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６ それぞれの戦い
「そう、そこで踏み込んで！横に流して！」 ホイミンは槍を手に、目の前の女性に懸命に打ち掛かる。しかし、その攻撃は悉くかわされるか受け止められるかし、少し体が泳いだ隙に強く跳ね返されて彼の手を離れ、遠くに飛ばされてしまった。 あたふたと稽古用の槍を拾いに行くホイミンを見、ミネアは傍らのシンシアにわからぬように小さく息をついた。 ミネアはここでホイミンとミネアに武器での戦い方を教えていた。ミネアとてライアンやアレクほど武器の扱いに長けているわけではないが、並みの兵士よりはずっと強い。そして、彼女の槍筋は真っ向から挑むものではない・・・・彼女の戦い方は負けないための戦い方だった。状況に応じて通常武器を奮い、回復呪文を使い、攻撃呪文も操る。・・・・・・・・・今回、彼らに課せられる仕事・・・・結界の中で、蜘蛛の化け物の守る封印の石版を破壊する・・・・・・それを成し遂げるためには攻撃だけに長けている者よりむしろ彼女が教師となる方がよいだろうということで、二人を任せられたのだ。 槍を拾ってきたホイミンは再び構えたが、その腕が小刻みに痙攣しているのを見てミネアは首を振った。 「少し休みましょう。無理は禁物です。」 二人とも戦いには向かないのだ。・・・・・・・ミネアはゆっくりと瞬きした。 シンシアはまだいい。彼女は幼いときに護身術程度であったが、剣術を習っていた。それは勇者となるはずのアレクのそばに居て彼の助けをする役目を村人たちが彼女に与えたからだ。・・・・・・・・しかし、ホイミンは・・・・・・・力も無ければ素養もない。素早いことが唯一の救いではあるが、それとて目を見張るようなものではない。魔法も回復魔法しか使えない。 ホイミンが攪乱し、その隙に、うつし身の呪文を使ってアレクに変身したシンシアがいかずちの魔法で魔物を倒し、石版をも破壊する・・・・・・そうでなければ結界を解くことはおそらく無理であるのに・・・・ 人間から畏怖される天空人、人間から忌み嫌われる魔物・・・・・・そのどちらもが、無力であった。 せめて８人の仲間達の誰かが結界の中で動けたなら！ ミネアはそう思わずにはいられなかった。 「あの・・・・ミネアさん。僕、もう大丈夫です！よろしくお願いします!!がんばりますから！」 槍を持ったホイミンが深々とお辞儀をした。ミネアははっとした。昔、自分もこうして槍の稽古をしてもらった記憶がふと頭に浮かぶ。小さな自分は稽古用の槍を抱えてぴょこんとお辞儀した。 （オーリン、あのね、槍を教えて！） 庭で一人、槍の鍛錬をしていたオーリンは額の汗を拭うと、少し屈んでミネアをまっすぐに見た。 （・・・・お嬢様、ミネアお嬢様には武器なんて必要ではありませんよ。） （でも、森で魔物にあったとき、槍が使えたら便利でしょう？どうしても駄目？） （駄目ではありませんが・・・・・・もしもミネアお嬢様が魔物に出くわしたら、そのときには、このオーリンがとんで助けに行きますよ。） それでも一緒に稽古をしたいのだとねだると、父の助手はやれやれといった風に、しかし笑顔でミネアの槍を持つ小さな白い手に彼の大きな暖かい手を重ねて真摯に教えてくれたものだった。・・・・・・・あのころの自分はスライムが出てくるだけで怯えて逃げる臆病な子供だった。・・・・・目の前にいる青年はきっとあのときの自分よりは強い。そしてあのときの自分よりずっとずっと強くなりたいと切望している。・・・・そして強く願うことは一番の力なのだと今のミネアは知っている。 「わかりました。・・・・・・・一緒にがんばりましょうね！」 ミネアに微笑まれ、シンシアもホイミンも大きく頷いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「うわぁ、今日のもとっても美味しいｖｖ」 アリーナがケーキを一口頬張って歓声を上げるとマイアは目を細めた。 「喜んでいただいて光栄ですわ。」 今日のお茶会のメンバーはアリーナとトルネコとアリーナにひっぱってこられたマーニャ。アリーナの友でありお針子であるメイは末席で、しかしわいわいと楽しそうにアリーナとお喋りに興じている。クリフトとランデルは“黒き穴”から湧く魔物たちに対応するために兵士の詰め所にいるため、今回はいない。 アリーナもただこうして休んでいるだけではない。彼女は午前と午後の１時間ずつ、“黒き穴”に出向き、魔物たちを蹴散らしている。その鬼神のごとき拳の冴えは、兵士たちを奮い立たせた。アリーナはいつまででも戦って居たかったが、それはブライに制止された。 「姫様、もし、もしも姫様のお力が必要なときには、嫌だとおっしゃられても戦っていただきます。しかし、まだ、この場はそこまで切迫してはおりませぬのじゃ。・・・・・・あとの時間はこれまでのように城内を駆け回り、城の者たちにお姿を見せてまわりますよう。・・・・・・・それが王女としての勤めの一環ですからな。」 ブライの言葉を思い出し、・・・・にしたって、もう少し戦わせてくれたっていいじゃない。とアリーナは口を尖らせたが、マイアの淹れてくれたお茶の香りに目を細めた。 「素敵な香り！」 「ああ、これはミナレットという果物の皮を剥いて干し、お茶の中に入れるのですわ。」 「へぇ〜。似たような香りの奴、コーミズ村でもあったけど、ミナレットとは言わなかったな。ねえねえ、ミナレットってどんな果物？」 マイアはじっとマーニャを見た。返答がくるまでに、妙な間があったが、マイアはにこやかに言った。 「リンゴくらいの大きさの茶色の実です。生では食べられなくて、普通は蜂蜜漬けにして食べます。」 「あ、それ、きっとコーミズでメレットっていってる奴と同じもんだと思うわ。」 「そうですか。同じ大陸でも、場所が違うと名前が違っていることがあるんですね。」 マーニャは、うんうん、と頷いたが、さきほどから妙な感じを覚えていた。 マイアは確かにリオレラ大陸の人間に違いない。さきほどからの会話からそれは確信できる。アレクサンドロ王付きの女官という身分も嘘ではない。彼女の物腰は洗練されており、良家の子女としてお城にあがったということは想像に難くない。先程雑談しているとき、キングレオ城が魔族の手から解放されてからすぐに女官としての奉公を始めたとマイア自身が語っていた。しかし・・・・・・・・ 自分に向ける彼女の視線、それにはなにかこう、絡みつくようなものがあった。・・・・ 嫉妬？・・・それが一番近いように思えた。 しかし単純な嫉妬ではない。第一マイアがマーニャに嫉妬する理由などない。 いや、しかし、この感覚は覚えがある。 どこでだ？ 今度、ミネアを連れてこよう、とマーニャは思った。占い師として強い力を持つミネアが何も感じなかったらそれはマーニャの勘違いなのだ。 「明日もまたいらして下さいね。約束のもの、用意しておきますわ。」 「ありがとう、マイアさん!!」 アリーナはマイアの声に手を振って答えた。 黒き穴にずっとつめているライアンやランデルたちにこういう美味しいお菓子を食べさせてあげたいな、といったら、マイアが明日、お茶に来られない者ために日持ちがして、忙しいときにも簡単に食べられるような焼き菓子を焼いてくると言ってくれたのだ。 「ライアンさんたち喜ぶだろうな！」 「う〜ん。ライアンは甘いのあんまり好きじゃないけど、勇者ちゃんは甘いものけっこう好きだったわよね。」 「ランデルもクリフトもわりと好きなのよ！ブライなんて甘けりゃなんでもいいってくらい甘いものが好きだし！！」 時刻を告げる鐘がごーん、と鳴った。 「あ、もうこんな時間！それじゃ私、お父様の所に行ってくるわ。また明日も一緒にお茶しようね！メイ、行きましょう！」 マーニャは彼女としては珍しく、真面目な顔で腕組みをした。 「どうかしましたか、マーニャさん。」 「・・・・・・・・ん、なんとなぁくね。・・・・・・変な気配がしてたのよ、さっきのお茶会のとき。どこがどう変かって言われると答えられないんだけど。」 トルネコが小さな目を一杯に開いた。 「マーニャさんもですか！・・・・・実は私も・・・・・・・・」 「!!それって一体・・・・・・・!?」 次の日、マイアは約束どおり、ナプキンに包んだ焼き菓子を持ってきた。アリーナが受け取ろうとすると、横からトルネコがさっと手を出して掴んだ。 「いや、実はですね。昨日ちょっと話を聞いたら、今度の安息日、ええと、四日後になりますが、丁度皆手がお昼のときに空きそうなんですよ。ライアンさんもランデルさんもアレクもね。この御菓子、そのときに皆で揃って戴きたいと思うのですが、マイアさん、それで宜しいですか？」 マイアはおとがいに人差し指をあてたが、にっこり笑った。 「それくらいでしたら、傷むこともありませんわ。どうぞお持ちになって下さい。お日様の当たるところに出しっぱなしにはしないで下さいね。」 戦うものたちは今日も忙しそうだった。・・・・・戦っているものたちだけではない。クリフトもブライも多忙で、今日はひとことも話していない。アリーナは輝き始めた一番星をぼんやり眺めながら自室のバルコニーで頭を振った。クリフトやブライにお説教されるのは大嫌いだが、何も言われないのはもっと嫌だ。普段なら部屋に押しかけてあれこれ質問するのだが、こういう事態では迷惑であろう。アリーナとてそのくらいの分別は育っている。 と、部屋の時計が８時をさしたのに気づいた。今日はトルネコのところに呼ばれている。なんでも、サントハイムの古い宝物庫で珍しいものを見つけたのだそうだ。アリーナは勢いよく、部屋から飛び出した。 トルネコの部屋は別棟にある。といっても遠くはない。回廊を斜めに横切ればすぐに到着する。 ・・・・・・・・と、アリーナはそこにクリフトがいるのに気づいた。・・・・・一人ではない。彼の正面にいるのは・・・・・・・・マイア。 アリーナは咄嗟に柱に隠れた。隠れてから顔をしかめた。別に悪いことはしていない。二人にこんばんは、と挨拶してトルネコのところに行けばいいのだ。しかし・・・・・・隠れてしまったことがアリーナを動けなくさせていた。 静かな回廊では盗み聞きするつもりがなくても二人の声がよく聞こえた。 「・・・・・・ご苦労なさったのですね・・・・・」 「いいえ・・・・・・私以上に苦労をなさった方が、世界にはたくさんいらっしゃいます。」 「しかし・・・・・・・・幼い頃にお母様を亡くされ、今はお父様もご兄弟もなく、婚約者も魔物に殺されたという・・・・・・マイアさん、そんなに気持ちを張り詰めなくても良いのですよ。気持ちを楽にして、ただ、一日一日を大切に生きてさえいけば神様は私たちに一番よいものを与えて下さるはずです。」 「・・・・・・・・」 「・・・・・・・あなたはとても寂しそうな目をしていらっしゃる。・・・・・・・私は神の言葉を伝えることしかできませんが、私にできることが何かあったらおっしゃって下さい。人の支えとなるのが神官のつとめですから。」 クリフトはマイアが首から下げた大きなロケットを注視した。 「気になりますか？」 「え、いや・・・・・・・」 マイアはロケットをあけた。そこには美しい一人の婦人の肖像がこちらに微笑みかけていた。 「母です。私が８歳の時に亡くなりました。」 マイアの声が少し涙声になった。 「私・・・・・・・この絵を見ると心が落ち着くんです。母に守ってもらっているようで、・・・・・・・でも・・・・・・・・私、やはり怖いんです。前に魔物に襲われてから、また襲われるのじゃないかって・・・・・このままここから出られないんじゃないかって・・・・・・」 クリフトは手で顔を覆ったマイアの肩にそっと手を置いた。 「少なくとも、今、あなたは安全ですよ。・・・・・・・私たちが守っていますから。」 「・・・・・・・え？・・・・・・・・・」 「ここに居る限りは私たちがあなたをこうして守っていますから・・・・・」 「・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・私、クリフトさんに随分甘えてしまっています。・・・・・私は他国のものですのに・・・・・・あなたにはお姫様の相談役という仕事もありますのに・・・・・・」 「・・・・・・・・・そんなこと仰らないで下さい。私は・・・・・あなたの助けとなれることが嬉しいのですから・・・・」 と、どす、どす、という足音がした。クリフトとマイアが顔を上げると、アリーナが勢いよく手足を振って歩いてくるところだった。 「こんばんは！クリフト！マイアさん！私、これからトルネコさんのところに行くの！何か珍しいものを見つけたんですって！クリフトも来る？」 マイアが小声で、クリフトさん、どうぞアリーナ様とご一緒に行って下さい、と言ったが、クリフトはぎこちない笑顔を浮かべるアリーナに首を振った。 「・・・・・すみません、姫さま。私はもう少しマイアさんに話があるので・・・・」 アリーナを怒るときに額を叩き、褒めるときには頭の天辺を撫でてくれるクリフトの手が、今はマイアの黒い髪を優しくそっと撫でている。 「あ、そ、そうなんだ。でも、何かとっても面白そうなものみたいなのよ！マイアさんも一緒に来たら・・・」 「姫さま！」 クリフトが低い声でいい、アリーナをまっすぐに見た。 「・・・・・・・・・・邪魔をしないで下さい・・・・・・」 冷たい声。反論することを許さない氷のような声。 アリーナはハシバミ色の瞳を大きく開き、棒立ちになっていた。それから微笑んだ。必死に頑張って笑ってみせた。 「・・・・・・・・・・じゃ、私、あとでどんなのだったか教えてあげる！それじゃ、」 アリーナの姿が見えなくなってから、その場に大音量の声が響き渡った。 「この生臭坊主ッ！」 どこから湧いたのか、マーニャがやってきて、クリフトの前に仁王立ちになっていた。横にいるミネアもまなじりを上げ、クリフトを睨む。 「たまたま通りかかりゃあ、薄暗い場所で、何やってんのよッ！この非常事態に女を口説くですってッ!?」 クリフトは睨み返した。 「非常事態だからこそ、人の心は弱くなるのです。それに私はマイアさんを口説いていたわけではありません。・・・・・・ただ、支えとなろうと・・・・」 「わかったような口きくんじゃないわッ！あんたのその手の位置からして支えってのとは違ってるじゃない！・・・・・・それに、アリーナにあんた何を言ったかわかってる？」 「・・・・・・・・・・私はマイアさんと話がしたかったのです。それをマーニャさんにとやかく言われる筋合いはありません。」 「そんなことを言ってるんじゃないわ！・・・・・・・あんたがアリーナにかけた声、いつものあんたと全然違ってた。・・・・・・・・いつもあんたがアリーナに声をかけるときには、たとえそれがお説教だろうと、相手への思いやりみたいなものが、感じられた。なのに、さっきのアレはなによッ！『邪魔』ですって!?・・・・あんたからそんな言葉を聞くなんて思わなかったわ！」 居心地悪そうにクリフトとマーニャの顔を見比べるマイアに、クリフトはすみません、といってその肩を押した。マイアは逃げるように去っていった。 「本当に助けを必要としている人を助けてどこが悪いのですか。」 「助ける・・・・・？どーだか。あんたあの女にメロメロになってるんじゃないの。」 「・・・・・・・惹かれていることは否定しません。」 マーニャの怒りが爆発した。 「バカ神官！今までバカだバカだと思ってたけど、今日ほどあんたがバカだと思ったことってなかったわ！この・・・ッ！喰らいなさいッ！」 現在魔法が使えないマーニャであるが、万一の時のために渡されていた“いかづちの杖”がぐっと前に突き出された。古い木にはめ込まれた紅の宝玉から火球が放たれる。それはクリフトのいた傍らの柱にぶちあたり、火の粉を撒き散らした。 「・・・・・・・・私はあなたに断ってからでないと人を好きになることもできないのですか。」 「そんなことを言っているんじゃあないッ！！！」 もう一度火球が放たれた。今度は火球はその進路を大きく上にそらせ、建物の外壁を黒く焦がした。 「かーッ！もう許さないんだからッ！・・・・ううッ、さすがにこれじゃ火事になるか、それじゃ！」 マーニャはミネアが持っていた「真空の刃」の魔法が封じ込められている「裁きの杖」をひったくった。 「さあッ！バカ神官、覚悟おし！」 この大切なときに裁きの杖の無駄遣いはまずいであろう、とか、いくらクリフトの魔法耐性が強いといっても、直撃というのはあんまりだ、とか、いろいろ突っ込みは入れられようが、マーニャが杖に封じ込められていた魔法を解除させたあとには、手足に軽症を負ったクリフトがうずくまっていた。ミネアが反射的に治癒呪文を唱えようとしたが・・・・・辞めた。 「クリフトさん・・・・・姉さんのように実力行使することが正しいとは思いませんが、私もまた怒っていますわ。・・・・・・・・あなたはマイアさんの支えになるといった。・・・・・・・・でも、それが他の人・・・・・・アリーナの心を傷つけていい理由にはなりません。・・・・・アリーナだって、今この状況で不安を感じていないわけはありません。・・・・あの・・・・・・・・クリフトさん、あなたは本当に恋をなさっているのですか。」 神官は首を振る。 「わかりません。・・・・・・・今まで恋などしたことはなかったので。・・・・・ただ、マイアさんは何かとてつもなく大きな負の感情にとらわれ掛けているのは確かなのです。そこから私は彼女を救いたい・・・・・・・・これが・・・・・・もしかしたら恋というものかもしれません。」 アリーナは回廊を曲がったところで座り込んでいた。 マーニャたちとクリフトの会話は聞こえなかったが、マーニャが怒鳴って火球や真空の刃の魔法を発動させたのは見えた。 自分は悪い子だ、とアリーナは思った。 ・・・・・・いつだってクリフトは心がくじけそうになっている人を見たら捨ててはおけない人間だった。そして、アリーナは、クリフトがそういう人間であることを誇りに思っていた。・・・・・だのに今はマイアの支えとなろうとしているクリフトを見るのが何故か嬉しくなかった。 「どうなさいました？」 驚いたような声に座ったまま見上げると、そこにはアレクサンドロ王が居た。アリーナは立ち上がり、パンパンとチュニックを叩いて腰についていた土ぼこりを払った。 「何でもないんです！・・・・・・・・あの・・・・・・マイアさん・・・・・・家族がいないって本当ですか？婚約していた人も死んでしまったって・・・・・・」 キングレオの城主は俯いているアリーナに優しく言った。 「・・・・・・・・どこでそれをお知りになったのかは存じませんが・・・・・・・彼女は私が考えようもないほどの深い傷を心に負っています。・・・・・もしも宜しかったら彼女に心をかけてやって下さい。・・・・・・彼女の心を癒すことができるのは周囲の優しい気持ちだけなのですから。」 アリーナは素直にコクンと頷いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「・・・・・・・・たく・・・・・・・・・」 アレクはクリフトの神官衣を脱がせ、シャツを捲り上げると、細かな傷の走った腕にべし、と手を載せた。クリフトがうっ、と呻く。 「・・・・・・・僕だって怒ってますよ・・・・・・怪我を治すのと怒るのは別ですから治癒呪文はかけますけど・・・・・」 清浄な光がアレクの手から広がり傷はみるみる消えていく。 「・・・・・・・・・話はミネアさんから聞きました。ミネアさん、さっきはああ言ったけれど、クリフトさん、自分に治癒呪文をかけるのは苦手だから、怪我が心配だ・・・・って・・・・・ったく、どうしてですか。あなたに限ってアリーナにそんなことを言うなんて。・・・・・・はい、終わりましたよ。」 クリフトは何も言わずに立ち上がった。そして部屋から出て行こうとする。 「・・・・・・・言い訳はしないんですか・・・・」 「言うことは何もありませんから・・・・・・・」 クリフトはそのままアレクの部屋を出た。ふう、と言って戸を閉めると、そこにはトルネコが立っていた。 「トルネコさん・・・・・・・」 商人はにこにこと笑っていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ そして、安息日が来た。 「マイアさん・・・・」 小さな声で呼びかけられ、自室にいたマイアは少し驚いた表情をした。４日前からアリーナはお茶会に来なくなってしまっていたのだ。今日になって何故？・・・・・ 「アリーナ王女様？」 「あの・・・・・少しお話がしたくて・・・・・いいですか？」 マイアは膝に乗せていた縫い物を脇に置き、目を細めた。 「ええ、どうぞ中に、歓迎しますわ。今、お茶を淹れますね。」 異変は昼過ぎに起こった。 多くのものが食休みをしているときに、“黒き穴”は大量の銀色のスライムを吐き出したのだ。魔物との戦いにあたっていた兵士たちは素早い金属光沢をもった魔物達に足元をすり抜けられ、突破された。メタルスライム、はぐれメタル・・・・・彼らは小さな魔物を追いかけようとしたが、何体かのメタルスライムが合体して出現した巨大なメタルスライムとの対応に必死で実に数十体が城の中に放たれることになったのだ。 兵士ならば、なかなかとどめを刺すことはできなくても、彼らの攻撃を避けることは可能だ。しかし・・・・・ 「キャーッ！」 「助けてくれ！」 侍女の、文官の、庭師の、下働きの者たちの叫びが起こる。 自分たちの部屋にいた、ミネアとマーニャは武器を手に走った。そして銀色の魔物が群れを成して廊下を跳ねていくのを見、目をみはる。 「ミネア！」 「ええ！姉さん！！」 それぞれ毒針と毒蛾のナイフを構える。 人々は扉を閉め、体当たりをしかけてくる魔物を中に入れまいとテーブルや椅子でバリケードを築いた。しかし、それでもこの小さな魔物は小さな隙間や窓からするすると侵入してきた。屋外を歩いていた者たちは逃げ惑った。棒やフライパンを振り回して応戦したものもいたが、魔物の素早い攻撃や威力は小さいがそれでも容赦のない魔法攻撃はどんどん人々を傷つけていった。 ミネアやマーニャは人々の前にたって武器を振るった。急所さえ突けばこの魔物は一撃でしとめることができる。しかし、ミネアやマーニャが自分たちには勝てない相手だと認識するや、彼らはすぐに物凄い速さで撤退し、餌食にできるような弱い人々を標的にしようと他の場所へと移動していく・・・・ “黒き穴”に殆どの戦力を集中している今、城内の警備は手薄であった。パニックは容易に広がっていった。 コンコン、とノックの音がし、シンシアは素早く扉を開けて来訪者を招きいれた。 「シンシアさん！」 ホイミンが槍を持って立っていた。・・・・・・・・まだ彼の槍術は拙い。まだ戦えるだけの力は持ってはいない。しかし、シンシアは彼の真剣な眼差しから、自分たちに戦う時が来たのだと知った。 二人は連れ立って城の外・・・・・結界へと走っていく。銀の魔物の横をすり抜け、普通の人間には入れない場所へと・・・・・・ 二人は身を寄せ合い、ゆっくりと進んだ。かさり、と音がした。見れば手のひらほどの大きさの蜘蛛がこちらへと数匹やってくる。 「イオ！」 シンシアが彼女が持っている中では最強の攻撃呪文を唱えると、蜘蛛はダメージを受けたものの、まだ生きていた。ホイミンがシンシアの前に立ち、またシンシアが同じ呪文を唱え、ホイミンが槍をふるうとやっと魔物たちは動きを止めた。 カサ・・・・・・・ また音がした・・・・・さっきのものよりも大きなものが動く音・・・・・・ 「ホイミンさん・・・・・・・・」 「・・・・・・シンシアさん！あそこ！」 そこには巨大な蜘蛛の化け物が居た。赤い三つの目をぎらぎらと光らせ、鋭い爪のついた前足を振り上げ・・・・・シンシアたちが動けないでいると、蜘蛛は腹の先から糸をこちらに向かって噴射した。 急いで飛びのく二人を追うように糸は次々と噴出される。大きな木の陰に隠れて二人は肩で息をする。しかし、敵はどんどん近づいてくる。 「ホイミンさん！二手に分かれましょう！」 シンシアに言われ、ホイミンは左に、シンシアは右へと逃げた。大蜘蛛は一瞬躊躇したが、シンシアを標的にした。シンシアは素早く足を運ぶ。しかし、その間隔は確実に詰まってきている。 「シンシアさん！」 これでは駄目だ。ホイミンは強力な攻撃のすべを持たない。敵をひきつけるのは自分の役目だったのだ。自分が逃げている間に彼女がうつし身の呪文を使って敵をやっつけなくては・・・・・・ 彼は槍を手に、蜘蛛を追おうとして青ざめた。・・・・・・地面は蜘蛛が吐き出した糸で埋められていた。・・・・・・・それを避けながらあそこまで行くことは・・・・・空でも飛べない限りは・・・・・・ 「あっ！」 シンシアが糸に足を取られて転んだ。蜘蛛が彼女に迫る。 助けなくては、助けなくては！・・・・・・昔だったら飛べたのに・・・・・・そう・・・・昔だったら・・・・ッ！ ホイミンはどきり、とした。自分は人間になれたつもりでいた。でも、天空人と魔物しか入れないはずのこの結界のなかで行動している。・・・・・まだ魔物としての“血”は自分の中に生きているのだ。 （神様！） ホイミンは心の中で叫んだ。いろいろな人の顔が頭に浮かぶ。歌や話をねだりにやってくる子供たち。何かと声をかけてくれる近所のおかみさんたち。皮細工の方法を教えてくれた親方。旅に出る前に必ず村の入り口まで送ってくれるあの優しい女の子。“ホイミン、気をつけてね！帰ってきたらまた楽しいお話を聞かせてね！” さよなら、さよなら、みんな・・・・・・ （神様！僕の願いをもう一度だけ聞いてください！お願いです、僕を、僕を、ホイミスライムに、魔物に戻して下さい!!） 次の瞬間、ホイミンは自分の体が軽くなったのを感じた。青いゼリーのような体。見慣れた十本の半透明の触手、・・・・・・・魔物として生まれた本来の自分の姿。彼は全速力で飛んでいって蜘蛛の頭に取り付いた。目を塞がれた蜘蛛はホイミンを振り落とそうと体を無茶苦茶に動かした。幸いに、魔物の鉤爪のついた足は目には届かなかった。ホイミンは叫んだ。 「シンシアさん！早く、早く呪文を！」 シンシアは足を蜘蛛の糸に戒められたまま、うつし身の呪文を唱えた。翠の髪の勇者の姿がそこに出現する。 「早く・・・・僕、僕、いつまでもしがみついていられない・・・・・ッ！」 「駄目よ！だって、ホイミンさんまで・・・・・・」 「急いで！・・・・・・・・・僕になんて構わないで！僕はニンゲンじゃなくて魔物なんだもの！僕に構わず、魔法を・・・・・・早く！」 「駄目！私にはできない！」 「・・・・・・・・・このままじゃ僕もシンシアさんも助からない、そしてお城の皆も・・・・・だからッ！」 ・・・・・・・シンシアは泣きながら呪文を唱え始めた。 「・・・・・・いと高き所の善き者よ、邪悪な者を滅ぼす光の橋を・・・・・地上に・・・・・・・ 青い体の優しい魔物は目を閉じた。 |
| ・・・・・一応『何故マーニャがクリフトのことを怒っていたのか』、というお題はクリアしました。身内のことですからマーニャやミネアやアレクは怒っていますが、実際、別に人の道に外れた行動でもないと思いますが・・・・・。アリーナの行動は嫉妬ではありません。言葉の内容より、冷たく言われたことが堪えているようです。 ところで、メタルスライムといえば、ゲーム中では経験値稼ぎのために出現ポイントをいったりきたりした覚えがありますが、一般の人にとっては恐ろしい魔物の一つだと思います。何十匹も出たら、危険この上ないでしょう。 結界は封印の石版を１つでも壊せば、消えるところまでいかないにしても穴が開き、呪文使いたちは腕を振るえるようになりますし、精神力の強い者ならば行き来することも可能になり、外部からの援軍も望めます。だからこそのホイミンの行動なのですが・・・・・・私、ホイミンが出るたびに苛めていますね。・・・・・・・・でも助けは必ず来るはずですので・・・・・・ |