４　理由

　シルはトイレから出てきて情けなさそうに呻いた。

　「・・・・三年ぶりのチョコパフェ・・・・三年ぶりだったのに吐いちまった・・・・」

　顔は真っ青だが、ダメージは死ぬほどではないらしい。コクピットのナビゲーター席に座っているランの方が青い顔をしている。慣れている筈だ、ワープ酔いではあるまい。シルはすっとランの横に立った。それにもランは気付かないようだった。

　「・・・・僕が・・・・何故狙われる？・・・・確かに、小さな頃、僕とナンシーと母さんは誰かに追われてた。でも何故？僕は何ももっていないのに。」

　シルはランの頭に手を置いた。宥めるようにかき回す。

　「クマのおっさん、おっさん、おっさんは何か知っているんじゃねーのか？こいつが追われててそれを助けたんだろ？みず知らずの他人がそこまでしてやるなんて絶対なにか知っているに違いねえ！」

　チェイスは、といえば・・・・服から流れ出て灰色の固まりになっていた。シルが硬直し、そのままことーんと真後ろに倒れる。

　「シルっ！」

　青くなっていたランが我にかえって抱き起こしにかかる。そういや、いままでいろいろな変形パターンは見たけれど、このチェイスの本来（？）のシンプルな姿を見るのはこれが初めてだったっけ・・・・・・？・・・・だったらこの反応は極めて正常だろう。

　「チェイス！ひどい瘤ができてるぞっ！」

　「ん？」

　灰色の固まりは瞬時に青年の姿に戻った。肩のあたりから細い触手をのばしてちょいちょいとシルの瘤を触る。

　「おお、だいぶ腫れている。こんだけ腫れてたら中身は大丈夫だろう。」

　ランの腕の中でシルは細い目をぱちっとあけ、抗議するように右手を振りかざした。

　「へんなもんに化けて話をはぐらかすなっ！」

　チェイスは切れ長の目でじとっとシルを見やる。

　「へんなもんか？その見解を撤回する気はないか？」

　「へんなもんだろうが！それよか、あんたランのことで知ってることあるんだろう！全部ランに話してやれよ！もう十七なんだろ！どんな話でも本人が知っておいた方がいいだろう！」

　チェイスは目だけで天井を見た。ついで手で頭を抱えた。そして体を捻った。

　「な・・・・なんだよ、おっさん。何体操してんだ？」

　「・・・・思い出せないんだなぁ、これが・・・・いや、なんか知っていたような気もするんだが・・・・シル、お前までスパナを振り上げてどうする。おに〜さんは、嘘はついていないぞ。私のこの澄んだ灰色の瞳を見るんだ！」

　シルは立ち上がり、チェイスに顔を突き合せた。

　「澄んでるかどうかはどうでもいいんだ。んならなんでランを拾ったんだ？」

　「あはは、それなら答えは簡単だ。」

　シルをぐいとひきよせると同時に色っぽい美女に変身し、耳打ちする。

　「ふふっ。ランは物凄く可愛いかったのｖ落ちて来たのがシルだったら拾わなかったカ・モ・ネｖ」

　シルは三メートルほどとびすさった。拾われていらい清潔に保っている栗色の髪がふわりと揺れた。

　「その色気過剰の姿はやめてくれッ！どーせ俺は可愛かねえよっ！」

　可愛いというより・・・・傷さえなければ超絶美少年ではある。チェイスは青年に戻った。

　「あはは・・・・おっと、シル。またお客さんだ。さっきからずっとレーダー範囲圏内ぎりぎりのところにいる奴が距離を詰めてきやがった。・・・・・ふむ。あれだけ無茶なジャンプをしてやったのに、トレースしてくるとは敵ながらあっぱれあっぱれ。・・・・・ま、ちょっとは手加減したんだが・・・・ただ、そいつらが何者かわからないのはどうも精神衛生上よくないな。」

　くるくると肩を回し、工具袋をケースから出してひょいとシルに背負わせた。

　「おい・・・・何する気だ？」

　「あそこに」

　チェイスは再び椅子にかけ、レーダーを指差した。

　「俺を連れてテレポートしてくれないかな。」

　敵と見られる交点を人差し指で叩く。

　「ば、馬鹿。俺、テレポートしたばっかりだぞ。しかも普通やってない二人連れでだ！第一宇宙空間に出たら死んじまうだろ！」

　「・・・・振り切ることもできるが、ここは引っ掛かってやろうと思って、ね。三次元レーダーで極座標はばっちりわかってる。大丈夫だって。生きものってやつはな、自己保存欲ってやつが発達してる。真空に出そうになったきっとそいつが働いて宇宙船内にでるってば。四の五の抜かすな。お前のテレポートのやり方を何回か見ていて、やれると思うから言うんだ。ラン、俺が戻るまで静かに待ってろよ。」

　ランは素直に頷いてきゅっとシルの手を握った。

　「ラン、俺に死ねっていうわけ？」

　「・・・・シルならやれるさ！僕は信じてる！」

　「・・・・・・お前なぁ、それは信頼って奴じゃなくただの無責任発言だと思うけど・・・・・」

　一応は心配しているのか、チェイスはずぼっと簡易船外作業用ヘルメットをシルの頭に被せる。

　「テレポートだけに集中しろよ。向こうについたらあとは俺に任せて、お前は引っ繰り返っていればいいからな。」

　のっそりとロコがバスケットから這い出てきた。

　”どうする？”

　といわんばかりにぐいっと首をのばす。

　「ロコはここに残ってくれ。どうせすぐ帰還するんだ。さあ、シル、いくぞ。」

　「おっさん、待てよ、俺にも心の準備ってもんが・・・・」

　「いいから行けっ！」

　・・・・一先ずチェイスとシルはその場から掻き消えるようにいなくなった。彼らがテレポートした先では短い悲鳴が聞こえた後、すぐに静かになった。船内では疲れて倒れているシルと、電撃をうけて気絶している数人の乗員と、計器の上を這い回りつつ・・・・いや跳ね回りながら嬉しそうにコンピュータのデータを吸い出している灰色の固まりの姿があった。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　（シル！どうしてもいくの？）

　（サラ、ここにいたら、どんどんおかしくなっていっちゃうよ。まだ正気を保っているうちに逃げなくちゃ！一緒に行こう！）

　（駄目よ！きっとみんなが許さない。ディネもライトも反対するわ。そしてシルを止めようとする！）

　（反対されても、どうしたって出ていく！これ以上利用されるのは耐えられない！行こう？）

　（駄目・・・・・私、シルの荷物になっちゃう。双子だっていっても私はテレポートの力をもっていないもの・・・・・シル。私はここに残る。）


　「シル？」

　「ん・・・・」

　シルはのろのろと目をあけた。と、息がかかるほど近い位置にランの顔がある。

　「・・・・馬鹿・・・・俺、傷ものだしおいしくねえぞ。」

　目だけを動かす。どうやらリトルナンシーに帰ってきたらしい。自分がテレポートしていないのだから、あのおっさんがさっきの宇宙船を操縦して接艦したのだろう。・・・・ランを助けたときとは立場が逆だな、と思った。清潔な白い枕に頭がすぽっと埋まるように沈み込んでいる。

　「・・・・水、飲むかい・・・・」

　「ああ・・・・」

　小さなチューブで水を飲ませてもらうと一心地ついた。喉が痛い。無理して何度もテレポートしたせいで免疫力が低下し、風邪でもこじらせたかもしれない。

　（まったくあのおっさんは人使いが荒いのなんの・・・・）

　「・・・・ついててくれなくていいよ。お前が熱でちまう。」

　「・・・・そんなに気をつかわなくていいよ。自分の体のことは自分が一番よくわかっているから・・・・それより御免・・・・無理させて。」

　シルは真上を向いたまま笑った。

　「・・・・誰かに頼られるのもいいもんだな。・・・・俺は他人と一緒にいるときには頼ってばかりいたからな・・・・」

　「おじいさんに？」

　「・・・・その外の奴にも、さ。」

　シルは目を瞑った。

　「もう少し寝るぜ。」

　と、妙に柔らかなものが額に押しつけられた。
　目をあけるとランがキスしていた。
　あまりのことに声をだせないでいるとランが笑った。日溜まりのような笑顔だった。

　「チェイスが言ったんだ。改めて調べたら人間はお休みのキスってやつを普通はするらしいって。・・・・今までしてなくて御免ね。僕もチェイスも人間の習慣のことはよくわからなくって。今日から毎日忘れずにするよ。おやすみ、シル。」

　シルは口をぱくぱくさせ、ついで歯軋りした。

　「おっさん・・・・間違うにもほどがあるってもんで・・・・」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「くすん、やっぱりお前はおと〜さんより友達のほうが大切なのだな。」

　「誰がおと〜さんだよ、それよりシルの熱が上がって・・・・」

　シルははあはあと苦しそうな息をしてベッドに寝ている。
　チェイスは真顔でシルの額に手をあてた。

　「・・・・確かに極めて熱いな。」

　シルは風邪の具合がよくならなかった。いきなり能力を全開放したため衰弱し、肺炎をおこしたらしい。さすがのチェイスも心底心配したらしく、自分の体から二十本ほどの触手を出してシルの口や鼻に潜り込ませて呼吸器の様子をみていた。その気持ちの悪い状況に文句をいう気力もないらしく、シルは一言も喋らなかった。心配そうにロコがじっとベッドの傍らにつきそっている。



　「その後シルの具合は？」

　夕食のときに尋ねたランに対し、何故かチェイスは嬉しそうだった。。

　「おう。なんたって俺がついているのだ。まかせなさい。時間はかかるが完璧に治してあげようと思うのだ。・・・・どうももともとあちこちガタがきているようだったから徹底的にオーバーホールをしてやっている。枝毛から足の裏のウオノメまで・・・・夜なべでつくろってあげよう。」

　何か違う。
　ランもそんな気はしたが、所詮チェイスに育てられた身、あまり変だとは思っていない。

　「・・・・今夜も俺がついているからランは休みなさい。」

　しかしどうも妙だ。この四日間、チェイスはシルに会わせようともしない。別に安静が必要というのでもないようだが・・・・それになんだかおもしろい悪戯をおもいついたときのように目が輝いている。確か、前にあの目をみたときは、チェイスがお誕生日会という習慣が人間世界にあると知ったときのほとんどワケがわからない”数年間全部まとめてお誕生会”を挙行しようとしているときだった。
　そんなこんなで、次の朝、用心してランは医療室を覗いたのだが、いきなり枕に頭を直撃されて転んだ。起き上がると・・・・おお、医療室内部のありとあらゆるものをひっつかんでチェイスに投げ付けているシルの姿があった。ロコは甲羅の中に頭と手足をひっこめてころんとベッドの下に転がっている。

　「シル!?」

　ランが首を突っ込むと、シルは大きく目を見開き、シーツを被って寝てしまった。チェイスが立ち上がる。

　「・・・まあ、お前にもいろんな事情がありそうだが・・・・俺はもとにもどしただけだ。・・・・一つのチャンスだと思って受けとめろよ。いっとくが、ランは何も知らん。あいつに八つ当りするなよ。」

　チェイスが出ていってから、ランはシーツの上からさんざんシルをゆさぶったがシルはシーツを必死に握っていて出てこようとしなかった。が、のこのことロコがやってきてそっと丸っこい舌で指をなめるとしかめっつらで顔を覗かせた。

　「あ、顔色いいじゃ・・・・」

　そこまで言って、ランはぱあっと顔を輝かせた。

　「傷、チェイスに消してもらったんだ！」

　シルが喜ばないのを見、ランは言葉が続けられなくなった。

　「傷・・・・があったほうがよかったの・・・・・？」

　ランの感情はすぐ顔に出る。シルは慌てて首を振った。息声でいう。

　「あのおっさんが俺に黙ってやったから不機嫌だっただけだ。」

　ランの手が、傷があった場所をそっと撫でた。

　「何だ？」

　「いや、手で触ってもわからない。うまくなおっててよかったと思って。すっごく綺麗に治ってるよ。全然痕が残ってない。」

　シルはランの手をおしのけて自分で頬を触った。どうもしっくりしないのか顔をしかめる。

　「・・・・どんな技術をつかったのかわかんねえけど、腕はたしかだよな、あのおっさんは・・・・しかし変だぜ。あのおっさん、俺の傷跡はあっさり治しちまうのに、何でランの背中の傷は消さないんだ？」

　ランは微笑んだ。

　「・・・・チェイスは”忘れないように”だって説明してたよ。・・・・僕の命を助けるために沢山の人が長い間力を尽くしてくれたはずだから、それを覚えているために・・・・って。・・・・」

　シルは複雑な表情をしていた。
　その横顔をロコはじっと眺めていた。そして、思い出したように、先の尖った棒のようなものを口に銜え、小さな金属板をカリカリと引っ掻いた。

　「あのカメ、何をしてんだ？」

　「銅版画だよ。」

　ランは医療室の壁を指差した。幾何学模様、風景、静物・・・・いろいろな、しかしどれもぎょっとするほど緻密な銅版画がいくつも飾られている。

　「ロコの趣味。・・・・やり始めは僕だったんだけど、ロコの方が今はエキスパートさ。」

　確かに、この作品群を見て、カメが生み出したとは誰も思わないだろう。緻密なだけでなく、どの作品にもなにか暖かさがあった。

　「今は何を彫ってんだ？」

　ランは屈み込むとそっと彫りかけた銅版を持ち上げた。

　「・・・・シルの顔だね。」

　銅版には、まだ表情は定かではないが、輪郭から明らかにシルとわかる人物がベッドに横たわっている様子が刻まれていた。

　「ロコは好きなものしか彫らない・・・・シルはロコに気に入られたらしいね。」

　「物好きだな。」

　「・・・・気に入るのに理由なんかないよ・・・・ねえシル・・・・」

　「ん？」

　「・・・・なんでもないよ。」

　本当は、ランはシルが頬に傷を受けた理由を聞きたかった。しかし、聞くことがシルとの信頼関係を崩すことにつながりそうで聞くに聞けなかった。・・・・チェイスについても同じことが言えた。チェイスは追っ手の船の中で得た情報について何も言わなかった。何故追われているのかということについてランの知らない大切なことを知ったらしかった。しかし、それを打ち明ける気はさらさら無いらしい。　結局自分は頼りにされてはいないのだ。うつむくランの頬をシルがちょんと突いた。シルはながいこと一人で暮らしていたとはいえ、人の心の動きには敏感だった。ランの落ち込みについても十分に理解ができた。彼はベッドの上にあぐらをかいて座った。

　「俺の頬の傷、なんでついてたか教えてやる。」

　ランは否応無しに肩を抱かれて隣に座らされた。シルは意識してか大声で喋る。

　「研究所を逃げた俺は、とある惑星に逃げてきた。だが、無論、はじめのうち一人で生活していくような力はなかった。・・・・そこで、土着の路上生活少年のグループに拾われてスリの腕を琢くことになった。無論、テレポーターであることは知らさずにな。いくら俺が世間知らずでもそのくらいのことは用心するわな。しばらくはうまくいってた。特に、リーダー格の奴が親切な奴で、何かと気ぃ使ってくれて・・・・って思ってたんだが、こいつが食わせもんだった。自分でいうのもなんだが、俺、目をひく顔らしい。・・・・こともあろうにそいつ、体で稼げといってきやがった。・・・・どこでも、子供を食い物にしたそういうえげつない商売があるんだよ。外見は立派なおばさんおっさん連中が子供を弄んで自分の欲求満足させて。俺が思わず引いたら、そのリーダー格の奴、俺のこと襲ってきやがんの。」

　”げ。”とランが声を出したがシルは大声で続けた。

　「もちろん俺は逃げ出した・・・・けど、はっきりいってまた同じようなことが起こらないとも限らない。だから俺は自分の顔に傷をつけた。」

　「・・・・・どう繋がるのさ。そういったことと顔の傷が。」

　「・・・・ちゅうか・・・・ランは知らないだろうけど、体売ると、稼ぎとしてはすげえあがるんだよ。苦しくなったら、ほら、俺は結構ちゃらんぽらんな性格だから、思わず体売っちまうじゃねえかなって・・・思ってそれでざくっと。いや、付けてから後悔はしたさ。なにせ、不衛生だったから膿んじまって、三日くらい熱にうかされて・・・・・でもな、長い付き合いの傷だったから、黙って治されると癪にさわって癪にさわって・・・・」

　「・・・・喉の火傷も・・・・？」

　「ああ、自分でやった。・・・もっともこっちはそれほど酷くする予定じゃなかったんだけど・・・・おい！抱きついてくるな！俺にはそういう趣味はないんだってば！第一俺、まだ調子が・・・・あ・・・・またくらくらしやが・・・る・・・・・」

　「わ、シル！しっかり！」

　二人のじゃれあいをチェイスは扉の隙間から覗いていた。
　いいコンビだ。と呟く。
　シルは現実直視型だ。それなりの組織に追われてはいるが、あのテレポート能力はもしもランに危険がせまったとき大いに役立ってくれるだろう。
　チェイスは行かねばならない。それが”彼”との最後の約束なのだから。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　ランはハンディコンピュータのリストにチェックを入れた。

　「これでこのエリアでの買物は終わったようだよ。どこかでご飯を食べてから西エリアにチップを買いにいこう。」

　リュックにコンピュータをしまう。
　ランの右にはランと色違いで一回り大きなリュックを背負ったシル、左の足元には甲羅の上に大荷物を器用に背負ったロコがいた。

　「珍しいな。チェイスが別行動ってのは。」

　「うん・・・・」

　あれからもう半年近くがたっていた。辺境の開拓惑星上空の宇宙ステーションで機体整備の仕事を続けるランたちは平穏な日々を送っていた。チェイスとシルはずっと前からの相棒ように仲良く過ごしている。

　「チェイス、やっとついていなくて大丈夫って思ってくれたらしい。」

　シルはチェイスと和解したようだ。首に巻いたスカーフは習慣になっているようだが、その下の火傷の跡はきれいに治してもらったらしい。”らしい”というのは、ランは見せてもらっていないからだ。

　「シル、ちょっと休んでいこう。」

　ステーションの中に作られた小さな緑地にベンチがしつらえてあった。シルはリュックを地べたにどっかとおろし、ベンチに座った。ロコは止まるなり荷を背負ったまま居眠りを始めた。

　「初めて会ってからずいぶんたつね。・・・・・シルが溺れていた僕を助けてくれてから・・・・」

　「そんなになるかな。」

　「なるよ。」

　ランはシルの顔色を窺った。

　「正直・・・・いってさ。シルがここまで一緒にいてくれるなんて嬉しい。・・・・チェイスは僕にとってかけがえのないパートナーで保護者だけれど・・・・対等じゃなかったから・・・・。怒るかもしれないけどさ・・・・シルは途中で逃げちゃうと思ってた。」

　「・・・・ま、普通はそう思うんじゃ〜ね〜の？実際逃げようと思ってたんだし。」

　「今でも逃げる？」

　「逃げたらどうする？」

　「・・・・追い掛けるかな。・・・・でも僕の体力じゃ、途中でばてて置いていかれるな。」

　シルが笑った。

　「ばてたら追い付くまで待っててやるよ。まだランには色々仕事を教えてもらいたいからな。」

　ラン達が今しているのは主にワープ機関の整備だ。まっとうな船には五年に一度、宇宙連邦政府公認の検査場で点検を受ける義務がある。各人、自機の整備をするわけだがワープ機関の整備だけは普通の人間にはできない。しかし、検査場で一番ひっかかりやすいのはワープ機関なのだ。もちろん公の整備場や闇の整備場でやればよいのだが、前者はやたら時間がかかり、後者はやたら高くつく。そうした人々にそれなりの値段でサービスをしているのがランたちなのである。もちろん、検査を無事に通過するまではその惑星場に拘束される。それに客の中には危ない連中もいる。しかしチェイスはうまくやってきた。若いランが助手をしているのを見て不満げな顔をする者もいたが、検査ユニットを無駄のない動きで扱う彼を見ると表情を変える。　シルの方は指示された通りに二人に道具を渡すだけだったが、この数か月で単純な計器板の検査方法は覚え込み、チェイスを唸らせた。また、町のゴミ処理場から古いエアバイクを拾ってきてランと一緒に修理して、復活させたりもした。

　「シルはさ、仕事を覚えたらどうするつもりなの。」

　シルはため息をつく。

　「それなんだよなぁ。しばらくはいいとして・・・・俺、まっとうな仕事にはついたことないし、追われてる身だし。」

　ランはわざとらしく咳払いした。

　「だったらさ、僕のところに永久就職しちゃえば？」

　シルは疲れたように前にのめり、ごつんとランの頭を殴った。

　「痛いッ！何すんだよッ！」

　「・・・・お前さ、わかっていってないだろ。その単語。」

　「？永久ってずっとってことだろ。僕らのところにずっといりゃいい。だから永久就職。チェイスもそれがいいっていってたぞ。」

　「・・・・もういい、わかったから。さて、と。」

　シルは勢いをつけて立ち上がるとうんとのびをした。

　「俺、例の薬、きれかけてんだ。ちょっとばかし薬屋に寄るから先に行っててくれや。」

　ランの目が疑り深そうに細くなる。

　「・・・・チェイスは麻薬じゃないっていったけど、あれ、似たようなもんなんじゃないの？」

　シルは不自然ににぱあと笑った。

　「ば、馬鹿いうな。第一、あの薬を飲んだ後で、俺、ラリったりしてたかぁ？」

　「・・・・怪しい・・・・」

　「絶対にヤクじゃないって！」

　「・・・・隠すところが怪しい。」

　シルは内ポケットからカプセル錠を取り出すとランに一つ渡した。

　「なんだったら飲んでみろよ。普通の奴が飲んでもどうってことないから。」

　ランは言われるままに飲み込んだ。

　「な？」

　「・・・・速効性ってことはないみたいだね。」

　「・・・・疑り深い奴・・・・あれ・・・・？」

　手をポケットから抜いたシルは親指ほどの大きさの金属シリンダーをランに見せた。

　「何時の間にはいってたんだろ。メッセージシリンダーって奴だろ、これ。」

　ランはベルトにつけた物入れから簡易解析装置を出すとシリンダーをセットした。


　（や！）

　小さな液晶画面に、にこやかにほほ笑みながらこちらに向かって敬礼しているチェイスの映像があらわれた。

　（ラン、ロコ、ついでにシル。チェイスさんはちょっと出掛けてくるからな。こんどはちょ〜っと長くなるかもしんないから、顔馴染みの整備士のおっちゃんにお前たちのことは頼んでおいた。宇宙港のＢ３５４ドックに寄りたまえや。リトルナンシーは使わせてもらうが、お前たちの私物はそのおっちゃんに託した。あ、シル。俺のいない間、ランの保護者はお前だからな。因みに責任者はロコだ。ロコに迷惑かけるなよ。）

　「ちょい待て！おっさん。おっさんはどこいくつもりなんだっ！」

　ビデオに質問しても答えが返ってくるはずはないが、シルは叫んだ。

　「おっさん！勝手だぞ！」

　（シル、おれはおっさんではないからな。かっこいいおにいさん、だ。）

　画像が途切れた。シルはぺたんと座り込んだ。

　「・・・・おっさん、あんた何考えてんだ？」

　ランはシルの手を引いた。

　「・・・・どうもこのごろ挙動不審だと思ったら、こういうことだったのか。シル、宇宙港へ行こう！」

　「え？Ｂ３５４ドックか？」

　「違うよ！・・・・チェイスは、僕達が戻るのを夕方だと思っている。更に、シルのポケットに入れたということは、いつもシルがあのカプセルを飲む、食後に発見されると見越してる。だからまだ間に合うかも・・・・」

　ランの表情が凍り付いた。緑地にどーんとしつらえられているスクリーンには宇宙港から発進する宇宙船の様子が映されていたが、今飛び出していったのは、間違いなくリトルナンシーだった。すっとランの視線がシルに向く。
　シルがため息をついた。

　「わかってるって。ラン、お前のいいたいことはわかってるぞ。」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「チェイス！」

　人間の姿をしてコクピットに座っていたチェイスはおそるおそる振り向いた。

　「や、やあ〜。ラン。」

　「やあ、はないだろ！いきなり消えるなんて！」

　「ははは。まあ、いろいろ理由があってな。」

　「俺がチェイスに秘密を作ると怒るくせに、逆はいいってわけ？」

　「それはだな。おい、ラン。ちょっと待て！スパナを振り上げている場合ではないぞ！」

　「話を逸らさないでよ！」

　「違う！シルの奴・・・・どーも俺には息をしていないように思えるんだが・・・・」


　医療室で息をふきかえしたシルは一頻り咳き込んだあとぼそりといった。

　「俺、今に死ぬな。追っ手に追われてたときもしんどかったけど、ここでの人使いの荒さ、それ以上のしんどさだわ・・・・高速移動中の宇宙船内へ他人抱えてテレポートなんて。ほっとんど、人間の限界へチャレンジしてるよーなもんだぜ・・・・」

　ランは髪をポリポリ掻いた。

　「ごめん。」

　「ごめんですみゃあ警察はいらねえ。」

　チェイスは巨大クマのぬいぐるみ姿で現われ、シルの手を握り大げさに振り回した。

　「おめでとうっ！シル！君は人類のテレポートの歴史にに新たな一ページを書き加えたのだっｖ！」

　「・・・・おっさん。」

　チェイスは人間の姿に戻った。

　「何度もいっておろうが。俺はおっさんではなくかっこいいお兄さん、だ。・・・・にしても、追い掛けてきて欲しくはなかったなぁ。宙港に残してきたものがたくさんある。ほら、いつかランが買ったうがい用のコップ。あれも置いてきてしまった。

　「えっ。シルとお揃いだったのに!?」

　声をあげたランをシルは平手で殴った。

　「ラン。コップのことはいいだろっ！おっさんに聞くことがたくさんあるだろうが！」

　ランは頷いた。

　「チェイス・・・・・・・絶対に誤魔化されないからね！」

　チェイスは困ったような顔をし、はあああ、とため息をつくと小声で言った。

　「実はな・・・・・・」

　しかし、ランもシルもその先を聞くことはできなかった。チェイスの体から生えた触手が二人の首筋に伸び、昏倒させたのだ。ロコがじっとチェイスを見つめる。

　「・・・・・・・・ロコ。今度ばかりはこいつらを連れて行けないし本当のことも話せない。・・・・・・全く・・・・・・無茶する奴だよ。こんなところまで追ってきて。」

　チェイスは二人を軽々と抱き上げるとキャビンに行ってそれぞれのベッドに寝かせると額にキスした。
　ロコは首を振った。

　「俺のやろうとしていることが気にいらないってか？」

　大きな陸ガメは頷いた。

　「・・・・・本当のことを知ることが幸せとはかぎらんだろ？」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　ランたちが目を覚ますと、リトルナンシーは辺境の小惑星に繋留されていた。チェイスの姿は消えていた。置手紙も何も無い。機内を調べつくして疲れ果てたシルは壁に寄りかかり、ランは通路に座り込んだ。と、その腕をロコが頭でつついた。とっとっととロコにしては敏捷な動きでコクピットの方に歩く。

　「来い・・・・っていうの？」

　カメははっきりと頷いた。二人がコクピットに入るとロコはナビゲーター席によじ登り、器用に前足と舌でコンソールをうち始めた。やがて、メインスクリーンに画像が現れる。いや、ただの文字だ。

　「“何を検索しますか？”・・・・いったいどういうことだ？」

　「・・・・・・・・昔よくやってたことなんだ。新しい星に着くたびに宇宙港のコンピュータにアクセスして家族の名前を打ち込んで手がかりがないか捜した。・・・・・・何年か続けて、やめちゃったけど・・・・」

　“クレイトン博士”とランは打ち込んだ。

　「父さんは立派なエンジニアだったって母さんが言っていたことを覚えている。でも、それだけじゃ、どうしようもなかった。・・・・・・僕は小さかったから父さんの名前も母さんの名前も覚えていない。ナンシーの名前だけしか。・・・・・クレイトンって苗字で検索するとどうなると思う？何百何千ってひっかかる。こうして年代を指定しても・・・・・

　“50年前から現在まで”

　と、ロコがそこに何やら付け加えた。

　「何だぁ？」

　シルが目を丸くする。

　“チェイス　クレイトン博士”

　そして、ロコは年代に一つ０を付け加えた。

　“500年前から現在まで”

　検索ボタンを陸ガメの力強い前足が押すと、検索結果が現れた。

　ランは息を飲んだ。

　スクリーンには、男性の顔が映っていた。その人はランと同じ髪、同じ目の色をし・・・・・・・・チェイスとそっくり同じ顔をしていた。
　
・・・・・・・事態はますますこんがらがっていきます。チェイスは知らない方がいいと判断したようですが、ロコは知っておくべきだと無言ですが主張しています。
そして今回、シルは「治され」ました。洗われて治されて・・・・次は何でしょう。

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