刃にも平然としていた。 「ピオリム！」 もう一人の魔道士が素早さを上げる呪文を唱えた。 「総力戦じゃな！」 「そうじゃな！」 「氷よ！」 「炎よ！」 老魔道士二人の気合いのこもった呪文が浴びせかけられる。ブライの氷が魔物の足を凍りつかせ、その頭を爆発の呪文が見舞う！しかし、魔物は難なく足を持ち上げる。そしてブライを踏み潰そうとした。 「爆炎よ！我が導きによりこの場に現れよ！」 間一髪で魔物の足に炎の奔流がぶつかり、転倒させる。 「・・・・・腕を上げたな！」 「来る日も来る日もお主と戦う日に備えて鍛錬をしておれば、嫌でも腕はあがるわい。何年も、いや、何十年も対決を延ばしおって！・・・・たく！」 炎使いの老魔道士はずり、と目の前に下がってきたとんがり帽子を片手で掴み、投げ捨てた。きっちりと結い上げられた白髪、敵を見据える紅の瞳は老いたといえどもきらきらと光っていた。 「ほったらかしにしよるから・・・・・こんなばーさんになってしまったじゃないかッ！」 「バカもんが！城詰めのわしが、そう簡単にそっちに行けるわけはないじゃろうが！それに、魔法対決を申し込んだのはお主じゃ！そっちが来るのがすじじゃろうがッ！」 「そんなだから、お前は若い頃からデリカシーに欠けると言われていたんじゃ、ブライ！」 「何を言うかッ！わしの気も知らんで！だからお前さんは若い頃から冷たい女と言われていたんじゃ、ルリア！」 「なッにが冷たい女じゃ！そっちこそこっちの気も知らないで！」 ・・・・・・・・口げんかしつつも高位の呪文を敵に浴びせ続ける。アレクは間合いをとって、時々魔物が仕掛けてくる物理攻撃を剣ではじいた。 「アレク・・・・・どうじゃ、奴の体に剣で歯がたちそうなところはあるか？」 「いいえ・・・・あの鎧は僕の剣では歯がたちません。・・・・・天空の剣であったなら話は違ったかもしれませんが・・・・・鎧の継ぎ目も小さすぎて・・・・」 攻防は続く・・・・・炎魔法と氷魔法、二つの相反する魔法は少しずつ魔物の鎧にダメージを与えていたが、それは微々たるものであった。しかしブライたちは諦めなかった・・・・・小さなひびわれでも、それが大きくなれば堤防を決壊させる力を持つものなのだ。ブライたちが傷つくとアレクが癒した。ブライたちは間断なく魔法を浴びせかける。魔物の動きに焦りが見えてきた。そして・・・・魔物はすう、と大きく息を吸い・・・・・・・・炎を吐き出した。 「!」 アレクは盾を構え、二人を背後に庇う。・・・・・しかし、業火であったはずの炎は弱弱しく盾の表面を撫でたに過ぎなかった。 「ミネアさん？」 炎や寒気から身を守る優しい霧の魔法を扱うミネアがやってきたと思ったアレクはそう声をかけたが、この戦闘の場に入ってきたのは、神官衣を纏った老いた男だった。 「・・・・・・ブライ、戦いの役にはたてませんが、援護だけなら私がなんとかつとめてみせましょう。・・・・・・ルリア、お久しぶりです。」 ディルト司教は、ルリアを見て少しだけ微笑んだ。 「おお、聞いたか、ブライ。ディルト殿は紳士じゃな！どこかの誰かさんとはえらい違いだわ。」 ディルトは回復呪文を唱え、二人に出来た小さな傷を癒しながらタメイキをついた。 「ルリア・・・・・私をものの見事に失恋させた癖に・・・・・あなたって言う人は全く若い頃から強がりなんですから・・・・」 「？何のことじゃ？一体？」 「ブライ、このたわけッ！余所見をするんではないわッ！敵がくるぞッ！」 再び炎が吐かれた。ディルトは手のひらを前に突き出し、炎を跳ね返す。サントハイム随一の回復魔法の使い手は、老いたりといえども圧倒的な力を持っていた。 「ディルト、・・・・・少し頑張って貰えるかの？」 「ルリア・・・・・・ええ、でもいつまでも押えられませんよ。」 「どうか、呪文が完成するまで持ちこたえてくれ。」 ルリアは魔道士の杖を地面に付きたて、目を閉じて強く念じた 「・・・・・・・地の奥底に眠る火の揺籃よ、そこにたくわえし汝が力を我に与えよ。母なる大地の熱き命を今ここに、我のもとへ・・・」 「ルリア！急いで下さい！」 炎に押されたディルトをアレクが支える。その後ろでなおもルリアは呪文を唱え続ける。 「我のもとへ、我のもとへ・・・・・来たりて邪悪なる存在をその力もて撃ちたまえ!!」 頭上に赤黒く光る大きな球が出現した。それはマグマの塊。ルリアがブライとの勝負のために編み出した炎系魔法の必殺技の一つであった。 「行け！」 かッ！と目を見開き、杖を掲げたルリアの所作にあわせ、マグマは魔物を直撃した。魔物の黒い鎧がマグマの熱で真っ赤に焼けて光を発した。 「！」 何かに気づいたブライが先程のルリアと同じような動作で、極大級の氷系魔法を唱え始めた。 ルリアの魔法で受けたダメージで動きをとめていた魔物が再び動き始めた。ブライは杖を掲げる。 「我が全身全霊を込めし、荒れ狂う吹雪よ！吹き荒れよ！」 まだ吹雪は魔物を包んで辺りを白くし・・・・・・それがおさまった時、魔物の漆黒の鎧の表面には無数の傷が走っていた。 「アレク！今じゃ！」 ブライに言われたときには、もう、アレクは走り出していた。 「たあっ！」 大きく飛び上がり、渾身の力を込めて振り下ろした剣は、脆くなっていた魔物の鎧を容易く切り裂き、肩から反対側の腰までを袈裟懸けに薙いだ。・・・・・・そして魔物はその動きを止めた・・・・・ その体は砂のような黒い粉末に崩れていき、禍々しい魔の気配も薄れていく。そして・・・・・・そこにはもう新たな魔物は出て来なかった。 「・・・・・・・・・見たか、わしの編み出した必殺技を・・・・・・」 ルリアは座り込み、肩でぜいぜいと息をしながら傍らで同じようにへたりこんでいるブライに言った。 「・・・・・・・・・ああ、なかなかのモンじゃったな。・・・・・・・勝負を決めたのはわしの呪文じゃったが。これで魔法勝負はわしの勝ちじゃな。」 「！！何を言うかッ！わしの呪文があったからこそお前のたわいない呪文なんぞで勝負を決められたんじゃろうが！」 「そっちこそ何を言うかッ！熱せられた鎧を急激に冷却すれば道がひらけると即座に判断したわしの頭の回転があってこそのことじゃろうが！」 互いに眉を吊り上げてかみつかんばかりにして口角泡を飛ばす二人の間にアレクは割って入った。 「喧嘩しないで下さい。・・・・・・お二人の魔法、どちらが欠けても僕は敵を切り裂くことはできませんでした。」 ルリアは肩を落とした。。 「・・・・・・そうじゃな。敵を倒したのはわしでもブライでもなく、この勇者殿じゃな。魔法勝負はまだついておらん。」 「そうじゃの・・・・・・・・じゃが！もしもアレクが居なかったなら、最後の一撃を決めたのはきっとわしじゃった！」 「ななな、言わせておけば！そんな戯言をまた言いおって！だいたいだな、ブライ、お主という男は・・・・・！」 またケンカをはじめた二人を無視し、ディルトはアレクが受けた傷を魔法で癒した。 「お気になさらず・・・・・・あの二人、十代の頃からああなんですから。」 「はあ・・・・・・・」 そして向き直って深い、朗々とした声で言った。 「これからここを封印します・・・・・・アレク、そしてブライ、ルリア。皆さんの魔力を私に貸して下さい。・・・・・・・・ここを閉じないと魔界への扉が開かれてしまいます！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ そのころ、城内では別の戦いが始まっていた。 アリーナの部屋から姿を消したマイアを探し、兵士たち、そしてアリーナたちは警戒しながら城内を回る。・・・・・・・しかし、彼女を見出すことはできなかった。 「・・・・そうか。・・・・いや、ご苦労だった。持ち場に戻ってくれ。」 ランデルは部下からの報告を受け、眉を潜めた。報告を聞いていたトルネコが羊皮紙の上に×印をつける。 彼の前にある紙片には、“異常なし”の報告を受けた場所が示されていた。・・・・・・・もうこれで探すべき場所はないはずなのだが・・・・・ アリーナは紙片を覗き込んだ。 「ここにない場所だってあるわ。・・・・尖塔の上だとか・・・・・・」 「姫様、尖塔の上や屋根の上は遠眼鏡を使って既に調べました。物置小屋や氷室まで調べたのです。土にもぐった形跡もありません。」 「どうなっているのかしら。あれ？クリフト、ブライたちは？」 走ってやってくるライアンとクリフトを見、アリーナは目を大きく開けた。先程ライアンに呼ばれ、クリフトは“黒き穴”に行ったばかりだというのに。 ライアンを見つけ、ホイミスライムに戻ってしまったホイミンはふわふわと飛んでいって彼の左の肩あてに齧りついた。彼が元の姿になってしまった経緯を知らぬライアンであったが、心配そうに眺めているシンシアの瞳と出会い、そっとその青い頭に手を置いた。クリフトはそんな二人の姿を横目にアリーナに言った。 「つい先程、じい様は、“黒き穴”の魔物を倒されたそうです。そして穴そのものもディルト様が封印して下さいました。・・・・・・・アレクとじい様、そしてディルト様は魔力の消耗が激しくて気を失っておられます。私はこちらに加わるようにと指示されました。」 「そう、よかった！・・・・・・それじゃ今度はこっちだけね。」 と、部屋の外が騒がしくなり、やがてキングレオの青年城主のアレクサンドロ王が入ってきた。ランデルが凛とした声でいう。 「アレクサンドロ王！危険ですから部屋の中に居て下さいとお願い申し上げたはずです。」 アレク王は首を振った。 「私は自分の身は魔法で守れます。それに・・・・・・マイアのことは私にも責任があります。彼女を探し出さねばなりません！」 アレクサンドロ王は静かに語りだした・・・・・・・ 話を聞き終えてアリーナは怒鳴った。 「それではあなたはマイアさんが魔物だって知っていたというの!?」 王はうな垂れた。 「どうしてそんな人を連れてここに来たのよ!?」 「・・・・・・・・彼女は確かに魔物ですが、元は人間だったのです。・・・・・・或る日、私は彼女が魔物であることを偶然知ってしまい、彼女から仔細を聞きました。・・・・・・・・彼女はいいました。自分は魔物であるけれど、世界の平和を祈っている。私が目指している、すべての生きとし生けるものが等しく平和に暮らせる世界をつくる手伝いをしたい、と。・・・・・・・・・私は彼女を信じました。実際、キングレオでは彼女はよく尽くしてくれました。城の者たちも、はたらきものの彼女を皆好いていました。・・・・・・・ですから・・・・・・私はこんなことになるなんて・・・・・・思ってもみなかった・・・・先程お話したとおり、彼女は可哀想な人なんです・・・・・・・」 アリーナはいきり立つ。 「マイアさんは可哀想な人かもしれない！でも・・・・マイアさんのしたことは許せない！」 トルネコがアリーナの肩に手を置いた。 「アレクサンドロ王、あなたは騙されていたのではないですかな。・・・・・あなたの魔法が結界の中でも使えたのは、きっと嫌疑をあなたにかけるための罠。何かマイアさんから貰ったものは？」 王は右手の中指に嵌めた指輪を抜いてトルネコに渡した。トルネコはゆっくりと見定め、息をついた。 「書物に書かれていた抗魔の指輪に良く似ています。この指輪を嵌めたものは、贈り主の作った結界の作用を免れることができるとか・・・」 アレクサンドロ王は首を振った。 「まだ私には信じられない・・・・・・ですが、とにかく彼女を見つけなければ！」 ランデルが首を振った。 「城内はくまなく探しましたが見当たらないのです。」 王は頷く。 「・・・・・・・・・彼女は、魔物の姿をしているときは、体の色を変え、周囲に姿を溶け込ませる能力を持っています。ですから・・・・・」 「そんな！だったら何処にでも隠れられるじゃないの！サントハイムの城の中全部が危険な場所ってことになってしまうわ！」 アリーナはぐるりと周囲を見回した。 と、ライアンが腰から短剣を抜いた。 「ライアンさん？」 ホイミンが小声で尋ねるが、ライアンは静かにするように言った。 次の瞬間、バトランドの王宮戦士の短剣が少し離れた石壁に向かって放たれた。短剣は壁に突き刺さり・・・・・青い血が滴り落ちた。壁だと思っていた場所に糸で体を固定した蜘蛛の姿が現れ、片腕に傷を受けたマイアがもう一方の手で傷口を押えている。 「褒めてあげるわ。どうして私の居場所がわかったの？」 寡黙な戦士は目を上げた。 「影だ。・・・・・周囲に溶け込んだつもりでも、太陽の影は偽れぬ。」 「そういうことだったの・・・・・・・でも、私の勝ちよ。もうそろそろ“黒き穴”から強大な悪魔族が現れ、魔界の扉が開かれるわ。・・・・・この世界は魔物の世界になるの。」 クリフトが叫ぶ。 「もう“黒き穴”は私達の仲間によって塞がれました。・・・・・もうやめてください。」 「何ですって！塞がれてしまった・・・・・・!?」 マイアの顔が歪み・・・・・・しかし笑った。 「ならば・・・・・・・復讐するのみ！」 化け蜘蛛は壁を伝って高速で移動していく。アリーナ達は追った。彼女の復讐を阻止する為に。 そこから少し離れた場所・・・・ 「・・・・・ったく、どこにいっちゃったのよ、あの化け物！」 別行動をとって探索していたマーニャは大声を出した。 「姉さん、落ち着いて。ここでいらいらして怒鳴っても事態は変わらないわ。」 「ストレス解消にはなるわよ！・・・・・ったく、ライアンが“黒き穴”にあんたを連れていくといったときにはそれは危険だ心配ですだのなんだので、こうして帰ってくれば・・・・・」 ジト目で睨むマーニャの視線を辿って、オーリンは慌ててミネアとつないでいた手を放した。 「ですから、マーニャお嬢様、私は・・・・・・・お嬢様達が心配で・・・・・」 「・・・・・・でも、あたしとは手をつないでくれないのよね？」 「あ、すみません。では今からでも・・・」 差し出された大きな手を、ぺしゃっと平手で叩いてからマーニャは大げさにタメイキをついた。 「そうじゃなくってッ！つなぐんならもっとしっかりとつなぎなさいよね！ちゅうか、ミネア、あんたも腕をぎゅっと胸に抱きかかえるくらいの積極性を持ちなさいよ！あんたがちっちゃなお嬢様じゃなくってもう立派なオンナなんだってこと主張しなけりゃ駄目駄目ッ！手、握って胸元に突っ込ませるくらいの思い切りが時には必要よ。煮え切らない態度は龍の神が許してもこのマーニャちゃんが許さないわよ！」 オーリンは怒鳴るマーニャをポカンと見ていたが、ミネアを見て首を傾げた。 「ミネアお嬢様・・・・・マーニャお嬢様はいったい何のことを言っていらっしゃるのでしょうか。」 ミネアは顔を赤くして、しかし、姉の後ろまで行くと盛大にその背をどやしつけた。オーリンは訳がわからず笑っていたが、いきなり表情を硬くして槍を構えた。 「お嬢様達！」 姉妹も殺気を感じたが、動作が遅れた。二人は揃ってねばねばする蜘蛛の糸に足を絡められていた。 「これは好都合。槍使いの男もいるじゃないの。ここれ３人揃って殺してあげる。」 傍らにあった小屋の屋根からマイアが下りてきた。 「黙ってやられるもんですか！あたしたちはもう魔法が使えるのよ！」 マーニャは炎魔法を放ったが、マイアは軽々と避けて見せた。そして広範囲にわたって地面に糸を張り巡らした。オーリンはこれでは近づけない。 「身動きが取れなくては魔法だってあたりませんわ。・・・・・さあ、誰から殺してあげようかしら。・・・・やっぱり動けないでいる可愛いお嬢さんたちかしらね。」 糸から逃れようと必死になりながらミネアが叫ぶ。 「あなたは一体どうして私たちを殺そうとするのですか。この城で初めて会った私たちを何故また。」 マイアはくつくつと笑った。 「初めてじゃないですわ。・・・・・・・・・あなたたち３人とはキングレオの牢屋でお会いしていますわ。」 牢・・・・・？獅子の化け物に身を変じた前のキングレオ王と戦って敗れ、３人は投獄された。そこで“進化の秘法”の実験台にされかけた。人に人ならざる力を与え、人ならざる外見を与える“進化の秘法”・・・・・・・！！！！まさか！！３人は息を呑んだ。 「わかったようね。・・・・・・私はキングレオで働いていた侍女。魔物に魅入られた王に捕らえられ、進化の秘法の実験台にされ、こんな体になってしまった・・・・・・あなたたちの父親があんな秘法さえ探し出さなければ私は魔物になどならなかった。あなたたち八人の勇者が、バルザックを討たなければ、ピサロ様を殺さなければ、この世界は魔物が安らかに生きていける世界になっていた。・・・・・私は何も悪いことなどしていない。だのに、無理やり与えられたこの姿を目にして、人々は私に刃を向ける。・・・・・・・以前の戦いでバルザックは小さな魔界の門をここサントハイムで開いたと聞き、私はこの城にやってきたわ。・・・・・思ったとおり、ここは魔界の門と近い場所だった。・・・・・・・私はキングレオで見つけた様々な魔法の道具や書物をから復讐と魔物が平和に暮らせる世界の出現を現実のものとする方法をずっと考えてきた・・・・・・・しかし、アルラウネの結界は破られ、そして魔界への門は閉ざされてしまった。・・・・・今の私には復讐しか残っていないの。・・・・・・・・どうして欲しい？指を一本ずつもいでいってあげようかしら。・・・・・本当の足が萎んで付け根から落ちて、膨れ上がったお腹から蜘蛛の足が生えて行くのを見ているしかなかった私の苦しみに比べれば大した痛みじゃないわ。・・・・・・目をつぶしてあげようかしら・・・・・顔の皮を一気に剥いでしまうのもいいかもしれない。・・・・・・・大丈夫よ。一瞬で殺すなんて優しいことはしないから。そこの男もそうやってこのお嬢さんたちが死んでいくのをじっくり見ていなさいね。・・・・・・・ふふ。糸から抜け出ようとしてもがいているのを見るのも面白いわ。せいぜいあがきなさい。あがいても無駄ですけれどね。」 マーニャはマイアを睨む。 「・・・・・・あなたが進化の秘法の犠牲者だっていうのはわかったわ。・・・・でも、父さんは秘法をあんな悪魔のような実験のために使うなんてこれっぽっちも思っていなかった！・・・・・・・それに・・・・・・・姿形が変わったからといって、心は人間のままのはずでしょう！どうしてそんな冷酷なことを考えるの！」 マイアは綺麗に笑った。 「キングレオが開放され、私は実家に戻りました。。もちろん人間の姿をして。父も、兄たちも抱きしめて涙を流して無事でよかったと喜んでくれました。だから、私は、魔物に変えられてしまったことを打ち明けた。・・・・・・父も兄も驚愕したけれど、それでも私のことは娘であり妹であると言ってくれた。・・・・・・でもその夜、眠っている私の所にやってきた二人は手に剣をもっていたわ。物音で目を覚ました私に二人は泣きながら言った。死んでくれ、それが私たちにとってもお前にとっても一番いいことなのだ、と。そうして剣を振り下ろしてきた。私は反射的に魔物の爪で二人を薙ぎ払っていたわ。・・・・・・二人とも死んでしまった。私の爪の一旋で胴を、首を完全に切断されて・・・・・・私はどうしたらよいかわからないなって、婚約者のところに逃げたの。でもあの人は言った。どんなことがあっても私を愛してくれるといったその口で、 『化け物、殺してやる！』 と。 そのときに私の中で何かが弾けました。・・・・・今度は私は明確な殺意をもって彼を殺しました。白い糸でぐるぐる巻きにして窒息させて・・・・助けてくれという彼の声が聞こえましたが、私はそのままにじっとじたばたと暴れる白い塊を見下ろしていました。・・・・・・」 マーニャは少しだけ・・・・・ほんの少しだけ眉間に皺を寄せたが、はっきりと言った。 「・・・・・・あなたは本当に可哀想な人だわ。・・・・・・でも、・・・・・・同じ境遇で、魔物に姿が変わってしまっても、最後まで優しい心を失わなかった人も居た。魔物の力を使って私たちを守り抜いてくれた人が居た！」 （マーニャちゃんを怪物にさせるもんか！） ローザ・・・・・私の友達・・・・・ 醜い牛の魔物に変じても彼女は優しかった。一緒に逃げようといったマーニャにローザは言った。 （この姿で逃げだして、これから先どうしろというの？ローゼは・・・・踊り子だった人間の娘のローゼは当の昔に死んだのよ！でもよかった。マーニャちゃんを助けることができて。私、生きていてもどうしようもないって思ってた。でも、生きていてよかった。マーニャちゃんのために鉄格子を破って天井を壊すことができた。化け物になっていたからマーニャちゃんを助けられた。・・・・逃げて！早く！） ローザは・・・・・・最後まで人間のローザ、彼女の友人のローザだった。 マイアはくすっと笑った。 「あなたはあの牛の魔物にされてしまった可哀想な女の子のことを言っているのかしら。・・・・・・知っているわ。だって私もあのときに牢の中にいたのですもの。・・・・・・・・よく聞きなさい、エドガンの娘。あの子は生きていたくなかっただけ。死に場所が欲しかったからあなたを救っただけ。・・・・・でも、私は違う。だってそうでしょう。私たちはちっとも悪くないのですもの。どうして私たちが死ななければいけないの？私は生きていたかった。今もそう。私が死ぬなんておかしいわ。だってわたしは被害者なのよ？・・・・・・あなたのお友達はただ心が弱すぎただけ。生きる力を持てなかっただけ。」 マーニャの手がわなわなと震えた。そして言い放つ。 「あたしはあなたの苦しみがわかるほど利口でも優しくもない！自分勝手で傲慢なお調子ものよ！だけど・・・・だけど・・・・・ だけど、ローザを悪く言うことだけは許さないッ！」 そう言ってモンバーバラの踊り子は自分の足元に火の魔法を叩き付けた。蜘蛛の糸が燃え上がり、すらりと伸びた褐色の足が火で焼け爛れる。 「ミネア！」 姉に叫ばれるより前にミネアは回復の呪文を完成させて姉の火傷を癒していた。マーニャは足元の蜘蛛の糸に炎の奔流を浴びせかけ、動き回れるようにした。炎にたじろぐマイアの隙を見てオーリンが槍で糸を切り裂き、ミネアを自由にした。 マイアはまだ余裕たっぷりに微笑む。 「な、何が可笑しいのよ・・・・・・・・」 「あなたたちはまだ私の本当の姿を見てはいない・・・・」 マイアの背のあたりに亀裂がはいり、そこからふたまわりほども大きな蜘蛛の魔物が出現した。もはや人間の面影をとどめているのは顔の造作だけである。その外は腕も足も・・・・・・完全に異形の魔物となっていた。 「優しき風の精霊よ・・・・・！」 ミネアが魔法をぶつけるが、盾のように巨大化した左の前足の爪で跳ね返される。マーニャにはわかった。今のはミネアの全力の魔法ではない。・・・・・・・・ （ミネア・・・・・・・わかってる。あんたがこの人を心から憎めないことはわかってるよ。） マーニャは手のひらに火を宿らせ、本気で火球を撃つ。 「あんたの相手はあたしよ！・・・・・・・・あんたのその体も・・・・・あんたの心も、あたしが灼き尽くす！」 蜘蛛の爪をかいくぐりオーリンが槍を振るう。マーニャは火球を連続して放つ。 「マーニャお嬢様！」 二の腕にマイアの爪の一撃を食らったマーニャにオーリンが呼びかける。 「ミネアが居ればこのくらいの傷、なんでもないわ。・・・・・・・三人でリオレラ大陸を旅してたとき・・・・・あたしたち、最強のトリオだったわよね。・・・・・そうよ・・・・・ミネアとあたしとオーリンは十年以上も前からの切っても切れない付き合いがあるんだからね・・・・・・あんたに簡単には殺されやしない！」 妹の回復魔法が傷を癒すのを感じながらマーニャが走る。 （もう戦うのを止めなよ。・・・・・・・・もうあなたの望んでいたものは得られないのよ・・・・・どうして、どうして戦うの。復讐？復讐したって、何も元には戻らない。） しかし彼女ははっとする。復讐、それは彼女とミネアが父の仇を討つために旅をしていたときの目的そのものであったから。 マイアが右の前足を振り上げた。そこには死神の持つ鎌のような刃が備わっていた。 「死になさい！エドガンの娘！」 マーニャは太ももに激痛を感じた。姉さん、と呼ぶミネアの声が遠い。・・・・・ここで・・・・終わり・・・・なの・・・・・ しかし、意識はそこで突然にはっきりした。そして、見慣れたクリフトの背の高い神官帽が目に入る。彼はマーニャを抱き起こして居た。 「マーニャさん！大丈夫ですか！」 マーニャはウィンクした。 「あんたにしちゃ、グッドタイミングよ・・・・・・」 クリフトと一緒にやってきた仲間達の中にはアレクサンドロ王も居た。彼は声を限りに叫んだ。 「マイア！どうしてなんです！あなたは魔物に姿を変えられてしまった。でもあなたはこんなことをする人じゃなかったはずです。あなたは優しかった・・・・どうして・・・・・」 マイアは哄笑する。 「まだわからないの。王様。私はあなたを利用したのですよ。あなたの愚かしいほどの人の良さが、私の計画にはうってつけの素材だったのですわ。何でも・・・・・魔物でさえ信じてしまう、愚かな優しい陛下・・・・」 アリーナが素早く動いてマイアを翻弄する。彼女を追いかけるのを諦めたマイアはライアンに向かってうちかかるが屈強な戦士はしっかりと彼女の爪を受け止めて微動だにしなかった。その脇からランデルが銀の剣をふるい、蜘蛛の腹にかすり傷を負わせる。 「ほら、バカ神官、あたしは大丈夫だから・・・・」 つい、とクリフトの背を押す。するとクリフトのいた場所にトルネコがやってきた。 「トルネコさん・・・・・・・」 「無理をしてはいけません。・・・・・・まだ痛むのでしょう。」 トルネコは毒けし草を混ぜた薬草を素早く傷に当てる。マーニャは食いしばって居た歯を緩ませた。 「有難う・・・・・これで・・・・・戦えるわ・・・・・・」 マーニャが戦列に戻ったものの、仲間達は苦戦していた。マイアの８本の足は独立して動き、頭のぐるりに点在する１０個に増えた赤い目は彼女に死角を作らなかった。一本の足でランデルを跳ね飛ばし、一本の足でアリーナの爪を跳ね返し・・・・マーニャの魔法が放たれても、蜘蛛の糸が吹き出され、防護壁の役目をして届かない。・・・・・そしてその糸は剣士たちの動きを明らかに制限していた。 マイアはクリフトを見、アリーナを見、笑う。 「誰も皆同じ。あなたたちの前では私は私である以前に魔物！どんなに同情した顔をみせてもどんなに優しい顔を見せても、それは魔物の私にではないッ！」 クリフトも、アリーナも、一瞬怯んだ様子になるが、戦闘を続ける。 「うッ！」 ライアンがざっくりと二の腕を切られた。ミネアもクリフトも手一杯だと見るや、少し離れたところに居たホイミスライムが飛んできてライアンに取りすがった。 「ライアンさん、ライアンさん、しっかりして！」 魔物の唱えた癒しの呪文でライアンの傷が塞がっていく。・・・・その光景をマイアの１０の目のうちの一つが捉えた。 「ホイミン・・・・・ここは危険だ、下がっていなさい。」 「でも！僕は回復魔法だったら役に立てる。だから！」 いらいらしたようにマイアはホイミンに向かって爪を伸ばした。それをライアンが剣で押し戻す。アリーナがそこに素早く攻撃を加える。逆の側からランデルが攻撃し、爪の先を切り落とす。マイアは逆上して腹の先から滅茶苦茶に糸を吹き出した。 「！」 アリーナは一度は避けたものの、ライアンの傍ですくんだように浮いていたホイミンを庇って足を絡め取られた。マーニャが火球をぶつけるが、マイアの動きは止まらない。 「姫さま！」 クリフトが背に負った鞘から抜剣して走り寄るが間に合わない。 と、アリーナの前に走り出た人影があった。 「マイア！あなたはこんなことをしてはいけません！あなたは、優しい人です！・・・・私は・・・・・あなたを信じています・・・・」 アレクサンドロ王はまっすぐにマイアを見ていた。・・・・・・・・・・一瞬、ほんの一瞬だがマイアの動きが止まった。それはアレクサンドロ王の言葉が聞こえたからなのか、そうではなかったのか、それは誰にもわからない。・・・・・・・・・皆がその隙を見逃すはずはなかった。マイアはライアンの剛剣と糸から抜け出たアリーナの炎の爪で腹を割かれ、マーニャに火球をぶつけられた。彼女はくずおれ、地面にその身を横たえ・・・・・・姿は小さく縮んでいって元の人間の姿になった。血だまりの中、彼女は手をいっぱいに伸ばしていた。その先には常に彼女の首に下げられていた銀のロケットがあった。しかし、手は届かず、マイアは手を動かすのをやめ、死んだように目を閉じた。はあはあという呼吸の音だけが聞こえている。 つい、とそれまで静かに見守っていたシンシアがロケットを拾い上げ、中に収められた肖像画を見るとうつし身の呪文をそっと唱えた。・・・・・・・そこには肖像画と同じ姿の女性が立っていた。シンシアはマイアの傍に膝を付くと、血まみれの彼女を抱き起こした。マイアはぐっとシンシアにすがった。マイアの爪が食い込んでシンシアの腕から血が流れる。しかしシンシアはじっとしていた。 「おかあさま・・・・・・・やっと来て下さったの・・・・・・マイアはわかっていました。おかあさまは・・・・・おかあさまだけは、私がどんな姿になっても愛して下さるって。受け入れて下さるって・・・・・・・・・おかあさま・・・・・・・もっと・・・・・・早く・・・・・・・むかえにきて・・・・・・・ほし・・・・・・か・・・・・・った・・・・・・・・」 それきりマイアは目を閉じ、もう二度と目を開けなかった。 「ば・・・・か・・・・・・。」 マーニャはぼそりと言った。 「この・・・・・・・この、大馬鹿っ！」 そして走っていってしまった。 クリフトはシンシアの傷を呪文で癒し、それをアリーナは心配そうに眺めている。ミネアとトルネコはかなり大きな傷を負っていたランデルとオーリンの手当てを始めた。 アレクサンドロ王は自分のマントを外し、マイアの骸に被せた。 「・・・・・・・彼女を・・・・・・故郷の大地に埋めることを許して戴けますか・・・・・・・」 それが自分に向かって発せられた問いなのだとわかってアリーナはゆっくりと頷いた。 「ありがとう・・・・・・・・ございます・・・・・・・」 マーニャは中庭の茂みの陰で膝を抱えて俯いていた。彼女はわかっていた・・・・・・・・初めは違ったかもしれないが、先程の戦いを始めたとき、既にマイアは復讐に名を借りて死に場所を求めていたのだということを。 「ここにいたのか。」 低い声が聞こえ、マーニャはぴくりとした。王宮戦士はいつもの通りの生真面目な固い表情で呼びかける。 「皆が心配して捜している。」 踊り子は笑った。 「あはは・・・・・・なーんかくさくさしちゃってね。やりきれない戦いだったじゃない。あそこに居続けちゃ、ミネアが激怒するような罵詈雑言を並べ立てちゃいそうだったから退散したってわけ。もー、みんな心配性なんだから。小さな子供じゃあるまいし！」 立ち上がり、後ろを向いてカラカラと笑うマーニャの肩ごしにライアンは声をかけた。 「・・・・・・・・・・無理して笑うものではない。」 振り向き、黒い瞳を大きく開いたマーニャに、ライアンは表情を変えずに続けた。 「泣きたければ泣いてよい。」 その言葉と同時にマーニャの目にどっと涙が溢れてきた。堰を切ったように言葉が流れ出る。 「あたしは・・・・・あたしはあの人を救えなかった。・・・・・・・あたしはあの人のことを馬鹿としか言えなかった。あたしは・・・・・・あたしは・・・・・・・・・・・・・・・」 暫く嗚咽していたマーニャにライアンは再び声をかけた。 「気が済んだか。」 こくん。と頷くマーニャは、手近にあった赤い布で涙を拭き・・・・・ぎょっとして飛び退った。・・・・・・・・・ 「ご、ご、ごめんなさい。汚しちゃった。」 ・・・・・・もちろん赤い布はライアンのマントであった。涙だけならいざ知らず、涙で流れた化粧がべったりついている。 「これ位構わぬ。」 「あ。え、えっと、マスカラとかのしみって結構落ちにくいの。」 「ますから、とは？」 「う・・・・・と、とにかく、洗濯して返すからッ！」 ライアンからマントをむしりとり、歩き出そうとして、マーニャは頬を赤くして振り向いた。 「お願いだから、あたしが泣いてたなんてこと、ミネアたち・・・・誰にも言わないで！」 ライアンはうむ、と頷いた。 「ああ、二人だけの秘密ということにしておこう。」 その言葉で何故マーニャが慌てふためいたかなど、この朴念仁にはわからない。とにかく走り出そうとしていたマーニャはそう声をかけられて体のバランスを崩し転んで足を酷く捻り・・・・・・立てなくなって軽々と彼女を抱き上げたライアンの腕から大騒ぎして抜け出して、彼はミネアを呼びにいかされ・・・・・・・あまりに不思議な一連のマーニャの行動の理由を彼女の妹の口から詳細に解説されたとき、王宮戦士は眉間に皺を寄せたまま、こう言った。 「・・・・・・ミネア殿。あなたも冗談を言うことがあるのだな。」 ミネアは不憫な姉の為に、これ以上はないというほど大きなため息をついたということだ。 マーニャがミネアと共に戻ってくるとアレクとブライもやってきており、燃えるように赤い髪の白い衣を着た天空人の女性が少し離れた場所に一人佇んでいた。 「みなさん、終わりましたね。」 シンシアが進み出た。 「天空に住まう方。お願いです。もしも宜しかったら、魔物に身を転じたこのホイミンさんを人間に戻してあげて下さい。」 天空人の女性は青いホイミスライムにくすっと笑いかけた。 「吟遊詩人の坊や、魔法を解きなさい。」 え？え？と戸惑うホイミンに女性は言った。 「魔物から人、人から魔物への転生など、そうそう簡単には起こらないこと。シンシアさん。あなたなら彼に何が起こったかわかるはず。」 シンシアははっとし・・・・ホイミンに呼びかけた。 「ホイミンさん。強く念じて！元に戻れ！って。」 ホイミンは目を閉じ、思いを込め・・・・・目をあけると人間の姿に戻っていた。 「吃驚しないで。・・・・・・あなたの使ったのはシンシアさんと同じうつし身の呪文。・・・・・・・あなたはもう人間なの。」 「でも・・・・・僕は結界の中でも動けました・・・・・・・・」 「・・・・・・・あなたの“血”には確かに魔物の血が混ざっている。でも、それは小さなこと。本質ではないこと。・・・・・・・・・いいわね。あなたは人間。誰が何と言っても。・・・・・・・・それにしても・・・・・皆、やり遂げましたね。・・・・・旅が終わっても、あなたたちは以前と変わらない、強い力と強い心を持っている・・・・・・・嬉しいわ。」 「あの・・・・・あなたは一体。」 シンシアがそっという。 「この方の名前はパトリシアさん。私たちを救って下さったの。この方がいなかったら結界をとくことはできなかったのよ。」 「！」 見つめる仲間達の前でパトリシアは微笑んだ。 「また・・・・・会いましょう。あの私達の記念の日に。」 そして、小さく呪文を唱えると転移して消えていった。 アレクは空を見て頷いた。 「ええ、また会いましょう・・・・あの記念の日に。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ マイアによって引き起こされた一連の事件はこうして幕を閉じた。招待されていた各国の王、大使などは大広間に集まり、サントハイム国王より事件のあらましを聞いた。 「・・・・・というわけで、邪悪な魔物がかつてここから開いていた魔界への門を再び、そしてもっと深く大きく穿とうとしたのだ。・・・・・・・・魔物はキングレオの侍女に化けていた。・・・・マイア嬢というのが彼女の名であった。卑劣な魔物はマイア嬢を殺し、彼女に成りすましていたのだ。」 王は真実を明かそうとはしなかった。・・・・・・王族で真実を知るのは、サントハイム王と、彼の親友であるエンドール王だけである。 賓客たちはざわざわと騒いだ。魔物め！という憤りの声も聞こえる。 「しかし、勇者殿達のお陰で、魔界の門は完全に閉ざされ、結界も消え、首謀者である魔物も討ち取ることができた。・・・・・・各国の方々よ。不自由な暮らしをさせてしまい誠に申し訳なく思う。平和になった今、その埋め合わせを十二分にさせていただきたい。」 今度は『そのようなこと、気になさらず』『そうですとも、悪いのは魔物なのですから』という声が上がった。 王の演説は暫く続いた。アリーナは父親の隣でずっとアレクサンドロを見ていた。アレクサンドロは真っ青な顔をして項垂れていた。アリーナは奥歯を噛んだ。この人はマイアが魔物だと知っていながら、騙されてここまで同行させてきた。・・・・・・・この人が騙されさえしなかったら、こんなことにはならなかった。兵士たちが怪我をすることもなかったし、メイが顔に傷を受けることもなかった。あの人さえ・・・・・・あの人さえ王としてしっかりしていれば！・・・・・王は・・・・・・為政者は情に流されてはいけない。アリーナは王として、父が政務については家族に見せる優しさとまったく違った厳しさを持って臨んでいるのをずっと見てきた。 アリーナはつかつかとアレクサンドロの方に歩いていった。 ざわつく賓客たちの前をチュニックにマント姿のアリーナは早足に進む。 まずい！とクリフトは思った。そして走った。 アリーナはアレクサンドロの前に到達する直前で後ろからマントをぐいと掴まれて転び、したたかに鼻を絨毯にうちつけた。 衆人環視の前で自分の主君の娘を盛大に転ばせた青年神官は深く腰を折って四方の賓客に礼をし、起き上がって目をぱちくりして自分を見上げるアリーナには跪いて謝罪した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その日の夜、クリフトの部屋をブライがノックした。 「わしじゃ。」 「じいさま？どうぞお入りください。開いております。」 ブライが扉をあけて入っていくと、クリフトは大きな皮袋に荷物を詰めているところだった。 「なんじゃ？お前さん、湯治にでも行く気か？」 「いえ、・・・・・・・・・・・・・・・・あのときは咄嗟の行動でしたが、各国からのお客様の前で、私は姫さまをすっころばせてしまった訳で・・・・・ですから・・・・・」 ブライは魔道士の杖をくるりと回した。 「我らの陛下があんなことでお咎めをなさるほど度量の小さい方だとお前さんは思うのか？」 「いいえ・・・・しかし私を咎めなければ、他国の王族の方々は納得しないでしょう。何せ平民出の一介の神官が王族を転ばせたのですから・・・もともと、平民出身の私が姫さまの相談役であることすら快く思わない貴族の方々も多いことを私は知っております。ですから・・・・・・・・・かねてより計画しておりました聖地への巡礼の旅を・・・・・・」 ブライはどん、とベッドの上に腰をかけた。 「そのことじゃが・・・・・・・クリフトよ。少し前、わしとディルト司教が湯治に行ったのを覚えているか？」 「え？はい。でもなんです？いきなり。」 「・・・・・・・・事件があってあのときの話をする機会がなかったが、実はあれは湯治ではなかった。・・・・・・・・近頃、王家の血をひくという触れ込みの不逞の輩が増え、それについて少々探索の旅をしていたのだ。・・・・・・昨年、偽者の中には５人もの『白百合の姫』の血をひくと自称する者がおった。・・・・・・・戦の中で命を落としたとされる白百合姫じゃが、その死にははっきりしないところがある。じゃから偽者も出る。それでわしらは書物や、当時の王族や貴族、そして将軍たちの日記などを調べ、白百合姫の足取りを辿ったのだ。 ・・・・・・我ら二人が魔法で調べたが王家の墓の白百合姫の墓には遺体はなかった。最後に白百合姫の存在が確認されているのは、闇の魔道士イヴラスが時の王を殺したとき。そう、お前の曽祖父が禁忌の魔法を使って王を蘇らせたときじゃ。白百合姫は魔物の襲来で傷ついた人々を助けるため城外に出ていた。その時に魔物の手にかかって死んだというのが一般的な説じゃった。が、一つの文献だけだが、王の死去の知らせを聞き、姫は城に戻ったとの記述があるのじゃ。その文献でも白百合姫はそれ以来姿を消している。・・・・・・・・・ここで白百合姫の人となりについて説明したほうが良かろう。姫は優しく、もの静かで引っ込み思案のお子様じゃったようだ。しかし、小さなころより城に勤める一人の神官の下で修行を積み、神聖魔法の優れた使い手になったという。・・・・その神官というのがお前さんの曽祖父、ルルドじゃ。ルルドは姫にとっては尊敬すべき教師であり、何でも相談できる頼れる人物だったのじゃろう。そのルルドは禁忌の魔法を使ったということで自ら城を去った。白百合姫が生きていたとすれば、ルルドの行動を納得できただろうか？わしはそうは思わん・・・・・・・・・・そしてな、お前さんの故郷、チェルナ村の長老が遺した日記の次のような記述にたどり着いた。村で暮らし始めたルルドの元に、しばらくしてから美しい若い娘がやってきたというんじゃ。・・・・・ルルドは娘を受け入れようとしなかったが、娘は村に住み着き、よく働き、また、癒しの魔法をつかって多くの人々の助けとなったという。・・・・・・二人が夫婦になったとき、ルルドは４０をとうに越しており、娘も３０近くになっていたという。しかし、それから死ぬまでの間、二人はそれは幸せに暮らしたそうじゃ。・・・・・・・・わかったのはそれだけじゃ。・・・・・・じゃが・・・・・・わしは思う。お前の持っているその神聖魔法の力。魔力の大きさ。それはルルド殿の直系というだけではなく、白百合姫の血を引いているからではないか、と。・・・・・・・・・・・・・・どういうことかわかるか、クリフト。もしもそうならばお前はサントハイムの王族の血をひく者ということになる。・・・・・・・そうであればマントをひっぱってすっ転ばせるとかなんとかそういったことはなんでもないことはないにしても、それほど大したことではない。」 クリフトはブライの話を反芻していたが、ポツリ、と言った。 「じいさま。“血”というものはどういったものなのでしょう。」 「ん？なんじゃ、いきなり。」 「王家の血、平民の血、他国者の血、魔物の血・・・・・・・“血”、それが一体どれほどのものなのでしょう。」 クリフトは首を横に振った。 「私は自分の体の中に流れる血がどういったものかわかりません。しかし・・・・・じいさま、私たちが“血”などというものに翻弄されているうちは・・・・・・・マイアさんのような悲しい人を救うことはできません。・・・・・・・・曽祖父は白百合姫と結婚したかもしれません。しなかったかもしれません。でも・・・・・それは今の私とは関係のないことです。」 ブライは笑った。 「喜ぶかとおもったのじゃが。」 「喜ぶ？どうしてですか。」 「・・・・・・・・・・王家の血をひいているとなれば、姫様とは対等の関係じゃ。嬉しかろう？」 神官は吹いた。 「な、何を！・・・・・・・・・・・・何があっても、私は自分に王家の血が流れているかもしれないなどと公表するつもりはありません。姫さまにも決して知らせません。・・・・・・・・私は『平民』である必要があるはずです。チェルナという小さな村から拾われた孤児が城で学び、神官の位を得・・・・・それが“血”という一言で当然のことのように思われてしまってはいけないのです。・・・・・・今までの慣習を打ち破るために、そして“血”という不確かなもののために運命を翻弄される人を出さないために。」 「そうか・・・・・・しかし、お主を城の外に出すわけにはいかん。」 「？一体どういうことですか？」 「・・・・・・・わからん男じゃの。王家の血が流れているかもしれぬ人間を野放しにしておいては、今後の政争の種になるかもしれん。・・・・・・・・おいおい、そんなに驚いた顔をするな！・・・・・・・・・とにかくわしは知っていることを伝えたからの。・・・・・・荷は解いてしまえ。お前さんが黙って出ていったら・・・・・姫様が逆上して追跡し、お前さんの後頭部を殴って昏倒させるかもしれんからの。・・・・・・・思い煩うな。それでは邪魔したな。お休み。」 クリフトの部屋から出、ぶらぶらと城の果樹園を散歩するブライは、背後から近づく足音に気づいた。炎を扱う魔女はしっかりと旅装を調えて居た。 「ルリアか。もう帰るのか？」 「うむ。・・・・・・・まだひよっこの弟子共が待っておるでな。・・・・・・お主、まだまだこの城で必要とされておるようじゃな。」 「もうそろそろなんとかなると思うがな。」 「・・・・・・・・ま、片がついたら、わしのところに尋ねて来るんじゃな。今度こそさしで魔法勝負をしようぞ。・・・・・・・・わしの勝利は目に見えておるがな。」 ブライは笑った。 「やってみなければわからんぞ。おお、これを返すのを忘れておった。」 ブライは腰の物いれから宝玉を取り出した。ルリアの赤い宝玉と自分の青い宝玉と。 ルリアはいたずらっぽく笑うと青い宝玉を手にした。 「これは物質（ものじち）じゃ。お前さんが魔法勝負にやってきたとき返してやろう。そのときまで、わしの宝玉をそちらに預けておくゆえ、来るときには必ず持ってくるのだぞ。」 「確かに。」 「ではな。さらばじゃ！」 ルリアは空飛ぶクッションにさっと乗り、遥か彼方へと高速で飛び去っていった。 ブライは目を細めた。 「ルリア・・・・・・全く変わらん奴じゃ。意地っ張りで、鼻っ柱が強くて・・・・・じゃが、困っているときには必ず助けにやってくる・・・・・」 サントハイム城の筆頭宮廷魔道士はくるくると魔道士の杖を回しながら、自分の部屋への帰路についたのだった。 そのころ、クリフトの部屋の戸を誰かがまたノックした。彼が返事をする前に、アリーナが入ってくる。神官はここには夜来てはいけませんと申し上げたでしょう、と一言お説教をしてからアリーナに椅子を勧めた。アリーナは皮袋を見てくすっと笑った。 「聖地へ巡礼？」 クリフトははあ、と息をついた。 「・・・・・・・・のつもりだったのですが、じいさまに止められました。ひとまず姫さまを転ばせた責任を取るつもりだったのですが。」 アリーナはタメイキをつく自分の相談役を見上げる。 「クリフトが私を転ばせたのは訳があるんでしょ。」 「・・・・・・・・・・姫さま、違っていたら謝りますが、おそらくはアレクサンドロ王の頬を平手打ちするか、向こう脛を蹴飛ばすか、一言『この大馬鹿！』と叫ぶか何かそういうことをなさりにいったのだと思いました。」 姫はぱん、と胸の前で手を一つ打ちあわせ、にっこり笑う。 「驚いた。全部当たってる。」 ・・・・・・・それは平手打ちして蹴飛ばして叫ぶつもりだったということか。 「・・・・・・そうなったらアレクサンドロ王は退位する羽目になるかもしれません。・・・・私はあの方にそうなって欲しくはありませんでした。確かに王は弱さを持っていたかもしれない。為政者としては相応しくない行動をしたかもしれない。しかし、あの方は優しい方です。・・・・・・彼は今のキングレオの安定に必要な人間なのです。」 「・・・・クリフトは私を諌めてくれたのに、何故罰せられなくてはいけないのよ？」 「・・・・・・・私は平民ですし、姫さまは王族だからです。政の世界とはそういう所なのです。」 「でも、それはおかしいわ！おかしいと思ったらそれはほうっておいてはいけないわ。、私の行動を察知して未然に防いだクリフトが罰を受けるなんて変よ！・・・・・・クリフトが止めなかったら誰が私を止めてくれるの？・・・・・・平民が王族を諌められない国なんて、私は認めたくない。そんな国は嫌。・・・・・・・・・身分や姿なんて関係なく・・・・・私は・・・・・マイアさんが・・・・・・変わってしまったマイアさんがそのままの姿でも暮らせるような国を作りたい。」 キラキラしたハシバミ色の瞳で自分にそういってきたアリーナにクリフトは絶句した。 「・・・・・・・あの・・・・・それは姫さまが自分で考えたことですか・・・・・・？」 「・・・・・・そうだけど・・・・・それが・・・・？何？どうしたの・・・・・・・クリフト・・・・・・・？」 そっと目に手をやったクリフトにアリーナは首を傾げる。クリフトは皮袋から聖典を抜き出し、机に置いた。 「巡礼に行かないでくれるの？」 クリフトはアリーナの頭に手のひらを乗せてそっと撫ぜた。 「行きませんよ。・・・・・・・・でも、覚悟して下さいね。私は今までにも増して姫さまにお小言を言うようになると思いますよ。それこそ大臣や貴族の方々がそばにいらしても。・・・・・一緒にいますよ、ずっと。一緒にいられる限りは。・・・・・・・いいですか、私は神官位を賭けて全力で姫さまを叱りますからね。姫さまもそれに行動で応えて下さい。」 アリーナは嬉しそうに頷く。 「約束よ！・・・・・・・・・クリフト・・・・・・これから礼拝堂に一緒に行ってくれない？・・・・・アレクサンドロ王がずっと礼拝堂でお祈りをしているの・・・・・あのままでは体を壊してしまうわ。・・・・・・・・私一人では何と言葉をかけてよいのかわからないのよ。」 神官は頷いた。 「私も、彼と共に祈ることしかできないかもしれませんが。・・・・行きましょう。」 背の高い神官はアリーナに手を引かれ、礼拝堂へと静かに歩いていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 何日かたち、久しぶりに聖堂付属の図書室で、本来の仕事をしているクリフトのもとにランデルが現れた。 「クリフト、精が出るな。」 「ああ、ランデル、ご婚約おめでとう。」 この近衛部隊長は親類の猛反対を押し切って・・・・というかものの見事にメイがいかに素晴らしい娘かを納得させ、正式な婚約発表に漕ぎつけたのだ。 「驚きました。そんな気配はちっとも感じなかったのに。」 ランデルは呆れた顔をした。 「・・・・・・・・・・君が鈍感なだけだ。・・・・・・・私がメイに好意を寄せていたのを知らなかったのは、メイ本人と姫様、そしてクリフト、君だけだったようだぞ。」 クリフトは、前にのめってガン、と額を机にぶつけた。 「・・・・・・・・・ということは、私がランデルに姫様の婿になる気はないかと聞いたときにはもう・・・・・・」 「ああ。」 「・・・・・・・・・・・実際少し残念ですよ。メイさんとのことは心から祝福しますが、これで姫さまの婿候補が消えてしまいました。」 ランデルは目を丸くした。 「おいおい、クリフト、君はアリーナ様に求婚したのだろう？」 「え？私が姫さまにキュウコン？・・・・・・きゅうこん・・・・・・・な、何ですって、何処の誰が！？」 「だから君が・・・・・」 「そんなことはしていません！一体どこからそんな話が！」 「アリーナ様からだ。ついさっき・・・・メイと私と姫様と３人で茶を飲んでいたとき、アリーナ様が君に『一緒にいられる限りはずっと一緒にいる。』といわれたと話されたんだ。そうしたらメイが『アリーナ、それはプロポーズよ、結婚して欲しいってことだわ！』って浮かれて・・・・・・・いや、私もそういうことには疎くてな、それがプロポーズの言葉だとは思わなかったが、メイがいうからそうなのだろう。君と姫さまが仲がいいことは皆が認めるところであるしな。それにしても思い切ったことをしたな。いや、まさに驚きだ。」 クリフトは頭がくらくらして倒れそうになりながら、聞くべきことはしっかり聞いた。 「して・・・・・姫さまは？」 「ぽかん、と狐につままれたような顔をしていらしたが、メイにいろいろ言われて、『ずっと一緒にいられるのならクリフトと結婚するの、嫌じゃないわ。』と飛び跳ねていらしたぞ。はしゃいで後方回し蹴りなさった柱が一本ものの見事に大破した。」 頭痛がしてきた・・・・・・・わかっていない、わかっていない、アリーナは結婚するということがどういうことなのかわかっていない、きっとわかっていない。 「そのあと、姫様は走って陛下のところにそのことを報告にいらしたらしい。メイの話によるとそのあと姫様は様々なところに出没されて、君とのことをお喋りしていった。・・・・・・門番のジェフも、賄い方のミランダさんも既に知っているようだ。」 流されてる、流されてる、なし崩し的にことが進んでいる・・・・・・クリフトは頭を抱えた。・・・・・ クリフトは音をたてて椅子を撥ね退けるようにして立ち上がり、ランデルを見据えた。 「私は求婚などしてはいませんし、姫さまは結婚ということがいったいどういうことなのかまるでわかっていらっしゃらないようです。・・・・・・・私は行ってきます！」 クリフトの、城内での一番の友人は慌てた。 「おい、間違いだったのか!?もしそうなら事は厄介だぞ。取り消すつもりなら、私が出来る範囲で手を回し・・・・・」 神官は、タン、と背の高い神官帽を机の上に置いた。 「姫さまに、結婚ということはそうそう浮かれてするようなものではなく、特に王族の場合には周囲に大きな影響を与えるものだということを説明してきます！・・・・・・・・そしてッ！」 そこまで、語気荒く叫んでから、神官は近衛部隊長にはにかむように言った。 「・・・・・・それから・・・・・それから、きちんと求婚してきますよ。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その日の午後、昼餉の片づけが終わり、夕餉の準備が始まる前に、神官は賄い場に来ていた。エプロンをかけたままのミランダが彼に気づいてやってくるとクリフトは深々と頭を下げた。 「おめでとう。クリフトさん、・・・・・一人なの？アリーナ様は？」 「ミランダ小母さん、有難うございます。なんだかんだで姫さまはいまお歴々に掴まっていらして、私ももうそろそろ拘束されるころかな、という状態です。改めて二人揃って挨拶に来るつもりです・・・・・今日は私、個人としてお願いがあってきました。」 「私にお願い？」 何かしら。婚約や結婚のお菓子を焼く栄誉を与えてくれるということなのかしら。戸惑うミランダにクリフトはそっと囁くようにその願いを言った。ミランダは信じられない、というようにクリフトを見、そして泣いた。 「引き受けて下さいますか？」 ミランダは泣きながら頷いた。炊事仕事でがさがさに荒れた手をそっと握り、クリフトはミランダの肩を抱きしめた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ さて、時は飛ぶ。サントハイムのおてんば姫もとうとう年貢を納めるときがやってきたらしい。ここサントハイムではその様子が歴史書に克明に・・・・・・記されなかった。記されたのは平民だった神官が婿となったという事実のみ。どうも平民が婿であったことと、当時としては破格の結婚式のあり方に歴史書を記した貴族が記述を拒んだらしい。しかし、市井の人々が遺した書物の中では、国民は諸手を挙げてこの結婚を祝福したと記されている。 大聖堂の中、アリーナは赤い絨毯の上をゆっくりと進む。身を包んでいるのは純白のドレス。メイが『このあと染め直して別の用途に使えること、そして自由に動き回れること』というアリーナの要求にも答え、しかしこの上もなく愛らしくデザインし、縫い上げたものだ。赤いつややかな髪にかけられたヴェールは、裁縫師範のグレタが心をこめてみつきもかけて作ったレースだ。アリーナの左手はブライの手に乗せられている。本来、王家の親類筋の誰かがこの場所にいるはずだったが、アリーナはブライにこの役を頼み、人々もそれを許した。 「姫様、・・・・・・・大またすぎますぞ。」 それが緊張を解くための小言だとわかっているアリーナはヴェールの下で小さく舌を出す。一歩一歩祭壇が近づいてくる。そこで待っているのは父王。その横には大好きなディルト司祭。・・・・・・・・・・そして、祭壇の下、右手には、豪奢な典礼用衣装ではなく、一般的な神官の白の正装に身を包んだクリフトが立っている。花婿の介添えをするのは彼の右に立つ母親の役目であり、今、ここには晴れ着を着たミランダがどんな貴族の婦人にも負けない、幸せで輝く顔をして位置を占めていた。 祭壇の前までたどり着くとディルトが聖典を読み始める。心地よい低い声。アリーナが子供の頃に神様のお話を幾度と無く話してくれた優しい声。 「・・・・・・・・・ここに神の御名によって、新たな結びを行うことを宣言する・・・・・」 王家の責任の宣誓・・・・・誓いの言葉・・・・・ 「それでは・・・・・・誓いの口付けを・・・・・・」 父王の手でヴェールが上げられ、薄い絹で遮られていた視界がはっきりとする。父の後ろではディルト司教が微笑んでおり、父王が励ますように一度大きく頷いた。両脇には賓客として迎えられているエンドール王やリック王子とモニカ姫の姿。スタンシアラのフェリス姫の姿も見える。ソレッタ王の気取らない顔も見えた。末席にいるのはアレクサンドロ王だ。・・・・・彼の抱いている小さな黒髪の女の子は彼の養女で孤児だったという・・・・・・名をマイア。マイアはアリーナに向かって小さな手をふってみせた。右を向くと、緊張した表情のクリフトが、それでも優しい眼差しをアリーナに投げかける。クリフトの後ろにはミランダがいる。そしてさらにその後方にはミランダの息子のダニロ。門番のジェフ、もちろんランデルもメイもいる。・・・・・・・ここにはアリーナのたっての願いで、身分に関係なく親しい人々が招かれていた。グレタ、庭師のゴン爺さん、クリフトの幼馴染のリア、城下町サランの石工の親方、そして・・・・・・仲間達！厳つい顔のライアン、ホイミン、満面に笑みのトルネコ、ネネ、小さなモグラを頭に載せたポポロ、こちらに向かってぐっと親指をたててみせるマーニャ、オーリンに寄り添うミネア、昔と同じ澄んだ翠の瞳のアレク、シンシア・・・・・・・そして、一瞬だけだったが、大窓の上のほうに見えた翼を持った姿は確かにパトリシアだった。 アリーナの目が潤んだ。そしてクリフトに向き直ると聖堂に響き渡る声で叫んだ。 「クリフト！」 その大声にクリフトは何が起こるのか、と身構える。 アリーナは気持ちのよい笑顔を浮かべ、右手に嵌めていた白い絹の手袋をはずし、大きく手のひらを開くとすっと彼の前に差し出した。 「クリフト！頑張ろうね！！」 会場がざわつく。しかし、最初は戸惑ったクリフトは目を細め、 「はい。」 というと、膝を曲げ、その長身を少し屈めてしっかりと王女と握手したのであった。 「なにやってんのよ〜！」 と呆れたマーニャもあまりに嬉しそうな二人の笑顔に自分も破顔一笑し、指笛を鳴らす。人々はオメデトウ、おめでとう、と口々に若い二人を祝福する。 しっかりと握手をする二人を前に、ブライは目頭を熱くした。・・・・・・そして古くからサントハイムに伝わる言葉を思い出す。 “サントハイムの王宮の左手には魔道の塔、右手には聖堂。三者はいつも共にあるべき。” 涙に咽んだ彼をアリーナとクリフトが抱擁し・・・・・アリーナに呼ばれて仲間達がそれに加わった。 その後の彼らの消息を伝える書物は殆ど残っていない。 ただ、「平民」出身のクリフトは、女王を助け、弱者の為にはたらき、神官ながらも、陰の名君としてその名をたたえられたということである。 おしまい |
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