2 カイエとナトア
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| 「そして、蛋白質はこの夕食までで、一日の栄養所要量の１．０５倍・・・・」 ソーンダイクの作った食事を前にし、マリオは鼻を鳴らした。カロリーもビタミンもばっちり揃った完全栄養食であるが、その味は忘れたくとも忘れられぬ代物だった。デジタル人間が、数字だけをみて作るととんでもない食事が出来上がるという見本がテーブルの上にあった。 カイユンが消えて五日、まだ何の連絡もない。 「・・・・・やはり、パック食品にするぜ。俺は・・・・・」 壁に貼られている、カイユン手縫いの”カーテン”をぼんやり眺めていたマリオは席を立とうとしたが、ロマノフとジョーに睨み付けられ、舌打ちして、酒瓶を取ってくるにとどまった。パトリックは首をかしげかしげ、巨大な玉葱や人参のぶつ切りをスプーンで突いており、舌はともかくとして手は楽しんでいるようであった。ジョーは静かにスープを口へ運んでいる。彼女は自分が作ったとしても、似たような結果になるであろうことを承知していた。ルノーの家にいた少女の頃、菓子なら頻繁に作ったが、菓子では食事にはならない。 正直を言うと、全員が、カイユンの濃い、暖かいクリームシチューの味を懐かしく思い起していたのである。 「おい、明日あたり捜しに行ってみないか。仕事が一段落ついて暇になるだろ？・・・・・全く、どこをほっつき歩いていやがるんだ！女としけこんでんじゃあねえだろうな。」 ジョーがスープを吹く。 「あほっ！カイユンがあんたみたいな事できるわけないでしょ！あんた、第一そういう情景想像できるっての？」 「・・・・・・無理だな。」 「・・・・海で、イルカみたいな動物と出会って遊んでいるうちにどうにかなっちゃったんじゃない？あの子、綺麗な海だ、綺麗な海だって舞い上がってたから。・・・・・あのバカ。」 ジョーの指は、いつのまにか神経質にテーブルをコツコツと叩いていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 翌日、ジョーたちは、シエラの街の近くの宙港にアケルナルを移し、カイユンの行方を捜すべく四方に散った。ロマノフとマリオは”ウラ”方面で聞き込みを行なった。数人と喧嘩をしたのだ。その方面にあたるのは有効かもしれない。ソーンダイクはアケルナルに残り連絡係、ジョーは、パトリックを連れ、当日のルートを辿っていた。 「その後にね。クリームソーダを飲みに行ったんだ。時間は、2:45・・・・・」 さすが、アレックスのクローン。パトリックの記憶は正確無比だった。 店の前までエアバイクを転がしてきたとき、向かいにある、小ぢんまりしたビルの中から、痩せた男が一人転がり出てきた。続いて、がっしりした体格の大柄な男達の一団。痩せ男の方は丸腰だが、後者は上着の脹らみ方からして銃を持っているとジョーは見た。ビルの入り口付近では、痩せ男と同じような事務服を着た男女が身を寄せ合って震えている。たちまち、辺りに人垣ができた。開拓者たちは、えてしてこの類の刺激が大好きなのである。 痩せ男は、血の出ている唇を拭い、立ち上がった。 「乱暴は止めたまえ。主張することがあるのならそれはそれで良い。ただし、合法的に主張したまえ。だが、言っておく。あなたたちのように、力任せに開発をしていくとあとで手酷く自然からの逆襲を受けるぞ。開拓者の利益を奪うような真似は止めるんだ。」 言うことははっきりしているが、どことなく学生の街頭演説の様な響きがあった。 「そうだろうか。」 一人が言い返した。 「開拓者の自由な開発を制限し、利益を奪っているのはあなたがたの方ではないかな？ここは新天地、束縛のない星のはず・・・・血が頭に昇っているようですね。冷静になれませんか。私どもも平和に解決をしたいのですが、振りかかる火の粉は避けていかねばなりません。」 ビルの中から、五、六人が痩せ男の応援に走り出てきた。それに勢いを得、痩せ男は高らかに声をあげた。 「それ以上空々しいことを言うな！お前たちのせいで堅気の人々が何人泣いてきたと思う！」 痩せ男達は飛びかかって行った。しかし、相手は屈強な男たち、簡単に殴り倒された。ジョーは人垣に混じって黙って見ていたが、殴られている男達の顔が紫色に腫れあがっているのを認めると、後ろに下がった。彼女は今までに何度も喧嘩を見てきた。ああまで殴られると死ぬことがあるのを知っていたのだ。 ジョーは、エア・バイクのヘルメットに長い髪を押し込み、風防を閉めると改めて割って入った。 人間は自分の予期せぬ事が起きると一気にリズムが狂う。この時もそうだった。男達は、細い、華奢な身体付きの男に何の驚異も感じなかった。 その細い小柄な男が、二人を左手一本でむずと掴んで投げ飛ばし、肩を脱臼させた途端、顔色をさっと変え、捨て台詞を残し去って行った。 倒れたきり動かない顔を腫らした男を抱き起こし、生きていることを確かめると、バイクに乗り、彼女は消えた。しばらくして通りかかった、薄茶のスペースジャケットを着た、髪の長い女性に注意を払うものは誰一人無かった。 ジョーは、ビルを注意深く眺めた。 美しい、この辺りでは珍しい、洗練された、近代的なビル。クリア・ウォーターの陽光を受け、キラキラとガラスが輝いていた。 遅かったじゃないか、心細かったよ、というように、パトリックがジョーのズボンの裾を引き、顔を見つめた。彼女は、額に軽くキスしてやると、手を引いて、“クリームソーダの店”のドアを開けた。ジョーが、パトリックを抱きあげ止まり木に掛けさせ、自分も座ると、大きな花模様のエプロンを掛けた少女が注文を取りににきた。 店内を見ると、パトリックの言った通り、あちこちに弾痕があった。それがさほど目に付かないのは、壁掛でうまく隠しているからだろう。 「あたしはブレンド。この子にはクリームソーダ。」 「えーと、ブレンドとクリームソーダですね？」 復唱する声を聞き、ジョーはビクンと肩を動かした。 「あなた・・・・・セリナって言ったけね。」 「はい？」 少女はぽかんと口を開け、ポンと手を打った。 「あの時の人か！違う格好してるからわからなかったわ。いやぁ。見違えちゃったぁ。普通の服着てると、とっても綺麗なお嬢様って感じだわぁ。」 「お世辞はいいわ。・・・・・それよりこの間の男について何か知っていない？」 「う・・・・・あのさ、結局財布、返せなかったの。ここで乱闘みたいなのが起こって、あのぼけた人出ていっちゃったから。ほらぁ、タイミングずれちゃったし、かなりの乱闘だったからあたしもぼけっとしてて、でも。あの人、とうとう財布が無くなっていること気付いていなかったみたいよ。それからサ、何となくここに居ついてんの。」 「知ってるの？知っていないの!?」 ぐっとジョーに引き寄せられ、セリナの足が宙に浮いた。パトリックが諌める。 「ジョー、カイユンが、喧嘩はいけないって言ってたよ。」 主人が大きな分厚い封筒を持って急いで飛んできた。 「まあまあ、落ち着いて。あなたがジョセフィーヌさんか。丁度良かった。・・・・・あの可愛い兄さんから手紙が来ているんだ。あの兄さんを連れていった男が昨日の夕方持って来たんだがね。」 ジョーは封筒を破き、ざっと目を通し、もう一度最初からよく読んだ。落胆の小さな影が一瞬顔に浮かんだ。 「マスター、これを持って来た男、どういう奴か判らない？」 「さぁねぇ。きちんとした、親切な人のように見えたが。壊れた店の修理代まで出してくれましたから。あの人が壊したわけでもないのに。・・・・・貴重な人に引き合わせてくれた店に感謝するとか言いましてね。・・・・セリナ。お前さんには見当が付くかい？」 「えー？わかんないけどォ・・・・・少なくともナトアの人間じゃあないと思います。」 「ナトア？聞いたことあるわ。」 主人は向かいのビルを指差した。 「そりゃ、そうだよ。あのビルの持ち主でカイエさんのライバル・・・・・って言うか敵さね。」 「・・・・カイエファミリー・・・・・初等学校の歴史の教科書にも出てくる、代々惑星開拓に手を染めてきた大物一族・・・・・だいぶトラブルがあるようだけど、どうなの。」 「困ったものだよ。・・・・・私はカイエさん支持者なんだ。あの人は惑星の特質を生かした開拓を目指している。昔々、千年、二千年前の話ならいざ知らず、今じゃあ急激に惑星の環境を変えることなど簡単だ。だが、急激な、計画性のない都市化、資源の乱掘は生態系を狂わせ、必ず何かしら具合の悪いことが起こる。しかし、カイエさんの今までに手懸けたアイラ、ファイグ、セキートをはじめとした惑星は皆見事に成功した。私は、カイエさんと同じく、この星の美しさに惹かれて来た口だからね。・・・・・今、この街が辛うじて無法地帯にならずに済んでいるのもあの人が全星協議会をまとめていてくれるからだ。ところが・・・・近ごろはナトアの力が大きくなって来てな・・・・・多くの開拓者にとっちゃあ自分自身の利益以外のことはどっちでもいいことだから、ナトアに付きたく成るのも判らないじゃないんだが。・・・・・カイエさんは年だし、しかも病気で集会に出ないというのも不安材料だなあ。」 主人は、”あんたはどっちの側に付く？”と尋ねるように、ジョーの顔を覗き込んだ。 「それはともかく、あたしの仲間は・・・・」 片付けの始まったビルを横目で見ながら、彼女はカウンターに肘をついた。 「・・・・・あの子は、カイエの方に護衛かなにかとして雇われたのかしらね。」 「それはないわよォ。」 セリナがブレンドとクリームソーダを置きにきて言った。 「確かに、あの人中々の腕だけど、あのくらいここらじゃ、そう珍しくはないよ。それに、カイエってこういう方法で護衛なんか選ぶはずないじゃない？ね。手紙、なんて書いてあったの。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 僕を雇ってくださった方から、僕のやるべきことを知らされました。まだ、僕の心のなかで割り切れていない部分はありますが、言われたことが本当のことだとすれば、どうしてもここに居なければいけないのです。詳しくは言えませんが、僕にしかできないことなのです。しかも、やりがいのあることです。 脅迫などは全くされていません。ここに居る人は礼儀正しく、僕に対して非常に良くしてくださいます。 本当は、アケルナルに帰ってお話しすべきことなのですけれど、ここの人達は、僕が外に出て戻ってこなくなることを心配しているのです。僕も、キャプテン達に会って決心が鈍ってしまうのが恐いので手紙を書きました。 もっともっと書きたいことがあるのですが、いくら書いても書き尽くせないと思いますので、これで失礼します。 今まで本当にありがとうございました。皆さんのこと、大好きです。忘れません。ロマノフさん、マリオさん、ソーンダイクさん、ジョセフィーヌさん、そしてパトリック。幸せになってください。僕のことは心配しないでください。捜さないでください。初めから居なかったのだと思ってください。 さようなら 金 開運 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「ふざけた文面だぜ。こりゃあ、騙されているに決まってる。・・・・そっちの紙っ束は何だ？」 アケルナルのリビングで、マリオはサラミソーセージを食い千切りながら言った。 「・・・・料理の作り方と、アケルナルに残してきたものの形見わけの方法ですって。」 「本気の様だね。カイユンは・・・・・」 ロマノフは、インスタントコーヒーのマグをジョーに渡した。彼女は両手でマグを包むように持った。 「・・・・・これまでだっていつもあの子は本気だったわ。・・・・・でも、このままにはしちゃおけない。あの子を乗せた奴に直に会ってみないことにはね。」 「・・・・カイユンなりの幸せを見付けたのかもしれませんよ。」 ソーンダイクは小声で言ったが、マリオに殴られ、その場に昏倒した。そのマリオはジョーに殴られた。 「ソーンダイクの言う通りかもしれない。ただ、あの子には、幸せって物が十分理解できているとは思えないのよね。・・・・・」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その日から“クリームソーダの店”（本当の店の名前は聞いたが忘れた。）に入り浸るジョーたちの姿があった。何分、カイユンを連れて行った男を見ているのはパトリック、セリナ、店の主人だけであり、その男は何回か店にきた事があるというのだから、ここで待つことが最善の策と思えたのだ。 「しっかししつこいね。お姉さんも。」 セリナは、サービスのパンケーキ皿をテーブルの上に置いて言った。 「あの若いの、ただのチームメイトなんでしょう？あたし、スリのやり方教えてくれた奴に“仲間でも面倒なことになったらさっさと見捨てろ”って習ったわよォ。」 セリナという少女は、明らかにジョー達に好奇心を抱いていた。関わって痛い思いをすることはなさそうだと判断したのだろう。なにより彼女は変わったことが大好きなのだ。 「他人のことに口出すんじゃないわ。ヒヨッ子のくせして・・・・・あんた、ずっとここに居るようだけど、スリの方はやめたの？」 セリナは遠慮無くジョーの隣の椅子に腰掛けてきた。十二歳の少女、まだ手足は細く、顔はあどけない。 「やめたわけじゃないけどサ、ここに居ると結構面白いんだ。いろんな客が来るでしょ？だから、休業中。ご飯食べるのに困らないしさ。店の親爺さん、気前いいんだよォ。スリよりずうっと実入りがあるんだからッ！」 その時、パトリックがジョーの手をつついた。一人の男が入ってきたところだ。サングラスをしている。セリナと主人が頷いてみせた。 男が主人にコーヒーを注文したのと、ジョーが男の右腕を後ろからねじあげたのが同時だった。 「待たせたじゃあない？随分と・・・・・」 右のこめかみには、マリオがショットガン、左のこめかみには、ロマノフがレイガンを押し付けた。正面からは濃茶のサングラスを店の照明で不気味に光らせたソーンダイクが迫る。 男はひどく取り乱した。 「あ、あ、あんたがたは何者だ!?・・・・・ナトアの手下か！」 「ナトアとは関係無いわ。・・・・・あんた、あの子・・・・・キム カイユンをどこへ連れていったの。話してもらうわよ。」 相手に、反抗する意志も力もないと見て取ると、銃はしまわれ、手は緩められた。男はぐにゃりと椅子に崩折れた。パトリックだけが、敵意をこめて男の片足に齧り付き続けていた。 男はサングラスを取った。顔は青ざめ恐怖で歪んでいたが、誠実そうな穏やかな瞳をしていた。 「キム カイユン？・・・・・そうしたら・・・・・君達は・・・・・まさか・・・・・・・・・君が、彼の言っていた“優しいジョセフィーヌさん”なのか!?」 ジョーは、男の首を左手でぐいと上に起こした。 「優しいかどうかは別として、あたしがジョセフィーヌよ。・・・・・・カイユンはどこなの？」 男はふうっと長く息をついた。そして、自分を見下ろしている四人の大人達と、自分の足を締め付けている少年に、疲れたような、それでいて優しい眼差しを注いだ。 「あなたがたは、やはり彼を待っていたのですね。・・・・・彼は元気がありません。私の雇い主はたいへん心配して、私にあなたがたを捜すように言い付けました。そして、まだ、彼を待っているようなら、お連れして彼に会わせるようにと・・・・・私は、会わせたくないのですがね・・・・・・・・・・一緒にいらしてください。その・・・・・この、抜けた腰がなおってから・・・・・」 カイユンは、彼なりに考えた末、男に付いていったのだった。 “この人は、僕の腕を買い被っているのかもしれない。騙そうとしているのかもしれない。けれども、何かしら大きな仕事にあり付ける確率はゼロじゃない。今、チームは事故を起こした宇宙船のワープ機関を修理する仕事にかかっている。あれは良い稼ぎになるだろう。たいしたドックもない場所でワープ機関を修理できる仕事人はキャプテンの他に居ないだろうから。・・・・でも、次の仕事は？・・・・・” 需要は多いが、細々とした仕事では、やっと食卓を維持していけるくらいにしか利益を得られないということを、台所を取り仕切るカイユンはよく承知していた。・・・・・もし、自分の手に余るような仕事を依頼されても、仲間と一緒なら出来ないこともない。 ・・・・・カイユンは、純粋に、ただただ仕事を取って他のメンバーに喜んでもらいたかったのだ。 ごく普通の型のエア・カーに乗せられ連れていかれたのは、白い大きな建物だった。何かの研究所らしかったが、自然な曲線を多用した外観のせいか、近寄りがたいという感じはしなかった。 サングラスの男から、すでに連絡が入っていたのか、白衣姿の男が四人、ゲートを入ってしばらく行ったところにある入り口で待ち構えていた。気のせいか、カイユンを見つめる目は、皆、どこか寂しげだった。 四人のうちの一人が、小さな銃を向けた。“あっ、パラライザーかな。”カイユンが思ったときには既に銃は発射されていた。 「悪く思わないでくれよ。」 誰かが言った。 自分の体が崩折れるという感覚。視野が狭くなり、ガクンと頭が落ちる。痛くはない。ただ、どうしてこんなことが起こったのか、判らない、その驚愕の感情が心のなかに広がる。 それも束の間。 後は、闇。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 覚醒は、嫌になるくらい、のろのろとやって来た。 不快感はない。まるで宙を飛んでいるようなふわふわした心地よさだ。カイユンが寝かされているのは羽布団の上で、空気は仄かにラヴェンダーの香りを含んでいる。 「目は醒めましたか。体に異常はありませんか。」 中肉中背、目の小さな白衣姿の男がカイユンの枕元に居た。 左腕に、異物感を感じて、カイユンは目をやった。肘の内側にテープが貼ってある。血液を取られたらしい。 「あなたの名は、キム カイユンですね。キムさん。色々と失礼をさせていただきました。あなたには、質問したいことが多々あると思いますが、まず、こちらの話を聞いていただきます。」 男は、穏やかだが、はっきりした声で、カイユンに依頼する仕事の内容を説明しだした。それは、はっきり言って、仕事と呼べるような性質のものではなかった。話の途中で、カイユンは何度も抗議したが、男は気にもせず、話を続けた。 「もちろん、我々はあなたにこのことを強制はしません。あなたには選択の自由が、完全に保証されます。しかし、手を貸していただけることを希望します。よく考えてください。これは、一人の人間の利益のためではありません。何万人もの人、そしてこの星そのもののより良い明日のためなのです。・・・・・あなたが人間でなかったならば、どんなに良かったことか・・・・・しかし、あなたは混血とはいえ人間だ。・・・・・今は、頭が混乱していますね。ここから逃げたいと思っていますね。・・・・・しばらく時間をおきます。何か入り用なものがあれば、机の上のパソコンで入力してください。たいがいのもなら用意させていただきます。二日後に、この部屋の扉を開けます。その時にイエスかノオか返答してください。」 男の姿はかき消えた。精巧なホログラムだったのだ。 カイユンは、暫らくの間、何も考えられなかった。事の運びに頭は空白となっていた。・・・・・ついで、怒りと悲しみが爆発した。なぜ、自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか。なぜ・・・・・なぜ？ ・・・・痺れていた体に、しっかっりとした感覚が戻ると、ソロリソロリと上体を起こしてみた。ベットから足を床におろし、床の感触を試す。・・・・・ふかふかの絨毯。小さな机の上には一輪差し。イス。メモ帳。洒落ており、それでいて実用的でもあるスタンド。海洋生物学のディスクブックのいっぱい詰まった書棚。立体ヴィジョン。洗面所。バスルーム。音響機器。冷蔵庫。・・・・・ここは、アケルナルのキャビンより充実していた。 しかし、ないものがあった。 窓と、出口である。 コンソールパネルをたたく。 “ここから出してください。そして、僕を必要としている本人に会わせてください。” 返答の画面表示は無情だった。 ”その要求には応じられません。” ジーという音。見上げれば、カメラが監視している。怒りと悲しみは失せ、かわって恐怖がカイユンを襲った。 二日が過ぎた。 閉ざされ、一枚パネルの様だった壁がぱっくりと口を開け、白衣の男が三人入ってきた。 「あなたの返答を伺います。」 カイユンは、二日間の間に要求し、与えられたかなりの量の紙束を丁寧に束ねていたが、顔をあげ、男たちの前に立った。 「僕、協力させていただきます。」 「・・・・自分の言っていることの意味は判っていらっしゃるのですな？」 「・・・・ええ。・・・・」 カイユンは、落着き払っており、微笑さえ浮かべていた。そのことが、男たちを不安にさせた。協力を承諾するとしても、法外な要求を叩きつけられると思っていたのだ。 「・・・・・有難うございます。・・・・・部屋を移っていただきます。良い部屋ですよ。窓から海が見え、テラスには小さいですが花壇もあります。出来る限りの快適な暮らしを保証しましょう。肉体的にも、精神的にもね。・・・・・一先ず、今、私達に出来ることはありませんか。」 その時カイユンが託したのが、ジョーに渡った手紙だった。彼にとっていちばん気掛かりなのはチームメイトのことだった。このような形で別れるのは非常につらいことだったが、ジョー達は、多くの出会いや別れを経験している強い人達だ。自分のようなものが居なくなってもそれなりに理解して納得してくれるに違いない。自分さえ、我慢すればいいのだ。 “・・・・我慢？・・・・” カイユンは、首を振った。 “我慢だなんて・・・・僕が選んだことじゃないか。それに、ここの人は、こんなに良くしてくださる。” 海の見える広い部屋。豪華な食事。今、着ている服も体にぴったり合うように誂えてくれたものだ。・・・・仕事をさせてほしいと頼んだら、同じ敷地内にある海洋研究所の研究員の資格を与えてくれた。設備も、研究内容もしっかりしていた。研究員も、初めはカイユンのことを胡散臭そうな目で見ていたが、カイユンの、海生動物に対する知識が生半可なものでなく、彼の性格が、一風変わっているものの優しく協調的であると判ると態度を軟化してきた。 ・・・・・昔に戻ったみたいだ。 データを取り、意見を交換し、考察し、レポートにまとめあげる。アケルナルに乗っている間に考え付いた仮説が、最新の論文で証明されていたのを知る。なんと楽しいことだろうか。 “ああ、やはり僕は宇宙に居るよりこちらの方に性があっている。” カイユンは、ベッドの上に大の字で寝転がり、読んでいた文献を枕元に置いた。・・・・しかし、この脱力感は何だろう。 理由は判っていた。“彼ら”がいないせいだ。でも、どうしようもないではないか？自分はここに居なくてはならないのだ。そして、それは自分で決心したことなのだから。 |
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