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三人は暗い中、チェルナ村で借りた馬車を走らせていた。
「まったく・・・・姫さまは気楽に構えていらっしゃるし、クリフトはクリフトで・・・・おまえさん。見かけよりも熱血青年だな？え？」
クリフトは御者台で馬を叱咤する。
「人の命がかかっていることです。避けて通ることなどできません。」
老人はこんなときにも普段と同じ顔をしている。
「しかしのぉ。なんの手立てもなく行っても犬死にであろうが。」
アリーナはクリフトの後ろに立ちあがって夜の道をまっすぐに見つめている。
「爺や。大丈夫よ。私は負けない。リアさんにもアディー小母さんにも約束したもの。負けるわけには行かないわ。」
ブライはヤレヤレと息をついた。これだから若い者は困る。
「クリフト、お前さんは魔物の正体がどんなものかわかっておるのか？少しは頭を冷やしたらどうだ。」
魔法の明かりを杖の先に点らせて、東へ東へ・・・
テンペには朝靄が立ち篭める頃に着いた。重苦しい空気が村を包み、どこからか女の啜り泣く声がする。 若者が通りに出てきて怒鳴った。
「ローレーンを怪物の生け贄になどさせるものか！この僕が許しはしない！」
そして、走ってきてクリフトにどんと突き当たった。クリフトは尻餅をつく。
若者は謝りもせずに北の方に消えた。
よく見ると、各家の戸口には大人たちがうなだれて立っており、アリーナたちの馬車に胡散臭そうな眼差しを向けている。
「クリフト。一先ずこの村の教会に行き、神父殿に子細をうかがってみたほうがよかろう。」
「はい。」
クリフトが手近な村人に教会の位置を尋ねると、黙って村の奥を指された。アリーナはぎり、と奥歯を噛み締めた。この村は呪われた村というより悲しみの村だ。
靄が朝の光で薄れ始めると、小さな教会が見えてきた。教会の前には数人の大人が屯していた。泣いているものもいる。
クリフトを先頭にして教会に入ると、疲れ切った表情の神父が祭壇を前に祈り続けていた。
「神父さま。」
神父は聞いたことがない若い男の声に驚いて振り返った。そして、サントハイム王家の紋章のついたクリフトの神官衣に目を止め、三人を奥に通した。
「あなた方は王都からいらしたのか。このような山奥の村に何用でしょうか。・・・・今、この村はとりこんでおりまして、何のお構いもできないが・・・・・・・」
ブライがクリフトに代わって前に出た。
「わしらはそのためにきたのじゃ。生け贄を出さねばならぬと聞いたが、話によっては多少のご援助をさせていただけるかもしれないと思いましてな。」
神父はこの旅人に話してもどうにもなりはしないと思いながらも話し始めた。
「・・・・・昔はこの村に魔物が巣食っており、年に一回清らかな乙女の生け贄を村の平和の代償として要求していたという伝説が村に残っています。・・・・それはあくまでも伝説でした。ところが、二日前、昼だというのに辺りが真っ暗になり、地の底から絞りだすような声がしてきたのです。”三日後の夜に、北の森の大岩の上に清らかな娘を生け贄によこせ。さもなくば村を全滅させる。生け贄をよこせば一年の間は村の平和はたもたれるであろう”・・と。おどしではない証拠だといって、村の牡牛が三頭、首を折られて殺されていました。・・・・・・・村の人々は話し合いをし、・・・・・結局魔物の言うとおりにしようということになりました。そして、娘たちがくじを引いたのです。村長の娘さんのローレーンが犠牲になることになった。・・・・彼女はもうすぐ花嫁となる筈だったのに・・・・・今日あの娘は殺されてしまう。」
するとさっきの若者は婚約者なのだろう。早まったことをしなければよいが、とブライは考えていた。戦いの経験のないものが挑んでいっても、血に飢えた魔物を喜ばせるだけだ。
「・・・・もう私にできることは祈ることしかありません。」
神父は肩を落とし、虚ろな目で遠くの方を眺めるような仕草をした。
「だからといって、魔物に生け贄をなどと！」
憤るクリフトに、神父は寂しく首を振るだけだった。
教会を出て、やりきれない気持ちになったクリフトははき捨てるように言った。
「生け贄など許せません！」
「ふむ。だったらどうするつもりじゃ？」
ブライは杖の先の宝玉を袖でせっせとこすりながら尋ねた。
「駄目でもともとです。魔物と戦って・・・」
「・・・命を粗末にしてくれるなよ。お前さんの力では死ににいくようなものだ。ところで、姫様はどうお考えかな。・・・・」
アリーナはその時点で考えうる最も妥当な主張をした。
「村長さんの家に行きましょ。」
村長家は悲しみに沈んでいた。先程飛び出していった許婚も戻ってきていて娘のそばに立ってうつむいている。母親は泣き伏しており、一番落ち着いて見えるのが不思議なことにローレーン本人だった。しかし、その心のなかは恐怖で満ちているに違いない。伏せられた睫が小刻みに震えていた。
「あんたたちは何をしにきたのだ。放っておいてくれ！」
婚約者の青年が叫ぶと、アリーナがぴょんと前に飛び出てローレーンに笑い掛けた。
「村長の娘さん。悲しむのはやめて。もう大丈夫よ。」
クリフトとブライはとても嫌な気がした。そしてそれは現実のものとなった。
「私が身代わりになってあげるわ。ね。」
「何をおっしゃるか、とんでもない！」
「だぁーっどうしてそうなるんです！」
ブライとクリフトが同時に叫んだ。
「どうして？私は一応乙女でしょう？生け贄になれる資格はあるはずよ。それに、ローレーンさんが魔物の前にいったら、すぐにやられてしまうわ。わたしはローレーンさんよりもずっと強いのだもの。・・・クリフトは教えてくれたじゃない。人の命は大切にしなくてはいけませんって。私が代わらなければ確実に人が一人死ぬわ。私が代われば誰も死なないで済むかもしれない。それにローレーンさんは結婚を控えているのでしょう。私はそんなことないし。」
”姫が死んだら陛下は気が狂わんばかりに嘆き悲しみ、後継ぎをなくした王国の未来はどういうことになるか・・・・”
思いながらも、ブライは黙ってアリーナの演説を聞いている。
ローレーンはいきなりやってきた自分よりも小さい少女が絶対に生け贄になるのだと言い張るのを聞いて、アリーナにすがりつくと
”あなたはまだ子供なのだから命を粗末にしては駄目よ。私、もう覚悟はできています。”
と優しく言った。その健気さにますますアリーナの身代わりになる決心が固まった。
「大丈夫ですってば。待ってて！」
姫は外に走っていくと、すぐさま一抱えもある石を持って戻ってきた。
「いい？見ててね！はあっ！」
アリーナは石を軽く投げ上げると、気合いと共に足蹴りで打ち砕いた。岩の破片が飛び散った。
「ね？こんなこともできますから私なら大丈夫。私世界一の武闘家になるのが夢で毎日修業してきたの！」
村長夫妻と恋人たちは絶句していたが、自信満々のアリーナの表情を見て、かけ寄って感謝の涙を流し始めた。
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「姫さま！もしものことがあったらどうなさるおつもりですか？」
クリフトは彼ができるかぎりの恐い顔をしてアリーナを睨んだ。
アリーナは、なぜ怒られるのか全く理解できずにむしろきょとんとした顔をしている。
「サントハイムの国内でこのようなことが起こるのを王女として許せないわ。王女は国民の平和と安全を保証しなくてはいけないと思うの。お父さまも言っていらした。”施政者たるもの、民を蔑ろにしてはならぬ。民の命は自分の命と思え”って。」
「ああ！もう！姫さまはわかっていない！こういうときだけ国だの王女だのと言うのは反則です。」
クリフトは耳の辺りで切りそろえらた自分の濃い蒼の素直な髪をかきむしった。
「姫さま！もしかしたら魔物に殺されてしまうのかもしれないのですよ。いいのですか。死ぬってどういうことだかわかってますか！」
「・・・殺されっこないと私は思ってるけど。だって今までに出会った魔物はみんな弱かったもの。でも万一私が殺されたならそれは私の修業がたりなかったためだから仕方ないってあきらめるわ。そのときはクリフト、あなたが私のお弔いのお祈りをして頂戴ね。」
「何を馬鹿な！お強い姫さまが魔物に殺されているならば、当然私も死んでこの世にはおりません。」
「えー！クリフトも一緒に行くの？クリフトは乙女じゃないでしょう？」
「そういう問題ではありません！乙女じゃなければいけないのなら、仮装してでも一緒にいきます。・・・・あーっ、私はこんなことを言いたいんじゃない！爺さま！なんとか言ってください！」
ブライは白い顎髭を撫でながら、ベッドに腰を降ろし、普段の穏やかさからは考えられないほど叫びまくっているクリフトの声をうるさそうに聞いていたが、のんびりと言った。
「姫様は頑固者じゃ。わしらがどう言おうと聞いては下さらぬだろうて。・・・・姫、とにかく仮眠を取りましょう。村長殿がせっかく部屋を用意してくれたのじゃ。夜通し馬車を走らせてきた疲れを癒さぬことには倒せる魔物も倒せませんぞ。・・・・それから、その邪悪な魔物は私達にとっても憎い悪者です。だからわしら二人は姫様と一緒に戦わせていただきますぞ。いいですかな？」
アリーナは頷くと、チュニック姿のまま、ふかふかしたベッドに寝転がった。すぐにすやすやと寝息を立て始める。
「爺さま。・・・・我らは姫さまの安全をお守りするのが役目では？あなたが姫さまを押さえて下さらなくては困ります！」
姫に毛布をしっかりと掛けながらクリフトが小声で非難すると、ブライはクリフトの鼻先に杖を突き付けた。
「お前さんは、戦いになったらまず姫さまの前に不可視の盾を作れ。そして更に惑わしの霧を魔物の前に流すのじゃ。わしは、風の精霊に頼んで我々の素早さを上げ、続け様に冷気の呪文を唱える。とにかく精神力の続くかぎり呪文で姫様を援護するのだ。防護の呪文を唱えおわったらお前さんは剣を取れ。身を呈してお守り申し上げるのだぞ。・・・・・もしも命にかかわる危機を感じ取ったら、わしは姫様をどこか遠い場所に飛ばしてしまうつもりだ。・・・・今は失われてしまった古い呪文じゃ。うまいところ発動してもわしはその場に倒れてしまうがな。・・・・わかったらお前さんも休め。今日の夜は休みたくとも休めなくなるぞ。」
クリフトは頷いた。ブライは自分よりも冷静に、姫さまの安全を考えている・・・・・クリフトはまた自分のいたらなさを痛感するのだった。
ブライはベッドに倒れ込むようにして毛布に潜りこんだ。
「・・・・・神官の戒律など、非常時には破ってかまわんのだぞ。ゆっくり寝ろ。」
しかし生真面目なクリフトは部屋を出ると、体を廊下の壁にもたせかけ、神に祈りの言葉をささげてから目を閉じた。
「・・・真面目すぎる男だのお。」
ブライが出てきて毛布を掛けていったことを全く知らなかったほど、この若い神官は疲れ切っていた。
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「ねえ、これはお父さまが遠い国から贈ってもらったという衣装部屋の大つづらに似ているわね・・・・覚えている？爺や。わたしがあの中に隠れて大騒ぎになったことを。あのとき、クリフトも物凄く怒ったわ。でもとっても楽しかった。」
大きな篭のなかに入ったアリーナが、篭の中から首だけだしてはしゃいだようにブライに言った。
「・・・・・姫さま。これは大つづらではなく、生け贄を入れて持っていく篭なのですぞ。喜んでいるときではありません。」
姫ははしゃぐのをやめなかった。そして、部屋の隅でずっと祈り続けているクリフトに励ましの言葉をかけ、篭から出るとぽーんと肩を叩いた。
「安心して！クリフトが危なくなったら私がクリフトの盾になってあげる。」
これでクリフトが安心できるわけがない。
時間がきて、村の男が六人、北の森まで篭を運びにやってきた。篭にはアリーナ、クリフト、ブライの三人が入り、村長が前に立って道を進む。 篭の編目を通して入ってきていた村の明かりは次第に弱くなり、村長が持っているカンテラのかすかな光だけになってしまった。篭の中で、アリーナは武者震いし、ブライはアリーナの体を抱き抱えながら作戦を繰り返し検討し、クリフトは篭の隅に体を押しつけて何十回目かの祈りを神に捧げていた。 篭の動きが止まり、下に降ろされた。夜の冷気が篭の下の岩肌から伝わってくる。邪悪な生き物の気配がクリフトの意識に感じられた。
村長の声が響いた。
「魔物よ！約束どおり生け贄を連れてきた。村に危害は加えないでくれ！」
「承知！」
背筋が寒くなるような恐ろしい声が大地を揺るがして答えた。 村長と村人たちの遠ざかっていく足音が小さくなっていった。
「娘よ出てこい。」
声が言った。アリーナたちが息を殺していると、声は凄味を増して言った。
「どうした。出てこないか。出てこないならばお前をこの場で引き裂くぞ。出てくれば、ご主人さまの元へと連れていってやる。ご主人さまの気に入れば少しは命を永らえることができるだろう。」
ブライがめくばせすると、アリーナは篭のふたを上へ持ち上げ、そのまま立ち上がった。そしていつでも応戦できるように身構えた。
大岩の上には二匹の岩獅子がいた。岩獅子たちはアリーナを見ると鼻を鳴らした。
「お前、ずいぶん小さいな。」
「ずいぶん小さくて細いぞ。」
「それに妙な服を着ている。」
「我らが眠りに着く前にはそんな服の娘は居なかった。」
「生け贄の娘は泣き喚くものだと決まっている。お前は何故泣かない。」
「強がりはやめろ。泣け。命乞いをしろ。俺たちはそういう娘を見るのが楽しいのだ。」
アリーナは完全に怒った。
「私は泣いたり喚いたりなどしないわ！私は戦いにきたのよ。正々堂々と勝負なさい！」
岩獅子は鼻をひくひくさせた。
「匂うぞ。匂うぞ。」
「そうだ、匂うぞ。人間の男の匂いだ。」
「そうかわかったぞ。お前の泣かないわけが。」
「男たちがお前を守っているからだな。」
「自分は助かると思っているな。」
「違うってば！私が戦うんだってば！このわからず屋！」
アリーナが声を張り上げていると、もう隠れている理由のなくなったブライとクリフトが篭から体を起こした。
岩獅子は、一度は後退りしたがすぐまた篭に迫ってきた。すると、一陣の風が吹き、いぼがえるのように醜い顔をし、牛のような角を生やした大きな生き物が赤い目を爛々と光らせながら現われた。緋色のローブを羽織り左手には大きな杖を持っている。
「お前たち二頭にはちと荷が重かろう。おろかな人間よ。私が相手をしてやろう。」
化物はアリーナを嫌らしい目で眺め、首を振った。
「娘を長く生かしておいてゆっくりと精気を吸い取るのが無常の楽しみではあるが、刃向かうとあってはこの場で食ってやろう。三百年前、神々の力で魔族が封じこまれてからわしは長い眠りについていた。今、また魔族が栄えの時を迎えようとしている。お前たちは、目覚めてから始めての生け贄だ。下僕たちよ。男の骸はお前らにくれてやる。さあ、行け！」
化物が長々と前口上を述べている間に、魔導士と神官は呪文を完成させていた。
”森に住む風の精霊たちよ。我らに力を貸し、お前のかろやかな素早さを与えよ。・・・邪悪なるものらの守りに弱さをもたらせ！”
”いと高き所にある全能なる神よ。邪悪なる者から我らを守り不可視の盾となり給え。悪しき眼差しを持つものを惑わし、我らの姿を聖なる霧にて隠し給え。”
アリーナはがまの化物と対峙していた。
”ともかく弱点を探さなくては・・・”
試しに首の付け根を狙って足蹴りを入れてみる。ぐんにゃりした感触がしただけで、相手は別に何とも感じてはいないようだ。
「娘。やるな。それでは私からも行こう。」
化物は鞭のような舌を使ってアリーナの体を打ち据えた。アリーナが辛うじて体を反転させたことと、クリフトの呪文がきいていたせいで、意識を失うようなことにはならなかったが痺れるような痛みが全身に広がった。
”強い！”
アリーナは初めて恐怖というものを感じた。それをおさえて、ふらつく足で立ち上がり、舌の攻撃を避けながら右へ左へ飛びすさりながら腹や目の間や背に打撃を加えてみる。目の間から、青い血が吹き出した。魔物は低く呻くと杖を一振りした。すると目の間の傷がふさがり前脚の先に鋭い爪が現われた。
予想もしない敵の変身にアリーナは戸惑い、その隙に爪で左肩を切り裂かれた。
痛い。
しかし今は相手から目を離すわけにはいかない。油断したら負けだ。それは死ぬことを意味する。
ブライは氷の矢を岩獅子達に射こんだ。獅子は体の一部を凍りつかせてダメージを受けたが、真っすぐにブライに突き進んでくる。
「クリフト！」
攻撃呪文を持たないクリフトは長剣を抜き、ブライをかばうと大上段に振りかぶった。歯を食いしばって岩獅子の首にずぶりと剣を突き刺すと獅子はどうと倒れた。残りの一頭はクリフトにのしかかり、脇腹に牙をたてた。ブライが更に氷の矢を降らせると、獅子は凍ってこんどはやっと絶命した。クリフトは跳ね起きてアリーナの方に走った。アリーナの肩からだらだらと血が流れているのが見える。一直線に姫の前に出ると、長剣で魔物の足に切り付ける。化物はクリフトを爪で払おうとしたが必死のクリフトに剣で受け止められた。
「姫さま！早くお逃げ下さい！」
アリーナは逃げる気などなかった。
「姫さま！離れなされ！ここはわしらが！」
ブライが杖を魔物に向け、冷気の奔流をぶつけた。 杖・・・・そういえばあの魔物は杖で傷を塞ぎ鋭い爪を生やした。あの杖がもしかしたら・・・・・
「クリフト！右へ逃げて！転がるのよ！」
クリフトは魔物の爪に押されて身を屈めていたが、姫の指示どおり、地面に転がってその場を逃れた。その瞬間アリーナの姿は宙に舞っていた。その目は正確に杖を狙っていた。
”パキン！”
杖が折れた。魔物は急に苦しみ始めた。
「クリフト！爺や！目を狙って！」
魔物は吹雪と剣を受けて盲になった。そして、アリーナが折れた杖の切れ端で深々と魔物の胸を貫いた。青い血が吹き出して辺りを染めた。
アリーナはペタリと座込み、血の海が広がっていくのをぼんやりと眺めていた。魔物の姿はじわじわと変っていって大きな蛙の死骸があとに残った。
ブライは杖に寄り掛かり、ぐったりと目を閉じており、クリフトは脇腹の傷を押さえて歯を食い縛っていた。
「あの杖が、魔物の力を大きくしていたのね・・・・・」
アリーナがそう言って立ち上がり、ブライとクリフトに笑い掛けた。
「勝てたわね。私。・・・・・・」
傷つき疲れた二人の姿を見て、アリーナは絶句した。そして自分が勝てたのはこの二人のおかげもあってなのだとひしひしと感じた。
「勝てたわ。私達・・・・・ありがとう・・・・」
そしてぐったりしているブライを抱き起こし、立てないでいるクリフトの傍らに寄り添った。
「クリフト。爺には傷はないわ。さあ、はやく自分の傷を治して。私の傷は全然痛まないから。」
クリフトは下を向いたまま笑った。
「ご存じでしょう。姫さま、私は自分には治癒の呪文はあまりきかないのです。大したことはありません。血の量が多いだけです。」
「そう？でも血だけでも止めなければ。」
クリフトは小さく回復の呪文を唱えた。多少顔に赤みが戻ってきた。だが、アリーナの傷を治そうと顔を上げると前にもまして真っ青になった。
「姫さま。その肩！」
「え？大丈夫よ。痺れている感じ。クリフトが戦いの間に魔法をかけてくれたんでしょう？傷口は後ろの方だから見えないけれど痛くないわ。」
「あの・・・・姫さま・・・・これは冗談ではなく・・・・骨が見えています！」
アリーナは首を回して自分の肩を見て、その通りなのに気付いて昏倒した。
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アリーナが薄く目をあけると、ブライの心配気な顔がすぐ近くにあった。体を動かそうとすると、左肩に鈍い痛みが走ったが、耐えられないほどではなかった。
「お嬢さん。何とお礼を言ってよいのやら。これで私の娘も、この村も助かりました！」
村長がアリーナの右手を熱烈に握った。どうやら村長宅に運び込まれたらしい。
「お礼なんていいんです。私は勝てたんだし。」
上体を起こすと、村長夫人、そしてローレーンとその婚約者が代わる代わるキスをしてきた。若い二人は本当に幸せそうで、アリーナに礼を述べたあとは二人して見つめあい目を潤ませている。
「本当に、大事なくて幸いでした。今、村の者に宴会の支度をさせます。もうしばらくゆっくり休んでいてください。しかし・・・・あれだけ大きな魔物を倒すとは。あなたはエンドール王国で開かれるという武術大会に出たならばきっと良い成績を収められますよ。エンドールのお姫さまの護衛役としてとりたてられるのも夢ではありません。・・・・ありがとう！小さな武闘家殿！」
村長はそういうと、家の者をみな下がらせ、自分自身もブライに会釈して扉の向うに去った。
「姫様。肩の具合はどうですかな。注意して動かしてみなされ。」
アリーナは恐る恐る左手を上に上げ、ゆっくりと肩を回した。
「痛いことは痛いけれど、関節や筋肉には問題がないみたい。傷自体の痛みだと思うわ、爺。」
「よかった・・・・・」
蚊の泣くような、小さなクリフトの声がした。彼はアリーナのベッドのすぐ近くの揺り椅子に腰掛けていたのだが、ほとんど失神寸前だった。神官の先程までの姿がブライの目にはやきついていた。貧血で意識を失った姫をしっかり守るようにその胸に抱きかかえ、手のひらを傷にかざしてずっと回復魔法を唱えつづける青年の姿を。脇腹の傷が完全にふさがらぬうちに、精神力の殆どを使い果たしてしまったのだ。参ってしまうのも無理はない。アリーナは口を尖らせて、自分はベッドから降りてクリフトの体に毛布をばさりと乱暴に被せた。
「しょうがない神官ね。自分の体も治せないなんて！もう少し城で修業していれば良かったのに！」
クリフトは苦笑した。姫はわかっているのだろうか。自分がこんなにふらふらなのは、呪文の使いすぎなのを・・・・・・
「いつになったら、自分も治せるようになるの？」
少し言い過ぎと感じたのか、あとから付け足す。
「・・・・・・せっかく貰った新しい神官衣が破けてしまって残念ね。」
クリフトは脇腹の傷をかばいながら、ゆっくり椅子から立ち上がり、アリーナをベッドに腰掛けさせた。
「神官衣は縫えば充分に着られます。・・それよりも姫さま。今度のことでだいぶ懲りなさいましたでしょう？もう冒険は充分ですね。ねえ、爺さま。」
「おお。十分すぎるほどじゃ。姫さま。クリフトの傷が落ち着いたら、お城に帰ることにしましょう。」
「あら、まだ駄目よ。」
アリーナは髪の毛を掻き揚げた。朝の光に髪は美しく輝いた。
「私は魔物を退治しにきたのじゃなくて、世界一の武闘家になるためにきたのよ。あんな魔物に手を焼くようじゃ私の腕はまだまだよ。もっと修業を続けなきゃ。もう少し魔物たちと戦ってからエンドールで開かれるという武術大会に是非とも参加しなければ！あ、爺やとクリフトは疲れたのならもう帰ったほうがいいわ。」
お共の二人は深い息をついた。
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「素敵な宴会だったわね！」
二日後、馬車でエンドールへ続く街道を走りながら、アリーナはにっこりした。テンペは貧しい村だったが、アリーナたちのために村人は精一杯のもてなしをしてくれた、村長は、この大恩人のために、娘の結婚式を予定を繰り上げて行なって、主賓として彼女たちを招いたのだ。
「ローレーンさんもとても綺麗だった。幸せそうで。結婚式っていいわね。また誰かに呼ばれないかしら。」
まだ脇腹の痛むクリフトに代わって御者台にいるブライが大声で叫んだ。
「姫さま。ご自分の結婚式にお出になれるではありませんか。その時を楽しみにしていらっしゃいませ。」
アリーナは膨れた。そして長い髪をブラシでとかしながら吐き捨てるようにいった。
「意気地がない高慢ちきと付き合わせたがるお父さまの言いなりになんかならないわ！・・・・私が結婚するようなことが万一あるとしたら、相手は世界一強い人よ。でも、私がその世界一になるのだから相手がいないじゃない。」
クリフトは思わず笑い、脇腹に残る痛みに顔を引きつらせた。アリーナはクリフトを睨むと彼の頭から神官帽をとって自分の髪をとかしていたブラシで一回叩いた。クリフトはブラシに目を止めた。素朴な装飾は城のものではない。
「姫さま・・・・そのブラシは・・・・」
アリーナは得意そうにブラシをかかげてみせた。
「そうよ。リアがくれたの。リアがね、私の髪の毛は神様が私にくれた美しい宝物だから大切にしなければならないって、村を発ったときにくれたの。」
神官はアリーナに落とされた神官帽を拾い上げてまっすぐに被り直した。
「姫さまは髪のことを誉められると怒るのに。なんだか今は嬉しそうですよ。」
「リアは特別よ！・・・・・リアどうしてるかな。テンペの村長さんが私達の伝言を届けてくれると言っていたけれどリアやアディー小母さんは私達の無事をまだ知らないのよね。・・・・城に帰るときに寄って挨拶しましょう。そういえばクリフト。前に聞いたクリフトが好きな人って誰なの？リアじゃないのは聞いたけど、なんだか気になっちゃう。一体いつその人と会ったの？」
クリフトは静かに微笑んで言った。
「とても小さな頃です。私の父と母ががその方に会わせてくれました。」
「それは誰なの？」
「誰よりも優しくて誰よりも愛に満ちていて誰よりも強い者です。」
「だから！誰なの！」
クリフトは目を細めてアリーナの耳元に口を寄せた。
「それは・・・神様ですよ。私はずっと神様と共に歩んで行きます。」
アリーナは首を捻って考えた。クリフトの答えはまだアリーナにとっては納得がいかないものだった。
「クリフトが神様と一緒に過ごしたいのなら、何故お城に帰って聖堂にいないの？こんなところについてこなくていいのに。」
「う・・・・・それは・・・・陛下のご命令だからです。私は姫さまの父君を尊敬しております。」
「それだけ？・・・・お父さまの命令なんかいいのに。」
ブライはにやりと笑っていた。ブライはクリフトが決して旅を放棄しない理由を知っている。アリーナが、火事で死んだクリフトの小さな妹にそっくりな赤い髪をしていること。そしてクリフトが他の誰にも代えがたいほど幼い姫を可愛がっていること。・・・・ブライにとってもアリーナは悪戯好きの孫のようなものなのだ。王の命令がなくとも、自分もクリフトも喜んで供を申し出ただろう。
「二人とも、お父さまの命令なんか破っていいのに・・・・二人とも、戦い向きの性格じゃないのだから。お父さまは言ってたわ。”この世のなかのすべての人間には神の与えた役割がある”って。爺、クリフト、あなたたちは自分の役割は何だと思っているの？戦うことや強くなることだと思っているわけではないでしょう？」
クリフトは御者台まで近付いてブライに耳打ちした。
「ねえ、何だと思っているの？」
『とりあえずは姫様をお守り申し上げることです。』
二人して同時に言った答えになぜかむくれてしまうアリーナであった。
「ところで、エンドールにいくまでに、魔物の数はどのくらい多くなるのかしら。テンペで聞いたところでは、種類も数もとっても多いってことだったけれど。どこか適当な町に泊りながら修業できるといいわね。」
「さあ。どうですか。東に馬車で二日かかるフレノールの町まではあまり魔物はでないようですが。もっとも最近はかなりでるようになってきたため町や村の間の行き来が以前ほど盛んではないようですからなんとも・・・・」
「ふうん。」
アリーナはブライの隣に座って膝を立てるとその上で頬杖をついた。
「爺はその町に行ったことあるの？どんな町？」
「ええ。二十五年ほど前に。当時はのどかで純朴な人々が住むそれでいてなかなか賑わっている町でしたがの。そうそう。大きな宿屋があって宿の前には小さな花壇と噴水がありましたな。城の大噴水とは比べものにもなりませんがけっこう姫さまはお気に入るかもしれません。」
「噴水ねえ・・・」
気のなさそうにアリーナは呟いた。
「あ！爺！止めて止めて！」
ブライはいそいで馬車を止めた！
「どうなさいましたか！姫！」
アリーナは御者台から伸び上がって左右の森を見渡していたが残念そうに口を尖らせた。
「ああ〜！ぐずぐずしているから居なくなっちゃったじゃない！うねうねのたくっている変な植物みたいな魔物、せっかく退治して上げようと思ったのにぃ。」
ブライは憮然として馬を進め始め、クリフトは十字を切った。
”神よ、相変わらず血気盛んな姫さまのお心をどうかお鎮め下さい。重ねてお祈りいたします。”
アリーナが帳面の”取り逃がした魔物”の欄に、几帳面に書き付けるのを眺めながら、クリフトは、自分は姫のお転婆を気遣って祈った回数でも数えておこうかなと半分本気で考えた。
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