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| 「ライアン殿、女だけの国とはどんなものであろうかの？」 夕食の準備をしながらブライがライアンに訊ねた。 ライアンは手近な石を積んでかまどを造りながら答えた。 「文字どおり、女たちばかりが住む国であろう？」 「いや・・・・そうではなく、どんな雰囲気の国じゃろう。」 水を汲んできたトルネコが鍋に水をあけて笑った。 「それは我々にとっては天国でしょうな。野暮な男がいない美しい女性ばかりの国。楽しみですなあ。追い返される前に町の様子くらいは見られるでしょうからな。」 トルネコを手伝ってきたアレクもほんのり頬を染める。ライアンはだからなんなのだと言わんばかりの顔をして作業を続けた。クリフトはライアンの味方をして、やれやれというように両手を軽く上げる。ブライは面白そうにからかった。 「お前さん、若いみそらでおなごに興味がわかないか。・・・・病気ではないのか？」 「以前にも申し上げました通り、私は木石ではありませんが・・・・ご婦人方は修業の邪魔です。」 マーニャは結構力を入れて神官の大きな帽子を殴った。 「邪魔で悪かったわね！これだから男って奴は嫌いよ。家の仕事はろくにできないくせに、なにかといっちゃ女の悪口を言って。・・・・うふっ。でもそうやって強がりいうところが可愛いのよね 」 マーニャは一番色っぽいと自分でも思う角度で神官を見上げ、バッチンとウインクした。クリフトは真っ赤になりいそいで十字を切る。彼はマーニャが自分をからかっているのは重々承知していたが、美しい娘にこう迫られては理性を保つのが精一杯といったところだ。 ミネアとアリーナは一緒に薪の準備だ・・・・といってもミネアは薪を揃える静かな仕事、アリーナは薪を素手で割る荒っぽい仕事だ。ミネアはクリフトに迫る姉を見て呆れ、アリーナは今度はアレクを捕まえてからかうマーニャにあかんべえして見せた。 「おかわり！」 アリーナは三杯目を元気よくミネアに差し出した。 「姫様！いくらなんでも食べすぎですぞ。」 ブライがたしなめるがアリーナは笑った。 「だってミネアさんの味付けしたスープは美味しいんですもの。」 マーニャがクスクス笑う。 「あ〜ら。今日の仕上げはあたしよ。」 「・・・・・そういえばいつもより美味しくないわ・・・・」 これは穏やかでいろというのが無理な話だ。 「何よ！くいしん坊。」 ミネアが慌てて間に入る。 「年下の子に突っ掛からないでよ、姉さん。アリーナは私達よりもずっと運動量が多いのだから食べて当たり前。ほら、前に出て戦っている人達はみんなそれだけ食べているわ。」 まだ二杯目を食べていたクリフトと、とっくに三杯目を食べおわっていたトルネコが肩をそびやかす。 「まあね。あたしも大人げなかったわ。でもお姫様はたくさん食べても全部消費しちゃうみたいね。手足なんか細くって羨ましいわ。」 アリーナはマーニャの言うことを無視してミネアにシチューをついでもらっている。シチューは皿を半分満たしただけでおしまいになった。 「よったら僕のをあげようか？」 アレクが皿を差し出すとアリーナはプイと横を向いている。気まずい雰囲気がたち篭めて、アリーナ、アレク、マーニャは殆ど背中合わせで夕食を終えた。 夕食後、トルネコが、森で温泉を見付けたとマーニャに話すと彼女は喜んで湯浴みに行くと主張した。 「今夜は満月で森は歩き廉いし、昼間は砂埃がひどかったわ。ね。ミネア、それにお姫様も行こう。」 ミネアはアリーナを宥めて連れていった。マーニャは振り返ってウインクした。 「覗きにきたっていいわよ そんな度胸ないでしょうけど。」 残った男たちはアリーナの機嫌が近ごろ斜めなのを気にしていた。 「私には娘心はわからぬ・・・・」 ライアンはいち早く匙を投げた。 ブライは杖を脇において焚火に手をかざした。 「理由の一つはわかっておる。アレク殿への嫉妬じゃ。」 クリフトが頭を掻く。 「姫様は女ですよ。姫様がアレクを好きでマーニャさんに嫉妬するなら話はわかりますが。マーニャさんを好きでアレクに嫉妬しているとお思いなんですか??」 「馬鹿もん！・・・・姫様は世界一強くなりたいという望みを持っておられる。しかし、アレク殿がどんどん力をつけてきてだんだん自信がなくなられてきたのじゃ。・・・・おなごじゃから男には力ではかなわぬことはわかっておられたはずなのじゃが。しかしそれだけではないような・・・・」 アレクは複雑な思いでブライの言葉を聞いていた。そうだとすればそれはアリーナが乗り越えるべきことであって自分たちには何もできない。アレクがふうっと溜息をつくと、トルネコがにやにやと笑って森を指差した。 「な・・・・なんですか。」 「男子たるもの、覗きにきてもいいと言われたら、覗きに行くのが女性への礼儀だ。さあ、二人で行ってこい。」 クリフトが慌てる。 「わ・・・・私は覗きなど！」 トルネコは口笛を吹く。 「ま、二人ともマーニャちゃんの言うとおり度胸がないからな。」 ライアンはのんびりと剣の手入れをしている。 「普通、あんたたちくらいの青年は必ず通る道なんだが・・・・ちっとも恥ずかしいことじゃないんだぞ。かく言う私も、御老人だってそうでしょうが。」 ブライはごほごほ咳き込んだ。クリフトはすっくと立ち上がるとアレクを引っ張って行った。 トルネコはくすくすと笑い続けた。 「いやはや若いということはいいことですなぁ。」 アレクはクリフトにずるずる引き摺られていった。しばらく背の高い神官に引き摺られるままになっていたが足でブレーキをかけた。これ以上ないというほどに顔は真っ赤だ。 「クリフトさん、ほ、本気で覗きに行くつもりですか。」 クリフトはきょとんとした。 「まさか。からかわれていづらくなったからですよ。私は姫さまたちの護衛をしようと・・・・魔物が出てきても裸で戦う訳に行かないですから。アレク、君、覗くだなんて考えていなかったでしょう？」 ”つもりだったんですが”というわけにもいかず、アレクは赤くなりっぱなしだ。 「マーニャさんたちを覗いたら、即座に攻撃魔法がとんでくる、それを覚悟の上ならば行ってくるといい。姫さまはまだ子供。ドレスを着て走り回り泥だらけになられたときにはいつも聖堂の裏手の庭でお風呂を使わせていたものですよ、私は。」 アレクはそれはどれだけ前の話だったんだろうといぶかったが、神官はアレクをからかい続けた。マーニャにからかわれ続けているお返しといったところか。 「・・・・とはいうものの、私も気にならないといえば嘘になりますが。」 クリフトが小声でアレクの耳に囁くと二人はその場で大笑いした。 「あ〜、いいお湯！」 マーニャは長々と手足を延ばし、一回じゃっぽんと頭まで潜った。 「考えてみればアネイルの温泉以来こんなにのびのびとお湯につかったことはなかったわ。あ〜、生き返る。極楽極楽！」 温泉の畔には可憐な黄色い月見草が一輪咲いていた。マーニャはそれを千切って後ろを向いて湯に浸かっているアリーナの髪にさしてやった。アリーナはそれを払い除けた。 「お花は咲いているところにあるのが一番綺麗なのに！」 月見草は湯の上に漂っていたがやがて沈んでしまった。 「相変わらず可愛くないわね！」 ミネアは心配そうに二人の様子を見ていた。姉の口の悪さはもとからだが、この頃のアリーナは明らかに変だ。アリーナはマーニャから離れ、両腕をしっかりと胸の前で合わせて体を固くしていた。ミネアは髪飾りを外し、静かにアリーナに近付くと持ってきた樹の葉を揉んで髪にこすりつけた。そしてにこやかに微笑んでアリーナに木の葉を渡した。 「髪がしっとりするの。アリーナも使ってみたらどうかしら。」 アリーナはコクンと頷いて手を出して葉を受け取るとミネアと同じようにした。ミネアはほっと息をついた。 「アリーナはいいわね。・・・・肌が透き通るように綺麗で・・・・」 そうふと洩らした言葉にアリーナはカチンと来たらしい。”綺麗じゃないわ！”と怒鳴ると服を抱えて湯から出ていってしまった。 「湯冷めしないかしら・・・・」 ミネアが心配するとマーニャは放っておきなさいとにべもなく言った。 「隣にちっちゃな温泉があったからそこにいったわよ。髪に葉の汁を塗り付けたままじゃあがれないもん。・・・・ミネア、あんたあのお姫様にえらくご執心じゃないの。」 「・・・・あの子は難しい年頃ですもの。私たちがあのくらいのときのことを思い出すの。」 「人に花さしてもらって嫌がるなんてことあたしはしなかったわよ。」 ミネアは姉のそばに寄った。 「姉さん、私達がお姫様くらいの年には、野原で花をつんで飾りあいっこをしたわね。綺麗になろうって、花輪をつくったり髪にさしたり。・・・・いわゆる思春期よ。」 「うん。あの頃はおばば様に聞きながら洋服を工夫して縫ったりもした。初恋もあの位の年だったかな。」 「そう。私達にはおばば様や村のおばさんたち、友達の女の子やそのお姉さまたちがいたわ。・・・・でもアリーナには誰もいない。お姫様のお母さまは小さな時になくなった。お城の中には侍女の方々がいらしたろうけれど、旅に出てからはブライさんにクリフトさんだけ。あの二人に体や心の変化についての不安を打ち明けられるはずがない。男の方ですもの。お姫様はなんでも一人で解決してきたのよ。ストレスがたまるのは無理ないわ。困ったことにアリーナは女の子なんてつまらないと思っているし・・・・」 マーニャは湯の中に潜ってぷはっと顔を出した。 「・・・・確かに問題よね。・・・・あたしたちが頑張らないと駄目だわ。あとは男ばっかりなんだから。」 アレクとクリフトはまだ森の中に居た。クリフトはどっかと腰をおろし、ランタンをつけて聖典を読み始めたが、アレクはなんとなくマーニャたちが気になってしかたない。 ”アレクは純情だな。” クリフトは微笑ましく思った。 「アレク、私は他に温泉がないか調べてくるよ。君も入るといい。どうやらここらへんには邪悪な気配は全くないようだから。」 アレクは固い表情で頷いたきりだ。 神官はぶらぶらと歩いていったが、小さな温泉のそばの岩の上に湯から上がって座っているアリーナの赤い髪を見付けた。神官は声をかけようとして息を飲んだ。姫はしっかりと服を身につけていたが、タイツをはいていない素足は、細いものの娘らしい曲線をおびていたし、まだ水がしたたっている髪は哀しそうな瞳とあいまって妙に大人びた印象を与えた。神官は、彼が愛していた小さな可愛い姫ぎみがもう幼くはないことを感じ、もう肩の上に抱き上げることはないのだろうと寂しく思うと共に、それと入れ替わって別の感情が沸き上がってくるのを押さえることができなかった。 妹のミリムへの慈愛に満ちた感情とも王妃に向けた憧れの感情とも違う・・・・その感情を持ってしまった自分に対し、彼は畏れを感じ、恥じた。 「誰かいるの？」 タイツをはきおわったアリーナが言った。 「姫さまですか？」 いまやってきたというように装ってクリフトはアリーナの前に立った。アリーナは髪をもう一度絞った。水が地面に落ちた。 「迎えに来てもらうほど長かったかしら。クシュン！」 アリーナは小さなくしゃみをした。神官は神官衣を脱いで姫に優しく着せかけた。 ・・・・今までと同じように・・・・ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「では、そろそろ休むとしましょうか。」 アレクは大あくびをした。慣れないタイプの緊張をしたせいかどっと疲れが出た。 「じゃあね、勇者ちゃん。お・や・す・み」 マーニャは投げキッスして馬車のなかに消えた。女達は馬車の中で眠りにつき、男たちは外で寝袋の中に入っている。もっとも今日は寝入り端の見張り当番でミネアとアリーナは焚火の横だ。 アリーナは焚火にあたりながら髪をリアのブラシでとかしていた。髪はミネアから貰った葉のせいか、いつもよりも美しく輝いてみえた。 ミネアは焚火に小枝をくべた。 「ねえ、・・・・今日はマーニャ姉さんとかなり激しくやりあったわね。」 アリーナはブラシを置いた。 「姉さんのこと、嫌い？」 「嫌いじゃないけど、好きになれないの。」 「姉さんは口が悪いけれど悪い人じゃないわ。」 アリーナは膝をかかえて俯いた。 「・・・それもわかってる。」 「・・・・・じゃあ、姉さんのどんなところが嫌いなの？」 アリーナはしばらく考えてから口を開いた。 「私はマニキュアをした長い爪も、大きなきらきらした髪飾りも腕輪も好きじゃないの。」 「あら・・・・それは私も同じ。みんな姉さんとお揃いですもの。・・・・そんなことじゃないでしょう。あなたはきっと姉さんのふるまい方に頭にきている。姉さんは”私は女の子よ！大切にして頂戴！”ってはずかしげもなくいう人よ。男の人達の前でしなを作ったり投げキッスするのも日常茶飯事だわ・・・・あなたは自分が女の子であることが嫌なんですもの。姉さんには我慢ができないに違いないわ。」 アリーナはミネアを見た。そしてこっくりと頷いた。 「でも、あなたは女の子。だから私はあなたが女の子でよかったって思うようになってほしいわ。・・・・私も小さい頃男の子になりたいって思ったわ。女の子は大きくなっても家に居なくちゃならない、女の子は損だ・・・・って。でも男の子になれるわけはないでしょう？」 「でも、私はやっぱり女の子は嫌だわ！」 ミネアはアリーナを立たせてくるっと一回りさせた。 「もうその服は小さくなっているわ。腰回りと胸。何かを巻いて締め付けているのだろうけれど窮屈でしょう。」 アリーナはしばらくしてから頷いた。 「いつのまにかこうなっちゃったの。揺れて動きにくいし、服はきつくなってくるし・・・・でも爺やにもクリフトにも言えなかったし、私、へっこませようと思ってぐるぐる布で締め付けたけどどうにもならなくって。」 ミネアは微笑んだ。 「女の子なら体が変わってくるのは当たり前。押さえ付けたら苦しくなるだけ。服にゆとりをつくれば前と同じように動けるわ。私が縫いなおしてあげる。ね？いいでしょう。」 ミネアは馬車から針と糸を持ってきた。アリーナはチュニックを脱いでぐるぐる巻きの布を取り、下着姿になると青いマントをすっぽりかぶった。 「ねえ、ミネアさん。どうしたら女の子で良かったって思えるようになる？私、絶対そんなことできそうにないわ。」 ミネアは糸をほごしながら笑った。 「人によって違うものよ。姉さんは”女に生まれて良かったわ。踊りが踊れるんですもの！”って前に言っていたことがあるわ。姉さんにとって踊りは命のようなものだから。私は・・・・そうね、私はこう考えたの。”男の子になりたいって思えるのは女の子だからだわ。男の子になったらなったで女の子になりたいと思うかもしれない”って。こうやって色々なことを考えている自分は生まれたときからずっと女の子。神様から戴いた体ですもの。男の人達よりも体が小さなことも力が弱いことも嫌がらずに受け止めて、自分ができることをやっていかなけりゃって・・・・アリーナが武道が好きでも私はいいと思うわ。強くなりたいって思うのも素敵だと思う。でも・・・・女の子は駄目なんだなんて思わないでね。・・・・世界一強くて素敵な女の子になって。」 アリーナは膝小僧を腕で抱えて考え込んでいた。やはり女の子でよかったとは思えなかったが、”世界一強くて素敵な女の子”という言い方はたいへん気に入った。 「・・・ミネアさん、頑張るわ。世界一強くなる。」 ミネアは水晶玉の明かりのもとで針を走らせながら微笑んだ。 「強い女の子になって、男の子なんかに負けないわ！」 あらあらあら・・・・というようにミネアは俯いた。どうもこのお姫様はわかっていない。 「強くなってサントハイム王国を昔のように再建するの。」 アリーナの瞳はきらきら輝いている。 「あら・・・・そうしたらお婿さんを貰って？」 「いいえ！モニカ姫のような人ならいざしらず、私みたいな跳ねっかえりに申し込んでくる物好きな貴族、いないわ。大臣達の一人が王位につけばいい。」 ミネアは、”こんな可愛いお姫様だもの、放って置かれるはずないのに”と心で思って、そばに咲いていた月見草を一輪取ってアリーナの髪にさした。アリーナは髪をいじられてくすぐったそうに目を細めたが、口を尖らせた。 「お花はみだりに摘んじゃいけないってクリフトに言われたわ。」 ミネアは、アリーナの頭を抱き寄せた。 「・・・・クリフトさんの言ったことは正しいわ。でもね、クリフトさんも花を摘んだことがあったでしょうし、これからだってあるはずよ。男の人はね、大好きな人の髪を飾るために花を摘むの。」 アリーナは焚火に薪をくべた。そして自分のマントがほころびているのに気付くと、馬車から自分の小さな針箱をもってきて繕い始めた。 星は巡り真夜中になった。ミネアは最後の一目を縫って糸を切った。着てみるように言う。 アリーナは着てみて手足を動かした。胸や腰に圧迫感がなく前に比べてずっと動きやすい。足を頭の上まで上げてもつれるところがない。姫はピョコンとお辞儀した。 「お礼なんかいいのよ。縫い代がたっぷり取ってあったから縫いやすかったわ。下着はガーデンブルグについてから買いに行きましょう。さあ、そろそろ交替の時間ね。」 アリーナはスキップしながら次の当番のトルネコとブライを起こしに行った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「こりゃあ、深い森じゃのお。」 ブライは魔法で方位を確認し、地図を拡げているトルネコに告げた。トルネコはじっくり考えて御者台のアレクに進む方向を教える。ガーデンブルグは森の国。この森が、外敵の侵入から国を守り続けてきたのだ。魔物の襲来で荒れてしまったサントハイムやキングレオの森には居なくなったリスやウサギやシカなどの小動物がここにはまだかろうじて住んでいて、馬車の音に驚き、パトリシアの前を横切って行った。アリーナは馬車から乗り出して歓声をあげ、トルネコは姫を支えてにこにこ顔だ。 「・・・・ガーデンブルグでは、男はどんな扱いを受けるのでしょうか。追い返されるとバトランド王はおっしゃいましたが・・・・」 クリフトがぽつりと言うとマーニャが真剣な目をして答えた。 「気に入られてしまったらばお婿さんにされてしまって町から出られなくなるのよ。気をつけたほうがいいわ。」 クリフトが絶句するとマーニャは幌にもたれてケラケラ笑った。ライアンが剣の手入れをしながら厳しい目を向けた。 「王国を統治していくためにはどんな国でも厳しい法があるものだ。女だけの国を治めるにあたって、我々の常識ではわからぬ掟がないという保証はない。」 ガーデンブルグの警護をしている女兵士たちに森の中で出会うかとアレクはひやひやしていたがガーデンブルグの城壁が見えるまでに、一人も出会うことがなかった。 しかしなんという城壁だろう！ガーデンブルグの城壁は普通の城の二倍以上の高さがあった。灰色の漆喰で固められ、突き崩すことはまず無理だろう。壁の上には甲冑に兜姿の女兵士が数人槍を手に持って立っている。ガーデンブルグは厳つささえ感じる典型的な守りの城だった。塀の上の兵士は馬車を認めたらしく、報告をするためか塀から一人が降りていった。 城には堀がめぐらされ、そのこちら側に長身の番兵が二人立っていた。どちらも女性である。細身であるが肩幅は広く、ブロードソードを腰から下げている。 ライアンは女兵士を見て、即座に、手練の剣士だと判断した。八人は馬車から降り、敵意のない印に武器を外して地面の上に置いた。 「ここは女だけの国ガーデンブルグの城門。あなた方が争いのために来たのではないと認めよう。我が王国に何の用か。世界の騒乱に疲れ、ここで平和を得るために来た女は無条件に歓待される。男は重大な理由がないかぎり町を見ることはできてもここに住むことはできない。」 ライアンに促され、アレクが女王に会いたいと話すと、女兵士は頷いた。そして塀の上に合図を送ると跳ね橋が降りてきて堀にかかった。 「謁見のことは私から女王さまに申し上げる。あなたがたは宿屋に泊まって連絡を待ちなさい。宿屋はこの国には一軒しかない。・・・・武器はここを出るときまで預かります。・・・・この国では男は争いの象徴だということを覚え、行動に気をつけるように。さあ、おいきなさい。」 兵士に武器を没収され、いささか心許なく不満にアレクは思ったが言われるままに堀を渡っていった。 「うわぁ〜、綺麗！」 アリーナとマーニャが同時に声をあげた。 城門の中は、城壁とは全く異なり優しさと明るさでみちていた。冬も近いのに色とりどりの花が植えられ、流れる線のような模様になっている。数人の女性が如雨露とはさみをもって熱心に手入れを続けていた。彼女等はしゃがみこんで花の香りをかぐアリーナを微笑ましげに眺めていたが、男たち、特に鎧をつけたライアンに気付くと身を固くした。 町にはいってもそれは同じで、ライアンが歩いていくところからはすうっと女たちは逃げていった。ライアンの仏頂面が原因かと思ったマーニャは彼を微笑ませようとしたが、ライアンの方は意地でも笑わぬといった風情で眉根に皺を寄せている。 しかし、どこを見ても女ばかりだ。防具屋も、道具屋も、武器屋ですら女、女、女・・・・。ブライは平然と闊歩し、トルネコは形相を崩して女たちを観賞していたが、若い二人は居心地が悪いことこの上ない。”買いたいものがあるの”と女三人が衣装店に入ってしまうとその居心地の悪さは倍加した。 衣装店の近くの小さな広場に五人が馬車をとめ腰を下ろして女たちを待っていると一人の娘がが頬を染めてクリフトの所にやってきた。 「あの、あなたは旅の神官さまでしょうか？」 「ええ。」 「ここには長く滞在されるのですか？」 「いいえ、用事がすんだらすぐに旅を続けます。、娘さん私に何か御用ですか？神の道を尋ねたいのならばどうぞお気軽に話してください。」 娘は困ったように下を向いていたが思い切ったようにクリフトを真正面から見つめた。 「あの、・・・・神官さまには奥様がいらっしゃいますか？」 クリフトは純情そうな娘がいきなりそう言ったのに驚き、しかし相手が泣きそうになっているのに気付くと優しく答えた。 「私は独り者です。・・・・これからもそうでしょう。」 娘は残念そうな色を浮かべ、アレクのことも尋ねた。 「彼は愛する娘を亡くしました。」 クリフトがそういうと娘は”御免なさい”と謝り、恥ずかしそうに走っていってしまった。 今のはなんだったんだろうとクリフトが訝っている間にアレクのところにはローブをかぶった老婆がやってきてアレクに大きな布づつみを預けていた。 「いやあ、買物の途中なんですがのぉ、娘とはぐれてしまいました。親切そうな若い人、娘をさがしてくるまでこの荷物を預かってくださらんかねえ。」 老人には親切にと言われて育ったアレクは快諾した。老婆は礼をいって雑踏のなかに消えていった。 女たちが買物を済ませて帰ってきても老婆は戻ってこなかった。気の短いマーニャがイライラしだす。 「そのお婆ちゃん、荷物のこと忘れているんじゃないの？日が暮れちゃうわよ。」 ミネアは心配そうだ。 「・・・・途中で倒れられたのかもしれないわ。アレク、何かわかるかもしれないわ。包みを開けてみましょう。」 アレクは促されて包みを開いた。見事な刺繍が施された壁飾りと、何故か修道女の服が入っていた。 ちょうどそこに武装した女兵士が数人と灰色の服に身を包んでおろおろと取り乱したシスターがやってきた。シスターはアレクの包みを見て叫んだ。 「あ、あれです。私の部屋から盗まれたのは！」 兵士がアレクたちを取り囲み、槍の穂先を突き付けた。シスターはスカートの裾をからげて走ってくると布包みをアレクからもぎ取って調べた。彼女は壁飾りに傷も破れもないのがわかって微笑んだが、すぐに半狂乱状態になってしまった。そして兵士が止める言葉も耳に入らずアレクの胸ぐらを掴んで訴えた。 「ブロンズの十字架をどこにやったのです！私のブロンズの十字架を！あれは修道院長様から頂いた命にもかえがたい品物なのです！返してください！」 アレクは泣き付かれるままになっていたが女兵士がシスターを引き離してくれた。 「とにかく御同行願おう。法の名の下にあなた方を連行する。」 ささっと10人もの兵士が新たに現れて八人を取り囲み王宮へとひったてて行った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 八人はすぐに王座の前に連れていかれた。胡坐をかいて座り、ずっと怒り続けているマーニャ、口をへの字に結び、ブライとクリフトに宥められてやっと爆発を押さえているアリーナ。呑気なトルネコのほほ笑みがいやに場違いな感じだ。そうこうするうち、王座に女王がやってきた。女王は、上品な濃紺のドレスに身を包んでいた。黒い髪にはちらほらと白いものが混じり始めていたが、毅然とした美しさは年令を感じさせなかった。 「シスターから訴えは聞きました。」 王座から女王は言った。 「ここは神聖なる裁きの場です。嘘偽りのないように答えなさい。あなたがたはブロンズの十字架を盗んだのですか。」 「一方的に捕まえられて引っ張られてきて、これじゃ答える気にもなれないわ。」 吐き出すように言ったマーニャに衛兵の槍先が向く。 女王は感情を表に出さずに淡々と話した。 「そうですね。あなた方はまだ罪人と決まったわけではないのだから。兵士、武器を向けるのはおやめなさい。」 アレクが答えた。 「僕・・・・いや、私は盗んではいません。あの布包みは通りすがりのお婆さんから預かったものです。シスターの十字架がどのようなものなのかも知らないのです。」 女王は冷たく言った。 「・・・・あのあと我が兵士が該当するような老婆を捜しましたが見当りませんでした。布包みという証拠がある以上、牢に入ることを申し渡します。」 「ちょっと！モンバーバラじゃ完全に黒だって証拠が無いかぎり罪にはならなかったわ。これって一方的よ！」 女王は首を振った。 「この国にはこの国の法があります。・・・・それにシスターにとってあのブロンズの十字架は大切な品・・・・」 クリフトは頷いた。彼も、曾祖父のものだったという小さな十字架を首から下げている。その価値は商人にははかることのできないものなのだ。 アレクは女王を真っすぐに見た。 「女王さま、機会を与えてください。きっと犯人を見付けて参ります！」 女王は静かに頷いた。 「いいでしょう。七日以内に真犯人をとらえ、十字架を取り返すのです。ただし・・・・この国で男性が自由に歩き回ることは許されません。男性は地下の牢に入ってもらいます。その間、女だけで行動するのです。」 地下牢まで男たちに付き添っていった女三人は、兵士から武器を返された。男たちは武器は返されなかったものの荷物は渡された。地下牢は清潔で椅子や書き物机も置かれており、どちらかというと座敷牢のようなつくりだった。マーニャは兵士が後ろをむいてから舌をつきだして見せた。 「失礼しちゃうわね。アレクみたいな坊やに泥棒できるわけないでしょうに！」 ブライは髭をひねっている。 「心配じゃのぉ・・・・・・」 「平気よぉ、お爺ちゃん。相手は人間よ。」 「わかっとるわい。魔物なら心配はしない。・・・・わしはただ・・・・ミネア殿、よろしく頼みましたぞ。」 ライアンもトルネコもアレクもミネアを激励する。 「もう！なんだってあたしが頼りないのよ！」 クリフトはアリーナのマントを直してやっていた。 「どうか危険なことだけはおやめくださいね。」 そして、首から下げている十字架を外すと姫にかけた。 「お守りです。・・・・いいですか。私がいないのですから毒に注意するのですよ。」 「相手は人間ですもの！毒なんか吹き付けてこないわ！クリフトがいなくったっていつもどおり戦えるわ。」 その十字架を見たトルネコは、それが高位の神官を示すものだと見て取った。ブライに小声で指摘すると、ブライは不思議にも”それはクリフトを含めて他の者には話さんでくれ”と釘を刺してきた。 「さあ、もういいだろう。七日後までに犯人を連れてくるのだぞ！」 兵士に言われ、女たちは階段を登っていった。アレクは思うように進まない旅に苛立ちを覚えるのだった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 一人の女兵士がマーニャたちに城の付近の地図を渡してくれた。 「女王さまは、お前たちに外を捜せとおっしゃられた。実は城壁の警備をしていたものが事件のあと、何者かに襲われて気絶していたのだ。きっと犯人は城壁の外に逃れたのだろう。」 マーニャが地図をひったくるように受け取った。 「もしも中に居たらどうなるのよ。」 「我々警備兵が別に捜索を続けている。我々が犯人を見付けてもお前たちの仲間は開放されるだろう。・・・・お前たちが逃げればあの五人の命はないものと思え。」 「馬鹿ね！逃げるわけないでしょ！仲間を見捨てて！」 三人は、十字架を盗まれたシスターに会って、思い当るようなことがないかと尋ねたが、シスターは疑り深い様子で震える声で、あなた方が潔白ならば神の加護があるはずです、なにも心当たりなどありませんと早々に追い出されてしまった。 「ミネア、わかった？」 シスターに会っている間、ずっとミネアは水晶玉を見つめていたのだ。彼女はシスターの十字架に対する思いを水晶玉に導きいれた。 水晶玉は十字架の所有者の心を感じとり、捜し物の在処をぼんやりとだがミネアに伝えた。 「・・・・方位は南東・・・・暗い穴が岩山に開いているわ。洞窟かしら・・・・あとは・・・・ああ、それくらいしか・・・・」 「それで充分よ！地図に岩山といったら一つしかないわ！パトリシアなら一日半で到着できる。さ、男五人を助けるために行こう！」 門が開けられ跳ね橋が下ろされた。パトリシアの牽く馬車が渡り切ると再び跳ね橋は上がって、完全に内部との行き来は途絶えた。 不安げにパトリシアが嘶く。 ミネアが手綱を牽くと白い大きな馬は一路岩山を目指して走りだした。 岩山が近付くにつれて、木々は減り、魔物は多くなった。 今、三人の前には大きな鉄の鎌をかまえた緑色の魔物が立っていた。アリーナの帳面にもない新手の魔物だ。こちらが様子を見ていると、敵は炎の帯をぶつけてきた。パトリシアは下がり、アリーナとミネアは右、マーニャは左に飛び退いた。 「魔法を唱えるのね！よし、お返しよ！」 マーニャは爆発を起こす呪文を唱えようとした。すると魔物は鎌を一振りし、自分の前に薄黒い壁を作った。マーニャの呪文が炸裂したが、魔物には効かず、効果はマーニャ自身にはねかえってきた。 「きゃっ！」 爆風がマーニャを吹き飛ばし、全身に傷を負った。マーニャは再び呪文を唱える構えをした。ミネアが走る。 「だめよ！あの壁はブライさんのと同じ魔法をはねかえす壁よ！魔法は使っちゃ駄目！」 アリーナがだっと飛び出した。一撃を加えてはとびすさり、後ろに回り、足蹴を決め、長い時間のあと会心の一撃が眉間にきまると、魔物はやっと倒れてくれた。 ミネアに手当てをしてもらい元気になったマーニャが、肩で息をしているアリーナを抱き留めた。 「有難う・・・・疲れた？」 アリーナは”大丈夫、大丈夫”と笑っていたが、ミネアは直ぐ様回復の呪文を唱えた。剣士のアレクとライアンが抜けていることは、この小さな姫ぎみに大きな負担を負わせているのがたしかだった。しかも、不可視の盾をつくるクリフトもいなければ、素早さを上げてくれるブライもいない。それでも頑張るアリーナにマーニャは感嘆の念を抱き始めていた。このお姫様、お転婆なだけではない。 「ね、あれが洞窟かしら？」 左腕の傷を塞いでもらいながら右腕でアリーナが指差す方を見ると、黄色い岩肌がぱっくりと割れたところから黒い洞窟の口が三人を待ち受けていた。近付いていくと入り口には人の手が加えられた形跡があった。間違いない。犯人はここだ。 洞窟は、盗賊が隠れるのにはうってつけの場所のようだった。岩の中に走っている通路は段違いになった岩棚のせいで迷路のようになっていて行きたいと思う場所に、遠回りをしないと辿りつけなかった。すぐ目の前にある地下への階段に行こうとしてごうごうながれる水路にぶつかったマーニャは何度目かの溜息をついた。アリーナは心配するミネアを下に残して一番高い岩棚の上によじ登って位置を確認した。そして軽やかに急坂を滑り降りると、地図を作っているミネアに報告した。 「あそこの岩をよじ登れば階段に続く狭い通路に出られるわ。」 姫は先頭に立って岩を登り始めた。 「危ない！」 マーニャの声にアリーナは振り向いたが、姫の頭上から蛾のような羽を生やした人間くらいの大きさの小竜が四羽急降下してくるところだった。竜は大きく息を吸いこんだ。 「飛び退け！炎を吐いてくるわよ！」 アリーナは岩場を転がり落ちた。マーニャは火球を二羽にぶつけて焼き尽くし、ミネアは眠りの呪文を残りにかけた。岩の下で起き上がったアリーナがとどめを刺す。 アリーナに手をひかれながら岩場を登りきり、マーニャは妹と姫にいった。 「どうでもいいけど、こんな魔物だらけの洞窟に潜んでいるとすればそうとう強い奴よ。心しておいたほうがいいわ。」 三人は頷きあった。 やっとのことで地下へ行く階段に辿りつき、マーニャは妹の表情を窺った。占い師は仄かに光る水晶玉を見つめ、小声で囁いた。 「人間の気配がするわ。」 ミネアは水晶玉に布をかぶせて光が漏れないようにして、三人は足音を忍ばせてゆっくりと降りていった。 階下は整頓されていた。いくつかの箱が置いてあり、壁には変装用のローブがかかっていた。そして部屋の真ん中には毛布にくるまって一人の男が寝ている。 （ミネア、眠りの呪文を。） （姉さん、もう眠ってるわ！） マーニャは背負い袋からロープを出すとアリーナに渡した。アリーナはロープを持って盗賊に近付いた。 「さあ、捕まえたわ！」 アリーナはロープをぎゅっとひき絞った。が、男の哄笑がかなり遠いところから聞こえた。 「あははは・・・・お嬢ちゃん、一体何を捕まえたんだい。」 アリーナが捕まえたものは男がかぶっていた毛布だけだった。アリーナの気配に気付いた盗賊は素早く移動したのだった。アリーナは毛布を投げ捨てた。 「女ばかり三人、よくこんな物騒なところに来たな。盗賊バコタ様に何の用だ。ガーデンブルグの兵士にしては変わった服装だな。」 マーニャが前に出た。 「あたしたちは兵士じゃないわ。でも、あんたの盗んだ十字架のために仲間が城に捕まってんのよ。おとなしくしなさい。」 バコタは嘲笑った。 「ああ、あのけちな十字架ね。あんなもんたいした価値はないんだが、あれをもっていたシスタ ーの顔が気に食わなかったもんで盗んだ。・・・・ガーデンブルグの女は、いや、女はみんな屑だ。俺を倒せるものなら倒してみろよ。」 バコタはマーニャの前に瞬時に移動して腹を蹴飛ばした。 ”あの動き！武闘だわ！” アリーナはこの盗賊の相手は自分だと決めた。 「か弱い女の人をいじめるのはよしなさい！あなたと戦うのは私よ！」 バコタはクスクス笑った。 「なんだなんだなんだ、お嬢ちゃん、どこの誰様だよ。」 「私はサントハイムのアリーナ姫、お嬢ちゃんじゃないわ！」 アリーナが飛び蹴を食らわせた。油断していたバコタは床に膝をついた。 「ふん。なかなかやるじゃねえか。しかし所詮はお姫様のお遊びさ。俺の攻撃を受けられるかな？」 バコタは攻撃に転じた。息をもつかせぬ力の入った拳で、アリーナは防戦一方だ。少女だということでの手加減は全くない。 「アリーナ！」 マーニャは呪文をかけようとしたが、二人があまりにも近い位置にいるので手出しができない。バコタは二人が呪文使いだと見抜いてわざとアリーナから離れないのだ。辛うじてミネアが治癒の呪文をかけられるだけだ。ミネアはバコタの心を水晶玉で覗いた。それは憎しみに満ちていた。 ”あの男、まるで心の中にある憎しみをすべてアリーナにぶつけて戦っているようだわ。・・・・激しい憎しみ・・・・それはどこから来ているの？” バコタはアリーナを殺しても構わないと考えているらしく、”人間は絶対に殺してはいけない”と考えるアリーナは拳が冴えなかった。 バコタはアリーナを追い詰めて壁にかかっているローブのそばにやってきた。そして、電光石火の早業でローブのたもとから鉄の爪を抜き出して右腕にはめた。次の瞬間、アリーナの頬に赤い線が三本走った。ミネアが口を押さえた。マーニャはよほど鉄の扇で殴りかかろうかと思ったが、余計混乱させるだけだろう。 次の一撃はアリーナが受け止めたが、その次はアリーナの首に浅いが長い傷をこしらえた。同時に、クリフトがかけてくれた十字架の右腕が折れ、淡翠のペンダントの銀色の鎖が切れてとんだ。アリーナは次のバコタの攻撃を勢いよく突き放した。信じられない力だ。 「あなた、壊したわ！」 可愛いが凄味のある声だった。 「な・・・何を壊したっていうんだ。」 アリーナは徹底的に怒っていた。あの淡翠色のペンダントは今は亡き王妃と行方不明の父王の思い出のものにそっくりなのだ。ブライとクリフトに誕生日のお祝いとしてもらったものなのだ。クリフトの肩の上からアリーナが見付けたものなのだ。そして、自分を心配してかけてくれたクリフトの十字架まで壊した。いつだかあれはクリフトのひいお爺さまのものだと聞いたことがある。ものは大切にしなければいけない。特に思い出のこもったものは。なくなった王妃も父王も、ブライもクリフトも司教のディルトも裁縫教師のグレタも何回もアリーナに教えた。それをこの盗賊は壊した！ 「絶対に許さない！」 それからのアリーナの動きはマーニャにもミネアにも見切れなかった。とにかくバコタは蹴られ殴られ叩かれ投げ飛ばされ、ずた袋のようになって転がった。 マーニャは口笛を吹いた。 「あたし、これから絶対にお姫様を怒らせないようにするわ。」 ミネアは早速アリーナの傷口を塞ぎにかかった。血は止まったが顔と首の傷は”じんじんうずく”とアリーナは顔をしかめた。マーニャは箱の中からブロンズの十字架を見付け、背負い袋に大切にしまうとバコタをぐるぐる巻きにして足で蹴って転がした。 「どうでもいいけど、どうやってこいつを馬車に乗せる？傷だらけで歩かせるのは無理そうだし、三人でかついていくしかないかなぁ。」 「その心配はありません。」 マーニャの声に答えるように、階段を大柄な女戦士が降りてきた。鎧の胸にはガーデンブルグの紋章が刻まれている。 「私は、女王さまの命により、あなた方をつけて参りました。もしものときにはあなた方を助けるように・・・と。女王さまはあなた方が無実であると初めから考えていらしたのです。・・・・さあ、その罪人は私が運びましょう。」 女兵士は軽々とバコタを背負うと階段を登り始めた。 「私は先に城に帰り、このことを女王さまに報告致します。すぐに正義の裁判が行なわれるでしょう。では・・・・」 一同はほっとした。が、バコタがは張れ上がった顔で笑った。 「そいつはおもしろい。ガーデンブルグの女王がこの俺を裁く？奴には俺を裁く資格などない！」 嫌な胸騒ぎをミネアは覚えたが、盗賊を捕まえられてはしゃぐアリーナににはなんの心配も沸き起こらないようだった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 城についた三人は、まず地下牢に向かった。監視の兵士も事情を知らされているのか非常に礼儀正しい態度だ。五人が入れられている牢の戸があけられ、アレクはミネアとしっかり握手をした。 「こんなに早く・・・・ミネアさん、マーニャさん、ご苦労をおかけしました。」 マーニャは”つん”とアレクの額を押した。 「可愛い勇者ちゃんのためだもの。・・・・でも今回は殆どお姫様の活躍よ。」 そのアリーナは、早く武勇伝を話したくてうずうずしていたが、顔と首の傷を見付けたブライに叱られてしゅんとなった。 「エンドールの武術大会のおりに、お顔の傷には気をつけるよう申しましたのに！」 クリフトは跪いて姫の傷にさわった。アリーナが痛がる。 「痛みは私が治しましょう・・・・」 傷の通りにクリフトが指を走らせると、痛みは嘘のように消えた。」 「私頑張ったのよ！相手は強かったけど！皆を助けられて私嬉しい！」 姫はクリフトに抱きつきブライに抱きつき、トルネコに抱きついてライアンにまで抱きついて、アレクとはパンと手を打合せた。 「さあ、女王さまがお待ちかねです。バコタの裁判に立ち合って下さい。」 兵士に従って八人はぞろぞろと牢を出た。 謁見の間にはロープで縛られたバコタが引き出されていた。アリーナに受けた傷が痛々しい。クリフトが十字をきったほどだ。 「盗賊バコタとやら」 女王が威厳に満ちた声でブロンズの十字架を掲げた。 「この十字架を盗んだのはお前ですか。」 バコタは素直に罪を認めた。ブロンズの十字架はその場でシスターに返された。シスターは大事そうにに胸に十字架を押し当て、神に感謝の祈りを捧げた。 「さて、バコタよ。あなたに罪があることは確定されました。しかし罪を犯すまでにはなんらかの理由があるはず。その理由をここで包み隠さず話しなさい。場合によっては減刑されなくもありません。」 バコタはニヤリと笑った。ぞっとするような笑いだった。 「俺はこの国を憎んでいた。だからひっかきまわそうとした。それだけだ。」 女王は厳しく問いつめた。 「何故このガーデンブルグを憎むのですか。お言いなさい。」 バコタは話し始めた。ゆっくりと、力をこめて。 「俺の母親はこの国の女だった。この国は男は平和を乱すものとして住むことは許されない。だから女たちは年頃になると国を出てバトランドやその外の国へ相手を探しに出掛ける。ある者はそこで結婚するが、女の子供が生まれるとこの国に送りこむことも多い。ある者は結婚する事なく子供を宿したあとこの国で子供を生む。もしもそれが男だった場合は、他の国に住むこの国出身の女のもとに送られて育てられる。」 自分に声をかけてきた少女は本当に真剣だったのだとクリフトは思った。 「俺の場合がそうだった。・・・・丁のいい捨て子さ。生みの母親はそうは思わなかっただろうがな。育ての親の女は病弱ですぐに死んだ。その亭主というのが飲んだくれのとんでもないやつだった。奴は俺を邪魔にし、俺は家から七歳で叩きだされた。俺は飢え死にしそうになりながら頑張っていきのびた。盗みもしたし、人を殺しもした。それに理由などあるものか。生きるためだ。生きるためにはどうしようもねえんだぜ。・・・・平和なガーデンブルグを築き上げて来たものは、俺のような犠牲者だ。俺は許せない。俺のまえで”私が正義です”とのさばっているガーデンブルグの平和がな！」 アレクたちは身を固くしてバコタの話を聞き入っていた。しかし女王は表情をかえなかった。 「それは災難なことでした。同情すべき余地はありますが、だからといって盗みや殺人が許されはしません。あなたと同じ境遇に在っても清く生きようとしている者はあるはずですし、国の外で育てられている男の子の大部分は幸せに暮らしています。」 バコタは最後の切札を女王に叩き付けた。 「・・・・女王よ。俺の本当の名前はバイルという。育ての親がもっていたかきつけでわかった。そして俺の肩には赤ん坊のころから赤い涙がたのあざがある。・・・・忘れたのか？俺はあんたの実の子供だよ。あんたが捨てたこの国の王子だよ。」 女王は首を振った。 「愚かなことを・・・・私にはお前のような子供はいません。この国を揺るがそうとしてそのような戯言を・・・・お前を盗みと騒乱罪で地下牢につなぎます。さあ、兵士よ、連れていきなさい。」 バコタは女王をののしり、喚きながら連行されていった。女王はバコタの後ろ姿を見送り、見えなくなるとアレクたちに微笑んだ。 「疑いをかけて済まないことをしました。あなたがたが犯人を捕まえてくれると信じておりましたよ。」 シスターが跪いて”神に仕える身の、私としたことが皆さんを少しでも疑うとはなんということを！”と啜り泣き始めた。 「牢番の兵士から聞きました。あなた方は魔王を倒すために天空の宝と宝の地図をを捜しているとか。私の私室までおいでなさい。」 「・・・・さあ、もってお行きなさい。」 一人の兵士が白銀に輝く天空の盾を、もう一人が綺麗に巻かれた地図を持ってきた。 「小さなサントハイムの王女よ。わが国に伝わる武器を差し上げましょう。あなたになら使いこなせる魔法の武器です。」 鉄の爪によく似た優美な形の武器が運ばれてきた。 「心正しき者が使えば敵を正義の炎で焼き尽くすことができると言われています。・・・・八人で力を合わせて魔王を倒して下さい。」 「女王陛下。」 ライアンが跪いたまま口を開いた。 「畏れ多いことではございますが、私には、この国の政が間違っているように思えてなりません。・・・・世界は女と男が居り、両者が助け合うのが筋道、子供には両親が必要、まして実の親が自分の子を育てられぬとは・・・・男が平和を乱すとなぜ言い切れるのですか。」 ブライも重々しく頷く。 女王は立ち上がり窓辺に寄った。 「その議論は女だけの国を建国してから何度となく繰り返してきました。そして、幾度かは男たちを王国に入れたこともあるのです。・・・・そのたびに戦が起こり、国は乱れました。・・・・今の政が一番良いとは思いはしません。しかし私達はこのやり方で平和を保ってきたのです。・・・・私が平民ならばこの国を抜け出そうとしたかもしれない。しかし私は女王です。私は常に毅然として揺らいではならないのです。わかりますね。」 ライアンは深く頷いた。彼には女王の苦悩がわかった。女王はアリーナに向き直るとそっと抱き締めた。 「小さな王女。自分の身分に縛られながらも一人の人間としての幸せを見付けていきなさい。」 アリーナは訳がはっきりとわからず戸惑っていた。アレクはそのときバコタが女王の実の子供だったのだと確信した。自分の子供を裁いた女王は、目頭を一度押さえ、一人の母親の顔になったがすぐまた女王に戻って八人と共に謁見の間に戻った。 「・・・・それで、地図はどこが宝の在処だと告げていますか？」 アレクが四枚の地図を継ぎ合せるとミントスの遥か東の山脈の中心が光り輝き始めた。 「まあ、そこはエルフの里のあるところだわ。そこに行く前にエルフやホビット達の住む村に行ったほうがよいでしょう。普通の方法ではエルフの里には行けないと聞きます。」 女王は地図にホビット村の小さな印をつけた。 「五年ほど前にピサロという魔族の若者が傷ついたエルフの少女と一緒にこの国に立ち寄り、それを助けた羊飼いの少女にこの村の在処を教えたそうです。」 ピサロ？デスピサロと何か関係が？しかしエルフの少女を助ける暖かい心をもっているものが魔族の王であるはずがない。 「さあ、旅の無事を祈っていますよ。」 ガーデンブルグを出るときにトルネコは番兵たちからにっこり微笑みかけられた。城壁の上からも手を振っている兵たちがいる。商売熱心なトルネコは牢屋のなかでイヤリングなどを商っていたのだ。たいした商魂である。牢番の兵士たちが他の兵士に宣伝し、装身具や防具の修理も請け負ったらしい。 「あっ！」 その話をトルネコがしたときにアリーナは叫ぶとごそごそと腰の物入れを探った。 「トルネコさん。このペンダント、直るでしょうか？」 淡翠のペンダントだ。トルネコは鎖がひとつ外れただけだけらすぐに直ると請け合った。アリーナは小躍りした。 「あの・・・・これは・・・・？」 次に差し出したのはクリフトの十字架だ。ぽっきりと折れた破片はなくなった部分はなかったがトルネコは眉をあげた。 「・・・・これは無理だねえ・・・・せいぜい膠でくっつけるしか・・・・・」 アリーナは謝り、クリフトは折れた十字架を持って情けなさそうにがっくりと肩を落とした。百年以上前の大切な十字架が・・・・しかし、これがなかったら姫の喉に相手の爪が刺さっていたのだと思うとクリフトはこの上なく幸せな気分になった。 馬車の横に綺麗な花が一輪咲いていた。彼はそれを摘んで姫の髪にさそうとした。 「あら、お花を摘むの？」 アリーナに言われ、クリフトは月見草にまつわる一部始終を聞く羽目になった。 「で、そのお花はどうするの？ここにはリアはいないわよ。」 「・・・・・姫様ならばどうなさいますか？」 アリーナは笑った。 「私ならクリフトの神官帽に刺すわ。あんまり殺風景だもの！」 神官は神官帽に花をさして御者台の隣に座った。 成就することのない愛。 神官は邪念を振り払い、後ろでトルネコに武勇伝を繰り返すアリーナに優しい目を向けた。 自分は今までの通りの愛情を注いでいこう。そば仕えとして、兄のような存在として。 彼の大切な姫は、サントハイムをガーデンブルグのようには決してしまい。 いつかは素晴らしい若者と出会い、その若者と協力して国を創っていくだろう。 自分がもし地方に赴任せず、城に神官として残るならば姫の婚約式、結婚式に立ち合うだろう。そして姫に子供が生まれたならば命名と洗礼の儀式を見守るとしよう。その子供たちの一人にでも文字や祈りを教えられればこの上もない幸せだ。・・・・そのためにも、旅の最後までこのお転婆姫を守り通すと神官は固く神に誓った。 |
| なぜバコタは十字架を盗んだのだろう。 そう考えたらこんな話になってしまいました。 女ばかりの国というのはいろいろ想像を掻き立てられる国ではありますが、 いろいろ細かく思いを巡らすと、やはりどこか歪んだ場所だという結論に達してしまいます。 それなのにその在り方を変えようとしないのは何故なのか。 それが「ガーデンブルグの平和」の源だからとしか言えません。 バコタにも、女王にも痛い話です・・・・ さて、ウチの神官、ようやく春の兆し・・・・と思いきや、すぐに悟りをひらいてしまいやがりました（笑）。 ウチのはこういう人なのです。 |