「熱砂の原野を旅ゆく我ら。馬車には積み荷、袋にゃ金貨。ひーるのひなかの暑さがなんだ。よーるの寒さも何のその。ホーイヤッサ、ホー、ホー、ホーイヤッサ、ホーホー」

　やや調子はずれの歌を姫は声を張り上げて歌う。

　「姫様、そんな下世話な歌をどこで覚えられましたか。おやめなさい！」

　ブライに叱られてアリーナは舌を出した。下働きの者たちの中に、キャラバンの商人上がりの男が一人居た。陽気な男で、少し酒が回るといつもこの歌を歌いだしたっけ。

　姫は、馬車の天蓋が影をつくるぎりぎりの所に強い日光を避けて座っていた。見渡すかぎりの砂の平原。地平線が遥か彼方に陽炎にけぶっている。広々としてなんと解放感に満たされていることか！アリーナは森の緑が大好きだったが、たまに見るならこんな景色も大歓迎だと思った。熱気は確かに感じられるが、耐えられない程ではない。ときおり汗がつーっと頬を伝うくらいだ。馬も元気で、一番へばっているのは暑さのなかで律儀に神官衣をぴったりとまとっているクリフトだろう。汗をびっしょりかきながら御者台で頑張っている姿は、気の毒にさえ思える。

　「ホーイヤッサ、ホー、ホー、ホーイヤッサ、ホーホー」

　アリーナはもう一度掛け声の部分を歌った。

　「ホーイヤッサ、ホー、ホー、ホーイ・・・・あ！オオサソリ！」

　姫は魔物を見付けると、動いている馬車の荷台からぽーんと飛び下りて飛ぶように走っていくと、サソリの毒針を身軽に避け、のびやかな足の運びで急所にけりを入れた。サソリは砂のなかに倒れる。サソリの周りの地面が膨れ上がったかと思うと、サソリの血の匂いを臭ぎとって巨大な砂ミミズ、別名サンド・マスターが鎌首をもたげた。

　「爺！」

　アリーナが叫ぶと、ブライが御者台のクリフトを押し退けるように体を乗り出して、ミミズに冷気を浴びせ掛けた。ミミズは首をもたげた状態のまま凍りついた。姫は凍ったミミズに身を寄せた。

　「ああ、冷たくっていい気持ち！」

　クリフトは、汗でぐっしょり濡れたタオルで更に額の汗をぬぐった。

　「お前さんも行ったらどうだ。確かに涼しいじゃろう。」

　「私は・・・・ミミズに触りたくありません。」

　げんなりした表情のクリフトに、ブライはぶつぶつ言葉を浴びせた。

　「まったく・・・・お前さんが女で姫さまが男ならばよかったのじゃ。」

　神官はミミズになついている姫をぼんやりと眺めながら老人に尋ねた。

　「・・・・・爺さま。あの腕輪、闇の魔導士に渡してしまってよかったのでしょうか。・・・・・あの腕輪には人々の欲や怨念が憑依しています。危険ではありませんか。」

　ブライは髭を撫でた。

　「確かにな。しかし、強大な魔導士といえど、あの腕輪の力を制御することは簡単なことではあるまい。いや、逆に腕輪に人格を征服されてしまうかもしれぬ。・・・・・あの魔導士が、腕輪によって滅ぼされることを祈ろう。」

　「・・・・・爺さまは、あの魔導士が、魔物が増えたことと何かつながりがあるとお考えでしょうか。」

　「さあのぉ。魔物は人間には従わぬとわしは思うが。」

　二人の視野の中では、アリーナがミミズから離れて、遠くをみやっていた。そして、突然見ていたほうに向かって走りだした。
　二人は、初めのうち、また何か魔物を見付けたのだろうと考えていたが、姫はなかなか戻ってこなかった。老人は折畳み式の遠めがねを取り出して何が起っているのかを見極め、神官に全速で馬を走らせるよう指示した。
　たくさんの荷を積んだ大きな馬車が、左の方から疾走してくる。その馬車を、馬に乗りシミター（半月刀）を振りかざした数人の盗賊の一団が追っているのだ。盗賊たちは馬車を取り囲んで止め、自分たちも馬を降りて、馬車の主人をおどしている。

　「いいか！クリフト！絶対に追い付け！」

　神官は心得たとばかりに手綱を取った。

　「相手は盗賊だ！」

　「わかっています！命が危ないです！」

　「そうじゃ！・・・・おまえさん。どっちの命を心配している？」

　「私は姫さまの命ももちろん心配しておりますが・・・・・・しかし・・・」

　「あたりまえじゃ。わしも同じだ。盗賊風情にやられる姫様ではないわ。・・・・ただ、姫様が魔物と同じように戦うとすると・・・・」

　「急所をついて、相手は・・・・良くて大怪我、悪くて・・・・」

　急ぐ二人の目前で、アリーナは軽やかに飛び上がり、一人目の盗賊のシミターを蹴り落とした。 　クリフトとブライは急ぐ。急ぐが、三人の盗賊が瞬く間に姫に倒された。シミターを軽やかに受け流し、足を払って転ばし、続け様に二人の首に手がたなを加えてパンパンと手を叩く。残った一人の盗賊は、恐ろしさに顔色をなくして馬にまたがると逃げていった。

　クリフトは十字を切って、倒れた男に歩み寄った。

　「神よ。死者に哀れみを！姫さまの犯した過ちをどうかお許しください。人のためとおもい姫さまは・・・・」

　アリーナは、神官衣の裾をくいくいと引いて口を尖らした。

　「殺すわけがないじゃないの！神様は、人を殺すことはどんな場合でもいけないことだとおっしゃっているのでしょう？私、そのくらい承知しているわ。武術で最も大切なことは、人間のどこを攻撃してはいけないかなのよ！命に何にも別状なくって、気を失わせるつぼだけを殴ったり蹴ったりしたの！」

　なるほど。よくよく見れば胸が上下している。
　アリーナに助けられた、旅の商人が、小さな姫の大活躍に戸惑いながらも感謝の気持ちを込めてその場に跪いた。後ろでは、召使らしき男が三人控えている。

　「娘さんありがとう。きっとさぞ御高名な武闘家のご令嬢なのでしょうな。・・・・私、旅の商人で、名をタリムと申します。砂漠のバザールに店を開いておりまして、追加の品物を運んで行く途中で盗賊に襲われた次第です。」

　アリーナは嬉しそうに手を組んだ。ふうふういって歩いてきたブライに声を掛ける。

　「爺・・・お爺さま、この人は砂漠のバザールに行くのですって。」

　「ほほう・・・実はわしらもバザールとやらに行くところなんじゃが・・・・道案内に立ってはくれぬかな。地図はあるが、道に明るいものが先導してくれるに超したことはないんでのぉ。」

　タリムはお安い御用だと請け合って、自分の馬を宥めるとゆっくり馬車を進め始めた。アリーナもブライも自分たちの車に戻る。
　クリフトは気絶から醒め、朦朧としている盗賊に、聞こえるはずはないのだがお説教をしていた。

　「・・・・今からでも遅くないのですよ。神はいつも私達を見ておられます。罪を犯した人間にこそ神の優しさは与えられるのです。・・・・悔い改めなさい。神の道はあなたのためにも用意されているのです。」

　ブライに呼ばれて、クリフトは予備の水筒をその場に置いて馬車に戻った。

　「お前さん、よっぽど優しいか、よっぽど馬鹿かどっちかだな。」

　「・・・・きっと、馬鹿なんですよ。」

　神官は帽子を被り直した。

　「・・・・しかし、暑いですね。」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　タリムと出会ってから、バザールに着くまでは五日かかった。彼はなかな情報通の商人で、最終目的地であるエンドールの様子などを、野宿の夕食のときに面白おかしく話してくれた。また、砂漠に出没する魔物の弱点も教えてくれ、アリーナを喜ばせた。

　「いえねぇ。こう魔物が多くちゃ、丸腰じゃ歩けません。急所くらい知っておかなけりゃあ。商売のため、しかも四年に一度の大バザールのためとあれば奴らと戦う術を身につけなくちゃなりません。そこらへんが商人のど根性という奴でしょうかね。」

　彼は浅黒い顔をほころばせ、焚火の火に照らされている積み荷をトントンと叩いた。

　「この布地、一部はもう縫って服にしてありますが、軽くてしかも丈夫なものを、わざわざ北の町から仕入れてきたんですよ。あとバザールの期間も残りわずか。気合いを入れて売らねば！」

　オアシスが見えてきたときのことをアリーナは一生忘れないだろう。
　黄色の砂のなかに、緑の宝石を置いたようだった。近付くとそれはだんだん大きくなり、しまいには大きな椰子の木の森だとわかった。砂漠はいきなり草原になり、町の中に涌きだしている泉が小さな湖ほどの大きさになっている。小鳥が歌い、人々が忙しそうに行き交っている。
　バザールも、並大抵の賑わいではなかった。アリーナは、バザールの店はフレノールの露店のようなものだと考えていた。それは大きな間違いだった。確かに屋根はテント張りがほとんどだが、土台をしっりと組んだ立派な店が立ち並ぶ。四年に一回のバザール。それはおよそ八ヵ月も続くのだ。馬車が、町の中央の泉に着くと、アリーナは畔に飛び出していって、冷たい水を何回もすくって飲み、顔を洗った。旅の途中で使っていた樽入いりの生温い水と何と違うことだろう！
　タリムはアリーナの姿ににっこりと笑うと、三人を自分の店に案内した。店員がかなりいる、バザールの中でも最も大きな店の一つだ。赤い地に金糸で刺繍した幕をくぐって店の奥に入ると、そこは気持ちのいい応接間になっていた。

　「みんな、この方たちは、私を砂漠で盗賊から助けてくれたのだ。皆さん。この町にいる間は私の店に泊まっていってください。慣れない方には、夜のバザールは買物がしにくいと思いますよ。今日はゆっくり休んで、明日私が、良い店にご案内しましょう。」
　タリムは店員に指示してお茶を持ってこさせた。異国ふうのかおりがついた上等の紅茶だ。

　「お前たちも、今日は荷ほどきが済んだら休んでおくれ。商売の守護神も多少休んだからといって怒るまい。」

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　夜遅く、クリフトが例によって、アリーナとブライの休んでいる部屋の廊下で剣を抱えてうとうとしていると、品物の勘定をでもして遅くまで起きていたのだろうか、タリムが客人の様子を見にきた。彼はクリフトがうずくまるようにして寝ているのに仰天して肩をつかむと揺り起こした。クリフトはボーッとしていたが、タリムに問われて神官の戒律のことを話すと、笑われた。

　「私は異国人ですから、あなたの国の文化についてはとやかくいえませんが、妹さんと同じ部屋で休んだからといって別に神様は怒りますまい？」

　確かにそれはそうだ。
　クリフト自身、気持ちの幼いお転婆姫と一緒の部屋にいても何も起こりはしないと考えている。しかし、戒律は戒律だ。

　「それとも何か子細でも？」

　クリフトはこれ以上聞かれたくなかったので、外に星を眺めに出た。
　降るような星空とはこのようなものを言うのだろう。天の川がそれこそ光る砂を天にこぼしたように見える。明るい星が星座を形づくっているが、あまりの星の多さに、王都の空よりも見付けにくいほどだ。王都では決して見えない南の空の星が、東の空から昇り始めた。遠くに来たものだと彼は感じた。もしかしたら、これが彼の一生のうち一番長い旅になるかもしれない。魔物の爪で、かなり痛んだ神官衣を気にしながら、もうあまり使うこともないが明日は防具を仕入れねばならぬとぼんやり思う。

　実際には、この若い神官にはかなり近い未来において頑丈な防具が必要になってくるのだが、自分を待ち構えている運命を、彼は知らなかった。


　次の日、店の者に、商売の指示をして、タリムは三人を連れてバザールに繰りだした。時刻は昼をかなり回ったところ。これから夕方にかけて徐々に涼しくなってくるときに、町は一番の賑わいをみせるのだ。

　「まずは、防具の店にご案内しましょう。・・・・皆さんはあまり重たい装備はおつけにならないでしょうから、動きやすい防具を扱っているところがよろしいでしょうね。」

　タリムが案内した店は、少し奥まったところにあった。品ぞろえは豊富で、値段は決して安いとはいえないが良い商品ばかりのようだった。何分、武器や防具のことにはとんと疎い三人であるから、選ぶのも店の主人の説明をきくしかない。
　三人の内では、ブライが初めに品物を決めた。それは小さな盾だった。大トカゲの鱗がぴっちりとはってあり、なかなか丈夫そうだ。”ないよりあったほうがましじゃろう。”というのがブライの弁である。アリーナは、適当な上着があれば買いたいと思っていたが、少女が着るような武闘着はさすがの砂漠商人も持っていなかった。姫はさっぱり諦めて、店をぐるぐる回って紋章の入った金属鎧や兜を一個一個観賞した。サントハイムの衛兵が着ているような鋼でできた鎧もあった。魔物たちの爪や牙も簡単には通らないだろう。それに比べて自分たちは何と軽装なのだろう。自分はともかく、ブライもクリフトもよくここまで来られたものだとアリーナは思った。
　クリフトは神官衣のベルトを外してチュニック姿になった。店の主人は腕を組んだ。自分で防具を作ることもあるのだろうか。痩せてはいるが腕の筋肉が発達している。

　「神官さんにしてはいい体格ですね・・・・いや、これは失礼なことを言ったかな？あなたが神官衣の下に防具を付けるつもりならば、おのずと制限も出てきますよ。・・・・しっかりした金属なら、せいぜいブレスト・プレート（胸あて）程度でしょう。」

　主人は、数種類の防具をテーブルの上に並べた。そして、ブレスト・プレートの中では一番軽そうな銀色の防具を付けてみるよう神官に言った。クリフトは慣れない手つきで防具についた革紐を脇で結ぶと、指示されるままに手を上げたり下げたりした。そして苦笑した。

　「どうもこれは私には重すぎるようです。」

　「そうかね？少し重いくらいでも、慣れれば筋力がついてきて丁度よくなると思うが。」

　「・・・私は、兵士ではなく、神官ですから・・・・・」

　彼は防具を脱いだ。 　傍らから覗き込んでいたアリーナは、口を尖らせた。

　「弱虫ね。少し重いくらいのことで！丈夫なほうがいいじゃない！」

　そう言って、姫は木のテーブルの上からクリフトが外したプレートを持ち上げようとして、あまりの重さによろめいた。ブライが太い眉と髭に隠れて笑っている。姫は、今度はバランスを取って、防具を元通りにテーブルに置いた。その間にクリフトは鎖帷子を頭から被っていた。そして、あちこち歩いたり、剣を振り降ろす真似事を長い間続けていた。

　「・・・・これくらいでしたら、なんとか動きが取れそうですね。じいさま。私はこれを買います。」

　クリフトは鎖帷子を脱ぐと、神官衣を元通りにぴっちりと着てベルトを締めた。窓際の丸椅子に腰掛けていたブライは立ち上がると主人に、全部でいくらになるかと尋ねた。それをタリムが遮った。

　「あなたたちに払わせたとあっては、商人の心意気にかかわります。ここは私が！いいえ。絶対に払わさせていただきます！」

　クリフトは、それとこれとは別のことで・・・といいかけたが、ブライが笑って、感謝していただきますと返事した。タリムはにかりと笑い返し、主人に代金を払った。しかしさすがは商人。値切ることを忘れはしなかった。

　防具屋を出たあと、武器屋に行くはずだったが、タリムが急用を思い出したとかで、武器屋は明日に回して、バザールを楽しむことになった。エンドールの武術大会にはまだ間があるし、サントハイム王から、姫さまに旅の楽しさを味わわせてやってくれと頼まれたこともある。ブライはしばらく、この異国ふうの土地に逗留しようと考えていた。
　アリーナは、鎖帷子を入れた皮袋を抱えて歩いている。

　「私が持ちます。重いでしょう。私のものですし。」

　アリーナは口を尖らせた。確かにずっと持っていたら重くなってきた。それが無性に腹立たしかった。
　　クリフトは溜息をついて、ひょいと皮袋を姫から取り上げた。アリーナはキッとクリフトを睨んだ。

　「・・・・私、もっともっと強くなって、そんなもの軽々と持てるようにきっとなるわ！・・・・・・クリフトにまで負けるなんて情けない！」

　クリフトは半分馬鹿にされたようでいい気分がしなかったが、姫がかなり傷つけられたような目をしているのに気付いて優しい声を掛けた。

　「それはしょうがないことですよ。前にも申しましたとおり、神は姫さまを女の子としてお作りになったのですから。どうしても力には差がありますよ。・・・・・・・でも、私には姫さまのように石を割ったりすることはできません。姫さまは一点に力を集める技をご存じではないですか。それに、まだ姫さまは小さいのですから、これから大きくなれば・・・・」

　アリーナは笑顔を見せた。

　「そうね。私はまだ十五だもの。これからもっともっと強くなるわ。クリフトの年になったら今のクリフトよりずっと強くなってみせる！」

　ブライは咳払いをして、神官の背中を肘でつついた。

　「姫さまを焚き付けるようなことを言うではないぞ。姫、大人になったら姫さまはどんなことをなさるおつもりですか？」

　アリーナは、傍らを過ぎていった奇妙な瘤をもった大きな動物・・・ラクダ・・・を見つめていたが、ブライに四度同じ質問をされて、答えた。

　「大人になったら、武闘家になって、お城の中に道場を作るの。そして、城の皆を鍛え上げるわ。」

　ブライは天を仰いだ。砂漠の空は嫌になるほど青かった。

　「・・・・姫さま、爺は、物心ついた頃から師匠のもとで、魔法の勉強に励んでおりました。クリフトめも、小さい頃に父親に教えられ、八才からは本格的に神官の修業をしておりましたぞ。」

　アリーナはきょとんとした。

　「私だって強くなるために修業しているわ。」

　ブライが立ち止まった。アリーナは嫌な予感がした。ブライが動きを止めてこちらをじっと睨んでいるときは、お説教が待っているのだ。

　「姫！姫さまは、王のたった一人のお子でございますぞ！将来は立派な婿殿を迎え、サントハイムを治めてくださいませんことには！」

　アリーナはふくれた。

　「そんなのつまらない！」

　「つまらないとはなんです！姫さまはそういう星の元にお生れになったのです。ご自分の責任を果たさなければ！」

　「お姫さまって損だわ！自分でなりたいものになれないんだもの！」

　クリフトは微笑を禁じ得なかった。笑う内容ではないのであるが、王座にちんまりと座っているアリーナはまるで想像できないが、道場で兵士をしごいているアリーナは容易に思い浮べることができた。本当にアリーナは王位を継ぐことになるのだろうか？

　その日の夕食は、屋台で薄く焼いた小麦粉に、カレーの味をきかせた野菜をのせたナントカカントカと言うものを食べた。二人のおともに挟まれて座り、”この味は面白いわ。調理場のハンナに教えてあげなくちゃ。”と笑い掛ける姫に、ブライは少々ほっとした。姫は城にいつかは帰る気でいる。城の外に出て好きなだけ暴れれば、きっと城で果たすべき自分の役割に追い追い気付いてくれるだろう。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　次の朝、ブライはけたたましいクリフトの喚き声で目を覚ました。そして、まだ朝早くだということを確認すると、頭の上まで毛布を引き上げた。明け方は寒い。

　「じいさま！起きてください！私の、私の神官衣がなくなったんですよ。」

　ブライは毛布を被ったまま動かない。

　「じいさま！」

　老人は眠そうな目を開けた。

　「あさっぱらからうるさいのぉ。神官衣なら、タリム殿に修理してもらうため、お前さんが眠っている間に渡したわい。」

　もうクリフトはタリムの仕事部屋にとんでいっていた。・・・・・が、神官衣はなかった。あとからブライがついてきて肩を叩く。

　「あんなに傷んでいる服を着ていてははサントハイムの神官として情けなかろう？」

　「しかし・・・！その間私は何を着ていれば良いのです？」

　「・・・神官衣がなくなったらお前さんが神官でなくなるわけではなし。チュニックだけで歩いておればよいのじゃ！」

　落ち着かなさそうにしているクリフトを見てブライはヤレヤレと思った。確かに神官衣は傷んでいたが、ブライがタリムに修理を頼んだのは、神官衣姿を砂漠で見ているだけでどうにもこうにも暑苦しい感じを覚えたからだった。タリムには、この町を出るときに渡してくれるようにブライから頼んである。

　アリーナは果物の朝ご飯を済ませると、早速オアシスの探険に出発した。剣を選ぶクリフトを武器屋に残し、ブライと一緒に町に出たのだが、いつのまにか身軽な姫は爺やをまいてしまっていた。 　まず、泉の畔に陣取って、どう考えても不思議な姿をしているラクダが水を飲んでいるのをじっくり観察した。ラクダは長いまつげで優しそうな目を半分隠し、しじゅう牛のように口を動かしている。

あとからあとからキャラバン隊が到着し、水飲み場はごったがえしていたが、商人たちはラクダをとても大事に扱っていた。ここはまだ砂漠の入り口に近いところだが、奥の砂漠へ踏み入れるにはラクダが不可欠なため、自分の子供のように大切にするのだという。 　赤や青の極彩色の鸚鵡たちも主人に連れられて水浴びをしにやってきた。銀のとまりぎにちょこんととまった大きな鳥は、アリーナをじっと見ているようだ。近付いて見つめると、不思議そうに首を捻った。アリーナもつられて首を傾ける。すると突然

　「オハヨウ！」

　と鸚鵡が叫んだ。アリーナが飛びすさると、ターバンを巻いた辺りの商人たちが声を立てて笑った。
　これから出発するというキャラバンについて、オアシスの出口まで歩いていくと、入違いに別のキャラバンが入ってきた。丁寧に梱包された箱が馬に積まれている。あれはエンドールの方からやってきた陶磁器なのだろうか。姫は去る者にさようなら、来るものにこんにちわを呼び掛けて、しばらくその場に座って馬やラクダ、行き交う人々を目を輝かせて観察していた。サントハイムの城にあっためずらしい品々の一部はこのようにして運ばれてきたのだろう。”綺麗ね。””珍しいわ”という感想しか城ではもったことはなかったが、自然や魔物と戦いながら遠い距離を運ばれてきた品だということがわかった今、帰ってから別の感慨を以て眺めることができそうだった。

　太陽が真上近くになると、日光を避けるために、アリーナは町の方に戻った。店は昼休みでほとんどしまっていたが、一つだけ大きなテントが開いており、人だかりがしていた。軽業師の一団だ！アリーナは物入れに手をつっこむと、ブライから渡されたほんの少しのお金の中から料金をつかみ、入り口の口髭の男に渡して中に入った。 　それは素晴らしい芸だった。初めはほんの小手調べで玉に乗ったり逆立ちしたり。その次は、何人かで組んで塔をつくったりシーソーを使って人を跳ね上げたりした。そしてそれに連続したとんぼがえりや空中回転が加わり、しまいには、手の幅しかない高いところにある丸太の上でそれを行なった。観客は大喝采で、芸人は深々と一礼し、とんぼを切りながら舞台から出ていった。もちろんアリーナもパチパチと手を打ち鳴らし、しごくご満悦だった。

　普通なら”ああ、すごかった。又見たいわ。”でおわるだろうが、アリーナはそうではない。終わったあとに、テントの裏手に押し掛けた。芸人たちは舞台の反省をしており、何人かは、うまく行かなかった演技の練習をしていた。一人が、はられた幕の陰からこちらを覗いているアリーナに気付き出てくるように言い、我々は芸人なのだから只見はいけない。公演にくるように叱った。アリーナは少々恐縮したが言うべきことははっきり言った。

　「ごめんなさい。でも、只見のつもりではなかったんです。私、皆さんのようなとんぼがえりが自分でもしてみたくって。」

　男たちはげびた笑いを浴びせた。

　「冗談はよしな。ちっちゃいの。お前さんにできるわけがない。おっかさんの所にかえんなよ。」

　アリーナは首を振った。

　「確かに私は子供だわ。年よりも背がちっちゃいって言われるけれど・・・・ちょっとはできるの。前に練習したことがあるから。でもコツがわからないんです。」

　アリーナはかなりうまくとんぼがえりをやってみせた。

　「ね？下手でしょう。三回くらい連続させたいし、片手横転もやってみたいし、二回宙返りだってしてみたい・・・・今は一回しかできないの。」

　男たちは真剣な顔でアリーナを見た。

　「お嬢ちゃん、一体あんた、なにものだ？」
　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　夕暮になって、クリフトとブライは走り回ってアリーナを探していた。大きな夕日が沈もうとしている。

　「爺さまがついていて、何故・・・・！」

　「わしが爺さまだからじゃよ！またなにか面倒なことにならなければよいが・・・・」

　心配する二人の前に、にこにこしながらアリーナが現われた。

　「姫さま！どこにいらしたのですか！爺さまと私がどんなに心配しましたことか！」

　アリーナは答えなかった。怒られていることも気にならない様子だ。

　「姫！一人歩きのことはともかく、こんな時間までどこにいるかも知らせぬとは非常識ですぞ！」

　「・・・・・わかったわ。もうしません。」

　あっさりと謝る姫に、ブライは気抜けした。

　「あら、クリフト。それが新しい剣？抜いてみて！」

　クリフトが銀色に輝く剣を抜いてみせると姫は喜んだ。

　「綺麗な剣ね。前のに比べてどう？」

　「・・・・軽い剣ですよ。店の主人によれば、丈夫さは銅の剣より格段によいということでした。」

　「そう。よかったわね！さあ、爺。御飯にしましょう！」

　神官と魔導士は顔を見合わせ、スキップしながら前方を行くアリーナについていった。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　次の日から、アリーナはブライかクリフトに付き添われて町を歩くことになった。といっても、午前中は町の外にいって、めぼしい魔物と”遊んで”くるので、単独行動と同じだった。ブライの足では身軽なお転婆姫に追い付けないし、クリフトは姫に適当な魔物をあてがわれて四苦八苦しながら戦っているうちに姫を見失ってしまうのだ。その分、この神官は剣の腕をあげることにはなったが・・・・

　昼食を食べに帰ってくる姫の首から下げられた帳面を見て、ブライもクリフトも唸った。帳面は三冊目になり、しかもこの頃ページが減るのが速い。

　”神よ、どうか姫さまのお転婆を・・・・”

　クリフトは心の中で祈ったが、どうもこれは神の手にも余るかもしれないと考え、そのあとですぐ、”ああ、私は何と不遜なことを。”と十字を切った。

　オアシスに来てから七日がたった。そろそろ出発を、ということで、三人は最後の町の見物に出掛けた。毎日店を眺めていたわけだが、新しい品物がいれかわりたちかわり出されるので飽きないのだ。サントハイム王へのお土産ということで、珍しい香辛料や、気持ちの良い細工が施された小物入れを買ったあと、農具の店を何のきなしに覗いてみると、妙な形の鉄の道具が置いてあった。主人に聞いても、何に使うのかわからない。前の代の主人が誰かから貰ったものだというが、とにかくいくらかの値がつけばいいがな、と思って置いてあるのだという。

　アリーナは手に取ってみて息急き切ってブライに買ってくれるようせがんだ。ブライはなんのことかわからいながら、適当な小銭を主人に渡した。

　「何に使うのです？」

　クリフトが尋ねると、アリーナは全く話を聞いてはいずに、片手にその奇妙な道具を持ったまま円を描くようにくるくる回っていた。赤い長い髪が陽光に照らされてはっとするほど美しい。のびやかな細い手足とあいまって、踊り子が踊りを踊っているようにも見えた。
　アリーナはそのままクリフトに飛び付いた。

　「ああ、嬉しい！とっても！」

　「だから・・・・それは何なのですか？」

　少女の柔らかな体を受けとめて、我知らず頬を少し染めているクリフトに気付かず、アリーナはその道具を片手にはめた。

　「これ、城の本で見たことがある”鉄の爪”という武器よ。別名”熊殺し”ともいうの。それがここで見つかるなんて！」

　なるほど、手にはめてみると、三本の鋭い爪は土をひっかくためでなく敵を引き裂くための武器だということがわかる。

　「この爪でね、敵をぐさっと・・・・・」

　クリフトが十字をきったので、アリーナはそれ以上続けるのをやめた。
　ブライは嘆息した。また、姫さまの性格がこの武器でより過激になることじゃろうて。

　「さあ、姫さま。タリムの店に帰って、エンドールに向けて出発しましょう。」

　アリーナはもじもじとつったったまま足を動かした。

　「お別れを言いたい人たちがいるの。」

　アリーナは一人で行きたいといいはったが、二人がついていくとがんとして動かなかったので、止むなく軽業師たちのテントに連れていった。
　白い麻布で作った幕をくぐると、男たちが嬉しそうにアリーナを迎えた。

　「おう。かわいこちゃん。また何か用かい？もう俺達に教えられることはないんだがなぁ。」
　アリーナは、今日はお別れを言いにきたのだと話し、お供の二人を紹介した。 　リーダー格の背の高い男がブライと握手した。

　「あんたがアナちゃんのお祖父さんかい。いやあ。お孫さんはとても筋がいいですよ。毎日ここに顔を出して、俺たちができる技を皆覚えちまった。」

　ブライはアリーナを睨んだ。

　「ああ、怒らないでやって下さいよ。一回町の外に出て、魔物と遊んだあとにちょっと来たくらいですから。・・・・そうか、とうとうエンドールの武術大会に行っちまうか・・・・」

　周りの男たちも残念そうに眉を下げている。
　背の高い男はブライと握手し、道中の安全を祈ってくれた。

　「なんだか知らねえけれど、どうもエンドールとボンモールの辺りは魔物のせいばかりではなくきな臭いからね。」

　ブライは髭に手をやった。

　「どういうことじゃな？エンドール王といえばお祭り好き、平和好きの穏やかな王で、国も安定していると聞くが。サントハイムとは近しい間柄じゃし。」

　軽業師は顔の前で手を振った。

　「違う違うきな臭いのはボンモールのせいだ。俺たちはボンモールからエンドール、そしてここにテントを移してきたんだが、どうもボンモールはエンドールの豊かな土地を狙っているらしいですよ。城に呼ばれて芸をしたとき、王にもお目にかかったが、さすがに勇猛王の名だけのことはある。ボンモール王は鋭い鷹のような目を持っていましたよ。」

　クリフトは、一度だけサントハイムにやってきたボンモール王の姿を思い出した。いかめしい感じのする王で、連れて来ていた王子とは対照的な気がしたっけ。たしかあのとき、アリーナがはさみで自分の髪の毛を目茶苦茶にしてしまって・・・・・

　「まあ、武術大会中は何も起きないと思いますがね。・・・・・アナ、頑張るんだぞ。おまえさんならきっと勝ち進める。」

　男に髪を撫でられて、アリーナはくすぐったそうに身をすくめた。
　アリーナはいよいよさよならというときに男たちの前で連続してとんぼをきり、最後に空中で二回転して着地した。拍手喝采を浴びアリーナは”今度は王都にも来てくださいね！”と言い残してテントを出た。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「・・・・しかし、なぜまた軽技など・・・」

　増えた荷物を袋につめ、革紐で縛りながら、ブライがぶつぶつ言った。

　「あらぁ。けっこう戦いには役に立つのよ！」

　鉄の爪を磨きつつ、アリーナは答える。クリフトは部屋のなかに詰め残したものがないか几帳面に確認している。

　「あとは私の服だけですね。」

　その言葉を聞いたかのように、タリムが神官衣を持って入ってきた。その手にはま新しい、前のものと寸分たがわぬ緑の神官衣がのっていた。驚く三人にタリムは得意そうに言った。

　「私はこれでも昔は腕のいい仕立屋だったんですよ。見本さえあればどんな服でもつくってみせます。ああ、古いほうも修理してほれ、この通り持ってきました。おんぼろとはいえ、思い出がありますでしょう？さあ、着てみてください。」

　クリフトは、タリムが新しく縫った神官衣に袖を通した。ぴったりしていてしかも動きやすく縫いは確かなようだ。

　「アナちゃんにはこっちだ。ほら。」

　タリムが差し出したのは、黄色いチュニックだった。

　「これは、みかわしの布といって、偉い魔法使いのばあさんが織ったものらしい。きっとアナちゃんのことを守ってくれるだろうよ。・・・・大きくなっても着られるように縫い代は沢山とったから。」

　アリーナはタリムにキスしてチュニックを受け取った。これを着て武術大会に出よう。そして優勝するのだ。

　別れはいつでも淋しいものだ。ターブレ神父との別れと同じようにアリーナはいつまでも手を振り続けた。ここから東に五日行けばエンドールへの定期船が出ている海岸に着く。船に乗れば、最終目的地のエンドールはすぐそこだ。