紅い玉(ぎょく)、青い瑠璃 (1) |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、我が家設定満載で、また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。 時期はアレックさんED後からかなり時が経過し、シュレスベルクの内乱も収束し平和となった辺り。 YOMBANで連載されていた物語の最終話を踏まえた形になっておりますが、お読みになっていなくても支障はないと思われます。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
ほの明るく街灯に照らされたロランドの石畳を歩き、フォンク亭の扉を開けると、いつもとかわらぬ陽気な喧騒とサラのふわわんとした声がアレックを出迎えた。 「いらっしゃいませ〜。あら、今日はお一人？エリカちゃんは？」 アレックは少し心配そうなサラに首を振ってみせる。 「サラちゃん、気遣ってくれて有難う。特に変わりはないと思うよ。俺はタルトを分けて貰いに来たんだ。エリカへのお土産にね。」 するとサラは両手を顎の下辺りで握って目を細めた。 「もう、エリカってば本当に愛されてるわぁ〜。仕事帰りに大好きな甘いものを買ってきてくれる旦那様。うふふ、そこに座ってちょっと待ってて下さいね。今日のタルトは杏なの。」 すると、厨房の方から、セルジュがエプロンで手を拭きながらやってきた。 「アレックさん、こんばんは！ねーちゃん、アレックさん来たなら、ほら、アレ渡さないと！」 タルトを切り分けていたサラは、口を手で押さえ、目を丸くして小さく声をあげた。そして、パタパタと何かを取りに奥へと引っ込んだ。 「まったく、姉ちゃんったら、どっか抜けてるんだから。あ、昼過ぎに手紙が届いたんだ。宛先はここなんだけど、宛名はアレックさんになっててさ。」 丁度そこにサラが手紙を差し出した。 「俺、アレックさんの家だったらすぐそこだって行ったんだけど、配達の人、住所はフォンク亭になっているから、そういうわけにもいかない、預かっておいて、アレックさんが来たときに渡してくれって……」 手紙はしっかりとした紙質の封筒に入れられていた。確かに宛先はフォンク亭だが、『フォンク亭様方 アレック=ユーティライネン殿』となっている。そして、差出人の名前を見ようと封筒をひっくり返してアレックは思わず吹きそうになった。 『ブランガーネ=エルンツォレルン』 水茎麗しい飾り文字で署名されたその名前を持つ人物をアレックは知らなかったが、こんな名前を書いてくる人物の心当たりは大有りだった。 “エルネスティーネ=フォン=ブランツォレルン”。元シュレスベルク帝国第四皇女。嘗てアレックの雇い主でもあった、あのあどけない顔をしつつ躊躇いも容赦もなく次々と命令を下し革命を成功に導いた少女が、満足した猫のようににんまりと笑った顔を思い出し、一度ため息をついた。 「ど、どうしたんだよ、アレックさん。腹でも痛いの？」 「いや。セルジュ。これを持ってきた配達人はどんな人だったんだい。」 「え？どんな人……っていわれても……いつも配達に来るキースさんじゃなかったんだよな。あれー。そういわれてみるとなんか思い出せないっていうか。特徴無かったっていうか………………姉ちゃん、姉ちゃんは何か覚えていない？」 「そうねぇ〜。ちょっとだけ制服が違っていたわねー。首に巻いてる黄色のスカーフの色がキースさんより濃かったのよ。……それくらいしか……でも、アレックさん、どうしてそんなことを？」 おそらく、その郵便配達人はエルネスティーネの子飼いの諜報員であろう。しかし、皇女が一体自分に何の用事なのだろう。……パイロットとしての自分を再び欲しいというのなら、このような形ではなくいは軍上層部やフレドリク皇太子に書状が行くはずだ。正式に依頼したくないのなら、いきなりアレックを拉致しただろう。……考えても仕方がない。アレックはひとまずコートのポケットに封筒を押し込み、フォンク姉弟の追求をかわしてタルトを手にするとフォンク亭をあとにした。 自宅へと続く階段の踊り場につくと、アレックは足を止め、妻が待っているはずの階上をちらっと見たが首を振り、封筒を注意深く開けた。青白い月明かりで照らされた便箋には、エルネスティーネの少し小さな、流れるような筆致の文字が並んでいた。シュレスベルク語ではなく、ユクト語で書かれているところに皇女の心遣いを感じる。 『アレック=ユーティライネン様』 そう手紙は始まっていた。 身分がわからないよう考慮してか、皇女独特の言い回しはそこにはない。 『お久しぶりです。私が病気の折、お見舞いいただいたことを心より感謝いたします。あのときにはご挨拶できませんでしたが、私は健康を取り戻し、以前と変わらぬ生活を送っております。本来なら直接そちらに伺ってご挨拶しなければいけないところですが、書面にての失礼をお許し下さい。」 三ヶ月ほど前、皇女は暴漢に刺され、敗血症を起こした。アレックは王家の依頼により、抗生物質をオオルリに積んで、雷雨の中、シュレスベルクへと輸送したのだ。そのことを言っているのだろう。 『貴方のことはロランド近郊に在住の知人からも聞き及んでおりますが、健勝でいらっしゃることと存じます。』 知人、というのは当然諜報員のことだろう…………皇女は敵ではないが、ユクトランドの国防態勢を今一度見直すべきではないか、とアレックは少し眩暈を覚えた。 『さて、突然のお便りに驚いておられることと思います。』 ……確かに。かなり、驚いている。 『実は、貴方が私のところに滞在している時、一緒にお仕事をしていたお友達のことでお話があるのです。少し前、私は彼がロランドの町にこの上なく大切な用事があるということを知りました。』 ……シュレスベルクでパイロットとして帝国軍と戦っていたときの僚機……つまりはヨハン……ヨハンがロランドに？……アレックは手紙をいつものエルネスティーネの物言いに頭の中で変換して読み進んだ。 『お主はあやつがロランドに行かねばならぬと思うておる理由を既に知っておるのじゃろうな。端的に言ってしまえば、あ奴が胸ポケットにいつもいれておるもののことじゃ。胸に手をあて、柄にもなく大きくため息なぞをついていたもの故、わらわがいったい何なのじゃと尋ねたら、一度はしらばくれようとしたが、わらわの的確かつ逃げ場を作らぬ追求により、遂にすべて吐きよったわ。それに加え、あ奴は、おぬしの嫁御となった娘に個人的に用事もあるようじゃ。ならば、すぐにロランドへと行ってくるがよい、と勧めたのじゃが、これはごく私的なことだから、とかシュレスベルクもまだ完全には安定していない、とかいろいろ御託を抜かしよった。じゃから、見くびるな、わらわが居なくなるのというのならそれは大事じゃがヨハンの一人や二人が居なくなろうとも新生シュレスベルク共和国は揺らぐものではないと一喝してやったわ！更に、あ奴が途中で回れ右してロランドに行かずに途中で逃げ帰ってくることのないよう、わらわからお主への届け物を持たせることにした。いや、おぬし、シュレスベルクに忘れ物をしたであろ？』 忘れ物？……もとい、シュレスベルクに向かうときには、私物など持ち合わせていなかった。置いてきてしまったものといえば、血まみれになった軍服と飛行服くらいのものだ。……エルネスティーネが届けようとするものなどないはずなのだが。 『いや、実のところ、わらわもそれについては最近まで知らなかったのじゃが、ジネットめと話していて、き奴がそれを保存していることが露見してな。き奴は記念にとっておきたいと思うたようじゃが、戦勝記念館でもつくって陳列しようとでもいうのか、そんなことは、お主の柄ではないじゃろう。それに名前が書いてあるものは、持ち主に返さねばならぬと教えられて来なかったのか？、とわらわが正攻法で力説し、奪取した。感謝せよ。』 名前が書いてある？ますますわからない。 『とにかく、じゃ。ヨハンをロランドへと陸路で旅に出した。ロランドにあ奴が到着する２〜３日前には再びおぬしに知らせるゆえ宜しく頼む。』 手紙には続けてヨハンが来ることを伝えて欲しい人物の名が記されていた。その名前を見、アレックは眉をそびやかす。何故、エルネスティーネがその名を知っているのか…… アレックは今一度手紙を読み直すと、きちんと折りたたみなおして封筒に入れ、鞄の中にしまった。そして、トントンと階段を上がっていって我が家の扉の前に立ち、呼び鈴を押すと、小さな足音が聞こえて扉が開き、エプロン姿のエリカが顔を出した。 「お帰りなさい、アレックさん。」 まだ『さん』づけから卒業しない妻の頭に大きな手をポン、と置き、少し仰向かせてキスする。 「ただいま、奥さん。変わりはなかったかい？」 毎日繰り返されている帰宅の挨拶なのに、みるみる頬を赤くしたエリカは、アレックが鞄と一緒にぶら下げた小さな包みを見てぱあっと笑顔になった。 「フォンク亭のタルトですか！……この匂いは杏……かしら。」 「あたり。エリカは鼻が利くね。」 「だって、好物なんですもの！嬉しい。今日は特に甘いものが食べたかったんです。待ってて下さいね。お夕食の準備、すぐできますから。」 アレックは軍服を脱ぎ、ハンガーにかけ、身支度を整えると、キッチンからテーブルへとエリカが作った料理を運んだ。二人揃って夕食を食べ、お茶を淹れ、エリカはフォンク亭で買った杏のタルトを食べ……昼にエリカが読んだ航空工学の本からの話題についてひとしきり会話し、オズウェルと親方から出された大量の宿題の一部……図面を一緒に見…… その間、アレックはエルネスティーネからの手紙のことを全くエリカに話さなかった。そして、エリカが風呂に入る、というときに、それを待っていたように、用事を思い出したから、ちょっとだけフォンク亭に行ってくる。遅くはならない積もりだけれど、先に寝ていて構わないよ、と言い残して、出て行った。 実際、彼が戻ってきたのは、たっぷり１時間以上たってから。もう日付もかわりかけた時間であった。鍵をまわし、物音をたてないように扉を開いたアレックは寝巻きの上にガウン、その上にほっこりした上着を羽織った姿で彼を出迎えたエリカに目を見開く。 「まだ起きていたの？風邪をひくよ。」 「………………大丈夫です。体調はいいですし、お昼寝しましたし、こんなに一杯着てますし、ほら、靴下も厚いのを履いてます！」 よく見えるように、エリカはフェルト製のスリッパを履いた足を少し高くあげてみせる。ああ、これは、今ここで話をしないと許してもらえそうにないな、とアレックは頭を掻き、それでもエリカの背をそっと押し、寝室に導くとベッドに入らせ、背に枕を置き、毛布を腹の上までかけさせると、自分は居間からミシン用の丸椅子を持ってきて傍らに座った。 「秘密にしようとしていたのじゃないんだよ。ただ、君に話す前にフォンク亭の人たちに知らせなければいけないことだった。遅くなってしまったの君には明日になってから話そうと思ったのだけれどね。…………エリカ、近々、ヨハンがロランドにやってくるよ。エルネスティーネ様から手紙が来たんだ。」 ヨハンの名を聞き、エリカが笑顔になる。 「ヨハンが！私、ロランドの空襲前に別れてからずっと話をしたことなくて……一回だけ、ロビュの上空をヤクトケーファーで飛んだときアレックさんと一緒に姿をみただけで……。あの、それは、基地にお仕事で来るっていうことなんですか？」 「いいや、彼は軍人としてくるのじゃあない。……以前と同じように“旅人”としてフォンク亭に来るんだ。飛行機も使わずに。」 すると、エリカはますます嬉しそうにヨハンとよく似た翠の瞳を細めた。 「だったら、フォンク亭でゆっくりといろいろ話ができますね。嬉しいです。ヨハンはいきなりフォンク亭から居なくなってしまって、それまでいろいろ飛行機のことを教えて貰っていたのにそのお礼も十分じゃなくて……一杯お礼を言わなくちゃ！……ほら、あの模型飛行機、アレックさんにアドバイスを貰ったあの設計図を作ることができたのはヨハンのおかげもあるんです。それに……ヨハンはシュレスベルクでアレックさんと一緒に飛んでいたんですよね。アレックさんを守ってくれて有難うって、それも言わないと。……アレックさん……どうしました……なんだか…………なんだか辛そうな顔をしてます。」 エリカが指摘した通り、アレックは辛そうな、悲しそうな顔をしていた。 「…………エリカ。俺はヨハンが大陸大戦時は帝国のパイロットだったということを君に話したね。」 「はい。…………たくさんのユクトランド機を撃墜し、“死神”と呼ばれていたパイロットだった、と。…………ヨハンは、だから挨拶もしないで居なくなったんですか…………。」 アレックは肯定も否定もしない。エリカは無言で居る夫の様子から何事かを汲み取ろうとしてじっと彼の青い瞳を見つめ、毛布をぎゅっと両の手で握った。 「私は大丈夫です。……ヨハンが、ユクトランドのたくさんの人を殺したことがわかった今も……きっと、以前の通りに話ができると思います。………………だって、アレックさんだって……アレックさんも、シュレスベルクの人たちから見たら…… そこから先をエリカは声には出さなかった。撃墜、死、殺人……そのような単語を妻が避けているのをアレックはわかっていた。そう、自分もヨハンも同じ殺人者だ。国や立場が異なってもそのことに変わりはない。 「アレックさんもヨハンも、戦争があったからそうしたんです。二人とも同じですよね。私、アレックさんのことが大好きです。だから………… 「いや、エリカ、同じではないんだよ。」 エリカの翠の瞳が見開かれる。 「確かに、俺も、ヨハンも、軍人として戦闘機を駆った。命令に従って敵機を撃墜した。何十機もね……人々は俺達をエースと呼び、俺達は二人とも准尉という階級を得た。ユクトランドはヨハンを、シュレスベルクは俺を、死をもたらす死神として恐れた。それは同じだ。でもね…………俺は命令に従って出撃し、機銃を撃った。しかし、それは、『大切なものを守るため』という俺の気持ちと相反することではなかった。人を殺していく罪悪感は常に心を苛んでいたけれど、俺なりに折り合いをつけてパイロットを続けてきた。機銃を撃つときに迷いはなかった。ウーデット司令や親方に支えられ、エースとして評価され、部下に恵まれ、信頼され、隊長職に就いてきた。でもね、エリカ。彼は……ヨハンは違う。彼は命令を受けて飛んだ。……行けと言われれば行き、撃てと言われれば撃つ。それだけだったという。夥しい撃墜数が彼を准尉にまで押し上げたが、彼はいつも一人だった。僚機と連携して飛ぶこともなく、飛行機を降りても人と交わることもなく。……実際、大陸大戦時、俺が彼の唯一の“友”だったのかもしれない。」 友達、ですか？と首を傾げるエリカにアレックは頷く。 「この話はまだしていなかったね。俺が『空に忘れていたこと』の結末を……グリュンフォイエル“翠の炎”……俺が帝国へと飛び立ったとき、彼との決着をつけることになる、といっていた、帝国軍のエースのことを……。」 エリカの右手は毛布を離れ、アレックの左袖を握っていた。 「…………そう、ヨハン、ヨハン=レーヴェンハルト、彼が“グリュンフォイエル”なんだ。…………ここを君がくれたオオルリで出発した俺は帝国領内で彼に出会い、辛くも勝利したが、その空中戦の中で、機体は損傷し、オイルも残弾も尽きかけてしまった……生きているのが不思議だ、と言われるほどの重傷を負ったのも、元を辿れば、ヨハンとの空中戦が原因だった。…………いや、その後、彼とは普通の意味で友人となったよ。……彼は、空にも飛行機にも執着はないと言った。…………俺とは違い、何機撃墜しても、その機体に乗って操縦していたパイロットの命のことを考えることはなかったという。ただ撃墜数が増えていっただけで、高揚感もないが、胸に痛みを感じることもなかった……そんな風に話してくれたよ、彼は。………………ああ、そんな悲しそうな顔をしないで。…………」 アレックが少し声のトーンを落とした。きっとこれから先が本当に彼が伝えたいことなのだろう。 「でもね、彼が撃墜したたくさんのパイロットのうち、一人だけ、たった一人だけ、その死をはっきり覚えていて、その一人について想いを巡らすときだけは胸が痛んでいたのだとも話してくれた。……そのパイロットは、被弾後、大地に墜ちていくまでの間、笑って、ヨハンに手を振ったのだそうだ。………………彼はいつも胸ポケットにそのパイロットの認識票をいつも入れていた……その詳しい話を教えてくれたのは、俺がユクトランドに戻ってくる直前のことだった……あのね、エリカ…………その認識票には、『ドニス=フォンク』と刻印されていたんだよ。」 エリカが小さく息を呑む音が聞こえ、アレックはベッドの縁に腰掛けて妻の肩を抱いた。 「…………ヨハンは認識票をフォンク亭の皆に渡しに来る。以前に来たときには渡しそびれてしまったのだろうね。……驚かせてごめん。でも、エリカには事前に知ってもらっていた方がいいと思ってね。」 エリカはこくん、と頷いた。じっと毛布の表面をみつめているが、考えているのはヨハンのことだろうか。それともフォンク亭の人たちのことだろうか。 「…………それで、フォンク亭にヨハンが来ることを知らせに行ったんですね。」 「ああ。彼らには誰より早く知る権利があるはずだからね。」 「……あの……フォンク亭の人たちは、ヨハンがドニスさんを撃墜したことは……」 アレックはエリカの肩を抱いたまま頷く。 「…………それがね……あの人たちはもう、わかっていたよ。ヨハンが何のために来るのかをね。」 「え？」 「大旦那も、大おかみも、おかみも、サラちゃんも………………ヨハンが前にフォンク亭に来たとき、既に、確信はなかったけれど、多分そうなのだろう、と思っていた、って。……セルジュ君だけが、何もわかっていなくて、いきなりなことに混乱していたけれど、家族が淡々としていたもので気持ちを爆発することができなくて頭を抱えて文字通り右往左往していた。どうして！とか、何でヨハンが！とか叫んではいたけれど………………大丈夫。フォンク亭の皆は、ヨハンを迎える準備を整えるよ。……もしも……そんなことはないと俺は願っているけれど、セルジュ君が感情をヨハンの前で爆発させたとしても、ヨハンはそれを受け止めてくれるはずだ。……そうでなかったらロランドには来ないからね。ん……」 エリカが目頭に手をやったのをアレックは見逃さなかった。 「……フォンク亭の人たちは、ヨハンを迎えるときに、君にも居て欲しいと言っていた。大丈夫、さっきはああ言ってしまったけれど、セルジュ君もヨハンに真っ向から怒りをぶつけたりはしない。きっとね。」 アレックは微笑んでいた。この人がこんな風に微笑んでいるのなら、きっと、きっと大丈夫なのだ。ヨハンをフォンク亭の人たちはきちんと迎えてくれるのだ。ヨハンはしっかりと用事を済ませて、きっと以前と同じような訥々とした素直な喋り方で自分と話をしてくれるだろう。ならば、自分も迎えなければ。このロランドに住む、ヨハンを知る数少ない人間として。……彼は空を好きでなかったのかもしれないが、エリカは彼から、空と飛行機について多くを学ばせて貰ったのだ。もしもフォンク亭の人たちが笑顔になれないのなら、自分がヨハンを笑顔で迎えよう。……自分が挫けそうになっても、隣にはアレックがいてくれるはず。……そうだったら自分は笑顔で居られる。必ず。 ……先程からアレックはエリカの髪をそっと手で梳いていた。俯いたエリカの髪が頬に落ち、その髪の一束をそっと摘んで耳にかける。その手をエリカは自分の手で掴む。 「…………俺は、俺が撃墜したパイロットの家族からは恨まれて当然、いや、恨まれなければならないと思ってきたけれど…………今は、君にだけは恨まれたくない。……本当に随分俺は君に甘えてしまっているね。…………」 エリカは思う。この人は、甘えて貰えることが嬉しいことなのだとあまり判っていないのだろう。……ヨハンには甘える人もいなかったのだ。彼に甘えられることを嬉しいと思う人が。 エリカは溢れた涙をぐし、と手の甲で乱暴に拭い、一度ぽすっとアレックの胸に額をつけると顔をあげてにこっと笑った。 「私、フォンク亭でヨハンに会います。……嬉しいです。軍務じゃないことでヨハンに会えるのが。もう二度と話すことはないかもしれない、と思っていた人に会えるのが。……アレックさん、杏のタルト、一つ残していたの、朝に食べるつもりだったけれど半分こして今食べませんか。私、お腹すいちゃいました。」 アレックはぐりぐり、とエリカの頭を撫で、立ち上がると笑った。 「全部エリカが食べていいよ。君のために買ったものだからね。俺はお茶を入れよう。……もう少し話そうか。明日は休日だから寝坊してもいいからね。」 柔らかに言う夫を追うようにエリカはベッドから抜け出し、その背に後ろから抱きついた。 |
| 風色発売２周年(5.28)の前、21日くらいには完結させたいものです……(まだ玉も瑠璃もヨハンそのものもでてきませんが……) |
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