| その一ヵ月ほど前から、リマン市内では毒殺事件が頻発していた。毒殺自体はダウンタウンでは珍しくもないのだが死体から検出されたのが特殊な薬品サイコキニンというのが変っていた。作用は急激ではなく、個体差もあるが、三時間、長い場合は五時間もたってから激しい痙攣と共に死亡する。 治安局には怪文書が届いた。農産コロニーで取り入れられ市内に運ばれた百万トンのジュース用果実”カルー”のうち1000個に致死量以上のサイコキニンを注入したというものだった。 治安局が極秘にしていたのを報道関係がスッパ抜き、一時大パニックが起こったが、現在は政府の”安全宣言”で平静を取り戻していた。サイコキニンのような特殊薬物を大量に（もし致死量注入したとすると五十グラム必要になる）入手するのは不可能だというのが主たる理由である。 市民もフルーツショップに山積みになっているカルーを買って食べ始めたが、一人の死者も出なかった。 実際、毒殺者などいなかったのである。ジョーの仲間が脅迫文を書き、ファインケミカルの密売人から少量のサイコキニンを仕入れた別の仲間が死体安置所に侵入し、行き倒れの死体に注入しただけの話である。 さて、スタア・ボールスタジアム周囲に広がる陽光差し込む科学博会場では華やかに開幕セレモニーが始まろうとしていた。が、一人の中年男人呼んで「人差し指のサム」は、こともあろうに科学庁長官が演説している最中に奇声を上げた。片手に酒ビン、片手にカルージュースのビンを持っている。警備員が取り押さえにくる前にサムは怒鳴り散らした。 「全っ！リ～マンの諸～君っ！俺ぁ～だなっ！ジンが好きだ�｢�｢�｢�｢�｢�｢っ！へっへっ・・・・と～くにっ！ジンのカルー割りはなーっ！うめ～んだぞォ～！朝っから飲んでんだぞォ！」 サムはグビリとジンとカルージュースを交互に飲んだ、と同時に倒れた。手足がピクピク痙攣するように震えている。ただの酔いではない。 一人のサクラが叫んだ。 「カ、カ、カルーだ！カルーでやられたんだ！サイコキニン中毒だ！」 数人のサクラが同調する。 熱狂の中にある人間は通常の判断力を失いやすいものだ。 カルージュースの缶を持っていた人々は放り出し、朝から少しでも飲んだ覚えのあるものは咽に手をやった。・・・・その中には50人ほどのサクラが混ざっている。 一人がジュースの缶を握ったまま倒れた。（これもサクラだ） はかったように中央ステージのそばから盛大に発炎筒の煙があがる。 大パニックが起こり、係員の制止も空しく、何から逃げるというのか、人々はゲートに殺到した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 時を同じくしたスタア・ボール会場はゲームがクライマックスに達し、興奮のるつぼと化していた。特殊な布を細い金属柱で支持した大ドームの元で試合は白熱、典型的なシーソーゲームだった。 Ｃ級市民用スタンド最上階席で、豆粒以下にしか見えない選手をオペラグラスで追いながらレオは欠伸をした。しかし、イヤホンで聞いていたラジオが科学博会場の混乱ぶりをニュースで流すと急いでマリオから手渡されていた小箱を取り出した。 「この箱がどれほどのものだというのかね。�｢・・�｢あっと言わせる最高芸術とマリオは言っていたが、誇大広告じゃあなかろうか。」 指示された通りに小箱についたボタンを押すと、小さな爆発音がし、ドームが落下してきた。正確にはドームではない。骨組みはしっかり残っている。骨組みを離れた十五メートル四方の布が何十何百も蝶のように舞いながら落下していった。 「なるほど、こいつは綺麗だ。」 十五メートル四方の布がフィールドおよび観客席に落ちると何が起こるか？ そう、パニックである。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 住宅区では、カイユンの冗談から出てマリオを脱力させた計画が実行に移されていた。 とあるショッピングセンターに、大きなコンテナがついた。内容表示はなく、通常のコンテナと違って継ぎ目は全くなく全体は銀色に鈍く光っている。 そのコンテナはひとりでに開いた。 出てきたのは、非常に可愛らしいモコモコとした茶色の縫いぐるみだった。それが隊列を組み出てくるわ出てくるわ百頭あまり。バトンのような物を振り回しているものもいれば、リングを持っているものもある。、見ているだけでほのぼのとしてくるその姿にたちまち人だかりができ、行進が続く道の両側で、写真のシャッターを切るものも現われた。 人々はショッピングセンターの新手の宣伝だと思っていた。そして、この行進を企画したものに心からの賛辞を送った。それほど縫いぐるみの動きは真に迫っていた。 この愛すべき一団は、団地の中央公園間で歩いていくと止まった。 次は何をするのかと親子連れが期待を持った眼差しで見つめていると、モコモコの毛皮の中に埋まっていた目がピカリと青く光った。金属的な声が響いた。 「ワレラハ、コレヨリコノシュウラクヲセンキョスル！」 バトンとリングから派手派手しいビームが発射され、公園の木が一本燃え上がった。 そう、これまたパニックである。 市内全域で馬鹿らしいものからかなりシリアスなものまで大小さまざまな事件が同時多発した。 このパニックは 「（政府不認可だけれども）とってもお得、安心安全、ジャン ベリック商会の家庭用レーザー防犯装置”ニコニコ”」 が一斉に鳴りだすことによって最高潮に達した。 治安隊を呼ぶコールはひっきりなし、回線パンクでＴＶ電話は使用不能になった。 コンピュータ管理される都市部の脆さが露呈する。つまりは想定されていなかったほど大量の小さな不具合の累積でシステムに影響が出始めたのだ。 コスモ・アーミーも、スタジアムからの観客救出、”茶色い宇宙人討伐”のため緊急出動した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その建造物は海に面した小高い丘の上にあった。五角形に配された人類遺伝学研究棟五棟。十万サンプルを超える卵子、精子を保存する配偶子バンクは五角形の中心の地下にあった。データを蓄積した立方体のコンピュータ棟は一つぽつんと離れている。子供達を収容している人類教育学施設はコンピュータ棟より更に離れた内陸部にある。一般に研究施設においては警備員はさほど多くは配置されない。一部の研究者が国家権力の介入に極度に神経質になるからだ。しかし、この施設群にはその研究の性格ゆえか、コスモ・アーミーの軍人が所々で銃を持って警備をしていた。 ジョーは、覗いていたスコープから目を離した。警備体制は手に入れた情報と全く同じだ。後は、二ヶ所で騒ぎが起こるのを待つばかりだ。ホワイティー率いるイルカ隊が海で、マリオとソーンダイクが内陸で待機している。 マリオたちは騒ぎを起こした後、コンピュータ棟に乗り込み、研究に関するメモリをすべて白紙に戻し、最終的に爆破する。成功して、なおかつ余裕があれば教育学棟に突入し、収容されている子供達を可能なかぎり逃がすことになっていた。 ジョー、ロマノフ、カイユンの三人は実験棟の特殊設備を破壊し、できれば配偶子バンクを潰すのが役割だった。 ジョーは時計を見た。まだ時間がある。 「�｢・・�｢二人とも、手筈どおりにね・・・・・」 カイユンは、慣れぬ手つきでブラスターを握った。ロマノフは大型だが狙いの正確なライフル型のビーム銃を肩から担いだ。 再びジョーはスコープを使った。メインゲート横の建物で動きがあった。兵士がＴＶのスクリーンを見ながら何やら口ばやに話している。唇の動きを読む。 ホワイティーが予定よりも早く動き始めたらしい。 十分待ってジョーはエア・バイクに跨がった。 「行くわよ！」 サドルの上で彼女はマリオの手製の手榴弾を持ち、ピンを抜いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「何だと？」 部下はあわててはいたがはっきりした口調で報告した。研究棟の施設部長パゲノも聞き取ってはいた。しかし彼は信じられずに聞き返したのだ。 「はっ・・・・・ですから、第一排水溝が詰まり、第二、第三排水溝も詰まりつつあるのです。」 「ありえん！詰まっただと？濾過器は正常に作動しているのであろうが？排水溝に固形物が流れこんで詰まることなど構造上ありえないはずだ。」 「はい・・・おっしゃる通りですが・・・」 パゲノはぶつぶつ言いながら監視モニタルームに飛びこんだ。 「どうしたこの有様は？」 画面には何も映ってはいなかった。辛うじて画面の八分の一ほどが映っているモニタにはイソギンチャクの触手がうねうねとのたくっていた。 インターフォンから作業中の男の声が入った。 「保安第三班、現場に到着しました。排水溝に詰まっているものが判明しました。外から突っ込まれたようですが泥や、海藻や、タコや、小魚や・・・・とにかく詰まっています。しかも、こっちに尚突っ込まれてきています！」 パゲノの顔色は紫色になった。 「排水速度をアップして流しだせ！」 「し、しかし・・・駄目です！一時、排水槽からの排水をストップしてください。!!」 イルカ、クジラ、アシカ部隊の働きにより、第二、第三排水溝も程なく詰まってしまった。 「水中作業班はどうした!?行かせろ!!」 数分後、潜水夫は海がイルカたちで埋め尽くされていると報告した。 浜辺には数千頭のアシカが寝そべり、イルカが追い上げた小魚がビシャビシャ跳ねていた。防災課の課長は、気象庁に巨大地震の危険がないか問い合せた。彼は念のため非常袋を手元に置かせた。何かが起こるに違いない。通常の状態でこんなことが起こるはずないのだ。 一方ホワイティーは取水口のところで首をひねっていた。取水口にはフィルターがある。そのフィルターの側面にはフィルター着脱法が連邦標準語でわかりやすく書いてあった。ホワイティーの指示で八頭のイルカが、歯と胸びれを器用に使って第一フィルターを外し、管内に入った。更に、内部に続くフィルターを取り退ける。尚もパイプは続いている。ホワイティーは一つ頷くと首から下げてきた箱の一つを壁に押しつけた。吸盤がぴたりと吸い付いた。彼は仲間に紐を切ってもらうと箱の中央のスイッチを鼻先でいれ、今来た道を全速力で引き返した。 海中のイルカは全て瞬く間に沖合に消えた。取水口は大爆発した、大きく地が揺れた。地震がきたと早合点した防災課長は非常袋を背負い、素早く机の下に潜った。 マリオは内陸部で砂煙が百メートルも上がるような派手な爆発を起こした後、ソーンダイクを後部に乗せてエア・バイクでコンピュータ棟へ向かった。バイクに乗ったまま、警備員に向かって手榴弾を投げ、煙幕を張りゲートを破りパラライザーを乱射するという荒っぽさだ。建物の入り口、約50メートルで、ソーンダイクの手を引いてエア・バイクから近くの茂みに飛び込む。自然、警備兵は一瞬突っ込んでくる無人バイクに発砲することになった。バイクは転倒し大破したが、同時に催涙ガスををあたり一面にまき散らした。マリオとソーンダイクはガスマスクを着けて茂みからでて、咳込み目を押さえる兵士たちをパラライズさせて入り口までたどりついた。ソーンダイクが特殊な装置を扉につけて電磁ロックを開けている間、マリオは銃を構えて辺りを見回していた。まだ、他から兵のくる気配はない。 やがて、ウィィィンと音がして扉が開くと二人は素早く中に入った。 通路は非常に狭い。ジョーとアンリの情報では技術者50名と警備兵６名が内部に居るという。マリオは監視装置を撹乱させるため電磁波発生装置を壁に仕掛けながら進んだ。 ”警備兵にぶつかる前に核心部に踏み込みたいところだな・・・” マリオは６人とどれだけ渡り合えるか考えてみた。６人は二手か三手に別れてやってくるだろう。３人対２人か２人対２人、最悪の場合は６人対２人だ。ソーンダイクは戦力にならないから３対１、２対１、６対１と同じことである。この狭い通路では爆薬は使いにくい。近距離戦ではこちらの身も危なくなる。 警報ベルが鳴った。外にいた警備員のうちのだれかが通報したのだろう。 戦法を考えながら走るマリオの前から技術者たちが逃げてくる。マリオを見ては”ひい”とか”ぎゃあ”とか喚く。壁に張りつきながらも、ソーンダイクを見て悲しげな顔をするものも居る。どうやら、ソーンダイクは技術者の一人でマリオにとらえられたと思っているらしい。その白衣集団の中を突っ切り、中央コンピュータ室に急ぐ。そこに、銃を構えた二人の兵士が立ちふさがった。二人とも完全装備だ。毒ガスのたぐいは効かない。マリオはさほど銃に自信はない。”どうしましょうか”というようにソーンダイクが視線を向ける。マリオは発光弾を投げ、相手の目を眩ませると回れ右をして今来た道を全速力で戻った。追っ手との距離が開くと、彼らとの間に手榴弾を投げた。天井が落ち、通路は瓦礫でふさがった。油断はできない。別のルートを通ってくるはずだ。だが、先ほどよりはいい。こちらが待ち伏せを掛けるならば有利だ。 少しして、二人の兵士は逆から回り込んできた。マリオはぴったりと背を壁につけて銃を撃ち、パラライズさせることに成功した。だが、息をつく暇もなく、他の三人の兵もやってきた。しかも、その内の一人はかなりの使い手らしく距離をどんどんつめてくる。マリオの鼻先を掠めてビームがとんだ。 マリオはいくつかの爆薬を懐から抜き出した。 「ソーンダイク！いいか、俺が飛びだす。お前は先に行ってどうにかしろ！」 彼は煙幕をはった後、通路の中央に飛び出し、兵たちの方に走った。しかし、何も起こらなかった。銃撃を避けつつ応戦しようとしたマリオにとってはとんだ拍子抜けだ。煙が晴れてきて、兵がいたところに行ってみれば、頭から大きな紙袋を被った白衣姿の男がぶるぶる震えながら立っていた。左手には大きな非常用ライト、右にはパラライザーを持っている。三人の兵は床に倒れていた。 マリオは紙袋を取った。 「！�｢・・�｢あんた、ジョーの兄さんのアンリとかいったな・・・・パラライズに後頭部強打か・・・・・助けてもらったのは有り難いが・・・・何でこんなところに居るんだ。」 アンリは肩で荒い息をしながらライトを放り投げた。 「母から聞いて・・・・ジョーが危険なことをしていると知ってじっとしていられなくなって・・・・・友人がここに勤めているので、見学という名目で潜りこんだんです・・・・・この倒れているのがビクトール、僕の兄です。彼が僕の行動を不審がってついて来てしまったものですから僕も責任を感じて・・・・�｢�｢わ、悪い冗談だな。・・・・僕がビクトールを殴り倒すなんて・・・」 マリオはソーンダイクを呼んだ。 「感謝するぜ。先、急ぐから、行くな。」 「あ、後の二人の兵士も、控え室で倒してきましたよ！」 アンリは二人に並んで走ってきた。 「おい、ついてくる気か？」 「・・・・こうなったら御供します。」 「勝手にしろ！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ソーンダイクがコントロールルームの扉を開けると、部屋に明かりがついた。さっそく椅子に座り、コンソールを叩く。 「爆破しないんですか？お二人とも。」 入り口のところで廊下を見張りつつ、きょろきょろしながらアンリが言った。マリオが答える。 「ソーンダイクの話じゃ、初めにこの部屋をぶっとばしてもメモリーの大部分は他の子機に残存して消えねえんだそうだ。ここで操作したうえで最終的に時限装置をつけてぶっとばす。」 ソーンダイクは幼い頃を思い出していた。 彼はコンピュータによって育てられてきた。揺り篭を揺らしてくれたのはコンピュータによって制御されたロボットだった。問題を解いたときにディスプレイに綺麗な絵を出して音楽を鳴らしてくれたのはコンピュータだった。チェスの相手をしてくれたのはコンピュータだった。少し成長したのちに、哲学的な疑問に答えてくれたのさえコンピュータだった。 彼は、他の誰よりもコンピュータを理解し、良き友であろうとしてきた。 だが、今はこうして、コンピュータが腹の中にためた記憶を破壊しようとしている。 しかし、迷いはなかった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その頃、ジョーたちは三つ目の研究棟内部を破壊し終えたところだった。 警備は各棟の入り口にのみ四名。レーザー設備も入り口のみと言うことで、三人、特にロマノフの銃の腕でやすやすと侵入できた。侵入して、電気系統と配水系等を壊せばパニックは容易に起こせた。あとは銃を片手ににげまどう研究員を追い散らしてから、実験機械やサンプルをブラスターで融解し尽くす。研究室によっては部屋全体を焼いた。 既に数十億クレジット相当の装置が粗大ゴミとなっていた。 四棟目は少してこずった。外部からコスモ・アーミー兵士が十名ほど駆け付けてきたからである。しかし、これも短時間の撃ち合いで決着をつけた。 いよいよ五棟目、最後の棟である。 そのころ、詰まった排水溝、爆破された取水口、内陸部の謎の大爆発で手一杯になっていたコスモ・アーミーに、これまた混乱していた市内からジョーたちの予想よりずっと早くに救援部隊が届いたことを、ジョーたちは知る由もなかった。 五棟目。 入り口で待ち受ける兵士に遠距離から手榴弾を投げ、然るのちに突入し、パラライズさせた。扉を開け、天井の八ヵ所に設けられたレーザー光線発射口を破壊し中に入る。一階の電気室、ポンプ室を無力化し、二階へと階段で上がる。一、二発上に向けて威嚇射撃し研究員を外に逃し、どんどん破壊をしながら最上階の八階奥まで進んだ。 「壊しながらいうのもなんですけどもったいないですね・・・・やっぱり」 そんなことを言いながらブラスターを撃っているカイユンに向かってジョーはほほえんだ。ロマノフも笑った。ふと、横手の窓を見た彼は息を飲んだ。 辺りはすっかり取り囲まれていた。 |
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