英雄の隣に (後編) |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、製作者様の独自裏設定は存じ上げませんので、オフィシャルとかけ離れております。また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。 続きの話となっておりますので、まず前編からご覧下さい。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
「うわぁ、エリカ姉ちゃん、よーく似合ってる!!なあ、くるっと廻ってみてくれよ。そうそう！」 フォンク姉弟の伯母がおかみとなっている宿屋の食堂で、セルジュは歓声をあげた。エリカは少し頬を赤くし、それでもセルジュの言うようにくるりと廻ってみせた。たっぷりひだをとった黒いスカートが広がる。袖のふんわり膨らんだ白のブラウスに臙脂色の胴着。 宿のおかみさん――フォンク姉弟の伯母さん――が頷いた。 「嫁に行った上の娘の祭着をとっといてよかったわ〜。あの子も小柄だったから、エリカちゃんに丁度いいわ。」 大きな鳥の羽を飾ったつばの小さな黒いお祭り帽子を無理やり被らされたセルジュは満足げにうなずいた。 「うんうん、おばちゃん、サイコーだよ。エリカ姉ちゃんはいつもかっちりした服着てるけどさ、こういうふんわりした服もとっても似合うんだね！いや、こういう方が似合うんじゃないかな！うん、絶対似合う！」 エリカは貸して貰った衣装を見下ろし、有難うございます、とおかみさんに丁寧に頭を下げた。 「ほら、セルジュ、エリカちゃんのことばっかりじゃなく、サラお姉ちゃんのこともちゃんと褒めなさい。サラが着てるのはおばちゃんのお古だけど、胴着の刺繍が中々なもんでしょ？」 サラは、いいのよぉ、伯母様、とふんわり笑いつつ、コツン、とセルジュの額を人差し指で弾いた。 「もう……セルジュ、あんたってばつくづく判りやすい子ねえ」 違いないわねえ。見かけは大人になったのに中身は子供のまんまだわねえ、とおかみは笑い、旦那さんも、サラよりも年上のフォンク姉弟の従兄弟達も笑った。 列車を降りたエリカたちはすぐにフォンク姉弟の伯母の家に向かった。セルジュが手紙で『おばちゃん、早く着くかもしれないよ』と知らせておいたこともあり、早めの到着に驚かれることなく三人は暖かい歓迎を受けた。おかみさんにとって、可愛い甥と姪に会うのはドニスの葬儀をして以来であり、エリカのこともセルジュたちからの手紙で再三知らされていたので、おかみさんは三人まとめて祭り装束を着せて飾り立てたのだった。そして、『お喋りは帰ってきてからね、５時半頃に戻っていらっしゃい。伯母ちゃんたちの分までお祭りを楽しんで、何がどんな風に楽しかったかその時教えて頂戴ね、腕によりをかけてご馳走を作るから、街であんまり食べ過ぎないようにね』、と送り出した。 宿屋は町の中心よりも高い場所にあり、戸口から出ると、街全体が見渡せた。激しい通り雨は街の石畳を濃い色に濡らしていたが、雨がすべての埃を洗い流してくれたようで、空気は澄み渡り、建物の赤いスレート屋根もからりと晴れた青空にくっりと映えている。セルジュは地図を片手に一人先にたってゆるゆるとした下り道を行き、様子を確認してから二人を呼ぶ。中心街に入ると、もとからある店屋はもとより、路にはびっしりと屋台が並び、食べ物を売る店、骨董品を売る店、農具を売る店……ありとあらゆる店が並んでいるようだった。 「おうおう、そこの兄さん、可愛い彼女に花をどうだい？」 花一杯のワゴンを押した男がセルジュに声をかける。 「彼女？…………あ、ええっとー、こっちがサラ姉ちゃんでこっちがエリカ姉ちゃんで……」 すると花売りは豪快に笑った。 「祭りで両手に花というのも珍しいと思ったが、姉弟だったんかい。地図を持ってるところを見ると、他の街からのお客さんかな？ま、とにかく花はどうだい？この街の祭りじゃ女の子は髪に生花を飾るんだ。ほら、 男の指差す方を見やれば、なるほど、若い娘たちは髪のどこかに花を飾っている。 「この日に女の子に花を買わない男は、兄さんみたいな他所からの人か、よっぽど甲斐性のない奴だぞ。」 「そっかー、うん、そいじゃ俺が姉ちゃん達二人に花を買って……」 するとサラがにまぁ〜と微笑んだ。 「うふふ〜、セルジュ、エリカちゃんの花はアレックさんに買って貰わないと〜。」 セルジュは、そうか、そうだね、と頷き、白い小さな花を可愛らしい束にしたものを二つ買って姉の頭の両脇、ヘアバンドにしているリボンに挟み込むようにさした。 「サラさん、とっても似合ってる！」 エリカに言われたサラは目を細め、長いスカートを上品につまんで貴婦人のように会釈した。道を一人で歩いている男達がサラに視線を向ける。それほどサラは綺麗に見えた。それが気に入らないのかセルジュはむっとして男達を睨んでみせた。 三人はゆっくりと街路を進み、革細工屋の店先で小さな可愛らしい薔薇の型押しがされた小銭入れを見つけた。フォンク姉弟は祖母と母、エリカはカレンとアリサのイニシャルをその場で刻んでもらい、土産にすることにした。待っている間、店の周りの露店を物色していると、楽師たちが奏でる民族音楽が聞こえてきた。笛とラッパとヴァイオリンと小太鼓と……セルジュがおどけて大げさに出鱈目のステップを踏んでみせると、道行く人々が笑った。 仕上がった小銭入れを受け取ると、セルジュは地図を指差した。 「今度はここいらへんに行ってみようか。露店のおばちゃんが、こっちの広場で軽業やってるはずだって……」 と、パンパンパンと花火の音がしたと思ったら、続いて大音量の音楽が聞こえてきた。先ほどから聞こえていた民族音楽ではない。太鼓や何本もの喇叭が奏でるかっちりとした威勢のよい行進曲は玄人が演奏しているに違いない。 「えー、どこの楽隊が来てるのかなー？」 セルジュが大声で言うと、露店の男が、ありゃあ王国軍の軍楽隊だよ、今度近くに空軍施設ができるもんで、挨拶を兼ねて街の祭りに来てくれたんだ。役場前の広場に続く大通りをパレードしながら来るはずさ、と教えてくれた。 「すっげぇ！軍楽隊のパレードだってさ！姉ちゃん達、行く？あ、えーと、俺はどっちでもいいんだけど」 と、こちらに顔を向けたセルジュの表情は見に行きたくてたまらない風で、サラとエリカは笑った。三人が小走りに大通りへ向かうと、そこには既に人垣ができていた。セルジュはあたりを見回して、辛うじて三人が立てそうな石段を発見して二人を呼ぶ。その上に立つと、軍楽隊がはっきり見えた。先頭を、水色と白に塗り分けられたユクトランド国旗を構えた隊員、その横に、国旗を守るように銃を肩に担った隊員が固める。そして、その後ろには大きな演技用の旗を持った隊員が続き、大きく旗を振り、或いは高く投げ上げて沿道の人々から喝采を浴びる。“水の国”ユクトランドに因んだらしい軍楽隊の制服は、一般の軍服より、青が鮮やかで、袖と、制帽に縫い付けられた真っ白なラインが空に伸びる飛行機雲のようだ。楽隊長は手にしたメジャーバトンをきびきびと振り、合図を送る。小太鼓、大太鼓、トランペット……そして肩に担がれた大きな大きな喇叭……勇壮な行進曲。一糸乱れぬ行進は隊長がホイッスルを鳴らすと隊列が大きく変化し、その見事さに観客からはほお〜とため息が洩れた。 軍楽隊は音楽を専門とする部隊で、大きな都市にしかなく、フォンク姉弟は初めて見聞きするものだった。大陸大戦停戦時の王都でのパレードが行われた際エリカは12歳で父親に連れられて街路まで出たのだが、そのときは人垣に阻まれてよく見えなかった。なので、三人は文字通り目を丸くして華やかなパレードを眺めた。 と、三人は軍楽隊の最後に、軍用ジープがつけているのに気づいた。ジープは花で飾り立てられ、後部座席に座った軍人が、人々からの歓声に答えて悠然と手を振っている。ゆったりとこしかけたその人は、きりりとした表情の中にも微笑を浮かべ、自信に満ち溢れているようであった。 エリカが息を呑んだのがサラにはわかった。 「あの人…………」 掠れた声で“もう答えがわかっている問い”をセルジュが発した。セルジュの隣にいた街の男がそうとは知らずに答えた。 「あれれ、お前さんたち知らないで見てたのかい？ほら、なんか妙な服を着てるだろ。あれは飛行服ってやつだ。あの人はな、大陸大戦のときも、そして今度の戦争のときも俺達の国を守ってくれたエースの中のエース、ユーティライネン准尉殿さ。いやー、もっと厳つい旦那かと思ったが、中々イイ男じゃないか？」 アレックは、それまでエリカが見てきたどんなアレックとも違っていた。……アレックがアレックであるのは間違いない。なのに、ジープの上に居る人間は、エリカが知っている人とは全くの他人としか思えなかった。あんなに堂々として沢山の人に手を振って…………ううん、これが『救国の英雄』、アレックユーティライネンの本来の姿なのだろう。一人で数十機を撃墜したエースの中のエース……僚機を一機も失わなかった無傷の隊長……だからこそ、彼はこうしてパレードの中に居る。人々の歓声を受け止め、悠然と手を振っている。 パレードは役場前の広場で終わった。そこには舞台がしつらえてあり、ジープから降りたユーティライネン准尉がきびきびとした足取りで颯爽とマイクの演壇へと上がった。彼の胸では２つの銀の十字章――一つは大陸大戦、もう一つはシュレスベルクとの紛争時における功績に対して与えられたもの――が陽光にキラリと輝いた。広場には『救国の英雄』の姿を見、彼の声を聞こうと、大勢の人が詰め掛けていた。……その中にロランドからの３人の姿もあった。サラは放心したようなエリカを気遣い、広場から出ることも提案したのだが、エリカは黙って首を横に振った。セルジュは女二人がどうして浮かない顔をしているのか理解できず、もっと前でアレックさんの演説を聞こうよ、と主張はしたが、彼とて少し青ざめて見えるエリカの顔を見ると、ここに来なかったほうがよかったのかな、と眉を下げた。いずれにせよ、広場はぎゅう詰めの状態で、もはや出るに出られない状況であった。 「あの人が『無傷の撃墜王』か！」 「素敵な人じゃない？」 「堂々としているね、さすが『救国の英雄』だ」 「敵機を何機墜としたんだっけ？うわ、そんなにか。」 周りの人々がお喋りする声がエリカの耳を素通りしていく。そう、アレックは英雄だ……それははっきりわかっていたことなのに……彼は自分が英雄であることを誇示することはなかった。誇ることもなかった。むしろ、エリカには彼が「英雄である自分」に対して苦しんでいるようにさえ見えた。……でも……やはり彼は英雄なのだ。 司会の男から「救国の英雄、ユクトランド国軍最高のパイロット」と紹介されたユーティライネン准尉が演壇にたっている。マイクと拡声器を通して語られる言葉は堂々とし、全く揺るぎがない。ユクトランドの平和を願い、大陸大戦とこの間の紛争で傷ついた人々へ配慮し、銃後の守りを固めてくれた国民に感謝し、新しく設置される空軍の概要を語り……市民の軍への理解と協力を要請し…… 違う…… ユーティライネン准尉はそう語るかもしれないが、エリカが知っているアレックは同じことを語るにしても、違う言葉を使い、違う表情をするはずだ。…………エリカは大陸大戦中のアレックを知らない。そして、アレックがユクトランド国軍軍人として今軍にどのような思い入れを持ち、また、軍人としての誇りをもっているのか、本当のところは理解できないと思っている。 だけれど………… だけど、だけれど………… …………………………………………………… 今の、この、演壇で話している人は、エリカから、あまりにも、ひたすら、遠い。 自分はアレックという大人の隣にいるにはあまりも未熟で幼すぎる、エリカは幾度もそう思ってきた。しかし、今は違うことを考えている。 ……自分が、彼のような英雄の隣にいることはお門違いなのだ。 英雄として、人々からこのように尊敬される彼には士官の令嬢が似合うのではないか。しっかりした礼儀作法を身につけ、名誉ある軍人の伴侶として何をなすべきかを子供の頃からごく自然に生活の中から心得た、しっとりした大人の女性。 エリカがアレックと出会ったとき、アレックは飛ぶことができなかった。彼はエリカの前で弱さを露呈し、エリカはしかし、彼の強さを信じて空へと送り出せた。…………もう彼は空を自由に飛べる。自分はそれを少しだけ手伝ったかもしれないが、もう彼が空を飛ぶのに自分は必要ない。…………子供の頃から『エンジンが友達』の変わり者の女の子、オイルに塗れ、嬉々として飛行機の整備をしている技術兵など、究極の英雄には全く不釣合いだ。そう…………よく考えればわかることだったのだ。恋なんてしたことも考えたこともなくて、でも、初めて恋をして愛した人が自分を愛しているといってくれて………………きっと自分は勘違いしてしまったのだろう。実際、彼が望みさえすれば、今でも彼に相応しい相手など候補としてすぐに何人も見つかるのだろう。アレックの気持ちを疑っているわけではない…………ただ、自分が彼の隣に居ることが、居させてもらうことが、どうしても間違いに思えて仕方がなかった。 エリカはアレックの十字章を今初めて見た。見せてくれ、と言ったこともなくて、彼がそれを授与されたことは知っていても、十字章を授与されるということがどれほど凄まじく名誉なことなのか考えてもみなかった。……彼が全国民の英雄だとは知っていたが、エリカの前では彼はアレック=ユーティライネンという名の彼女だけの英雄だった。 今、ここで彼の演説を聞いている自分は、英雄を熱狂的に迎える広場に集まった何百もの人々の一人でしかない。 と、トン、という無機的な音をマイクが拾った。エリカがはっとして我に返ると、演壇の上で、アレックが分厚い原稿を揃えた音だった。そして、彼は新たな原稿の束を傍らから持ち上げた。 「……私はこの壇に上がったとき過分な紹介を受けました、が、ご覧の通り私はごく普通の人間で一人で空を飛ぶことなど適いません。私が空を飛ぶことができたのは翼が与えられたからです。」 彼の左手がすっと演台脇に張られた幕を指すと、その大きな幕が風を受け、大きくうねりながら下へと落ちた。 「！」 セルジュの息を呑む声が聞こえ、サラが、『エリカちゃん』と囁いた。エリカはそこに現れたものを信じられない面持ちで見た。 そこには一機の水上機があった。……エリカがいつも『あの子達』と呼んでいる、空より青い機体……整備士であるエリカが見れば、その機体にはエンジンが載っておらず、ワイヤーも古び……塗装だけは綺麗に施してあったが形だけを残した抜け殻のようなものだと一目でわかった。が、それは確かにオオルリだった。 「大陸大戦時も、シュレスベルクとの紛争時も、この青い戦闘機、Ｊｕｋ-３は彼は私の相棒でした。私は彼をオオルリ、と呼びます。そして、彼こそが、『救国の翼』なのです。いいえ、彼を設計した人々、作った人々、そして、整備をした人々がなくては私は空などとべなかったでしょう……つまるところ、私は一人で飛んでいたのではないのです……」 相棒……オオルリ……救国の翼…… 彼の言葉には、先ほどまでは決して出てこなかった言葉が次々と現れた。……初めの演説の原稿は、軍のお偉方が書いたもの、今持っている原稿がアレックの手によるものなのだろう。 演台に居る人はエリカがよく知っている人へと戻っていた。口調も、先ほどよりも柔らかく、それでいて、力の篭った、エリカが大好きな声だった。 アレックの言葉によって、人々はオオルリに目をやり、周囲の人々と小声で何か話している。 「………………」 エリカの小さな呟きにサラが顔を覗き込むと、エリカは顔を上げてまっすぐアレックの方を見つつ、その緑色の瞳からはらはらと涙を流しているのだった。一瞬、顔を曇らせたサラは、その涙が、悲しみの涙でないと見極めてふんわりと笑った。エリカの涙に気づいたセルジュは、どうしよう、どうしよう、とばかりに顔を歪め、逆に、『セルジュ、そんな顔しないで。』とエリカに頭を撫でられた。 講演が終わった。 拍手、歓声、指笛。あちらから『撃墜王、万歳』の声が上がればこちらか『ユーティライネン准尉万歳』の叫びが上がる。壇上の人は、ゆったりと手を振っていたが、『救国の翼、万歳』と声がかかったときだけ、目を細めて笑ったように見えた。最後に、『救国の英雄』は群衆にかっちりとした敬礼をし、壇の傍らのオオルリに軽く会釈し、壇を下り、そのまま役場の中へと姿を消していった。軍楽隊が演奏を再び始め、人々は移動を始める。行進していく楽隊についていくもの、オオルリを間近で見ようと群がる者、露店を眺めに行くもの……エリカたち３人はなんとなくその場に残った。無人となった壇上は、さっきまでアレックが話をしていたことが嘘のようにしん、としている。 「エリカ姉ちゃん。あのさ……ああああ、うう駄目だ。」 何か気のきいたことを言おうとし、何も思い浮かばなくて呻くセルジュに、エリカは『だから、大丈夫だってば』と言ってから、手の甲でもう一度目じりを拭った。 「ここで、こんな風にいつもお世話しているオオルリに会えるなんて思わなかったわ。」 「うん。そうだね……」 「そうよねぇ……エリカちゃんはあの青い飛行機のお世話を毎日しているけれど、私たちはこんなに近くで見るの、はじめてよ。……随分大きなものなのねえ。」 「ええ、でも、エンジンが載っていないと重さはそんなに重くないんです。人が10人も居たら動かせるんじゃないでしょうか。ここまで運ぶのも、トラックに載せてきたのだと思いますし。」 「……うん。きっとそうだよね。でも、随分な手間だっただろうなあ！軍の人、オオルリをここに運ぶ為に随分頑張ったんだね。」 エリカははっとする。祭りへの軍の参加は空軍基地の設置を人々に好意的に迎えてもらう為に行われたのだろう。それならば、軍楽隊のパレードと『救国の英雄』の講演だけでも十分なのではないか。いや、寧ろ、オオルリのような古い機体を展示するより、広場の上をロビンあたりが編隊を組んで飛ぶ方が効果的ではないのだろうか。 しかし、ここに、エリカたちの目の前にオオルリは鎮座している。 「あ…………見て見て！なんかオオルリのところにすっごい列ができてる。……あれって、写真屋だよ。オオルリと一緒に写真が取れるんだ。ねえ、姉ちゃん達……」 サラはにっこり笑う。 「そうねぇ、撮って貰おうかしらぁ？うふふ、あれだけ長い列だと、アレックさんとの待ち合わせ時間になってもまだ並んでいるようだわよね。……そうしたら、アレックさんと４人で撮りましょうね。」 「うん、それがいいよ。待ち合わせの時間になったら、俺、ひとっぱしり伯母さん家行ってアレックさん連れてくる。姉ちゃんたち二人で順番とっといてくれたらいいや。」 アレックとの待ち合わせは、三十分後、宿屋の前だった。が、しかし、アレックは10分も経たないうちに列に並んでいる三人のもとに現れた。エリカ手編みの空色のセーターを着、いつものフード付のコートを着……ブーツをはじめとした軍装を慌てて放り込んだためだろうか。バッグには妙なでっぱりができている。一応、変装のつもりなのか、両脇の髪をぎゅっと後ろで縛った様子はどことなく絵描きのようにも見えた。 「あれ?!」 セルジュがいち早く気づき、エリカもサラも振り向く。突然の登場に三人が驚いていると、アレックは少し眉を下げ、深く一つ息をして走ってきて荒くなった息を落ち着けてから言った。 「…………壇を下りる直前に、エリカの赤いリボンを見つけて……驚いたよ、君達がここにいるわけはなかったからね。……まだ広場にいるかどうかはわからなかったが、待ち合わせの時間まで宿の前で待っていることはできそうになかったから。」 「あ、あのさ、俺、旅行に行けるのが嬉しくって、姉ちゃん達を急かせて予定の３時間前の列車に乗っちゃったんだ。」 「……セルジュ、俺は責めているわけじゃないよ、……こちらも、激しい雨が降ったせいで、パレード開始が１時間遅れたんだ。……すべては偶然だよ。…………その…………いや…………すまない…………」 アレックがすまないと言う理由がセルジュにはわからなかった。女二人がいなかったなら、セルジュは満面の笑みでアレックを迎えただろう。……しかし、先ほどエリカの涙を見てしまった彼に、そんなことはできなかった。 「無事に会えてよかったわぁ。いろいろ慌てさせちゃったみたいでごめんなさいねぇ。」 サラがいつもと変わらない笑顔で言う。 「いや、……慌てさせてしまったのは俺のほうだよ…………やはり、ここで何をするのか、話しておくべきだった。」 すると、サラは笑顔のまま続けた。その右手はしっかりとエリカの手を握っている。 「うふふ〜、アレックさんが謝ることなんてないわぁ〜。随分驚いちゃったけれど、それは仕方ないわ。私達、『英雄』のアレックさんのことはほとんど知らなかったんですもの。でも、私達、フォンク亭でのアレックさんのことはよく知ってるわ。どんなお料理を好きなのか、コップをどこに置くか、何曜日のいつ頃お店にくるか……私もセルジュも軍のどんな偉い人より、ずっとずっとよく知ってるわ。エリカちゃんもよ。……エリカちゃんはアレックさんのこと沢山知ってるわ。……知らないこと、理解できないこと、受け容れられないこと、いっぱいあるかもしれないけれど、エリカちゃんはアレックさんのことを知ってる。……英雄じゃないアレックさんのこと、たくさん知ってる…………そうでしょう？」 すると、アレックは少し寂しそうな、悲しそうな顔をしながら、エリカの背に立って、後ろから両腕をまわして躊躇いがちに抱いた。 「……すまなかった……」 するとエリカは腕の中でくるりと体の向きを変え、顔を上げて彼を見上げた。 「サラさんも言ったけれど、謝ることなんて何もないです。うんとびっくりしちゃいましたけど。……それよりアレックさん、あの子は、随分古くてやっと形だけを保っているように見えますけれど、いったいどこにあったんですか？どのくらい前に空を飛んでいた子なんでしょうか。どうしてここに運ばれてきたんでしょう。」 「……ああ……上層部から『機体欠陥』があると指摘され、この基地にあったオオルリも処分されたはずだった。しかし、オオルリに愛着を持っていた整備士がここの基地にもいたんだね。……処分命令は出たが、破棄はされなかった。形を保ったまま、格納の隅に置かれ、他の機体に不具合が出るたびに、あのオオルリの部品を抜き取って転用して使用していたのだそうだよ。……彼にはエンジンが積まれていない。胴体もほぼ空っぽだ。ふた月ほど前に基地での仕事の打ち合わせをしているときにオオルリがまだある、と話が出てね……少し無理を言って今度の祭りの企画を軍と一緒にしていた市長さんにも協力をお願いしてここまで運んで貰ったんだ。」 ああ、やはり、あのオオルリをここに連れてきたのはアレックだったのだ。 「…………大陸対戦中、乗機の整備が間に合わなくて、予備機だった機体で飛んだことが幾度かある。……今あそこにある機体もその一つだった。……計器盤に特徴があってね……ここに来てからわかったことだけれど、……文字通り彼は俺の相棒だったことがあったんだ。」 エリカは、そうですか、といい、きゅっとアレックの腕にしがみつく。 「なんか嬉しいです。今は飛べなくなってしまった子だけど、私、大陸大戦の時にアレックさんが一緒に飛んでいたことがある子、初めて見たんですね！」 すると、セルジュもうんうん、とうなずく。 「ほんのひと時だったとしても、あれがアレックさんの相棒だったこともあったんだ！俺、写真撮って貰えるのがすっげえ嬉しい。家宝にする。」 そんなに特別なことなの？とエリカとアレックが顔を見合わせると、セルジュはそうだよ、特別だよ、と返した。 「姉ちゃんたちにはわからないかも、だなあ。……ロランドじゃ、オオルリが飛んでるところは見えても、こんな具合に近くまで行ける事はないし、まして写真なんて撮って貰えない。こうやってさ、オオルリの近くに立ってさ、軍服じゃない普通の服でエリカ姉ちゃんとアレックさんが俺達と揃って写真に入れるなんて、こんな機会でもなかったらあり得ないもんね。…………、俺、この写真が撮れることだけでも、旅行に来て良かった〜！！」 写真を待つ長い列は少しずつ短くなって、オオルリが近づいてきた。最初はなんとなくぎくしゃくとしていた四人の会話もいつしかいつもと同じようになって、セルジュが走っていって買ってきた林檎味の小瓶入り炭酸水を飲みながら、エリカたち三人のここにつくまでのことを話した。やがて前に並んでいた客の撮影が終わり、写真屋が四人をオオルリの前に導いた。 「うん、そうですねえ、女の子二人が真ん中がいいんじゃないでしょうか？男性二人は少し下がって女の子の斜め後ろに。」 セルジュが素早くアレックの肘を掴んでエリカの斜め後ろに立たせる。そして、自分はエリカの右に立った姉の右肩に自分の左手を置いた。 「うん、そう、そんな具合。…………あれ？お客さん、なんだかちょっとエースパイロット殿に似ている感じがしますねえ。あの人も金髪、お客さんも金髪、背格好も同じくらいに見えますよ。あ、いや、お客さんの方がイイ男かな？」 気軽な調子で写真屋がお喋りすると、アレックは苦笑した。 「……世界には似た人間が三人いるって言いますから、俺がその一人なのかもしれません。……でも、外見は似ていても俺はさっきのあの人とは随分と違いますよ。」 写真屋は笑う。 「当たり前ですよ。あの方は俺達普通の人間とは違う『救国の英雄』なんですから。第一、あなたが英雄殿だったなら、こんなとこで記念写真撮るわけありませんよ。 そうですね、とアレックが答え、セルジュが笑う。 「じゃあ、撮りますよ！１！２！」 ３、でフラッシュが焚かれ、写真が撮影された。写真屋が差し出した写真と交換のためのカードをセルジュが受け取り、ざっと目を通しから胸ポケットへ大切そうにしまった。 「日が落ちてから１時間したら写真できてるってさ。さーて！」 セルジュはアレックの大きな鞄を持ち上げた。 「セルジュ？鞄なら俺が宿まで運んでいくよ？」 「いやいやいやいや、俺が運んでいくよ。アレックさんは夕飯までゆっくりエリカ姉ちゃんと街をまわってくるといい。……宿まで行くと結構面倒なことになると思うよ。……うちの伯母さん、お喋り好きな上に妙なところに鼻がすっごく利くから、アレックさんがユーティライネン准尉だって気づくだろうし、そしたら、お客さんの前で大っぴらに話しちゃうだろうし……それが避けられたとしても今俺が被らされてるのよりずっと大きくてずっと派手な色の羽がわんさかついたお祭り帽子を被らされる羽目になっちゃうのは確実！だからさ、俺たちにお任せ！」 「うふふ〜恋人さんたちのお邪魔虫になるのは嫌ですものね。……それにこの後、セルジュと二人でお祖父ちゃんへのお土産も買いたいし……それじゃあ、５時半に伯母さんの宿でまた会いましょうねぇ〜。さあ、セルジュ、行きましょう。」 「ちょっと、セルジュ」 「サラさん、邪魔なんかじゃなくて……」 「アレックさん、エリカ姉ちゃんに花買って髪を飾ってあげてよ。でないと、この街じゃ甲斐性なしなんだってよ！」 「そしたらダンスするといいわぁ〜、いっぱい、いっぱい踊って来てねぇ〜ほらほら、アレックさん、そこの花屋さんでお花を買って！」 「そう、今すぐ！ほらぁ、早く！照れちゃだめだって！」 焚きつけられてアレックがワゴンの店で花を選び恋人の髪を飾り、エリカが頬を染めてくすぐったそうにしているのを確認して暖かな冷やかしの言葉をかけてからフォンク亭の看板息子と看板娘は宿屋への道を歩き出す。しばらく坂道を登ったところで、サラは来た道を振り向いた。 「どうしたんだ、姉ちゃん。」 「……少しだけ、ほんの少ぅし心配になっただけ。……姉さん、お話の終わりは、おとぎ話みたいなハッピーエンドじゃないと絶対に嫌なのよぉ。」 「おとぎ話？おやゆび姫とかみにくいアヒルの子とか？」 頷く姉にセルジュは首を捻る。 「もう十分におとぎ話のハッピーエンド、いや、それ以上じゃないのかな。アレックさんは大陸大戦でも、今度の紛争でも皆を救ったすっごい英雄で……二年の間、行方不明になってて、それでもエリカ姉ちゃんは信じて待ち続けて……それで、アレックさんは帰って来て……もう十分に映画にでもなりそうなお話だよ？」 サラは首を振る。 「姉さんが言っているのはそういうことじゃあないの。…………アレックさんがエリカにプロポーズして、エリカが、はいって言って、二人が結婚して…………しばらくしたら赤ちゃんが生まれるの。その子が大きくなったらエリカがこういうの。おかあさんが生まれて初めてお祭りでダンスした男の人はお父さんだったのよ、って。ロランドの街からずっと離れた大きな街の大きなお祭りで、お父さんはお花を買ってくれて、お母さんの髪に挿してくれて……そんな風に、エリカが膝に乗せた子に優しくお話してあげるのよ。……それが、姉さんの言っていることなの。」 「ええっ？……そんなの、あたりまえの、普通のことじゃないか。『救国の英雄』のアレックさんとの波乱万丈ないろいろなことに比べたら。」 すると、サラは弟にとても優しく笑いかけた。 「あら、セルジュ、私たちは、それがあたりまえでも普通でもないって知っているのじゃなかったかしら……？あたりまえのように思っていたことが、いとも簡単に崩れてしまったことを私たちは知っていたのじゃなかったかしら。」 セルジュは、眩しそうに目を細めつつ、正しい答えを探すようにじっと姉の顔をまっすぐに見……そして、頷いた。 「そうだね、……それってちっともあたりまえのことじゃあなかったね。……全然、あたりまえのことじゃあなかったね。」 二人は自分達があとにしてきた広場をじっと見る。そこには楽隊がやってきて、昔ながらの素朴な祭りの音楽を奏でている。……姉弟はすぐにエリカを見つけることができた。遠くからでも、彼女の赤いリボンはよく目立った……それだけではない、アレックは、エリカの腰に手をやって、空に向かって高々と抱き上げ、エリカはアレックの肩に両手を置き……見つめあい……彼女の髪には白い花…… その光景をフォンク姉弟は寄り添うようにして眺め続ける。 「……エリカ姉ちゃんの話には、俺達も出てくるかな。」 「勿論よ、『お祭りには、フォンク亭のセルジュおじさんとサラおばさんも一緒に行ったのよ。セルジュおじさんが早く行こう早く行こうってはしゃいで、三時間も早く着いちゃったの』ってね。」 「ははは、そうだね、……アレックさんもさ……エリカ姉ちゃんの横に居てさ……フォンク亭で、ごちそうさま、おいしかったよって言ってくれるときみたいに優しく笑うんだ。今日撮った写真を指差しながら、『これがその時の写真だよ、お母さんに、サラおばさんに、セルジュおじさんに、そして、オオルリ。』って、言いながら……………………。」 セルジュはゴミでも入ったように目にちょっと手をやったが、サラが心配する間もなく、すぐにいつもの元気者に戻っていた。 「さー、早くアレックさんの荷物を置いてきて、街に戻ろうよ。そんでさ、じいちゃんのお土産買ったら、そのあとで、姉ちゃん、二人で踊ろうよ！」 「あらあら〜、セルジュと？…………いきなりどうして？」 「こんなに賑やかなお祭りで踊らないなんてつまらないじゃないか。……それにさ、姉ちゃんにもしかして子供ができたときにいい話のネタになるよ……そのお祭りのときはまだお父さんに出会っていなかったからセルジュおじさんと踊ったのよ、ってさ。」 サラはふんわり笑う。 「…………ふふふ〜、そういうのもいいかもしれないわね。じゃあ、セルジュ、エスコートを頼むわねぇ〜」 「よーし！任された！」 セルジュが鞄を持っていない方の手を恭しく差し出すとサラは上品にその上に自分の手を載せた。フォンク姉弟はなんだかとても楽しい気持ちになって、宿屋への道を小走りに駆け出した。 |
| アレックさんの「凱旋」の話。彼は「救国の英雄」であるわけですが、その肩書きに相応しい姿をエリカちゃんが見たら……と考えたとき、それは少しも2人のどちらにとっても幸せではない気がしてなりませんでした。「アレックさんは誰より素敵」と惚気発言全開でオズウェルに毎日のように呆れられていそうなエリカちゃんですが、彼女が世間から「英雄」として崇拝されるアレックさんを知ったとき、どんな反応をするのだろう。…………と考えていたらこうなりました。 結局アレックさんは英雄だろうが英雄じゃなかろうがアレックさんであって、英雄のアレックさんのことは正直わからないことだらけだけれど、「いつものアレックさん」のことは知っている。……もちろん全てではないけれど、ひとまずはそれでいい、という方向性で。 そして、今回もフォンク姉弟に夢みがち。サラ姉さんもセルジュも、みんなまとめて幸せになれるといい。 時代が不穏な方向に動いていって再びアレックさんの「英雄」としての価値が求められることがないよう祈って止みません。 そして、「オオルリ復権」についても少し触れました。……「救国の翼」……自分の「救国の英雄」という呼び名を捨て去ってもアレックさんはこうオオルリを呼んで欲しいのではないかな、と。少なくともこの街の人々にはそう呼んで欲しかったのだなと。 ダンスをしているときの話、トラクターを見ているエリカちゃん、露店の射的で大きな縫いぐるみをとってもらうエリカちゃん、夜空に上がった大輪の花火、フォンク姉弟の伯母さん自慢のチーズキッシュの話、宿で泊まっているときの話、薔薇園での話、帰りの列車での話…………本当はそういう場面での「なんとない幸せ」を一杯書きたいのですが…………そういうお話って書くのが難しいですね…… |
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