いつかその手を |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、オフィシャルとかけ離れており、我が家設定満載ですので、ご注意くださいませ。 アレックさんルートで既に帰国後年月が経ち、二人の間には子供も生まれましたが、ロビュ小隊のメンバーには変化がない平穏な毎日です。 二次創作として初めてアップした短編「青空に白の花束」に書いた「アリサちゃんに説教されるコリンさん」の段について、風色発売五周年にリクを頂きまして、今回書かせていただきます。このサイトの設定では最終的にはこの二人は所帯を持つことになっているのですが、その発端にあたります。……といいつつ甘さはほとんどありませんが。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
ここ、ロビュ小隊の航空班と整備班では少なくともひと月に一度は「酒盛り」が行われている。若干アルコールに弱い者も居たが、概ね酒が大好きな輩の集団であったし、なにより、指令であるクラウスを除けば、飛行機に関してはこの小隊の整備士とパイロットの全てを統括しうるといっても過言ではないドックの長、ジパング生まれのナカジマ技術兵が、酒と酒盛りの雰囲気をこよなく愛していたからである。 その会場は、ドック前であることが多かったが、今回は新たに配属された若手パイロットの歓迎会ということで、夕食後、兵舎に隣接する食堂を借り切って行われた。例によって例の如くに陽気な副隊長コリン=グレイディーア大尉の乾杯の音頭で始まった酒盛りは、短時間のうちに一気に盛り上がり、その盛り上がりは一時間弱が過ぎた今もまだ続いている。ティノたち料理人が特別に作ってくれたつまみは美味であったし、ナカジマと、パイロット隊長であるアレック=ユーティライネン准尉が差し入れてくれた、普段よりすこしばかり高級な酒は、男達のボルテージを上げた。エリカが酒盛りに居た時には、皆それなりに下品な言葉は控えていたが、子どもを抱えている彼女が最初のほんの十五分だけ参加して帰宅してしまったあたりから、箍が外れて悪乗りし放題である。陽気に冗談を飛ばすトゥーフォン、その横で不機嫌そうに酒を啜り、時折『煩い、お前は声がでかすぎる！』と叫ぶオズウェル。すぐに頬の辺りを真っ赤にして、若者達のあれやこれやにわっはっはと腹の底から大声を出して笑うナカジマ。ナカジマに時折酒を注ぎつつ、あまりに過激な悪口をがなり合って喧嘩になりそうなところに割って入ってまあまあ、とその場を納めるアレック。……そして、航空班ではないのに、何故かナチュラルに現れる補給班のドゥニ。通りかかって酒は飲まずにドゥニを監視するフランツ。……平和ないつもの呑み会である。呑み会が平和なのは、コリンが酔っていないことが大きい。はっきりいってコリンの酒癖は最悪である。一定以上の酒量を摂取すると、いつもの人当たりのよい性格はどこかに吹っ飛び、誰彼構わず捕まえては何か難しい話題について謎の持論をぶつけて叱り飛ばす説教魔と化す。しかも、酔いから醒めたあとは、自分が説教していたことなどとんと覚えていないらしい。そのため、周りが彼があまり飲まないように算段すると、『どうしてー？俺、お酒沢山飲むと眠っちゃうってのはわかってるけど、どうして飲ませてくれないんだよ〜いじわるだ〜』と拗ねてごねる。ごねる姿はかわいそうでもあるが、彼の説教は両の耳からアツすぎるパトスが滝のように注ぎ込まれるそりゃあもう迷惑以外の何物でもないので、翌日が副隊長殿の完全休業日であるとき以外はどんなにごねようが、泣きつかれようが酒を与えないように注意をしている。今日もそういった日の一つであり、コリンの両脇に座ったかつて途方もない被害を蒙ったことのある後輩パイロット達は「酒瓶を渡さない、注がない、飲ませない」の三原則を合言葉にコリンの動向に目を光らせていた。ゆえに、酒を女性と同じくらいに愛している我らが副隊長は不満顔であった。とはいうものの、『泥酔しない安全圏』内の薄い酒は渡してもらっていたので、ちびちびとそれを啜りつつ少しばかりは体と頭をほんわかとさせ、生来の話し上手と陽気な性格でもって、トゥーフォンともども皆を巻き込んで場を盛り上がらせていた。 そう、それは平和な酒盛りであった。 食堂の入り口に小さな影が現れるまでは。 卓の間の通路をズンズンと歩いていく小柄な姿は衛生兵の制服を纏っていた。皆の間に緊張が走る。誰か、航空分隊や整備班の関係者が大きな怪我を負って彼女はその報告に来たのではないか。そうでもなければ真面目な彼女……アリサ=ベリエフが、男ばかりのこんな酒盛りの場にくるはずがない。そして、彼女は皆の見守る中、ここに居る者の中では一番階級が上であるコリンの前に立ち止まった。走ってきたのか、はあはあと肩で息をするアリサのいつもと違う様子に、コリンは立ち上がる。皆もしん、と静まり注視する中、アリサは一度すう、と大きく息を吸い、両肘を直角に曲げて腰の辺りでぎゅっと握りこぶしをつくると、勢い良く息を吐き出すと共に怒鳴った。 「コリン=グレイディーア大尉、恥を知りなさいッ!!」 暫く発声する者はなかった。アリサと言えば恥ずかしがり屋でオドオドしていて……看護師の仕事をしているときだけは人が変わったようにキリリとしているが普段は蚊の鳴くような小声でしか話しているのを聞いたことがない。そのもじもじしている姿と、手当てをしてくれるときの優しくもテキパキ処置をするギャップがイイとファンも多いが……そのアリサが、大声で、『恥を知りなさい』衆人環視のもと、大尉殿を叱っている。これが事件でなくてなんだろうか。 そう思ったのはコリンも同様で、一気にほろ酔いはふっとび、目を白黒させながらとにかく会話を試みる。 「……え？アリサちゃん、どうしたの？恥って、俺、なんかしちゃった？」 すると、アリサはそれには答えず、150cmの身長から178cmの大尉殿を見上げ据わった目を向けた。 「座りなさい。」 有無を言わせぬ響きを持った命令にコリンがすとんと腰を下ろすと、アリサは大声を張り上げる。 「誰が椅子に座りなさいと言いましたか！床にお座りなさい！」 「え、ええ？え？アリサちゃん？」 「聞こえなかったのですか。床に座りなさいと私は言いましたッ!!」 あー、医療室の嬢ちゃん、ありゃあ酔って居やがるな、とナカジマが呟くと、横でドゥニが頷く。 「なんかよー、昨日、『お酒に酔うって、どのくらいアルコールが体に入ったら酔うんですか』ってあの子に聞かれてよ。強さにも拠るが、ロマッシア酸のウォトカなら度数40はあっから、小さなグラス一杯でも酔えるわなって軽い気持ちで答えたんだが……酔う気満々で質問しやがったの？第一どこで飲んだんだよ。」 一同の頭の中に『消毒用エタノール』と書かれたラベルがピーンと音を立てて浮かんだ。果たして、医療室の作業台の上には、エタノールの瓶と、メートルグラス(←液体の計量をするメスシリンダーのようなもの)が置かれており、その横に「申し訳ありません」とアリサの署名のあるメモがあり、ドクターがコレは一体何なのかと訝っている最中であった。 そんな中、床にちんまりと正座させられたコリンは、アリサにビシィッと人差し指を突きつけられていた。 「前々から注意はしていましたッ!!初対面の女性にあまりにも馴れ馴れしく声をかけ、複数の女性と当然のようにお付き合いして、周囲の方が諌めても、どこ吹く風で受け流し、そういうのを女性の敵というんですッ!!」 「ええええええッ!?そこッ!?俺、女性の敵なわけ!?ちょッ！それ違うから。俺、不真面目につきあってたわけじゃないんだって。馴れ馴れしく声をかけてたのは認めるけど、それは可愛いなあって気持ちを抑えられないからであって 「お黙りなさい！」 ハイッ！と悲鳴のような声を漏らしてコリンは背筋を正す。 「声をかけるのみならず、不必要な接触を試みたり、気を持たせるような手紙を書いたり、贈り物をしたり……」 「えと……親愛の情を示すにはスキンシップは必要だし、頻繁に会えない子に好きだよって気持ちを伝えるには、手紙を出すのは当然で 「そこッ!!誰が話していいと言いましたかッ!!」 ハイイイイイイッ!!とコリンは縮み上がる。 それから暫く沈黙が続いた。アリサは据わった目のまま、何をどう 話そうか逡巡していたようだが、随分と長い時間が経ってから、ハキハキと大声で話し始める。 「伯父があなたのお父様にたいへんお世話になったということもあり、グレイディーア大尉に何事かあったらお助けしろとの父母からの便りもあり、私はあなたの動向に注意を払ってきました。少しばかりの浮ついた無軌道な行動には目を瞑っても来ました。それを補ってあまりあることをあなたはしてきたからです。パイロットとしての責務を果たし、軽いようでいて、実は周囲をよく見ていて、特に戦時は挫けそうになりがちな皆の心をあなた流のやり方でもって、支えきりました。見事でした。その行動は大きく評価されるべきです。しかしッ」 アリサの小さな拳がドンと傍らの卓を打った。手の骨は大丈夫かと心配したくなるような大きな音が響く。 「それはそれ、これはこれ、許すまじ、この最低男！」 以前、エリカが酔ってアレックに説教はじめたことがあったが、エリカより嬢ちゃんの方が気合入っていやがるな。とナカジマが面白そうに呟く。周囲が同意し、楽しそうに頷きあう。そう、エリカが説教を始めた時には皆どうなることかとはらはらしたものだが、今回は数人を除いてニヤニヤしている。コリンの女癖の悪さは前々からのもので、『謂れ無き叱責』に晒されているわけではないのだし、異様にモテる大尉殿をやっかむ恋人なしの小隊員はキラ星の数ほどあったのだ。……というわけで一同は可愛そうなコリンを余所に見物を決め込むことにしたのであった。 「よりにもよってなんなんですか！責任逃れをするなんて！私は士官だから、下士官だから、ということはいいたくはありませんが、それでもどうなんですか。士官の大尉さんが自分のやったことをやっていないって誤魔化すなんて。軍人としてというより人としてどうなんですか。ええッ、どうなんですかッ！私は思いっきり駄目だと思います。違いますかッ！」 コリンは何かしら思い当たることがあるらしく、弁明しようと口を半開きにしているのだが、アリサにキッ、と睨まれてそれを果たせず、大人しく正座を続けている。 「あ、あ、」 ここで初めてアリサは口ごもった。呂律がまわらなくなったわけではない。ああ、言えるかしら、言わなくちゃ、言わなくてどうするの、と小声で呟いてから爆発したように叫ぶ。 「……赤ちゃんを作っておきながら、自分がお父さんじゃないなんて言い張るなんて!!」 どよどよどよ、と周囲が沸く。あ、大尉殿、やっちゃったんだ。あーあー、いつかこういうことになるんじゃねえかって思ってた。……身からでた錆だな。隠し子ってか？まだ他にも居るんじゃないか。責任はとらにゃいかんよ、青年。大尉殿、士官としての矜持を示さねばならぬと自分は強く主張いたします。…… コリンの後ろにしゃがみ込んだアレックが耳打ちする。 (コリン、本当のことかい？俺には君がそういう人間だとは思えないが。もし彼女の言うとおりなら俺も容赦はしないよ。) (信じて下さいよアレックさん。アリサが誤解した原因つくったことは認めますけど、額面通りに聞かないで下さいって！) 「あの人、泣いていましたよ！お父さんがお父さんであることを認めないなんて！小さなお子さんを抱えて遠い街から鉄道とバスを乗り継いでやっとロランドまであなたを頼っていらしたのに、冷たく追い返すなんて！冷血漢です、人非人です。悪魔です。悔い改めなさい！」 堕天使ルシファーに光り輝く剣を構える大天使ミカエルの如くにもう一度腕を伸ばし人差し指を突きつけ……そのままアリサは床に崩折れた。 「……アリサ……ちゃん？」 足が痺れて立ち上がることができず、膝でにじって顔を覗き込めば、アリサは紅い顔をしてくうくうとそれは気持ちよさそうに寝ていた。 「これ、急性中毒とかじゃないよね？」 心配げにコリンが周囲を見回すと、ササ、とフランツが出てきて脈をとり、大丈夫でしょう、と請け負い、しかし、勇気を出して言いたいことを全て言って気持ちが緩んだのでしょうとコリンを睨むことは忘れなかった。まあ、なんだ、顔色は悪くないしアリサちゃんはお祖父さんあたりがロマッシアの出らしいからウォトカへの耐性はそこそこあるだろうしな、とドゥニもしゃしゃり出てきて、で、どーなのよ、とこちらはコリンの顔を覗き込んだ。 「ひとまず嬢ちゃんを医療室に連れて行け。連れてったら飲みなおしだ。コリンは誤解があるってんなら早いとこ解いとけ。誤解じゃなけりゃ、責任とりやがれ。衛生兵の嬢ちゃんがお前のせいで落ち込んだら、小隊の全員から恨まれるぜ。」 コリンは、一つため息をついてからわかってますよ、とナカジマにウインクし、アレックに、『お願いできますか。責任は俺にありますけど、俺に運ばれたなんてわかったらアリサちゃんは嫌でしょうし、ここにいる中じゃアレックさんが一番いいんじゃないかと思うんで……』と深く深く頭を垂れた。アレックが快諾し、アリサを抱え上げ、その横に痺れる足でやっと立ち上がったコリンが付いて医療室へと向かう。残された面子は、アリサの爆弾発言を肴に、何時も通りの酒盛りを再開するのであった。 医療室の寝台にアレックがアリサを横たえると待ち構えていたドクターは、うちの子に何をしたかとコリンの脳天に拳の一撃を喰らわせた。アレックが改めて話を聞こうか、とコリンに釈明の機会を与え、彼が話し終わるとアレックは一応それに納得した。コリンが嘘をついている可能性もなくはなかったが、ドクターと准尉は軟派な外見よりもずっと真面目なこの大尉を信じたのだった。 アリサが目覚めたらすぐに誤解を解けと二人に諭され、コリンは一人残された。アリサが憤るのも無理はなかった。彼女はあの女性の言ったことを本当のことだと思ってしまったのだから。 彼は傍らの机の上に出しっぱなしになっていたメートルグラスを見て微笑む。アリサらしい。きっとドゥニに言われた度数40度のウォトカ一杯分のエタノールを正確にはかりとって水で割り飲み込んだのだろう。 「お酒はさ。楽しく飲まなきゃいけないんだよ、アリサちゃん。」 すうすうと寝ているアリサに聞こえないことをわかった上でコリンは小さく呟いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アリサが目を覚ました時、初めに目に入ったのは覗き込むコリンの顔だった。飛び起きたところ、頭突きをかましたようになり、コリン共々額を押さえる羽目になった。酔いによる痛みもあって、こんな時には一先ずお水、お水を飲んでエタノールを薄めて……サイドテーブルにあった水の入ったコップを掴んでごくごくと飲み干し、ふう、と息をついてから、まだ額を押さえている大尉殿の姿に行き着きああ、どうしようとアリサは視線をさ迷わせる。コリンに面と向かって色々と言いたかったけれど、それだけの勇気が無くて、お酒の力を借りることにしたアリサだ。酔っている間の記憶はきちんとあったが、素面のままではコリンを厳しく叱責する自信がない。でも、言わなくちゃ、酔っていないきちんと考えられるときにも言わなくちゃ、と、口を一文字に引き結び、ベッドから出ようとして……両肩をコリンに掴まれてベッドに居るよう諭された。それでも、アリサは私はもう大丈夫ですから、とベッドから出て、看護人が使う丸椅子を窓際から持ってきて、少し思案してコリンから少し離れた場所に座った。 「あー。えーっと、アリサちゃんの言いたいことはわかるんだけど、ここはひとまず俺の言い分も聞いてくれるとあり難い。わかってる、わかってるって。俺は女の子のことに関してはだらしないって思われてるのはわかってる。沢山の女の子と付き合ってるのも事実だよ。でも、アリサちゃんが思ってることは間違いだ。……はあ……黙ってるってことは聞いてくれるってことだよね……うん…………おそらく、だけど、アリサちゃんは、小さな男の子を抱いた彼女に出会ったんじゃないかな。……多分、彼女は具合を悪くしてた。あの日は暑かったから軽い貧血でも起こしたのかもしれない。そうじゃないかな。」 アリサは頷いた。あの日、ロランドの街に買い物に出たアリサは、道端で蹲っている女性に出会ったのだ。大丈夫ですか、と声をかければ、顔は蒼白で冷汗をかいている。そして、アリサに凭れ掛かるようにして失神してしまった。アリサは女性の抱いていた子供を抱え、女性を日陰になっている建物の壁に寄りかからせると、脈をとった。女性はすぐに意識を取り戻し、もう大丈夫と請け負ったし、アリサ自信も単純な脳貧血であろうと思っていたが、あまりにも女性が憔悴してみえたので、私、ロビュの小隊に勤めている看護師です。大丈夫とは思いますがまだ眩暈がするのではないでしょうか。少し休んだ方がいいですよ、私もここで一休みします。と女性の隣に座って同じように壁に寄りかかった。そして、お顔の色が優れませんけれど、何かおありですかと訊ねると、ややあってから女性はわっと泣き出したのだ。そして、アリサに切々と訴えた。何年も前からおつきあいをしていた男性がこの小隊にいること。正式な婚姻関係にはなかったけれど、彼は自分をお姫様のように大切に扱って愛してくれたこと。停戦となる前に自分は身篭っていることに気付いたけれど、軍人として前線にたっているその恋人に心配をかけまいとそれを報せようとしなかったこと……そして、自分一人で子供を生んで、戦後の混乱の中を生き抜き、やっと落ち着いて、彼を頼ってここまで来たのに、身に覚えがない、帰ってくれとにべも無く言われたこと。……その人は戦時中ロビュの双璧と言われたパイロットの一人であるコリン=グレイディーア大尉であること…… アリサはそれを信じられない面持ちで聞いていた。確かにコリンは女癖が悪いが、優しい……ときにそれが度を越すくらいに優しい人だと思っていた。それなのに、長い付き合いで子供まで作った人を追い返すだなんて！女性はアリサがコリンの知り合いだと知ると、美しい型押し模様のある作りのしっかりしたつくりの鞄から、十通を超える封書を取り出した。そこには愛していると何回もしたためられたおり、文の最後にはコリンの署名があり、また、女性の口から聞いたコリンのあれやこれやはアリサたちが良く知るものと一致していた。女性の言葉が嘘だとは思えなくなり、そんな、酷い、とアリサが漏らせば、女性は涙ながらに、もしもそれができるならば、私のように泣く者が出ない様あの男不実を周囲に報せて下さいとアリサに頼んだ。……女性は立ち上がり、アリサに助けてくれた礼をいい、坊やをかかえて歩いていった。 ……それでアリサは酒盛りの会場……コリンをよく知る人々が結集しているところを狙って、全てをぶちまけようとしたのだ。 コリンは首を振った。 「彼女を好きだったことは本当だよ。二人で出かけて食事をしたり、芝居を見たり……夜に一緒にいたこともある。」 アリサの頬が赤らんで、コリンは頭を掻いた。 「……言い訳をするわけじゃないけれど、世の中の女の子がみんなアリサちゃんみたいに身持ちが堅い訳じゃあないんだ。……真面目な娘(こ)だって寂しさがつのって人肌が恋しいこともある……って御免、君には大いに怒られるとこだ、これ。……でも俺があの子の父親ってことはない。……万に一つもその可能性は無い。だって俺は、何もしちゃいないなんていわないけど、赤ん坊ができるようなことだけはしていないんだから。」 それが『ヘマはしていない』というように聞こえたのかアリサの顔が険しくなった。 コリンははああああ、と息をつく。 「信じてくれなかったらどうしようもないんだけど、これは本当のことなんだからさ。……因みに計算も合わない。俺が彼女に最後に会ったときと坊やが生まれた時は七ヶ月しかはなれていないんだ。早産したって可能性もあるかもしれないけど、だったらあの坊やは度を越えた未熟児だったはずだ。…………俺には彼女が嘘を言っているのがわかった。そして……俺が彼女が嘘を言っているのに気付いた上でその嘘に乗ってほしくて無茶を吹っかけてきているのもわかっちゃったんだよ。 彼女が本当のことをいってくれなかったから、俺は想像するしかなかった。でも……彼女が言いかけて訂正したり、口篭ったりしたことからわかったんだ。……坊やの本当の父親は、陸軍の下士官だった。停戦の直前に最前線に投入され、今でも行方知れず。……最後に会ったときに聞いてたんだよな、約束を交わした人が戦地に行ってしまって寂しいって。心も体も隙間だらけで寒い、暖めて、ってさ。……その人は結局帰ってこなかった。おそらく最近になって彼の実家に期限年度が経過して戦死の報せが届いたのだろう。彼女はどうしてよいかわからなくなったんだろう。正式に結婚していなかったために寡婦年金も貰えない。坊やの父親さえ帰ってくればすべてうまくいく、と希望を繋いでいたのに、それがなくなったんだからね。……俺が、どう考えてもその子、俺の子じゃないっていったら、彼女は言ったんだ。わかってる、私生児でいい、認知だけしてくれさえすればいい。って。親しいお友達でいてくれた証に、この子の養育費の援助が欲しいの、それにグレイディーア家のような立派な家の人が法律上の父親ならば、この子も立つ瀬があるというものでしょう、認知だけなら迷惑にならないでしょう、私を助けてってさ。……実際は俺に隠し子がいちゃったら、親父さんも弟も政治的に窮地に追い込まれるし、俺は母さんに殴り飛ばされちゃうんだけどさ。……とにかく彼女は坊やとの暮らしを守るために必死だったんだ。」 「……だから、追い返しちゃったんですか。……長いお付き合いだったのに？好きだったのに？」 「彼女はそれなりの資産家の家の出で。……立派なバッグを持っていたろう？指に嵌った指輪も売れば相当なお金になりそうだった。彼女はまだそういった裕福な暮らしを捨てる覚悟ができていないってことだよ。……助言はした。俺は君の家族にはなれないけれど、いくつか言えることはある、って。……それは彼女の気に入るものではなかったようだけどね。……今からでも遅くない。資格をとってはどうだろうって。タイピスト、お針子、看護師……そうしたらあの子はいったよ。あなた、私にくたくたになるまで働けというの、って……俺は笑って言い返した。働かないと食べられないのはあたりまえだよ、って。彼女は俺に背を向けた。俺は自棄を起こさずに頑張れと叫んで見送るしかなかった。……そのあとなんだろうな、アリサちゃんが彼女に出会ったのは。……そして、俺はアリサちゃんに礼をいわなくちゃいけない。」 え？と瞬きをするアリサに、コリンは説明する。 「あのあと俺はすぐに手紙を書いた。彼女と話しているときには、彼女の感情の爆発に翻弄されて言いたいことが言えていなかったからね。……彼女、女学校は出てるんだ。成績もわりとよかったみたいで。行儀作法は子供の頃から叩き込まれていたはずだから、うまくいけば家庭教師の口がみつかるんじゃないかって助言したくてさ。そしたら、返事が来たんだ。彼女、謝っていた。いろいろなことがうまく行かなくて、頼りにしていた家族や親類からも冷たくされて捨て鉢になっていたって。俺が坊やの父親でないことも認めてくれてた。……恥ずかしくなったんだって。ただ通りかかっただけの他人なのに、倒れた自分を介抱してくれて、嘘で固めた身の上話を真摯に聞いてくれた女の子がいて、自分は何をしているのかって。…………大丈夫、立ち直るさ。彼女は。どんな仕事をやるにせよ、坊やと二人できっとしっかり暮らしていく。そして、戦死したお父さんのことも坊やが大切に思ってくれるよう彼女は教えていくだろうさ。」 アリサは酒のせいではなく顔を真っ赤に染めていた。私の決死の覚悟は何だったのかしら。そもそもコリンを疑ったこと自体が罪に思える。目の前にに居るのは、『大切な女の子の友達』を心から気遣う一人の優しい青年だ。ごめんなさい、コリンさん、ごめんなさい、とアリサがペコペコと謝ると、いいっていいって、さっきもいったけど、俺はいつもの行状が行状だからさー。とコリンは笑って手を振った。 でも――不思議そうにアリサはコリンの顔を見上げる。 「そういったお手紙をやりとりするくらい親しいのに、どうしてコリンさんは坊やの新しいお父さんになろうとはしなかったのですか。」 コリンは笑顔のまま、アリサちゃんだって、エリカちゃんやカレンちゃんとは親友でも家族になろうとは思わないでしょ？と軽く流そうとしたが、思いなおしたのか、緩んでいた口元を引き締めた。 「俺、女の子に関しては、子供の頃からいろんな子に声かけててさ。自分も楽しいし、女の子も楽しいって言ってくれてるし、いけないことしてるとは思ってなかったんだよね。……そしたらある日、教会学校の牧師様に個人的に呼ばれちゃってさー。いやいやいやいやそこまで悪いことはしてなかったよ。教会学校だって同い年の男子連中の中ではよく行ってた方だったし。……牧師様はさ、男女が付き合うこと自体は悪いことではないって前置きをしたあとで、でも、この人を自分のものにしたい、と思ったときには、その人が家族になったらどうだろうって思い浮かべなさい。っておっしゃったんだな。そうすれば、軽々しく触ったりキスしたりしなくなるはずだよ、って。……人生の大先輩の牧師様の言うことは本当だった。……その子と家族になったらって想像して、そうなったらいいな、と思う子とは冗談でならともかく、抱きしめたりキスしたりなんてできなかったんだよ。……家に帰ったらその子がお帰りなさいって出迎えてくれて、食事の仕度をしてくれて、時には俺が作るんだけど下手ですねって笑われたりして、休日には買出しに行ってどういった家具を買うかちょっと口喧嘩になったり、俺が悪い時にはきちんと叱ってくれて、物凄く悪い時には烈火のごとく怒ってくれて、勿論俺が謝って、……いろんなことを二人で一緒にするのさ。食糧貯蔵庫のジャガイモが芽を出しちゃって二人で嘆いたり……子供ができたら親ばか丸出しで可愛がって、反抗期になってびびったり、巣立ちの季節にしみじみしたり、……俺は子供が五人くらいは欲しいけれど、こればっかりは授かりものだしね。共白髪のじーさんばーさんになって日向ぼっこしながらたっぷりミルク入れて砂糖をどばっと入れた紅茶をすするとこまで想像したら……付き合う中で洒落た甘い言葉を囁いてキスするとかできないって、実際。牧師様の言葉は本当だったけれど、たくさんの女の子と付き合うこと辞めなかったけどね……あの子に限らず、俺は女の子が寂しそうだったらそうでなくなるように抱きしめられるし、頬や額や、……ええとまあ顔にキスできる……おかしな話だけれどそれが、俺の『運命の相手』ではないことの証明なんだな。運命の相手なら、俺はプロポーズしてからでないとキスできないと思うー。……俺は彼女の頬に二度目にあったときにもうキスできた。だから彼女は家族にはなれないってわかってたんだよ。」 はあ、とアリサは息をつき、すっと眦を上げると、でも、頬にキスしたり抱きしめたりは、駄目だと思いますと、コリンは頭を掻いた。そして、誤魔化すように、誤解がとけたのなら俺は酒盛りに戻るよ、このままじゃ皆の噂話の餌食だからさ、と立ち上がり……アリサの前に跪いてその小さな左手をうやうやしくとり、そっと甲に唇を寄せた。 「手の甲への接吻は『尊敬』の印だから、許してよね。実際、俺はいっぱい君に感謝しなくちゃいけないんだから。…………今回、あそこまでボロクソに叱られて痛快だったよ。普段見られないアリサちゃんの雄姿も見られたしね！あれは後々まで語り継がなくちゃね！」 恥ずかしい、やめて下さい！とまた顔を紅くするアリサの前でコリンは立ち上がり、彼女の手を一瞬自分の心臓の高さまで持ち上げたあと名残惜しそうにそうっと放して、じゃあ、アリサちゃん、良く寝てお酒を抜くんだよと、逃げるように去っていった。 アリサは『何かおかしいです』と思ったが、どこがどうおかしいのかコリンに限って言えばよくわからなくなってしまって、とにかくあんな調子じゃいけません！と心の中でもう一度彼を叱責してから、坊やとその母親の幸せを神様に祈ることにした。 |
| 風色発売5周年記念で、もろもろさんより頂いたリクエスト、「アリサちゃんに説教されるコリンさん」の短編です。ゲーム本編でのコリンルートでは、極秘任務に飛び立つ前夜にああいうことになっている中尉殿ですが、このサイトの彼は、『普通のお友達として付き合う女の子に対しては大胆だが、大切な人に対しては決して手を出さない』紳士なお兄さん設定となっています。真面目で頑張る子が大好きで、自分以外の人間と幸せになってくれればそれはそれでいいと思うような男です。この二人もオズウェルのところと同じく恋慕に至るまでは長い時間がかかります。 書いている私が言うのもなんですが、いつか彼はアリサを空に連れて行ってあげて欲しいです。 もろもろさん、動きの少ない話となってしまいましたが、どうかご容赦下さいませ。 |
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