4 魔物たち 


　魔法使いから大きな羊皮紙を背負わされたちびモグラは、こんどは十分に用心してクモの糸にかからずに結界を突破した。そして首からかけられた赤い宝玉を嬉しそうに太陽の光にかざした。本当にそれは不思議な宝玉で、確かに小さな炎が中で踊っているのに、ちっとも熱くはなく、むしろひんやりした感触を与えた。
　ちびモグラはこの宝玉を誰かに自慢したくて仕方がなかった。ポポロも、ネネさんもきっとびっくりするに違いない。おそらくポポロがまだ居るだろう小川の方に行きかけたとき、背負わされた羊皮紙ががさり、と音をたてた。モグラは足を止めた。これは無理やり背負わされたものであるけれど、あの魔法使いはこれを届ける代わりに宝玉を貸してくれたのだ。そしてクモの糸も切って自分を助けてくれた。やっぱり届けに行かなくてはいけない。

　魔法使いはブライの所に届けて欲しかったに違いないのだが、ちびモグラは聖堂付属の図書室へと入っていった。何か困ったとき、迷ったときにはトルネコのところに行けば間違いはない、とちびモグラは知っていたからだ。


　トルネコは大きなテーブルの上に文献を広げ、クリフトと一緒に調べ物をしていた。丁度ブライも二人と共に調査をするべく席を共にしていた。と、そこに赤い宝玉を首にかけたちびモグラが意気揚々と入ってきた。他の二人は調べ物に熱中していたが、トルネコはパタンパタンという彼にとってはお馴染みのちびモグラの小さな足音に気づいて本から顔を上げた。

　「ちび。・・・・・・おお！その宝玉は一体どうしたんだね？」

　トルネコの肩まで一気に駆け上がったちびモグラはトルネコの目の前にちろちろと炎が踊っている宝玉を誇らしげにかざして見せた。
　トルネコの声にクリフトもブライもちびモグラに気づき・・・・ブライは図書室の全ての本を震えさせるような大声を出した。

　「そ、そ、そ、それはッ！寄こせ！寄こすのじゃッ！」

　ちびモグラの手から必死の形相で宝玉を奪おうとするブライとキィキィ鳴きながらさせまいとするちびモグラ。小さな魔物ｖｓサントハイム王国筆頭魔道士。双方とも必死だが、見ている方はあっけにとられるばかりだ。クリフトはぽりぽりと頭を掻いた。見かねたトルネコが少し厳しい声で言う。

　「こら、ちび。それを放さないと、もうネネのアップルパイはオヤツに出してやらないぞ。」

　その声を聞くやいなやちびモグラがすっと宝玉を放したのでブライはステーンとひっくり返った。しかし、打った腰をさすりながらもブライはすぐに起き上がって宝玉をじっと見た。

　「・・・・・・間違いない！あやつの宝玉じゃ。」

　そして自分の懐から別の宝玉を取り出す。青い色の宝玉。中には氷の結晶が煌いている。二つの宝玉が近づくと炎と氷が共鳴するように輝き、清浄な紫色の光がぱあっと広がった。

　「じいさま。その宝玉は一体・・・・・」

　「・・・・・・・・・魔道士学校の主席に贈与される宝玉じゃ。この赤い方はわしの同級の奴めが所持しておったものに間違いない。」

　「・・・・・・同級で・・・・・・じいさまは主席でいらっしゃいましたよね。・・・・その方も主席・・・・なのですか？」

　「ああ、主席が２人なんぞというのは後にも先にもその年限りじゃ！わしは氷系魔法、あ奴は炎系魔法。得意とする魔法の系統が違っておったせいもあり、教官は優劣をつけられなかったというが・・・・・・だが・・・・」

　「・・・・・が？なんです？」

　「わしがあ奴に劣っておったわけがないじゃろうがッ!!!」

　大声にクリフトもトルネコも、ちびモグラまでが縮み上がる。

　「それをあ奴ときたら、本来は自分の方が上だったなどと抜かし居って・・・・事実誤認にもほどがあるというものじゃ。ああ、今思い出してもまだ腹が立つ。」

　そのあとしばらく罵詈雑言が続いた。いやはや、長年一緒にいるクリフトでさえ、これほど激しくブライが悪態をつくのをみるのははじめてのことであった。このままでは血管が切れてしまう、とクリフトが思ったとき、トルネコがやんわりと言った。

　「ブライ様。この羊皮紙をごらん下さい。あなたに宛てた手紙ではないでしょうか。」

　ブライは手渡された羊皮紙に見入って・・・・・・そしてまた怒鳴った。

　「何じゃ、この目つきの悪いじーさんがわしだというのか。そしてわしのことを阿呆だの間抜けだの、勝負もせずに王女の教育係などやっているから記憶力もなくなるだの・・・・・ん・・・・・・・うーむ・・・・・・・・・むぅ・・・・」

　腕を組み、ブライは唸り、やがて眉を下げた。

　「・・・・・・・アルラウネの結界！・・・・・・そうか・・・・・・・だとすればすべては理屈にあう。・・・・・このモグラが結界を通って外に出て、その時にクモの糸が絡まっていたとな？・・・・・・・フン。そういったことを見る機会があればわしもすぐに思い出せたわい。・・・・・・！こうしてはいられぬ。陛下にお知らせせねば！」




　サントハイム国王ライルはブライの言葉を聞いて思案するように顎に手をやった。

　「それでは城を取り巻く結界はその『アルラウネ』なる呪詛だというのか。」

　執務室の机の向かいに腰掛けたブライは頷いた。

　「アルラウネの結界についてはいくつかの文献があるのですじゃ。今まで４回、報告があるはずです。その中では魔法が制限され、結界の中では地上の生き物は狂わされ・・・・・今回の状況と符合しますな。・・・・いままで思い出せなかったこと、不甲斐なく思うております。・・・・・あ奴に感謝せねばならぬかと考えるとひたすら悔しくもありますが。」

　「・・・・・・ブライが常々言っていた『永遠のライバル』のことだな。・・・・いや、私からも感謝せねばならぬ。して、その結界を解くにはどうすればよいのだ。」

　ブライはぐっと魔道士の杖を握った。

　「・・・・・・とても難しゅうございます。・・・・・・・・結界を成しているものは結界石という、呪いを込めた石版です。その数と場所は結界の形を詳しく調べつくせばわかりますが・・・・・・完全に結界を解くにはその石版を破壊せねばなりません。・・・・・・しかし、石版は結界の中にあり、我らはその中に入れば狂ってしまう・・・・さらに、石版の周りにはそれを守るために結界を作ったものの下僕であるクモの魔物が徘徊しているはず・・・・」

　「・・・・・・古人はどうやってその難題を解決したのだ。」

　「・・・・・・・今、クリフトにも確認のために文献を調べさせておりますが、爺の記憶が正しければ、ヒトはそれを解けなかったはずです。」

　「解けぬ・・・・・とな？ではどうしたのだ。それとも結界の中の者は助からなかったのか。」

　取り乱さず、あくまで静かに王は魔道士に問う。ブライはゆっくりと首を振る。

　「・・・・・・・助けられたのです。結界の中でも通常と同じように動ける者達に。」

　「・・・・・というと・・・・・」

　ブライは一度大きく呼吸をしてから答えた。

　「・・・・・・・天空人と魔物。・・・・・・・結界の中で動くことができる二つの種族。・・・・・・相容れぬ２つの種族にヒトは助けられたと歴史には残っているのです。」



　ブライたちが難しい相談をしている間に、トルネコは一個人としてできる範囲のことを実行に移していた。

　「いいかい？気をつけるんだよ、ちび。」

　ポポロに言われ、ちびモグラは頷いた。そして一本の小枝を手にすると地面の上にアップルパイらしき絵を描く。それを見てネネが苦笑した。

　「はいはい。ちびちゃんが大好きなシナモンを沢山いれたのを焼きますから。」

　そしてつやつやしたちびモグラの頭の毛を撫で付けた。

　「無理はしては駄目よ。危ないことがあったらすぐに戻っていらっしゃい。」




　城の外で不安げに見守っているヒトの前にちびモグラが再び姿を現したとき、もはや誰も切り捨てようとするものはいなかったが、すすんで近づいて行くものもいなかった。しかし、誰も動かないのを見ると、旅装のまだ少年ともみえる青年が優しくモグラの頭を撫で、背負っている羊皮紙を手にし、一人の兵士の所に持っていった。

　「・・・・・おお、これは八勇士の一人、大商人トルネコ殿からの手紙ではないか！何々糸？糸がどうしたと？？」

　兵士の視線の先ではちびモグラが目を細くして笑い、足に結び付けた丈夫そうな糸を前足で“これ、これ！”というように持ち上げて見せていた。

　兵士が注意深く糸を引くと、しばらくしてそれは紐に変わった。その紐を更に引いていくともう少し太い紐、そして最後には丈夫なロープに変わった。ロープには手紙と図面が結んであった。すぐさま図面は技師のもとに届けられ、歯車と台車とベルトを組み合わせたものが作られた。結界の中にヒトは入れない。しかし、物資がその中で変質してしまうわけではない。トルネコは結界の外と中を結ぶ運送機のようなものを作ったのだ。
　運送機が働き始めてすぐに、サランから油や新鮮な野菜や獣肉などが城内に送られた。それは人々を喜ばせたが、もっとも喜ばれたのは手紙だった。大切な人が結界ができる前と同じように無事でいるとわかり、サランにいる者は安堵の涙を流し、自分の無事を伝えられた城内の者もまた心に落ち着きができたのである。

　そんなことがあってから、結界をまたいで行き来することのできるちびモグラは、人々のマスコットになっていた。最初にこの小さな魔物を切り殺そうとした兵士でさえ、その灰色のつやつやした毛皮を撫でてくれもしたのである。

　運送機が完成してから３日がたっていた。空には星が瞬いている。まだ夏には遠い春の夜の冷え込みに、ちびモグラを初めに抱き上げた旅装の青年は着ていたマントをしっかりと体に巻きつけた。

　「旅の途中で噂を聞いて急いでここに来てはみたけれど、僕にはなにもできないみたい・・・・」

　おりしも、夕食後の散歩に出てきていたちびモグラが結界を平然と横切って城の中に戻っていくのが見えた。青年はぼんやりとそれを眺めていたが青い目を少し大きく見開いた。

　（ヒトはあの結界を通れないけれど、魔物なら通れる・・・・・もしかして・・・・もしかしたら・・・・）

　青年は一歩一歩結界に近づいていった。こめかみには冷や汗がつうっと一筋流れ落ちている。

　一歩、一歩、また一歩。

　振り返ると、先程まではっきりとしていた明るい星が妙にうるんでぼやけて見えた。間違いない。ここはもう結界の中なのだ。

　（ヒトはこの結界の中なら狂ってしまうというけれど、僕は何も感じない・・・・・・・・・やっぱり僕は・・・・・・・・僕は本当の人間じゃないんだ！）

　青年は少し悲しそうな顔をしたが、小走りに結界の中を走りぬけた。


　

　ライアンは城の兵士に呼ばれて城門へと向かった。そして、結界を抜けてきたという青年の姿を見てはっとした。晴れた空の色の瞳、青い髪、そして・・・・・日に焼けて色あせた赤いマント・・・・・それは昔、ニンゲンを助けるために死んでいったあの優しい魔物の亡骸を包んだ自分のマントに他ならなかった。

　「ライアンさん・・・・・・僕・・・・・・・来ました。」

　自分に飛びついてくる見慣れない青年をライアンは抱擁し、とん、とん、と背を叩いた。

　「・・・・・・・・ホイミン・・・・・・また会えたな・・・・・・・」





　ホイミンは謁見の間で小さくなって大臣たちの議論を聞いていた。

　「この若者の出自はこの際置いておいて・・・・・彼が結界の中で自由に行動できるのであれば、アルラウネの石版の破壊に赴いて貰うのは当然のことだ！」

　「いや。それは危険すぎる。クモの魔物が石版を守っているというではないか。彼が殺されてみろ。結界の中で動けるのはあのモグラだけになってしまうぞ。」

　「いや、私はやはりこの若者に戦って貰うべきだと思う！」

　ホイミンはますます身を縮めた。こうして城にやってはきたけれど、自分は役立たずだ。剣の腕を磨き、攻撃魔法の修練を積んでいれば少しは貢献できたはずなのに、自分は治癒魔法しか使えず、日々の糧を稼ぐ為の仕事はといえば・・・・・イムル村に帰れば皮細工などしているが、旅の間はリュートを片手に歌を歌う吟遊詩人である。・・・・それも王侯貴族の前で歌うようなものではなく、専ら子供たちに聞いて貰う様な歌のため、日銭を稼ぐところまでもいっていない。農家の手伝いをしたり、宿屋で皿洗いや薪割りをして旅を続けているに過ぎないのだ。もちろん魔物に眠りをもたらす呪歌なども歌えない。できれば、その魔物を倒して結界を解きたい、だけれど・・・・・今から稽古をしたとして、自分に戦うだけの力がつくだろうか。・・・・・・・・・・やる前から結論を出してはいけないが、それはとても難しいことだろうとホイミンは思った。・・・・・・・やりなさいと言われれば力いっぱい頑張るけれど。

　そのとき、トルネコが手をあげた。

　「少しお待ちいただけませんでしょうか。私に少し考えがありますので。いや、うまくいくかどうかはわかりませんが、少々お時間を頂ければ。」

　にこにこと自信たっぷりに言われ、大臣たちはしばらくぶつぶつ言っていたがやがてトルネコの提案を聞き入れて会議は散会となった。



　ブライがトルネコの隣にやってきて囁いた。

　「で、その考えというのはなんじゃ？」

　「・・・・・・・ははは、いや、全くのはったりでして。」

　トルネコの声が聞こえたライルも同席していたエンドール王マクゲアも狐につままれたような顔をした。

　「だってですね。・・・・・・・・・・・アレクやアリーナ姫のように、小さな頃から戦いの訓練をしていたのならともかく、ホイミン君を今すぐ魔物と戦わせようなんて、大臣の皆さんの考えは無茶苦茶だ。無茶苦茶な考えが会議で出てきたら休憩を入れないと、会議の方向までおかしくなって来てしまうものですからね。」



　その場にはいなかったアリーナやマーニャやミネア、ライアンにクリフトもあとから会議の流れを聞きトルネコの意見に同意した。

　「つまりよ。その子、回復魔法しか使えないんでしょ。その子にクモの魔物と戦って貰おうなんてことは、へろへろになったクリフトが一人で魔物退治に出かけるのと同じでしょ。・・・・・返り討ちにあって終わりだし・・・・・・こんな可愛いコ、返り討ちなんかにさせたら世界の損失よッ」

　ホイミンに投げキッスするマーニャの手を押えてミネアは言った。

　「それなりに強い魔物ならば、私たちでも単独では危ないんですよ。攻撃役、回復役、場合によっては防御役も必要になります。」

　ホイミンが話に割って入った。

　「あの、でもッ！僕はどうにかして皆さんの役に・・・・・」

　ライアンが静かに言う。

　「ホイミン。結界の中に入ることと、戦うことは別の次元の話なのだ。・・・・・・私はよく知っているつもりだ。・・・・・・・お前は戦いに向いていない。お前は傷つける為ではなく助けとなるために働く者だ。」

　「でもッ！僕はニンゲンじゃない・・・・・ッ！だって！魔物にしか通り抜けられないあの結界を通ることが出来ました。外見はニンゲンでも僕はやっぱりホイミスライムなんです・・・・・・・」

　　ホイミスライムと聞き、マーニャが“うッ!?”と声をあげ、ミネアが諌めるように咳払いした。ミネアとて驚いていないわけではない。ライアンはホイミンが魔物であったことは一切仲間たちに話していなかったのだから。ホイミンは戸惑う人々の表情をぐるりと見渡し、肩を落として俯いた。

　アリーナは見事な赤い髪をがりがりと掻き毟った。

　「私は難しいことはわからないわ。でも・・・・・ニンゲンとかニンゲンじゃないとか、関係ないと思う。・・・・・・この間の旅で、優しい魔物にも、とんでもない人間にも出会ったわ。・・・・・・大切なのはあなたが魔物かどうかなんかじゃなくって、あなたがどういった人なのかよ！」

　ハシバミ色の瞳でまっすぐに見つめるアリーナの顔を見、ホイミンはじわりと涙を滲ませた。その肩にゆっくりとライアンが大きな手を置いた。

　「・・・・・・すくなくとも、我らの前ではお前が魔物であったことなど、気にせずともよいのだ。」

　はい。と頷くホイミンに、マーニャは複雑な顔で笑いかけた。・・・・・・このなかなかいい線いっている姿かたちの吟遊詩人があのクラゲのようなホイミスライムだったなど、誰が信じることができようか。

　そしてマーニャの表情がまた変わった。それは普段から姉の様子を見慣れているミネアにしかわからないものであったが、寂しそうな、苦しそうな、マーニャには似合わない、珍しい顔。

　マーニャはキングレオ城での出来事を思い出していた。自分たちが地下牢に捕らえられ、進化の秘法の悪用によって、怪物に変えられようとされていたあのとき、

　「マーニャちゃんを怪物にさせるもんか！」

　そう叫んで彼女を助けてくれたのは醜い巨大な牛の化物だった。・・・・・踊り子仲間のローザ、陽気で冗談が大好きだった可愛いローザ。進化の秘法によって姿を変えられてしまったローザはマーニャたちを外へと逃がすと、魔物たちの行く手を阻むため、盾になって死んでいった。
　・・・・・・・・姿かたちは変わってもローザはローザだった。彼女の良く知るローザだった。・・・・・・この目の前のホイミンという名の青年は優しい子だ。・・・・きっと魔物であったときから。ライアンが彼に注ぐ慈しむような眼差しからしてもそれはわかりきったことではないか。


　この子が魔物であったかなかったなど関係ないではないだろうか。



　「よろしくね。可愛いぼ・う・や。」

　少し芝居めかしてホイミンに手を差し出すマーニャの顔はごく自然に微笑んでいた。


　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊


　クリフトは“アルラウネの呪詛”に関する書物からの抜書きを揃え、図書室からブライの所へと回廊を移動していた。と、曲がり角の向こうから黒々とした大きな影が伸びているのに気づいた。反射的に腰の剣に手を延ばす。結界がはられて以来、有事に備え、少しでも心得のあるものは常に武器を携帯するように王からの命令が下されたため、小ぶりではあるが、神官職のクリフトも剣を下げていた。

　“それ”はいきなり糸を吐いてきた。クリフトが間一髪で避ける。飛び出してきたのは大人の腰までくらいの高さがあろうかという赤い目を光らせた黒い蜘蛛。とびすさったクリフトが体勢を整える間もなく蜘蛛はまた糸を吐く。

　（？）

　糸はクリフトではなく、彼の抱えた抜書きを狙っているようであった。紙束を左手に持ち、大きく横に突き出すと赤い目がその向きに動いた。

　（それならば！）

　クリフトは紙束を放った。蜘蛛が飛びつく。

　「はあっ！」

　クリフトは剣で蜘蛛の腹を薙いだ。かすり傷しか与えられなかったが、青黒い血液が滴った。蜘蛛は己の劣勢を認めたのかくるりと向きを変えて逃げ出した。

　「待て！」

　クリフトは駆け出した。そして角を曲がり・・・・・

　「！」

　彼が見たのは窓から飛び出そうとしている蜘蛛と、その近くにうずくまっている女性の姿であった。
　クリフトが走りよると蜘蛛は飛び出したあとで、石造りの窓から頭を突き出してもどこにいったのかわからなかった。

　「う・・・・・」

　やわらかいうめき声でクリフトは我に返った。うずくまっている女性は酷く顔色が悪かった。見れば右腕に大きな切り傷がある。

　「どうなさいました！」

　女官の服装であるが、見た顔ではない。

　「廊下を歩いておりましたら、蜘蛛のお化けが・・・・・・爪で・・・・・腕をひっかかれて・・・・・」

　傷の変色から見て毒だろう。クリフトはすぐさま解毒と治癒の呪文を唱えた。女性の白い頬に赤みが徐々に戻ってくる。

　「・・・・・ありがとうございました・・・・・」

　すぐに立ち上がろうとする女性をクリフトは止めた。

　「失礼ですが、どちらの方でしょう。私はサントハイムの神官のクリフトと申します、あなたはわが国の方ではないですね？」

　女性はぴくっとして体を起こし、蜘蛛に襲われたときに解けてしまったのか、腰まで美しく滝のように肩を流れ落ちる黒髪を深々と下げた。

　「私、キングレオ城から参りました女官のマイアと申すものです。どうしましょう！八勇士のお一人にご迷惑をおかけしてしまって！」

　「そんなことは良いのですが・・・・・女官のあなたが何故このような場所に？確かキングレオの方々の宿舎はずっと離れていたはず・・・・」

　マイアは困ったようにその美しい顔を曇らせた。

　「・・・・・・陛下をお探ししていたのです。こちらに歩いていかれるのを見たものですから。」

　彼女の陛下といえば、キングレオ王アレクサンドロである。

　「何かアレクサンドロ王に用事がおありなのですか？」

　マイアは首を振る。

　「・・・・・・・私で宜しかったらお話下さいませんか。また先程のような怪物が出現するやもしれません。私たちはなるべく多くのことを知って置きたいのです。」

　「・・・・・・・私は、陛下が心配なのです・・・・・・」

　「心配？」

　マイアはその長い睫を伏せた。

　「陛下はとても良い方です。・・・・・・・新たに王となられるときに、すべての生きとしいけるものが平和に暮らせる国を作りたいとおっしゃいました。そして私たちのような下々のものにまで優しい言葉をかけて下さいます。・・・・・・でも、この国で結界がはられて以来・・・・・私たち、お世話をする者に黙ってどこかにお出かけになっているようなのです。私、私、深夜に陛下が寝所をそっと抜け出してどこかにいらしたのを知っているのです・・・・・・従事長様にご相談したら、陛下に行き先を尋ねて下さったのですが、陛下は笑ってはぐらかされて・・・・・・・私、心配で・・・・・・結界に閉じ込められてしまっただけでも不安ですのに、胸騒ぎがして・・・・・・陛下を追ってきましたら、化け物に出会って・・・・・・・すみませんでした。もう・・・・立てます。」

　無理して立とうとしてぐらりと体を傾かせたマイアをクリフトは抱きかかえた。真っ赤になるマイアをクリフトはよいしょ、と抱えなおす。相手が若い女性であろうが、病人やけが人に対しての彼の義務感は非常に大きく躊躇はない。

　「毒を受けてしまったときには、呪文で毒が抜けてもしばらく麻痺感が残ることがあります。・・・・・それよりも、蜘蛛の件、私と一緒にブライ様のところで証言していただけますでしょうか。・・・・・大丈夫ですよ。キングレオの方々には連絡をつけておきますので・・・・」

　はい、と小さく言ってマイアは頬を赤くしたまま、硬直した体の力を少しだけ抜いた。


　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊


　「ど、どういうことだ！」

　地下通路を埋め尽くすスライムの群れに、警備兵たちは驚きの叫びを上げた。スライムに混ざって巨大なクワガタや耳を広げて鳥のように滑空するネズミの化け物もいる。通路の壁に生じた黒き穴・・・・・・そこから魔物は出現していた。このような雑魚魔物、訓練を積んだ兵士の前ではすぐに剣の錆となったのであるが、報告をうけたブライは顔色を変え、すぐに命令を出した。

　「地下通路、その黒き穴の周囲を切り崩し、広い空間を作れ！・・・・・・」

　その剣幕に押された兵士たちは、何故に雑魚魔物ごときのために、と思いながらも通路の壁を崩し、土を運び出した。黒き穴の周りに半径５メートルほどの空間ができあがった。

　・・・・・・・通路の壁に穿たれたと思っていた黒き穴はその空間の中央、床から１メートル付近に球体となって茫洋と浮かんでいた。・・・・・・・時折小さな魔物を吐き出すそれを見、兵士たちを初め、大臣やブライも異常さに顔をしかめた。司教のディルとが重々しく言う。

　「似ています・・・・・・サントハイムをかつて襲ったあの黒い霧に・・・・・あの穴は魔界とこの世界を結ぶ場なのでしょうか。」

　傍らのブライは頷く。

　「おそらく。・・・・・・・そして・・・・・・・認めたくはないが、あそこから出現する魔物はどんどん強い物へと変わってきつつあるようじゃ。初めはスライムだけ・・・・・しかし今では他の魔物も来る。・・・・・そして、もはや一太刀で倒せぬような魔物が時折出てきておる・・・・・・・・」

　「ブライ殿。では、この場所を広げたのは・・・」

　「・・・・・・強力な魔物が出現した際、取り囲んで優位に戦いを進めるためじゃ。・・・・・・・・・・・・・・さて・・・・・・・・・どうしたものか。」

　まだこのことは城の大部分の者には知らされてはいなかった。


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　結界の外に若い男女が立っていた。

　「シンシア、行くよ。」

　「ええ、アレク。」

　二人はしっかりと手を繋ぐと結界に向かって足を踏み入れていった。
　
やっと勇者くん登場（最後の４行）です。やっと８人揃いそうです。
ホイミンも合流。うちのライアンさんは、旅の後もホイミンがホイミスライムであったことを他の仲間には教えていない設定です。（おそらく彼は聞かれなければ話さないと思いますので）天空人・人間・魔物、三者の係わり合いがこれから描ければ、と思います。・・・・・・一応「クリフトがマーニャに怒られる理由」の伏線（というにはあまりにもわかりやすいですが）をはってみました・・・・・

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