５　子供たち　

　１１日後、海岸沿いのカイエ社の工事現場には、さんさんと日が降り注いでいた。
　防護ヘルメットを被った技術者たちが、図面を見ながら大型輸送車両に戻ってくると、傍らで、帽子を目深にかぶった少年がエアバイクのそばにしゃがみこんでいた。

　「こら！なにをしている！」

　彼らが怒鳴ると、少年は立ち上がり、オイルで汚れた指先でエンジン部分を指差した。

　「おじさん達。このバイク、かなりエンジン不調だったでしょ。直しておいたよ。」

　一人が、不審げにバイクに跨がり、エンジンをかけた。なるほど、朝には不快な音が混ざっていたのが、今はきれいに消えていた。

　「やあ。ありがとう。坊や。」

　そう言って、再び仕事を続けようとする男達の行く手を遮り、少年は手のひらを突き出した。

　「ところでさあ。部品を一つ抜いてあるんだよね。・・・・・修理代を弾んでくれりゃあつけ直しておくけど。どう？」

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「今日一日で幾ら稼いだんだね。ジョー。」

　海岸を歩きながらロマノフに尋ねられて、ジョーはにやりと笑った。

　「ほんの小遣い銭程度よ。カイエのとこの奴って、お人好しが多くてやり易いわ。」

　「・・・・全く。“ちゃっかりした息子さんをお持ちですね”と嫌味を言われたよ。」

　作業は大方終わり、浜からは大きな夕日が沈んでいくのが見えた。マリオが、二人に追い付いてきて話し掛けた。

　「いい気なもんだな。二人でお散歩か？俺は丸三日、不可能に近い、とんでもない爆破作業にかかりっきりだったってぇのに。」

　そうは言ったものの、マリオは、今回の仕事に、深い充足感を感じていた。挑戦する対象が、手強ければ手強いほど、燃えてくる性格なのだ。それを、十二分に承知しているジョーは、夕日に目を細めながら言った。

　「まさに、とんでもない作業だったわね。ここへ来た当初は、カイエがなんであんな爆破をするのか判らなかった。この海岸地帯全体を削ってしまうほうが効率的だからね。・・・・でも・・・・・綺麗じゃない？・・・・・あたし、カイエに心酔するものの気持ちが一寸は理解できてきたわ。自分が心酔しようとは思わないけど。」

　マリオすら、ジョーの言葉は尤もだと感じた。もし、ここにカイユンが居たなら、涙を一粒こぼしただろう。それ程に、風景は美しかった。
　風景を故意に壊すということは人間にだけ出来ることだ。だが、守るということも人間にだけしか出来ない。ナトアは、前者。カイエは、後者。
　後者は、感傷的で甘く、非現実的であるが、理性でなく、感情で考えているかぎりは、ひどく魅力的なのだ。

　カイエ社の技術者のうち、常駐ではないものの車が帰りはじめた。その流れをつっきって、ソーンダイクが走って来た。

　「・・・・パトリックはここにも居ないのですか？」

　ジョーは、眉根にしわを寄せた。

　「パットは、そこらで遊んでいたはずだわ。・・・・・そういえば見ないわね。誰か、知らない？」

　ロマノフも、マリオも知らなかった。
　ジョー自身がパットを最後に見たのは約一時間前・・・・・彼女の胸に、不安が突き上げてきた。この所、妙に明るかったパトリック。あの明るさにはなんらかの原因があったはずだ。彼女は、全力疾走でアケルナルに飛び込み、パトリックの部屋と武器庫を調べた。そして、すぐにクルーを召集した。

　「・・・・まずいことになったわ。・・・・・あの子、カイユンに会いに行ったらしい。」

　マリオは、“しょうがねぇな。”というように、作業用手袋をソファーの上に投げ捨てた。

　「あんなチビなら、保護してもらえるだろう。カイエのところから下げ渡してもらってくれば万事解決だ。」

　ジョーは、叫んだ。

　「あんた、ちっとも判ってないわ！・・・・・パトリックは、レーザーガンと、手榴弾を持ち出してる。普通の子供だったらともかく、あの子は、アレックスのクローンだってこと、忘れてもらっちゃ困るわ。マリオ、あんた、撃ち合いで、パトリックと五分に渡り合える自信がある？」

　マリオは、首を横に振った。

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　技術者たちの会話を横合いから聞いていたパトリックは、ありったけの情報を動員し、自分をカイユンの元に運んでいってくれる車を選び、荷台へ忍び込んだ。動きだす前、点検に人が来たが、荷物の隅にあった、小さな空き箱の中に隠れた小さなパトリックは、誰にも気が付かれなかった。
　エンジン音がして、快い振動が伝わってきたとき、パトリックの心臓は嬉しさで飛び出しそうだった。

　“これで、カイユンに会えるんだ！そうして、二人で一緒に帰ってくるんだ！”

　何も知らないドライバーは、カイエの研究所のゲートを通過し、建物の前で車を止め、荷をおろそうと後ろに回った。すると、可愛いらしい少年が、ほほ笑みながら立っていた。

　「坊や。どうやって入った。ここは関係者の他は立入禁止だぞ。さあ。出ていきなさい。」

　少年は、ピカピカ光る銃を構えた。

　「おじさん。僕はここに用があるの。案内してくれる？」

　男は、少し恐い顔をして、パトリックを退かせようとした。

　「早く出ていかないと、お母さんに言い付けるぞ。おもちゃの銃で脅されたって恐くも何ともない。」

　パトリックは、ほほ笑みを浮かべたまま、トリガーを引いた。男の髪の一部が焼かれた。

　「おじさん。案内して。僕、カイユンに会いたいの。会わせてくれれば何もしないよ。」

　「カ、カイユンなんて奴は知らない！やめなさい！」

　男は、顔色を変え、ポケットベルに付属している非常ボタンを押そうと、ズボンのポケットに手をのばした。パトリックは、すかさず男の指先すれすれに撃った。

　「知らなかったら調べて。すぐ判ると思うよ。さあ。おじさん。お願い。」

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　建物全体に非常警報が響きわたり、カイユンたちは避難しようとしたが、その暇もなく、ドーンという爆発音が耳をつんざいた。床にしゃがみ込み、震える研究員の中で、こういった過激な出来事に慣れているカイユンだけは、状況を把握しようと、反射的に廊下へと出た。
　廊下は静かだった。破損していないし、爆破にはつきものの粉塵も見られなかった。隣のセクションで起こったのだろうか。一度研究室に戻り、緊急用の銃を取り、彼は再び廊下へと駆け出した。角を曲がると、遠くに粉塵が舞っているのが見えた。レーザーガンの焼け跡がついている壁があり、天井が崩れている箇所もある。
　その、粉塵の埃の中を、リズミカルな足音が近付いてきた。足音の主は、カイユンの姿を認めると全速力でかけより、子犬のようにカイユンの胸に飛び付いた。

　「カイユン！」

　カイユンは、驚き、そして一瞬口元をほころばせたようだったが、パトリックを床におろすと自分もしゃがみ、廊下の惨状を指差した。

　「・・・・なんていうことをしたんだ！銃を使い、爆薬を使い・・・・・僕はこんなことをしてもいいといったことは一度だってないぞ。」

　パトリックは下を向いてモジモジしていたが、ぽろぽろっと涙をこぼすと、再びカイユンに抱きついてきた。　

　「僕、カイユンに会いたかったんだ。どうしても会いたかったんだもの!!」

　抱き付かれたカイユンの方は、あくまで冷静だった。

　「ジョーたちに断ってきたのかい。」

　パトリックはいやいやをするように首を振った。

　「カイユン！カイユン！帰ろうよ。一緒に帰ろうよ！寂しいんだもの。毎日、毎日、寂しいんだもの。皆も寂しがってるよ。」

　「・・・・僕は帰らないんだよ。ここでしかできない仕事があるんだ。聞き分けの無いことを言うものじゃない。キャプテンも、ロマノフさんも、ソーンダイクさんも、マリオも、皆がパットのことを大好きなんだ。何の不足があるというんだい。」

　パトリックは泣きじゃくりながら叫んだ。

　「カイユンが居ないんだもの！僕、居ないのいやだよ・・・・・カイユン、僕のこと嫌いなの？僕と一緒に居るのがいやなの？帰ろうよ！僕が駆動理論をわかるようになったら帰ってくれる？だったら僕、一生懸命やるから！」

　カイユンは心に痛みを感じたが、懇願するパトリックをぐいと突き飛ばした。

　「帰りなさい！」

　パトリックはわんわん泣きながらカイユンの様子をうかがった。もしかして・・・・・もしかして、以前のように優しく抱き上げてくれないかしら。頭を撫でてくれないかしら。いま言われたことは嘘で、謝ってくれないかしら・・・・・

アケルナルに来たばかりのパトリックは、兵士としての教育をされてきただけあって、普通の子供とかなり違っていた。
「生きているものは殺しちゃいけないんだよ。それが小さな虫でも。」
「いつもピリピリしていなくていいんだよ。ここは安全なんだから。」
「銃は持たなくていいんだよ。僕たちが護ってあげるから。」
そういう言葉の意味すらわからなくてパットはよく反抗した。小さな手足を強張らせて叫んだり、銃を取り上げたカイユンに返して欲しくてつかみかかったり蹴飛ばしてみたりした。どうしていいかわからなくて最後は泣いてしまうのだったが、そういうときにカイユンは優しく抱き上げてくれた。抱き上げて泣き止むまで背中をさすってくれた。
大丈夫、大丈夫、パットはもうここの子なんだから。
今まで何があったって、ここで初めからやり直せばいいんだよ、と言いながら。

　そうやってくれる人々が・・・・・特にカイユンがいたからこそ、あまり短くはない時間を経て、パトリックは手の中に銃がなくとも安心していられるようになったのだった。

　あのときのように、抱き上げて欲しい・・・・・・

そんなパトリックの期待を裏切り、カイユンは、パトリックの体を、もう一度やや乱暴に出口の方に押し出した。
　パトリックは、二・三秒の間、身じろぎせずにつっ立っていたが、やおら、意味のない叫びを上げ、狂ったように銃を天井に向けて乱射し、カイユンの視界から逃げていった。

　カイユンは、パトリックを追ったが、捕まえられなかった。
　ジョーが、カイエから連絡を受け、事の次第を知ったのは、さらに四十分ののち、彼女がパトリックが居ないことに気付いた直後であった。

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　パトリックの行方は、翌日も、その次の日も判らなかった。ソーンダイクをアケルナルに残し、あとの三人は街に散った。街のどこかに居るかぎり、見つかるはずだ。・・・・・未開発の密林に迷い込んでいないことを、ジョーは祈っていた。


　その頃、パトリックは、街から少し離れた、廃屋の中にいた。初期の移民が倉庫として使っていた、かなり大きな建物だが、あちこちが壊れ、人が住んでいるとは一寸見ただけでは判らない。しかし、裏手にある井戸は枯れてはいなかったし、横手には狭いが畑のようなものもある。中は、整頓され、風や、雨の浸入を防ぐ工夫があちこちにあった。
　倉庫の中は、合板や、積み重ねたボール箱で幾つかの部屋に区切られていたが、一番広い土間のようなところの中央に、パトリックは足を投げ出してぺたんと座り込んでいた。
　顔色は青白く、華奢な手は泥で汚れていた。頬には、涙の跡がついていたが、今は涙も渇れ果て、目を大きく見開いたまま、時折発作的に“ぐぐぐ”というように呻くだけだった。
　彼は、一人ではなかった。この倉庫の住人である十五、六人の少年少女たちが息を殺して取り巻いていた。少年の一人に連れてこられたパトリックがいきなり銃を抜いたため、彼らは何の手出しも出来なかった。　そして、パトリックは依然として銃を構えていた。　そのような状態が十分以上も続いただろうか。リーダー格と思しき十六才くらいのがっしりした体格の少年が、用心深くパトリックに近付き、さっと銃を取り上げた。安堵の息が、すべての子供達の口から漏れた。

　「・・・厄介なものを拾ってきたもんだなあ。ヨシア。」

　リーダーの少年は、取り上げたレーザーガンを、人差し指の先でくるくる回しながら言った。ヨシアと呼ばれた少年は、背中に赤ん坊を背負っており、火のついたように泣きだしたその子をあやしながら、震え声で言った。

　「だってぇ。ラスティ兄貴。こいつったらさ、危ない大人たちが一杯居るところで、馬鹿みたいに立ち尽くしてんだもの。ほっといちゃいられなかったんだよ。」

　ラスティは、ねめつけながら、パトリックのまわりを値踏みするように一周した。

　「仕方ねえな。拾ってきちまったからにゃあ、追い出すわけにもいかねえだろ。・・・・・意外に使い道があるかも知れねえ。」

　そうだ、そうだというようにヨシアが頷いた。

　「・・・・まあ、見ろよ。こいつの顔。どう見たって金持ちのお坊っちゃまだ。掃き溜めのなかに鶴だぜ。・・・・・よし、やれるやれる。おい、マージ。こいつに何か食わせてやれ。食い終わったら、シャワー浴びさせろ。

　赤毛の少女が、パトリックの前に、いく枚かのパンと、チーズの皿を差し出した。

　「食べなさいよ。お腹減ってんでしょ？」

　促されても、パトリックは動かなかった。

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「こんなときに居なくなるとは、全くしょうがねえ餓鬼だぜ。」

　街から帰ってくるなり、マリオは体をオペレーター席に沈め、だるそうにジョーに言った。

　「街が沸き返って、チビを探すどこじゃねえ。」

　「ああ。全星集会と統一選挙が迫ってるからよね。・・・・・今度の集会を制したものがこの星の初代首相となる。宇宙連邦へも加盟する手筈が進められているらしいし、大騒ぎするのが当然だわ。」

　マリオに返事をしながら、ジョーは、街のマップの上に“調査済”の印を付けていた。その印は、もうすぐ、マップ全体を埋め尽くそうとしていた。
　集会は、二ヵ月後だった。植民者の中には、お祭り気分と、緊張感が、共に高まっていた。実質的に、カイエとナトア両派の一騎打ちである。表では宣伝活動、裏では抗争が激化しつつあった。小ぜりあいの勝敗は、ナトア側の大勝だったが、弱者はほとんどがカイエを支援していた。そして、多数決の原理を適用するかぎり、ややカイエ有利とジョーは見ていた。　しかし、カイエには、マイナスとなる要素がごろごろしている。
　第一に、老カイエの健康状態のことがある。カイエは、いつ逝去してもおかしくはない病人だ。そして、もし、老カイエが死んでしまったとしたら、適当な後継者が居ない。息子のウィリアム　カイエが十年前に事故死した現在、血縁者は孫のアーサーしかいないが、アーサーはまだほんの十五だ。側近が何人か居るが、一人ずつでは力量に欠ける。複数の側近による、共同政権ということになるのだろうが、それで落ち着くとは思えない。
　第二に、開発計画そのものに問題がある。
　カイエは、徹底して、自然と人間の共存をうたっているが、それによって、手に入るパンは、最低限の生活を保証するものでしかなく、決して効率がよいプランではない。一攫千金を夢見る開拓者とは相容れないやり方だ。
　ただし、多くの場合、幾ら名うての荒くれ男でも、カイエの人となりを見て、心惹かれぬ者は不思議にも居なかった。何か、魔法のように人の心を掴む術をカイエは心得ているようだった。
　ジョー自身、どちら側かににつくか選べといわれたならば、迷うだろう。他者をないがしろにするいやな症候がなければ、ナトアに一票を投ずるかもしれない。カイエに賛同し、甘い理想を追い掛けるのもいいだろう。
　まあ、政治抗争に巻き込まれるつもりはない。従って、どちらに味方する気もなかった。カイユンがカイエのところに居るという要素を入れてもだ。
　他のクルーも同じこと。諸手を挙げて、カイエ側についたのはクルーの中でカイユン一人だ。・・・・・いや、カイユンはもうクルーではない。カイユンのことは考えるまい。パトリックを発見するのが先決だ。　ロマノフも、何の手がかりも無く帰ってきた。但し、気になる情報を拾ってきていた。銃の使い手を、法外な報酬を付けて、探しているものが居るというのだ。・・・・・もちろん、裏の情報だ。

　「・・・・キナ臭くなってきたわね。・・・・・早いとこ、パットを見付けなきゃ。」

　ソーンダイクのいれた薄い紅茶を一気に飲み干し、ジョーはコンソールパネルの傍らに頬杖をついて考えこんだ。

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　パトリックは、ちょっとしたきっかけで見つかった。カイユンなら、“僕の母さんが言ってました。『たくさんの人と知り合っておくものよ。』って。”と、得意げに話していたかもしれない。
　ジョーは、“クリームソーダの店”にふらりと立ち寄った。たいした期待もなかったが、主人から情報を仕入れようと思ったのだ。すると、セリナと、一人の少年が、店の隅で押問答をしているのが目に入った。セリナは、声を押し殺し、少年を諌めているようだった。

　「これが黙っていられるかよ！少しくらいかっぱらったていいじゃあないか。セリナも薄情になったもんだぜ。堅気の暮らしに片足突っ込むとこうも変わっちまうもんかよ！」

　主人に聞こえないように、少年もほとんど息声だ。しかし、唇を読むことなど、ジョーにとってはたやすい事で、二人の会話が手に取るように判った。

　「客が残した残飯は自由に持って帰ってるし、ヨシアの妹のミルクは、ここの主人に頼み込んで、貰ってやってるじゃないのョ！ここからくすねることは出来ないわよ。儲けなんか、雀の涙くらいしかないんだから。」

　少年は、低い身長をカバーするかのように、延び上がって歯を剥き出した。

　「兄貴に言い付けてやる。セリナの奴は、もう仲間じゃねえってな。」

　「言い付けてご覧よ。この恩知らず。餓死寸前のあんたを、ラスティのとこに連れていってやったの、あたしじゃん。」

　ジョーは、くすっと笑った。仕事のことを教えてもらった師匠、レオと一緒に暮らしていた頃は、いつもこんな悪ガキ達が、身近にいた。懐かしい眺めだ。しかし、掴み合いになっては懐かしがっているどころではない。後ろから、少年の腕をねじ上げた。

　「久しぶりね。セリナ。」

　ジョーの実力を知る、セリナはすぐにおとなしくなったが、少年の方は、悪態をつきながら暴れまわった。

　「元気な坊やね。いったいどうしたっての。」

　セリナは、少年を小突いた。

　「・・・・こいつは、あたし達の仲間の一人で、ロッコって言うの。ううん。あたしのようなスリじゃなくて、かっぱらいのほう。・・・・何でもさ、仲間が増えたから、店の食料横流ししろっての。冗談じゃないわ。」

　ジョーは、ロッコに言った。

　「裏っかわの方法で、何か手に入れようとするなら、あくまで自分の力でやることよ。どっちにせよ、あたしなら、この店からは盗ろうとはしないだろうけどね。・・・・・新しい仲間って・・・・・そんな、大食漢が来たわけ？」

　ロッコは、ふてくされていたが、ジョーが再び腕に力を入れると早口でまくしたてた。

　「おいらたちはいつだって腹ぺこさ！新入りはまだちっちゃい奴で、どっかのお坊っちゃんみたいな子だよ。全然口きかねえから、名前なんかはわからねえよォ！手え、放せよォ！」

　当然のことながら、ジョーはロッコに、ねぐらに連れていくように命じた。

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　ラスティは、パトリックを前に、ほくそ笑んでいた。此れ程うまくいくとは思ってもみなかった。
　パトリックを、街の中心部に連れていく。そこで、じっと立っているように命令する。普通の浮浪児なら、開拓者たちは相手にしない。しかし、気品のある顔立ちのパトリックの外見は、心ある（金もある場合が多い）人々を引き付けた。パトリックを助けるまで行かなくとも“どうしたんだろう、この子は”くらいは思う。そして、パトリックの顔を覗き込む。
　一瞬の隙。それを狙って、財布を抜く。そうして手に入れた財布は、一日で、通常の三日分くらいの稼ぎになった。

　「これからも頼むぜ。王子様。」

　声を掛けられても、パトリックは生気無く座っており、人形のようだった。
　そこへロッコが転がり込んできて、ラスティに何やら耳打ちした。
　ラスティは、眉をそびやかし、旧式のショックガンを構えた。

　「王子様・・・・・お前の保護者ってのが、連れ戻しに来たそうだ。・・・・・心配するな。・・・・・折角の金蔓を手放せるかってんだよ。」

　ロッコは、手足をバタつかせ、手向かいしないほうがいいと跳ね回った。
　立て付けの悪いドアから、まずはセリナ、続いてジョーが入ってきた。ラスティは、パトリックの前に立ちはだかり、ジョーに狙いを定めて銃を構えた。

　「帰んな。どんな了見か知らねえが、こいつは口も利けないほどの傷を負ってんだぜ。あんたこの子に何したんだ？行けよ。さっさと帰れよ。撃たれたくなかったらな。」

　部屋の中にいた少年少女は、手に手に角材や金属パイプをもって構えた。

　「止めな。あたし、あんたたちに怪我させたくないし、そんな構えじゃ、あたしの耳しか撃てないわよ。」

　ラスティは、ジョーの顔を真剣に見つめた。

　「あんた。もしかして女か？」

　ジョーは、帽子をとって素直に肯定した。

　「この子の母親か？」

　「違うけどね。・・・・・」

　ラスティは、セリナに視線を移した。セリナは、ジョーの傍らで、彼女の腕をとって、自信たっぷりにラスティが撃ちはしないと確信しているかのように微動だにしなかった。ラスティは、仲間達に武器をおろさせた。

　「・・・・・俺たちは、親に捨てられたか、親のところから逃げだしてきたかどっちかだ。俺は両親の顔を知らねえ。ヨシアは、逃げて来た。薬中の母親のところからな。・・・・・大人たちは、口じゃ何とでも言うが、助けちゃくれない。俺たちの姿を見ただけで見ないふりして避けて通るか、さもなけりゃ利用しようとする。結局は、同じ者同士が集まって多少やばいことやって暮らしていくしかないんだ。
・・・・・だがな。王子様。大人って奴は嫌なもんだが、お前を愛してくれている大人が居るなら、お前は帰れ。帰れるものなら、・・・・・小さい奴は皆帰りたいんだぜ。・・・・・さあ。帰りな。」

　ラスティは、パトリックをぎこちなく抱き上げ、ジョーの前に立たせた。

　「大切にしてやんなよ。」

　ジョーは、ラスティに礼を言い、パトリックの手を引いたが、パトリックは無表情のままだった。
　外で待っていたロマノフとマリオがやってきて、ロマノフがパトリックを抱き上げた。
　ラスティは、去っていく三人の大人の後ろ姿を、多少不思議に思いながら、静かに見送った。

　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　アケルナルに戻っても、パトリックは一言もしゃべろうとはしなかった。反抗しているのではない。まるで、すべての音声を忘れてしまったかのように、笑いも、泣きもしない。呼ばれればやってきて、やれといわれたことには従う。しかし、それ以外のときは、部屋に閉じ篭もり、カイユンとよく読んでいた絵本を開いてぼーっとしている。
　はじめは優しい言葉を掛けて、機嫌をとっていたマリオは早々と匙を投げジョーたちに全権を委ねた。パトリックは、ラスティのところに居たときも大して食べていないはずなのに食物に一切手を付けなくなり、目ばかりがらんらんと光って来た。ジョーは止むを得ず、パトリックの痩せ細った腕に針を差し、栄養剤を点滴した。
　どんなに以前は興味をひいたことも、パトリックに何か言わせることは出来なかった。
　但し、寝ているときだけは、じっとり汗をかきながら、苦しそうに叫ぶのだった。

　「嫌だよ！行っちゃ嫌だよ！帰ってきてよ！」

　それが余計に大人たちの心を重くした。
　五日経ってもパトリックの状態は良くならず、むしろ悪くなっているようだった。ジョーは、やや疲れた表情の各人の前に、濃すぎるコーヒーを置いた。

　「パットのこと気に病むなとはいわないけど、こっちまで滅入っちゃ駄目よ。」

　マリオが、うんざりしていった。

　「あんたは元気だなあ。・・・・・前にも言った気がするが、あんたがカイユンを引きずって連れてくりゃあこんなことにはならなかったんだぜ。俺はな。ガキの世話焼く性格じゃあねえんだ。」

　「仕方ないわよ。カイユンには、カイユンの生き方ってもんがある。パットにだって受け止めさせなきゃいけないことなんだ。」

　カップを両手で押さえ、ソーンダイクはサングラスを外し、湯気のなかに顔を沈めた。

　「・・・・それは、大人の理論です。受け止める前に、あの子が壊れてしまわないという保証はありません。」

　ジョーも、それをよく承知していた。
　子供部屋から、ロマノフが戻ってきた。持っているトレイには、全く手が付けられていない食事が乗っていた。ロマノフは、肩をすくめ、片付けるためにキッチンへ向かった。ジョーは、彼を追い、腕をとらえると彼女の部屋にロマノフを連れ込んだ。ロマノフは、勧められた椅子に座り、扉を閉めるジョーの姿を戸惑ったように眺めていた。
　それは、いつもの自信に満ちあふれたジョーの姿ではなかった。少女のような、どこか頼りなげな表情で、動きもぎこちなかった。彼は、娘のアニタを思い出した。
　ジョーは、立ったまま視線を床に落とし、話しだした。

　「・・・・ロマノフ。・・・・あたし達のなかで、子供のことを一番よく判るのはあなただと思うの。あたし達は、普通の家庭で育っていないし、子供を持ったこともない。・・・・・あたしは・・・・・宇宙船のことくらいしか判らない女よ。あなたは違う。あなたは家庭を持っていたわ。・・・・・教えて。あたしはどうしたらいいの。・・・・・」

　ロマノフは、幽かに笑い、ジョーの肩を優しく抱いた。

　「私の娘のアニタは、泣き虫だったよ。私は、どうにかして泣きやませようとしたものだが、アニタは逆に大声を張り上げてわんわん泣いた。叱ったり、なだめたり、突き放したり、甘やかしたり・・・・・何をしても駄目なときは駄目だった。だが、妻は・・・・ナターシャは、私が十分掛けても駄目だったことを一分でやってのけた。・・・・・今、パトリックに必要なのは、ナターシャがアニタにしてやったことと同じことだろう・・・・・」

　「ナターシャさんは、何をやったの？」

　ジョーは、いつしか顔を上げていた。

　「魔法だよ。」

　「魔法？」

　「魔法としか形容のしようがない。私には真似が出来ないことだ。・・・・・いや。マリオにも、ソーンダイクにも・・・・・カイユンにさえ出来ないことだ。・・・・・君になら出来る。ジョー、君は、君自身がどう思っているか別として、女の子だ。ナターシャと同じ魔法が使えるはずだよ。言っている意味はわかるね・・・・・・・私に尋ねる前から何をすればいいかはわかっていたのじゃないかね？」

　彼女は、ロマノフの暖かな眼差しを受け止め、不安げに問い返した。

　「あたしに出来ると思う？」

　「成功するかは別としてね。」

　「・・・・・それ、過大評価じゃないのかしら。」

　「カイユンがいない今、それがいちばんできそうなのは君だ。やってごらん・・・・・」

　ジョーは、髪を撫でつけ、一寸片目をつぶり、身を翻すと子供部屋に入っていった。

　それからの何時間かの間に、何があったのか、男たちは知らなかった。
　彼らが知るのは、断片的な事柄だけである。パトリックの暴れる音、しばらくして起こった泣き声、そして水を打ったような静けさ。
　自分の腕のなかで叫び疲れ泣き疲れて眠っているパトリックの寝顔を見ながら、ジョーは自室に移った。ベッドにパトリックを横たえ、彼女はパトリックにひっかかれた傷に薬を塗り、縞のパジャマを引っ張りだして身につけた。
　物音にパトリックは目を覚ました。目にはまだ、暗いものが残っていた。ジョーは再びパトリックを抱き上げた。

　「大丈夫よ。ほら、一人ぼっちじゃないわ。・・・私がここに居てあげる。パトリック。安心して寝なさい。心配しないで。ね？」

　彼女は、パトリックのパールイエローの髪を梳き、キスした。パトリックは、恥ずかしそうにジョーの暖かな胸に顔をうずめ、再び眠りに落ちていった。

　“全く世話の焼ける子よ。あたしにこんなことやらせるなんて。”

　そう思いながらも、彼女はベッドの中でパトリックの頬をそっと撫でてやっていた。

　“パットはクローン。アレックスのクローン。父親も母親もいない。でも、誰かが代わりをやらなくちゃ駄目なのね・・・・・あなたはまだほんの子供なんですもの。甘えなさい。あたしがリジー母さんに甘えたように・・・”


　次の日の朝、ジョーの言葉からは、前夜の振る舞いは全く感じられなかった。彼女はこう言ったのである。

　「・・・・アレックスと寝てるみたいで、安眠できなかった。・・・・もう二度とやんない。」

　　照れ隠しだと判っているロマノフも、苦笑を禁じえなかった。

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