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山間の草原からは細いが歩きやすい道が世界樹の根元に向かってのびていた。道の脇には可憐な花が咲き、”どうぞ飲んでください”というように清浄な清水がそこここにこんこんと湧き出ていた。 冬の空気はここにはなかった。 季節の移り変りが止まっているのかもしれない。天に伸びる世界樹の霊気があたりの気候をそうさせているのかもしれない。 魔物の姿も気配もない。 アレクは奇跡の剣を腰から外し背負い袋につっこんだ。この平和な場所にに、魔物の血を吸った剣を携えてきた自分がひどく不似合いな存在だと彼は思っていた。 ・・・・ここの雰囲気は彼が育った山奥の村にそっくりだった。村人たちは畑を耕し、魚を捕って暮らしていた。のどかで、静かで・・・そして懐かしい。・・・・優しい母さんのエリス、物静かな父さんのグレッグ・・・・大勢の尊敬すべき人々・・・・そしてシンシア・・・・ エリスは、村人はすべてアレクを立派な勇者に育てるために村をつくったのだと言い遺した。 ”母さん・・・・僕は世界樹まできたよ・・・・僕は天空の剣を持ち、デスピサロと戦うつもりだ。そこに迷いはない。でも母さん。母さんは僕が敵の血を流し葬り去るのを喜ぶだろうか・・・・僕にはそうは思えない・・・・意気地なしといわれるかもしれない。しかしこの頃思う。母さんは喜ばないと・・・・憎しみの剣をふるっていることに疑問を感じていなかった頃にこんな気持ちになったことはなかったよ・・・・” トルネコが心配そうにアレクの隣に立った。アレクは優しい笑顔を向けた。 ”僕が一人だったならまだ復讐心にかられていただろう。変だね。終点が近付くにつれてだんだん心が透き通っていくような気がするよ。シンシア・・・・君の仇を討つつもりだったけれど・・・・僕は君のために魔物を殺すのは止めたよ。母さんと同じく、君もそれを喜ばないと思うから。・・・僕は・・・・僕は・・・・この世界のために自分に与えられた運命を受け入れて進むだけだよ。・・・・見ていておくれね。” 白い鳩が目の前を横切った。 「・・・・平和ですね。・・・・僕はこのような平和を創る一つの道具として働きたい。」 アレクの呟きを聞いたクリフトがアレクの横に立って、彼を頼もしそうに見やった。 微笑み合う二人の青年を、年長の男たちは目を細めて眺めていた。若者は成長していく。それを目のあたりに見て彼らは自分たちの内にも若者の時の情熱がまだ息づいているのを知った。 女たちは軽やかに坂を降りていく。・・・・と言っても、がむしゃらに転がり落ちるように走っていくアリーナをあとの二人が追っている格好だ。 「ちょっとぉ！あんまり急ぐと転ぶわよ！」 マーニャが勢いをつけてジャンプし、長い足を宙に舞わせてアリーナの前に飛び出た。そして着地に失敗してズドンと尻餅を付いてしまった。 「いったぁ〜いっ！」 アリーナが笑う。 「笑うことないでしょう！ふふん、顔色は良くなったみたいね。・・・・悪い夢、気にしないでね。あんたのお父さんって人、あたし達できっと助けだせるよ。・・・・アッテムトに残してきちゃったパトリシアだって無事だろうし・・・・えーっとサントハイムの国民だって息災だろうし。」 アリーナはマーニャの額に優しくキスした。 「有難う。走ったらふっ切れちゃった！心配しないで！」 そしてまた坂を走っていった。それを後ろからアレクが追う。そのあとからだいぶ間をおいて神官衣の裾を翻したクリフトが”お転婆もほどほどになさいませんと・・・・！”と叫びながら続く。 ミネアがまだ座り込んだままの姉の手を引いて立ち上がらせた。 「姉さん、頬が赤いわ。」 マーニャは苦笑した。 「さっきお姫様にキスされちゃったのよ。・・・・それがさ、あの子いつになく素直で可愛らしかったもんで。」 「姫さまは、根はいつも素直で優しい。そこの所を間違えんでほしいのお。」 ブライがマーニャ達に追い付いて、下っていく姫の姿を遥か下方に見た。 「しかし・・・・」 ライアンが眉をしかめぶっきらぼうに言った。 「天空の剣はエルフ族が護っていると聞いた。前に訪れたエルフ族の村では我々人間は歓待されざる存在であった。・・・・ここでも同じことがあるのではなかろうか。・・・・もしも得物を差し出せといわれたならそれに従うつもりではいるが・・・・御老人、いかように思われる？」 「さあのぉ・・・・とにかく運命に従うしかなかろう・・・・」 ライアンと同じ心配をアレクたちも感じ、村のかなり手前で八人は合流し歩調を揃えて進んでいった。 道は平坦になり、深い森の中をしばらく歩くと、いきなり村の入り口に立っていた。 八人は驚愕した。 そこには村の全員であると思われる多数のエルフが清楚な白い衣を纏ってアレクたちを出迎えていたのだ。村人たちは八人を労うようにエルフの言葉で声をかけ、男性には男のエルフが、女性には女のエルフが抱擁を与えた。 前のエルフの村での淋しい出迎えを思い浮べていたアレクがどぎまぎしていると、美しいエルフの女性が人間の言葉で話し掛けてきた。 「あなたの思っていることはわかります。私達は魔力を持っておりますゆえ。どうぞ一時の安らぎを・・・・私達は天空の剣を守るのが役目。この村は剣の継承者であるあなたがたのために存在しているといっても過言ではないのです。世界樹が風に吹かれ、その騒めく音であなた方が此処にくることを私達は知り待っていました。・・・・さだめられた方々・・・・木は待っております。あなたに剣を授ける時を・・・・」 アレクは空に伸びゆく世界樹を見上げた。そして困惑した。 「どうすればいいのでしょう。僕にはとてもあの上まで登っていく自信がありません。」 エルフは青い瞳でじっとアレクを見た。光が瞳の奥で踊っていた。 ”小さな子らよ。戸惑うことはありません。木は待っているのです。あなた方を迎えいれ上まで運んでくれますよ。世界樹には測り知れない生命力と意志があるのです。” 光はそう言っていた。 「今日はもうお休みください。あなた方の心は生き生きとしていらっしゃいますが、体はすっかり疲れているはず。ここまでこられて枝から落ちたら一大事。」 別のエルフが声をかけた。 なるほど、いわれてみれば日が登ってからずっと歩きどおしであった。疲労が石のように腰から下に溜まっている。エスタークと戦ってからまだ四日も経っていないのだ。 「さあ、どうぞ。」 導かれた大きな部屋には香りの良い草を山に積み上げた寝台が八つ作られていた。香りは仄かに甘く爽やかで心が落ち着くようであった。まだ日は空に残っており、八人はそう眠気を感じてはいなかったが寝台に横になったとたん、トロリと夢の中に落ちていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 朝はすぐやってきたように思ったが、疲れはすっかりとれていた。表では早起きのクリフトが朝の務めで敬虔な祈りを捧げており、ミネアとアリーナもその後ろに跪いて手を胸の前に組んでいた。 「アレク殿。良い夢をご覧になられたかな？」 服装を整えていたアレクはブライにきかれて目を閉じた。何かみたような気がする。何かは思い出せないが暖かく懐かしいものの懐に居たようだった。 「ええ。・・・・さあ、皆さん、行きましょう。」 世界樹の幹は人が百人かかっても取り巻けないほどの太さを持っていた。そして昨日は気付かなかったが、村の外れから湧き出る清冽な水の流れに幹を浸し、その流れは村の反対側の外れで再び地に飲み込まれていた。地上に伸びている根の部分にはエルフたちが膝まで水に浸かりながら銀の杓で水をかけていた。水のかかった根は幽かに光を発し、辺りの水面をちらちらさせた。 「どうぞこれを・・・・」 昨日のエルフの女性が小さな布袋をミネアに手渡してきた。中を見ると、緑色のさらさらした粉が入っていた。 「世界樹の葉から作った薬です。たいていの傷はすぐに治すことができますわ。」 ミネアはクリフトに袋を渡し、クリフトは薬を半分に分けると一方を油紙に包んで自分の懐にしまい、袋はミネアに返した。アリーナが”パデキアの根っこみたいなものかしら。”と呟くとエルフは頷いた。 「この世界樹は天空人が地上にもたらしたもの。パデキアも、疫病に悩む地上の生きもののために天空人が伝えた植物ですわ。・・・・あなた方も遅かれ早かれ天空人のところに行くことになるでしょう。天空の城に行けば、この世界をとりまくすべての事柄が明らかになるでしょう。・・・・世界樹の登り口はあそこにあるうろです。世界を救う勇者・・・樹の声を聞きなさい。登っていく道がわかるでしょう。・・・・それから・・・・」 アレクが首を傾げると、エルフは世界樹の遥か上を指差した。 「今日の夜明けから、樹の囁きとは別の声が聞こえてくるのです。この樹はすべてのものを浄化する働きがありますから邪悪な生きものがいるのではないと思いますが充分に気をつけて・・・・」 世界樹のうろまでは長いハシゴがかかっていた。ふうふういいながら登り切ったトルネコをライアンとクリフトが引っ張りあげるとそこは小さな部屋になり、なだらかなスロープが幹の内部に続いていた。トルネコは息をついた。 「・・・ああ、これなら私にも登れますよ。ハシゴを登っていて身が細る思いでした。」 ”ちょっとは細れば良かったのに”とマーニャがからかい、一同はスロープを登っていった。何時間も歩き続け、いい加減に飽きてきた頃、スロープは終わりになり幹の外に出る穴が一同を出迎えた。トルネコは身震いした。ブライも大きな溜息をついた。 身の軽いマーニャやアリーナは何とも思わなかったようで、すぐに穴から出て枝の上で飛び跳ねてみさえした。 「トルネコさんもおじいちゃんも大丈夫よぉ！この枝太くて頑丈だし、二人とも重心低いでしょっ！」 アレクも二人に加わって残りのものを呼んだ。 「本当に大丈夫ですよ。僕は鎧をつけていますからマーニャさんたちよりずうっと重いけれど、きしみもしません。・・・・世界樹が言っています。”畏れるな、この道を行け”と。」 ライアンも枝に立ち頷く。 「私の鋼鉄の装備が加わってもびくともしない。」 神官も外に出た。 「私も・・・・怖くはありますが、きっと神様のお守りがあるはずです。」 残りの三人も渋々外に出た。枝は二人が並んで歩けるほど太かったのでミネアはしっかりとマーニャの手を握り、トルネコとブライはそれぞれライアンとアリーナにすがった。 アレクが先頭に立ち、枝を進む。世界樹は風に枝を騒めかせアレクに道を告げた。 「あっ！」 最後尾から歩いていたクリフトが声をあげた。ライアンから手を放し、一人で歩いてみようと試みていたトルネコがつるりと滑って落ちたのだ。 「トルネコさーん！」 枝に膝をついて下を見下ろす神官のそばに一同はかけよった。そこへトルネコが間の抜けた顔をしてすうっと上がってきた。落ちた商人を下の枝が支え、上まで助けあげてくれたのだ。 アレクが冷汗を拭った。 「トルネコさん、寿命を縮ませないでください！・・・・世界樹も突然のことにびっくりしたようですよ。・・・・皆、こっちへ。」 アレクに言われ、八人は枝の先端に近い、青々とした葉が茂った部分へとやってきた。 「・・・・世界樹が上まで運んでくれるそうです。もっと集まってください。そう、そして手をしっかり繋いで・・・・」 枝は一回下にぐんとしないついで大きく上に跳ね上がった。八人は一瞬宙に浮き、そして世界樹の上の枝が受け止めた。 「きゃぁ〜！凄いわね！これを続けたら頂上なんてすぐじゃない？」 はしゃぐマーニャの横でミネアが青い顔をして呼吸を整えている。トルネコは白目を剥いておりクリフトが治療に走る。アレクは微笑んでいる。 「心配しないでください。世界樹は僕たちを守ってくれます。身を樹に委ねて下さい。ね、ミネアさん、トルネコさん。」 世界樹はそれからも八人を上へと運んでいったが、初めに比べてはゆっくりと穏やかな移動だった。初めは回りを見る余裕などなかった者もいつしか空や雲を眺める余裕を持つようになった。 何度目かの移動のあと、アレクは娘が叫ぶ声を聞いたような気がした。彼は世界樹に止まるよう命じると、声の方に慎重に歩いていった。仲間達も続く。 声は人間の言葉ではなく意味不明の叫びだったが切実なものであることはひしひしと伝わってきた。アレク枝の上に現われると娘は身を固くした。娘の長い髪はやわらかな薔薇色で、不思議な感じの間頭衣を纏っていた。髪と同じ色の瞳からはポロポロ大粒の涙がこぼれていた。 アレクが近付くと娘は後退りした。以前助けたエルフの子供と同じ反応だ。ところが、娘はアレクの顔をじっと見つめ、不思議そうに大きな瞳をパチパチさせた。そして、唇を動かさず、心の声で話し掛けてきた。 “エルフさんとは違う感じだわ。あなたは天空の人ね？・・・でも、混沌の民の気配も感じるわ。一体誰？” 今度はアレクが不思議に思う番だった。 「僕は人間です。名はアレク。天空の剣を捜し、ここまで来ました。途中であなたの声が聞こえたので・・・・」 ばら色の髪の娘は小さな声をあげた。 “まあ！そうしたらあなたが闇を倒すという勇者なの！話には聞いていたけれど、あなたのように若い人だったの？” そして安心したように姿勢を正し涙を拭った。 “私の名はルーシア。天空城の竜の仔達の世話係なの。天空城で育てている世界樹の苗を竜の子に食べられちゃったので、挿し木にしようと内緒で此処まで小枝を取りに降りてきたの。でもあたしってば本当にドジで怪我して動けなくなっちゃって・・・・世界樹の葉はこんなにたくさんあっても薬の作り方を知らないものだから・・・・アレクさん・・・・どうか私を世界樹の頂上に連れていってください。私・・・・こんなふうになったのは運命だと思うの。天空城の偉い方々は言っていらしたわ。勇者は天空城にいつかやってくると・・・・・私が天空城にお連れします。” わからないことばかりだった。天空城？竜の仔？この娘は天からどうやってここに来たのだ？ 「・・・・とにかく、君の傷を手当てしなけりゃ・・・・」 少し離れて見守っていた中からクリフトとミネアが進み出た。ルーシアはまた後退りした。 “混沌の民・・・・私・・・・怖い・・・・” アレクは宥めた。 「みんな僕の仲間です。・・・・君は人間のことを混沌の民と呼んで怖れているらしいけれどここにいるのは優しい人ばかりさ。」 ミネアはルーシアの腕ににできた傷を塞ぎ、クリフトは捻って腫れ上がった足首に手をあてて癒した。 しかし、ミネアたちは次の瞬間腰を抜かしてしまっていた。ルーシアの背には純白の翼が畳まれた状態で揺れていたのだ。アレクたちもクリフトに指差されてそれに気付き硬直したように動かなくなった。 「天使・・・・様？」 クリフトが途切れ途切れ訊ねると、ルーシアは否定した。 “天空人には皆このような翼があるんです。でも、天からのお使いを承るのは立派な人達だけ。私のような者が地上に降りたなら大きなお咎めを受けてしまう・・・・” そして翼を広げた。それは優美な曲線を描き風に揺れたが左の翼は広がらなかった。驚きから立直ったクリフトが翼の付け根が折れているのに気付いて、エルフから貰った薬をそっとすり付けて癒しの呪文を唱えた。見る見るうちに翼の筋は繋がって美しく広がった。ルーシアは嬉しそうに翼をはためかせていたが、痛そうに顔をしかめた。 “まだ飛ぶまでには治っていないようです。さあ、上まで行きましょう。” 立ち上がったルーシアにブライが耳打ちした。 「・・・・天空人の娘さん・・・・確かあなたはアレクが天空人だと言ったが、それは間違いはないかね？」 ルーシアはこっくりした。 “あの人は人間として生きているのでしょうけれど、確かに私達一族の血も混じっています。同族にはわかります。・・・・それが・・・？確かに何故天空人の血を受け継ぐ人が地上にいたのかとても不思議なことですけれど・・・・” 「いや・・・いいんじゃ・・・やはりそうだったのか・・・・・・」 老魔道士は、考え込んだ。 ”表と裏じゃ・・・・アレクとピサロは・・・。” 「爺さま！行きますよ！」 クリフトの声で我に帰ったブライはあたふたと皆のあとを追った。 ルーシアと一行は世界樹に導かれ、樹の頂上付近にやってきた。そこではもう枝はだいぶ細くなり足元が心細くなっていたが、幹はまだ堂々としていた。その幹の一部が幽かに光っていた。 ”運命られし勇者よ。ここへ。” 声が響いた。アレクはゆっくりと声の方に進んだ。いつのまにか足は枝を踏み外していたが体は落ちず空気の中に浮揚していた。 ”この日のために守られし天空の剣、闇に閉ざされようとする世界に光をもたらすために使うがいい。” アレクが腕を差し伸べると、幹は途端に目が眩むばかりの閃光を発した。ルーシアも仲間達も目を覆い、光が収まってからゆっくりと目を開けると、アレクの腕には白銀の鞘に収められた剣が抱えられていた。彼が鞘から抜き払うと、辺りは優しい白い光で充ちあふれた。柄には竜の浮き彫り、刃は鋭く空気でも切ることができそうだった。 「綺麗な剣だわ。」 マーニャがうっとりと眺めれば、ブライは剣の秘める魔力の大きさを指摘し、ライアンは腕の一部のように使いこなすことができる剣だと言った。 ルーシアはしばらく剣に心を奪われていたが、思い出したように軽く飛び上がると世界樹の頂上で握っていた小さな杖を一旋した。すると、淡い桃色をした小さな雲がゆっくりと世界樹の上に降りてきた。 “乗って下さい。・・・・” ルーシアはちょっと悲しそうだった。 「どうしたの？」 アレクが訊ねるとルーシアは苦笑した。 “・・・・・雲を呼んだから、私が黙って下界に来たことが天空城の皆にわかってしまったの・・・・きっと叱られるわ。・・・・あっ、御免なさい。あなたたちのせいじゃないわ。もとはといえば私が目を離したために竜の子が世界樹の苗を食べたのが原因なんですもの・・・・なるべく雲の中央に寄ってくださいね。すぐに天空城につくわ。” 雲はふわふわしており、人が乗ると綿のように窪んだがしっかりと体重を受け止めた。そして八人が乗り込むと真っすぐ上に上がっていった。しばらく下に押しつけられるような感触が八人を圧迫したがルーシアは全く平気で、自分で採った世界樹の若枝を膝の上でまとめていた。自分を待っているかも知れぬ刑罰を怖れてだろうか顔色は冴えないが助けてくれるものもなく世界樹の上で朽ちていただろう運命から逃れられたことは彼女にアレクたちを天空城に送る使命感を与えているらしかった。 “・・・・皆さん！天空城です！” ルーシアの声にアレクは斜め上を見上げ、言葉を失った。 沈みゆく太陽に下から照らされ赤く色付いた大きな雲の上に壮大な城が建っていた。城壁はない。三層程に積み上げられた不思議に白く輝く石造りの館。四つある尖塔の上には優雅に旗がたなびいている。 「・・・・天空の・・・・城・・・・・」 “そう、天空の城。アレク、あなたの本当の故郷です。” 小さな雲は上昇を続け大きな雲に接して静止した。大きな雲も小さな雲と同じようにふわふわし、くるぶしまで沈み込んだ。アリーナはしゃがみ、雲を掬ってふうっと吹いた。雲の断片はタンポポの綿毛のように軽々と舞い飛んだ。飛び行く先には薄桃色の花や青々とした草が生えていた。 「ルーシアさん。雲の上でも花が咲くの？」 ルーシアは、この人間はなんて可愛い娘なんだろうと思いながらアリーナの横にしゃがんだ。 “この雲は、雨や雪を振らせる普通の雲とは違うの。喜びや、希望や・・・・そういったものがいっぱい入っているから草木も育つしいつまでも消えずに浮かんでいられるの。” 「・・・・喜びや希望？・・・・天の上にはそういった宝物がたくさんあるのね。・・・この城の王様は地上にあるどんな国の王様よりもずっとずっと豊かな方なのね。」 “・・・・このお城には人間の城のような王さまはいないわ。みんな自分の力にあった仕事を続けているだけ。誰に命令されることもないし、誰も仕事を捨てようとはしない。マスター様はいらっしゃるけれど・・・・” 「マスター様？」 ルーシアが姫の言葉に答えようとしていると、城の門からルーシアと同じような白い翼を持った天空人の衛兵が二人急ぎ足でやってきた。衛兵といっても装飾のなされた軽い槍を一本構えているきりだ。ここには戦う相手がいないのかもしれない。或いは武器などもたなくとも心の力で討ち負かすことができるのかもしれない。 「お待ちしておりました。天空の武器と防具を携えし勇者と導かれた方々。あなた方は我々の希望です。どうぞ城のなかに。」 八人が城に続く長い階段を登っていくと衛兵の一人はルーシアをさえぎった。 「お前は竜の仔の世話係の者だな。追ってあの方よりじきじきに御沙汰があるだろう。それまでその小枝を栽培係の誰かに渡し、自分の持ち場で仕事をしていなさい。」 うなだれるルーシアを見、アレクは衛兵に訴えた。 「ルーシアさんが下界に降りたのは竜の子に食べられてしまった世界樹の苗の代わりになるものをとってくるためです。ひどい罰は与えないでください！」 衛兵は微笑んだ。 「あの方は決して間違った裁きをなさいません。ルーシアは犯した罪の分だけ報いを受けるでしょう。それは誤ったことではありません。罪は自分でつくり自分で罰をうけるもの。あの方は許しこそすれ罰することはよほどのことでないかぎりなさいませんよ。」 ルーシアはすうっと階段の横の小さな扉の前に進み頭を下げた。 “傷を治していただいたご恩、忘れません。皆さんのご無事を祈っています。” そしてきいっと扉を開け、中へと入っていってしまった。 アレクたちは兵士に案内され、壮大な城に足を踏み入れた。回廊と回廊、部屋と部屋を結ぶ扉には二人ずつの天空人がついていたが、アレクたちが通ると会釈してくれた。誰が知らせたのだろうか。アレクが勇者だと皆が知っていた。 「翼のない人が下の世界から上がってきたのは何百年ぶりかしら。本当によくいらっしゃいました。」 「人間というものを実は初めて見るのです。・・・・あの方のおっしゃった通りだ。人間とは愚かしいことを繰り返す悪鬼のように言っている者もありますが、私達と同じ形をし、同じ心をもっているようですね。誤解をしてすみません。」 「苦しい旅をなさったことでしょう。あなた方の旅の助けとなれなかった私達をお許しください。」 嫌味の欠片もないそんな言葉を聞かされ逆に心が疼く一行であった。人間の心がそれほど澄んでいないことを知っていたから・・・・ 階段を登り詰め、最後に到達したのは竜の紋章の描かれた大きな空色の扉の前だった。 アレクは一人で階段を進み扉に手を触れた。仲間達は五歩ほど下がり見守っている。 扉は少しづつ開きアレクは中で待っていた大広間の主が誰であるのか知った。アレクの緑色の瞳には真正面の台座に座り金色に光る者が自分を見下ろしている姿が映った。彼はあまりの神々しさに目を伏せて跪いた。 ”チイサキモノヨ。メヲアゲヨ。” 台座にいた大きな金色の龍が優しく深い声で語りかけた。アレクは言葉を失っていた。 ”私の名はマスタードラゴン。地上では竜神と言われることもある。この形は私の一つの姿。私の魂を具現したもの・・・・怖れることはない。私はお前が生まれ出たときからこの天空よりお前を見てきた。この世界を救えるただ一人の勇者として、お前が悩み傷つき歩んできた道を私はすべて知っている・・・・” アレクは金色の龍の力の偉大さを畏怖したが、突然激昂した。 「龍神様！・・・・あなたは僕のすべてを見てきたとおっしゃいました。それだけの力を持っていながらなぜあなたは魔物が地上を襲い、多くの家を焼き、血が流れるのを黙って見ていらしたのですか。なぜですか？何故なんですか！」 龍は大きな眼を悲しみで曇らせた。 「勇者よ。お前の言うとおりだ。・・・・確かに私は大きな力を持ち、ここにいながらにして世界の様子を見、運命を知ることができる。・・・・しかし私には手を下すことができぬ。昔、今と同様に魔物がはびこりだしたとき、私は自ら地上に降りて魔王と戦った。・・・・私の怒りは紅蓮の炎となり魔物と共に地上の緑をも焼き尽くしてしまった。天空の力は強大。地上では制御できぬ。・・・・神と呼ばれるほどの力を持ってはいても何もできぬのだ。お前にならばそれができる。混沌の地である地上と天空を結ぶものよ。お前が最後の希望なのだ。お前が破れたときには、また以前と同じように私は魔王と戦い地上を焼き払わねばならん。・・・・私にもこのあと何が起こるのか全くわからない。お前たちが勝てるのか、生きて帰れるかどうかも。私は全能の神ではない。真の神はただ一人ここよりずっと高所におられる。・・・・魔族の王は地下深くに居を移した。邪悪な波涛を私は感じるのだ。・・・・その者は憎悪に身を任せ、エスタークより強くなっている。・・・・それでも・・・・行ってくれるか？」 アレクは仲間達をぐるりと見渡した。 無愛想な顔のまま頷くライアン。 頬を紅潮させにっこり笑うアリーナ。 白い髭を右手でしごきながら眼を暝っているブライ。 アリーナをちらっと見たあと胸の十字架を押さえて微笑むクリフト。 突き出た腹を叩き、片目をつぶるトルネコ。 鉄の扇をぱさっと開きポーズをとったマーニャ。 胸の前に水晶玉を抱き、アレクの瞳をまっすぐに見つめるミネア。 アレクは龍にはっきりと答えた。 「行きます。それが僕の成すべきことと思います。」 龍は金色に輝く眼を細めた。 ”天空の剣を私の前に出すがよい。” アレクが鞘ごと天空の剣を掲げると、剣はアレクの手を離れて龍の目の高さに浮かんだ。龍が一言唱えると剣は白銀の光を放って燃えるように輝き始めた。 ”私が剣に力を与えよう。お前とお前たちの仲間の武器や防具はだいぶ痛んでいる。城の者に直させよう。・・・・それが終わるまでしばらくかかる。その間、この城を自由に歩くがよい。ここではお前たちが望むものをきっと見付けることができるだろう。” 武器防具を預け、湯を使い、着ていた衣服の形に似たものを貸してもらったあと、一人の天空人が案内に立った。彼はアレクたちが興味を持ちそうな所を選んで連れていってくれた。 初めに行ったのは大きな大きな書庫だった。年老いたホビットが本の山の中から進み出て話し掛けた。 「此処にある本の多くはあなたたちには読めますまい。知りたいことがおありなら、壁際にいる天空人に読んでもらうといいでしょう。彼らは本を保存しそこににかかれた知識を伝えていくのが役目なのです。」 ブライが進み出て早速一人の天空人に質問をした。天空人は小さく咳払いをして答えた。 「・・・・進化の秘法・・・・遥かなる昔、魔族の王エスタークは、世界を震撼させるものを造り出しました。その名を進化の秘法といいます。エスタークはその力を用い、自らを神に匹敵する究極の生きものに進化させました。しかし事態を知った龍の神と天空人はエスタークに戦いを挑んだのです。長い戦いのため、地表は焼けただれ多くの命が失われましたがついにエスタークは地の底に封じ込められました。エスタークの用いた進化の秘法は完全なものではなかったのです。闇の力を増幅させる黄金の腕輪が使用されて居なかったためだといわれています・・・・御老人、他には？」 「ああ・・・・進化の秘法とはそもそもどういったものなのじゃな？」 「はい・・・・進化の秘法とは本来の進化の筋道を歪めてしまう技です。その技を使えばこの世にあらざるべき命を生み出すことができるのです。災いを引き起こす暗黒の技・・・・後の世に伝えてはいけない知識の一つです。・・・・他には・・・・？ 案内に立っていた天空人が次の場所に移りますよと声をかけた。ブライは動かなかった。 「永年求めてやまなかった知識がここにはたくさんある。・・・のぉ・・・・しばらくここにいてはいかんだろうか。」 クリフトも目を輝かせている。ディルトに読むことを勧められていたがサントハイムにはなかった聖典がずらりと本棚の片隅に並べられていたのだ。かれはアリーナのことをトルネコに頼み、ブライと一緒に書庫に残ることになった。 アレクたち六人は城のあちこちを回った。天候の移り変りを調べる物見台、世界の歴史をあらわした絵画を並べた回廊、いつかは地上への贈り物となる魔力を秘めた織物を織る工房・・・・それらの部屋の一つに楽士が妙なる調べを奏でている部屋があった。その調べにあわせてエルフの少女が数人、これぞ天女の舞というような軽やかなダンスをしていた。エルフたちは地上から来たばかりなのか、人間であるアレクたちにあからさまな嫌悪感を見せ、つんとすまして顔を背けた。 収まらないのはマーニャである。手を腰にやり、忿懣やるかたないといった表情だ。 「踊りたいのだろう？我慢することはない。」 ライアンに言われ、マーニャは戸惑った。 「踊り子ならば、このような美しい楽の音に合わせて舞ってみたいはずだ。さあ、行きなさい。」 マーニャは頷き床の隅でステップを踏み始めた。見事な踊り、全身全霊を傾けた舞だった。初めは無視していたエルフたちも自分たちが踊るのを止めてマーニャを中央に招き入れた。楽士も喜んで曲を次々と奏で踊り子はある時は蝶のように、あるときは炎のように激しく踊った。マーニャはこれが今生の思いを込めた踊りであるかのようにずっと踊り続けた。 案内人が、もう行きましょうとかけた声も聞こえていなかった。 ミネアがマーニャと共に残るといい、驚いたことにライアンもその場にとどまった。アレクとトルネコとアリーナはそれではとその場をあとにした。 ミネアが不思議そうにライアンを見つめるとライアンは顔をほころばせた。 「私は生まれてからこのかた剣の道をひたすら歩み、楽の音や舞には縁のない生活をしてきた。・・・・しかし・・・・楽の音もまたよいものだな・・・・ミネア殿、あなたも足で無意識のうちに拍子をとっているぞ。さあ。」 ミネアは小さな子供のように頷いて姉の隣に走り出た。 アレクたちはといえば雲の上一面に広がる花園に来ていた。アリーナが眼を輝かせ、案内の天空人に、行ってもいいですかと表情で訊ねた。天空人が許しを出すと、アリーナは眺めてはしゃがみ込み、又場所を移しては眺めるという動作を繰り返した。トルネコはアレクの肩にそうっと後ろから触った。 「アレク、あんたは他に知りたいことがあるんじゃないかな？お姫様はこのトルネコが見ているから、一人で行きなさい。」 アレクは肩ごしにトルネコの丸い顔を振り返ると口を結んで天空人のいるところに戻っていった。トルネコは夕暮の花園の片隅にどっかと腰を下ろし、姫の様子を見守ることにした。 アリーナが花を両手で包むようにして匂いを臭いでいると厳しい声がした。 「こらっ！ここの花を摘んだらいけないんだぞ！」 アリーナが顔を上げると、紫色の小悪魔が一匹、じょうろを持って仁王立ちになっていた。アリーナは身構えたが、デスパレスで見た小悪魔のような卑しさも、邪悪さもこの小悪魔にはなかったので力を抜いて答えた。 「摘もうとしていたのではないの。香りを臭いでいただけ。・・・・あなたはここで花を育てるのが仕事なの？」 小悪魔はゆっくりと頷いた。 「そう・・・・とっても綺麗なお花だわ。」 「そうかい？朝の光のなかだともっともっと綺麗になるよ。見るだけならここにいてもいいや。花は見てくれる人がいるとどんどん綺麗になるからね。」 アリーナは花を見つめ、そして何故だか泣きだしてしまった。小悪魔はあわてて、三本指の手で姫の背中をさすった。 「どうしたんだい、一体。」 きかれても、自分にも何故悲しいのかがわからないのだから答えようがなかった。すると小悪魔はごそごそと腰に下げた革袋から一つの種を出すと、アリーナに手渡し、雲に埋めるようにいった。姫が指で小さな穴をあけ、優しく雲をかけなおすと、小悪魔はじょうろを傾けた。じょうろからは水ではなく光の雨が振り注いだ。と、見る間に、種は発芽し美しい桜草が咲いていた。小悪魔は嬉しそうに目玉をくるりと回し、桜草を手折るとアリーナに渡した。 「これはあんたの思いが咲かせた花だよ。あんたの思い出やあんたが今思っていることはこんなに綺麗なんだ。泣くのはおよしよ。・・・・もっていきな。もしかしたら役に立つかもしれないよ。天空の雲のエキスをたっぷり吸い込んでいるんだから。この花は枯れない。役目が終わったら消えるだけだからさ。」 アリーナは感謝の印に小悪魔の手の甲に口付けた。小悪魔は照れ臭そうに身をよじった。そして飛び跳ねながら消えていった。歌いながら。 「あなたはどこに行きたいのでしょう。もう殆どの所をご案内しましたが。」 天空城のテラスに登って案内人の女性は静かに言った。 アレクはゆっくりと噛みしめるように答えた。 「行きたい場所はありません。・・・・僕は、自分が何者であるかを知りたいのです。そして父さん母さんが何故自分の子ではない僕を勇者として育ててくれたのか・・・・」 案内人の天空人はアレクに向き直った。緑色の長い髪が翻り幽かに金色を帯びた翼が風に揺れた。 「お教えしましょう。龍の神からそれをあなたに伝えるのは私の役目だと告げられました。 あなたは地上に降り、そこで出会った樵の若者と恋に落ちた天女の話を知っているでしょうか。」 アレクはブランカに向かう途中で農夫から聞いた物語と、エンドールで吟遊詩人が歌っていた歌を思い出した。 「知っているようですね。・・・・二人は心の底から惹かれ合い愛し合いました。しかし、天空人と人間とが結ばれることは禁じられています。・・・・天空人の持つ力を地上に持ち込むことは世界の均衡を崩し、破滅へと向かわせかねない仕業なのでした。二人の行いに怒った神は雷を放ち、若者はそれに射たれて命を失いました。娘は悲しみに打ち拉がれたまま天空へと連れ戻されたのです。 二人の間に生まれた天空と地上を結ぶ子供はこの世界を救うことができる唯一の者であると、龍の神は予言で知りました。娘はどうかこの天空に子供を置いてほしいと懇願しましたが、それは叶わぬ望みでした。子供が勇者として成長するには、地上で・・・・この天空では失われてしまった荒々しいほどの情熱を持つ地上の世界にいることが必要だったのです。 幼い子供を育てるために、何人もの天空人が名乗りをあげてくれました。龍の神の予言では、勇者を育てることに加わった者には命を失わねばならない運命が待ち受けている可能性が大きいとのことでしたが、それを承知で行ってくれたのです。子供を事故で失ったグレッグとエリスという若夫婦が勇者・・・・あなたの父母となってくれました。剣士、魔道士、職人・・・・彼らは山奥にある森と湖に囲まれた美しい平坦地を見付けると、そこを村にして住みつきました。空から降り立った天空人たちは、土地に腰を落ち着けると同時に自分たちの翼を折り取ってしまいました。もう空に帰ることはないのだと悟っていたのです。」 ”父さん！母さん！ガイストさんにマーグニさんにジューザさん！・・・・” アレクは心のなかで叫んだ。 この平和な天空城を離れ、わざわざ彼らは死ぬために・・・・アレクを教え導き盾となって倒れる役を志願してくれたのだ。 ”アレク、君は強くなる。強くなってくれなければ困るのだ。” ”挫けるのじゃない。自分が勇者ということを忘れるな。” ”強い、そして優しい心を持った勇者になるのだぞ。・・・・” 村人の最後の日の声がリフレインした。 「みんな・・・・」 しばらくアレクも案内人も何もしゃべらなかった。雲を下から照らすようにしていた太陽は水平線の向こう側に消え、青い夕暮がやってきていた。 「・・・・有難うございます。・・・・あと・・・これは聞いてはいけないことかもしれませんが・・・・僕の本当の母はこの城のどこかにいるのでしょうか。・・・・会えなくていいんです。ただ、生きているのかそれとも・・・・」 案内人はアレクに背を向けた。 「あなたのお母さまは生きています。しかし、名乗りをあげることはできません。・・・・その人はどんなときでも地上に残してきた子供のことを忘れたことはありません。・・・・もしも立派に成長した今のあなたを見ることができればきっと嬉し涙にくれることでしょう。」 アレクはその声が涙声になっているのに気付いた。アレクの体に電気が走った。目の前にいる女性が、自分を生んだのだと彼は確信した。次の瞬間アレクは母をかき抱いていた。頭一つ分だけアレクの方が背が高かった。アレクは目を潤ませ、女性の髪に頬摺りした。 「母の代わりに僕の抱擁を受けてください。母の代わりに僕の姿を見てください。・・・・母の代わりに僕を祝福して下さい・・・・そして呼ばせてください・・・・”母さん”・・・と。」 アレクは何度も何度も母さん、母さんと繰り返した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「おっはよう 」 朝早くから起き、城の石段に腰掛けていたアレクの後ろからマーニャが馬鹿に明るい声を掛けた。 アレクは拳一つほど飛び上がり、やれやれと息をついた。 「お早ようございます、マーニャさん。ゆっくり休めたんですか？」 「あったりまえよ。心行くまで踊って食べて寝て、気分は最高ってもんよ！」 ミネアが淋しそうに微笑む。 「姉さんったら・・・・まったく緊張感ってものがないんだから。これから最後の戦いに行くというのに。」 マーニャはケラケラ笑った。 「今更思い悩んだって仕方がないでしょう？それにね、あたしは生きて帰ってくるんだから。まだ究極のいい男に巡り会ってないもんね。トルネコさんだってネネさんのところに無事に帰らなきゃ。ライアンさんだってそれにミネア、あんただって素敵な恋を捜さなくっちゃ。お姫様だってあんなに綺麗で可愛いんだものこれで終わりじゃもったいないもったいない。お爺ちゃんはサントハイムの再建にかからなきゃいけないし、いっくら固い神官だって妻の一人も娶らなきゃ。・・・・ま、あのデスピサロって奴があたしをぶっ殺すとしたら、あたしは”馬鹿、この野郎、こんないい女、他のどこを捜してもいないんだぞ！”って叫んでこと切れてやる。」 ミネアは水晶玉を胸に抱いたまま憮然とし、アレクはくすくす笑った。 「あああ・・・・ま、残念だなあ。奴と戦う前に勇者ちゃんにキスの仕方の一つも教えられなくって。」 「 姉 さ ん っ 」 「ふふっ・・・ミネア、あんたのその怒鳴り声、聞きたかったのよ。」 ミネアは胸がきゅんと締め付けられた。 「長い旅だったね・・・・父さんの仇を捜しはじめてから四年、アレクと出会ってから二年・・・・」 マーニャの長い髪が朝の光の中で輝いた。 「しばらくお日さまを見られないんでしょ？アレク、浴びておこうよ、光を・・・・」 クリフトはアレクたちからずっと離れた石垣の陰に思いつめた表情で座っていた。その左手はずっと十字架を握っている。ブライが口笛吹き吹き杖を回してやってきた。 「おお、こんなところにおったのか。しかし凄いものじゃのぉ。服も杖も新品同様じゃ。どのような魔法を使えばこんなことができるのか・・・・なんじゃ、昨夜は聖典の言葉に触れて顔を輝かせておったお前さんがなんで沈み込んだ顔をしているんじゃ？・・・・戦うことが怖くなったのか？」 神官はうなだれた。 「私はいつも戦うことを恐ろしいと思って来ました。今も同じです。」 「・・・・うむ・・・・だが、その顔はそれだけではあるまい。何が心につかえておるのじゃな？」 クリフトはぽつりぽつり話しだした。 「私達七人は、運命に導かれてアレクと出会い、共に邪悪なものを倒すように定められました。私は私自身の運命は受け入れています。他の皆もそれぞれなくてはならぬ人々です・・・・でも、まだ姫さまは子供です。私より５つも年下です・・・・・それなのにどうして命を賭した戦いに赴かなくてはいけないのでしょう？・・・・私はこんな運命を定めた神を呪いたくなってしまいます。・・・・もしも許されるならば・・・・許されぬことはわかっていますが、姫さまをここに残して旅立ってしまいたい。」 ブライは、遠縁の青年のそばにぴったりと寄り添って座った。 「お前さんから、神を呪うなどと言う言葉を聞こうとは・・・よほど姫さまがお前の死んだ妹ごににておるのだろうな。・・・・クリフトよ。姫さまが何故女だてらにあんなにお強いのか考えてみたことはないか？・・・・これもみな運命の成せる技。それに姫さまはもう子供ではないぞ。自分の意志というものをしっかり持っていらっしゃる。もしもお前がお止めしても、姫さまは振り切って戦いの地に赴かれるだろう。あとには退けないのだ。お前さんが本当に神官ならば、すべてを神の手に委ねることだ。・・・・むろん我らはでき得るかぎり姫さまをお助けする。それが家臣としての務めじゃ。・・・・ときに姫さまを見なんだか？トルネコ殿の話では花畑にいるのではないかとのことじゃったが、花畑の手入れをしておった小悪魔の話では、今度は海を見に行ったと・・・・わしゃあ、もう疲れたぞ・・・・」 「海ですか？・・・・そうしたら雲の端ですね。爺さま、私がお捜しして参ります。」 神官はブライを座らせると小走りに姫を捜しに行った。 姫はすぐにみつかった。細く長く斜め上に向かって突き出た雲の上に彼女は器用にちょこんと座っていた。神官は血相を変えた。 「姫さま！そんな危ないところで何をしていらっしゃいます！」 アリーナは自分では危ないなどと思っていないらしく、雲の上で大きくのびをした。 「海を見ていたの。綺麗よ。お日さまが高くなるに連れてどんどん青さが増していくの。・・・・私達、あんなに下で暮らしていたんだわ。ここからは胡麻粒ほどにも見えないわ。・・・・クリフトも見ない？」 「遠慮しておきます！」 「・・・・・意気地なしなんだから・・・・」 クリフトはおやっと思った。”クリフトの意気地なし！””弱虫！”そんな言葉は何回も聞いたが、今聞いた言葉には不安のような悲しみのような響きがあったからである。 「・・・・姫さま。どうなさいましたか。怖い・・・・のですか？」 アリーナはむっとした。 「怖くなんかない！私は軟弱な貴族の娘とはちがうわ！・・・・そりゃあ、死ぬかもしれないと思うと、ぞっとしてくるけど・・・デスピサロがあのエスタークよりも強くなっているのなら、本当に死んでしまうかも・・・・でも、私は命にかえてでも勝ってみせる。・・・・困っている人々がたくさんいるのだもの。アレクを助けて戦うわ。・・・・たとえ死んでも母さまのところに早く行くことになるだけだもの。私、後悔はしない。」 「そんなことをおっしゃってはいけません。姫さまはサントハイムにとって大切な方です。もしも姫さまにもしものことがあれば・・・・敵の刃が姫さまに迫ったなら爺さまもこの私も前に出て戦います！」 アリーナは怒鳴った。 「クリフトは前に出てきては駄目よ！絶対駄目よ！何が起きても後ろにいなけりゃ駄目！」 神官は神官帽を直した。 「・・・・何故です？」 「・・・・考えてもみて！クリフトは魔物が強くなってから剣で戦ったことは殆どないし、後ろで皆の守りを呪文で固めたり、傷ついた人を回復させたりするのが仕事だわ。そのクリフトが前列に出てくるようでは私達の戦いは負けってことよ。私は最後まで勝つつもりで戦いたいわ。いい？絶対に前に出てきては駄目よ！約束して！皆で勝って、八人揃って戻ってくるんだから！」 クリフトはアリーナの剣幕を怪訝に思いながらも前には出ないと約束した。 「でも、姫さまもお約束下さい。姫さまは前に出て戦うことになりますが、決して死んではいけませんよ。私は昔、姫さまを守るとお約束したのですから。」 「約束？・・・・お父さまと？」 「確かに陛下には姫さまの旅のおともを仰せつかりました。しかし、そのずっと以前に私は王妃さまに・・・・姫さまのお母さまにお言葉をかけていただいたのです。”守ってください。”と・・・・私は従者として頼りない者ですが、姫さまの無事を思う気持ちはじいさまと同じくらい強いつもりです。・・・・どうか生き残って私たちの故郷へ・・・・」 神官は姫の両手をとると自分の掌に包み込み優しく握った。姫は依然として不安げで悲しそうだったが自分の母親の話が出て、興味をひかれたらしかった。 「お母さまに私のことを頼まれたの？・・・・それはいつ？」 「姫さまは覚えていらっしゃいませんよ。私が八歳の時です。姫さまはまだ三つでした。今から十三年も前の話です。」 「・・・・十三年・・・・そんなに長い間、クリフトはお母さまとの約束を守って逃げ回って暴れまくる手のかかる私の世話を焼いてくれたの？」 「何度、”お守り役は私には無理だ！”と思ったかしれませんよ。・・・・でも・・・・」 神官は”でも、あなたが心のまっすぐな、優しくて本当は寂しがり屋の子だとわかってきましたから。”という言葉を飲み込んだ。 アリーナは背の高い若い神官を足元から帽子のてっぺんまで順に見上げた。 十三年にもなるだろうか。 十三年といえば、アリーナの物心がついてからずっとといってもいいだろう。 娘を愛してはいたが仕事に忙しかった父王、儀礼や権威にばかりこだわってアリーナの素直な性格を馬鹿にした遊び相手の貴族の子弟たち。父王の願いから、アリーナを立派な王女にすることに熱を入れ、甘えることや、武闘をすることを決して許さなかった女官たち・・・・下働きのものたちは親切だったが身分に応じた枠をはみ出すような危険は冒さなかった。 そんな中で、ブライや司教のディルトは本当の祖父のようだった。悪いことをしたときには怒り、よい事をしたときには誉めてくれた。でも、ブライにも話せない秘密がたくさんあった。・・・・一緒にハチの蜜を取りに行ったり、小さな花壇を作ったり、武闘の練習をしてお互いに足を捻ってはれあがらせたり・・・・それはいつもクリフトと一緒だった。 彼は兄であり、無二の親友だった。 「お母さまと約束したなら余計よ。クリフトは私をサントハイムまで送らなければならないわ。だから前に出て来て命を落とすようなことをしてはいけないわ！ね！本当に本当に本当に約束よ！」 クリフトが、どうして今になってそのようなことをいうのか姫に質問しようとすると、アリーナが歓声をあげた。 「見て！パトリシアよ！」 ルーシアが注意深くパトリシアを乗せた小さな雲を城の乗っている大きな雲に横付けし、アリーナが集めてきた仲間達全員に向かって深々と一礼した。 “ああ、よかった。間に合ったんですね。これで私も地上に無断で降りた罪の償いができました。” 「償い・・・・」 アレクのつぶやきが聞こえたルーシアは心配そうに言った。 “私が自分で考えた方法なの。マスター様が思うとおりにやれといわれたものだから・・・・これから行く道は地底に続く最も深き道だということです。・・・・喜んで下さるといいのだけど。” アリーナはパトリシアの鼻面を撫で、トルネコは荷台に積んであった樽から人参を一本取り出して馬に与えた。アレクはルーシアと握手した。天空人の少女はほほ笑み、パトリシアに二言三言声を掛けて励ますと手を振って自分の持ち場に戻っていった。 「アレク・・・・さん。」 母がいつのまにか石段の上に立っていた。彼女はしっかりと天空の剣を持ち、自分の息子に向かって捧げ持った。 「龍の神様が鍛えてくださったのです。・・・・天空の剣はやっと本来の力を発揮するようになりました。」 アレクは剣を受け取り、抜いてみた。そのとたん、凄まじいほどのエネルギーの奔流が光の束になって四方に飛び散った。初めて手にしたときの比ではない。 ”聖剣” そんな名がぴったりする姿だった。 トルネコは小さな目をパチパチさせた。その目からは涙がこぼれていた。 ”その姿は優美なこと限りなし。神が人間に送った世界一の宝。・・・・本に書かれていたとおりだ。ネネ、ポポロ、私はやっと夢を本当のものにしたよ。・・・・伝説の剣の真の姿を見ているんだよ。” 低い声が響いた。龍の神の声だ。 ”勇者よ。旅立ちの用意はできているか？” 「はい。」 アレクは城に向かって立った。その前に龍の姿が魔法のように現われた。 「新しい魔王は己の性を完全なる闇に定めるために憎悪で穴を穿ち地底に深き洞窟を形づくった。邪悪な波涛がその穴から発せられ、この雲の一部を貫いた。・・・・この真下に魔王は潜んでいる。私はお前たちとお前たちの馬車ををその穴の入り口まで送り届けよう。・・・・それから先は助力を与えることができん。自分の力と仲間の助けを頼みとして進むのだ。・・・・私の小さな子供達よ。行くがいい。」 仲間達は馬車の中に乗りこんだ。アレクは母親にかけより、そっと頬にキスすると天空の剣を腰に差し、御者台に飛び乗った。 「アレク・・・・あの人、もしかしてアレクの・・・・」 マーニャが言い掛けたがライアンが遮った。 「名乗らぬ方が良いこともあるのだ・・・・」 龍は金色の目を大きく開き、静かに呪文を唱えた。パトリシアの足が幽かに浮いた。白い大きな馬はちっとも驚かず、静かに金色の龍の眼を見つめていた。 「光の園の希望よ。天と地を結ぶ者。運命の地に！」 龍の声が雲を揺るがし、次の瞬間アレクたちと馬車は天空から地底へと転移していた。アレクの母親は他に誰もいなくなった雲の上に膝をついた。 「・・・・これが、人間と交わった私への罰の一つなのですか？・・・・母親の罪が子供を苦しめるのならば、どうかこの私にも同じ苦しみを与えてください。」 龍は優しく女を立たせた。 「お前は掟は破ったが、罪の者ではない。アレクはお前の罪を償うために戦いに赴いたのではない。この世界を救うため、大いなる光の意志の成就のために行ってくれたのだ。・・・・此処に居て見守るがいい。そして歓喜と共にアレクが帰ってくるのを私と共に祈ってくれ。」 女は哀しげに歩いていき、邪悪な波涛によって雲にあいた穴を覗き込んだ。 白い雲の下に大きな島があった。岩だらけのその島には天空の城からも認められるほど大きな穴が黒々とすべてを飲み込むようにその口を開いていた。 |
| ・・・・ゴットサイトと天空の塔を無視・・・・ 相変わらず構成力のない管理人です 天空上ではどうしてもアレクのお母さんと彼を合わせてあげたかったのでした。 アレクのお父さんは雷に打たれて死んだということですが、 それはマスタードラゴンの仕業だったとは思いたくありません。 地上と天空の均衡を保とうとする超自然的な力・・・・ そんなようなもののせいにしないと、マスターを恨みたくなってしまいます。 さて、今回の最重要人物 「じょうろを持った小悪魔」 いや、ＦＣ時代から、天空上になぜ彼がいるのか謎に思っていまして・・・・ |