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「あら、雪。」 アリーナは幌の中から体を乗り出し、腕を一杯にのばして今年最初の雪のひとひらを手のひらに受けた。 深緑の背の高い針葉樹の遥か上から清らかな白い粒は音もなく降り落ちる。 「うわぁ、雪ってこんなふうに降るの？あたし、もっとばさばさ落ちてくるんだと思ってた。」 マーニャが腕を組んでさも感心したように頷いた。ミネアも横で雪の落ちるのに見入っている。温暖なリオレラ大陸では雪は高山にしかない。二人は降雪を初めて知ったのだ。 アレクは微笑んだ。故郷の村では雪は初雪の日から降り続き、春まで溶けることがない。寒さや雪下ろしの苦労は大変だったが、雪は天からの贈り物だとされ、春の来るのを待ちながら、暖炉の前で手仕事をする穏やかな暮らしは楽しいものだった。 しかし、旅を続けるにあたっては、雪は障害以外の何者でもない。早くホビット村を捜しださなければ・・・・平和な村を襲って家族を殺した魔物の王を倒すためにはエルフの里への行き方を知る必要があるのだ。 アレクは手綱を執る手を休めてはあっと息を手のひらに吐きかけた。 寒い冬の日、湖の氷穴での漁をしている父親を手伝って帰ってきたとき、シンシアはアレクの手を握って笑った。 ”まあ、氷よりも冷たい手。” そして暖かい息を吹き掛けてあたためてくれた。 アレクはシンシアの事を考えるたびに胸を強烈な痛みが襲った。それと共に、魔物に対する憎しみが炎のように沸き起こり、その憎悪が彼の眼差しを一瞬だが冷酷で残忍なものにするのだった。 憎悪が一番強い力ではないことは自分で気付かねばならない。アレクはまだ少しもそのことに思い至っていなかった。 クリフトはこの時アレクの心が冷えているのに気付き、心配そうな表情をしていたが、アリーナに袖をひかれてアレクから目を離した。 「なんでございますか？」 アリーナはにこにこ笑っていた。 「クリフトは雪の精霊のことを知っている？知っていたらサントハイムでよくしてくれたようにお話をして！」 クリフトはちょっと考えてから話しだした。他の仲間達も武器の手入れをしながら、或いは呪文の勉強をしながら耳を傾けた。雪はしんしんと降り続き、クリフトの声と馬車の響きだけがそこにあった。 「これは、雪が降り初めてから少したち、背の低い草花がすべて白いじゅうたんの下に隠されてしまった時期のお話です。ある村に、薬草を商っている一軒の家がありました。その年は悪い風邪がはやり、熱冷ましや咳止めの薬が飛ぶように売れました。薬屋の主人夫婦は正しく心優しい人達でしたから暴利をむさぼることなく、貯えの乏しい人にはただで薬草を譲ってやりました。また、主人は治癒の呪文を唱えることができましたので、重篤な病人の家に出向いていって助けてやりました。 薬屋には二人の子供がありました。８歳になったばかりの兄さんと、まだ３歳の小さな妹です。兄さんは両親を手伝うために森に入って薬草をとってくる役目をおっていました。最初のうちは、森の入口から少し入ったところで十分な量の薬草が摘めました。ところが、あまりに病人が多かったので森の奥まで行かないと捜すことができなくなってしまいました。それでも兄さんは頑張って薬草を集めました。そして近所に住む兄さんよりも少し小さな子供たちも薬草摘みを手伝ってくれていました。 ある日、午後になってから、近所の子供達３人が森に出掛けました。薬屋の主人夫婦は山向こうの病人の家に出掛けて留守をしていたので、吹雪が迫っているという印の雲の様子を子供達に教えることができませんでした。兄さんは家で薪割りをしていて、小さな妹は兄さんが薪を割るのを眺めていました。 日が暮れて、雪が強くなってきました。家の外壁は白く凍りつき、風で鎧戸ががたがたとなりました。近所の子供たちの帰りが遅いのを心配した兄さんは、小さな妹に家で留守番しているようにいいきかせると、外套をはおり、ブーツをはいて森にかけこみました。 雪はすでにかなり積もっており、子供達の足跡は目をこらしてもはっきりとわかりません。兄さんは声を限りに子供たちの名前を叫びましたが雪は声をかき消してしまい返事はありませんでした。 ”おーい！” 兄さんは、何度も叫びました。すると、十何回目かに舌足らずの声で答がありました。一番上の兄さんは困ってしまいました。なぜかというと、その声は家に残してきたはずの妹のものだったからです。兄さんはしっかりと妹を抱きしめましたが、妹の可愛い唇はすっかり紫色になっていました。 ”冬の森には冷たい冷たい雪の精が住んでいるのに！お前のようなちっちゃな子を凍らせて自分の国に連れていこうとしているのに。” 兄さんは心の中で思いながら必死で妹の手や足をこすり、自分の外套を脱いで着せかけ冷たくなった頬に頬摺りして赤毛の頭を何度も撫でました。 山国では雪は頭の上まで積もります。薬屋夫婦の住む村では春から秋までは恵みの季節、冬は悪魔の季節。当然雪の精は悪魔の使いなのでした。 二人がうずくまっている場所のまわりを、吹雪が舞い始めました。あまりの激しさに目を開けていられないほどです。兄さんは指の隙間から渦を巻いている雪を見つめました。するとそれはすぐに狼の形をとってこちらに向かってきました。 雪狼です。氷つく息を吐きかける白い狼が空中を風のように飛んでくるのです。 「まあ、どうやってやっつけたの？」 アリーナは目を輝かせて尋ねたが、クリフトは首を横にふった。 「兄妹は武器も持っていませんでしたし、戦うだけの勇猛さもありませんでした。 兄さんは小さな妹をかばうように前に立ちました。すると、雪狼から少し離れたところに、長く美しい白い髪を風になびかせた小さな雪の精が数人、氷のように冷たい瞳でこちらをじっと見ているのに気付きました。兄さんは雪の精が人間の願いなど聞いてくれるわけはないと思いながらも、助けてくれるように声を限りに叫んで懇願しました。しかし雪の精の瞳は冷ややかなままで感情のひらめきはありませんでした。それを見た雪狼はニヤリと笑い、兄妹に一直線に飛びかかってきました。 しかしその時に雪の精達が手にした氷の杖を高々と掲げて雪狼の前に立ち塞がりました。 ”汝、自然の理に背きし魔物よ。冬の庭から消え去れ！我らの領域を犯すことならぬ！” 杖からは冷気がほとばしりました。雪狼は雪の魔物であるにもかかわらず、雪の精の力で凍りつき砕けてきらきら光る砕片へと崩れ去りました。 兄さんは雪の精に向かって感謝の気持ちを込めて頭を垂れましたが、彼女たちはほほ笑みのかけらすらも返してきません。無言で立ったまま空を見上げます。空からはひっきりなしに雪が落ちてきて、風も以前より強くなったようです。体が芯から冷えてきて、兄さんは祈りの言葉を唱えました。精霊は初めて不思議そうな顔をしました。 ”何故祈る？我らは神ではない。お前たちの友人である春の精霊でも水の精霊でもない。我らは我らの世界を守るもの。取引はせぬ。・・・・この雪をお前たちの死の床にするか砦にするかはお前たちに委ねられている。” 精霊は杖をふるいました。積もっていた雪が舞い上がり、小さなくぼみが大きな木の根元にできました。兄さんは雪の精の瞳を覗き込んでいましたが、深い雪の中を進んでそのくぼみに入りました。雪の精霊はそれをみると消えていきました。 くぼみのなかは暖かでした。兄さんは手で雪を掘り、しっかりとした雪穴をこしらえました。先程まで自分たちを凍えさせていた雪が今は寒気から守ってくれる優しい壁になってくれたのでした。兄さんが胸に抱き抱えた小さな妹は頬に赤みが戻って、規則正しくしっかりとした呼吸をはじめました。そして眠りにおちていきました。 疲れ切っていた兄さんもいつしか眠ってしまいました。 夜があけると非常によい天気でした。うずもれかけた雪穴から兄さんが顔を出すと、斜めに差し込む朝日の清浄な光の中で新雪が小さなダイヤをを一面にばらまいたようにキラキラと光っているのが見えました。兄さんは、大切な宝物・・・・もちろん小さな妹のことですよ・・・を揺り動かし、彼女が目を覚ますとおはようのキスをしました。二人は自分たちの無事を感謝して祈りを捧げました。その祈りの中には雪のくぼみを拵えてくれた雪の精に対するものも入っていたことはたしかです。 兄さんはポケットから堅パンを取出し、半分に分けて妹と食べました。雪を齧って喉の渇きを癒しました。体の中から元気が湧いてきて、兄さんは妹を背負うと歩き始めました。 しばらく歩いたところで兄さんは叫んでみました。 ”おーい！” すると、幽かではありますが、間違えようのない近所の子供の一人の声が聞こえてきました。兄さんは妹を背負ったまま新雪の中を走りました。走りながら叫びました。それにこたえる子供の声もだんだん大きくなってきました。他の二人の子供の声もわかるようになりました。元気な声です。やがて、五人の子供たちはめぐりあいました。 ”恐かったよ！” 一人の子供が涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにし、兄さんの腕にとびつきました。その他の二人は泣きじゃくりながら兄さんの胸に抱きつきます。自分だってまだ子供の兄さんは、しっかりしなくてはいけないんだぞと思いながらもいつしか涙をこぼしていました。近所の子供達も雪の精に出会い、吹雪の吹き抜けるとおりに半ば飛ばされるように歩いていくと岩が掘られた洞窟があったのです。そしてなんとか凍えずに一晩を過ごせたのでした。 兄さんは近所の子供たちが後生大事に握っていた薬草の束を自分の肩掛けかばんに押し込むと、妹を背負い直し、どちらが村の方角なのか太陽の位置から判断しようと頭をひねりました。 しかし悩む必要はありませんでした。教会の鐘の音が聞こえてきたのです。鐘の音は、歓喜をその中に秘めて鳴り響きました。子供達は迷うことなく揃って村に帰りつけたのです。 ・・・・はい、姫様、私の話はこれでおしまいです。」 アリーナは口をとがらせた。 「精霊はみんな心優しいと思っていたのに恐い精霊もいるのね。私、兄さんがお祈りしたところで雪の精霊が吹雪を止ませてくれるのだと早合点してしまったわ。雪の精は意地悪ね。」 クリフトは笑った。 「意地悪ではありませんよ。・・・・自然を司る精霊達は厳しさと優しさと両方をもっているのです。そして人間に味方することが必ずしも精霊にとっての善ではないのですよ。・・・・姫様、第一雪の精霊がいたからこそ子供たちは凍えずにすんだのではありませんか。」 アリーナはまだ不服そうだ。 「精霊は優しくなけりゃ。これはお話でしょう？クリフトったら雪の精に恨みでもあるの？」 クリフトは微笑んだ。この姫は、今の話が実際に起こったことであり、兄さんがクリフト本人だということに気付いていないらしい。 この話を発端にして、馬車の中は精霊についての話題で盛り上がった。八人の仲間達は自分の目で精霊を見たことが一度はあった。森や草原で心優しい花やそよかぜの精にトルネコやサントハイムの三人は出会い、マーニャやミネアはその外に自分たちの制する火の精や風の精に出会った。ライアンは荒野や岩山でもっと厳しい顔をした精霊たちに出会い・・・アレクは・・・・彼は言った。 「村のまわりにはたくさんの精霊がいましたよ。四季折々の草花の精、いつも森に入ると存在を感じる木の精・・・・水の精に土の精霊・・・・日に一度は僕の目の端をかすめていたなあ。」 マーニャが吹き出し、それはいくらなんでも嘘だ。精霊がそうたびたび人間の前に現われるはずがないとアレクの頭を拳骨でこつんと叩いた。アレクは顔を真っ赤にして、これは本当のことで自分に限らず村人は精霊や妖精をよく知っていたのだと主張したが、六人の仲間は大笑いした。 ただ一人、ブライだけが難しい顔をしていた。たしかに精霊たちが人間の前に現われるのは希なことだ。・・・・アレクは精霊をたびたび見たという。はたして彼は普通の人間なのだろうか。 まだ言い合っているアレクとマーニャの間に割って入るようにミネアが場所を移して外を見た。 「精霊といえば・・・・このあたりには非常に強い精霊の息吹を感じるのですが。村は近いのでしょうか。」 ブライが頷いた。 「ホビット族やエルフ族はわしら人間に比べてずっと精霊界に近い所に位置する種族じゃからのお。彼らは森の民。人間の世界の荒々しさやどぎつさを憎み自然と共存して暮らしておる。・・・・人間よりもずっと古い種族で長命であり、世の中の膨大な知識と優れた文化を持つ誇り高い種族・・・・その古い種族をこんな世界の果てに追い込んだのは我々人間じゃ。」 馬車の中は静まり返った。 「・・・・わしの直感も、村が近いことを告げておるが・・・・彼らは村の回りに、自分たちの村が見つからぬように”迷い”の呪文を張りめぐらしているに相違ない。魔力を持つ方々・・・・霊感が頼りじゃ。神経を集中なされよ。」 アリーナは口を尖らせた。 「爺。それじゃ私は役に立たないのね。」 「・・・・そういうことですな。」 アリーナは笑うクリフトの神官帽を平手打ちで薙ぎ払うとトルネコとライアンの間に膝を抱えて座り込んだ。ライアンはそんな姫の無邪気な嫉妬に低く含み笑いをした。 パトリシアは雪など一向に気にせぬ様子で木々の間をぬって走る。呪文を扱う仲間達はじっと瞑想していたが、ミネアとクリフトが同時に顔を上げた。 「・・・・なにか、邪悪なものが近付いてきますわ！」 アレクは馬をとめて様子を窺った。前後左右に気配はない。 「アレク！上だ！」 ライアンの叫びに素早く反応し、降り仰ぐと灰色の翼竜が二頭急降下してくるところだった。アレクは剣を構えたが、魔物の狙いは別のところにあるようだ。竜は前方の森の中に飛び込んだ。 ”きゃーっ！” 甲高い子供の叫び声がした。 アレクはパトリシアを全速力で声の方に走らせた。翼竜は茨の茂みに隠れた小さな二人の子供を鈎爪でひっぱりだそうとしている所だった。そして一頭は片足でむずと子供の胴体を掴むとすぐに飛び上がった。 「そうはさせるか！」 アレクは火球を翼竜の頭上にぶつけた。竜は驚いて上昇をやめ、子供をとらえたまますべるように森の奥に飛んでいく。そのすぐあとから別の一頭がもう一人の子の着衣をくちばしで銜えぶら下げて追う。 森の木々は竜の行く手を遮り、アレクたちに味方した。混みいった枝は魔物を上昇させるのを拒んだ。 アレクの後ろからライアンとアリーナが走ってきた。 「アレク殿！まず子供を！」 アレクは承知し、剣を横に構えると子供を捕まえている魔物の足を付け根から切り落とした。子供は足ごと地面に落ちた。足を失い苦痛に逆上した魔物は一直線にライアン目掛けて遅いかかった。ライアンは不動で魔物を見据え、気合いと共に魔物の体を頭から尾の先まで真っぷたつに裂いた。血飛沫が飛び、悪臭がたちこめた。 一方の魔物にはアリーナが追い付いていた。彼女はジャンプ一番飛び上がるとガーデンブルグの女王から渡された炎の爪で魔物の翼に傷をつけた。するとその部分が炎に包まれ、魔物は悲鳴をあげた。その拍子に銜えていた子供の服が口からはなされた。 「あとは任せろ！」 アレクは魔物の尻尾に飛び付き背中に陣取った。盲滅法に傷ついた羽で飛び回る魔物から降り落とされないようにしがみつき、アレクは魔物の首の付け根を奇跡の剣で貫き通した。魔物は断末魔の声をあげ、息絶えた。アレクは魔物が地面に激突するまえに飛び下りると、下から心配そうに見上げていたアリーナと笑顔をかわしあった。 クリフトを先頭にして、他の仲間達が息を切らせてやってきたとき、魔物につかまれていた子供はそのままぐったりと倒れており、それを守るようにもう一人の子供が覆いかぶさっていた。その姿をみてブライは呟いた。 「エルフじゃ。」 子供は華奢な体の造りで子供だというのにどことなく気品が感じられた。青い目は宝石のように輝き、顔の造作は美しいと言う言葉がぴったりしている。そして、長くとがった耳が細く優美に流れる髪の間から覗いていた。 ミネアとクリフトが傷の様子をみようとすると、覆いかぶさっている方・・・・女の子であったが・・・・は、鈴をふるような声で何事かを叫び、もう一人に触らせようとしなかった。 ブライが通訳になった。 「・・・・人間に弟を触らせたくない・・・・といっておる。」 女の子はさらに喚き立てたが、地面に血が広がっているのにクリフトが気付き、アレクとライアンとで無理遣りに弟から引き剥がされた。 「これは・・・・」 女たちは思わず目を覆った。魔物の爪がエルフの少年の脇腹に食い込みどくどくと血が流れている。半端な傷ではない。真っ赤に染まった傷口からは腸がはみ出ていた。 「もう・・・・とても・・・・」 ミネアが俯くと、ブライもライアンも重々しく頷いた。クリフトだけが首を振って傷を塞ぎにかかった。 「恐くないよ・・・・助かるからね。治るからね。」 人間の言葉は通じないとわかってはいたがクリフトは優しく呟き続けた。 「治る。治るさ・・・・君はまだ神様の国に行くのは早すぎるもの・・・・」 内蔵はあるべき場所に収まり血が止まった。傷口は徐々に徐々にふさがっていく。 やがて誰の目にもエルフの少年が命をとりとめたのがわかるようになった。エルフの少女は人間が弟を助けてくれたことが信じられないといった風に八人を眺め回していたが弟に寄り添うと血の気を失った頬にそっとキスした。 「クリフト、すごいすごい！」 アリーナが喜んでその場で跳び跳ねると、その振動が伝わってクリフトはパタリと倒れてしまった。 ブライが笑う。 「精神力の使いすぎじゃ。しばらくすれば回復するじゃろう。アレク、少々回復呪文をかけてやってくれはせんじゃろうか。」 アレクはクリフトの手をとって呪文を唱えようとしたが、うわっといって手を放してしまった。 「あの・・・・ブライさん。脈がないんですが・・・・」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「全く、お前さんという男は限度というものを知らんのか？」 ライアンに背負われ、ぐったりしているクリフトにブライは悪態をついた。アリーナも口を尖らす。 「クリフトってば、か弱いんだもの。もっと強くならなきゃ。情けないわ。ミネアさんが居なかったら、今ごろは天国で私のお母さまに叱られているところだわよ。」 マーニャは溜息をついた。クリフトが息を吹き返すまで一番騒いでいたのはこの姫で、気付いてから一番こきおろしているのもまたこの姫だった。 「お前さんの子供好きはよく知っておる。人助けしたいというのがお前さんの子供の頃からの決意だというのも知っておる。・・・・人助けはよいが、それで自分が死んでどうする。」 衰弱しているクリフトは、助けてくださいと言わんばかりにミネアを見た。 「・・・・まあ、いいじゃありませんか。クリフトさんもエルフの子も命を失わなかったのですから。・・・・自分の命と引き替えに他の人達の命を救う呪文を使ったわけではないのですもの。」 ブライは魔道士の杖の先の宝玉を袖で磨いた。 「ほう。そんな呪文が？」 ミネアはリアルマおばばから譲り受けた魔道書を取り出した。 「これの一番終わりに印記してありましたわ。もちろん使うべきではないと書いてあります。・・・・アレクからききましたが、クリフトさんがいっていらした生死を司る禁忌の呪文と同じようなものですね。」 後ろからマーニャが走ってきて”そんな呪文を使ったら、お姉ちゃんが承知しないわよ！”と叫んだ。 「もうっ！呪文を使ったら私は死んでしまっているのだから姉さんが承知するしないもないわ！」 エルフの少年は、アレクとトルネコが支え持つ毛布で作った担架の上で昏々と眠り続けていた。 一同の先頭を歩くエルフの少女が嬉しそうな声をあげた。 「”私達の村に着きました。”といっておる。」 八人の目には村の姿など見えなかったが少女は大きな木の横で突如姿を消した。それに続いて木の横を通ると・・・・ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ そこは美しい村であった。 緑をふんだんに使った・・・・というよりも森、そのものの中にエルフが住まっていると記したほうがより適当であろう。うっすらと雪化粧した街路には、冬に密やかに咲く雪白花が一列に植わっていた。それすらも自然で人工的な感じはしなかった。 村の入り口には美しい姿の背の高い大人のエルフたちが数人出迎えに来ていた。女の子が泣きながら飛び付いていったのが母親だろう。そのエルフの女性は担架の上の男の子を心配そうに覗き込んだが、心配ないと納得すると頬摺りした。エルフの男性がてきぱきと指示を出し、男の子は担架ごとエルフたちの手に引き渡された。そして指示を出していたエルフはアレクたちに向き直って話しだした。心地よい響きのある人間語だった。 「このたびは有難うございました。・・・・・よもや我々の一族のものが外の世界に冒険しにいくとは思っておりませんでしたのでこんなことが起こるとは考えてもみませんでした。・・・・あの小さな子供達の叫び声は私達の心の中に直接届きました。そしてあなたがたが何をして下さったかも”遠見”の能力をもつ仲間が知らせてくれました。・・・・残念ながら我らは人間を好みません。ですから、全員がお迎えにあがりはしませんでした。この村に人間を入れたことはないのです。しかしエルフは命を尊び恩義を大切にする誇り高い種族です。子供を助けるために衰弱した方もいる様子。私は友人としてあなた達を歓迎しましょう。」 ブライは疑り深そうに眉を上げた。 「・・・・よいのかな？あなたはまだお若いようだがあなたの一存で人間をいれて。」 エルフは笑った。すずやかな気持ちの良い笑顔だ。 「確かに私はまだ三百四十三才の若輩ですが、長老には話してあります。・・・・ここには出てきませんが村人一同喜んでいるのです。子供は村の宝なのですから。・・・・」 これには人間たちはどきもを抜かれた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その日の夕方には、クリフトは柔らかな草の香りがする枕に身を持たせて手先くらいは動かせるようになっていた。怪我をした男の子の母親である美しいエルフは、薬草を煮込んだスープを用意してくれた。それが大いに効いたようだ。軽い夕食が終わるとわらわらとエルフの子供達が数人部屋に入ってきた。怪我をした子の姉さんもいる。彼らは”人間”と呼ばれ、エルフからは嫌われている乱暴でがさつな種族がどんなものなのか、勇気を鼓して調べに来たのだった。 ところが、耳こそ自分たちと違っているものの、背の高さといい、相貌といい、自分たちの種族の大人とさして変わりのない生きものが静かにベッドに横になっているのを見て非常に不思議そうにした。アレクたちに助けられた少女のエルフは”ね！言ったとおりでしょう？”というように仲間達にめくばせしてみせた。元来小さい子供の相手をするのが好きなクリフトはエルフの言葉はわからなかったが、自分のそばに寄ってきた子供達が持っていた人形を動かしたり指遊びをしたりしているうちにすっかり打ち解けた。 しばらくしてアリーナがそれに加わってきた。彼女は本来、人に冷やかされなければ優しく世話好きな少女だったから、”人間の元気なお姉ちゃん”はすぐにエルフの子供達に囲まれてしまった。あまりの騒ぎに母親が覗きに来たときには、全員がベッドに座ってエルフの簡単な言葉で美しい可愛らしい歌を合唱しているところだった。母親は呆れ、子供達を返してしまうと、アリーナとクリフトに、暖かい仄かな甘さのある飲み物をカップ一杯よそってくれた。アリーナはベッドの端に座り、足をぶらぶらさせながら、少しずつカップから飲んだ。 「姫さま。・・・・ところで他の方々はどうなさったのですか？」 アリーナは口を尖らせた。 「皆は、この村の長老さまのところに行ったわ。私も行こうとしたら、”あなたはまだ幼い子供です。来る必要はありません。ご病人についていてあげなさい。”なんて占い師のような人に言われてしまったの。失礼しちゃうわ。なんだかエルフさんたちはアレクに用があるみたい。」 「私のことはなにか言っていませんでしたか。」 カップの中身を飲み干してクリフトは言った。 「ええ。伝えて下さいって言われたわ。”自らを犠牲にするだけで道は開かれるものではない。あなたはいつか大きな憎しみに身を委ねることになるだろう。しかし愛するものを危険に曝すとも最後まで神と共に歩め。”どういうことかしら？」 カップを胸の上に置いて考え込んだ。大きな憎しみとはなんだろう。愛するものを危険に曝すとはどういうことだろう。・・・・どうやらエルフの占い師は自分たちに試練を与えようとしているようだ。 アリーナが真剣な目で見ているのに気付き、クリフトは顔を上げた。。 「姫さま、何か・・・・？」 「・・・・さっきからカップを覗き込んでいるでしょう？そんなに欲しいのならまだ私のは半分残っているからあげる 」 クリフトはベッドにつっぷした。が、にこにことカップを差し出すアリーナの好意だけは十二分に受け取っておくことにした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 長老の館にアレクたちは連れていかれ、長老と言葉をかわしていた。 「そうか。・・・・あなた方は魔王を倒すために旅を続けているとな・・・・我々は人間でも魔物でもない。従って両者の間の争いには口出しはせぬが・・・・この森にも魔物の姿が増え始めた。決して見すごしてはおけぬ。」 ブライがエルフの里へ行く方法を尋ねると、長老は顔を曇らせた。 「いかにも、あの里は天空の剣があるとされている神聖な場所。しかし、その里に行くためにはある特別な道具が必要なのです。」 「その道具とは？」 長老は答えなかった。答えるかわりに一同を見渡した。眼光鋭いその眼差しは怒っているようであり悲しんでいるようでもあった。 「・・・・我らエルフは平和を愛する穏やかな種族。こうしてあなた方の前にいるだけでもかなりの苦痛なのです。・・・・皆さんからは血と殺戮の匂いがする。・・・・とても里に行く方法をお教えする気にはなれません。」 アレクが椅子から立ち上がり語気荒く言った。 「しかし！魔物を滅ぼさなくてはこの世界は闇に包まれてしまいます。・・・・魔物のために死んでいった人達の無念を晴らすために戦いは必要です。どうか天空の剣の場所への行き方を教えてください。」 長老は目を閉じた。 「世界を救うと言われる勇者がこのように争いを好むとは・・・・勇者よ。あなたの心はすさんでいる。あなたの目は優しさではなく憎しみに満ちている。」 長老の傍らにいた緑色の長いローブを纏った女呪術師が古ぼけた木の杖を振った。すると、真っ暗な何もない闇のなかに六人は投げ出されてしまった。仲間達の姿は闇のなかだというのにはっきり見えるが、長老の姿も呪術師の姿もない。 マーニャとミネアが不安そうに寄り添い、アレクは剣を抜いた。 声が響いた。呪術師の静かな落ち着いた声だ。 ”商人よ。あなたは人と人との心をつなぐもの。戦いはあなたの領分ではない。この場を離れよ。” キョロキョロと辺りを見回していたトルネコの姿がかき失せた。 また声が告げた。 ”占い師よ。風の精を操るものよ。未来を占うあなたの瞳は悲しみを知っている。この場を離れよ。” マーニャのそばからミネアの姿が消えた。 ”魔道士よ。長い年月を生きてきたものよ。あなたの知識は自然の理を解きあかすためのもの。この場を離れよ。” アレクを心配げにみつめていたブライが消えた。 ”戦士よ。” ライアンが目をあげた。 ”殺戮を繰りかえししものよ。しかしあなたは無常と空虚を知っている。この場を離れよ。” ライアンの姿も消えた。 マーニャはアレクのそばに近寄った。彼女にはエルフの言いたいことがわかった。 ”踊り子よ。火の精を操るものよ。あなたは自らの感情の激しさに今気付いた。この場を離れよ。” マーニャが消え、アレクが一人残された。光のない空間。呪術師の声も聞こえてはこなかった。 「一体僕に何を伝えたいのです？何故話してはくれないのです！」 体から燐光をコウモリの大群が襲いかかってきた。アレクは呪文で火球をぶつけ、残ったコウモリを剣で切り落とした。足元に赤い血の池ができ、それはいやに鮮やかな色で目に焼き付いた。 ”あなたの進む道は血の道。あなたは命を奪うもの。” 「それはわかっている！しかし僕は殺さねばならない。人々を救うためには邪悪な魔物を滅ぼさねばいけないんだ！」 あたりは再び静まり返った。耳が痛くなるほどの静寂が訪れたのち、再び声は言った。 ”そうでしょうか？あなたの心は、人々を救いたいという優しさよりも復讐に燃える憎悪で満ちあふれている。” 闇は消え、アレクは何時の間にか、故郷の村に立っていた。家々が燃え、シンシアと語りあった花畑は毒の沼に変わっている。焼けただれた村人の死体があちらこちらに散乱している。アレクの旅が始まった運命の日、そのままだった。 「これは・・・・」 アレクの心の中に再びいき場所のない怒りがこみあげてきた。涙をこらえてこぶしを握り締め、俯いてから顔を上げると毒の沼の真ん中に、仮面をかぶり白いローブを羽織った魔道師がすうっと立っていた。 「お前が・・・・お前が村を壊したのか？父さんや母さんを殺したのか？」 魔道士は何も言わなかった。それをアレクは肯定の意味に受け取った。 「覚悟しろ！」 アレクは剣を構え、魔道士に向かって突き進んだ。血飛沫が飛び、仮面が砕け散った。白いローブの魔道士はその場に崩れ落ちた。アレクは肩で息をしながら倒れた魔道士の屍を見下ろした。 アレクは目を疑った。 仮面の下に隠されていた顔は、シンシアの白い優しい顔だった。シンシアは目を閉じ、もう開くことのない両の目蓋からは一筋の涙が流れ出ていた。 「何故だ・・・？これは一体・・・・・？」 村の風景はかき失せた。シンシアの遺体だけはしばらく残っていたがそれも闇に包まれて消えた。 エルフの声がした。 ”あなたを突き動かしているものは憎しみです。しかしその怒りの奔流はいつもあなたが大事に思っているものを壊してしまうのです。愛や優しさを・・・・・・・・昔からこの世界には幾度となく争いがおこってきました。人間と人間の間の戦の他にも、今度のような魔族と人間との争い、或いは人間とエルフとの争い・・・・争いを起こすものは、自分たちこそ正義だと考えて疑うことをしないものです。今のあなたのように。 魔王に対する戦いはおそらくは神の前においても正義ではありましょう。しかし、疑いやためらいのない殺戮は悪魔の仕業に他ありません。あなたは今は悪魔の心に毒されている。・・・・あなたには世界は救えない。平和はは憎しみで敵をねじふせて得るものではなく愛で勝ちとるものです。 ・・・・もちろん魔王は剣でなくては倒せはしないでしょう。しかし、あなたの剣が憎しみの剣である限り決して魔王を倒せはしない。” 闇が晴れた。 アレクの前にはマーニャが立ち、心配そうに肩を掴んで揺さ振っていた。アレクは震えていた。自分の剣は憎しみの剣・・・・確かにそうなのだ。憎しみ・・・・ああ、それでは魔族たちと同じではないか。自分たちの敵を殲滅するための剣・・・・・ 仲間達はじっとアレクを見ていた。アレクは仲間達が自分と同じものを見ていたのを知った。彼はその場にいることができなくなって長老の館から飛び出していってしまった。ミネアが追おうとしたがマーニャが止めた。 「あたしたちと話したくはないわよ。きっと・・・・」 一番星が光り始めていた。アレクはふらふらと村の道を歩いていたが、数人のエルフの子供達が歩いているのにぶつかった。子供達はアレクの殺気立った目に驚いて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。一人だけが残っておずおずとアレクの手を引いた。アレクたちに助けられた少女だった。彼女は友人を送りに出ていたのだ。少女はアレクの手をしっかり握ると自分の家の方に案内していった。 ベッドに寝て小さな声でアリーナに物語をしているクリフトの姿を見たときにアレクは体の力が一気に抜けて床に這いつくばった。アリーナがアレクの肩を支えると、アレクはクリフトの枕元までよろけながら近付いた。クリフトは驚いて身を起こした。そして三才下の少年の表情に暗い影がさしているのに気付くと落ち着くように背中をさすってやった。 「クリフトさん。祈ってください。僕の卑小な心のために。憎しみの炎を消すために・・・・憎しみの剣を優しさの剣にするように。」 クリフトは無言でアレクの背をさすり続けた。そして独り言のように囁いた。 「神はすべてを許して下さる。欺瞞も裏切りも過ちも・・・・憎しみも・・・・おそれることはありません。憎しみはすべての人間が持っている感情。アレクの剣は憎しみの剣であり優しさの剣。仲間達はわかっていますよ。・・・・そしてこれからは優しさの剣に近くなっていくことも。」 アリーナが口を挿んだ。 「・・・・難しくてよくわからないけれど、アレクは悪くなんかないわ。アレクは強くて、邪悪な魔物をやっつけているのですもの。エルフさんたちが何をいっても気にしちゃ駄目よ。」 アレクは、この姫の幼さが救いになって、思わずアリーナをきゅっと抱き締めた。 「え？何！」 アリーナが反射的に足払いをかけるとアレクはその場に転倒した。彼は起き上がり、じっとクリフトを見つめると部屋から再び走りだして行った。すぐに寝室の窓から、激しくなった雪の中を疾走していくアレクの姿が認められた。 「アレク！どこ行くのよ！」 アリーナがあとを追った。神官は、追おうとして、力の萎えた体を支え切れず、寝台から転がり落ちた。彼は悔しげに寝台から垂れ下ったシーツを握り締めた。まだ神の道を極めぬ若い神官であったが、彼は彼はアレクのそばに居てやりたかった。苦しみの半分を受け持ってやりたかった。・・・・しかし強靭な肉体をもたぬ彼には追うことさえできなかった。 もしも自分がアレクやライアンのような剣の使い手であったら魔物を殺し、殺すことに一種の喜びを感じていたかもしれない。彼自身は殆ど剣が使えぬためそんな思いが冷静に頭の中に浮かんでいた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「あー、やっと追い付いた。」 エルフの村の外れまで来て、アリーナは一気に速度を上げてアレクの前にぴょんと飛び出した。 このお転婆姫には、アレクがなぜ苦しんでいるのかさっぱりわからなかったが、とにかく苦しんでいるのを放っては置けなかった。なるべく気楽な雰囲気を作ろうと姫は微笑んでいたが、アレクを見てぎょっとした。 アレクはその緑の瞳からはらはらと涙をこぼしていた。素手ならば自分の方がずっと強いが、剣を持たせれば（悔しいことに）自分が及びもつかないほどに強い”勇者”がこのような泣き方をするなどとアリーナには信じられなかったのだ。 「・・・・アレク風邪をひくわ。帰ろう。」 アレクは首を振った。 「いや・・・・今は帰れない。僕は答を出さなくてはいけないんだ。アリーナは戻るといい。」 どんな質問をされたというの？とばかりにアリーナは口を尖らせた。そしてアレクが姫を戻らせようとしているのが気に入らなくて言い返した。 「とにかく風邪をひくのは絶対にいけないわ！それから、外出をするときには、必ずいつ帰るかどこに行くのか断ってからしなくちゃ。私、何遍もブライやクリフトに言われたわ。・・・・私が一緒なら問題ないわ。もしもアレクがどこかに行きそうになったら皆に私が知らせに行けるもの・・・・とにかくあったかい所を捜さなくちゃ。」 アリーナは積もり始めた雪をみたがどう考えてもまだ雪穴が掘れるだけの量はなかった。そして古びたわ藁屋根の納屋らしき所を指差した。アレクは元気のいい姫に片手を掴まれてのろのろと納屋に入っていった。 姫は赤い綺麗な髪についた雪を払い落とし、ぼうっと立っているアレクの頭からも飛び上がりながら雪を落とした。そして、アレクが納屋の中にあった藁に腰を下ろすと自分はぴったりと彼に寄り添って膝を抱いて座った。 賢明にも姫はしばらく何も言わなかった。それでアレクは激情を沈め、冷静に考えることができるようになった。憎しみの剣を優しさの剣に・・・・意味はわかる。しかしどうすればいいのだ。魔物たちを憎しみの力で殺してきた自分をどう変えればいいのだ。幻とはいえ最愛の娘の命を奪った自分に魔王と戦う資格があるのか？ アリーナはぶちぶちと藁を千切っていた。彼女はブライやクリフトに慰められたことはある。しかし自分で他人を優しく時間をかけて慰めたことなどなかった。だいたい何故アレクは暗い顔をしているのか？魔物を倒すことは良いことではないか。 「・・・・何故魔物を殺すことがいけないの？」 アレクは姫がぼそりと言ったのに答えた。 「・・・・殺すことそのものではなく、殺すときの僕の心が問題なんだ。・・・・殺すことに酔い痴れている僕の心が・・・・・」 アリーナは、自分が書き貯めてきた”魔物退治の帳面”のことを思い浮べた。つぎつぎと新しい強い魔物に出会い、それを退治していく。姫にとってはそれは楽しいことだった。魔物を引き裂くときも、相手の返り血が自分にかかってくるときも、あまり後ろめたさは感じなかった。しかし、アレクが隣で悩んでいるのを見ると、後ろめたさを感じていない自分は非常に冷酷な人間ではないのかと急に心配になってきた。そしてアレクに逆に尋ね返した。 「私のほうがアレクよりも魔物をなんのためらいもなしに殺してる。私の方が罪は深いわ。そうじゃないの？」 「アリーナは殺すことにためらいを感じたことはないのかい。」 姫は膝を抱え直し、視線を宙にさまよわせると年上の少年に素直に返事をした。 「あるわ。・・・・自分からじゃないけれど。クリフト・・・・クリフトは神官だからいろいろとうるさくいうの。そして言われてみると、とっても自分が悪かったって思えてきてしまうのよ。・・・・たくさん魔物をしとめて有頂天になっていたら”姫さま、魔物とて生きものなのですからそんなに誇らしげにいうものではありません。”と怒られたわ。それから、バルザックって人をやっつけたときもそうよ。私はバルザックを倒して嬉しかったのに、クリフトがお祈りをしているのを見て、なんだか自分が悪かったような気になってしまった。この頃は凶悪な魔物ばっかりだからそうでもないけれど、クリフトががちゃがちゃいうものだから、ミントスあたりでは怯えた目をした魔物に出会うと、倒そうかどうか躊躇してしまった。敵を前にして躊躇するなんて武人のすることではないわね。全くクリフトは弱虫なのに言いたいことをいうから・・・・サントハイムの男なのに情けないわ。」 アレクは、アリーナに、”君の戦い方は憎しみにあふれた戦い方ではないよ、まだ君は小さいからわかりにくいかもしれないけれどと”厳かに告げた。 小さいと言われ、姫の自尊心はいたく傷つけられた。 「じゃあ、どんな戦い方だというの？」 ハシバミ色の瞳で少女は少年を睨み付けた。 少年は自分自身に問うように少女に問うた。 「なぜ、君は戦い始めたの？僕の仲間になる前に。」 この問いはアリーナにとっては答えるにたやすい質問だった。彼女はいきいきと瞳を輝かせながらアレクにまっすぐ向かいあった。 「強くなるため！どんな人よりも強くなるためよ。そして魔物に苦しめられているサントハイムの人々を救うため。もちろん城のみんなやお父さまを救いだすため！」 アレクは、この少女の戦う力の原動力になっているものが”希望”であることを悟った。自分の胸のうちに渦巻くどろどろとした憎しみではないからりと晴れた青空のような希望・・・・ 血なまぐさい日々、普通の少女ならば、先頭にたって戦おうとはしまい。そして戦いが続けば、いくら明るく元気なアリーナでも心がすさんでくるはずだ。しかしアリーナの心にはすさみは感じられなかった。彼女が道を踏み外そうとするたびに、正しい道を示してくれる存在があったからだとアレクは思いいたった。彼女の戦いの背後には、いつも見守る二人の家臣がいた。全幅の信頼をおける老いた賢者と、情けないの、弱虫だのと馬鹿にしながら、無意識のうちに姫が頼りにしている優しい目をした神官と・・・・ アレクは少しだけ出口が見えたような気がした。 「アリーナは幸せだね。いい御供に恵まれて。」 アリーナは綺麗な髪をくしゃくしゃっと手で掻き回した。 「・・・・よくないわ。二人とも本ばかり読んでいて武人ではないのだから。三人で旅をしていたときも私がいたから魔物とわたりあえたのよ。じいやはともかく、クリフトなんか、”寄るな！寄ると私はお前を殺さなくてはならなくなる！”なんて言って逃げ回ってたのよ。お城では口を開けばお転婆はやめて女らしくしろだの早く婿をとって王国を繁栄させろだの・・・・」 アレクは小さく笑った。アリーナはアレクの笑顔を見て嬉しくなった。 「アリーナは仲間達が好きかい？」 姫は頷いた。 「僕のことも？」 姫はまた頷いた。そして、腰に下げた物入れをごそごそとさぐると、小さな木の実を二つ取り出した。 「篭城用の食料。クリフトがくれたわ。味は悪いけれど栄養はたっぶりよ。」 カリカリカリ・・・・リスが胡桃を齧るように音をたてて二人は木の実を食べた。そしてアリーナはほとんど真っ暗な納屋の隅に藁を集めて寝床らしきものを拵えるとここで寝ようとアレクを呼んだ。アレクは横になったものの、アリーナがすぐそばに寝転がったのに驚いて起き上がった。 「君は女の子だろう？男の僕のそばで寝てどういうつもりだい？」 アリーナは不思議そうに言った。 「私が小さい頃、私が訳もなく悲しくなったときは母さまが私のそばで寝てくれた。クリフトも私の枕元でお話をしてくれた。お父さまもじいやもそうよ。私が眠るときにはそばにいてくれた。どういうつもりってどういうつもり？」 アレクは、この無邪気な姫の物言いに反論しようとしたが胸になにかがひろがっていって言葉を気管の途中でつまらせた。 そばについていてくれる人々・・・・ 今の自分にとっては七人の仲間達・・・・・ アレクは目を閉じた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 彼は夢をみた。 分厚い緑の木々のカーテンに囲まれた高い高い灰色の石造りの円形の塔。 塔の最上階には小さな窓が開いていた。塔の無機的な冷たい灰色に対し、窓の中からは暖かなほの赤い光が射していた。 窓辺には一人の乙女が立っていた。顔はぼんやりとしてわからぬが薄紅色の長い髪を風に揺らしてこちらに向かって手を差し伸べていた。 ”誰か私の願いを聞いて 届いて・・・・私の思い・・・・ この世界を救う人のもとへ 平和と安らぎを愛する人のもとへ 悲しみを知り、優しさを持つ人のもとへ・・・ 止めてください、この世が滅亡へと向かうのを 血が流れ、命が失われるのを 自然の営みがねじ曲がり途絶えるのを 憎しみの溢れ出るのを 止めて！あの人を！ 風よ 水よ 火よ 大地よ 空よ・・・・・ ・・・・・大いなる者よ・・・・ 伝えてください 私の心を・・・・・” 乙女は涙に濡れた瞳をアレクに向けた。 ”私の願いを・・・・・” ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 目が覚めた。 戸の隙から眩しい朝日が差し込んでいる。ひどく吹雪いたのだろうか。窓の下の床にはうっすらと白いものが積もっていた。 ”あの人は僕を呼んでいた。・・・はっきりと・・・・・・・” 彼は立ち上がろうとして苦笑した。アリーナの片足が自分の腹の上に乱暴に投げ出されていた。姫はくうくう眠っている。アレクはそうっと足をどけると藁を姫のまわりに掻き集めて山を作った。姫は何やら寝言を言うと寝返りを打った。 「み〜つけたっ！ 」 マーニャのキンキラ明るい声が納屋に響いた。 「ほ〜ら、居たわよ。ミネアの勘は良く当たるでしょう？」 アレクはすっくと立っていた。マーニャは真面目な・・・・マーニャに似合わない真剣さでアレクを見た。 「もう・・・大丈夫？」 少年は窓を開け放し、光を浴びた。 「ええ・・・・まだ・・・・僕の剣は優しくはないけれど・・・・・」 マーニャに続いてライアン、ブライ、ミネア、トルネコが入る。クリフトもよろよろ入ってきてアリーナを抱き起こして叱った。 「姫さま！この有様は一体なんですか！黙って出ていったきり。心配をかけるのもいい加減にして下さい。」 しかし姫はねぼけ眼をうっすらと開くと眠たげにぴしゃりと神官の頬を打ちぽりぽりと脇腹を掻いた。呆れるクリフトの横でアレクはしゃがみアリーナの前髪を綺麗に分けてやった。 「この小さなお姫さまは僕の心を暖かくしてくれました。クリフトさん・・・・もう一度僕のために祈ってください。僕が、僕を支えていてくれる人々の存在をいつも感じていられるようにと・・・・」 神官は祝福をアレクに与えた。 ライアンは腕を組み、ぎょろりとした目を誰にもわからぬほど少しだけ細めた。彼にはアレクがまた一段成長したのがわかった。心の成長は剣の腕に結びついてくれることだろう。 アリーナが小さなあくびをして目を覚ました。みんなが揃っているのに気付くと少し頬を赤くしてブライの隣に並んで立つ。 「みんな。僕は夢をみたんだ。森の奥、石造りの塔の上で、一人の女の人が僕を呼んでいた。・・・・何か意味があるに違いないと思う。ただの夢があんなにはっきりしているはずはない・・・・」 そのとき、納屋に新しい人影が入ってきた。長老と占い師だった。彼らはアレクを前にして穏やかに告げた。 「勇者よ。やっと声が届きましたか。あの声は勇者を呼ぶ声。私達と同じ種族のエルフの娘がずっと祈り続けている声です。私達は彼女の声を聞き、勇者がやってくることを心待ちにしていたのです。憎しみの炎しか胸のうちに秘めていないものはあの声を聞くことができません。・・・・・しかし勇者よ。あなたは憎しみ以外の感情を見付けましたね。・・・・お出かけなさい。・・・・ここはまだ森の入り口。ここを東に行ったところに川があります。浅く緩やかな流れですから馬車でも越せましょう。流れを渡ったなら南東へとずっと行くのです。あなたが夢で見た地、エルフやホビット・・・・さまざまな種族が住んでいる村にたどりつけるでしょう。昔はそこにエルフの王国がありました。今はただの小さな村ですが・・・・エルフの里へ行くための道具はそこで在処がわかるはず。言い伝えによれば、古代エスターク帝国の王は地獄の帝王であったはず。その帝王を倒したのは天空の剣。魔王が滅んだあと、神は剣をエルフの里の世界樹の頂上に守り置きました。しかし、敗残の魔族は力を振り絞ってエルフの里を外界から封印したとか。いきさつを知るものが必ずあるでしょう。」 アレクは長老と握手した。占い師が合図すると、エルフたちが駕篭一杯の食料を運んできてくれた。それに続いて、小さなエルフの子供達が”元気なアリーナお姉ちゃん”に金色の髪飾りを手渡した。母親がにこりと笑いなにごとか早口に言った。長老が人間語にして伝えた。 「魔力を秘めた髪飾りです。敵のかける混乱の魔法にかかりにくくなるはず。とっておきなさい。青い色をしたバッタの姿をした魔物が混乱の魔法をかけてきます。ご注意を・・・・」 アリーナは王女が貴賓に対してする最上級のお辞儀の仕方で礼をした。 村のはずれまでエルフたちは見送ってくれた。子供達はお気にいりの二人・・クリフトとアリーナ・・に名残惜しそうに寄り添い、いよいよお別れというときになって歌を歌ってくれた。八人が大木の横から村の外にすうっと消えて居なくなると、アレクに助けられた女の子があとを追おうとして母親と父親に引きとめられた。女の子は反抗的な瞳を両親に向けたが尖った耳の先をしょんぼりとたらして留まった。 長老は目を閉じた。 子供達はいつかこの閉鎖的な森の村から広い世界を見に出ていくことだろう。 勇者よ。それまでに・・・・エルフやホビットも人間と共に暮らせるような平和な世界をつくってくれ・・・・・ |
| この章はアレクのための話です。 最後の敵とアレクは表と裏の存在ですが、それは同じ平面に焼き付けられたもので、 何かがあればすぐに表は裏と一体になってしまうものでしょう。 ロザリーの声はゲームの中ではイムルの宿屋に泊まりさえすれば聞けましたが、 ここではアレクに真の勇者として戦う準備が整って初めて聞くことができるという風にしてみました。 ・・・・・ロザリーの血を吐くような心の叫びを、復讐心だけでここまできたアレクにはそのままでは理解してほしくなかったので・・・・ それにしてもアリーナが子供っぽいですね。 彼女には勇者の救いの一端を担って貰っています。 少し蛇足になりますが、クリフトが話す精霊の話には元ネタがあります。 アーダルベルト・シュティフターというドイツの作家が書いた「水晶」（岩波文庫）という短編小説です。 私の大好きな作品です。 |