11　ミュータント　
　
　カイユンがジョーの乗り捨てた小型機を発見したのは、ジョーが渦に飲まれてしまったあとのことだった。彼は、ジョーの上着と役に立ちそうな装備を機内から持ち出すと、近くの小島まで船を走らせた。　そこでカイユンとシャーリーを待っていたのは、砂浜に残る乱闘の痕跡だけだった。
　二人は呆然として砂浜にしばらく立っていたが、沖でイルカもどきが跳ねるのをカイユンは見付け、すぐに船を出すとイルカもどきに追い付いて話し掛けた。偶然にも、このイルカもどきは派手な飛沫を立てて疾走する快速艇を覚えていたため、カイユンは教えられた方角へ舵を一定に保って出力をあげた。
　好奇心からボートに寄ってくるイルカもどきを捕まえては情報をきく。そんなまだるっこしいことをしているうちに長い時間がたってしまった。モーターボートはイルカもどきのはっきりしない話に振り回され、大海原の真ん中にいた。燃料は減り、あまり無理はできない。

　「カイユンさん！あれ！」

　シャーリーが堅い表情で空を指した。
　いくつもの宇宙船が降下してきている。
　カイユンは、宇宙船の型を見て、どんな種類の船かすぐにわかった。

　「�｢�｢�｢あれはコスモ・アーミーのものです。軽准艦が一隻、あとは監視艇という小型のものですね。・・・・・ナトアが大きな不正でもしたのでしょうか。」

　しかし、コスモ・アーミーにかまっている暇は今はない。カイユンは燃料計と海図を見、小さくため息を付いた。

　「一先ず南へ行きましょう。�｢�｢�｢はっきりした手がかりがない以上、一番近い町に上がって燃料を補給するのが最善策です。」

　カイユンは海図を畳み、きっと南を睨んだ。
　そのときだ。鋭い切羽つまった声が頭の芯に響いてきたのは。

　”ミナミ、イク、ダメ！”

　びっくりしてシャーリーを見ると、彼女も自分の耳を疑っているかのように頭を振っていた。

　”ミナミ、ダメ、イク、ヒガシ”

　声は今度はもっとはっきりしていた。声の主が近くに入ることはカイユンにもシャーリーにも感覚的に分かった。二人はほぼ同時に舟べりから海面を覗き込んだ。
　そこには亜人間の突然変異体が三匹、仲良く頭をだしていた。カイエのプールに居たものと同じ姿だ。さらにカイユンは、この三匹はカイエのプールから逃げた固体そのものだと気付いた。

　「君達・・・・」

　亜人間はクスクスという笑い声に似た音をたてた。

　「ねえ、今、僕に話し掛けたのは君達じゃないね？誰が・・・・・しゃべったんだ？」

　亜人間は、自分たちの蔭にいたもう一人の亜人間を前に出した。その個体は、人間が見ていて気持ちの良いものではなかった。ミミズノようないやらしい桃色の肌に、歯のない丸い口、手足は水掻がついて奇妙に曲がっている。�｢�｢�｢それは仲間の亜人間にも、亜人間の突然変異体にも似ていなかった。しかし、その生物の目の輝きは、明らかに知性を持っているもののものだった。
　それ・・・・いや、彼といった方がいいだろう。彼は「心の声」で語りかけてきた。

　”ミナミニハ、カイエシハイナイ。ヒガシニイル。ヒガシノウミ、オオキナウズニスイコマレタ。・・・ワタシモ、ワタシノナカマモチカラガナイ。タスケラレナイ。アナタニオネガイスル。カイエヲタスケテクダサイ。”

　大きな渦と聞いて、カイユンは自分のからだから一気に血の気が失せるのを感じていた。初めてこの星に降りたとき、宙港で男たちが話していた・・・・一度飲み込んだものは吐き出さない大渦のことを・・・・　亜人間たちは”彼”を抱き上げカイユンに差し上げた。彼は言った。

　”ワタシガアンナイスル。”

　カイユンは両手で彼を抱き取った。カイユンは思わずあっと叫びそうになった。ヌルリとした感触。その皮膚の表面には所々にかびのようなものが生え、傷つき、寄生虫さえついていた。

　”シンパイナイ。ワタシノジュミョウ、アト、ワズカ。ソレヨリハヤクカイエシサガス！ワタシノシュゾク、チセイナイ。ワタシハミュータント。ホンノスコシチセイアル。カイエ、ワタシタチ、マモル。カイエ、ミカタ。ワタシタチ、カイエ、マモル。”

　カイユンは彼をシートの上に優しく横たえると船をスタートさせた。”彼”は時折体をピクつかせながらカイユンの頭の中に大渦へと向かう方向の指示をだしていた。

　”ハヤク。ジキニウズガトマル。カイエ、タスケル。”

　”彼”は必死だった。人間から外見的に最もかけ離れた固体は逆に高い知性を持っていた。・・・もしや、カイエのプールにいた変異体は・・・・・
　カイユンの心を読み取って”彼”は語った。

　”シュゾクホロビル、トテモワルイ。カイエ、シュゾクホロボサナイ。ウミ、ホシ、ヨゴサナイ。カイエ、ホシ、コロサナイ。カイエ、チヲホシガッタ。ワタシタチノチ。ワタシタチ、カイエタスケタカッタ。ワタシ、ナカマニソウダンシタ。プールニイッタナカマ。カレラ、ホンノスコシチセイアル。カレラ、ジブンカライッテクレタ。ゼンブシュゾクノタメ。カイエマモルタメ。”

　大渦が見えてきた。渦は白く泡立ち唸っている。
　カイユンは船を止めた。これ以上近付けば飲まれてしまう。

　”スグウズトマル。アナタ、タスケラレル。ドウクツ、サンジュウメートルシタ。タノミマス。カイエ、タスケル。”

　”彼”が話しているうちに、渦は緩やかになってきた。
　カイユンは恐ろしかった。潜っているうちにまた渦が巻きはじめたら・・・・・・しかし、カイユンがいかねばカイエは・・・・ジョーも、アーサーも確実に死ぬ。
　カイユンは服を脱ぎ、腰におもりを付け、ボンベを背負った。そして、シャーリーに声をかけた。

　「シャーリーさん。ここで待っていてください。僕、いってきます。」

　シャーリーはゆっくりと頭を縦に振った。
　”彼”はカイユンを急き立てた。

　”イマイク！ウズガトマッテカラデハオソイ！”

　カイユンは飛び込んだ。渦にぐいぐい引き込まれていく。自分のからだが自由にならない。海底へ、海底へと流される。

　”生きていてください！僕が生きているのに、あなた方が死ぬなんて・・・・そんなこと、あっちゃいけないんです！”

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊


　（お嬢さん、起きなさい。迎えが来ましたよ。）

　老カイエの柔らかな声が耳の奥で聞こえた気がした。

　意識を失っていたジョーを起こしたのは、直接には平手打ちの一旋だった。そして、体を誰かがしっかりと抱えてくれ、酸素マスクが口にあてられた。しかし、今の彼女は、呼吸をするのも面倒だった。そのまま眠ってしまおうとすると、耳の近くで大きな声がした。

　「キャプテン！」　

　ジョーは反射的に息を大きく吸った。頭の中にはまだもやがかかっている。

　「�｢�｢�｢・・・カイ・・ユン・・・？」

　カイユンは、今度はアーサーに酸素を吸わせてやっていたが、片手でジョーの腰を引き寄せ、あらんかぎりの大声で叫んだ。

　「これからここを出ます。水流が止まったら直ぐに飛び込みます！いいですね！」

　ジョーは曖昧に頷いた。
　何故カイユンがここに居るのだろう。幻影に違いない。

　「キャプテン！わかりましたか！」

　頭が痛い。何が起こったというのだ？ああ、そうか、今は海のなかだ。大渦のなかだ。
　
　カイユンは水流が収まってきたのを見、意識不明のアーサーと、ぐったりしているジョーを左右に抱えて水辺に引きずってきた。

　「行きますよ！」

　最後に老カイエの死体を一瞥し、カイユンは飛び込んだ。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　カイユンは、洞窟を出口に向かって泳いだ。途中、彼は二回ほど二人を抱えなおし、重いボンベは捨てた。
　時間切れが迫っていた。再び水流が復活しつつあった。体の前面から水があたる。彼は泳ぎ続け、洞窟を出た。海上から柔らかな日の光が射してくる。水流が強くなる。足をかく。光に向かって。
　海面に出て、カイユンはハアハアと喘いだ。シャーリーの船はかなり遠くだ。カイユンはジョーを肩に捕まらせて片手を上げ、合図したがシャーリーは操船に手間取っているようだ。エンジンの具合が悪いのかもしれない。止むを得ず、カイユンは二人を仰向けにして海上を引っ張って泳いでいった。しかし、カイユンも疲れて来ていた。二人を連れていては速度も落ち、渦に捕まり共倒れになるかもしれない。カイユンは二人の顔を見比べた。アーサーは呼吸をほとんどしていない。ジョーは薄く目を開けカイユンを見るくらいの反応はしている。
　カイユンはジョーを放してみた。ちょっとの間自力で浮いているくらいはできそうだ。

　「キャプテン・・・・僕がアーサーを連れて船に行く間、頑張っていられますか？」

　ジョーは朦朧としていたが微笑んでみせた。

　「・・・大丈夫よ。・・・・あたしはそんなにヤワじゃないんだから。・・・・・」

　カイユンはすっとジョーのそばを離れるとアーサーを支えて遠ざかっていった。
　その姿をぼんやりとジョーは見ていた。彼女は疲れきっていた。”大丈夫”どころではなかった。
　手をかき、足をかき・・・・必死でやっているのに少しも前に進まなかった。ふと気付くとどんどん体が沈んでいく。水が容赦なく口から入ってくる。また意識が遠退いてきた。
　とりとめのない思考が渦巻く。

　”・・・・・空も青いけれど・・・・・・・海はとても青いわ・・・・・水は・・・塩辛い・・・・・あたし・・・・泳ぎがこんなに下手だった・・・・？・・・・・・今度教えてもらわなくっちゃ・・・・・・カイユン・・・・・いっつもそばにいたのに・・・・離れていっちゃうんだもの・・・・・・・・重力は下向きなんだから・・・・あたし・・・・沈んじゃうからね・・・・・”

　海の水が頭の上まで来た。息が口から一気に漏れた。泡が上に昇っていく。渦が体を後方に引っ張る。

　息ができなかった。
　おそらく一度は止まったのだろう。

　・・・・・再び意識を取り戻した時、彼女は咽た。咽て、咽て胃のなかのものを吐いた。海水ばかりだった。吐きやすいように支えて背をさすってくれていたのはカイユンだったが、不意に居なくなった。
　ジョーは咳が止まると体を起こそうとしてみた。が、一人では無理のようだった。ここはどこだろうか。船の樹脂製の床ではなく、熱い細かい砂の上に彼女は寝ていた。頭が割れそうに痛かった。
　自由のきかない体をだらんと横たえ、ジョーは目だけを動かして辺りを見た。少し離れたところにアーサーを看ているカイユンがいた。それだけでジョーは安心してまた気が遠くなっていった。

　ジョーは目を閉じた。

　目を開けたときには、彼女の隣にアーサーが寝かされていた。ジョー自身も移動して木陰に仰向けに寝かされていた。そばには見知らぬ女性が付き添っている。さっきより気分は良くなっていたので、身を起こそうとすると、カイユンがやってきて肩を押さえて止めた。そして脈をはかった。

　「キャプテン・・・・・気分は？」

　カイユンは心配そうに、しかし落ち着いた声で尋ねた。

　「�｢�｢�｢サイテー。�｢�｢�｢�｢」

　カイユンは嬉しそうに笑うと、小さな携帯用のコップに入れた水を差し出した。

　「やっと意識がはっきりしましたね。初めは息も止まっていたしさっきは変なことばかり言っていたから心配してしまいました。・・・良かったです・・・・・本当に、よかったです。」

　彼は泣き笑いのような顔をした。

　「・・・水はさっき嫌って言うほど飲んだけど・・・・そうね、喉は乾いてるわ。・・・・変なことって・・・・あたし、なんて言ってたの？」

　「ワープ機関が壊れたから水洗いしてみよう・・・とか。」

　「そりゃ変だ。」

　カイユンは優しくジョーの背に手を回すと、上体を起こして水を飲ませてやった。

　「ほかにも色々言ってましたよ。・・・・一番多かったのが”カイユンのバカ”って奴でしたけど・・・・・」

　ジョーは笑った。
　水を飲みおわると、カイユンは再びジョーを横たえた。

　「カイユン、・・・・ところでいま、どうなってるの？」

　「�｢�｢�｢�｢燃料切れです。僕たちは現在無人島で孤立しています。�｢�｢�｢なるべく早くアーサーを医者にみせたいのですけど。・・・・上空をコスモ・アーミーが偵察しています。いったい何が起こっているんでしょう。」

　ジョーはそれについては詳しい説明をしてやった。ソーンダイクの作戦は成功したのだ。コスモ・アーミーが来ている以上、ナトアは大っぴらに兵器を使えない。しかし、老カイエが死に、孫のアーサーもこんな状態では、ナトアが政権を執るのはほぼ間違いないだろう。

　「通信機は？きかないの？」

　「危険を承知で使ってみましたが、応答はありませんでした。」

　「・・・・�｢�｢�｢�｢カイユン。見て。」

　ジョーは空から近付いてくるものの影に気付いて注意を促した。

　「�｢�｢�｢�｢応答はなかったけど、あたしたちは見付けられはしちゃったようよ。」

　ナトアが隠し持っていたのと同じ型の戦闘機が一機、浜に向かってランディングをはじめたところだった。
　カイユンは銃を構えた。出力が弱いうえに、握っているのがカイユンではほとんど役には立つまい。カイユンに人が撃てるだけの度胸があるわけはない。ジョーはカイユンを止めたかったが大声を出す気力は残っていなかった。

　戦闘機のキャノピーが開き、操縦者が飛び下りてきた。その途端、カイユンは銃を放り投げ、操縦者に走り寄った。

　「マリオさーん！」

　走り寄られたほうのマリオは、齧り付いてきたカイユンを抱きとめはしたもののわけがわからないといった様子だ。

　「おい？何でカイユンがここに居るんだ？俺はジョーのあとを追ってここにきたんだぞ。ジョーはいないのか？」

　「いますよ！さ！こっちです！」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「�｢�｢�｢�｢乱闘になったあたりで助けにきてくれたってよかったじゃない！」

　木の幹にもたれて座り、ジョーはぶつぶつ言い続けた。
　横たわっている姿勢でマリオと話したくはないらしい。

　「マリオ、あんたはあたしのあとをつけてたわけでしょ？こっちが死にかけるような目に会うまで、何で手ェ出さなかったのよ！」

　マリオは怒鳴った。

　「確かに俺はあんたのあとをつけてたさ。�｢�｢�｢�｢だがな、あんたに最高速度で戦闘機を飛ばされてみろ。あとから追っ掛けて、俺の飛行技術で追い付くことができると思うか？」

　「・・・・・・追い付けっこなかったわね。マリオの腕じゃ。」

　アーサーを、マリオが乗ってきた飛行機に運びこみ、カイユンが戻ってきた。

　「ジョー、俺たちも行くか？」

　声をかけ、マリオが彼女を抱き上げようとすると、ジョーは眉を上げてぷいと横を向き、木につかまりながら立ち上がり、よろつきながらも歩いていった。マリオは苦笑するとカイユンに両手を広げてみせ、ジョーのあとからシャーリーを伴って歩いていった。
　水際では亜人間達が集まっていた。�｢�｢�｢�｢�｢�｢�｢彼らのリーダー、人間並の知能を持っていた”彼”は死んだのだ。彼らは船からその亡骸をおろすと海藻で丁寧に包み、今は全員でそれを囲んで何事かを唱えているようだった。そしてじりじりと、沖へ沖へと岸から離れていった。
　途中で駆出し、マリオはコクピットに飛び乗りシャーリーを引き上げた。その次にジョー。その時握った手があまりに冷たいのでマリオは思わずぞっとした。そして、あとからはずみをつけて昇ってきたカイユンに彼女の手を触らせた。
　カイユンもはっとし、素早くキャノピーをしめると、後部のアーサーの横に座って、自分の膝の上にジョーを抱き抱えた。ジョーはいつもなら上げるはずの抗議の声を上げなかった。理由はわからないが体温が急激に低下している。頬を叩いても反応がない。
　カイユンはアーサーとジョーを代わる代わる見ながら叫んだ。

　「マリオさん！どこでもいい！医療機のあるところに！アケルナルでもかまいません。僕の手にはとにかく負えません。・・・・・二人が・・・・危ない！」

　マリオはかなり乱暴に機体を上昇させるとレーダーを見ながら、最大加速をかけた。

　「急いではみるが・・・・覚悟しとけよ。コスモ・アーミーに発見されることを！」

　後部席からカイユンの悲痛な声が響いた。

　「そんなの構うわけないでしょう！命の方が大切です！通信も使ってください！」

　マリオはさっそく通信機をとると波長を合わせ怒鳴った。

　「ソーンダイク！病人が行くぞ！医療室の扉を開けて準備万端整えておけ！いいな！」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　マリオの怒鳴り声がアケルナルのコクピットに響き渡ったとき、ソーンダイクは進退極まっていた。目の前のスクリーンにはコスモ・アーミーの軍服を身につけた男たちが、エアロックををこじ開けようとする映像が映しだされていた。妨害電波を出しているらしく、マリオからの音声は聞こえても送信は不能。まあ、こちらもコスモ・アーミーの通信を妨害しているからお相子か。

　”カモフラージュしていなかったのが敗因ですか・・・・・準備万端整えろといわれても、無理です。”

　パトリックとロッコは、ソーンダイクから”隠れるのです。”といわれ、わいわい騒ぎながら場所を選んでいた。ロッコが食器棚、パトリックがオーヴンの中に隠れ、息をひそめていると、ソーンダイクがぱたぱたと歩いてきて冷蔵庫を開け、なにかをとぽぽぽぽとつぐ音がした。
　ソーンダイクはスミレの花の柄の付いた白いマグカップから冷えた豆乳を飲んだ。

　彼はよく知っていた。自分が戦闘に不向きな人間であることを。

　エアロック付近の音が大きくなってきた。
　ソーンダイクは大きくのびをすると、カップを持ったままコクピットに戻りエアロックを開けた。下手にいじられて傷でもつけられては、留守番として申し訳ない。
　完全武装の兵士が入ってきた。オーヴンの中のパトリックは足音から二人がコクピットに入り、あと五人の兵士が船内の捜索を始めたのを知った。パットは”七匹の子山羊”のお話を思いだしていた。

”僕は柱時計に隠れたあの一匹なんだぞ！”

　パットはそう空想していた。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　ソーンダイクは、片手にカップを持ったままホールドアップした。兵士は顔を見合わせどうしたものかと相談したのちに銃をおろした。

　「おい。お前は手配中のグループ”ドロップアウト”の一員だな？」

　ソーンダイクは頷いた。そして、胸ポケットからカイユン愛用の“箸”にティッシュをテープでテープで貼り付けて作った小さな白旗を摘み出して振ってみせた。
　兵士は仲間に言った。

　「なあ、確かこいつは一番危険性の少ない奴だよな？」

　「ああ、コンピュータ使いだってことだぜ。」

　ソーンダイクは無表情にひたすら白旗をパタパタ振っている。それが兵士にとっては不気味だった。

　「他に仲間は居ないだろうな。」

　一人がソーンダイクの左手に手錠をはめ、もう一方をシートの把手に固定し、薄気味悪そうにぐるりを見渡した。

　シーンと静まりかえり、何の物音もしない。

　「と・・・とにかくお前の身柄は今からコスモ・アーミーが預かる。報告をしたらすぐに連行していくからな。静かにしていろ。」

　言われる迄もなく、ソーンダイクは十分に静かだった。
　その頃、キッチンでは、捜索していた兵士が引き上げるところだった。オーヴンも食器戸棚も大人が入る余地はないため捜索から免れたのだ。・・・・ということで、アケルナルの小さな切札はさっそく行動を開始したのである。

　「ロッコ。行くよ。」

　ロッコが戸棚から這い出すと、レーザーガンを握ったパットがにこにこしながら立っていた。

　「行くってさ・・・・・おいらは銃なんか撃てないぞ。何しに行きゃあいいんだよぉ。」

　パットはクスクス笑って、ロッコが何をすればいいのか説明した。

　それからの約十分間はロッコにとっては悪夢の時間だった。パットがロッコに与えた役目は、要するに囮になることだったのだ。パトリックの腕は確かで、ロッコはかすり傷の一つさえ負わなかったのだが、ロッコは死ぬ思いをした。

　”もういやだぁ！”

　と喚いても

　”正義は必ず勝つんだってカイユンは言ってたよ！”

の一点張りで、実に軽快に相手を倒していく。五人目を倒す頃にはロッコも開き直っていた。
　白旗を振り続けるソーンダイクのそばで、通信装置を調整していた二人の兵士は突然ふわりと浮き上がった。部屋の中がゼロＧになっていた。マリオのよくやる悪戯で、外部基盤をどういじればそうなるのか、パトリックにはよく分かっていた。
　手錠でシートにつながれているソーンダイクは軽く浮いただけだったが、いくら宇宙で鍛えられているとはいえ不意をつかれた兵士は完全にバランスを崩した。丁度そこでパトリックは重力調整装置をオフにした。当然兵士は床に落下し、素早くパットが転がりこんで二人をマヒさせた。ロッコは勢いづいて、マヒさせたあとに蹴飛ばした。
　ソーンダイクは床に落として割れてしまった白いマグカップのかけらを惜しそうに拾い上げた。

　「・・・・・この人たちを外に出して出発しましょう。医療室の準備をしながら逃げるんです。」

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　マリオは思いっっっ切り悪態をつきながら飛んでいた。隣席のシャーリーが後部席のアーサーを気遣って体をぐっと後ろにねじるので操縦桿を持つ腕は圧迫され続け、アーサーの横ではカイユンが甲高い声で”急いで下さい！”を連発している。大体マリオの操縦はアケルナルではうまいほうではない。（ソーンダイクは別格だが）彼は自分に対して一番多くの悪態をついていたかもしれない。

　追っ手から逃れる。

　それだけを考えるならば、どこかでこの機を乗り捨てたほうがよいのだろう。しかし、こちらには病人が居る。アーサーとかいうぼんぼんの生死は一向に構わないのだが、ジョーはなんとしてでも助けずにはおられない。であるから、レーダー上に五個の光点が補足された時にも彼は全く躊躇せずにアケルナルへの最短経路を選んだ。
　幸いなことに追跡してくる艇は探査用の汎用タイプで長時間の高速飛行に不向きな型であった。Ｃ・Ａもドロップアウトの捕獲が第一目的ではない。謎の兵器群のことがあったため戦力を割いてきたにすぎないのだ。乱暴で威勢がいいだけのマリオの操縦でもＣ・Ａをわずかずつながら引き離し、アケルナルの着陸地点へ到達した。カイユンは地面に降りるがはやいかキャノピーを開け、アーサーを背負って、ソーンダイクが降ろしたタラップをかけ上がったそのあとにシャーリー、更にジョーを抱えたマリオがなだれ込む。
　エアロックで待っていたパトリックはカイユンの姿を見て飛び付きたいほど嬉しかったが、緊張した目で病人を気遣っているカイユンには何も言えなかった。

　「ソーンダイクさん！病人を医療室に運びます！用意して下さい！」

　ソーンダイクは長い足でどたんどたんと走り、医療室を開けると器材の電源を片っ端からオンにした。グリーンのランプが一面にともる。カイユンはぐったりしているアーサーをベッドの上に載せ、服をゆるめると手早く酸素マスクをかぶせた。心電図と脳波の電極を失敗しながらもつけ、それが終わると薬品棚に飛んでいき小さなアンプルと点滴液を掴み出した。
　ジョーを別のベッドにそっと横たえ、顔色を見ていたマリオが怒鳴った。

　「馬鹿カイユン！こっちを診てやれ！早くしろ！」

　カイユンは点滴液をセットし、アンプルの薬品を注射器に吸い上げると怒鳴り返した。

　「アーサーは酸欠による意識喪失です。処置の方法はわかっているし早ければ必ず助かるんです！・・・・・・アーサーが先です。・・・・・・だって、キャプテンの処置の仕方・・・・・わからないんです！」　

　そして注射を済ませ、いくつかの処置を終わらせてから怒りで顔を真っ赤にしているマリオの横で、ピクリとも動かないジョーを見下ろした。手をとると相変わらず脈は弱く体温は低下している。

　「僕には・・・わからない・・・医療器に任せるしか・・・・」

　マリオは手を貸し、医療カプセルへと運ぶ。
　カイユンは忙しく薬剤と器械の調整をし、はさみで着衣を切って電極をつけようとして、マリオを見上げて言い放った。

　「見せ物じゃありません！マリオさんとソーンダイクさんはどうにかしてコスモアーミーから逃げて下さい。僕は僕で全力を尽くしますから！」

　カイユンに急きたてられてコクピットにやってきたものの、マリオにはどうやって逃げたらよいのか皆目見当がつかなかった。横に控えているソーンダイクにしてもまるでヴィジョンはない。

　「おい、ソーンダイク。俺の操縦で逃げ切れると思うか？」

　ソーンダイクは逃げ切れないと思っていたが口には出さなかった。

　「大気圏離脱しちまってワープする手もあるが、俺とお前でどうにかできると思うか？」

　ソーンダイクはどうにもできないと感じたが、放っておいてもマリオはやらないと思ったので何も言わなかった。

　「とにかくここを離陸するぞ。レーダーに新しいＣ・Ａがうつっちまった。シートにつけ。一応大陸中央部の樹林地帯を目指すぞ。」

　ソーンダイクには別に異議はなかった。

　出力が上げられ、アケルナルはほぼ最高加速で飛行していった。
　ソーンダイクの悪い方の予想は的中した。レーダー上に後ろから二機、右から二機、コスモ・アーミーの戦闘機が接近してくる光点が映った。やがて威嚇射撃をしてきた。マリオの操縦技術の乏しさもあって機体は大きく左右に揺れた。ロッコは歯を食いしばってシートに齧り付き、パトリックはナビゲーター席で必死に姿勢制御をしている。ソーンダイクは、レーダー上の点がますます増えてきたのを見て、八秒間ほども続く長い溜息をした。そして手をのばして通信機をオンにした。

　「こちらはアケルナル号。コスモ・アーミーの皆さん、しっかりとした通信傍受をしていますか？現在の通信士は私ことケイン　ソーンダイク。我々はチャールス　カイエ氏の孫、アーサー　カイエ君を誘拐し逃走中。攻撃をやめ、我々から百キロ圏外に離れなさい。さもなくば少年の命はないものと思ってください。以上。」

　「あほ！」　

　必死に操縦しながらマリオが喚く。

　「そんなことを言ってどうしようってんだよ！」


　その頃医療室では、アーサーを前にしてカイユンがほっと安堵していた。異常がでていた脳波がもとに戻ったのだ。カイユンがシャーリーに”もう大丈夫”と目で合図すると、シャーリーはアーサーの手を嬉しそうに握った。じきに意識も戻るだろう。
　問題はジョーの方だ。原因は全くわからず、治療効果も上がっていない。ディスプレイに描かれていく各種データも嫌になるくらい変化がない。と、30℃位を保っていた体温が急激に低下しはじめた。カイユンは自分が医者でないことを呪った。体温が２５℃をきるとカイユンは涙を一杯貯めてカプセルの蓋を開け、ジョーにとりついて激しく揺さ振った。
　何をしていいのかわからない。わからないけれど、なにかせずにはいられなかった。
　シャーリーはカイユンから少し離れて俯き泣いた。が、再びジョーに目を向けたとき、カイユンに注意を喚起する声を上げた。カイユンは泣いていてシャーリーの声が聞こえていなかった。シャーリーはもう一度呼んだ。ジョーの指がかすかに動いているのをはっきり見たからである。
　意識を取り戻したジョーはまずカイユンの啜り泣きをまず耳にし、ついで自分がどんな場所にいてどんなことになっているのかがわかってきた。一応頭の中がはっきりすると彼女はカイユンの耳の傍で悲鳴をあげた。

　カイユンは喜ぶよりも驚いて背筋をびくっと震わせる。ジョーは悲鳴のあとにしどろもどろに続ける。

　「こ、これ、いったいどういう!?」

　「どういうって・・・あの・・・・」

　ジョーはカイユンと自分の体を隔てている唯一の代物である白いシーツをぎゅっと胸の上へ引っ張り上げ、頬を染め上げた。

　「な、な、なんで私裸で抱かれてるのッ!?」

　カイユンは真っ赤になってジョーを放し、放した手のやり場にこまって自分の背で組んだ。
　ジョーは一度呼吸し、少し苦労はしたが顔色を戻し、シーツをしっかり体にに巻き付けると再び質問した。

　「ごめん、あたし意識を失っていたらしいわね。頭の中にもやもやと何かが侵入してきて気が遠くなったと思ったらここにいた・・・・ところで今、アケルナルはどうなっている？横揺れが激しいわね。」

　入ってきたソーンダイクがカイユンに代わって答えた。

　「現在１０機の戦闘機に追われています。・・・・・マリオは弾を避けるのが下手で。・・・・・ここもだいぶ揺れますね。」

　ジョーは初めの一文を聞いてコクピットに走った。ソーンダイクはカイユンに向かって申し訳なさそうに話し掛けた。

　「アーサーをコクピットに連れていきたいのですが・・・・」

　　コクピットに踊りこんだジョーはマリオから操縦棹をひったくると急上昇し、ついで旋回した。

　「よっくもまあこれだけ雑魚に追いすがられたわね。アケルナルの出力と機動性をどうして使いこなさないのよ！」

　マリオはジョーの無事を嬉しく思ったが口は乱暴だった。

　「バカヤロウ！あんたがしっかりしていればパイロット席に座らずに済んだんだ！俺は爆破屋だぜ、爆破屋！ストリップしている暇あったら早く来いってんだ！」

　「ストリップなんかしてないわ！脱がせたのはカイユンよ！」

　「今度は俺に脱がさせろ！」

　彼は軽口を叩いてレーダー席に座ったが、光点の多さに愕然とした。

　「おい！ジョー！逃げられるのか？」

　「わかるはずないでしょう！」

　被弾し、小刻みに揺れる船内を、アーサーに肩を貸したカイユンがふらつきながらやったてきた。ソーンダイクがスチャッとマイクをとる。

　「誘拐した証拠に問題の少年をお見せします。」

　アーサーはぐったりし、顔色は青ざめ口をかすかに動かしたが声は出なかった。
　カイユンがマイクに入らないように呟いた。

　「・・・・ソーンダイクさん。これって僕たちが極悪人に見える構図じゃありません？」

　だが、攻撃のほうはピタリと止んだ。
　カイユンとソーンダイクとシャーリーはほうっと息をついた。ジョーはずり落ちそうになったシーツを引っ張り上げて身構えた。

　「来るわ・・・・」

　彼女は急激に方向転換した。ソーンダイクが床に倒れた。

　「な・・・・何が来たんです？」

　カイユンがアーサーをシートに固定しながら叫んだ。ジョーは操縦に集中し、返事はない。
　マリオが代わりに答える。

　「ぐだぐだやっているうちに中巡（中型巡洋艦）がきちまったぜ。空間捕捉砲を装備していやがる。奴ら俺たちを生け捕りにする気だ。一発撃ったあとしばらくは撃てねえが、あと三十秒もしたら二発目がくるぞ。」

　ジョーは逃げながら敵の間合いを測っていた。手のひらにじっとりと汗が滲んでいる。
　第二弾。辛くも避けた。中巡はピタリとついてくる。

　”こりゃあ逃げられねえぜ。”

　マリオは顔には出さずそう判断した。人数を数える。ジョーにカイユン、ソーンダイクとパトリック、カイエの孫に若い女が一人、それに街の餓鬼が一人。俺合計七人、アケルナルの高速小型艇に、無理すりゃそれだけつまるだろうか。まあ、シートに三人は座れる。パトリックは誰かの膝に座ればいい。それで四人。あとの三人は格納ユニットにどうにか押し込めるだろう。一人はアケルナルに残ってコスモ・アーミーと相手をするべきだろう。

　”ま、しゃ～ね～か。”

　マリオはぼんやりとジョーを眺めた。

　「ジョー、小型機出せ。あんたがパイロットだ。また気ぃ失ったりしなけりゃ逃げ切れるぜ。隣にボンボンとそのお仲間を座らせ、パットは膝の上に座るか床に寝ていろ。カイユンとソーンダイクとラッコだかなんだかは格納ユニットでだんごになっていろ。俺が援護してやる。有り難く思え。」

　ジョーはマリオが何を考えているか知ると怒鳴った。

　「駄目よ！確かにそうすりゃ逃げられるかもしれない。でも、あんたはあたしたちの中で一番罪の重い犯罪者だわ。捕まったらどうするわけ？」

　マリオは着ている黒いジャケットをジョーの肩にかけてくしゃっと彼女の髪をかきまわした。

　「ああ、捕まりっぱなしは困る。だから落ち着いたら助けにきてくれや。辺境星に派遣されたＣ・Ａの警備網くらい突っ切ってこられるだろ？」

　彼は笑い、どいたとばかりにジョーを小突いた。ジョーは頷いてみせると一同に号令をかけ、後部格納庫へと移った。
　一分後、コスモ・アーミーの空間捕捉砲がアケルナルを捉えた。推進力がぐんと落ちる。マリオはいくつかの非常用砲撃スイッチをオンにすると追ってくる敵を面白そうに眺めた。

　「ジョーに比べりゃおれの操縦技術は格段に劣る。しかし俺の方が上な領域もあるわけよ。特に今回お見舞いする奴はスペシャルヴァージョンだ。よく見ておけ。」

　ジョー達が発進した事を知らせるブザーが鳴った。

　「いわゆるボン　ヴォヤージュって奴だな。・・・・・・・うまくやれよ。ジョー。」

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　アケルナルを追ってきたコスモ・アーミー　ガイ　ウォーレック大佐は動きを鈍くしたアケルナルの船体の大写しになったメインスクリーンの前で含み笑いを漏らした。辺境惑星の巡視の任務は退屈な仕事だが、今回の事件では宇宙の大物カイエ一族の後継ぎを救出し、悪名高い逃亡者を一網打尽にしようとしている。　だが、次の瞬間にまばゆい光が炸裂した。飛行用バイザーを通し目蓋を閉じてでさえ光は目に焼き付きしばらくははっきりとものが見えなかった。
　大佐は手で目を覆ったまま呻いた。

　「何だ、この光量は？我が軍にこのような威力のある光弾はないぞ！」

　その間にジョーの操縦する機体は高速で遠ざかった。

　「よし、次は下の方の空域行くぞ！」

　防護メガネを幾重にもかけたマリオが二発目を発射した。再びあたりは真っ白になった。続いて煙弾、信号弾、磁場撹乱弾、色もとりどりの弾が乱れ飛んだ。
　弾が尽きてしまうとマリオはシートの背を倒してそっくり返った。そしてにやつきながら自分を捕らえにやってくるコスモ・アーミーを眺めた。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　「・・・・なぜ、マリオさんだけが・・・・・？」

　逃げに逃げ、シエラの街から二百キロ程の樹林地帯に降りた七人は、着陸地点から10キロほど行った小さな水場のそばに座っていた。
　カイユンが悲しそうに呟くと、ジョーは冷静に分析した。

　「マリオが残ってくれたから、あたしたちはここまで逃げられたのよ。もし、全員が行動を共にしていたら、皆で仲良く捕まってるわ。・・・・マリオは一番いい方法を取ってくれた。今はつべこべ言わないで。」

　「でも・・・・」

　「でも、でもなんでも・・・・・ともかく今日はここで野宿よ。そして、どうにかしてアーサーを全星集会までに街に送らなくれは。」

　蒼い顔のアーサーがだいぶ落ち着いた様子でゆっくり頷いた。

　「コスモ・アーミーがきて、ナトアが武力に訴える怖れはなくなった反面、あたしたちは普通には街を歩けなくなったわ。・・・・・森に隠れて歩いていくしかあたしには考えられない。森にオフロード用のエアバイクでも落ちてりゃ別だけど。・・・・マリオも助けなきゃ・・・・。」

　「・・・・・寝ましょう。」」

　ずっと黙っていたソーンダイクがぽつんと言った、辺りは既に暗くなっている。
　マリオを心配するカイユンもソーンダイクの提案に反対はしなった。彼はアーサーの具合を診ると、柔らかそうな草を引き千切って集め、その上に体を横たえさせた。すぐそばにはシャーリーが座っていたが、彼女も昼間の疲れからかこっくりこっくりしはじめて横になって寝てしまった。
　子供二人は興奮状態に陥っており、なかなか寝付こうとしなかった。特にパトリックはマリオが危ないことを理解しておらず、”大好きなカイユン”が帰って来たもので舞い上がってしまっていた。カイユンはまとわりつくパトリックを膝の上に抱き上げ、自分がいなかった間のアケルナルでの出来事を逐一話そうとするパットに眠気と戦いながらうんうんと頷き頭を撫でていた。
　ジョーはそんな二人を横にして、マリオのジャケットの袖を自分に合うように折り返し、歩いてもずれないようにシーツに切れ目を入れたり結んだり縫ったりした。体全体が塩っぽい。自分の鼻にも自分の皮膚が海の匂いを発散しているのがわかる。日に焼けてひりひりもしているが、疲れで目を閉じればすぐに眠ることができそうだ。
　そのとき、何か大きな獣の遠吠えが闇をつんざいた。ジョーは目を閉じるのを止めて頭を起こした。誰かが見張りに立っていなければ。獣の方が無差別攻撃をかけてくるという点では、コスモ・アーミーよりたちが悪い。もう眠ってしまった二人を起こすのは酷だ・・・・・パットはカイユンに抱かれてすうすうと寝息を立て始めていた。抱いているほうのカイユンは顔色が悪かった。右手で自分の左肩を押さえている。彼のシャツに血がうっすらと滲んでいるのを彼女はみのがさなかった。

　「カイユン！肩！」

　カイユンはびくっとして曖昧な笑みを浮かべた。

　「何時の間にか切れていたんです。・・・・渦から出るときだと思うんです。一回処置したんですが・・・・・・開いちゃったみたいですね。御免なさい。」

　「大バカ！止血して早く休みなさい！」

　ジョーはカイユンの肩に触ったが、そのまますうっと気を失って前にのめった。

　「キャプテン！キャプテン！」

　カイユンが揺さ振るとジョーは正気に戻った。

　「う・・・・・なんでもないわ。早く肩出して。」

　ジョーはパットを抱きとって枯草の上に寝かせた。

　「キャプテンのほうはいいんですか？・・・・・・僕のことなら絶対大丈夫ですよ。」

浅いが長い傷だった。驚異的な回復力を誇るカイユンの種族のことだから大丈夫には違いないが、黙って我慢していたのはいかにもカイユンらしい。
　アケルナルから担ぎだしてきた救急用品をバックパックから出して手早く処置する。カイユンはじわじわ沁みる薬に痛そうな顔をしたが、立てた膝の間に頭を埋めた。

　「カイユン・・・・・泣いてるの？・・・・」

　カイユンの目からはぼろぼろと涙がこぼれていた。

　「そんなに沁みた？」

　カイユンは頭を埋めたままいやいやをするように首を振った。

　「僕・・・・・結局何にもできない駄目な奴なんですよね。・・・・・・。つくづく思います。カイエさんだって死なせてしまったし・・・・・島にマリオさんが来てくれたとき、僕、銃を持っていきましたよね。あのとき、手も膝も震えていたんです。銃だってだめ・・・・キャプテンみたいに飛行機を自由に飛ばすこともできません。ロマノフさんみたいに頼れる人間じゃないし、マリオさんみたいな思い切りも技術もない・・・・今だって、これからどうしたらいいか全然考えつきません。」

　「・・・・あたしだって全然考えついていないわよ？・・・・技術がないだのなんだのわかりきったこと気にすんじゃないわ。」

　ジョーは微笑み、声をあげて笑った。
　カイユンはぐしょぐしょになった顔をあげた。

　「カイユンがアケルナルから出ていってからしばらくこういうぐちゃぐちゃした泣き言を聞いていなかったなぁ。・・・・なんだか懐かしい・・・・ともあれ、泣いててもどうにもならないでしょ。泣きやんで。・・・・キスしてあげたら泣き止んでくれる？」

　カイユンは急いで涙をふいた。

　「明るくなって。笑って。いろんな奴が命をはってあたしたちを守ってくれたんだからさ。・・・・・・ちょっとじっとしてて。厳重に包帯巻いておくから。」

　手当てをしているちょっとの間に、カイユンは木の幹に寄り掛かったまま眠っていた。ソーンダイクとジョーとロッコは顔を見合わせると、見張りの順番を相談して決めた。

　眠りについたカイユンの頭のなかではカイエの居所を教えてくれたミュータントの言葉がリフレインされていた。

　”カイエ、ワタシタチ、マモル。ワタシタチ、カイエ、マモル。カイエ、ホシ、コロサナイ・・・・・・・・・・・・”

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