青空に白の花束 |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、その直後書きましたので、ＶＦＢ(ヴィジュアルファンブック)の設定に合致しせずオフィシャルと離れている部分が数多くあります。また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。 ルートとしてはアレックさんルートグッドＥＤ後ですが、オールキャラ登場です。尚且つ、恋愛が主体ではなく、主役はユクトランド王国で開発された水上飛行機「オオルリ」(正式名称フライキャッチャー)のつもりです。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ アレック ユーティライネンは、大陸大戦時の王国一のエースパイロットであったが自らも共に参加していた飛行訓練で自分の力を過信し、部下二人を失い、また、大戦時に相棒であったオオルリの機体欠陥が事故原因だとデマを飛ばされ、自責の念に駆られる。コクピットに座るだけで事故を部下の遺体を思い出し、体調を崩し「飛べないエース」となった彼は、准尉の階級を返上し、伍長としてロビュ小隊のトラック運転手となる。その後、帝国の新たな侵攻に際し、整備兵のエリカを初めとして、様々な人に支えられて、彼は再び空への翼を取り戻したのだった。 |
大空を一機の青い戦闘機が舞っている。すうっと桟橋に向かって回り込むように高度を下げると同時に空気の流れを乱すことなく折り畳まれていたキールが下ろされる。キールの先端が陽光でちらちらと光る海を捕らえ、水面をナイフのようにすっぱりと切り、そのまま滑るように着水する。 水上機の離着水桟橋では、整備兵がオオルリの帰還を待ち構えていた。この機体の整備主任であるオズウェルが身軽に桟橋へと降り立ったパイロットへと駆け寄った。 「どうですか。新しい方向舵の調子は。」 アレック＝ユーティライネンはいつも通りの穏やかな笑顔でオズウェルに対する。 「ああ、以前の改良よりさらに安定性が増したよ。これならば経験の浅い操縦者でも、十分に操作できるだろう。」 オズウェルはアレックと会話しながらも、四角張った几帳面な字で、飛行記録を埋めていく。その表情も口調も昔とかわらずぶっきらぼうだが、アレックとの会話を楽しんでいることは少しでも飛行機をいじったことがあるものならばわかる。整備の長のナカジマはもちろん、トゥーフォンも、エリカも、二人の会話が弾んでいることを感じとっていた。 と、先に飛行訓練から戻ってから姿を見せていなかったコリンがぶらぶらと歩いてきて言った。 「あーあ、オズウェル、アレックさんばかりじゃなく、たまには俺にも新しい機体のテストをやらせてくれよ。」 オズウェルはちら、とコリンを見たが、すぐまた飛行記録に目を戻した。 「……不測の事態がおこったときに、アレックさんなら最善の対応をしてくれるし……第一、コリンは、機体の扱いが荒くて任せる気にならん。」 コリンは『がーん！』と大げさに叫んだあと、ま、アレックさんとの比較だったら無理か、と笑った。 そー、そ、アレックさんと張り合うのは無理無理〜。とオズウェルの横でトゥーフォンも笑い…… 「……それよかさ、コリン、その箱はなんなんだい？」 コリンが小脇に抱えた箱。トゥーフォンでなくとも気になるだろう。それはこの離着水桟橋に不似合いになことに、ひらひらと紅いリボンがついていた。ロビュ小隊一の伊達男は大仰に箱を頭上に掲げる。 「これはさ、じゃーん！王都の仕立て屋に頼んで仕立ててもらった特別デザインの飛行服だーッ！」 コリンはリボンを解き、蓋を開けて女ものの栗色の飛行服を取り出した。エリカが目を大きく見開くと、コリンはウィンクした。 ナカジマはふふん、と笑った。 「なんだ、コリン、お前さんはそれをお披露目したくて皆をここに集めたのか？」 確かに、整備とは関係のないアリサやカレンまでもがここにいるのはコリンに呼ばれたからなのだろう。 「そゆこと。エリカちゃんはさ、俺達と一緒に飛ぶとき、ルカが退役したときに置いてったサイズの合わない飛行服の袖を捲り上げて着てるだろ。でもさ、今度の長距離飛行は王家じきじきの依頼なんだから、当然新聞社だって呼んであるはずだ。つまりはさ、『救国のエースとオオルリの整備士にして可憐な初々しい婚約者〜〜っ』て報道されるわけだ。だったらルカのお古なんかじゃなく、バッチリ気合はいった奴でないとな〜はははは。うーん、本当は襟だの袖だの裾だのにレースだのなんだのいろいろあしらいたかったんだけどさ、ルカの奴、エリカちゃんは実用性がないやつは気に入らないと思うって言って……ほら、エリカちゃん、ちょっと着てみてくれよ。」 コリンがアレックに飛行服を渡すと、彼は慣れた手つきで服を拡げ、エリカに袖を通させた。エリカはベルトをバックルに通して締める。 アリサはわあ、可愛い。と小さな声だが嬉しそうに言い、カレンもコリンにしちゃ上出来、と頷いた。 「うおおお、いい線いってる！どう、アレックさん、ご感想は？」 柔らかな鹿革でできた飛行服は襟を兎の白い毛皮が縁取り、ドレスのようにもみえた。エリカがくるり、とまわってみせると、裾が美しく広がった。 「あ、ああ、……とても良く似合うよ、綺麗だ。」 アレックが照れくさそうに言うと、コリンはにやりと笑った。 「アレックさんてば、もう婚約してるってのに、何そんなに紅くなってるんですか。」 暇があったのか補給部隊の隊長のドゥニもいつの間にかやってきてコリンに加勢した。 「そうだ、そうだぞ、やること一通りやってるんだろうが〜。」 アレックは、コホンと咳払いした。 「……ドゥニさん、物事には順番というものがあるでしょう。」 えー？普通はやるでしょ？と意外そうな声をあげるコリンの腹にカレンが肘鉄をくらわせた。 「世の中のみんなが全部コリンみたいだったら世も末だわ！ところで、どうやってエリカの服のサイズがわかったの？ぴったりじゃない。」 「んなもの、俺とドゥニさんにかかれば一発……って、いや、いや、冗談だって！サイズは資材部に聞いたんだよ!軍服のサイズをもとにすりゃ、飛行服くらいちゃんと作れるって！！ 」 アレックとオズウェルに睨まれたコリンはあわてて弁解し、皆が声をたてて笑い、笑い声で離着水桟橋が揺れた。 明日、アレックとエリカはこのロビュ小隊を出発し、王都に最も近い航空小隊へと飛ぶ。王家の第三王子は、平和になった今、戦争の道具ではない輸送機関として、飛行機を運用することに意欲的に力を注いでいた。王子から小隊へ、新しく開発された、長距離飛行可能の「オオルリ」で国の南端に位置するロランドから王都近くまでテスト飛行を兼ねたお披露目をしてくれないかと打診されたのがふた月前。勿論、パイロットには先の世界大戦でエースとして活躍し、帝国侵攻の際にも救国の英雄となったエリック＝ユーティライネンが指名されていた。同行者としてエリカの名をあげていたのは、女性が同行することによって、戦闘機としてのイメージが強いオオルリの平和使用が円滑になるから……と王子――ルカ――は手紙に書いていた。が、別の便箋にしたためられた手紙には、王都にはエリカの両親が住んでいる、そして王都ならばロランドよりもずっとアレックの故郷にも近い。二人揃ってこちらに来て、両家のご両親の前で結婚式をあげてはどうだろう。と、押し付けにならぬよう注意しながら、真心の篭った言葉でつづられていた。 アレックもエリカも小隊に迷惑がかかっては、と遠慮したが、小隊の鬼とも呼ばれるクラウス司令から『王子の言葉に従うことがこの小隊にとってそしてオオルリにとっての利益に繋がる』と重々しく言われた言葉が決め手になって、明日、二人は機上の人となる。 「……ったく、ルカの奴、飛行機による輸送がどうの、ってお題目より、アレは絶対にアレックさんとエリカちゃんに会いたかったんだぜ。あいつ、いつも自分が蚊帳の外なのを悔しがってたからなあ。」 コリンの言葉は、あながち間違いでもないだろう。王子としての責務を果たすためには、彼は王都から滅多に離れられないのだから。 その晩は、何か理由をつけては飲み会を催すコリン主催の『壮行会』で、食堂はごった返していた。 エリカは二人の女友達に挟まれ、楽しく話に興じていた。 「この婚約指輪も、もうすぐ結婚指輪に変わるのよねー。」 カレンがエリカの左手の薬指に嵌められた指輪をちょん、と触った。 「うん、そうね、でも、これと同じ色の石が嵌ったリングなの。」 アレックが贈った婚約指輪は、整備作業の邪魔にならないようにと配慮してのことか、小さな石が控えめにはめ込まれた銀のリングだった。ただ、その石はオオルリの機体そっくりの色で、エリカはたいそう気に入っていた。整備の仕事のはじめ、作業手袋を装着する前に、エリカは必ずその指輪にそっと唇を寄せてキスする。同僚のトゥーフォンはそれを見るたびに冷やかし、上司のオズウェルは不機嫌そうな顔をするのだが、エリカは微笑みだけを返す。 かなり離れたところにいるコリンは既に本格的に酔っており、いつも通りのよくわからない雄叫びを上げていた。 「理性より本能で！そう、ときには野獣のように!!操縦テクニックじゃかなわないけど、別のテクニックでなら俺は!!」 彼の隣にはアレックが座っており、少々困った表情をしていたが、それでも柔らかな笑顔は健在だった。 「そう！テクニック！テクニックと言えば！！そう、テクニック！！！ 」 「はいはい、コリン、机の上に立っては危ないよ。」 アリサは心配そうにエリカの袖をひき、コリンの方を見る。カレンは意に介さない。 「あー、平気平気。酔ったコリンのわけのわかんない話を余裕の笑顔で受け流せるのってここじゃ結局アレックさんくらいなんだから。」 そうかな、うん、でもアレックさんなら大丈夫だよね、とアリサが言い、エリカのことに話題を戻した。 「エリカちゃん、帰ってくるときには奥さんなんだよね。……なんだかエリカちゃんがちょっと遠くに行っちゃうみたいで寂しいな。」 「寂しいっていうか……あたし、エリカの花嫁さん姿、見たかったなあ。んもう、結婚式を王都でやるのは、エリカとアレックさんのご両親の都合でしょうがないけど、帰ってきたらフォンク亭で大お披露目パーティーやるんだからね！そのときにもドレスを着てよね！サラさんもセルジュ君も楽しみにしてるのよ！」 そこでバタン！と物凄い音がして、その方を振り向くと、コリンが潰れてどたっと机につっぷしていた。送られる側のはずのアレックが甲斐甲斐しく介抱している……と思ったら、再びコリンがむっくりと起き上がり何やらまたわけのわからないことを喚いた。さすがに防衛班のフランツもやってきて机の上に立って演説を始めたコリンを引き下ろす。 エリカがアレクの方を見て小さく手を振ると、アレックがそれに気付き目を細めて手を軽く振ってくれた。カレンがならば私も、とでも思ったか、トゥーフォンに大きく手を振ったが、彼は整備仲間とのお喋りに夢中でそれに気付かず、業を煮やしたカレンが『トゥーフォン』と叫ぶと『え？？何、なんだよぅ？？』と返してきて、ああ、あいつってやっぱバカ、と吐き捨て、エリカとアリサは顔を見合わせて笑った。 そういった動き全体を、ナカジマは視界の端に捉えながら、目の前の若者を見やった。彼のここでの一番弟子はナッツの皿に時々手をのばしながら、ゆるゆると麦酒を飲んでいる。 「オズウェル、お前、若い連中に混ざらなくていいのか？」 オズウェルは答えない。 「アレックをコリンから助け出さなくても大丈夫かねえ？」 今度は反応があった。 「あの人はコリンをうまくあしらえるし……むしろ俺が行ったら余計混乱しますよ。それに、本当に心配なら、親方が出張ってるはずでしょう？」 違いねぇ。とナカジマは笑う。 「しかし、まあ、なんだな、お前、アレックが帝国から無事に帰還して以来、よく二人して話したり酒飲んだりしてるじゃねえか。二年前は、あいつとお前が仲良くなるとは思わなんだ。同じ整備ってわけじゃねえし、年だって随分違う。それに……」 何かを言いかけてやめたナカジマの目線の先で、オズウェルはコップに残っていた麦酒を一気に喉に流し込んだ。 「あの人は……うまくいえませんが……整備じゃないのに、不本意ですが、俺と同じ匂いがするんですよ。あいつ…………いや、オオルリのことを愛してくれてますし、大切にしてくれている。……もしかしなくても俺以上に……」 ナカジマの骨ばった手がオズウェルの背をどやしつけた。 「！？ 」 「いやぁ、悪リィ、悪リィ。お前もいい男になったもんだ。特別に今日はこいつをくれてやらあ。俺の国の酒でしかも大吟醸だ。まあ、飲め。」 変わった形の小さな盃を持たされ、これまた変わった形の陶器のいれものから酒が注がれ、とろりとした感触と滋味を楽しんだのもつかの間、喉から胃へと落としてその強さにオズウェルは目を見開く。 「とにかく飲め、飲め、飲んで酔え！なあ、クラウス、こんなときは飲むに限る！」 陽気に騒ぐナカジマと、戸惑うオズウェルを、彼らと同じく大吟醸酒をちびりちびりと口にしながら、ロビュ小隊の司令官、クラウスは静かに見守っていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 北部旅団、第一航空小隊の離着水桟橋は、いつになく賑わっていた。約６年前、アレックの起こした事故をきっかけに、この航空小隊は『フライキャッチャー』（←『オオルリ』の王国軍における正式名称) の使用をやめ、戦闘機のすべては滑走路を使うタイプに変わった。しかし、使う者もなく捨て置かれていた離着水桟橋は、美しくペンキを塗られ、桟橋へと続く道にはいくつかのテントがはられて、花とリボンで綺麗に飾り付けられていた。 1つのテントの中にしつらえられた貴賓席で、王国の第三王子は耳をそばだてた。この音は……間違いない。嘗て、従軍していたときに彼もまたこの機体を駆って空を飛んだのだから。 殿下、参りました、という側近の言葉を聞くより前に彼は立ち上がっていた。 王子達が見守る中、オオルリはお手本のような着水を見せた。そのまますうっと離着水桟橋へと接岸し、整備士たちがワイヤーで繋ぎとめる。初めにパイロット、そして、後部座席からパイロットに手を貸されて小柄な人影が降り立った。 ルカが静かに進み出てオオルリから下りた二人の前に立った。そして満面の笑みをたたえて口をひらく。 「アレックさん、そして、エリカ。久しぶり。そして長旅、ご苦労様。」 初めにアレックと、そして次にエリカと握手する。エリカが目を丸くするほどに真昼でも尚眩しいフラッシュがたかれ、新聞社の記者たちが早く取材できる場所を占めようと警備の軍人の制止する人垣からメモと鉛筆を持った手をにゅっと出す。ルカもさすがにこのような衆人環視の場所では王子としてふるまうほかはなく、他人行儀の言葉を交わすしかなかったが、それでも三人はお互いの瞳の中にこの上ない親愛の情を感じ取ったのだ。 式典も終わり、オオルリの前で延々と続いた永遠とも思える長い取材攻勢のあと、ようやく政府関係者や記者たちから解放され、アレックとエリカは北部旅団第一小隊本部へと立ち寄ることになった。二人は明後日には王都へと出発するが、帰路においてもこの基地からオオルリを使うため、エリカが今日のうちに整備をすることになっていた。年若い女性整備士が整備服に着替えてやってくるのを見、基地の整備士たちは無遠慮な冷たい視線を向けたが、ナカジマと懇意であったという初老の整備士が一人だけであったけれど暖かく出迎えてくれた。そして、エリカが整備を始めると男達は面食らうことになる。その手際の良さと、自分達が日頃整備している機体と設計コンセプトの全く違うオオルリのメカニックに、驚き、今度は好奇心で熱をもった視線を彼女の手先に向けるようになった。 整備が終わるころには、エリカが「女である以前に整備士」であることを皆納得し、また、オズウェルとの間がそうであったように、飛行機に寄せる愛情が彼らを一気に親しくさせた。 この基地には、アレックが『王国一のエースパイロット』と呼ばれていた時代を知る当時の彼の部下が何人か残っていた。今は当時よりも少し階級の上がった彼らは、夕食のあとにかわるがわるやってきて、気持ちのよい挨拶をしてくれ、また、近況を交換しあった。何人もから『お嬢さん、准尉殿を頼みます。優しく頼りになるということには太鼓判が押せますが、なにせここぞというところでは妙に不器用な方ですので。』というようなことを囁かれ、エリカは笑った。 基地で一泊した後、二人は基地の最寄の町に出た。小間物屋を覗き、古い家並みを眺め……休日にロランドでもやっていた何気ないことが、見知らぬ町ではエリカには大冒険にも思えた。アレックにとっては勝手知ったる町であり、落ち着いた区画にある一軒の宿屋に彼らは宿をとった。 この後、アレックと共に、彼が懇意にしていた人の家を訪れることになっていた。彼は初め行動を共にすることを渋った。自分はその人に会いたい。その人も歓迎してくれるだろうが、或いはもしかして、エリカが嫌な思いをすることがあるかもしれない。それが嫌なら……静かに、しかし心配そうに言うアレックに、これは、過去の事件が関係しているのだとエリカは気付き、もしもアレックさえ良ければ一緒に行きたいと言い、アレックも首を縦に振った。 そこは一軒の食堂だった。そのたたずまいはロランドの食堂『フォンク亭』に驚くほどよく似ていた。「準備中」の札がかかった扉をあけると、カラン、と鈴がなる。すみません、とアレックが厨房をのぞくと、「ごめんよ！開店まではまだ時間があるんだ」と言いつつ店主自らがやってきて……血色のよい丸い顔に驚愕の表情を浮かべた。 「おおおう！アレック！来たのかい！」 「ええ、ライマンさん、お元気でしたか。ご無沙汰して申し訳ありません。」 「いやぁ、そんなことはいい！……お前さんがこの町の誰かに手紙を書くのは辛かったろうからな。むしろ、五年ぶりに手紙を貰って、『お邪魔するかもしれません』とあったときには俺は涙がでるほど嬉しかったよ。」 そういって二人は抱擁を交わす。アレックの肩越しにエリカを見、ライマンはにっこりした。 「この人は。手紙で言ってたお前さんの？」 「ええ、そうです。」 ライマンは意味ありげににこにこ笑っている。 「ええ、そうです、じゃわからんよ。」 アレックは店主の性格を知っているのか、はあ、と一度息をつくと言いなおした。 「ええ、俺の婚約者です……」 「エリカと申します。」 お辞儀をするエリカを見、ライマンはぐりぐりとアレックの腹を肘でつついた。 「よかったじゃあないか。お前さん、覚えているかい？この町を出て行くときこれからは人と深く関わらず静かに生きていく、なんてストイックなことを言っていたんだぞ。それが、まあ、こんなに可愛い子を手にいれるなんて！」 「ライマンさん、『手にいれた』だなんて、……エリカは俺のところに『来てくれた』んです。」 そうかそうか、とライマンは笑う。 「いい笑顔だ。アレック・ユーティライネン。……なんだかお前さんと初めて会った頃のことが思い出されるよ。」 この店主はあの事故より前のアレックのことも知っているのだろう……勿論事故後のことも。 まあ、座れ座れ、と席を勧められ、二人は木綿のテーブルクロスがかかった奥まった席に座った。アレックはこの町を出てからのことをかいつまんで話し、店主もアレックが去ったあとのこの町の様子を話した。どうやらアレックは軍務の休みには部下達と共に何度もこの店を訪れていたようだった。そして、店主もアレック達と随分親しく接していたようだった。 「払いはいい、えげつない話はしない、酔っ払いが喧嘩をすれば仲裁してくれるなんてのは、航空小隊の連中には珍しかったからな。」 「……そうでしたっけ？」 「ああそうだ。お前さんが教官、しかもエースだと聞いたときには天地がひっくり返るかと思ったがな。それほどお前さんは腰が低かった。」 「……無理もありません。俺以外で教官や隊長だったのは、すべて士官の方々ばかりでしたから。」 暫くの間昔話に花が咲いていたが、アレックが真面目な表情になり、店主に問うた。 「ライマンさん。……あのときの二人の部下のご遺族についてご存知ではないでしょうか。弔慰金を受け取ったところまでしか、王国軍に記録はないのです。」 店主はアレックがその話をいつ切り出そうか迷っていたことをその表情から知った。 「……お前さんがここを去ることになったあの事故の二人か。ああ、……ベンソン上等兵の一家は、あれ以来どうしたか全く音沙汰を聞かない。この町に居ないのは確かだ。……お前さんが、大陸大戦のエースとして女王陛下から賜った金のメダルを売って作った金の半分を言われたとおりに渡したんだが、あれをひったくるようにして玄関先で受け取ったのがあの家族を見た最後だ。……もう追うな、気に病むな。お前さんがどんなに誠意をつくしても、あの家族には届かない。それでもお前さんは気にするんだろうが……追わないことがあの家族にとっても幸せなんだ、そう考えろ。そして、それはきっと当たっている。」 俯くアレックは少しして顔を上げた。 「ロブ……ロベルトの妹さんは……？」 「やはり気になるかい？」 ロベルトは事故のあと、短い間だったが、まだ息があった。空を掴むように手を延ばし、『准尉……殿』とそれだけ言って息絶えた。あのときの無力感をアレックは忘れない。 「ええ、あの子は、葬列に参加した私に突進してきて、両の拳で私の体を殴りながら、お兄ちゃんを返せ、お兄ちゃんを返せとずっと泣いていましたから。あのとき８歳だったと聞きます。今はもう15になるはずですが……両親を大戦で亡くし、たった一人の家族を私が死なせてしまい……彼女は無事でいるのでしょうか。」 「そんな顔をするな。お前さんがロブを殺したんじゃないし、第一あの子はもうお前さんを恨んじゃいない。……昔は確かにお前さんを憎んでいたがな。……預けられていた叔母さんが、ここで働いていたせいもあって、よくこの店に来ていたが、お客の誰かがユーティライネン准尉を褒めるたびに喰ってかかって、あんな人は英雄じゃない、ただの人殺しだっていってな。いつも暗い目をして店の隅で縮こまっていたが、お前さんへの怒りを見せるときだけ目がぎらぎらと光っていた。 ただ、あの子は馬鹿じゃない。馬鹿じゃないし、優しい子だ。……ロブのことを思い出せばわかるだろう。ロブと同じでとても優しい子だよ。ただ、大好きな兄さんを亡くして混乱していただけなんだ。あの叔母さんもできた人で、決してお前さんのことを悪くは言わなかったし、俺も少しずつ話してやったよ。 事故の前まで、ロブがいかに准尉のことを尊敬し慕っていたかということを。 救援隊が事故現場に到着したとき、雨の中、血塗れになったお前さんが、二人の遺体をシートにしっかり包み、飛行機の翼の残骸の上にのせて怪我をした足を引きずりながらワイヤーで運んでいたことを。 「上」の方はともかく、お前さんが面倒を見ていた兵たちも、揃ってお前さんを擁護してくれた。奴らはこの店に来るたびに、准尉殿は部下が危機に陥ると、自分の危険を顧みず、必ず助けに入って救ってくれた。大戦中に僚機を一機も失わなかった隊長など王国中を探しても誰も他にはいなかったことを語ってくれた。 そして、そうする義務などなかったのに、大戦終結時に王家から貰った褒賞全てを遺族のためになげうったことも俺は話した。泣かれたり、喚かれたりしたが、話したよ。きちんと話した。 ……もうあの子は大丈夫。お前さんへの憎しみも失せ、ロブの死もきちんと受け入れている。 ……ただ、あのあと叔母さんが病気で亡くなってな。」 「！！」 アレックの顔が歪む。 「あわてるな。まだ話には続きがある。」 そのとき、カラン、と、入り口の扉に付けられていた鈴が鳴って、誰かが入ってきた。それは一人の少女だった。エリカと同じ茶の髪、緑の瞳。片手には瓶や袋の入った大きな籠を下げている。 「……今じゃ、俺の自慢の娘だ。」 もしや……もしかして、ロビュ小隊に配属されて以来ずっとアレックが驚くほど細やかに気を遣ってエリカを気にかけてくれたのはこの少女のことがあったからなのかもしれない。……そう瞬間的にエリカは思う。 アレックの腕がかすかだが震えているのがわかった。エリカは手を延ばし、テーブルの下で手を握った。冷たい感触が彼女を驚かせたが、アレックは大きく1つ息をすると、食堂の入り口へと視線を向ける。 少女がこちらにやってくる。長い髪を一本のお下げに編んできびきびと歩く姿は、それだけで彼女が快活な娘であることを確信させられる。 「父さん。頼まれた香辛料、全部揃えて買えたわ！東方からのキャラバンがついたんですって!!」 そう弾んだ声でいった娘は、養父の目の前の客……アレックの顔を見て黙り込んだ。そして、沈黙の後…… 「ユーティライネン准尉？」 問われて、アレックはゆっくりと頷いた。少女は手で口を押さえ、ついでぴょこん、とおじぎをした。おじぎからゆっくりと上げられた彼女の顔には輝くような笑顔があった。アレックに目で問いかけられ、店主は『ほぉら、自慢の娘だっていったろう？』とばかりに片目を瞑って見せた。 娘は早口で挨拶をまくしたて、厨房に突進していって『准尉さん、何か作りますから待っていてください！！』と叫ぶとすぐに包丁を取り出してなにやら料理を始めた。ライマンに言われなくとも、彼女が料理をしながら気持ちを落ち着かせ、何からどうやって話そうか考えているのは明らかだった。 料理が置かれ、少女は木製の大きな盆を抱えたまま養父の隣に座った。彼女は戸惑っていた。先程店主が語ったアレックに対する恨みや怒りは、この少女が直接アレックにぶつけたわけではない。しかし、少女の心の中では、直接ぶつけたのと同じなのだろう。だから 「准尉さん、ごめんなさい。」 謝罪の言葉が一番初めに出た。 「それを言わなければいけないのは、私の方だよ。」 アレックがいうと、少女はふるふると首を振った。 「そんなことないです！私、覚えているんです。准尉さんが、あの事故のあと、私のところに来て、いっぱい謝って下さったの、よく覚えているんです。でも、私、お兄ちゃんが死んで悲しくて悲しくて、准尉さんのことをいっぱい叩いちゃって。だから、叩いちゃったことも謝らなくちゃいけませんし、准尉さんのことを恨んだりしたことも謝らなくちゃいけないんです。 少女は言葉を続けた。少女は実に様々なことをよく覚えていた。兄がなくなる前、アレックと何度か遊んでもらったこと、オオルリの名前の由来を聞いたこと、アレックがエースだと兄から聞いて、『エース』というのは優しい人のことだと勘違いしたこと。少女は悲しいことを話題にしないと料理しながら決めたのだろう。語ることは皆楽しいことばかりだった。 「兄は准尉さんのことも、オオルリのことも大好きでした。なのに、あの事故のあと、私は准尉さんのこともオオルリのことも大嫌いになって……それが、兄がいちばん悲しむことをしているんだって気付くまで、随分時間がかかってしまいました。 兄は休暇で町にに帰ってくるたびに私によく話してくれました。オオルリで空を飛ぶとどんなに気持ちがよくてどんなに空が素晴らしいかを。今はまだ無理でも、いつか、パイロットでなくともオオルリで空を飛べる日がやってくる。その日がきたら、兄ちゃんはお前を後ろに乗せて飛んでやるよ、って。」 そういって、少女はエリカに目を移す。 「エリカさんは、パイロットではないんですよね。」 「ええ、私は整備士なんです。」 「……あの！どんなですか！空を飛ぶって。やっぱり、空は素晴らしいですか。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 結局、店主の勧めで夕食までも馳走になり、星が輝きだすころまで二人はライマンの店に居た。腹ごなしがてら、アレックの案内で街の裏手の丘に登る。 そこからは、町の灯火が見えた。 ロランドの町にも、こうした絶景が見える場所があり、そこでアレックと鉢合わせたことがあったが、それもまたここと似た場所を求めてのことであったかもしれない。 二人は月明かりの中、並んで座り、今日起こったこと、出会った人のことをいろいろと語り、星を見た。と、しばらくしてすう、とアレックの寝息が聞こえた。酒は弱い方ではないが、店主に勧められるままにぶどう酒の杯をあけていたので、少し酔ったのだろう。幸い空気は冷たくない。エリカは上着を脱ぎ、四角に畳んで枕代わりにアレックの頭の下にさしこもうとした。 「……」 不明瞭なアレックの小さな声がした。エリカは肩をぴくりとさせる。昔、彼が悪夢にうなされ苦しんでいたことを思い出したからだ。しかし、おそるおそる覗き込んだ彼の顔は安らかだった。その唇が小さく動いて、再び言葉が紡がれた。 「エリカ……」 その呼びかけが、いつも遠慮がちにキスしてくれるときに耳元で囁かれる暖かで優しい声そのままだったので、エリカは少し頬を染め、アレックの額におちてきた金髪をそっと人差指で梳いた。 アレックが目を覚ますと、少し離れて空を向いて座っている人影が目に入った。彼は思い出す。ここに配属されていた時分、部隊の酒盛りのあと、部下に付き合いこうして砦の裏手で酔い覚ましをかねて空を見たことを。 罪のない四方山話に飽きてしまうと、酒で火照った顔を夜風で冷まし、なんとなく皆の視線は夜空に注がれた。 「准尉殿、夜空を飛んだら、地上はどのように見えるのでしょうね。丁度今俺達が見ている星空のように見えるのでしょうか。」 まだ夜間飛行の経験がなく、そう言ったロブは、地上の灯火は見えても夜空の星は見えない世界へと昇っていってしまっている。 ロブ…… かつての部下の名を呼ぶと、人影はびっくりしてこちらを見た。……はっきりと目を醒ましたアレックの視線の先には愛しい娘が目をぱちくりさせている。 アレックが夜空を見上げると、エリカも見上げた。 風もなく、虫の声もしない。無音の中、無言で二人は星を見続ける。 そのまま随分と長い間、空を見上げていたエリカは、自分の腕でわが身を抱き、ぶるっと肩をふるわせた。 「エリカ、どうしたの？」 「アレックさんは……オオルリで空を飛んでいて、怖くなったことはありませんか。私、こうして地面の上に立っていても、空をずっと見ているとなんだか不安になってきます。」 アレックは空を飛んでいるときのことを思い返した。 恐怖を感じたことは数知れない。耳に入る音は、エンジンの唸り、プロペラの回転音、そして風の音と、自分の息、そして心臓の音。敵機が視界に入れば操縦桿を即座に操作し、機銃を発射し、あるときは僚機を救う為に間合いをはかって敵機のフォーメーションに割ってはいる。 だが……恐怖とともに奇妙な安堵感を感じていたのも確かだ。大戦後、それを顧みて、当時は英雄としての自分に酔っていたのだ、と己を恥じていたのだが、今はそれだけではなかったとわかっている。 アレックは静かに、説明した。 「恐怖は感じていたけれど、俺は空を飛んでいる間中、相棒……オオルリの機体に包まれていたからね。……一人で飛んでいたわけではなかったんだ。いつも私のそばには相棒がいたし、……オオルリで飛ぶ、ということは、オオルリを作り、整備してくれた人々と共に飛んでいるのと同じことだった……だから、恐怖に勝てていた。今はそう思う。」 アレックが座ったまま腕を広げると、エリカは素直に座って彼の胸に背を預け、アレックはそっと抱きしめた。 「空にいるときには君達が整備してくれたオオルリがいつだって俺を抱いてくれている。だから、怖くない。安心していられる。空を飛んでいてもずっと落ち着いていられる。」 「こんな風に……ですか？」 「ああ。」 エリカは自分の腹で安全ベルトのように組まれたアレックの手に自分の手を重ねて小さな声で何事かいった。 「何？どうしたの？」 「とっても安心ですけれど……あの、あの、ちょっと、落ち着けるかというと〜〜!!恥ずかしいです！！」 アレックは慌てて腕を解き、御免、と言ってから、ふきだした。 「エリカ、あの、」 俺達は結婚するんだよね？とそっと耳元で囁かれ、ますます頬が熱くなる。 「でも、恥ずかしいものは恥ずかしいんです！！ あ、でも、……恥ずかしいけれど、嬉しいですからッ！！絶対、嫌とかじゃありませんから！むしろ、あ、あ、あの…… でも、どうにかなっちゃいそうで。」 アレックはもう一度ふきだすと、優しくそっと腕を絡めなおした。 「これから……少しずつ、慣れて？俺だって……まだ、ぎこちない。」 そして、二人はもう一度空を見上げた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 次の日、航空小隊に一度戻り、ジープを借りて王都へと移動する。 王都で直接エリカの実家である自動車整備工場に行った二人は大歓迎を受けた。アレックがパイロットであることは告げられていたが、『救国の英雄』ということは、職工たちには知らされておらず、ただ「俺達の大切な嬢ちゃん」を嫁に貰う、幸せな男、ということで、いささか手荒な歓迎を受けた。二日目にはフェンクスからやってきたアレックの家族も到着し、彼らはアレックがあの事故以前の快活さを取り戻したことを喜び、固く抱擁しあった。 エリカの母と父の年齢差が十五もあったことを改めて知り、エリカの父とアレックの父母、そしてアレックの兄とエリカの母が同年代であったことも手伝って、アレックの家族とエリカの家族は会って間もないことを忘れさせるほどに瞬く間に親しくなった。 結婚式は救国の英雄には不釣合いな近所の小さな教会で行われ、エリカの幼児洗礼を施したと言う神父が愛情豊かに司式してくれた。初々しい白いドレスの新婦はもちろん、年齢よりずっとずっと若々しくみえる新郎は絵のようで、通りかかる街の人々が『自動車が友達だったちっちゃいエリカちゃんが、王国軍の伍長さんと結婚したんだって、めでたいねえ』と祝福した。 エリカの母は、やっぱり旦那さまは、ずっと年上の頼りになる人が一番ですよ、と夫とアレックを見比べて笑い、アレックの父母は息子に、生真面目に、可愛らしいお嫁さんを大切にしなければいけない、と切々と説いた。 式は終始厳粛な雰囲気で執り行われ、家に戻っての宴の初めまでその空気は続いた。が、それも、整備工達が本格的に酒盛りに参加するまでで、楽隊が賑やかに演奏をし、皆が踊りだす頃には、「救国のパイロット」は見ていて可哀想になるくらい冷やかされていた。まあ、受け取る幸せの大きさを考えれば、その100倍は冷やかされてもしかたないというものだろうが。 宴はますます賑わいを増し、『エリカさんとロビュ小隊同期で、アレックさんにも世話になったルカ・フォルゴーレ少尉』が軍服に身を固めて爽やかに登場し(いや、どうしてもお祝いしたくて!とルカは頭をかき、アレックは苦笑した) たときには最高潮に達していた。この普段は生真面目な第三王子はその日だけは羽目を外して皆と一緒に大いに飲んで騒ぎ、妹のメルヴィ王女に刺繍してもらったというオオルリの縫い取りがあるハンカチを結婚祝いとして二人に贈り……彼はいつのまにか姿を消したが夜はそのまま賑やかに更けていった。 余談だが、一面にでかでかと写真が載った翌日の新聞を見た自動車整備工達は、自分達が『伝説の救国のエース』を下世話な言葉で冷やかしまくり、『王国の第三王子』と肩を組んでバカ騒ぎしたことがわかって卒倒しそうになったという。 エリカの両親が用意してくれた二人の新床は、自動車整備場のそばにある離れだった。もともとは泊り込みで整備をするための仮眠部屋だが、今日のために中を整えてくれたのだ。「新郎の務めだ」とはやしたてられて、エリカを横抱きにしてこの部屋まできたアレックは、そっと彼女を床におろし、心配そうに問うた。 「緊張してる？」 ほとんど気をつけの姿勢になっているエリカは反射的に答えた。 「は、は、はい！！ 」 「じゃ、俺と同じだね。」 そう優しく言ってアレックが笑うと初めてエリカも笑った。初めにアレックが寝台に腰を掛け、呼ばれてエリカがその隣に掛ける。 婚約してからも、アレックは決してエリカの私室には進んで入ろうとはしなかったし、彼女を自室に呼ぶことも滅多になかった。何かの理由で互いの部屋に入るときにはドアを開け放しているのが常だった。なので、ドアを閉め、こうして並んで寝台に座っただけで、何かとてつもない高いハードルを超えてしまったような感覚を二人ともがもっていた。 部屋からは微かにオイルの匂いがする。しかし二人にとってそれは不愉快な匂いではなかった。 ブルルルルルルルルルルルルル………… 母屋ではまだ宴会が続いている。その声に混ざって、自動車のエンジン音がした。 エリカが言う。 「あれは職工長さんの自動車のエンジンの音。……まだあのエンジンを使っているんだわ。古いエンジンだけれど、機嫌のいい音がしているから、まだまだきっと大丈夫。」 「よくわかるね。」 「私、元は自動車整備工ですから！……あの、アレックさん。……もしも私が自動車整備工のまま王都にいたら、やっぱりアレックさんには会えなかったんですよね？」 「ああ、そうだね。……いや、もしかしたら、どこかで整備工とトラック運転手として出会ったかもしれないね。例えばトラックを修理に持ち込んで……そして俺は怒られたかも。伍長さん、この子をもっと大切に使って上げて下さい!!ってね。……でも、実際に俺と君を結んでくれたのは自動車ではなくて飛行機、オオルリだった……俺の昔の相棒が、君を運んで来てくれたんだ。……エリカ、オオルリといえば……ちょっと考えたことがあるんだが。」 エリカは夫の話をきき、頷いた。それは今すぐどうなることでもないが、エリカも望むことだったから。 「ありがとう。」 「ううん、いいんです。……私がアレックさんだったとしてもきっとそうします。」 エリカはアレックの肩に頭をもたせかけ、アレックはその頭をそっと手で支え、髪を梳き…… 静かに優しく夜は更けていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 北部旅団第一小隊に戻ってきた二人は翌朝、ロランドに向けて飛び立つことになっていた。整備はここに着水した日に終わっていたので、確認をするだけだったが、エリカはしっかりと整備服を着込んでいた。 エリカがオオルリの機体にとりついて、整備状況を確かめる間、アレックは格納庫の壁にもたれてじっと彼女を見守っていた。 一通りの作業が終わってなお、エリカの手は愛おしそうにオオルリの表面をなで、尾翼まで手を滑らせてから夫に目をやった。 「アレックさん。……ここに絵を描いてはいけませんか。」 アレックは青い目を見開く。戦時中「エース」と呼ばれたパイロットは、特別のエムブレムや撃墜した敵機の数だけ星などの模様を機体につけることが多かった。そして、彼らは平和になった今も尚、専用の機体に星をつけたまま飛んでいる。アレックのようにエースでありながら見かけが汎用機と変わらぬ機体で飛んでいるのが異例なのだ。しかし、エリカが「撃墜の星」を描きたいと望むような性格ではないのを彼はよく知っている。 エリカはもう一度青い尾翼を撫でてから、コツン、と拳骨をつくって叩いた。 「演習や訓練でなく、ロランドからここまでくらいの距離を飛ぶたびに、この子の尾翼に何かを描きたいんです。オオルリが戦争に関係なく、長く空を飛んでくれたとき、有難う、長い距離をよく頑張ったね、って感謝の印に。」 決して誰かの命を奪った印の撃墜の星ではなく、という妻の心の声をアレックは聞く。 「いいね、うん、それはいい。何を描くんだい。」 夫の同意を得、エリカは微笑む。 「良かったら、花を。スケッチブックで見せてもらった、アレックさんの故郷に咲いているという白い花を。」 さっそくエリカは白と黄色と緑のペンキ、そして筆を用意して作業を始めた。機体の塗装も整備の役目であるため、彼女の手際はよかった。ただ、面を塗るのではなく絵を描くのは初めてに近く、下書きをするだけでも随分と時間がかかった。ようやく一輪の花を描き終えて額の汗を拭うとずっと見ていたらしいアレックが傍らに立っていた。彼は目を細め、花のまわりに指でくるっと円を描いた。 「綺麗にできたね。……よかったら、俺のも見てくれるかい。」 アレックの手には、愛用のスケッチブックがあった。エリカが作業している間にスケッチをしたのだろう。彼がオオルリを描くのは帝国から帰還して以来珍しいことではない。この青い機体は彼の無二の親友であり相棒だからだ。しかし、エリカに向かって控えめに差し出されたスケッチブックをめくり、彼女は驚愕した。そこに描かれていたのは、オオルリの尾翼に絵を描いている彼女自身の横顔だったからだ。……部下を自らの過失で失い、そのため「人」を描けなくなっていたアレック。これは彼の初めての人物画であった。 エリカはやっと彼がその呪縛から完全に解き放たれたのを知った。 「どうだろう」 照れくさそうに感想を求めるアレックの胸にエリカは飛び込み、伸び上がるとキスした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アレックの操るオオルリがロビュ小隊に戻ってきたとき、ナカジマはドックから出、空を見て、にやっと笑った。 「親方、どうしたんです？」 トゥーフォンが眼鏡に手をやりながら空を仰ぐと、ナカジマはがはは、と今度は声をあげて笑う。 「よーっく見てみろ！オオルリがケツに花背負って帰ってきやがった。」 オズウェルは、あいつらしい、とぼそっと言って口角だけ上げて微笑んだ。 尾翼の花はそれから少しずつ増えていった。それがブーケの花束くらいになるころには一人目の子供が生まれた。 彼らのまわりでもブーケの花が咲き乱れた。まず、トゥーフォンとカレンが結婚し、次に、珍しく酒宴で酔ったアリサにコリンが説教された(←間違いではない、念のため)挙句に二人が結婚し、……それよりなによりオズウェルがフォンク亭のサラと一緒になったのが小隊の最大の驚愕となった。弟を心配し嫁きおくれとなったサラをティノが心配して…そこから付き合いが始まったとのことだが、求婚したのはオズウェルの方で、他人の恋愛には必要以上に敏感だが、自分の恋愛にはとことん鈍感なサラがその意味を理解するまでに、求婚が６回も必要だったということだ。（『疲れた…』とオズウェルは述懐する）ともあれ飛行機好きのセルジュはオズウェルが義兄となったことが嬉しくてたまらないらしい。 平和は確固たるものになり、国境警備の任にあたるロビュ小隊は再編された。第三王子の肝いりで設立された、軍とは別の航空機開発機関「王立航空アカデミー」にはロビュ小隊からの整備士たちが数多く招聘された。設計士の長はオズウェル、整備士の要にトゥーフォンとエリカ。名誉主任という名を与えられたナカジマは、老いてなお矍鑠とし、本来名前だけの職であるはずなのに、トゥーフォンそっちのけでオイルまみれになって、オオルリをベースとした機体の改良にやっきとなった。クラウスは機会あるたびにここを訪れた。相変わらずの強面でロビュ小隊の鬼司令と恐れられていたが、ユーティライネン夫妻の二人の子供達が舌足らずに声を揃えて「クーおじさん」と呼びかけると相好を崩し、二人を己の膝に抱えあげて、まるで孫に接するように低い優しい声で絵本を読んでくれるのだった。 オオルリの尾翼が花で埋め尽くされる頃には、オズウェルが図面をひいた５人乗りの機体のテスト飛行が行われた。オオルリ独自の設計コンセプトはそのままに、帝国の技術……これには旧帝国のエースパイロットであったヨハンからのアドバイスも含まれている……を取り入れた新しいオオルリは、長距離飛行と、安定性、大加重に耐えられるだけの耐久性を兼ね備えた機体であった。新しい機体の尾翼にも大きな白い花が描かれ…… むろん、テスト飛行のパイロットはアレックであった。 乗客席にはオズウェルにトゥーフォン、そしてエリカにナカジマ。 「ここでこいつが墜落したら、オオルリは終わりだ。何せ、新しく図面を引くオズウェルも、整備の要のエリカやトゥーフォンも誰も彼もいなくなっちまうんだからな。」 ナカジマが呆れたように言ったが、誰も、初飛行を不安に思う者はなく、エリカの膝の上では母親譲りの茶の髪に父親譲りの青い眼の男の子が初めての空の旅に大歓声をあげていた。 小さな坊やは父親が見事な着水を決めて地上に皆で戻ってきたとき、 「僕、大きくなったらお父さんみたいなパイロットになる。」 といった。 それは勿論、撃墜王になるということではない。 フォンク亭に遊びに行った彼が、「お父さんみたいになるんだ！」と宣言したとき、今は料理屋の主人となったセルジュは物凄い勢いで頭を撫で、肩車までしてくれた。 時は流れる。 明日から旅客機が就航する。初めは政府要人や一部の富裕層しか利用できないことは確かだった。実際、明日の記念飛行では、乗り込むのは名の通った人物ばかりだった。 しかし、アレックとエリカは、一番先に、無名の人物をその機体にのせることを切望し、ルカやコリンのつてをも利用して上層部に訴えかけて、今日の非公式な飛行を実現させた。 「エリカ、ここだ……この谷だよ。」 夫の落ち着いた声が自分のまん前にある伝声管から聞こえてくる。エリカは頷くと隣に座っていたたった一人の乗客の肩をそっと叩いて合図した。 谷が迫ってきた。むろん、旅客機は戦闘機の訓練のように谷の内部を抜けるような無茶はしない。しかし、谷の上空を通過し、広い扇状地を眼下に見下ろしたとき突風がオオルリの主翼を見舞った。アレックは冷静に操縦桿をひく、そして、新しいオオルリの機体はぴくりともそのバランスを崩すことはなかった。 二人に招待され、座席に座っていたロブの妹は、涙をこぼした。それは、兄の終焉の土地を見たからではなかった。彼女は、軍人でも王族でもないただの一般市民である自分が他者に先んじてオオルリに乗り込み、鳥のように、この青い翼でもってこんなにも広い明るい空を飛んでいるというその事実に対して無性に泣きたくなったのだ。そして、この場に大好きな兄はもういないけれど、兄が、この青い翼に自分を乗せてくれたのだと信じて疑わなかった。 オオルリが旋回し谷の上空に戻り、心持ち機首を下に向ける、エリカはキャノピーをゆっくりと開ける。静かだった船室の気温が一気に下がり、風が髪をなぶる。その風さえも気持ちがよい。いや、今、自分達は風にのっているのだ。風に翼をゆだねた一羽の鳥になって飛んでいるのだ。 押し上げられたキャノピーの隙間から白い花束が谷へと落とされた。 花束の落下する軌跡を見届けたオオルリは、再び機首をあげ、その青い姿を空の高みへ、何者も隔てられることのない自由な空へと飛翔させていった。 |
| 「風色サーフ」の短編です。我が家設定満載のため、オフィシャルで裏設定が公開されたときには、この文が完全に成り立たなくなることは必至ですが、承知の上でアップしました。 恋愛アドベンチャーに分類される「風色サーフ」ですが、アレックさんとのＥＤ後、というよりは、エリカが望んでいる、「戦闘以外でオオルリが空を飛ぶ世界の実現」ということに主眼をおいています。そして、アレックルートはそれを描くのに最適なルートであると思っています。書くにあたって、アレックルートでの「どうしてアレックは当初エリカにあんなにも優しく接しているのか」、という疑問の答えとして、彼女と同じ色の髪と瞳を持つ、亡くなった部下の妹を登場させました。ゲーム中でのアレックさんの行動は、いくら彼がそういったことに疎くても17歳の女性に対してするものとしては、少しどうかと思うのですが、純粋に保護者として気遣っているのなら、十分に納得できるかな、と思いまして。 オズウェルについてはもっといろいろと書きたかった部分があります。ゲームでオズウェルの口から語られる「アレックさんとの約束」は実は「俺が居ない間彼女を頼む」ではなく本当は「俺が帰らなかったら彼女のことを頼む」だったのだと予想しております。つまり、オズウェルはエリカに嘘をついたということで……アレックも、もしもオズウェルとエリカが幸せになっているのなら、自分は身を引くつもりで、おそるおそる遠くから様子を見て、エリカの気持ちが変わっていないのを知って姿を現したのではないかな、と。 オズウェルはライバルポジションだったのでしょうが、アレックの苦悩をよく理解し、最終的には親友になってくれていると信じています。かれらは「盟友」なのですから。 ひたすら冗長な文ですが、最後まで読んで下さいまして、有難うございました。 |
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