３　救出、そして逃亡
　
　　シルは自分の隠れ家でうずくまり、ぜいぜいと肩で息をしていた。
　あんなにおそろしい体験をしたのは久しぶりだ。昔、自分を捕らえようとやってきた人間にもずいぶんと物騒なのがいたが、さっきの怪物は桁が違う。

　”ランは騙されている。絶対に騙されている。きっとあいつがまだ痩せているから食べられずにすんでいるんだ。”

　と、どこかの童話にでてきたようなことを考え、いやいやそんなことはない、あれはきっと精巧なトリックだ、しかし何かがあるのは確実だとぐっと拳を握り締めた。

　”首をつっこむな”

　という声と

　”力になってやれ”

　という声がシルの中で音声で討論していた。が、テレポートの疲れから、いつしか眠り込んでしまった。

　次の日の朝、シルはすっくと立ち上がった。
　ひとまずやってみよう。助けてからどうするかはまた後の話だ。何も自分が面倒をみる必要はない。いざとなれば官憲の手に預けてしまう手だってあるのだ。この星に落ち着くまで自分の敵とのおっかけっこを命懸けでしていたのに比べればやせた少年一人誘拐するのは簡単なことじゃないか。とシルは自分にいいきかせた。髪をかきあげるとフケが面白いようにばらばらと落ちる。
　ここから直接あっちにテレポートしてはランを抱えて再びテレポートできるようになるまでに多少時間がかかるだろう。テレポートは長距離であるほど疲労も激しい。かといって宙港内で休養する度胸もない。ここは宙港近くまで徒歩でいって、短距離テレポートして脱出するに限る。シルはごそごそと住みかの奥から昔その手の人間から掏りとったパラライザーを持ち出した。　

　宙港につくと、リトル・ナンシーはまだ停泊していた。

　「よっしゃあ。」

　必死に船内構造を思い出す。

　「あの化物の前に出ちゃ、お陀仏だからな。・・・・やべ。殆ど覚えちゃいないぞ。・・・・とにかく鉢合わせなきゃいいか。よっ！」

　出たところはコクピットの隣の空間の大きな観葉植物の鉢植えの後ろだった。大きなカメが首をぐうっとのばし、眠たげな目をしてシルを見、彼は肝を冷やしたが、カメはそれ以上何もしようとしなかった。・・・・つまりはずっとシルを見ていたということであり、それはそれで非常に不気味なことだった。　と、半分開いた扉から、あの化物の声がしてきた。

　「何意地張ってんだ！一生黙ってるつもりかっ！」

　ランの声は聞こえないがあの部屋にいるに違いない。

　「だったら好きにしろっ！俺はもう知らんっ！」

　化物は人間の姿で部屋から出てくると、さっさとコクピットに行ってしまった。コクピットの隔壁がシュンと音をたてて閉まると同時にシルは部屋へと滑り込んだ。
　部屋の中ではランが暖かそうなガウンを着てデスクの前の椅子に座りこちらに背を向けていた。

　「おい！」

　シルが声を顰めて言うと、ランはのろのろと首を回し、シルを認めるとぱあっと顔を明るく輝かせた。

　「シル！どうしてここに！」

　口を手で塞ぐ。ランは手足をばたつかせる。

　「話はあとだ。体の方はもういいのか？」

　口を塞がれているのも嬉しいというようにランは首を大きく縦に振った。

　「そうか、そりゃよかった・・・っって言ってる場合じゃねえな。・・・・じゃ、逃げるぞ！」

　ランはきょとんとして、シルの手を口から引き剥がした。息声で会話する。

　（なんで逃げるんだ？）

　（あいつから逃げるんだよっ！）

　（あいつ・・・ってチェイスのことか？そりゃ、僕は自立したいとは思ってるけど逃げるってのはちょっと・・・・）

　（あのな！あいつは化物なんだぜ！お前は騙されてんだ。現に俺は食われそうになった！いいから、大切なものだけもって俺に掴まれ。テレポートして逃がしてやっから。）

　神経をはりつめて今にもキレそうになっているシルを前にし、ランはけたたましく笑った。

　「わはははははっ！」

　途中で咽せて咳き込む。シルが背中をさすると咳は止まったが、性懲りもなく再び大声で笑いだしてまた咳き込んだ。
　どたどたと音がしてチェイスが走りこんできた。

　「ど、どうしたっ！頭に肺炎菌が回ったかっ！」

　「ち、違うよ。シルがさ、チェイスのことを化物だっていうから。・・・・無理ないよね、あんなことされちゃ、でも、あんまり真剣だったからなんか笑えちゃって。」

　チェイスはシルを見た。シルもチェイスを見た。


　・・・・・・・間・・・・・・


　「ど〜してお前がここにいるんだぁ？」

　「な、成り行きってもんで・・・・あんた・・・化物じゃ・・・・ないの・・・・か？・・・・そうだとしたら、俺の決死の覚悟っていったいなんだったんだ・・・・か。・・・・・ランがこんなに笑い転げてるんなら化物じゃないんだろうなぁ。・・・・俺って馬鹿みてぇ。」

　足に力が入らなくなったようにシルはぺたりと座り込んだ。チェイスは片手で顔を覆い、もう一方の手でこつこつと扉を叩いていたが、びしいっと人差し指をシルに突き付けると怒鳴った。

　「とにかく出ていけ！不法侵入で宙港本部に通報するぞ！」

　「はいはい、わかってるって。ちょっとばかし休ませろって。テレポートで消耗して、更に気ぃ抜けちまってさ。」

　と、シルはランにぎゅっと抱きつかれた。まだ熱っぽい指が彼の手首を押さえている。

　「だから！なんでそんなにシルに冷たいんだ！彼は僕の命の恩人だよ！」

　「そいつは単なるスリだろうが！お前と一緒に来たいといったのも、ど〜せここの器材の一部をちょろまかして儲けようという魂胆だったに違いない。」

　「ひどいよっ！他人には優しくしろってチェイスが教えてくれたことじゃなかったけっか？」

　シルは彼を挟んでの口喧嘩の応酬をぽかんと口をあけて見ていた。自分を信じてくれているランには悪いが、初めにランと一緒に行きたいと言った理由はチェイスが推測した通りだった。チェイスのように頭ごなしに突っぱねるのは頭にきたが、ランのように、自分を信じ切って話しているのを聞く方が、心にズキズキとキリかなにかをねじ込まれているようで辛かった。

　「なあ？おっさん、ランも落ち着いてくれよ。まあ、ほら、俺、少ししたら出ていくからさ。それでいいだろ？そんなに熱くなるなよな。血管切れるぜ。」

　彼はそう言ったが、ランもチェイスももうシルの言葉など聞いちゃいなかった。

　「な〜に甘いこといってんだ。お前はまだ人を見る目が無いんだよ。それにな、他人には優しくと俺は確かに言ったが、身内にはどうなんだよ！お前、このところ、おとーさんにはちっとも優しくないぞ！」

　「誰がお父さんだよッ！いい大人が拗ねてるなんてみっともないよっ！シルはいい奴だっ！そうじゃなかったら、わざわざこんなとこにまた来るかよっ！」

　「拗ねてるだとぉ！」

　間に挟まれていながらシルは完璧に忘れられている。
　もうどうにでもしてくれ、とにかく不毛な口喧嘩はやめて欲しいものだと思った。頭を掻く。フケが散らばる。黒い床に白いフケはやけにくっきり見える。

　「そこの阿呆！俺の船でフケを落とすなっ！」

　・・・・一応忘れられてもいなかったようだ。

　「チェイスの馬鹿！フケくらい人間なら出るよっ！」

　「この気合の入ったフケは問題外だ！」

　「どうしてわかってくれないんだよぉ！」

　シルを抱いているランの腕にぎゅっと力が入った。

　「・・・・シルは、シルは、初めての人間の友達なんだっ！」

　ぎゅっと閉じたランの目蓋の端から涙が少し沁みだしていた。
　チェイスは怒鳴りかけていた言葉を飲み込んだ。ロコがのそっとチェイスとシルの足の間に入り、眠たげな目でチェイスをじいっと見つめた。
　と、警報音が鳴り響いた。

　「何だ！」

　素早くコクピットに駆け込むチェイス。ランもガウンの裾を翻してあとを追う。
　船外カメラをオンすると、フルフェイスのヘルメットに戦闘用スーツ、いかにも私達はぶっそうな者ですといわんばかりの男が二人、エアロックにとりついて何やら小さな箱を押しあてていた。

　「どこから湧いて出たんだ？怪しさ大爆発のあの格好で宙港歩いて来るのは狂気の沙汰だなぁ。」

　「チェイス！呑気なこと言ってないで！アレ、エアロックの解錠装置みたいだぜ！」

　「・・・・無駄な事を・・・・俺の船に汎用の解錠装置が効く訳はない・・・・・それよか」

　振り向く。目をすうっと補足する。意地悪くどこか満足そうな顔でチェイスは続けた。

　「そこの少年、顔が真っ青なようだが、思いっきりあいつらの心当たりがありそうだなぁ。」

　シルは笑っていたが、こめかみのあたりが引きつっていた。

　「あ、おうさ。・・・・め、迷惑かけてるな。今、テレポートして逃げっから・・・・」

　「勝手に逃げられても、外の連中にはお前が逃げたことがわからんのとちゃうかねえ。」

　「あ、そうか、じゃ、一回奴らの前に出て・・・・そ、それじゃあ、俺、掴まっちまうじゃねえか！」

　「ほ〜ら、な、ラン、こいつはやっぱり疫病が・・・・」

　ランが怒鳴る。

　「チェイス！」

　「・・・・くすん。お前、おと〜さんより友達の方がいいのだな。」

　「だから、誰がおとうさんだよっ！」

　チェイスは立ち上がるとシルの髪をぐいと引っ張った。

　「ランの隣の椅子にかけてベルトかけてろ。ラン、毎度のことだが緊急発進準備。商売になりそうな別の星に移るぞ。管制塔に一応申請しとけ。無茶苦茶すると、官憲に追われることになっからな。」

　ランが途端に愛想よくなる。

　「ラジャー！チェイスは？」

　「ああ、外壁に取りついてるお客に挨拶してくる。」


　男たちは、解錠装置が効果を発揮しないので焦っている様子だった。と、エアロックがシュン！と音をたてて開いた。そこに彼らが見たものは・・・・

　身長２ｍを越すでかい熊のぬいぐるみだった。

　人間、意外なものに遭遇するとパニックを起こすものである。パニックを起こすと隙ができる。さらに、その熊のぬいぐるみが歩いてきて二人の肩に

　”よう。”

　と手をおいたときには隙だらけだった。チェイスは細い触手を出して男の首の後ろあたりを触った。・・・・・二人は瞬時にその場に昏倒した。


　「離陸許可、出たよっ！」

　「よっしゃ。じゃ、行くか。」

　エンジン始動、ゆっくりと離陸ゾーンに移動。人間形に戻りパイロット席に座ったチェイスは慣れた手つきでぱちぱちとコンソールを叩く。

　「おっさん・・・・」

　シルが恐々声をかける。

　「なんだ？俺はおっさんではなく”おにいさん”だ。」

　「・・・・おっさん・・・・化物じゃなくて・・・・クマだったのか・・・・」

　「クマじゃないっっ！」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「で？追われてることはわかっていたが、誰から追われていたのかはわからない・・・・ってことか。」

　「面目ねえ・・・・多分俺が子供の頃にいた研究所の奴らだけど・・・・その研究所がなんて名前なのかも覚えてないんだよな。・・・・あいつらこのごろは見ないと思ったんだけど。着ていた戦闘スーツのデザインも前と違うし。」

　無事に別の惑星の宇宙ステーションに到着したチェイスはワープ酔いでぐったりしているシルを問い詰めていた。

　「・・・・超能力者って大変なんだ。」

　ランが同情するようにいうと、チェイスはグレイの髪を撫で付けた。

　「こいつは超能力者の中でも特別なんだろう・・・・前に俺が脅かしたとき、こいつは密閉された宇宙船の中から外にテレポートした。・・・・これは凄いことなんだ。因みに最長テレポート距離はどのくらいだ？」

　「・・・・ずっと前だけど、静止軌道上のステーションから地上に下りたことがある。・・・・あんときゃ半分死んだけど。」

　「・・・・ほう。お前のテレポートは通常空間ではなく亜空間ってことか。・・・・ラン・・・・」

　「ん？」

　「お前、面白い奴を拾ってきたな。金詰まりになったときはこれから先こいつを見せ物にすりゃあメシ代ぐらいはかせげるぞ。」

　「・・・・それって！」

　チェイスはひらひらと頭の横で手を振った。

　「・・・・飽きるまでお前が面倒みてやれ。・・・・ただし、条件つきだ。」



　「・・・・ったく、人のことを犬か猫みたいにいいやがってよ！」

　ステーションロビーを歩きながらシルは毒突いた。横ですっかり元気になったランはにこにこと笑っている。

　「チェイス、シルのことを気に入ったみたいだよ。」

　「あれで？あのクマが？」

　ランは天を仰いだ。そういえばランは友人をリトルナンシーにつれてきたことなどないのだから、今回のチェイスの反応が友好的なものかどうかはさっぱりわからない。

　「大体、あの条件ってのはなんだよ！俺を何だと思ってんだ？」

　「・・・・しかたないよ。僕だってコクピットでポテトチップスを食べたときにはがんがん怒鳴られて電撃バリバリだったからな。」

　シルは気味悪そうに肩をそびやかした。

　「・・・・人間でも、化物でも、クマでもなけりゃ、あいついったいなんなんだ。」

　一応シルに説明はしたのだが、ショック死されても困るので、チェイスの真の姿は見せていない。

　「う〜ん。何にでも化けられる誇り高いコルト星人・・・・なんだけど・・・・あ、ほら、あった。」

　看板には”シャワールーム”とある。宇宙帰りの人々のための一風呂を提供する場所だ。

　「・・・・要は、俺のフケはポテトチップス屑と同じというわけ・・・・か。」

　「・・・・だいぶ中身は違うと思う・・・・チップスは食えるけど、フケは食えないじゃないか。ま、僕でも、もっと清潔にしてないといけないと思うよ。ほら、爪の中だって真っ黒だぞ。」

　”不潔でも健康ならいいじゃないか、とぶつぶついうシルをシャワールームに押し込む。部屋はコインロッカーのように時間貸しになっており、金を入れると時間内は無制限に湯が使える。これはどんなステーションでも共通にある施設で、ランもかなりお世話になっている。ランは一緒に入って、温度調節のしかたや時間延長のしかたを説明した。横ではシルがいやいやながら服を脱ぎはじめた。もこもこいろいろなものが入っているベストを脱ぎ、Ｔシャツを脱ぎ、上半身裸になると、いやに華奢で痩せていて痛々しいくらいだった。ズボンに手をかけたシルはにやっと笑った。

　「お宅、大事なところを見る趣味でもあんの？」

　ランは小さな脱衣スペースに退散し、シルが脱いだ汚れ物を紙袋につめこみ、代わりにチェイスが人間形のときに着ている作業着と、この施設の自動販売機から購入した下着と靴下を取り出した。二人はカーテンを挟んで四方山話をしていたが、どうも、シルは風呂に入るのが二年ぶりらしかった。そして、一回目にバスタブに入れた湯は、泡が立たずに色が黒くなったらしかった。シャンプーに至っては、二回下洗いをして三回目に辛うじて泡がたったようだった。
　ブォ〜ッという温風の音が聞こえたのは、ゆうに三十分たってから、時間延長二回目のことであった。
　腰にタオルを巻いただけで現われたシルは颯爽としていた。

　ランはあんぐりと口を開けた。

　まず、シルはランと同じくらい色白だった。よく日に焼けていると思っていたが、あれはすべて汚れだったらしい。そして、髪は綺麗な栗色だった。つんつんとつったっていたのは垢と油で固まっていたためらしく今はふぁさっと耳にかぶさっている。一寸見では貴公子に見えなくもない容貌だ。そうなると頬の傷が前と違って痛々しく目に映ってくるから不思議なものだ。そして・・・・スカーフを巻いていたので気付かなかったが喉にはひどい火傷のあとがあった。ランがすっと目をそらしたのに気付きシルは手のひらで喉を覆うようにし、火傷の痕を隠した。

　「・・・・なんかす〜す〜しちまって妙な感じだぜ。変じゃねえか。」

　・・・・口調と甲高いしゃがれ声は変わりようがない。

　「綺麗になったよ。これならチェイスだって文句はないね。」

　「そうかぁ？」

　シルは備え付けの鏡を覗き込んで不機嫌そうに口を結んだ。

　「・・・・軟弱に見えるよな。俺。」

　「いや。僕だって・・・・実際の年よりずっと小さく見られるんだよな。僕よりかはシルのほうが逞しいよ。」

　するとシルは上機嫌になり口笛を吹きはじめた。

　「下着だけは新品だからね。上着も綺麗に洗濯してある。といってもチェイスのだけど。僕のじゃ入らないだろうから。」

　「おうさ。・・・・おい、あのクマ、俺よりずっとでかいな。折らないと手足が出ないぞ。」

　出てきたシルは十分一般人に見えた・・・・ベストを除いては。やたらポケットのついた擦り切れて垢染みたベストをシルは落ち着かないからという理由で綺麗に洗濯してあった作業服の上から身につけたのだ。
　なんだかそれだけで、胡散臭さ大爆発・・・・に見えた・・・・ので、ランはスポーツ洋品店に直行してフィッシング用の寸分違わぬベストを購入してやった。シルはその場で中身を新しい服に移そうとし、・・・・わくわくと眺めているランの視線に気付くとやめて紙袋の中に両方ともつっこんでしまった。

　「おい、次はどうする？」

　「ん？じゃ・・・・」



　「だ〜、なんで俺がお前と色違いのコップを買わなきゃならんのだっ！」

　ランはプラスチックのうがい用コップを手にとって首を傾げた。

　「これ、洗いやすいし、抗菌加工してあるし、同じ色だとわかりにくいし・・・シル、僕と一緒じゃ嫌なのかい？」

　ランが捨てられた子犬のように淋しそうな顔をしたのでシルはたじろいだ。こういう顔に実はシルは弱いのだった。

　「わ〜った。うん買おう、買おう、そうだな、俺は緑色がいいな。」

　「うん。じゃ、僕は青にするｖお揃いだねｖ　」

　内心、あのおっさんは絶対にどこかで教育を間違えてるぜとおもいつつ、シルは拾われた子犬のように笑顔で愛敬をふりまくランについていく。

　「あとは何を買う・・・？」

　「服・・・・かな。やっぱり足と袖がだめみたいだから・・・・」



　「・・・・んじゃ、着てみるわ。」

　上着とズボンをもって試着室に消えたシルを待ってランはふと紙袋につっこまれたベストを見た。

　「あれ？ファスナーが少し開いてる・・・」

　純粋な親切心からランは締めようとし、垢染みたベストをとりあげ・・・・たところにシルが出てきて・・・

　「このやろ〜、何しやがんだ！」

　ランは思いっきり頬をひっぱたかれた。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「クマのおっさん、おっさんが悪いんだぜ！」

　リトルナンシーに帰ってから、ランはベッドの隅に膝を抱えて小さくなっていた。シルは垢染みたベストを身につけコクピットでチェイスに詰め寄っている。

　「・・・・俺はクマではないし、おっさん、でもなく、かっこいいおにいさん、だ。」

　「兄ちゃんでも姉ちゃんでもどっちでもいいけどさ、・・・・おっさん、あいつにプライバシー厳守ってやつを教えてねえんだろ？」

　チェイスは人差し指で自分の髪の毛をくるくると巻いて遊んでいた。

　「・・・・二人きりで暮らしていてプライバシーも何もなかったからなあ。まあ、ランも反省しているようだし。」

　「・・・・いや、俺はあんなに反省するとは思ってなかったからよ・・・」

　チェイスはにたりと笑う。

　「しかし、お前さんの反応は過剰だねェ〜。・・・・何かやばいものでもベストの中に入っていたんとちがいますかねェ〜。さて、お兄さんの目の前でポケットの中身を逐一出してごらんなさい。」

　「・・・・おっさん、おっさんこそプライバシーって奴、わかってないんとちがうか？俺はそういう奴が大っ嫌いなんだよっ！」

　と、チェイスの声が変わった。無茶苦茶色っぽいお姉さんの声で、姿も何時の間にかいつかのセクシーダイナマイトな美女に変わっている。

　「嫌っちゃ、い・やｖ　」

　シル、凍り付く。

　その美女にあごに手をかけられ、男ならだれでも天に昇る心地がするようなものだろうが、今は別の意味であの世の一歩手前のように思われた。いや、これは夢だ。悪い夢だ。夢に違いない。

　「見て・・・・いい？あなたのすべてがみ・た・い・のｖ」

　例え夢でもここで逆らったらどうなるかわかったもんじゃない。

　「じゃ、ファスナー開けるわよ。うふ　かわいい。」

　と、スパナがごんとチェイスの頭にあたり、その拍子に美女の姿からいつもの姿に戻った。

　「チェイス！何やってんだよっ！」

　「・・・・ラン・・・・不意をついてスパナを投げ付けるのは反則だといってあっただろう。本物の人間だと、死んでしまっているかもしれんぞ。」

　「シルに変なことしようとしただろ！」

　チェイスが写真を手に笑っている。

　「ほら、この写真の女の子を見ろ。可愛いぞ。」

　固まっていたシルが動けるようになって写真をひったくった。

　「妹・・・・だったよね。」

　ランの言葉にシルは黙って頷いた。
　風呂に入ったシルを前にすると、兄妹だけあってよく似ていると思えた。
　チェイスは今度は可愛らしい少女の姿に変わってにこにことシルに手を差し出していた。

　「さ、一度みんな出しちゃってね。でないと私、安心できないの。」

　シル、無言でチェイスを指差す。今度はあごががくっと落ちていて小刻みに震えている。ランがうんざりしたように天を仰いだ。

　「・・・・変身が趣味だから。・・・・でも、質量は何に変わっても六十五キロあるんだから・・・・チェイス！その、女の子の姿は僕も苦手だから何か他のものに・・・・」

　「うふっ、ランったら恥ずかしがり屋さんね。ふふふ、シルはどんなのがいいの？リクエストに答えて化けてあげる。どっちにしても、そのポケットの中身は見せてもらうわ。」

　シルは固まったまま呟いた。

　「クマ・・・・」

　こいつの趣味も変わっているといえば変わっている。・・・・かくて、巨大なクマのぬいぐるみを前にしてシルはポケットの中身を作業台の上に並べ始めた。

　「ほほう。こんなにたくさんはいってたのか。」

　クマは並べられた色々なものを小さな丸い瞳で見つめて薄茶色のもこもこした頭を縦に振った。

　「・・・・おっさん・・・・そのガラス玉の目で見えるのか？」

　「ああ、一応光センサーに相当する部位をこの目の部分にあてているが、その気になりゃあ、こんな風に・・・・」

　ふわふわの手の先に眼球がぽこっと現われる。

　「とまあ、こんな風に眼点を移動させてだな・・・・おい、どうした？」

　くらっときたシルはぶんぶん頭を振って気をしゃんとさせた。

　「い、いや、多少貧血の気があってさ・・・・」

　「鉄分が足りないんだろう。ふむふむ、ハンカチはあたりまえとしてそれなりの現金と怪しいプリペイドカードととっても怪しいスタンガン・・・・小さな工具・・・・こんなんじゃロクな仕事はできんぞ？針と糸とボタンと安全ピン・・・・飴玉とチョコレートと合成非常食・・・・町のマップ・・・・おお、ポケットコンピュータか。これが一番の値打ちものか？焦るな、中まで見やしないから。電池に消毒薬に絆創膏に、隙間にたっぷり垢のつまった櫛・・・・」

　クマの眉間にしわがより、さもいやそうに櫛を摘みあげる。

　「ほっといてくれ！」

　「市販品の胃の薬に腸の薬に頭痛薬、クリップに瞬間接着剤に筆記用具、ケチャップ？・・・・お前、ロクでもない方法で稼いでいたな・・・・ケチャップをさり気なくターゲットに付けて、拭いてやるふりしてスリをやってたんだろ？・・・・あとは極細炭素繊維のワイヤーに携帯用七つ道具つきナイフ・・・・・・怪しいのは捨てるぞ。」

　怪しいプリペイドカードとケチャップを巨大なクマのぬいぐるみはぱかっと開けた口に放りこんだ。シル、また固まる。

　「・・・・いったろ。人間じゃないって・・・・大概のものは食料にしちゃうんだから、チェイスは。」

　そうランに解説され、十秒ほどで金縛りがとけた。とけると固まっていたことが恥ずかしいのかシルはむっとして、チョコレートを一つ口にいれると、新しいベストにテーブルに広がっているものをしまい始めた。すべてきれいにおさめてしまうと、まだクマが片手に握っている古いベストに手をかける、と、クマがにたりと笑った。

　「まだ入っているだろう。」

　そしてポケットの内側の隠しポケットのファスナーをあけてベストを振った。白い小さなカプセルが散らばる。それを見たシルの狼狽は可哀相なくらいで、床に這いつくばってカプセルを拾い集め始めた。ランも手伝う。

　「・・・・そんなにあわてるところをみると、麻薬の類か？お前、ヤク中か？」

　ランが手伝いをやめて睨む。ここらへんのことにたいしてのチェイスの教育は健全すぎるほど健全のようだ。そのランのまっすぐすぎる瞳にびびっていると、クマが器用にカプセルを摘みあげた。

　「・・・・薬品記号のない違法薬品だな。・・・・」

　そして口の中に入れた。

　「・・・・・」

　クマはいきなりいつものチェイスの姿にもどった。

　「ラン、怖い顔をするな。覚醒剤でも幻覚剤でもないわ、こりゃ。」

　「・・・・なぜわかるのさ？」

　チェイスはにっこり笑う。　

「主要麻薬は全種類舐めたことがあるが、それとは味が違う。・・・・妙な味なんだがなんだ、こりゃ。」

　とたんにシルが爆発した。

　「こ、これはな、大切な薬なんだっ！・・・・ちょっとしたアレルギーで、毎月これを飲んでないと俺、ちょっとやばくって・・・・俺、麻薬やるほど堕ちちゃいねえぞ！

　チェイスは片目を瞑った。

　「合格、だな。・・・・ラン、部屋に連れていってやれ。お前らが外出している間に少し改造しといてやったから。夕食は俺がつくっておいてやるから昼寝でもしていろ。」

　部屋に戻ると二段ベッドができていた。
　にこにことシルを見るランにシルは上の段を指差した。

　「うん。僕は下がいいや。」

　シルは身軽に自分のベッドにあがると同じように下の段に腰をおろしたランを上から覗き込んだ。

　「あのおっさんのいってた”合格”ってのはなんなんだ？」

　「ああ、あれね・・・・酒、麻薬はやるな・・・・って奴。チェイスも堅いところは堅いんだ。あ、そうだ。」

　壁の物入れに突進し、ランは小さな樹脂性のケースを放ってよこした。

　「ベルトに付ける工具入れだよ。これから僕と一緒に仕事をしていくのに、きっと便利だよ。・・・・僕は少し眠るね、またあとで話はできるものね。・・・・・」

　声が聞こえなくなってしばらくしてからまた覗き込むとランはぐっすり眠っていた。静かに下りていってそっと額に手をあてると熱っぽい。

　「・・・・ほんとうに虚弱なんだな・・・・」

　床に座り込んで寝顔を見つめる。こんなふうに同年代の人間と一緒に話をしたり同じ場所で寝起きをするなんて何年ぶりだろう。もちろん町中で同業者と短い情報交換をしたことはある。しかし、あれは双方の利益のため以外のなにものでもなかった。人と話すことは煩わしいとさえ思っていたのに、ここでこうしているとしばらくこの少年と一緒にいたい気がしてくる。シルは頬の傷をなぞった。この傷の原因となったあんなことさえなければ、一人っきりの生活などしなかっただろう。いや耐えられなかっただろう。頬の傷に、喉の火傷に誓ってもう誰も信じないと思っていたのに・・・・

　「しばらくは一緒にいてやるか。・・・・あのクマのおっさんも興味深いし・・・・」

　そして、先程床にちらばったカプセルのうちの一つを口に入れて飲み下した。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「非常識・・・・だよな。」

　「へ？」

　宇宙船の機関部の狭い隙間に入り込んで作業していたランはぶつぶついうシルに、茶色の作業手袋をした手を差し出した。

　「何かいった？」

　「あ、いや、なんにも。」

　「Ａ−５ってシールの貼ってあるメーター取ってくれる？」

　「あ、これか、ほい。」

　「サンキュ。」

　渡されて、ランは笑顔でシルを見ていた。

　「な、何だ？」

　「ん・・・・手伝ってくれる人がいるって幸せだな、って思って。」

　シルは真っ赤になった。

　「何考えてるんだっ！幸せなんて言葉、日常で使うなよ！」

　ランは頭を掻いて仕事に戻った。ここはとある惑星の繋留ドック。今やっている仕事はワープ機関の調整である。正規の調整施設では面倒な手続きと長い時間がかかるが、チェイサーに頼めばそれなりの価格で手続きなし、ということで、需要は多い。しかもチェイスほど速く狂いのない仕事をするものはいないらしい。

　「それもそうだよなぁ・・・・」

　チェイスはワープ機関の心臓部前に座り込んでいるのだが、手には工具を持っていない。指先から針金のような触手が十数本のびていてそれが狭い空間に入り込んで作業をしているのだ。しかも、チェイスの体は電磁波に対して非常に敏感なセンサーというのだから、これで能率があがらなかったらおかしい。

　「道理で、依頼主に”決して作業中に扉を開けてはいけませんよ”って念を押すはずだよな。」

　リトルナンシーの居候を始めてはや一週間。ようやくチェイスの正体にも慣れ（いや、その前に二度気絶しはした。）今日初めて仕事場への参加を許されたのだ。

　「シル？」

　「あ、おう、なんだ？」

　「・・・・いや、ちょっと呼んでみただけ・・・・」

　こいつはこいつで純粋培養のお子さまだし・・・・いや、しかし、整備士としての技術はたいしたものらしいな。どこかの整備施設にいい条件で雇ってもらえそうだ・・・・結局、俺ってテレポート以外は技術ないしな・・・・そういうところで働けば、こいつみたいなマヌケなお人好し、友達の数人、すぐできそうなんだが・・・・なんでまた、妙な宇宙人と二人で仕事をしてるんだか・・・・

　「シル？」

　「何だよ！」

　「終わったよ。」

　見上げれば、チェイスもランも立ち上がって手袋を外している。

　「メシ食いにいこ？まとまったお金入ったから。」


　数時間後、宙港近くを歩きながらチェイスはふうっと息をついた。そして笑った。どうもこのごろ、この体が自分本来の姿のような気がしてしまっている。逆に、昔、自分がどのような生きものだったかを忘れかけている。　彼は自分の前をはしゃいで逃げ回っているランと、どんな理由からかそれを怒って追い掛けているシルを眺めた。ランがこけてランにつまずいてシルも転んだ。

　「・・・・お前ら、先祖がえりか？」

　「おっさん！それをいうなら”幼児退行”だろ？もー俺、疲れたぞ。こいつ体力ないくせにころころはしゃぎ回って・・・・まったく、ガキなんだから。」

　「一つしか違わないだろ！」

　「精神年令だ！」

　「さっきチョコパフェなんか頼んでたのはどこのだれだよ！」

　「あ〜、お前こそ露店で知恵の輪セット買って喜んでたじゃないか。」

　「・・・・ラン、シル・・・・お前たち、両方ともガキだぞ・・・・低レベルなケンカは美しくないから止めなさい・・・・」

　と、チェイスの顔が真顔になった。そばに二人を呼び寄せる。

　「・・・・シル。リトルナンシーまでラン抱えてテレポートできるか？」

　「・・・・なんだよ、いきなり。・・・・そりゃできるけど、そのあと倒れるぜ。」

　「よし、じゃ、テレポートしてそのあと倒れていろ。ランは発進準備をして待機していろ。」

　人気のなかったはずなのに、数人の男が三人を取り巻いていた。

　「チェイスはどうするのさ？」

　「そうだ。こいつらの標的は俺なんだぜ・・・・あんたに迷惑を・・・・」

　「・・・・心配するな。こいつらとちょっとあそんだらすぐ行く。」

　余裕たっぷりの笑顔だ。

　「わかった。」

　シルとランの姿がふっと消えた。男たちの間に動揺がはしる。

　「ん？あんたら、シルがテレポーターだってことを知らないのか？ということはシルがターゲットじゃねえってことだ。・・・・何が目的なのかな、ん〜、この素敵なお兄さんが聞いてやるから話してみないか？」

　男たちはチェイスに躍り掛かった。と、チェイスの姿も掻き消えた。

　「どこに行った？」

　次の瞬間、男たちは灰色の薄い膜のようなものにあしもとをすくわれ、その膜で包まれてしまった。もちろんチェイスが不定形に戻った姿である。そのままチェイスはにやりと笑い（どこでどうやって笑ったのかは不明）膜の内部でばりばりと電撃をおみまいした。男たちの悲鳴は外にはもれず、ぴらっとチェイスが膜をほどくとマヒした男たちがごろごろと転がった。すぐにヒトの姿に戻って懐をさぐったが身元を示すようなものは何一つなかった。ただ、男が持っていた銃は少し変わった形をしていた。と、チェイスの中で危険信号が響きわたった。

　（駄目よ！その人たちはランの敵！わたしとナンシーをランから引き離したのはその人たちよ！）

　「くっ！」

　チェイスは全速で宙港へと駆けた。

　シルはリトルナンシー内で仰向けに引っ繰り返っていた。それをいたわるようにロコがぴったりと傍についており、ランはチェイスの言い付け通りに離陸の準備をしていた。と、エンジン部の方からチェイスが入ってきた。

　「お、おっさん・・・・どこから入ってきた？」

　「隙間から、な。ラン、ちょっとヤバイ。離陸許可、おりたか？」

　「いや、まだだけど。」

　「くそっ・・・・しゃーない。作戦Ｋいくぞ。」

　「うえっ、あれを？・・・・いいよ、わかった、やるよ！」

　エンジン全開、垂直上昇する。管制塔から怒ったようなオペレーターの声が響く。

　「ＬＮ５６８９、貴船にはまだ離陸許可がおりていません。今しばらくそこで待機をしなさい！」

　ランがスクリーンを見つめて身をすくめる。

　「ご、ごめんなさい。お姉さん、僕、途中で止める方法わかんないんです！」

　女性は目を見開いた。ランは年のわりに小柄で童顔だ。オペレーターも見事にひっかかってくれた。

　「坊や！そこに大人はいないの？」

　「と、父さんがいるけど、さっきまで起きてたけど二日酔いでぐうぐう寝てて・・・・兄さんもにたようなもので・・・・・・」

　「坊やは操縦したことないの！」

　「離着陸は全然！今は自動離陸モードってのに入ってるんですけど、どうしたらいいんです？」

　「あのね、そこに大きな黄色の操作板があるでしょう？その隣のみどりのランプが・・・・」

　「みどりのランプ？え？隣ってどっちの？あああ、どんどん昇っていっちゃいますよぉ！」

　「わかったわ、落ち着いて。そのままで大丈夫よ。あなたはその二日酔いのお父さんを起こしなさい。こっちで離陸の邪魔になりそうな船をどかしてあげるから！」

　「ありがとう、お姉さん！」

　スクリーンはブラックアウトした。ランが息をつく。

　「・・・・この作戦、疲れる・・・・」

　と、チェイスがパイロット席に滑り込んだ。

　「ラン。・・・・長距離ワープする。トレースされないようにばんばんいくからな。シルの野郎を椅子に固定してやれ、ロコもだ！」

　「そんなに怖い奴がシルを狙ってるの？」

　チェイスは目を瞑った。

　「・・・・シルじゃない。ラン。お前だ。」
・・・・というわけで「シルが洗われる話」です。何故かランは追われているようですが、ランには心当たりがなく、しかしチェイスは何やら感付いている様子。・・・・・
クマの縫いぐるみ型生物やアンドロイドは、実はいろいろなSFに出てきているのですが、今回私も出してみました。
　本文中には描写はありませんが、黄色に近い褐色で、首にはエンジ色のリボンが大きな蝶結びできゅっと結ばれています。・・・・・で、身長２メートルで体重65キロ。・・・・・ちょっと怖いかもしれませんが、シルにとってはこの形が一番落ち着くようです。

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