「う〜んっ！」

　アリーナは馬車から飛び下りて思いっきりのびをした。サントハイム王国の位置する大陸の北東の岬に位置するフレノールは、地理的によい港に恵まれておらず、商業町ではない。しかし山々の風景に恵まれたのどかな保養地で木製家具の生産地としても有名である。
　アリーナはにぎやかそうな町の目抜き通りに目をやると、馬の鼻面をぽんぽんと叩いた。

　「お前、よくがんばったね。宿が決まったら、いっぱい御飯を食べさせてあげるね。」

　町の人々は店先で楽しげに談笑しており、大きな身振りを交えながら日用品を売っている行商人などの姿も見られた。

　「爺、爺は、フレノールの町はサランほど賑やかではないって言っていたけれど、とってもたくさんの人が集まっているのね。特別の日なのかしら？」

　「さあ。どうですか・・・・」

　ブライは御者台で馬をゆっくり進ませた。

　「クリフト。この通りを真っすぐ行った右側に大きな旅篭があるはずじゃ。前に噴水があるからすぐにわかるじゃろうて。馬車も預かってもらえるはずだ。・・・・少なくとも、一年前にここを通った城の者はそうだといっておった。」

　クリフトは馬車から降りてアリーナの横に立ち、馬の手綱を軽く引いて歩きだした。アリーナは左右の露店を物珍しげに眺めている。

　「ははは、姫さま。飴玉でも御所望ですか。」

　クリフトは次の瞬間強力な肘鉄を傷を負っていないほうの脇腹に食らわされた。

　「飴玉なんかいらないわ！・・・・どんな味がするのかな、って思っただけよ。城では食べたことないし、チェルナ村でもテンペでも食べなかったから・・・・・」

　ブライはクリフトにめくばせした。クリフトは笑って近くの露店に行って、大きな飴玉を三個ハンカチに乗せて帰ってきた。

　「一つずつ三人で食べましょう。姫さま、どれにいたしましょう。赤いのですか？茶色いのですか？黄色いのですか？赤はほんのり甘くて、茶色は黒砂糖の味、黄色はちょっと酸っぱいと思います。」

　アリーナは黄色の飴玉を指で摘んで口のなかに放りこんだ。途端に甘い味が口中に広がって思わずにっこりする。

　「爺さまは？」

　クリフトが御者台のブライに差し出すとブライは茶色の飴玉を取った。

　「クリフト。またわしを太らせる気だな。なにもわしはわしらの分まで買ってこいとは合図しなかったつもりだが・・・・」

　クリフトは笑って赤い飴玉をなめ始めた。

　「爺さま。私はよく知っておりますよ。爺さまの部屋の書棚の上に乗っている大きな緑色の壷の中身が砂糖菓子だということを。」

　ブライはごほんごほんと咳をして誤魔化した。
　噴水が見えてきた。噴水の回りには花壇があって、花壇には遅咲きの桜草が今を盛りと咲き誇っている。その前にある宿屋は二階建の大きな建物で、奇妙なことにたくさんの人々が何やら話しながら二階の部屋を指さしている。

　「何か事件でもあったのでしょうか。・・・・爺さま。私は宿の主人に事情を聞いて参ります。姫さまとここで待っていてください。」

　クリフトは人人込みのなかに消えていった。
　アリーナは花壇の枠になっている煉瓦に腰を掛け、飴玉を口のなかで左右に転がしながら噴水に見惚れていた。ただ吹き上がっているだけの変哲のないものだが、太陽の光に照らされてきらきらと眩しいくらいに光っている。
　ブライは馬の手綱を取りながら、回りの人々の会話に耳を傾けていた。

　「ああ。おらは噂を聞いてこっから南へちょっと行ったとこにある小さな村のから駆け付けてきただよ。本当なんだべか。」

　二階の客室のカーテンのかかった窓を指差して農民ふうの男が商人らしき男に尋ねている。

　「いやあ。私はは半信半疑だったんですが、どうも本物らしいですよ！町の有力者たちも、こぞって贈り物をし始めましたからね。」

　「貴族のお嬢様かね？」

　町の女が声をひそめて言う。

　「なんだ、そんなことも知らずにきたのかい？・・・・あの方たちは知られたくないらしいんだけど・・・・あたしはお供の方がうっかり口を滑らせたのを聞いちまったんだよ！驚くじゃあないか！なんと・・・・・・！」

　ブライはぎくっとしてアリーナを見た。アリーナは何も聞いていないらしくじっと水の動きを見つめている。ブライはそろりそろりと人々の話の輪に近付いていった。

　「・・・・いや。あたしはそうじゃないかな？って初めから思っていたのよね。」

　「だども、お姫さまがこんな遠くの村になにしにきたんだべ？」

　「そりゃ、お城の暮らしとは違った暮らしをしてみたくなったんだろうさ。」

　「とにかく、私達の町にも運が向いてきたのかもしれないぞ。私も寄進をして、商売を有利に進められないかと考えているところなんだ。」

　アリーナは目を噴水から桜草に移していた。桜草は亡くなった母親が好きな花だった。城の花壇にも同じ花が整然と植えられていた。アリーナは一本手折ろうとして手を引っ込めた。城でクリフトにいわれていたっけ。

　”姫さま。咲いている花は咲いている場所にあるのが一番幸せなのです。それが神様が与えた場所なのですから。”

　すると、横合いから手が伸びてきて、一番美しく咲いている茎を選んで三十本程が切られてしまった。切ったのは宿屋の主人らしい男で、切った茎から、不揃いの葉をその場で削ぎ落としていた。アリーナは思わず声を掛けていた。

　「おじさん。そんなにたくさんの花をどうするんですか？・・・・せっかくの花壇が台無だわ・・・・・」

　主人は疲れた目をアリーナに向けた。

　「普段は切っても一輪ざしに使うくらいなんだが・・・・・たしかに花壇が滅茶滅茶だが、お泊りになっているお姫さまが二階からここを見て御所望になられたのだよ。部屋中を桜草で一杯にしたいとね。・・・・ああ、忙しい。わが宿に泊まってくださるのは有り難いことだが、こう神経を使わなくてはならないと体が持たない。」

　桜草の大きな束をかかえて主人が中に入ろうとすると人々が情報を仕入れようとおいすがったが結局たいした話は聞けなかったようだ。
　クリフトが困った顔で帰ってきて、ブライとしばらく相談していたが、ふくれっ面のアリーナに気付くと馬を牽いて旅館の前から離れた。

　「姫さま。この宿には今日は泊まれないそうですよ。特別なお客がきて、我々だけではなく旅人は一人も泊まれなくなってしまったのです。」

　「ひどい話だわ。」

　「え！姫さま、知っているのですか？誰が泊まっているかを。」

　「ええ。どこかのお姫さまですってね。どこの人かしら。ここからだとエンドールとボンモールが近いわね。どんな人たちだったか、会ったことはあるけれど忘れてしまったわ。とてもわがままな人らしいわよ。だって部屋の中を桜草で一杯にしたいなんていって、花壇の花を滅茶滅茶にさせちゃうくらいだもの。クリフト、どこのお姫さまだった？」

　クリフトは黙って馬車を酒場の方に牽いていった。田舎町では酒場でも昼食くらいは作っているだろう。

　酒場の表に馬をつなぎ、食事が出てくる間に、アリーナは表に出て飼い葉を食べる馬をにこにこしながら眺めていた。その隙にブライとクリフトは頭を寄せあって再び相談していた。

　「爺さま！これは一体どういうことなんですか！あの宿にはサントハイムの王女がお忍びで泊まっているというじゃありませんか！姫さまはここにいらっしゃるのに・・・」

　「どうもこうも、偽物じゃ。大方、人々から歓待の印の金品を巻き上げて歩いておるのじゃろうて。」

　「どうしますか？」

　「・・・・・お前さん。ここで”この方が本物の姫君です！”とでも名乗りをあげるつもりかね？それこそたいへんなことになってしまう。」

　「しかし！この町の人々が騙されているのを見過ごすのは決して正しいことではありません。」

　 ブライは木製の丸椅子に深く腰をかけなおした。

　「第一、わしらの姫さまが本物の姫さまだと証明できる証拠があるかね？偽物の王女は、それ相応の身なりをしているに決まっておる。うちの姫さまはどんな格好をしているかな？」

　言葉につまったクリフトの前に、スープとパンが運ばれてきた。深刻そうなクリフトを見て、運んできた娘が声を掛ける。

　「旅の神官さま。何かお困りのことでも？」

　ブライが遮る。クリフトは正直すぎる。何か馬鹿なことを言ってしまってからでは遅いのだ。

　「ああ、娘さん。わしらはエンドールの方に向かって旅を続けているものだが・・・・ここに着いてみれば宿に泊まれないときている。今夜泊まれる場所はないかね。」

　娘は彫刻された木の盆を胸に抱えて考えた。

　「お姫さまがいらしてから、宿はどこも一杯ですのよ。普通の民家で旅人を泊めているところもありますが、私の知っているかぎりは・・・・そうだわ！神父さまの所はいかがでしょう。神官さまがいらっしゃるのですもの。神父さまの野菜スープは絶品ですし。馬車を置くところもございます。」

　「ありがとう娘さん。」

　ブライがチップを渡すと、娘はちょっとクリフトの顔を見て頬を染めて去っていった。クリフトは難しい顔でまだ考えている。

　「おい、クリフト。料理がきたぞ。姫さまを呼んでこんかい。」

　クリフトははっとして立ち上がりかけたが、酒場の入り口から、アリーナが一人の老人の手を牽いてやってくるところだった。老人は杖をついてもなおよろよろしており、アリーナが肩を貸して、酒場の隅の椅子に腰掛けさせた。

　「お爺さん。もう一回話を聞いてね。お爺さんの気持ちはわからないではないけれど、そこまでしなくてもいいのじゃないかしら？相手は沢山お金を持っているお姫さまなのでしょう？お金や品物ではなく、真心が大事だと思うわ。」

　老人は首を振った。

　「ひ・・・・いや、アナ。このお爺さんは？」

　クリフトが走り寄った。

　「ク・・・お兄さま。私、この人が他の人と表で話しているのを聞いたの。お爺さんったら、苦労して貯めたお金をお姫さまにやってしまうって言うのよ。だから私止めようと思って・・・」

　老人はまた首を振った。

　「真心が大事なことはよくわかっているよ。お嬢ちゃん。けれど、心はなかなか伝わらないものでなあ。わしはこつこつと金を貯めてきたが、もう老い先短い身じゃ。お姫さまにさしあげて、この町のことを覚えていていただきたいと思うてな。お姫さまも、贈り物があれば喜んで頂くと、おつきの人たちがおっしゃっていたし・・・・・」

　「まあ！なんてがめついお姫さまなの！」

　「こら！言葉が過ぎる。お嬢ちゃん。滅多なことを言ってはいかん。」

　「だってそうだわ。どこのお姫さまなの？お父さまに言って叱っていただ・・・・」

　さすがに自分の言葉がまずいと気付いたアリーナは口を夫妻で愛想笑いをした。老人は首を捻っている。

　「お爺さん、とにかくもっと考えたほうが・・・・・・・」

　店の奥では昼だというのに少々酒の入った男たちの声ががんがん響いていた。

　「・・・・でよ。俺はちらりと見ちまったんだ。お姫様がおつきの者と歩いているのをよ。」

　「へえ。で、どんなだった。」

　「焦らさないで教えろよ。」

　「うん。ありゃあ、極上の絹のドレスだな。こう・・・首や袖の所にひらひらしたもんがくっついていて、そりゃあ豪華なものだぜ。首には・・・・驚くなよダイヤのはまった金の首飾りが二重に掛けられてるってんだからすごいじゃないか！」

　「ひえぇ〜ダイヤなんぞおいらは見たことがないってのに。あるところにはあるもんだな。」

　「服はわかったが、お顔の方はどうだったい？」

　王女を見たという男はにやっと笑った。

　「まあ、綺麗なことは綺麗だな。だけど神々しくて目が眩むって程でもなかったぞ。お姫さまだって人間ってことさね。体は抱きたくなるような感じだったぜ。胸は出ていて、きゅっと腰がしまっていて。淑やかな雰囲気があった。」

　「噂では、お姫さまはそりゃあ綺麗な髪をなさっているということだが・・・そっちのほうは？」

　「・・・・髪は・・・・・ちょっと期待外れだったな。ほら、今、入り口の所に変った服を着た娘がいるだろ？あの子の髪の方がずっと綺麗だと思うぜ。」

　アリーナはこれが聞こえてカチンときた。クリフトは肩をすくめた。

　「ああ、あの子の綺麗な髪を見たら、大概の女は嫉妬を焼きそうだものな。」

　アリーナ、ますますカチンとくる。

　「しかしなぁ、王都のアリーナ姫といえば、美しい髪で有名だったのに・・・・」

　「なんですって！」

　アリーナは大声で叫んでしまった。びっくりしたのは男たちも同じである。

　「あそこに泊まっているのは、サントハイムの王女なの？」

　今にも噛み着かんばかりの勢いで、男たちに食ってかかる。

　「あ・・・ああ、そうだぞ。知らなかったのか！」

　「だって、そんなことあるわけないじゃないの！私が、むぐっ！」

　ブライが後ろからアリーナの口を押さえた。男たちは怪訝そうに見ている。アリーナは恨めしそうにブライを見ていた。

　「いや、お騒がせをしましたのぉ。実は私達は王都から来ましたのじゃ。ですから、新年のお祝いや、建国記念のお祝いの時には王さまやお姫さまを見たことがあるのです。この子もお姫さまのお姿はよく存じております。アリーナ姫さまは、それは美しい髪をお持ちですから。のお。クリフト。」

　「ええ。」

　クリフトはばたばたし続けるアリーナを観ながら続ける。

　「私が存じ上げるアリーナ姫さまは、胸などそれほどありませんし、綺麗とか抱きたいとかそんなことより可愛らしいといった方で・・・ええと、淑やかというのは全面的に・・・・」

　・・・・この男、とにかくバカ正直である。
　ブライが咳払いをする。

　「と、とにかく、お姫さまの髪は誰が見たって美しい髪です！神かけて誓います。」

　 男たちはクリフトの誠実そうな表情を信用したのか溜息をついた。

　「俺もちらっと見ただけだったからな。綺麗な髪だったかもしれん。」

　「まさか、偽物だとか！」

　「おい！大声をだすなよ。お姫様に聞こえたら首が飛ぶぞ。」

　ブライは姫の口を押さえたまま自分たちのテーブルに戻った。

　「姫、爺はいま、この手を取りますが決して大声を出してはなりませんぞ。」

　ブライが手を放すと、アリーナは何も言わずに黙々と昼食を食べ始めた。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
　神父の家に腰を落ち着けると、アリーナは二人に宣言した。

　「私は絶対にやっつけるわ！」

　その声の大きさと激しさに、中庭で野菜の手入れをしていたタブレー神父は思わす客間の窓から中を覗き込んだ。そして、ブライと視線が会うと、慌てて窓から首を引っ込めた。

　「どうやってやっつけるというのじゃな。」

　「そんな偽物なんか・・・・・蹴っとばしちゃうわ！」

　クリフトの頭のなかに、絹のドレスを着た偽者を飛び蹴りしている姫の姿がありありと想像された。

　「姫さま。それでは私達は王女に乱暴したものとして捕まえられてしまいますよ。」

　ブライは神父手作りのニワトコ茶を少しづつ啜り、姫の髪を宥めるように撫でた。

　「姫様。明後日、あの偽者は、町の人々に姿を見せて話をすることになっているそうですじゃ。明日、村の人々に、宿に泊まっている王女は偽者かもしれない。王都から姫をよく知っている旅人が来ているとふれ回りましょう。・・・・それで偽者がなにか行動を起こすのを待つのです。わしも偽者がこの町の者を騙しているのに我慢できなくなってきたわい。」

　アリーナはにっこり笑った。

　「じゃあ、明後日までにやっつけられるのね。」

　クリフトは神官帽のつばををぐいと引き下げて苦笑した。ブライは木製の長椅子を立ってクリフトに何やら耳打ちした。クリフトは頷くと、神官帽を取って、戸口に進んだ。

　「姫さま。しばらくの間、露店でも見物していらっしゃいませ。爺は少し疲れたので休んでおります。町に出れば、姫さまの好きな魔物の話も聞けるでしょう。」

　アリーナは頷くと軽やかな足取りでとっとっとと走り出た。ブライは片目をつぶり、クリフトもつぶり返した。そして姫の跡を急いで追った。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　ランプの点り始めた露店の並ぶ中を歩きながらアリーナはあっちを覗きこっちを覗き飛び回っていた。

　「姫・・・・いえ、アナ！もっとゆっくり歩いて！」

　クリフトが息をきらしてついていくと、アリーナはプンとむくれて言った。

　「なぜクリフトと一緒でなくちゃいけないの？わたしは一人で色々見たいのに。」

　クリフトはすまして答えた。

　「姫・・・・いや、アナが変なものを買って食べてお腹をこわしたらたいへんだから。」

　アリーナはますます膨れてどんどん先に行ってしまう。クリフトも、ちょっと子供扱いしすぎたかなと思い付け足した。

　「それに・・・・誰かに声でもかけられて誘拐されたらどうしますか。」

　「・・・・・私、胸なんか出ていないし、綺麗だとか抱きたいなんて思われないから誘拐したいなんて思う人はいないわ。」

　クリフトは頭を掻きながら笑った。

　「あれ？気になりましたか。やっぱり姫さ・・・・アナも女の子ですね。」

　アリーナは真っ赤になった。あれだけボロクソに言われては、気にするなというのが無理である。しかし気にしていると言われるのはもっと頭にくる。

　「・・・・でも、クリフトよりは胸はあるわ。」

　「はあ？」

　言ってしまってからアリーナも大笑いしてしまった。

　「あ、く・・・兄さんあれは何？」

　「あれは、ひ・・・アナ、猿の腰掛けといって、薬になるんですよ。」

　「あれは？」

　「あれはアイロンですよ。」

　「あっちのお店の赤い粉は？」

　「とうがらしですね。隣が胡椒の実ですよ。」

　いつのまにかアリーナの機嫌は完全に直っていた。一つの店には若い娘たちが群がっていた。アリーナは飛び上がって眺めようとしたがジャンプしてもどうしても見えなかった。クリフトは微笑むとふわっとアリーナの腰を抱き上げ、自分の肩の上に腰掛けさせた。　店を覗いたアリーナは思わず声を上げた。白い布を掛けた台の上には、色々な細工を施した装身具が並べられていた。アリーナの目はその中の一つに釘づけになった。クリフトは不思議に思った。装身具などに興味を示すアリーナではないからだ。

　「どうしました？」

　アリーナはじっとそのペンダントを見つめていた。クリフトは姫の視線を辿っていって、そのペンダントと姫がなぜそれを見つめているかがわかった。それは薄翠の小さな石のついた銀色のペンダントだった。これよりもずっと高価なものではあるが、亡くなった王妃はあの色のペンダントを大事にしていた。確か、棺のなかに一緒に収められたはずだ。
　クリフトは姫を下に降ろすと、娘たちを掻き分けていって、革袋から金貨を取り出すと主人に渡し、ペンダントを手に入れた。
　アリーナは人込みの後ろで待っていたが、クリフトにかけ寄って、背の高い神官の笑顔を期待を込めた眼差しで見つめた。クリフトは姫の頭からペンダントを首に掛けた。そして、もうひとつの薄翠のペンダントを手に握らせた。

　「これは？」

　「二つで一組みなのだそうです。婚礼の時に夫婦で使うものとして作ったようで、片一方では売らないと主人が言い張りまして。」

　アリーナは握ったペンダントを大事に腰から下げた物入れにしまった。

　「お父さまへのお土産にするわ。・・・・お父さまもお母さまとお揃いのペンダントを持っていたわ。私、小さかったけどよく覚えてる。お母さまが亡くなって・・・・お父さまのペンダントもそれきり見なくなった・・・・・」

　クリフトは、じっとアリーナの頭を見下ろしていた。長いまつげに涙がたまっているのが見える。だが、次の瞬間にはアリーナは笑って次の露店に向かって駆け出していた。

　二人が買物の荷物を両手に持って帰ってきたときには、星がきらきらと輝き始めていた。遅くなるから早く帰ろうというアリーナを、クリフトの方がひきとめたのだ。
　神父の家の前には、ブライが待ち構えていた。

　「こら、遅いではないか。」

　「え？私は爺さまが時間を稼いでくれと言ったから・・・・」

　「なんのこと？」

　タブレー神父が家の戸を一杯に開けて、真丸な顔に満面の笑みを讃えていた。

　「お嬢さん。御老人に聞いて、私もお手伝いさせて頂きましたよ。さあ、入りなさい。」

　台所に入ると、あたたかな湯気をたてた野菜スープと、小さいが美味しそうなケーキが白木づくりのテーブルに置かれていた。

　「さてさて、今日は何の日だったかのぉ。」

　アリーナは指を折って数えていたが、ブライに飛び付いた。

　「私の誕生日！」


　「で、クリ・・・兄さんが私を肩の上に乗っけてくれて、それで私はこのペンダントを見付けられたの。」

　アリーナは得意そうに胸からペンダントを抜き出してみせた。クリフトが、”それが私と爺さまからのプレゼントです・・・・だよ。”と付け足した。

　「その他にも色々なものを見たわ。手品をしている人もいたし、剣でおてだましている人もいた。素手で煉瓦を割っている人がいて、これが割れる人はいませんか、って呼び掛けていたから私、出ていって割ったの。そしたら急に不機嫌になっちゃって、クリ・・・兄さんが大慌てして。・・・・変なのよ。とっても割れやすい煉瓦だった。」

　同じテーブルについていたタブレー神父がスープを吹き出した。そしてクリフトに囁いた。

　「妹さんはとても活発な娘さんのようだね。・・・可愛らしくて気取った所がない・・・・あの、宿屋に泊まっているお姫さまよりもずっと素敵なお嬢さんだ。・・・・あのわがまま姫さまには早く出ていってほしいものだよ。酔っ払いの旅の人たちがが私の大事な野菜畑を荒らしてしまって悲しくて悲しくて・・・・・・・・・・」

　「神父さま。このお野菜は甘くてとても美味しいわ。」

　神父は手ずからスープ皿におかわりをついでやった。

　「お姫さまだから偉いなんてことはない。世界で一番偉いのはこの世を統べたもう神様しかいらっしゃらない。お姫様や王さまが偉いといわれるのは、王様達が、人々を気遣う心を持っていらっしゃるからだ。それは王だろうが農民だろうが変わりはない。」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　タブレーの心ばかりの夕食が終わると、三人は応接間に引き上げてきた。

　「姫さま！十五才のお誕生日おめでとうございます！」

　クリフトがふうっと息を吐き出すように言った。

　「なによ、改まって。さっきお祝いは言ってくれたじゃないの。」

　「はあ。でも、”アナ、誕生日おめでとう”では言った気がしません。」

　ブライが椅子のクッションをパンパンと叩き、アリーナを座らせた。

　「さて、姫様。誕生日恒例、一年間の決意を爺に話してみなされ。」

　クリフトは考えた。確かおととしの誕生日の姫さまの決意は、表向きは刺繍の基礎を覚えること、クリフトに話した所によれば、薪を手で割れるようになること。去年の表が毛糸を紡げるようになること、裏が、部屋の壁を蹴破れるようになることだった。

　「ええ。今年のは決まっているわ。エンドールの武術大会で優勝すること！」

　ブライは唸った。

　「　姫　っ　！　」

　 　アリーナは身をすくめた。隣のクリフトも身をすくめた。

　「姫！まだそんなことを！いいですか！今は亡き王妃様は、十五の年にお城にいらしたのですぞ。爺はよく覚えております。花のようにお美しく、しかも聡明で優しく、淑やかで女性としてのたしなみをすべて身につけていらした。爺は・・・・爺は・・・・姫様に王妃様のようになって頂きたくて色々お教えしてきたつもりですのに・・・・」

　アリーナはすましていった。

　「ええ、色々教えて頂いたわ。爺やには、広い世界の話、そしてクリフトには冒険の話。教えてもらったから今の私があるんだわ。・・・・お嫁さんよりずっとずっと武闘家になりたい。」

　ブライは険しい顔になり、クリフトは笑った。

　「こら、クリフト、お前さんはわしと姫様のどちらの味方をする気なのだ？」

　クリフトは笑いながらブライを小突いた。

　「それじゃ爺さまは、姫さまの婿殿になるような強い王子をご存じですか？」

　ブライは答えられなかった。

　「・・・・・わかったわかった姫さまもクリフトもこの老人をいじめるつもりじゃな。・・・・・さあて、姫さま、そろそろお休みの時間ですよ。」

　アリーナはブライの前に顔を突き出した。

　「何じゃい？」

　「あら、お休みのキスよ。お父さまは誕生日の日には必ずしてくださるわ。」

　ブライは面倒臭そうにアリーナの頬にキスをした。アリーナは次にクリフトの所に行った。クリフトは姫の髪にキスした。

　「それじゃ、お休みなさい！」

　隣の客間に姫が引き上げると、ブライはクリフトの前に立って心配そうに話し掛けた。

　「お前さん、もう少し気を使え。」

　「はあ？」

　「お前さん、歳はいくつだ。」

　「十九です。すぐに二十歳になりますが。」

　「・・・・姫様も、そろそろ年頃じゃ。姫様に限ってそんなことはないと思うが、お前さんと妙なことになるといかんからな。抱き上げたり、髪にであろうとキスしたりでは心配したくもなるわい。」

　クリフトは爆笑した。

　「私と姫さまが？私は姫さまより五歳も年上ですよ。私から見れば姫さまはほんの子供です。」

　「・・・・・王妃さまが嫁いでいらしたとき王さまはお前と同じ歳だった。」

　クリフトは笑うのをやめた。

　「じいさま。姫さまは、私にとって・・・・失礼にあたるかもしれませんが妹なんです。・・・・死んだ妹の代わりに姫さまに物語を話し、妹の代わりに姫さまを抱き上げ・・・・・もちろん身分の違いはわきまえております。いつか姫さまが大人になられたとき、私は今のような接し方をやめなければならなくなると思います。しかし、姫さまがまだ無邪気なうちは・・・・・・・」

　ブライはクリフトの肩を叩いた。

　「年寄の雑言じゃ。気にするな。ただ、あまり姫さまと仲良しになると、あとで悲しい目を姫さまにさせることになるぞ。」

　ブライが客間に下がると、クリフトはクッションを集めて、応接間の長椅子に神官衣を脱いで横になった。毛布がなくともなんとか過ごせるだろう。

　”爺さまは心配性だ。姫さまは私を男としては見ていらっしゃらないのに。”

　この旅が終われば、アリーナもいつか結婚して普通の王女らしくなっていくだろうしクリフトは希望どおり、辺境の村に赴任するだろう。

　”ただ、その前にどんな冒険をやらされることやら・・・・・・”

　その次の日、ブライは酒場に出掛けて、どうもお姫さまは偽者らしいと噂を流し始めた。タブレー神父の応援もあり、町は色々な情報が飛びかっていた。神父はブライが王都の魔導士であることを確信しており・・・・神父も若い頃王都に住んでいたのだ。・・・・・・朝、これからやろうとしていることを相談すると、自分から先頭に立って噂をまき始めたのだ。

　村人は最初のうち、罰せられることを恐れて口に出そうとはしなかったが、温厚で人の良い神父までが”どうもあの方々は怪しい”と言い出したものだから、途端に怪しみ始めた。 　そんな町の人々の動きに、偽者本人たちは大いに慌てた。彼らは盗賊崩れの詐欺師で、ことが露見しそうになってまで偽者のふりを続ける勇気はなかった。

　「ああ、困ったことになっちまったなあ。」

　従者の服をつけた貧相な男が情けなさそうに言った。

　「こうなったら、逃げだすしかねえな。もう少し稼ぎたいと思っていたが、明日になれば演説をしに町の奴らのところに出ていかにゃあならん。そこで化けの皮が剥がされたら、王都に送られて死刑になっちまう・・・・今日の夜、闇に紛れてずらかるとしようぜ。」

　衛士の格好をした大男がにやりと笑った。

　「私は始めっから気が進まなかったのよね。お姫さまなんて私の柄じゃないもの。綺麗な服が着られたのは嬉しいけど。」

　ドレスのまま、ベッドに腰掛け足を投げ出した少女がぽつりと呟いた。年はアリーナと同じか少し上くらいだろう。なかなか美しい娘だ。
　大男がまた笑う。

　「また他の町でお姫さまごっこをすればいいさ。お前は俺の妹とはいえ、華奢で綺麗だから、田舎もんは苦もなく騙すことができるぜ。」


　さて、夜である。詐欺師たちは荷物をまとめて、宿屋の裏にある階段を使って、沼地を通り逃げる予定だった。しかし彼らは知らない。アリーナ、ブライ、クリフト、そしてタブレー神父が宿の周辺を見張っていることを。

　「だから！どうして私は一人で見張らせてもらえないの？」

　アリーナが横にぴったりと付き添っているブライに向かって喚いた。ブライは静かに顎髭を撫でている。

　「二つの理由がありますな。一つは、姫様にもしものことがあってはたいへんだという理由から・・・・」

　「もうひとつは？」

　「姫様がたいへんなことをなさっては町の衆に申し訳ないという理由から・・・・」

　アリーナがブライを怒鳴り付けようとしたとき、宿の二階から悲鳴が聞こえた。アリーナはブライと顔を見合わせると、人々を押し退けて、錠の下りている宿の扉を蹴破って二階にかけ上がった。
　二人の男・・・・従者と衛士が倒れており、ドレスを来た少女が、黒いローブを着た背の高い男にはがいじめにされてもがいている。男は顔をフードで隠し、かけつけてきたアリーナに向かって不敵に笑った。

　「その人を放しなさい！」

　アリーナは毅然として言い放ったが、男は動じなかった。

　「放さないのならこちらから行くわ！」

　「危ない！」

　ブライがアリーナを横に突き飛ばした。アリーナがいた床には、黒焦げの大穴が開いた。
　アリーナは起き上がると素早く立ち上がり、ローブの男を見据えた。男の顔は相変わらず見えず、まるで闇そのものがその場に存在しているかのようだった。
　後から階段をかけ登ってきたクリフトが、扉のところで立ちすくんでいた。彼は男からこの世のものならぬ邪悪さが発散されているのを敏感に感じとっていた。そして・・・・そうでなければよかったのだがこの男が紛れもない人間だということも。・・・魔物はともかく、人間が相手では神官の彼は剣を抜くことをためらわざるを得なかった。
　その間に、男は呪文を唱えた。再び電撃がアリーナの足元に飛んだ。クリフトはアリーナの前に出ると手を大きく広げて叫んだ。

　「我らを統べたもう大いなる神よ！邪悪なる心よりいでし暗黒の呪文を封じ込め給え！」

　アリーナには、クリフトの体からかすかな光が出たような気がした。ローブの男は自分の呪文が封じこまれたのを感じとり、驚くように息を飲んだが、少女をとらえた腕の力はゆるませようとしなかった。

　やがて男は言葉を発した。予想に反し、その声は深く柔らかく、聞くものの耳に心地よい響きを持っていた。

　「若い神官風情に呪文を封じられるとは・・・・・誉めてやろう。私が油断していたからこそ可能だったわけだがな。」

　クリフトは膝をつき、真っ青な顔をして肩で息をしている。

　「渾身の力を振り絞った呪文だったわけか。・・・・・・よく聞くがいい。王女は預かった。命を助けて欲しくば、黄金の腕輪を明後日の夜に町の墓場に持ってこい。引き替えに王女を返そう。黄金の腕輪を持ってこられぬ時には王女の命はない。」

　黒いローブの男はそう言うと、左手の中指にはまっている血のように赤い宝石をくるっと回した。次の瞬間、男の姿は娘と共に消え失せていた。
　ブライが、杖を握って目を閉じて何事か念じていたが、首を振った。

　「どこに移動したか、爺にもつかめませんでした。あの指輪は、指輪そのものが強大な魔力を秘めているのでしょう。・・・・クリフト、立てるか？」

　クリフトは床に這いつくばったまま、目を大きく見開いて顔を曇らせた。

　「あのような邪悪な心を持った人間がいるなどとは・・・・・あれが、司教様から伺ったことのある”闇の魔導士”なのでしょうか。」

　ブライはクリフトを助け起こして壁にもたれさせた。

　「そうかもしれんな。お前さんの方がわしよりもそのことに掛けては敏感かもしれん。」

　アリーナが、”闇の魔導士”とは何かとブライに尋ねた。

　「・・・・・姫さま。私達が呪文を唱えるときには、自分以外の大いなる力を借りて自らの力を増大させます。爺の場合は自然に充ち溢れる自然の力や、原理。クリフトの場合は、神の力です。・・・・ところが、闇の魔導士と呼ばれる人間は、それらの力を決して借りようとはしないといいます。彼らの拠り所は、虚無と自分自身の内にある欲望と憎悪です。」

　クリフトは十字を切った。

　「私は、人間の性は、善であると信じようとしてきました。しかし・・・私が触れた、あの人の心は・・・・・・さっき私の呪文が効いたのは奇跡としか言えません。」

　アリーナは慰めるようにポンポンとクリフトの神官帽を叩いた。

　「クリフトがもっと修業すれば、呪文がもっと効くようになるし、人間が善いものだとしても、悪いことをしていたら懲らしめなくちゃいけないでしょ？気にしない、気にしない！それより、あの女の子を助けなきゃ！」

　さっきまでやっつけようとしていた偽王女であるが、今はそんなことを気にしている時ではない。衛士の格好をしてのびていた男が気が付いて呻いた。

　「メイ！メイ！・・・・メイが！」

　そしてアリーナ達を見ると顔を真っ青にした。
　アリーナは腰に手をあて、見下ろした。

　「あなたたちが偽者だってことは先刻承知よ！だけど今はまだ王女一行のふりをしていて頂戴！偽者だとわかったら、町の人たちがあなたの妹さんを助けるのに協力してくれなくなってしまうといけないから！」

　大男は黙って大きく頷いた。

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　”王女誘拐さる！” 　この知らせを受けた町の人々の間にはパニックがまきおこった。疑いもあったとはいえ、王女でないと言い切ることもできなかった娘だ。宿の主人などは半狂乱になり、自殺してはいけないということで、ベッドに縛り付けて猿ぐつわを噛ませる始末。やんややんやと人が集まったところで、王女がさらわれたときにその場に居合わせた当事者代表としてブライが町長に尋ねた。

　「町長殿。王女さまをさらった男は、”黄金の腕輪”を持って来いといいおったが、それはいまどこにあるのじゃな？」

　町長は情けなさそうに目を落とした。

　「確かにこの町には昔から代々黄金の腕輪が伝わっていました。怪しいまでの美しさを持った謎の財宝です。しかし、現在どこにあるかと聞かれても・・・・・・・」

　周りの人々がざわざわとざわめいたがいつしかしんと静まりかえった。すると、今まで人垣の後ろに控えてきた墓守の老人が、静かに前に出てきた。

　「あの腕輪は、破滅の腕輪ですじゃ。人々は腕輪の美しさに心を乱され、是が非でも手に入れようとする。そのために人は優しさを忘れ、友は友に向かい剣を振り上げ命を奪った。黄金の腕輪は人間の血を吸って、昼の日の光の中でも赤く輝くと言われています。・・・・・自分たちの愚かしさに気付いた人間は、腕輪を聖なる決界の中に封じ、町の南の洞窟深くに置いたとわしのひい爺さんがわしが子供の頃に話していましたじゃ。」

　「南の洞窟？」

　「はい。南・・・というてもちょっとばかり東寄りの洞窟で・・・・あそこらへんは禁忌の地とされているから、近頃踏み込んだものはないですがのぉ。せいぜい財宝狙いの盗賊が迷い込む程度ですじゃろうて。」

　「そうかい。・・・・・皆の衆。皆の衆のなかで、王女様をおすくいするために、洞窟まで行ってくれるものはおらんかな？」

　一本の手が勢いよく上がった。 　クリフトは溜息をついた。

　”姫様・・・・・姫様はあげずともよろしい！”

　心の中でブライは悪態をつきまくった。