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５ 今は勇者ではなく
「・・・・・う・・・・・ん。」 青年が目を薄く開けたとき、彼が見たのは心配そうに自分を見守る愛しい娘の顔であった。 「シンシア・・・・・僕は・・・・・うッ！」 体を起こし、顔を顰めて頭を抱えたアレクの肩を彼の妻、シンシアは優しく支えた。 「大丈夫ですか。アレク。」 懐かしい声に少しだけアレクの表情が柔らぐ。 「クリフトさん！」 声を出した後、再び頭に手をやる。 「・・・・・・・僕は倒れてしまったんですね。」 少し離れたところから別の懐かしい声がした。 「心配したわよぉ！シンシアちゃんとミネアとホイミン君と馬鹿神官で回復魔法を散々かけたのに、まる一日たっても勇者ちゃんってば目を覚まさないんだから！」 舞い扇でぱこ、とアレクの背を叩く。 「マーニャさん！あ、ミネアさんもトルネコさんも！アリーナ、そしてブライさん！・・・・・まる一日も倒れていたのですか。」 嘗ての仲間たちはゆっくりと頷いて見せた。 「すみません。・・・・・シンシア、君は大丈夫だったのかい。」 「ええ。結界の中を歩いてもなんともなかったわ。」 「経緯は話してあるんだよね？」 「はい。」 仲間たちはアレクが意識を失っている間、シンシアからここにどうして来たのかを聞かされた。・・・・・・山奥の村に空飛ぶクッションに乗って現れた不思議な魔法使いの老人から、サントハイムが危機に陥っていること、そしてその危機から人々を救うために天空人の“血”が必要となるだろうことを聞かされた。自分たちが力になれるのなら、と二つ返事で引き受けたアレクたちを魔法使いの老人は転移魔法でサントハイム近くまで飛ばしてくれた。・・・・・・・・老人は転移魔法をかける前にこういった。 「わしはこの魔法に慣れてはいない。おまえさんたちをサントハイムに送ったならばきっと倒れてしまうだろう。そうしたらお前さんたちはわしに構わず城内に行け。・・・・・・頼りにならん筆頭魔道士に伝えておいておくれ。『ここまでお膳立てをしてやったんだ。これでわしが完全復活する前に封印が解けなんだら、老い先短い残りの人生、日夜お前さんを馬鹿にして過ごしてやる。』とな。」 転移後、言葉どおりに倒れてしまった老人を、二人はサランの宿屋に預け、ここにすぐやってきたのだった。 「あのご老人は僕が天空人の血をひくことを知っておられました。・・・でも、あの方の期待に応えることはできなかったようです。・・・・・・僕の体を流れる血の半分は天空人である母のもの。しかし、あとの半分は、人間であった父のものです。・・・・・・・あの結界は生粋の天空人でなければ中で自由な行動はできないのでしょう。」 ブライが憮然としていう。 「アレク、気に病むことは無い。人間の血が混ざったお前さんは、結界の影響を受けて当然なのじゃ。全面的な責任はこうなることを見抜けなかったあの馬鹿者にある！・・・・・人の行動を制限するために張られた結界じゃからな。」 「そうよ。私なんて近づいただけで気持ち悪くなっちゃったのよ。あの結界、物凄く強力よね！クリフト。」 「・・・・・・・・・姫さま、・・・・・・それは姫さまの魔法の素養がゼロだということも大きく関わっていると思います・・・・とにかくアレク、あなたは気にすることはありません。」 「・・・でも・・・・・・」 再びマーニャがぱこぱことアレクの背を舞い扇で叩く。 「それでも立派なもんよ！だって普通の人間は五歩も歩かないうちに発狂寸前になっちゃうんだから。う〜ん。もっとも勇者ちゃんがシンシアちゃんに支えられて結界の向こうから息絶え絶えになりながらやってきたときにはどうしようかって思っちゃったけどね。それに、結界の中で自由に動けなくっても勇者ちゃんが来てくれて嬉しいわ。剣で戦える人が一人でも多く欲しいところなのよね。」 マーニャの言葉を訝るアレクにトルネコが“黒き穴”の説明をする。その説明のあとにミネアが続けた。 「ライアンさんは今、その場所に居ます。・・・・・・・使節の護衛についていらしたバトランドの王宮戦士の皆さんは、大使のご命令でサントハイム王の指揮下に入っているのです。この結界の中、私たち魔法使いの攻撃魔法は効力をなくしています。ひっきりなしに現れる魔物に、剣を使う皆さんの疲労が激しくなって。・・・・・・そして、魔物はどんどん強くなっています。魔物とあまり戦ったことの無いサントハイムの兵士の幾人かが酷い怪我をしてしまいました。ですから・・・・・」 アレクはすっと足を寝台から下ろし、立ち上がった。よろける彼をクリフトが抱きとめる。 「無理です！もう少し休んでいなくては！」 「いいえ。・・・・もう大丈夫。・・・・・・・それに、今のままの僕ではおそらく皆の期待に応えることなどできないから。」 床を見つめてそう言ったアレクの横顔をシンシアは心配そうに眺めていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 黒き穴・・・・・・・ 「第三分団！下がれ！第四分団！前へ！」 兵士達の疲労の度合いを見極めて、ランデルの父であるサントハイムのプローブ将軍は声を張り上げた。 先の見えない状況は、兵士達の精神を疲弊させ、どんどん強くなる魔物は、交代の時間を早まらせていた。結果、黒き穴から程近いところに急遽作られた兵士達の控え室は戦いの疲れを癒す者、次の戦いに備える者でごった返していた。 その中にライアンはじっと目を閉じ、小さな椅子に腰掛けて待機していた。この寡黙なバトランドの王宮戦士は、ほとんどこの場を離れようとはしない。レベルは低いが装甲の硬い魔物・・・・・・・もしも魔法が使えたならば一撃で倒せるが剣での撃破が難しい敵・・・・・が出現したときは彼の剛剣が必要であることを知っているからだ。 魔法使いの魔法は結界の中で無効であるが、魔法と同等の効果を持つアイテムは使用可能であることがわかっていた。きっとそれはアイテムの中に取り込まれた魔法は実際のところは既に発動しており、使用するときにはその封印を解いているに過ぎないからなのであろう。しかし、城内の魔法のアイテムには限りがある。ライアンは将来必要になるかもしれないそれらを浪費するのは危険だと承知していた。 だからこそかれはここに居る。懐かしいアレクが意識不明の状態でいることは知っていたが、今、彼が居るべき場所はここなのだった。 しかし、青白い顔をしたアレクがクリフトと共に現れたときにはその厳つい顔に安堵の色を浮かべ、立ち上がり、抱擁した。アレクが伝説の勇者であることを知っているサントハイムの兵士たちは『おお、勇者殿だ！』『これで助かったぞ！』と口々に言い、拍手をした。アレクは心配をおかけしました、と言い、しかしすぐに難しい顔をし、囁くように言った。 「ライアンさん。僕に剣を教えて下さい。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 城の裏手、他に誰も居ない倉庫の中で、アレクはライアンに向かい合った。 「剣を教えろ・・・・とは。・・・・・・・・アレク、一体それは。」 アレクは黙ってライアンに両手を差し出した。その手を見、ライアンははっとした。 「ライアンさんにならお判りになると思います。・・・・・・・・」 その手は剣士のものではなかった。がっしりとした大きな手であったが、剣を振るうものならば必ずあるだろう剣だこが彼の手にはなかった。 「・・・・・・・・剣を持つことを辞めていたのか。」 アレクは頷いた。 「僕は新しく生き返った村で新しい生活を始めました。建物を建てるために斧で木を伐り、魚を捕るために湖で網をひき・・・・・・もはや僕は勇者ではないのです。・・・・・・・・・・・いや、逃げていたのかもしれません。まだ、村から一歩出れば、危険な獣や魔物が居る。・・・・・・本来、毎日剣の腕が落ちないように稽古をすべきだったのかもしれません。・・・・・・・・・しかし、僕はそうする気にはなれなかった・・・・・・・今の僕は、あの、デスピサロとの最終決戦の時の力の半分も持っていません。・・・・・・・・・城の人々が僕に“勇者”として期待を寄せているのがわかります。そして、その期待に応えることで、彼らを安心させることができるのなら、いや、魔物からこの城の人々を守ることができるのなら、僕はまた剣をとります。いえ、取らなければいけないのでしょう。・・・・・お願いします！どうか再び僕に戦う力を。」 ライアンは返事のかわりに稽古のためにと持って来ていた木刀をアレクに一本放った。 「・・・・・・少し無理をさせるかもしれんが・・・・来い！」 「はい！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「たあっ！」 剣が振り下ろされ、翠の髪が靡き、金属光沢を持った大さそりは体を真っ二つに切り裂かれて絶命した。下がって見守っていた兵士たちがほーっと賛嘆のため息をつく。 アレクはもう半日後から“黒き穴”の魔物たちと戦っていた。ライアンとの稽古であちこちに軽い打ち身を作っていたが、最低限の感覚は取り戻せた。あとは実戦で腕を磨く。それは回復したばかりのアレクにとってはぎりぎりの状況での戦いだったろうが、彼はつらそうな顔は見せず、兵士たちに片腕をあげて笑ってみせた。そして、前列から身をひくと、後方にいたクリフトのところに行ってなにやら談笑し始めた。 その姿をシンシアは悲しげに見守っていた。 夜・・・・・・・アレクとシンシアは、与えられた部屋で、夜着に着替えて寝台に二人並んで腰掛けていた。ずっと詰め所にいると言ったアレクを、クリフトとミネアとトルネコが説得して、やっとこの部屋に追い返したのだ。 シンシアはアレクの肩に手をおいていた。唇から紡ぎだすのは回復呪文。暖かな金色の光が広がる。 「ありがとう。シンシア。もうすっかり治ったよ。」 しかし、シンシアは手を夫の肩から動かそうとはしなかった。 「シンシア？」 見ればシンシアは瞳からぽたぽたと大粒の涙をこぼしているのだった。 「どうしたんだ？何故泣いているの？」 シンシアは袖口で涙をぬぐうと俯いたまま言った。 「私、アレクが剣で戦うところを初めて見たわ。」 シンシアの言葉にアレクははっとした。そういえばそうだ。・・・・・・・小さな頃から剣の稽古は続けていたが、それは一人で素振りしたり、師匠との模擬戦をしたりで、殺すか、殺されるかの戦いを彼女が目にしたのはこれが最初なのだ。 「・・・・・・・・・私・・・・・・・・アレクが旅をしている間、あなたと一緒に世界を回っているような気がしていたの。あなたがどんな道を辿ってきたのか、誰と出会って、魔物とどんな戦いをしてきたのかをぼんやりとだけれど知っているつもりだったわ。・・・・・・・でも・・・・・・今日、あなたが剣をふるっている姿を見て、私、がくがく震えてしまった。歯もかちかち鳴っているのがわかったわ。・・・・・・とても怖かったの。あなたが剣を持っている時の目、いつもの陽だまりのように優しいあなたの瞳が、鋭い光を帯びていて・・・・・そして、あなたがあのサソリの魔物に毒を受けたとき、」 「・・・・・・・君、わかってたの？・・・・隠していたつもりだったんだが。」 「・・・・・・・あなたがクリフトさんのところにいったとき、あなたが何か囁いて、クリフトさん、急いで呪文を唱えてらしたわ。そして微かだけれどあなたの二の腕のあたりに光が見えて・・・・・毒針がかすっていたのね。・・・・・・でも、周りの兵隊さんを不安にさせまいとして・・・・・」 アレクは妻を抱き寄せた。 「君には何でもわかっちゃうんだね。・・・・・・・・今の僕は正直少し無理をしている。でも、その無理を続けないわけにはいかないんだ。・・・・・・・許して欲しい。」 シンシアはその薄紅色の髪をアレクの広い胸につけ、こくん、と頷いた。 「止めないわ。二人してここに来たときから、きっと戦いになることはわかっていたのですもの・・・・・・・・ただ、気をつけてね。」 「ああ。・・・・・・・・・村の人に黙って出てきてしまったものね。出来るだけ早く、そして無事に帰らなくちゃ。」 「ええ、だから私も頑張って結界を解くわ。」 「うん。」 と、相槌を打ってしまってからアレクは顔色を変えた。 「なんだって！結界を解く!?」 シンシアは胸に頬を寄せたままアレクを見上げた。 「あなたが戦っているのを見たら、私も戦わなくてはいけないと決心が固まったの。・・・・・・・・天空人の私が地上で育った理由、一番の理由はきっとあなたと出会うため、そして・・・・・二番目はここで戦うためかもしれない・・・・・って。」 アレクは何か言いかけたが、すぐに言葉が出ず、口を半開きにしたまま視線をさ迷わせ、頭の中で言葉を整理してやっと口にした。 「確かに村を出るとき、二人で封印を解こう、といった。でも、それは僕が結界の中でも戦えると考えていたからだ。結界の中に居る蜘蛛の魔物はかなり強いという。君は剣を使えないし、攻撃魔法だって初級のものしか使いこなせない。回復魔法だけでは戦えないんだぞ。」 と、腕の中のシンシアが素早く呪文を唱えた。 「秩序の神よ。その手を緩めたまえ。我が身にかの者の技と身形をうつしたまえ！」 ・・・・・・・・次の瞬間、アレクの腕の中には自分そっくりの青年がいた。青年は、シンシアの声で話した。 「ほら、こうすればあなたが使える雷撃の攻撃魔法を使いこなせるはず。」 「確かにそうだけれど・・・・・・・うつし身の呪文は術者の体力や魔力を上昇させてはくれない。そして雷撃の呪文は・・・・・・本来自分の習得したものでない呪文を唱える時には詠唱に長い時間がかかる。その間に敵は容赦なく襲い掛かってくるぞ。」 「・・・・・駄目だと思ったらすぐに引き返します。・・・・・・・あなたと同じように私も、私の精一杯をやります。」 「・・・・・・・・止めても・・・・・・・無駄？」 「ええ、・・・・・・・・・わかっているでしょう？私、あなたと同じくらいに頑固なのよ。」 「・・・・・・ああ。・・・・・・・・でも約束して。君はまだ戦ったことが一度もない。だから結界の中の魔物と戦うのは訓練をしてからにして欲しい。いいね。」 シンシアは軽く片目を瞑ってみせた。アレクはそっとシンシアの髪を梳き、・・・・・・・非常に難しい顔をした。 「？やっぱりどうしても止めるの？」 アレクは首を振る。 「いや・・・・・・呪文、解いてくれないかな。・・・・・・・・僕は・・・・・・・やっぱり自分にキスするっていうのは勘弁して欲しい。」 シンシアは笑ってうつし身の呪文をといた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「へえ！このお茶美味しい！」 城の中庭に置かれたテーブルでアリーナは白いカップから紅茶を飲んでにこにこと笑った。同じ席についているクリフトとトルネコは嬉しそうなアリーナを見て微笑む。紅茶をいれた娘・・・・・以前クリフトが助けたキングレオ城の女官、マイアはお褒め下さって光栄です、と言って、ケーキを切り分けて勧めた。アリーナはすぐに美味しそうに頬張った。横でお針子のメイが、あんまり急いで食べると喉につまりますよ、といい、言われたそばから喉に菓子を詰まらせたアリーナを見てランデルが吹きそうになり慌てて口を押えた。 「わざわざお集まりいただいて有難うございました。陛下もお喜びのことかと・・・・・。」 「へえ、アレクサンドロ王がこのお茶会を？」 「ええ、私が蜘蛛のお化けに傷を受けていたのをクリフトさんに助けられたと申し上げましたら、リオレラ大陸の茶と菓子でおもてなししろ、と仰いまして・・・・他国の方との交流は大事な仕事だから、と言われ、色々な国の方をお呼び致しました・・・・バトランドの戦士様がいらっしゃらないのは残念でした。」 「うーん。ライアンはちょっと忙しくって。あとでお菓子を届けるわ。」 「はい。ありがとうございます。」 クリフトの関係者の中で、マーニャとミネアは呼ばれていない。彼女達は自国の者だからということなのだろうか。 「アリーナ様、もうお一つケーキをいかがですか。あ！」 持っていたナイフがマイアの指を切った。クリフトが急いで手を取り、呪文を唱える。 「す、すみません。またご迷惑をおかけして・・・・・・」 恥ずかしいのか俯いたまま赤くなっているマイアにアリーナは気楽な声をかけた。 「マイアさん、気にしないで！クリフトは薬箱の代わりだと思ってくれればいいわ。」 「は、はい・・・・あの、でも・・・・・・・」 マイアは先程クリフトに握られた手にもう一方の手をそっと重ねた。 「あ、でしたら、もし宜しかったらまたお茶を飲みに来ていただけますか。キングレオの料理人が腕によりをかけてまたケーキを焼いてきますので・・・・」 アリーナの目がらんらんと輝いた。 「ステキ！」 あまりの声の大きさに、そこにいた一同は声をそろえて笑ったのだった。 ・・・・・・・ユウシャガヤッテキタ。ソシテテンクウビトノオンナモ。イソガナクテハ。ケッカイガヤブレルマエニコノシロヲワガモノトシナクテハ。・・・・・・・ケサナクテハ。・・・・・・ヒトマズハアイツトアイツヲ・・・・・・チュウチョハスルナ。スベテハワガモクテキノタメニ・・・・・・・ “悪意あるもの”は焦っていた。その焦りが新たな行動に“悪意あるもの”を駆り立てた。指を折って犠牲となる人間の顔を思い浮かべる。その人物が鋭い蜘蛛の鉤爪で引き裂かれ、赤い血だまりの中で息絶える様を想像し、“悪意あるもの”は嬉しそうに笑った。 |
| ウチのアレクは山奥の村では剣を捨てています。村の復興や日々の糧を手に入れる為、正直なところ、剣の稽古をする時間はとれないでしょうし、もしも取れたとしても、アレクは稽古をしたくないようです。元勇者がそんなことでいいのか、お叱りの向きもあるとは思いますが、うちのアレクはこういう奴です。・・・・・・それでもクリフトやトルネコよりは格段に強いのですけれどね。現時点ではランデルと互角くらいだと思われます。 あと２回程度で終わりになる予定です。 |