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| アレクたちは深き穴に降りたつと同時に魔物の襲来を受けた。 灰色の小さな屍鬼が無数に飛びかかり、鋭い爪で防具に守られていない皮膚を切り裂いた。 「皆！下がってください！」 アレクは前に立ち、天空の剣を横に振った。屍鬼の何匹かは剣が触れた瞬間に絶命したが、残りのものは切られた断片がそれぞれ一匹ずつの新しい魔物になった。 「アレク！首を狙え！それ以外の場所では数を増す。姫ぎみ、ここは我らに任されよ！鎧がなくては傷つくばかりだ。」 ライアンが疾風のように走り、アレクに噛み付こうとしていた屍鬼をしとめた。 アレクとライアンは瞬くうちに数十匹の魔物を葬った。残りの魔物もブライとマーニャの呪文で消しとんだ。 クリフトが静かにアレクとライアンの二人に近寄って小さな傷も見逃さずに手当てした。屍鬼の爪には猛毒があるのだ。 アレクは剣を鞘に収めた。そしてこれから進んでいく岩穴を見つめた。岩穴は天空城で会った龍神が通れそうな位大きく、何かとてつもないものが恐ろしいほどの早さで突き進んだように壁は削られていた。暗黒が前方を塞ぎ、光は全くなかった。光があるのはアレクたちのまわりだけだ。 アレクははっとした。 明るいのはランタンのあかりのためではなかった。ブライやミネアがつくる魔法の明かりのためでもない。アレクの、そして仲間達の体自体が仄かに優しく光を発しているのだ。馬車を轢いているパトリシアの大きな白い体もやわらかな光に包まれている。 「この光は・・・・」 マーニャがにっこり笑った。 「勇者ちゃん。あたしたちは闇を葬るために行くんじゃないの。不思議なことないわ。ふむ・・・・でも、こんな風にいっつも光っていたら気味悪がっていい男が寄ってこないかもしれないわね。」 マーニャの冗談に皆がふっと肩の力を抜いたときミネアが叫んだ。 「姉さん！あそこ！」 暗闇の中、ぼうっと光るものが近付いてくる。 ゆらゆらと揺れるそいつは途端に速度を上げ、攻撃してきた。遠くからでも肌が焼けるような高熱の息をはく全身が炎に燃える大きな獅子だ。ブライとミネアが咄嗟に呪文を唱える。 ”自然を司る力よ！” ”風の精霊よ！” 炎は氷の矢で弱まりかまいたちで吹き払われた。弱ったところに姫とアレクが素早く攻撃を加える。獅子は倒れても尚しばらく唸りをあげていたが、やがて辺りにはもとのような静寂が戻った。 怪我の手当てをしようとするクリフトをトルネコがとめた。 「まだここは入り口。薬草の力で直せるものなら回復の呪文は使わない方がいいでしょう。精神力の使い過ぎですぐに参ってしまいますよ・・・・クリフトさんは前からその気があったし・・・・」 神官は商人の気遣いを有り難く受け取った。 アレクがパトリシアの横に立って言った。 「皆！馬車に乗って下さい！」 彼は一人で馬車の前面を守るつもりだったが、ライアンとアリーナがどうしても、と、馬車の外に出ていることを選んだ。 闇の世界は重苦しく冷たく、そこにいる者の心をじわじわと腐食し孤独と恐怖に陥れようとしているかのようだった。一足一足進むごとに靴の底からひえびえとした感触が伝わっていく。それはまるで憎しみ争った末に命を落とした亡者どもが土から枯れ枝のような腕をのばして足にまとわりついているかのようである。実際にそんな光景が脳裏を掠めたのかもしれない、アリーナはついっと前に出、ぶるっと頭を震わせた。 「アレク、ライアンさん。鎧や剣は重くないの？疲れないうちに馬車に戻ってね。」 アレクは白い歯を見せた。 「重くはないよ。ほら。」 アレクはちょっとだけ天空の剣を姫に持たせた。姫はまるで壊れ物でも持つように剣を抱えじっと考え込んでいた。 「・・・・私には重いけれど・・・・見かけよりはずっと軽いのね。それに・・・・この剣は暖かい・・・・」 アレクは改めて剣を手に取った。 「光はあるけれど熱はないと思うよ？」 「違うの。心が暖かくなるの。」 姫は軽やかに足を運び、ライアンの剣の柄に触れた。 「思ったとおり。・・・・ライアンさんの剣も暖かいわ。・・・・金属が冷たいなんて嘘。こんなに暖かい・・・・」 ライアンは姫をけぶったような瞳で眺めていた。 剣が暖かいなどと言われたのは初めてのことだった。幼い頃から剣は魔物だとライアンは教えられてきた。成人し、実際に剣を敵に対して使うようになって、それは本当だったとしみじみ感じた。剣は相手を殺し血を流す道具であった。 しかしアリーナはその剣は暖かいと表現した。 そしてライアンは姫の言葉がが間違っていると今は思わなかった。 魔物は間断なしに現われた。何故こんなに沢山と思われるほどの数だ。或いはこの穴の奥に潜むものの思念が闇の暗さを命ある形に凝集させたものがこの魔物たちなのかもしれない。 炎を吐く魔物、素早く必殺の一撃を繰りだしてくる魔物、大きな翼で風を巻き起こす邪悪なドラゴン。・・・・そして通路を埋める死者の群れ・・・・・ その攻撃は熾烈をきわめたが、八人はそれぞれ自分に与えられた力を発揮し、最後にはアレクの天空の剣が勝負を決めた。敗れた魔物たちの体は塵と化し、再び闇に戻っていった。 「きゃーっ！」 マーニャが悲鳴と共に地面の上を引きずられていった。彼女の足には灰色の蔓が巻き付いている。行く手にふさがっているのはうねうねとのたくる蔦の化物だった。マーニャはどんどん絡みつかれて、蔦だらけになりアレクたちからは見えなくなってしまった。 「マーニャさん！」 アレクは天空の剣で蔦を叩き切ったが蔦はアレクの剣の差し出される方にマーニャの体を差し出して自分の身に危害が及ぶのを防いだ。アリーナもライアンも同じく手が出せない。もちろん攻撃呪文を掛けることもできない。 味方の動きが止まった。蔦はまだ蠢いている。マーニャを抱え込んだあたりが特に激しく動いている。締め殺そうとしているのだろう。ミネアの表情がこわばった。そして蔦の触手はさらなる獲物を確実に狙っていた。 「マーニャさん・・・・」 アリーナは小さく呟き、そして次に大きく叫んだ。 「敗けるもんですか！あなたたちには仲間の誰一人だって渡さない！」 そして姫は突っ込んでいった。炎の爪は蔦の蔓を切り裂き、緑色の粘液がとんだ。一度は姫の姿も見えなくなったがすぐまた現われる。粘液はどろどろと流れ始めた。マーニャを押さえていた茎が緩み、マーニャは鉄の扇で蔦を払って難を逃れた。アリーナは自分に絡んだ蔓を断ち切り、背中から地面に落ちた。 「お姫様！今度はあたしの番よ！離れて！」 マーニャは大きく手を広げ勢いよく突き出した。大きな火球が蔦にぶちあたった。蔦はめらめらと燃え、崩れ落ちた。蔦に塞がれていた通路は奥に隠されていたものを見せた。 そこには濁流渦巻く地底の川が待ち受けていた。 「さて・・・・どうしたものか・・・・」 ブライが杖の宝玉の上に顎をのせて黙想した。先程彼は力を振り絞って川を凍らせようと試みた。しかし、表面にはった氷も水の流れる力の前には脆くも崩れ去ってしまった。 アレクは腰に縄を結び、ライアンに端を持ってもらい流れを横切ろうと飛び込んだ。だが、流されるばかり。全く前には進めなかった。 「無理しちゃ駄目よ・・・・」 マーニャが乾いた布でびしょ濡れのアレクの体をこすった。アレクは息を弾ませつつ忌々しげに激流を睨んだ。 「僕はもう一度試してみる！・・・・」 再び飛び込もうとするアレクをクリフトとライアンが両脇から止めた。 「何度やっても同じ事だ。別の方法を考えるのだ。・・・・しかし・・・・」 ライアンもブライと同じく黙り込んだ。ロープを渡そうにも対岸に引っ掛ける所がない。川床はなめらかな石英質の岩だ。鎖鎌のようなものでも打ち込めまい。もしもロープを渡せたとしても、それにつかまって水に流されずに渡り切れることはできまい。 「う〜、もうこうなったら呪文で天井崩して流れを塞き止めるしかないか！」 息巻くマーニャをミネアが諌め、一同静まりかえっているところにかたん、かたん、と何やら音が響いた。トルネコが大きな木箱を馬車から下ろして中の品物を丁寧に地面に並べ始めたのだ。 「確かここに入れたはずだが・・・・これでもない、これでもない・・・・おお、あった。」 トルネコは嬉しそうに微笑むと一つの小さな壷を取り上げ、他の物を元通りしまった。小さな白い壷で、水色の魚が浮き彫りになっている。 「さあ、旅の途中で手に入れてきた魔法の道具よ。私達の役に立っておくれ！」 そういうと、トルネコは仲間達に馬車に乗るように指示し、壷を流れの中に投げ込んだ。壷は不思議にも、流れる事なくその場にとどまりぷかりと浮かんだ。そしてくるりくるりと回り始めたかと思うと、流れてくる大量の水を自分の小さな口の中に一滴のこらず吸いこんでしまった。川床は底を見せ、濡れた岩肌がてらてらと光った。 トルネコは馬車に飛び乗り、パトリシアは一気に川床にかけ降りあっという間に対岸にかけ登った。アレクが御者台から振り向いてみると壷はあまりにも苛酷な働きに耐えかねたのか水を吸い込むのを止め、水に飲み込まれ押し流されて没した。 「渇きの壷と呼ばれていました・・・・ああしてどこかに運ばれていって、また宝を捜す誰かに拾われる事でしょう。」 トルネコは満足そうに言ったが、前方から魔物がウンカのごとくやってきたのに頭をかかえてうずくまった。アレクが素早く天空の剣をふるう。しかし敵は圧倒的な数だ。 「くそぅ！」 アレクは剣を握り締めた。するとまばゆい白い光を発し、魔物は恐怖の叫び声を上げてその中に溶けていった。 「すごい・・・・何したの？勇者ちゃん。」 マーニャが目をまるくして訊ねたがアレクも驚いて剣を見つめているばかりだった。ブライは静かにアレクを促して剣を鞘に収めさせた。 「・・・・アレク殿・・・・あなたは天空人と地上の人間との間に生まれ、天と地を結ぶべく生まれた存在。その真の力が発揮されつつあるのじゃろう。・・・・あなたが以前より成長した証。驚く事無く剣をふるいなされ。」 地底への道は長く長く続いた。毒の沼、岩だらけの坂道・・・・魔物に襲われながらパトリシアは進んだ。道は徐々に細くなり馬車の両側に壁が迫っていた。蹄と車輪の音がかつんかつんと無音の空間に響く。精神的に圧迫される狭い空間から抜けると、眼下には赤い溶岩の湖が彼らを出迎えていた。溶岩は泡を造り、炎を断続的に吹き上げている。その炎は遥か上を進むアレクたちの足元まで達した。 「うぇ〜っ！しんどい道ね・・・・ちょっとちょっと！あそこ見て！」 マーニャがクリフトをどんと小突いた。 溶岩の上の道は細い幅ながら対岸まで通じているように見えたが、中央部で一度ぷっつりと切れているのだ。幅は先程の激流よりは狭いがかなりある。今度こそロープを渡して伝っていかねばならぬだろう。トルネコがごそごそと鈎付きロープを引っ張りだしていると、かすかな地響きと共に大きな炎が吹き上がった。岩でできた道がぱらぱらと崩れる。ブライは氷の矢の呪文を放ち馬車を熱から守った。早く渡らねば、今居る場所も崩れていくだろう。 ロープを取り出したトルネコはそれをライアンに渡したが、下を見て十字を切った。こんな高いところをロープにつかまって行かねばならないとは・・・・それはブライもミネアも同じ思いだった。 またカラカラと道の一部が崩れた。 そのとき、パトリシアがロープを投げようとしていたライアンの肩を鎧の上から噛んだ。蹄はその場でいらだたしげに踏み鳴らされている。 しかし、人間たちが他の動きを起こそうとしないのを見た白馬は馬車の外に出ている仲間達の着衣を噛んで宙に持ち上げると首を振って乱暴に幌のなかに次々と放りこんだ。そして頭を低く下げると猛然と狭い道を疾走し始めた。 「パトリシア！何をする！」 アレクが叫んだがそれは馬車のがらがらいう音にかき消された。大きな白馬は馬車を牽いたまま岩を後足で力強く蹴って空中に飛び出した。風がオレンジ色の長いたてがみと尾を後方へとなびかせた。馬は前脚を精一杯伸ばし対岸の岩を抱え込もうとした。 ガタン 馬が着地した。が、馬車は崖の端に引っ掛かり斜めに傾いだまま一度止まった。ばらばらと岩の崩れる音がする。パトリシアは歯を食い縛りぐいと車輪を回した。馬車は水平になった。馬はそこでとまろうとしないで一気に溶岩の上の回廊を駆け抜けた。 回廊を渡りきってやっとパトリシアは足を止めた。 「わっわっ！後ろ！」 マーニャのわめき声に反応する前に一同は物凄い音に気付いて後ろを見ていた。大きな揺れがきて、岩の回廊はその割れ目から粉々に崩れて溶岩の中に落ちていった。吹き上がる溶岩の飛沫にトルネコは思わず震え上がった。 アレクは馬車から降り、馬に話し掛けた。パトリシアは汗で背を光らせ、じっとしている。 「パトリシア・・・お前には崩れるということがわかっていたのかい？だから無理をして・・・」 アレクのあとから降りてきたアリーナが地面を見て悲鳴をあげた。パトリシアの蹄が一つざっくりと割れ、赤いものが流れ出ているのだ。ミネアとクリフトが調べると、パトリシアの四つの蹄は皆ぼろぼろの状態で、ここまで鳴声たてずに懸命に馬車を牽いてきたことが不思議なくらい傷んでいた。蹄の裂目は肉まで達し、開いた傷口の中には泥や石が食い込んでそれは痛々しかった。アレクが足を上げさせ、アリーナが細い指で異物を取り除こうと傷にさわると、いままで我慢していたパトリシアも初めて苦痛の悲鳴をあげた。クリフトとミネアが姫を退かせてアレクと共に治癒の呪文を唱えた、が、割れた蹄は治ることはなかった。手当てが終わり、トルネコが即席の靴下を履かせている間にアレクはパトリシアの鼻面を優しく撫でた。 「御免よ。パトリシア。僕にはお前を気遣ってやる優しさが欠けていた。」 パトリシアは、その言葉がわかったらしく、首を左右に振った。 「おまえ・・・・痛いのかい。目が涙で濡れている。こんなにつらい思いをして、よく僕たちをここまで連れてきてくれたね。・・・・パトリシア、お前は本当に神が遣わしてくれたに違いない。」 アリーナがそっとパトリシアに頬摺りした。馬はいとおしげに姫に顔を押しつけるとそっと目を閉じた。 「とにかく、後戻りはできなくなったわね。」 マーニャが溶岩の湖を見て呟いた。 そう。もうこの道をたどって地上には戻れない。それがなぜかアレクをさばさばとした気持ちにさせた。仲間達の表情にも戻れなくなったことに対する悲愴感は皆無であった。 「パトリシア、歩ける？」 姫が小声で聞くと、白馬は元気よく嘶いた。 ”大丈夫ですよ！私だってあなた方の仲間ですから！” そんなふうに嘶きは感じ取れた。 アレクは笑顔を仲間に向けた。 「改めて出発だ！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 道はまだまだ続いた。 アレクは一頭のレッドドラゴンを切り捨て、剣を鞘に収めると仲間達を心配そうに眺めた。自分のすぐ後ろに居るアリーナは強がりを言っていても時折膝をがくがくさせていたし、王宮戦士も重い疲労の色を目に浮かべていた。トルネコはパトリシアの手綱をぎゅっと握っているのがやっとだったし、ブライとマーニャは気力でなんとかもっている状態だ。他の者を手当てしつづけたクリフトとミネアの二人は自分たちの生命力を半分以上削ってしまったのではないかと思えた。先頭を行くアレク自身も疲れ果てていた。地底の奥に進むにつれ魔物は強くなり、全力での戦いが続いた・・・・こんな状態で最後の敵に対することはとうてい無理だ。しかし、キャンプをしようにもいつ新手が来るとも限らない。交替で休息をとることは、強い敵が奇襲をかけてくることを思うと危険すぎた。 ”みんな・・・・” アレクは立ち止まり、胸の前で手を組んだ。 ”竜の神よ。この道はあまりにも長すぎました。私達にはもう力があまり残っていません。どのようにすればよいのでしょうか。仲間達を導いていかねばならない僕に教えてください。” しかし天上からの返答はなかった。そのかわり、アレクの前にきらきら輝く光の粉が舞ったかと思うと透きとおった美しい声が語りかけてきた。 ”この深い地底には天上からの声は届きません。代わりに私がお助けしましょう。” 光の粉はほっそりした娘の姿を形づくりアレクたちをその華奢な両腕でそっと抱き締めてきた。 するとあたりの様子はすっかり変わり、仄かに輝く不思議な場所に八人は招き入れられていた。空気は清浄であかりは太陽の光にも似てよい匂いがしてほのあたかかかった。 「あなたはどなたですか？・・・・女神さまですか？」 アレクは斜め上方を見上げ、光る姿に語りかけた。 光る姿は答えた。 ”私は神ではありません。私は精霊。天にも地上にも地下にもあまねく存在するほんのちっぽけな存在です。育ちゆく命を傍らから見守ることが私にとっての喜びなのです。・・・・あなたが戦おうとしている、この世界を滅ぼそうとしているものはここからそう離れていないところにいるはずです。ここでゆっくりとお休みなさい。私がずっと守っています。私にはこんなことしかできません・・・・あなたたちの目覚めと共にもとの場所へとお送りします。光に導かれたあなた方に大いなる者の祝福がありますように・・・・” 精霊は各人のまわりを抱擁しているかのようにとりまいていたがすうっと消えていった。 「精霊様・・・・・」 アレクは光が消えていったほうに視線を向けていたがライアンに肩を叩かれて振り向いた。後ろではもうすでにパトリシアは眠っていた。そして仲間達は円になって座っていた。ライアンとアレクが加わってそれぞれはそれぞれを見つめた。 ”最後の夜” その思いは誰の胸の内にもあっただろう。だが、そのことについてとやかく言うものは誰一人なかった。冗談を言うものも深刻な話をするものもなかった。 アレクは一人一人の仲間達を万感の思いを込めて見つめた。 戦士のしかめつらしい瞳にも、神官の優しい茶色の瞳にも、踊り子の悪戯っぽい漆黒の瞳にも汚れのない暖かなものが浮かんでいた。 「みんな・・・有難う・・・・」 しばらく無言で通した後にアレクが言うと、皆は微笑して立ち上がった。 神官は跪き夕の祈りを捧げた。ミネアとアリーナが傍らに膝を折る。神官は長い祈りを終えたあと、尚も姫が目を閉じて一心に祈っているのに慈愛のこもった眼差しを向けた。 「さあ、皆さん！今日は特別サービスだ！」 トルネコが密閉したビンを開き、一人一人の手の中に、保存食の固焼きパンを押し込んだ。 「トルネコ秘蔵、ネネの手焼きの代物ですよ。よく噛んで食べて下さいよ！」 固パンはなんの変哲もない四角いものだったが噛む度に甘さがしみ出て舌が潤うようだった。 他愛のないおしゃべりをしているうちに皆は眠気を催し、それぞれ寝支度を始めた。 モンバーバラの姉妹たちは眠るのに邪魔な大きな髪飾りを外した。 「きゃ〜、枝毛になってる！・・・・こんど暇になったら念入りに手当てしなけりゃ！」 マーニャが大仰に声をあげ、水晶玉を磨くミネアはくすくす笑った。 「笑い事じゃあないわよ。ところでミイちゃん、わからないのは承知で聞くけど、あたしたちの明日の運命はどうかしら。」 占い師は水晶玉を掲げ持った。玉はくもって何も映してはいなかった。 「姉さんの御想像の通り。・・・・水晶玉は何も語ってはくれない。運命は自分たちで切り開くしかないということよ。」 「ふふん。・・・・人生、それだから面白いのよね。あら、お姫様、髪が乱れてるわよ。いつものブラシを貸してみて。」 アリーナはマーニャにリアのブラシを渡した。マーニャはアリーナの後ろにまわると丁寧に髪をときはじめた。 「寝る前のブラッシングは髪の手入れの基本よぉ。お姫様はもともと綺麗な髪をしているんだからこれさえしておけば充分。」 アリーナはくすぐったそうに身をすくめ、とかしてもらうと、今度は自分でミネアとマーニャの髪をとかした。マーニャはほほ笑みながらミネアの髪をとくアリーナを眺め、嘆息した。それほど姫は可愛らしく美しかった。 「あたしが男だったら、間違いなくお姫様に今夜のうちにキスの仕方を教えてあげるのになぁ。」 「あら、私、知ってるわ。ブライはときどきお休みのキスを頬にしてくれる。クリフトは背が高いから髪にキスしてくれるわ。おとうさまも亡くなったお母さまも額や頬にキスしてくれたわ。」 「あはっ。違う違う。ここへのキスよ。」 マーニャは自分の唇を触る。 「アリーナはまだわからなくってもしかたないわ。」 アリーナはますます口を尖らせた。 「キスなんて軟弱なことやって、どこがいいの？どういう感じなの！」 「う〜ん。・・・・心臓がどきどきしてかあっと熱くなって頭の芯がくらくらっとしてもうこのまま倒れちゃいたいって感じよ・・・・」 「わかった！戦っていて殴られたときと同じね！・・・・それがどうしていいの？」 「だ〜っ！もう！キスってのは奇跡を起こしてくれることだってあるんだからさ！そういう言い方しないでよ。」 その時そっと二人の御供が近付いて来て姫に深々と一礼した。 「どうしたの？」 ブライは笑顔を絶やさず軽い調子で言葉を返した。 「いや、明日は最後の決戦。この三年近くの間、爺は姫さまの御供をして参りましたが、一応節目の挨拶をしておこうと思いましてな。・・・・楽とは言い兼ねる旅でございましたが、この老人にとって姫さまとの冒険は楽しいものでございました。姫さまが生まれてからすぐ教育係となりはや十六年。最後の最後まで御供します・・・・クリフト、お前さんも何か言え。」 「はい、・・・・姫さま、いよいよです。神はいつも姫さまのそばにいて守ってくださることをお忘れにならぬように。」 神官の言葉は魔道士のそれに比べてかなり深刻な響きを帯びていた。アリーナの表情も曇ってくる。 「何が起ころうとも生き延びてください・・・・」 「何湿っぽいことを言っているの！」 姫はごそごそと腰の物入れを探り、モニカ姫から貰った紫色の守り石を取り出した。 「全く弱虫なんだから！これは私よりもクリフトが持っている方がいいわ。」 神官はあわてた。 「いけません！」 「いいから！私が大怪我したらクリフトに治して貰えるわ。でも、クリフトが大怪我しても私は治せない。だから持っていなさい！これは王女の命令です！」 その様子をトルネコが心配げに見ていた。クリフトは不審に思ったが、決戦を控えて姫の神経が高ぶっているのだと解釈し、守り石を受け取って懐にしまいこんだ。 「姫ぎみに何かあるのか？」 戦士がトルネコに訊ねた。トルネコは寝袋の支度をしながら、アリーナ姫はまだ子供なのだからと曖昧な返事をした。 少したつと、物音がしなくなった。その中でアリーナが毛布を引きずってブライのところまでやってきた。 ”姫さまは甘えん坊じゃな・・・・” ブライは姫の耳に囁くと、寝物語に亡くなった王妃の話をしてやった。モンバーバラの姉妹はその話を聞きながらしっかりと手を握りあい互いのぬくもりを確かめていた。戦士も神官も商人も自分たちの父母、故郷に思いを馳せるうち、夢のなかに落ちていった。 仲間達が眠ってしまったあと、アレクは一人起きだして立ち上がった。隣に寝ている神官は服の上から十字架を握り締めていた。アレクはアリーナの毛布を直してやり、目を上に上げると心の声で語りかけた。 ”精霊様・・・・もしも僕の声を聞いていらっしゃるのでしたらお答えください。” 壁の一部に光が集まり精霊がすうっと優しい姿を見せた。 ”私はここにいます。何のお話でしょう。あなたも休んでおかないと・・・・” ”すみません。でも、僕は・・・・僕はあなたに以前会ったような気がしてならないのです。あなたは何を司る精霊様なのでしょうか。” 精霊は臆すること無くアレクを真正面から見つめたが威圧するような尊大な態度は全くなかった。 ”私は司るものが決まってはおりません。空気や光や炎や雪の精霊は私の友達ですがどうも私は違うようなのです。・・・・私は初めの命がこの世界に生まれたと同時に存在していました。自分が何であるかも知らず、誰からも役目を知らされていませんでした。ただ、太陽の暖かさと地下の静けさを快く感じ、生きもの達の歌う生命のほめうたを耳にして、その力強さに私の役目は命を守っていくことなのだと一人で決意したのです。・・・・といっても私は生まれたままの存在ではないのです。私の魂にはいつのまにかどんどん多くの思いが加わっていったのです。子を思う母の思い、故郷を懐かしむ旅人の思い、恋人達の間の燃えるような思い、そして命を限りなく讃え、他人のために自分の命を落としていった歴史には残らないけれど数限りない人々の思い・・・・だから私の魂は多くの命のもとに成り立っていると言っても過言ではありません。あなたが私に会ったことがあるというのも道理です。” アレクは精霊を緑色の瞳で眩しそうに見上げた。 ”そうですか。・・・・そうですね。僕はあなたがシンシアに似ていると思いました。そしてまたあの可哀相なロザリーさんにより似ていると思いました。・・・・今は亡くなったエリス母さんに見えます。・・・・精霊様・・・・僕は勝てるでしょうか。世界のために勝たねばならないのです。ああ・・・・しかし・・・・” ”悩まないで。あなたはあなた自身には勝てるはずですから・・・・私はあなたのために武器をとって戦うことも、魔法を使うこともできません。私ができるのは、生きものの本当に善い心が光を求めて満ちあふれるときに手助けをすることだけです。さあ、もうお休みなさい。” 精霊はアレクをそっと抱き、横たえた。 （頑張って、私の可愛い子供達・・・・） まどろみの中でアレクは精霊がそういったのを聞き取った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 目が覚めたとき、精霊はいなかった。 八人は最後の行軍を始めた。 凶々しい空気はどんどん濃くなっていき、あまりの邪悪な気配にミネアは胸を押さえた。神官は気遣ってミネアの背を押さえ、祈りの言葉を唱えた。 「あたしにさえ感じるっていうことは、よっぽど悪い奴がいるよのね・・・・・デスピサロかな。」 マーニャが言うとアレクが否定した。 「これはデスピサロとは違います。・・・・デスパレスに居たあの魔族と全く違う雰囲気です。」 アリーナもアレクに同意した。 「デスピサロは恐ろしいほどの殺気は発散させていたけれど、こんな気配はなかったわ・・・・ 邪悪な気配が強まるにつれ、不思議なことに魔物は少なくなっていった。そして地下の奥、大きな町が入りそうな空間に、一つの山がそびえていた。 その山を登ろうとアレクが足を踏みだした時、心を凍らせるような冷たい声が響き渡った。 「お前たちを此処から先に通すわけにはいかぬ。」 「誰だ！」 アレクが叫ぶとその声は空洞に二重三重にこだました。 ゆらゆらとしたものがやってきた。その数五十はあるだろうか。 「死霊か？」 王宮戦士が剣を抜いた。王女も炎の爪を構え、マーニャは一網打尽にしようと呪文を唱え始めている。 「姉さん、アレク！違う！あれは魔物じゃないわ！」 魔物と思っていたものは近付いてきた。それは黒い装備を纏った紛れもない人間だった。戦士は黒い甲冑に身を固め、僧侶も黒い法衣を纏っている。魔法使いは黒く不気味に光る宝玉の付いた杖を掲げ持っている。 「卑怯な！人間たちを操って盾にするとは！」 声が嘲ら笑った。 「操る？その人間たちの目を見るがいい。」 アレクは近付いてくる者たちの瞳を見た。・・・・声の言うとおり、その目は虚ろではなく全くの正気だった。 「・・・・この人たちに何をした！」 「何もしはせぬ。彼らは私の下僕。己の意思で私に付いてきてくれたものたちだ。」 「嘘だ！・・・・なぜ、お前のような邪悪なものに人々が付いてくる！」 声は冷静で低く心地よかった。 「邪悪というか。・・・・人間が己の欲望に従って生きてどこが邪悪だろうか。人はすべてよりよく生きたいと思う。それが人間が神から与えられた性だ。多くの財を望み、権力を手にし、安楽に暮らす。・・・・それが悪だろうか。悪と善はその時代の取り決めによって変転するもの。この世に絶対ということはないのだよ。・・・・彼らは私の目指す王国に生きる場所を求めてくれた賢明なる頭脳を持ち合わせた人々だ。この世は力のあるものが勝利する。私がその力を握り世界を手に入れるのだ。さあ、我が下僕よ、私の邪魔をするものを殺せ。お前たちの手で勝利を勝ち取るのだ。」 黒衣の人間たちは襲いかかってきた。ミネアが眠りの雲の呪文を唱えたが倒れたものはごく僅かだった。一人の剣士がにやりと笑った。 「我らが教主様の力は偉大。ここは教主様の聖堂。我らは教主様の王国ため訓練を積んできた。お前らごとき虫けらの呪文は効きはせん。」 アリーナに剣士は打ち込んできた。姫は片手を突き出したが、相手の腕から紛れもない赤い血が流れ出たのを見て飛びすさった。 クリフトが魔法使い達の呪文を封じ不可視の盾を造り、マーニャたちがあくまで威嚇のために呪文を唱えたが、黒衣の人々の輪はじりじりと迫ってきていた。 アリーナは唇を噛み締め、炎の爪を構えた。アレクも切っ先を人々に向けた。 声がどこからともなくまた響いた。 「ほほう。同族を殺そうというのか？戦うがいい。人間は本来血を好む種族だからな。憎しみ喚け。」 しかし、アレクたちが動こうとしたとき、ライアンが進み出た。彼は他の七人を腕の動きで後ろに下がらせた。 「罪を犯すのは私一人で沢山だ。・・・・どうしても戦うというのならば切って捨てる・・・・」 ライアンは剣を振り被った。黒衣の人々の群れは近付くのを止めなかった。 ”こんなこと間違っている！” アレクは奥歯を噛んだ。 ”殺しあっても・・・何も変わらない！・・・・” 天空の兜にはまった青い宝玉が光を発し、その光が天空の剣に映った。 黒衣の人々は目を覆った。 「やめろ！その光は・・・・！」 「目が潰れる！」 黒衣の人々は武器を取り落とし膝をついた。そして悲しそうに光に融けて消えていってしまった。 あたりはまた闇に戻った。 「人間とは脆弱な者だ・・・・」 また、どこからか声がした。 「・・・・あの人たちを消したのはお前か？」 「・・・・いいや、あの者たちを殺したのは勇者、お前だ。私の下僕は光のなかでお前が”善”と呼んでいる甘い幻想を見たのだ。そして幻想に溺れ、今の自分の振る舞いとの差に絶望し命を失わずにはおれなかったのだ。」 「それは違う！」 ブライが杖をとって歩み出た。 「あの者たちはお前に心を乗っ取られた木偶人形のようなものじゃった。それが光の中で浄化させられたまでのこと。アレク殿、こ奴の言葉に惑わされてはなりませんぞ。」 アレクはすっくと立った。 「僕は・・・・僕は自分がしていることのすべてが善であると言い切ることはとてもできない。でも、”善”は確かにある。光があるのと同じように。そして人間の心の中にはそれを求める清らかな心があることを。」 声は笑った。可笑しくてたまらないというように。 「何が可笑しいのよ！卑怯よ！姿を見せなさい！」 マーニャが叫ぶと岩の上に黒い霧が凝集し、黒いローブを目深に被った細身の魔道士の姿が現われた。 「闇の魔道士・・・・・」 クリフトが呟いた。 「私を覚えていたのか。」 クリフトはとっさに呪文封じの言葉を唱えた。 「もう私にはどんな呪文もきかぬ。」 闇の魔道士はすっと左手を上げた。黄金の腕輪が妖しく手首にきらめいていた。 マーニャがミネアを後ろにかばい怒鳴った。 「あんた、あたしたちがオーリンと一緒にキングレオ城に行ったときにあそこにいた奴ね！デスピサロの手先ってわけだ。」 「手先ではない。ピサロは私の持ち駒の一つに過ぎない。私はあの魔族を利用し、私の王国を築くための敷石にしたまで。・・・・憎悪の固まりと化したピサロは愚かにも進化の秘法を自らの身に施すことを自分から言い出した。人間を滅ぼすため・・・・とな。私は奴に従いピサロを破壊の王として生まれ変わらせた。・・・・お前たちに礼をいうぞ。お前たちがピサロの敵としてふるまってくれてこそ私の計略はうまくいったのだからな。・・・・ピサロにもう意識は存在しない。この黄金の腕輪を手にする私に従うしかない怪物なのだ。」 哄笑する闇の魔道士の頭からフードが外れた。フードの下からは長い黒髪の若々しい男の顔が覗いた。ブライはあまりの意外さに声をあげた。 「お前は・・・・・もしや、イヴラス！」 「・・・・私の昔の名を知っているお前は・・・・確かサントハイムの魔道士だったな。・・・・書物で私の絵姿でも見たのか？」 アリーナが訊ねるとブライは硬直し、杖にすがった。 「もう今から百年も前のこと、サントハイム城にイヴラスという名の魔道士がおりました。・・・・彼は甘言を操り、大臣たちに取り入り、実権を握りました。そのようにして城の機能を奪った挙句サントハイム城に魔物を攻め込ませ、時の王を殺したのです。それに気づきたった一人で立ち向かった神官は・・・・・自ら禁を破り呪殺呪文により魔物を殲滅しました。また、彼の蘇生の魔法によって王は蘇りました。魔力を使い果たしたイヴラスは自ら崖より身を投じ、海へ落ちていきました。・・・・しかし・・・・あのイヴラスがまだ生きているはずは・・・・生きていたとしても寿命はとうに尽きているはず・・・・・」 アレクは天空の剣を構えた。先程イヴラスの下僕を消したときのような光があふれ出たがイヴラスはびくともしなかった。 「そのような光、私にはなんでもない。・・・・私は天空の人間だったのだからな。愚かな人間どもを天空の力を使い従えようとしただけで竜の神は天空城の神官であった私をこの地上にただの人間として追い落とした。私は竜神にたいする憎しみを力の源として魔力を取り戻し若さを保ってきた。人間のお前たちに倒せなどしないのだ。・・・・おや？お前たち、私に憎悪の感情を向けているね。・・・・くっくっくっ・・・・私の力の源は憎悪だとはいわなかったかね？お前たちが憎悪するほど私は強くなり魔力を増すのだよ。・・・・もっと憎むがいい。所詮お前たちは私の手の中で踊っていたのだよ。ピサロと同じように。ここでお前たちを倒し、私は更に大きな力を手にするのだ。 サントハイムの者どもよ。城の者を消し去ったのは私がピサロに勧めてのことだった。これには私の復讐心も大いに関係していたが、サントハイム王の予知の力を手に入れたかったこともある。ピサロを武術大会に加わらせたのも私だ。人間の赤裸々な闘争心や悪賢さを見せ付けて人間への不信をつのらせてやったのだ。・・・・ピサロには人間は滅ぼすべき種族だと確信させることが必要だったのでね。・・・・人間が争いを好むことを見せるため、私はボンモールの王にエンドール襲撃を吹き込みもした。ふふふ・・・・私が後押しするまでもなく王はどんどん侵略の準備をはじめたが。人は恐怖の前には脆いことを見せるために剣士よ、お前の故郷のバトランドにも足を運んだ。村人たちは自分の子供を守るのに懸命で、他人の事など構わなかったではないか？・・・・その外にも私はピサロの片腕として各地を飛び回り、ピサロに憎しみを植え付けるため働いた。・・・・計画の完成には進化の秘法が必要だった。・・・・そうだ。モンバーバラの姉妹よ、バルザックにエドガンを裏切らせたのも私の入れ知恵があってのこと。・・・・勇者、お前の村を捜しだしたのも私だ。・・・・もっともお前がこうして生き延びていようとはあの時は思わなかったがな。サントハイム王の予知は村の場所をはっきりと教えてくれたよ・・・・ロザリーとか言うエルフの娘を人間に誘拐させたのもこの私だ。おお、また新たな力が私に流れ込んできた。もっと私を憎め！憎むがいい！」 イヴラスの体には暗いオレンジ色の光が取り巻き、同じ色の電撃が指の先から放射された。八人は避け、クリフトが不可視の盾の呪文を、ブライが素早さを上げる呪文を唱えた。しかし、イヴラスが掌を押し出すと体の芯まで凍てつくような不思議な波涛が押し寄せて魔法の効力をすっかり奪ってしまった。 「無駄だ。お前たちはここで死ぬのだ。」 アレクとライアンが突き進んだが何やら固い壁にぶつかり跳ねとんだ。そこへ再び電撃が襲った。肉の焦げる匂いがし、クリフトとミネアが手当てに走る。 マーニャの火球もブライの氷の矢もイヴラスの遥か手前で無力化し届かない。どんな手段をもってしても何もできない。 「もっと私を憎め、怯えるのだ。私を打ち負かすものはこの世に何もない。昔、私の正体を見破ったサントハイムの神官ルルドは私の手が及ばぬ内にこの世を去ったがあやつの血に繋がるものすべてを私の電撃で焼き殺してやった。お前たちも私の手にかかって死ぬのだ。」 ライアンの手当てをしていたクリフトが呆然とし、次にはっきりと怒りの表情を見せた。そばにいたミネアがすがって止めたがクリフトはイヴラスに向かって剣を抜いた。 アリーナが気付き、電撃で火傷を負った腕で必死でクリフトを押し戻したが神官は止まらなかった。 「神官。お前の心の中の憎しみはもっとも薄かったが急に私に憎しみを燃やし始めたな。いいぞ。それがお前たち人間の性なのだ。・・・・さあ、お前の憎しみの力をお前の体自身に刻むがいい。」 魔道士は気持ちよさそうにクリフトから発散している憎悪の念を吸い取ると電撃に変えて攻撃した。クリフトは電撃を受けたが苦痛に耐えながら確実にイヴラスに近付いていた。 「クリフト！駄目！止めて！前に出ては駄目！」 姫の叫びも彼の耳には入らなかった。 「・・・・私の曾祖父の名ははルルド・・・・お前があの火事を・・・・」 「お前がルルドの？」 クリフトは胸から片腕の折れた十字架を引き出した。それはルルドがサントハイム城の神官だったことを示すものだった。高位の神官の印、ルルドは王を蘇生させるほどの力を持った神官だった。しかし蘇生の呪文は禁忌とされる。ルルドはすぐに位を捨てて城を去ったのだ。 「神官よ。私はお前を殺しそこなったわけだ。しかし運命とはよくしたもの。ここでルルドの血筋を完全に断ってやろう。」 ”オニイチャン、タスケテ” クリフトの頭の中で妹のミリムの叫びがこだました。 電撃がきた。電撃は神官の左腕を焦がした。 ”オニイチャン、アツイヨ、タスケテ！” クリフトの目には以前のアレクよりも誰よりも強い憎悪が浮かんでいた。 ”オニイチャン、アツイ、アツイヨ・・・・” アリーナが飛び出そうとしたが、電撃に阻まれた。 「そうだ・・・・その憎悪の力だ・・・・すばらしく美しい暗黒の力・・・・」 神官は両の目からとめどもなく涙を流していた。 「父を・・・・母を・・・・きょうだいを・・・・返せ！私は・・・・私はお前に会わせてくれた神に感謝する。・・・・私のこの手でお前を殺すことができる機会が与えられたことを！」 イヴラスは息がつまった。クリフトの憎悪の感情のあまりの大きさにその力を吸い取りきれなくなったのだ。 神官は右腕をさっと上げた。 「神よ！この場を去り我に場を譲れ！」 クリフトのよく響く声が、きっぱりと、神にこの地から去るように命じた。 彼が全霊をもって信仰していたはずの神を排除し、自らが運命の代行者となる禁忌の呪文の“場”が出現する。 「死ぬがいい！邪悪な者よ！」 クリフトには不似合いな言葉に続いて冷たい声で呪文が唱えられた。使ってはならぬ呪文。しかし、彼は一字一句間違えはしない。 詠唱が終わると同時にイヴラスの回りに暗黒の渦巻きが荒れ狂った。イヴラスは頭を抱え、それでもクリフトに真空の刃を投げ付けた。クリフトの左腕に刃は命中し、傷からどくどくと血が流れだしみるみるうちに赤い海ができた。 「クリフト！」 アリーナは飛び付いていった。 姫の心を絶望が捕らえた。 トルネコは歯噛みした。 姫の夢の通りになってしまった。 戦いの時に前に出たクリフト。 血の海の中に倒れているクリフト。 約束も守り石も何の役にも立たなかった。アリーナは自分の服を血に染めながらクリフトの袖を切り裂いて紐にすると、肘の上をぐるぐる巻きにして縛った。トルネコがクリフトを引きずり後ろに運ぶとミネアがとにかく血を止めようと呪文を唱える。 アレクはクリフトを見やり頬の筋肉を痙攣させた。 「くそう・・・・よくも！」 イヴラスはローブの袖で顔を隠していたが向き直ると手をおろした。そこには先程までの若々しい姿はなく、老いさらばえ灰色の皮膚をした枯れ枝のような老人がいた。彼の前の魔法の障壁は消えた。 「イヴラス、それがお前さんの本当の姿じゃ！もうおしまいじゃ！」 イヴラスはブライに電撃を浴びせた。クリフトの呪文を受ける前よりはぐんと力は落ちているようだがまだまだ恐ろしいほどの破壊力をもっている。ブライは魔法の障壁を造りやり過ごした。闇の魔道士はブライの障壁を壊そうと凍てつく波涛を繰りだした。 魔法の障壁が瞬時に消え去る。 イヴラスは憎しみを力としている。そして凍て付く波濤を繰り出されればいくら守りの魔法を唱えても全く意味がない。マーニャが、ブライが攻撃呪文を唱え、アレクやライアンや、クリフトの血に染まった姿のアリーナが腕をふるったがイヴラスに達したダメージは微々たるものだった。その傷さえも、イヴラスは呪文で即座に治してしまうのだ。ライアンの剣が喉を裂こうとつけた致命傷も血さえ見せずにふさがってしまう。 そのときやっとアレクはこの敵を憎んではならないのだとわかった。イヴラスは本来ならばとうに寿命の尽きているはずのもの。それが永らえているのは憎悪を命の糧としてきたからだ。エルフの村でも教えられたではないか。・・・・憎しみの剣では魔王を倒せない・・・と・・・・彼は心の中で仲間達に伝えた。・・・・それは難しいことだった。しかし彼らの意識はアレクの意識とぴったり重なり、限りなく静かに透明に統一されたものになった。 彼らはやり遂げた。 アレクの緑色の瞳が憂いを帯びてイヴラスをとらえた。 イヴラスは恐怖した。 「何故、憎むのを止めるのだ？」 アレクは天空の剣を構えた。 「イヴラス・・・・哀しい者よ・・・・」 闇の魔道士へのエネルギーの流入は完全に止まっていた。 イヴラスは残りの魔力のすべてを振り絞ってなにやら呪文を唱え始めた。しかしその言葉が終わる前に天空の剣が闇の魔道士の体を両断していた。 闇の魔道士は断末魔の悲鳴をあげて崩れた。 魔道士の骸からすうっと黄金の腕輪が浮かび上がった。腕輪は妖しい光を発散し、くるくる回って煌めいた。そしてイヴラスの声でしゃべった。 ”愚かな生きものよ。私を殺したことにより、お前たちはこの世界を破滅させることになったのだ。進化の秘法を施した私が消えればピサロは見境無く暴れまわる怪物だ。あれの歩いたあとには草木一本残るまい。人間も魔物も恐怖に怯える時代が始まるのだ。・・・・それもまた見物だ。私は竜の神に復讐したことにはなるのかもしれん。・・・・もうすぐ奴は目覚めるだろう。せいぜい残された時間をいとおしむがいい。” イヴラスの肉体はエスタークと同様岩の割れ目にしみ込んで地下へ消えた。同じ割れ目に飛び込むようにして黄金の腕輪も消えた。ただ、黒々とした水晶玉がごろりとローブの中から転がり出た。アレクが拾い上げてブライに渡すとブライは自分の足元に水晶玉を置いた。 「間に合っておればいいが・・・・アレク殿！天空の剣の光をこの玉に！暗黒の黒水晶の呪咀から国王陛下を解き放つには力強い光が必要じゃ。」 老魔道士は印を結び呪文を唱えた。アレクの剣の光があたると黒い水晶は輝く透明な玉となり、一瞬であるが、サントハイム城の謁見の間に王が戻ってきた様子をみせた。王はぐったりとしていたが、生きていることは見て取れる。その光景を見せた後、水晶玉は砕け散った。ブライは微笑んだ。 「呪咀は破れた！ご覧なされましたか！姫さま！これでもう安心ですぞ。」 ブライはアリーナが笑って飛び付いてくるのを予想していたが姫は座り込んでうなだれていた。 彼女のそばに横たわる神官はぴくりとも動かなかった。 |
| ゴールはすぐそこにありますが、まだ見えてはきません。 パトリシアも９人目の仲間として、終焉の地に馬車をひいていきます。 そして、精霊も戦いの力にはなれないものの、静かにアレクを見守っています。 アレクは旅の初めには憎しみに身を任せる少年でしたが、 今、ここにきて、やっと他の仲間たちの導き手の役目を担えるようになってきたようです。 ところで・・・・ クリフトは本当に嬉しかったと思います。 妹の死は自分のせいであったと思い、神を心から恨むこともできずに10年以上・・・・ そこに、本当の犯人が現れたのですから。 うちの神官は弱い人間です。 ですから神官でありながら、憎しみに身を任せます。 しかし、彼は弱い人間であるがゆえに、そんな自分を許せはしないでしょう。 |