「でも変ね。」

　アリーナは、大人の背丈ほどもある、黄色い走りトカゲの死体をウンザリしたように見下ろし、手をパンパンと叩きながらブライに質問した。

　「女の子をさらっていった、あの魔導士は、とっても強力な力を持っているのでしょう？なぜ、自分で黄金の腕輪を取りにいかないのかしら？」

　ブライは、馬車にとびのってきて、いつも通りに倒した魔物の数を書き留めている姫を溜息混じりに眺めていた。姫のあとからは、ゆっくりとクリフトが乗ってくる。

　「・・・・爺にはっきりとしたことは申せませんが、腕輪は聖なる結界のなかに封じこめられているのですから、邪悪な罪深い心を持つものには、取ってくることは無理なのでしょう。」

　アリーナは、”走りトカゲ三匹、砂ミミズ五匹、トサカ蛇二匹”と書き終えると、帳面をぱたんと閉じた。偽者の姫の兄、衛士の格好をした男が、アリーナの強さに呆然としなからも、ブライに促されて馬車を進め始めた。彼は南の洞窟まで、馬車で同行することになったのだ。

　「・・・・罪人でなければ結界に入っても大丈夫なのね？だから私達にやらせようとしたのね。」

　走りトカゲに、神官衣の裾を引き裂かれたクリフトが、針に糸を通しながら諌めた。

　「ひ・・・アナ、人間は多かれ少なかれ必ず罪を背負って生きている生き物です。罪のないのは神のみです。・・・・・・生まれて間もない赤ん坊から、子供、青年、大人となるにしたがって、人間は罪を重ねていくものなのです。」

　「・・・・それじゃ、私達、腕輪が取れないのじゃないの？」

　手綱を握っている男は、びくっと肩を震わせた。詐欺師とはいえ、妹を思いやる心は、普通の人間となんら変りない。ブライは適当なことを言って、大丈夫だと励ましたが、結界が自分たちを罪なきものと認めるかについては多少の心配を感じた。
　馬車はゴトゴトまっしぐらに洞窟に向かって走る。
　洞窟の入り口は、疎林地帯の丘の麓にあった。疎らな草が風になびき、洞窟に吹き込んでいくが、中は日光が届かず、どのようになっているかは皆目検討がつかない。

　「本当に・・・俺は外で待っていていいのかい？」

　偽姫君の兄は、申し分けなさそうにブライに言った。

　「待っていてもらわなくては困る。もしもわしらがふらふらで出てきたら、誰が村まで馬車をしっかりと走らせるかね？・・・・ここは魔物が多い。外にいるのも命懸けじゃぞ。頑張れよ。」

　男は頷くと、小さな包みをブライに預けた。

　「これは、俺たちがあちこちで騙し取った金だ。全部あんたがたにやる。だから・・・・・」

　ブライは首を振って、包みを男に突き返した。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「わー、涼しいのね。」

　中に入ると、アリーナは嬉しそうに叫んだ。岩壁に声が反響する。

　「ずいぶん南に来たのに、・・・・お城の氷室とおんなじね。」

　ブライが呪文を唱えて、杖の先を明るく光らせた。壁には苔がはえ、所々には人が道具でひっかいたような跡がある。盗賊がつけた印だろうか。
　はしゃぐアリーナの肩を、クリフトが押さえ付けた。

　「姫さま！ここはお城の地下室ではありませんよ！」

　「・・・・・クリフトはあまり嬉しそうじゃないのね？昔、宝物がたくさん眠っている洞窟の話をしてくれたのはあなただったじゃないの？」

　「・・・・姫さま。・・・・話と実際は違います！私は暗いのも狭いのも好きではありません。」

　ブライが怒鳴る。

　「二人とも声が大きすぎる！町長が、ここには魔物が出るというておったじゃろうが！」

　怒鳴ったあとで、ブライは自分の口を押さえて咳払いした。
　杖の明かりを頼りに、ブライが先頭に立ち、アリーナ、クリフトの順にゆっくりと進む。光で、下に転がっている石が長い影を四方にちらしている。ブライは歩数を数え、曲角になるたびに、しっかりと帳面に書き込んでいる。しばらくの間、足音と、ブライが地図を書く音と、天井から水滴がときおり落ちる音だけがしていた。

　「何かがいます！」

　鋭くクリフトが注意を促した。
　”何か”が暗闇の中、空気を切り裂いて飛んでいる。

　「爺！あぶない！」

　アリーナはジャンプして魔物を叩き落とそうとしたが、素早く逃げられてしまった。三人は背中を合わせ、敵を向かえ打つ体制をとった。ブライが杖を高く掲げた。見えた！大きなコウモリが五匹ほど。アリーナは今度こそと、狙いを定めて跳んだが、逆に魔物の大きな羽で、顔面をしたたか打ち据えられてしまった。

　「ひどいっ！もう許さないから！」

　アリーナは袖をまくった。 　クリフトは長剣を抜き、気配を頼りに振り回すが、手応えはなかった。突然、あたりが赤く明るくなった。魔物が火を吹いたのだ。間一髪、姿勢をひくくしてやり過ごしたブライは、姫とクリフトを下がらせた。

　「火の魔物には、この爺一人で沢山じゃ！」

　呪文とともに、杖の先から強烈な冷気が吹き出した。魔物は羽を凍りつかせ、失速した。すかさずアリーナが三匹を突き殺し、クリフトが二匹を切り裂いた。

　「怪我はなかったかな？二人とも。」

　ブライの言葉に、やっと落ち着きをとりもどす二人であった。
　迫りくる魔物の群れはコウモリだけではなかった。嫌らしい生きた蔓草や小鬼が三人の行く手に立ちふさがり、襲ってきた。ブライが冷気の魔法を使い、クリフトが剣をふるいながら不可視の盾をつくり、アリーナが縦横無尽に攻撃して、傷つきながらも奥へ奥へと歩みを続ける。
　下の階へ下りる階段を降りて、アリーナはパリパリと、ブーツのしたで何かが砕ける感触を感じて顔をしかめた。さきほどから感じてはいたが、今度は相当多く床に転がっているのだろう。きっとこれは人骨だ。さっきちらりと白いものを見てしまった。アリーナは恐ろしいとは思いながら下をはっきり確かめたいと、視線をそろそろと下におろしていった。途端、横に並んでいたブライにぐいと頭を上に向けさせられた。

　「姫さま！見てはなりません。」

　アリーナは上から急降下してくるコウモリに気付き、ジャンプしてブライの肩を土台にして、空中たかく跳んでコウモリを蹴落とした。着地する瞬間に、またパリパリと骨が割れる音がした。クリフトは低い声で祈っている。アリーナは心の中で祈りを唱えながら、ブライの杖で照らしだされた前方の光景を見てはっとした。

　「爺！見て！綺麗！」

　そこには白い大きなキノコが広い部屋のようになった床を埋め尽くすように生えていた。大きすぎるが、調理場で篭のなかに盛られていたスープ用のキノコにそっくりだ。よく見ると幽かに光を放っている。アリーナはかけ寄って人差し指でちょんとかさをつついた。すると、きのこはシュウッと煙のようなものを吹き出した。同時にわらわらと動きだし、三人に体当たりをしかけてきた。クリフトが剣を振り降ろすと、バターでも切るかのようにあっさりとかさがさけて、先程アリーナがつついたときと同じ煙を吹き出した。

　「クリフト！姫様！こやつを傷つけてはいけない！こやつはマタンゴ！少しでも傷つければ毒の霧が吹き出しますぞ！」

　クリフトは口を袖で押さえた。もう、ブライに任せて逃げ回るより他はない。ブライは杖を振り回し、吹雪が暗い中を吹き荒れた。
　壁に張りついていたクリフトは、神官衣に付着した霜をこすり落とした。ブライの術も、城を出るときよりも数段強力になっているようだ。マタンゴは凍りつき、杖の明かりに照らされてきらきらと輝いている。
　その奥に、ほの白い清らかな明るい光のカーテンが存在していた。凍り漬けのマタンゴをざくざく踏み砕きながら近付いていくと、光のカーテンの真ん中に腰の高さほどの大理石のテーブルがあり、絹の白い布の上にがっしりした作りの木箱が置いてあった。

　「これが聖なる結界？」

　アリーナは眩しさに目を細めた。眩しいといっても目を貫くような激しさはなく、優しい光だ。手をのばそうとしてアリーナはやめた。

　「・・・・・どうやって取ればいいのかしら。私もきっと罪があるもの。いけないことを何度もやったことがあるわ。・・・・・」

　「爺さま、どうすればよいでしょうか。」

　ブライが顎髭に手をやってしごいた。

　「そうはいっても、生まれたての赤ん坊をここに連れてくるわけにはいかんじゃろう。結界は人が作ったものじゃ・・・・まあ、なんとかなるじゃろ。わしは、わし自身に比べれば、クリフトや姫様の方がずっと罪が薄い人間だと思っておるが・・・・姫様を危険な目に合わせることはできぬし、結界でもしも傷ついたなら、クリフトの治癒の呪文が必要じゃ。ここはわしが・・・・・」

　三人が額を寄せあって話している隙をついて、コウモリの大群が押し寄せてきた。アリーナは身構えようとしたが、凍りついている床に足を取られてバランスを崩してしまった。クリフトに倒れかかり、クリフトはブライに倒れかかり・・・・結局三人とも光のカーテンのなかに転げ込んでしまった。コウモリたちはカーテンにぶつかると同時に断末魔の叫びを上げ、完全に消滅してしまった。

　アリーナは立ち上がると、自分の体を見回して、どこも傷がないのを確かめた。光のカーテンの中は気持ちよく、空気も清浄だった。ブライもクリフトも驚いて辺りを見渡している。 　ブライは木箱をそっとつかみ、手のひらの上に乗せた。そして、簡単なかけがねを外すとかすかに蓋をあけた。

　辺りに金色の光が充ち溢れた。目を刺す明るさだ。結界の光をしのぎ、洞窟じゅうが金色に染まった。
　目が慣れたところで、ブライは一杯に蓋を開けた。古代の文字とおぼしきものが刻まれた、細かい装飾をこらした美しい腕輪だ。一瞬、三人の頭のなかに、”これを自分のものとしたい！”という欲望が嵐のようにに涌き起こった。ブライはいそいで蓋を閉めた。黄金の光は失せて、欲望も消えた。
　クリフトは胸の辺りがむかむかしてきた。やはりあの腕輪は呪いの腕輪だ。血を吸い、命を奪った魔性の腕輪・・・・心を惑わされるとは・・・・神官として情けない・・・・・ 　”もう一度見てみたい。”口に出さなくとも皆そのように考えていた。が、ブライは気をしっかりもたせて、絹の布をテーブルから取ると、木箱をしっかりと縛って、革袋の中にしまった。

　「さあ、ここにもう用はない。早くここを出て、姫さまの偽者を救わなければ！」


　 一行が外に出たのは、二日目の朝だった。詐欺師の男は、魔物と戦って少し怪我をしていたが、洞窟から帰ってきた三人よりはまだまだ元気だった。
　彼は、ブライたちが黄金の腕輪を無事に取ってきたことを知ると、涙を流して喜び、泣きながら礼を何度も言った。
　暗闇に慣れた目をしばたかせるブライとクリフトを馬車に引き上げ、男は次にアリーナに手を貸そうとしたが、妙にぼうっとしているアリーナを見て、馬車から飛び下りて抱え上げて荷台へ乗せた。そして、馬に鞭をくれて、フレノールに向かって道を急いだ。

　「おい！そこの神官さん。あんたらの小さな可愛い武闘家は毒をくらっているぜ。早く毒を抜いてやんな。」

　クリフトは驚いてアリーナを見つめた。たしかにひどく青い顔をして気分が悪そうだ。暗い洞窟の中では気付かなかった。
　ブライがマントをまるめて枕にし、アリーナにどんな調子かと尋ねるとアリーナは小さく笑った。

　「毒だなんて思わなかった。・・・・洞窟の中だから寒くなって痺れてきたのだと思ってた・・・・・・弱音は吐きたくなかったから・・・・・そっか。これが毒なんだね。」

　クリフトが黙るように言い、アリーナの胸の辺りに手をかざして呪文を唱えた。見る間にマタンゴの毒が抜けていき、アリーナの顔が穏やかになった。姫はそのままかすかな寝息をたて始めた。クリフトはほっとして、神官衣を脱ぐと、毛布代わりにしっかりとアリーナをくるんでやった。
　御者台から男は言った。

　「あんたたち。あんたたちはこの子を育てたわけじゃないようだな。・・・・・大事にしているようだがもっと大事にしてやりな。・・・・娘っ子だぞ。餓鬼よりも何倍も華奢にできてる。いくら強いからといって・・・・・・事情は知らないが、俺があの娘っ子の身内ならば、旅には連れてあるかねえ。魔物と戦いたいなんて抜かしたら、ぶっとばしてやる。つらい目には合わせたくねえからな。・・・・・、まわりに女手がないだけでも相当な苦労をしていることだろうよ。この子は。」

　男は眠っているアリーナを一瞥すると、強烈な鞭の一叩きを馬にお見舞いした。

　「あんたたち、フレノールに着くまで眠ってくんな。夜にもまた世話になんなきゃならねえからな。」

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「クシュン！」

　クリフトは自分のくしゃみで目を覚ました。
　男は笑った。

　「丁度いいところで起きたな。もうすぐ町だ。」

　アリーナは途中で一回目を覚ましたのか、今は血色の良いほおをして、神官衣にくるまったままブライの胸に抱かれて眠っている。クリフトは馬車の隅で手足を縮めて丸くなった。魔物との戦いで汗をかき、眠り込んでしまい風邪をひきかけたらしい。

　「前言取り消しだ。どうも娘っ子の方がおまえさんより丈夫らしいな。」

　クリフトは、自分の体に、男が自分のマントを掛けてくれていたのに気付き、丁寧に礼を言った。そして、ブライを穏やかに揺すって起こした。もう、フレノールの町の門が見えるまでに近付いていた。 　門では、タブレー神父や宿の主人たちが門の前をうろうろし、馬車の帰りを待ちわびていた。そして、馬車が走り込んできて急停止するが早いか、ことの首尾と一同の安全の確認をし、胸をなでおろした。黄金の腕輪は神父に預けられ、メイの兄は宿屋の主人に優しく迎えられ、夕方になったなら教会に行くとブライに告げて去っていった。

　教会では、タブレー神父が風呂おけにたっぷりの湯を入れてくれ、それぞれが湯を使っている間に洗濯までしてくれた。さらに、洗った服の代わりに村人から借りた服をあてがってくれた。（アリーナには男の子の服が渡された。）タブレーの心遣いは身に染みて有り難かった。
　今日の朝は毒で参っていたアリーナだが、今は、夜の心配も何のその、ブライの髭と髪をリアに貰ったブラシでとかすのだと主張し、きゃっきゃっとはしゃぎながら手を動かしていた。
　若い神官は、闇の魔導士のことに思いを馳せていた。あの男はどのように育ち、どのようにして闇の道に入ったのだろう。彼は人間だった。魔物ではなく紛れもない人間だった。・・・・・彼は神と出会う前に悪魔と出会ったのだろうか。世界に魔物が増えているこの時期にあのような男が現われたのを、偶然だと考えてよいのだろうか。・・・・・・・・あの男・・・・・・・・・・黄金の腕輪を何に使う気だ？腕輪の魔力に魅入られれば、自分の身も滅ぼしかねないだろうに。　アリーナが後ろからクリフトの肩を叩いた。

　「何を考えているの？」

　「腕輪のことです。・・・・・あの美しさは尋常のものではありません。」

　アリーナは長いまつげをパチパチさせた。

　「確かに綺麗な腕輪だったわ。見たときは私も欲しいと思ったわ。・・・・・でも、こっちの方がずっと綺麗よ！」

　懐から、薄翠のペンダントをひっぱりだして姫は微笑んだ。クリフトは笑った。このまだ幼さが残る姫君は、世界に潜む闇の力など理解しようとさえしていないのだろう。

　「ね、ね、それより、クリフトの髪をとかさせて！」

　傍らの椅子の上では、姫に髭と髪をひっかきまわされたブライが憮然として座っていた。

　「おめかししておくんじゃな。奴が夜にわざわざ尋ねてくるのじゃからの・・・・・」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　夜となった。

　墓場は静まりかえり、ブライの指示で、村人達は近付くことを許されていなかった。どこかでフクロウが静寂を破って”ホウ”と一声啼いた。クリフトは、陽の匂いが残っている洗濯したての神官衣を汗の滲んだ手で合わせ直した。

　「気を確かにもたんかい。奴はわしらと戦おうとしてやってくるわけではないじゃろう。もしそうだとしたら全力で戦うまでじゃ。どちらにしてもおまえさんがそんなことでは困るぞ。」

　メイの兄は腰の短剣に手をやり、辺りを見回している。足元には人々から巻き上げた金品。もしもの時にはこれを魔導士に渡して懇願するつもりらしい。もう一人の詐欺師は”城に知らせる。”といって町から逃げてしまっていた。アリーナといえば、軽くジャンプを繰り返しながら、やる気充分だ。
　フクロウが啼き止んだ。
　かすかな風も吹かず、時間が停まったように感じられた。
　空気を切り裂くような音がして、アリーナたちの目の前に、黒いローブの男が、気を失った娘を抱き抱えて立っていた。

　「約束は守ったようだな。さあ、腕輪をこちらに渡してもらおうか。」

　ブライは布で包んだ木箱をしっかりと胸に抱き抱えた。

　「渡す前に聞いておきたい。この腕輪を何に使うつもりじゃな？ただの所有欲ならば悪いことはいわん。やめておけ。」

　闇の魔導士は片手を前に差し出した。

　「所有欲などではない。さあ。渡せ。娘の命が惜しくないのか？」

　詐欺師と姫と神官が同時に身構えた。ブライは白い布を開き、木箱を開けた。黄金色の光が溢れ出る。光は魔導士のローブの奥の顔をも照らしだした。黒い瞳に黒い髪。ブライはその顔をどこかで見たような思いにとらわれた、が、木箱を一杯に開けてそのまま投げ付けた。

　「持っていくがいい！そしてその身を滅ぼすがいい！」

　魔導士はメイを地に落とし、箱から飛び出て宙を飛んでいる腕輪を受け止めた。そしてそのまま姿を消した。
　詐欺師は倒れたまま動かないメイを起こして抱き締めた。クリフトはメイの手首を取り、脈がしっかり打っているのを確かめると、優しく回復の呪文を唱えた。メイはパッチリ目を開けて、目の前に兄の顔があるのに気付いて首にかじりついた。
　二人は涙ながらに無事を喜びあっていたが、男はやがて立ち上がると、ブライに向かって頭をたれた。

　「なんていったらいいんだ。見ず知らずの・・・・しかも人を騙して暮らしている俺たちのようなもんを助けてくれて・・・・・騙し取った金を受け取ってくれないんじゃ他にどんな礼をしたらいいのかわからねえ・・・・・あんたたちのためになにかできることはないかい。」

　ブライは腕組みをして考えていたが、クリフトがそっと耳打ちした。ブライは大笑いした。

　「この神官が、あんたたちがいつまでも詐欺を働くと思うと心安らかでないといっておる。王都に行って真面目に働くと約束してくれないじゃろうか。王都には、働こうとすればいくらでも仕事があるぞ。もしも見つからなんだら、城の司教のディルト様に頼んでみなされ。ブライ爺さんの紹介ですといえば会ってくれるはずじゃ。ついでに新年の祝いの時に本物の姫さまの姿を見ておくと良い。」

　「・・・・・・俺に詐欺師をやめろとは随分な言葉だが・・・・メイの命の恩人の頼みだ。・・・・王都に行って真面目にやってみます。」

　メイが立ち上がって兄の手を握った。傍らのアリーナに小声で尋ねる。

　「お姫さまって・・・どんな人かな。赤毛の子ってことしかあたしほんとは知らないの。」

　アリーナはちらっとクリフトを見て答えた。

　「髪の毛はともかく、胸なんかないし、淑やかでもなくて、お転婆の女の子よ。でも、お姫さまはそれが気に入っているみたい。お姫さまだって普通の人間だもの。やりたいことは色々あると思うわ。」

　メイは笑った。

　「あなたって面白い子ね。まるで自分がお姫さまかお姫さまの友達みたいにいうのね。・・・・あたし、詐欺なんて本当は嫌いでたまらなかったの。田舎の貧しい村・・・ゴゾ村では他に食べていける手段がなかったからで・・・・王都に行ったらきっと一生懸命に働くわ。もしもあなたが王都にきたら、私を尋ねてね。きっとおもてなしするわ。・・・・このドレス、あなたにあげてもいいけれど、あなたはこういうの嫌いみたいね。」

　メイはごそごそと懐に手を入れると、青い小さな長方形のものを取り出した。

　「折畳みのナイフよ。果物も剥けるし、木を削ることだってへいちゃらよ。これをあげる。」

　アリーナは喜んでナイフを受け取りポケットに入れた。

　「さあ、村人は一人もここにおらん。もう潮時だ。おまえさんたちはすぐに出ていけ。あとはわしらでなんとかする。」

　ブライが言うと、兄妹は、町で巻き上げた金品をすべて置いて何度も振り返りながら去っていった。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「町の衆！聞いてください！」

　タブレー神父が朝の光の溢れる噴水広場で台の上に立って叫んだ。昨夜から、一体何がどうしてどうなったのか。王女の姿が見えないがやはり偽者だったのかと訝っていた人々は、何重もの垣根をつくって神父を見上げた。

　「サントハイムのアリーナ姫様たちご一行は、この町を去られるにあたって、伝言を残していかれた。」

　”出ていった？””やっぱり偽者だ！”と怒号が飛んだ。しかし神父がブライに場を譲って彼が口を開くと、真実をきけるかもしれぬと静まり返った。

　「皆さん。姫さまとお付の方からのお言葉じゃ。姫さまは、黄金の腕輪を取ってきてお助けしたわしらにもったいなくも感謝なさって皆さんへの伝達を頼まれたのじゃ。・・・・・姫さまは書き付けを下さった。今からお読みする。」

　ブライは羊皮紙を取り出した。

　「”多くの品物やお金を頂いて、私は後悔の念に責められております。実は私は皆さんを試したのです。王女が金品を欲しがれば、皆さんが何かと用立ててくれることは半ば予想はしておりました。”」

　ブライは大きく息をついだ。聴衆は固唾を飲んでいる。

　「しかし、私はきっと誰かが私の行いを諌めてくれるものと期待をしておりました。きっと誰かが来てくれる・・・・・と。国民が王族を尊敬してくれるのは有り難いことです。しかし、何の疑問もなく王族にへつらってしまうのは正しいことでしょうか。王女はお金も宝物も充分持っています。その王女が国民にお金を要求することが正しいことでしょうか。・・・・・でも、誰も来てはくれませんでした。皆さん。王族が愚かな行いをした場合はどうか諌めてください。私も私のお父さまも、それだけで皆さんを厳しく罰したりはいたしません。・・・・・・でも、皆さんの暖かいお心遣いには感謝しております。皆さんが王家に期待や願いを持っていることもわかりました。私はまだ年若い王女ですが、少しづつ皆さんのために努力しようと考えております。”」

　ブライは一同を眺めた。そして間を置いて次の部分に移った。

　「あとは、箇条書きなんじゃが・・・・読みますぞ。寄進した金品は、寄進した当人が引き取ること。町の人々のもてなしに感謝してこれを・・・ 　ブライは皮袋から金貨を取り出した。町の人々がどよめいた。サントハイム王が路銀にとブライに渡した金の一部だ。
　「これで、壊れた宿屋の支払いと床の修理をし、残った金は、西の沼地の整備に使うといいだろうというお言葉じゃ。そして・・・・・ここに誰かゴゾ村の者はおるか？」

　一人の男が町の者に肩を貸されて前に出された。

　「こいつはゴゾ村のものらしいんだが、金がなくってものを食べてないらしい。もうふらふらですよ。」

　「・・・・姫さまはゴゾ村の畑を豊かにするように、この村の農家に頼んで馬車三杯の堆肥と、強い馬十頭をお前さんの村に贈ると約束を下さったぞ。」

　ゴゾ村の男は半分泣いたような顔になって辺りの人々に有り難いことだ有り難いことだと繰り返した。

　「そして・・・次は・・・・
　続けるブライの顔を楽しそうにアリーナは眺めていたが、急にあっと叫ぶと、クリフトに耳打ちした。クリフトはうんうん頷いて、宿屋の主人を捕まえると話し掛けた。

　「ご主人。これはお姫さまからの個人的なお願いなのですが、お伝えしてよろしいでしょうか。」

　主人は、充分に補償が貰えた嬉しさで顔を輝かせ、お姫さまの言うことならば何でもお聞きしましょうと請け合った。
　クリフトはくすっと笑った。

　「姫さまは、これだけは絶対お願いするとおっしゃいました。」

　主人はなにか難しいことではないかとおそれながら聞耳を立てた。

　「・・・・”噴水の前の花壇に毎年綺麗な桜草を咲かせてください。”とのことでした。」 　
主人は目を丸くした。

　「それだけですか？」

　クリフトは目を細めた。

　「ええ、それだけです。」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　すべての後始末を済ませたブライたちは教会に帰ってきた。タブレー神父が、野菜のたっぷり入ったコンソメスープをおいしくいただくと、すぐに旅じたくを始めた。あまり長居はしないほうが良いだろう。王都に行って実際の姫を見た旅人がこないとも限らない。

　「そうですか。エンドールの武術大会にねぇ。」

　　嬉しそうに胸をはるアリーナに、神父は複雑な表情を投げ掛けた。

　「私は血の気の多いことは苦手だから・・・ここで野菜を作っているのが一番ですよ。アナちゃんのような女の子が出場するとは・・・・クリフトさん。あなたも出場されるのですか。」

　クリフトは首をぶんぶん横にふった。

　「神の御名にかけて、そんなことはいたしません！」

　タブレーはくすくす笑う。

　「さて、薬草に、食料に、飴も入れましたよ。私の作ったマーマレードも。馬に飼い葉をしっかりやったし。・・・・・御老人、南への旅を続けるのならば装備を整えた方がよろしいと思いますよ。魔物も強いものがおりますし。私の見たところ、皆さんは普通の服をお召しだし、武器も銅の剣だけだ。」

　三人はすり切れかけている服を見下ろし、神父の言葉が正しいことを感じた。

　「この町には武器屋も防具やも大きなものはないが・・・・そうだ。エンドールへ行く途中の砂漠のオアシスに大きな市が開かれています。きっと掘出物がありますよ。」

　表に出て、いよいよ三人が馬車にのりこむ段になると、神父は旅の無事を長い間祈っていたが、最後の別れを告げるため、アリーナにキスし、ブライと握手した。そしてクリフトには特別長く話をした。

　「・・・・いいかな。いかなる時にも神を信じ愛をもって臨むのですぞ。・・・・・・私は神官にはこのような旅はふさわしくないと思うが・・・・・まあ、諦めなさい。元気の良すぎる妹さんを持つと苦労する。」

　クリフトは短くタブレーの息災を祈ると、ブライが御者台で待っている荷台へかけ上がった。

　馬車はゆっくり走りだした。

　「さよなら〜！タブレー神父さま！」

　豆粒のように小さくなった神父に向かって、馬車から乗り出しながらアリーナは大きく手を振った。

　遠くからかすかに神父の声が風に乗って聞こえてきた。

　「お元気で！アリーナ姫さま！」

　アリーナは目を丸くした。ブライは愉快そうに笑った。

　「人の悪い神父じゃ。とうに気付いておったのか。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　クリフトは馬車のなかで、また針を持っていた。タブレーに言われて、肩の辺りが綻びかけているのが妙に気になった。

　「クリフトはお裁縫が好きね。」

　姫に言われてクリフトはぎゃふんとなった。

　「好きなわけではありません！ただ、ほころびた服は縫わなくてはいけませんでしょう？他に縫ってくれる人がいませんから私は繕いものは昔から自分でやってきたのです。当然のたしなみです。爺さまだってそうですよ。」

　御者台でブライがこっくり頷いた。

　「お裁縫の先生のグレタは、”裁縫は女としてのたしなみです。”って教えていたけれど。」

　「私は独り者ですし、これからずっとそのつもりですから、結構本式に習いましたよ。」

　アリーナは床に寝そべり頬杖をついてクリフトを見上げた。

　「あら、リアはどうするの？」

　針を指に刺して、若い神官は頬を染め上げた。

　「何故そこでリアが出てくるんですか！」

　アリーナはがばと起き上がる。

　「何故出しちゃいけないの！いくらクリフトが神様のことが好きでも、リアを出してもいいじゃない。」

　クリフトは神官帽を引き下げて、縫い物を続ける。アリーナは覗き込んで、自分の服の小さな穴とクリフトの手元を代わる代わる見つめた。
　クリフトは神官衣を傍らに置いた。

　「繕いものなら私がしましょう。」

　「いいえ・・・・・私もやってみようかな・・・・・って。」

　クリフトは咳き込み、ブライは御者台で吹いた。姫の運針の腕と来たら・・・・・山あり谷ありどんな山道も逃げ出すほどの針目。クリフトは笑いながら針を再び持った。アリーナは口を尖らしている。

　「・・・・そりゃあ、私、裁縫は大っ嫌いよ。お城で習う運針は大嫌い。・・・・・でも、繕いものはしてみたい。だって繕いものは、お稽古ごとじゃなくて自分で暮らしていくには必要なことでしょう？・・・・・・さっき、フレノールの町で、町の人や周りの村の人たちのためになることがあればって金貨を渡したり馬を買って送ったりしたわ。・・・・町や村の人たちは、畑を耕したり、町を広げたり自分たちの力でしているわ。もちろん料理を作ったり繕いものもしているわ。・・・・・・だのにわたしには何もできない。お父さまの持っていたお金でちょっとだけお手伝をしてそれで何かした気になっている。・・・・」

　神官は首を振った。

　「姫さま。その”ちょっとのお手伝い”が、王さまにしかできないことなのですよ。国を広く見渡して、人々の暮らしのお手伝いをするのが王さまの役目だと、姫さまのお父さまは私がまだ少年だった頃におっしゃいました。・・・・・そのちょっとのお手伝いで、国は良くも悪くもなるのです。」

　アリーナは神官の横にちょこんと座り、神妙な顔をした。

　「王さまって大変なのね。」

　「ええ。無責任に王さまはいいなあなどという者がおりますが、私は頼まれても決して王にはなれるものではないと思います。・・・・陛下は多くの国民から敬愛されておられる立派なかたです。そして神の御心に沿ったまつりごとをなさろうとしていらっしゃいます。お城に聖堂があるのはそのあらわれなのですよ。・・・・・ですから姫さまも・・・・・」

　”大変なお仕事ですが、女王さまになられたら”

　と続けようとしてクリフトは言葉を切った。 アリーナはクリフトの針の運びに気を取られている。

　「・・・・・とにかく、つぎのあて方でもやってみましょうか？さ、見ていて下さいよ。」

　ブライは鼻歌を歌いながら、手綱を操る。

　一行はゆっくりゆっくり南へ下る・・・・