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| マリオは機嫌よく、右手を出すとレイとがっちり握手をかわした。 「・・・・何年ぶりになるかな。ふっ・・・あんたとはいろいろあったがこう久しぶりだと懐かしいな。覚えていてくれたのか？」 「覚えているもなにも・・・・あのときの研究所脱走者中、唯一の生き残りじゃないか、おまえは。」 ジョーの隣でカイユンが放心したように立ち上がった。おそらく考えていることはジョーと同じであろう。やはりティオは死んでいた。生き残ったのはマリオだけだったのだ。 「一体何をしにきたんだ？マリオ、お前はこの惑星を嫌っていたはずだが。」 マリオは手をジャケットのポケットに突っ込み、口の端で笑った。 「言葉で体裁を繕って言えば自分のポリシーを守りにだ。・・・・今じゃ俺はしがない爆破屋だ。あんた達のように、信義や主義では動けん。“破壊と再生”とは何ら関係ない。スラバタとはあくまでも行き掛かり上での付き合いさ。ことによっては協力する羽目になっちまうかもしれないが・・・・俺はひとまず命が無事で、うまい酒がそれなりに飲めりゃ、どんな生活でも甘受するたちでね。」 レイも口の端で笑った。 「・・・・変わったな。まだ子供だったお前は、信義や主義の固まりだったが。・・・・ここは余所者の生きにくい場所だ。仕事屋ならばビジネスライクに私たちに協力してはくれないか。今は仲間がばらばらの状態で、一人でも多くの協力者が欲しいのだ。」 探るような目を向けるレイの目の前で、マリオはぶんぶんと右手を横に振ってみせた。 「俺達は一応チームでね。チームリーダーがなんというかだな。・・・・おい、ジョー？」 ぼうっとマリオを見ていた自分に気付く。 「ん？ああ、ぼやぼやしてた。・・・・レイモンドっていったっけ？・・・・どっちにしろ、しばらくはここに置いてもらうわ。この最下層の地域の知識を得たいから。・・・・もしもあなたが何かを教えてくれたならレクチャー料はそれなりに払うわ。その範囲においては協力する。」 言いながら、すうっと目を細める。このレイモンド、かなりの殺気を発している。こちらが女だと思って甘くみているようだが、それでも大きな隙がない。彼はジョーよりマリオやロマノフに興味があるらしく、遠慮もなくじろじろと眺め回している。一応の社交辞令でジョーに会釈すると、レイは眉根にしわをよせ、話しだした。 「・・・・落胆するかもしれんが、私たち”破壊と再生”の同志は、政府軍の突然の襲撃により、今までの拠点を追われちりぢりになってしまった。現在あまり大きなことはできん。しかし、今、必死で同志の動向を調べている。この街にも多くの同志が潜んでいる・・・・しかしまた政府の犬達もまた、この街にいる。はっきりいって部外者に勝手に動き回られては困るのだよ・・・交通網についての詳しい資料を提供しよう。ただし、私たちの組織に踏み込まぬこと。不穏な動きが見えれば、命の保障はしない。」 「・・・・わかったわ。その条件、飲むわ。・・・・命を狙ってきたらこっちも応戦するけどね。そっちの迷惑にならない範囲の情報だけいただくわ。・・・・ひとまず・・・・休息が先ね。皆疲れ切ってるから。」 カイユンの足にまとわりつくパトリックも、まっすぐに立っているが顔色は極度に悪いソーンダイクも横にすればその瞬間に眠りに落ちる程に疲労していた。 「・・・・いいだろう。ここは安全だ。アンジェラ、客人を休ませてやってくれ。」 ”破壊と再生”は現在のところ、休業中に等しいようだ。彼らがどう動いていようが知ったことではないが、政府機関が優位にたっているのは問題だ。 スラバタは先に立って歩き始めたアンジェラを制してレイの前に回りこむ。 「襲撃に対しても策を練っていたはずでは？なぜ散開し、連絡もとれないような羽目に？」 「・・・・それは私にも謎だ。なぜか組織の動きが政府に筒抜けだった。」 「スパイか？」 小声でぼそぼそと語り始めた二人を無視するようにアンジェラは歩いていく。その背について六人は移動する。 「さあ、こっち。詮索しないことよ、聞かれたくないから小声になるのさ。あんた達に一番必要なのはまともな食事と休憩だろ？それとも真っ昼間からあたしとベッドに行きたい？黒いさらさらの髪のぼ・う・や？」 あごを撫でられたカイユンは不思議そうに目をぱちくりさせた。 「このところ睡眠不足ですから眠れるのなら今すぐにでも・・・・」 露出度の高いドレスから細身の割にはみ出しそうな豊満な胸を揺らし、アンジェラは笑った。それまで緊張していた他の娘達もくすくす笑う。マリオは腹を抱え、ソーンダイクはサングラスの向こうで赤くなっている。カイユンだけがわかっていない。 アンジェラはかがみこむとパットの頭を優しく撫でた。 「・・・・そうだね。食事と睡眠。毎日それが保障されていることが一番だよね。食事の支度ができたら呼んでやるからさ、それまでシャワーでも浴びていな。夜になったらお客がたくさんくる。けど、部屋にいる限りは安心さ。むやみに顔を出さないでおくれね、こっちも商売だから。」 狭い通路の右側にずらっと並んでいるどっしりとした木製の扉をあけ、客人を三つの部屋に分散させて押しこんでからアンジェラは大きく息をついた。パンパンと手を叩く。 「さあさあ、あのお客はあたしたち目当てにきたのとちがうんだからね。あんた達はいつもどおりに仕事しな！」 「おい、ジョー。」 一回しまった扉がすぐまた開いて、マリオが顔を出す。 「何？」 爆破屋はにやりと笑った。 「いや、何でもない。呼んでみただけだ。」 同室のカイユンも頭を出す。 「どうしたんです？」 マリオは顔をひっこめ部屋の中に消えた。 ”何でもない、何でもない”と茶化すような声が小さく聞こえた。ジョーとカイユンは顔を見合わせ、首を捻った。 シャワーからは水ではなく快い香りのついた高圧の霧が吹き付けられた。髪も洗い、汗と泥をおとしてしまうと、疲れの大部分はなくなったように思えた。バスタオルを巻いて、ハンドタオルで髪を拭いながら部屋に出ていき、そのまま椅子に腰掛けた。有機系の薬液なのか濡れたという感覚はない。下着も上着も汗みどろで袖を通す気にもなれなかったのでこれまた薬液を吹き付け洗ってしまった。いざというときには濡れたままでも身につけるつもりだがこれもすぐに乾くだろう。 それにしても水ではないが久しぶりのシャワーだ。セントーア以来一度も体を洗っていなかったせいか、今は体の皮を一枚つるんとめくってしまったような気さえする。 置いてあったドライヤーで髪を乾かすと、髪はふわりと軽くシャンプーのかおりをたたせた。 先に出たパトリックはもうすうすうと寝息をたてて仮眠している。育ち盛りの彼には睡眠も必要だ。ジョーは毛布を首までかけてやり、少し長くのびた金髪を額からかきあげてやった。 「何だか女の子みたいにみえるね。」 ドアチャイムの音がした。 「お客さん。着替えを持ってきたわ。」 外からの呼び掛けに廊下の映像を確認し、内側からロックを外す。 すっと入ってきたのは、溌剌とした少女。男のようなショートカットにしたくせのある赤毛がそばかすの散った卵形の顔に似合っている。ベージュのジーンズにカーキ色のジャンパー。娼館には不似合いな娘だ。娘といってももう十七八くらいか。 「あなたに服をもってけって母さんから言われて・・・・服はあたしのだけど、下着はあたしののじゃサイズが合わないから、お姐さん達に営業用のを借りてきました・・・・」 いくつかの下着を神妙に差し出され、ラベルをみたジョーがそのうちの一つを摘みあげると、娘が羨望の瞳で胸元を見たような気がした。確かに娘の胸はひいき目にみても豊かとはいえない。いや、ありていに言ってしまえばぺたんこだ。 「ありがと・・・・あなたもここの子？・・・他の人達と醸し出す雰囲気が違うけど・・・・」 この娘が娼婦とは思えない。瞳はあかるく屈託なく話し方も動作もさばさばしていて少年のようだ。 「ん・・・店には出てないんだ。あたしはアンジェラ母さんの娘で名前はフェリナ。技術身につけて職業は情報ハッカーってとこかな。ここらの町じゃけっこう重宝されてる。今年十八になるよ。・・・・教えちゃいけないことなら聞かないけどさ。あなたの仕事は？・・・・キレイでスタイルもいいけど・・・・う〜ん。うちのお姐さん達のやってることじゃないよねえ。」 ずけずけいっているが、不思議と嫌らしくはない。 「ん・・・・昔は盛大にやってたけど。」 フェリナの表情に変化はない。自分が娼婦ではないとはいえ、娼婦のお姐さん達に育てられた彼女には偏見のかけらもない。 「・・・・そういうこと続けるには性格が過激すぎて、今は宇宙船の操縦と修理が専門だわ。他にもチームとしてはいろいろやってる。一応あたしがリーダーってことになってる。」 「わあッ！仕事屋か。羨ましいなァ。」 下着を付けようとして、まだ、まじまじと自分をみつめているフェリナに気付き、頬を赤くする。 「な、なにじ〜っと見てんのよ！」 「あ、ごめ〜ん。」 くるっと背を向ける。 「でもさ、お姉さんの肌、とってもきれいだよ。」 ニッと笑ってみせてから、フェリナは深い息をついて、癖のある赤毛をかきまわした。 （悪い人じゃないわ。少なくとも”破壊と再生”の連中じゃないよね。） ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 控えめなノックの音がしたので、ソーンダイクは廊下の映像を確かめるとリモコンでロックを解除した。入ってきたジョーはきょろきょろと部屋を眺めた。ソーンダイクは抑揚無く小さく呟いた。 「・・・・随分可愛らしい格好ですね。」 フェリナの部屋着はキュロットスカートにＴシャツとジャケット、色がパステル調で子供っぽかったが中身が胸豊か、ウエスト細い、足キレイという体型でなんだかアンバランスなところが愛らしく、また逆に色っぽくもみえた。ジョーは髪を結んでいるこれまた借り物のスカーフに手をやりながら、部屋の中を見回した。 「ここ、カイユンとマリオの部屋じゃなかったの？」 ソーンダイクもシャワーを浴びたところなのだろう。骨張った肩にかかっているランニングの捻れた紐を直しながら答えた。 「・・・・マリオは出掛けています。この街の女性を物色するのだと笑っていました。ロマノフがシャワーを使っているので、私はこちらのを借りに・・・・もう戻ろうと思っていたところです。カイユンはロマノフの所でしょうね。」 別れ際、いつになく真面目に見えたマリオを思い出し、彼はサングラスのレンズにそっと手をやった。 「そうなの。」 ”ティオ”のことで少々カイユンと話がしたかった。カイユンの性質のことだ。マリオに告げようとしてもおかしくはない。そして、今はまだ告げて欲しくなかった。マリオの心を乱したくなかった。 「・・・・ソーンダイクにも知ってもらった方がいいわ。・・・・あたしたち、チームなんだものね。」 「？」 マリオはぶらぶらと夜の街を歩いていた。 夜といっても暗闇ではない。商店の明かりと街灯の明かりがけばけばしいくらいに光っている。ここはドルガ星の中立地帯。情報が集積し、散っていく裏の首都とも言える街であり政府も電力消費をとやかくいわない。 上を見上げれば、夜空は見えない。昼は光ファイバーで太陽の光を引っ張ってくるが、所詮は人工の街なのだ。 嘗てここは灰色の首都で疲れた心を癒すためのリゾート地区として置かれたのだという。しかし、最新の技術を集めて作られた公園も人工の海も遊技場も古くなり、色褪せ、やがて埋められた。 マリオの横手にある、刺のある蔓植物で囲まれた荒地がその昔は緑の緑地だった。その奥にコンクリートで封じ込められた人工の海がある・・・・その中の水は、水の少ないこの世界において大切なものだが今はそれを利用する術はない・・・・そんなことをまだ少年のマリオは聞かされたものだった。危ない連中の使い走りをしていた時分は、この蔓が追っ手から守ってくれるカーテンの役目をしてくれたこともあった・・・・。 お前の故郷はどこかと問われれば、正直、どこがそうなのかはわからない。生まれ、育てられた場所は、政府の研究施設の中だが、あれは故郷などと呼べる場所ではない。この地下の街には三年ほどしか居なかったが、この街がもっとも自分にとっては故郷に近い場所なのかもしれない。世間知らずだった自分が、初めて自分の無力さを見せ付けられた場所、共に逃げた仲間が殺されていった場所、初めて自分の技能で生活することを求められた場所、そして、与えられた生活から逃げることだけを考えていた昔と違って、自分がどう生きるかを自由な、しかし冷酷な現実に向かい合いながら模索しはじめた場所・・・・。 生きるために彼は違法なこともした。始めは仕方なくだったが、最後には法を破ることに快感を覚えていた。言い訳が好きな連中は“社会が悪い”という。マリオはそういう奴には冷笑を浴びせる。社会がどうあろうと、選択するのは自分なのだ。自分が汚れていったのだ。純粋な・・・・カイユンとはまた違うが、汚れてはいなかった自分を徹底的に汚した街、この街が今の彼の出発点、彼の故郷なのだろう。 だから彼は故郷を愛しいとは思わない。 ここにくれば多少はセンチメンタルな感情を引き出されるかもしれぬと思っていたが、それすらもなかった。この街は彼にとっては踏み越えるべき試練以外の何物でもなかったのだった。 古びた、だがまだ弾力のあるプラスチックの地面を踏みしめ、彼は闇市へと向かう。そこに、彼が欲しているものがあるからだ。 やらねばならないことがたくさんありすぎる。 「・・・・というわけ。」 時折カイユンの控えめな相づちを交えながら、ジョーはティオについての推測をソーンダイクとロマノフに語った。 「・・・・その、マギーという女性が現われて知りたいといえば別だが、知らさずにおくのがいいだろうね。」 低く穏やかな声でロマノフが言うと、カイユンが眉をひそめた。 「・・・・カイユン、マギーという女性ははもともとティオが生きているとは思っていない。その女性にティオの死に様を伝えるのが正しいかどうかは私にはわからない。彼女の中ではティオがどんな男だったか、何のために死んだのかということははっきりとしたもの、そして過去のものにすでになっているはずだからだ。もう彼女の中では完結した出来事なのだと思う・・・・ただ、マリオにとっては仲間の死は彼のこれまでの人生の中で大きな悲しみであり苦しみであるはずだがミリムの存在を教えてやったほうがいいのかもしれない。友人の子供が妙な形ではあるが生きていると聞いたら奴は喜ぶだろう。私たちの前で表情にはださないだろうがね。 「そうですね・・・・そうかもしれない。」 「・・・・そしたら、マリオが帰ってきたら私から話してみるわ。ね、カイユン。」 話しながらジョーは、また、体の中が急速に冷えていくのを感じていた。思い出したくないこと、心に閉じこめていたこと、いや、忘れていたと思っていたことが逆流して外に出てこようとしている。 夕食に、マリオは帰ってこなかった。 客の来ていない女達とフェリナがさして大きくはない丸いテーブルを囲んでいる。レイは先程まで食事をしていたが早々にひきあげていった。女達は無表情なソーンダイクや、誠実そうでどことなく威圧感のあるロマノフは苦手なようであり、“破壊と再生”の一員であるスラバタとも相性は良くないようで、お愛想程度にしか会話をしなかったが、小さくて可愛らしいパトリックと、別の意味で可愛く、こういう時の雰囲気緩和剤代表のカイユンとは実に楽しそうに喋った。彼女らは、自分達と同じ仕事をしていたことがあるとフェリナから聞かされたのか、ジョーに対しては言葉の端々に奇妙な仲間意識が感じられて思わず彼女を苦笑させた。カイユンは大皿に盛られたサラダからパットに取り分けてやり、自分も少し取るとにっこりした。 「こんなところで新鮮な野菜が食べられるなんて嬉しいな。あの、無理して用意して下さったんじゃ？」 金髪の女性が笑う。 「坊や、はっぱものは水耕栽培でできるから豊富なのよぉ。木になる果物類は手に入れにくいけどね。」 「ふぅん・・・・そうなんですか。」 フォークで葉をつきさし、まじまじと観察し、もぐもぐやると彼はびっくりしたような顔をした。 「水耕栽培でこんなに甘い野菜が？」 古株らしい褐色の肌の女性がハスキーな声で笑う。 「ドルガはこんな星だからね。そういう技術は発達してるのさ・・・」 「凄いですね！」 自然にそういった会話ができるのは、カイユンの天性の性格からくるものであり、彼と娼婦達の間には何一つぎくしゃくした感情はないようだった。彼は食事を心底楽しみ、娼婦達が職業的熱心さで注いでくれる仄かに甘いソーダ水をじつにうまそうに飲んでいた。フェリナはジョーにいろいろと話をしてくれるようにせがみ、しばらくすると“同志発見”といったように、ソーンダイクに標的を変えた。彼女が九喋る間にソーンダイクが一喋るくらいの勘定だったが、双方それなりに熱心な・・・・素人にはまるきりわからない話に花をさかせていた。 女主人のアンジェラは食事のサービスに心を砕き、会話が途切れそうになるとすかさず如才無く話題を提供していた。（もっとも、カイユンが場を和ませはじめてからはあまり出番がなかったが。）時折アンジェラはジョーを見ていたが、その視線は、苦境を乗り越えてきたものだけがもち得る、優しいが強いものだった。ジョーは直観的に、この女性は味方か敵かそれは別にして、きっと自分と感情を共有できる、わかりあえる存在であると知った。 わからないのはレイモンドだ。・・・・さきほど食卓からひきあげていったあの男は極度に防護を固めていた。むろんジョー達を信用してはいまい。食事をとりながらも、彼は五感を総動員して彼女達の真意を探ろうとしているようだった。他の者はどうか知らないが、ジョーには個人的にスラバタを助ける意志はあっても、“破壊と再生”に全面協力する気はさらさらない。その組織の一員であるレイモンドにも深くはかかわりあいたくはないのだが・・・・ 「ロマノフ、カイユン、ソーンダイク。明日からが問題だからね。ゆっくり休養して・・・・・」 ガターンと、物凄い音がした。見れば、パトリックがスプーンを手にしたまま、額をテーブルにつけてこっくりこっくりやっている。 「・・・パットはもう限界だったか・・・・私、この子をベッドに投げ込んでくるわ。」 すっと椅子から抱き上げると、カイユンがよろりと立ち上がった。 「僕ももう、・・・・あの、このソーダ水、もしかしてアルコール入ってます？」 「お情け程度にはねぇ。１％も無いわよ・・・・まさか・・・・酔っ払ったのかい？」 「倒れる程じゃないですけど・・・・」 カイユンは桜色になった頬のあたりを人差し指でこすった。 いきなりぶっ倒れるのが今までのカイユンの酔い方の特徴であった。今はまだまともだ。少しは強くなったのか？生物としての特殊性でアルコール分解酵素が欠如しており、アルコールがまともにはいると完全にへろへろになるのだ。 「・・・・ったく・・・・じゃ、カイユンも寝ちゃったらいいわ。・・・・。じゃ、ちょっと失礼。あ、もう十分に食べたから、どうぞ片付けて結構です。じゃ。」 そのまま部屋に引き上げる二人を見送ってソーンダイクはまた食事に戻った。スラバタがうんざりしてこちらは酒をあおった。 「ロマノフ、あの大きい方の坊や、何かあんたらの役にたつのか？」 「・・・・なくてはならん存在だがな。彼の役割は一言でいいきれない。」 「おやすみ・・・・」 パトリックをベッドの上におろし、服をゆるめてやると、カイユンが毛布をふわりとかけてくるりと体をくるんだ。ジョーはパットのベッドに腰掛け、ザックから薬を出して、ソファーに座ったカイユンに目を移した。 「ほら、酔い覚まし。」 薬を放る。 「・・・・すみません。」 「いいわよ。前よりずっと強くなったじゃない？気持ち悪くない？」 「ん、今のところは。」 少し顔色が赤い以外は見た目に変化はない。しっかりした光をもった目でカイユンは呟いた。 「・・・・ところで、マリオさんは・・・・今どこにいるんでしょう。」 カイユンの手に水の入ったコップを握らせてジョーは黙って窓を見ていた。ブラインドの隙間から、表でネオンが点滅しているのが見えた。 「あいつ、何かやろうとしているけど、たった一人で、一人だけでやろうとしている。・・・・邪魔されたくないんでしょうね。いや、人数はいたほうがいいだろうけど一人でやるべきなんだってアホな考えになっちゃったみたいね。」 「え！」 ジョーは酔っ払いの額にデコピンをかました。 「・・・・ただね、カイユン、あたしたちが勝手に助けるのは自由だからね。自由にやろうよ。」 「・・・要するにいつもどおりってことですね。・・・・今までとなにも変わりなく。」 「・・・・ふふ。そういうこと。追い掛ける手段は講じてあるからね。・・・・夜のうちに戻ってくれば苦労はしなくてすむけど。」 「じゃ、おやすみなさい。キャプテン。」 カイユンは何を思ったか、一言付け加えた。 「いい夢、見てくださいね。」 「お休み。カイユン。」 カイユンが退出すると、ソファーの肘掛に腰掛けて、ジョーは外をもう一見るとはなしに外を見た。顔のあたりにネオンの点滅を感じる。 少女の頃・・・・・・。 ここよりはるかに汚れ煤けた部屋だった。 二人の男は鼾をかきながらベッドに転がっていた。 自分はベッドに座り、破られてしまったワンピースを体の前で必死に掻き合わせ、俯いて泣いていた。 世の中には悪いことがたくさんあると知ってはいたけれどこんな酷いことが自分に起こると想像していなかったあの時・・・・ はっとして立ち上がる。 ここは娼館なのだ。このベッドの上で男達は商品としての女を抱き、自分の欲望を満たして出ていく・・・・そんな場所なのだ。 寒かった。 腕で体を抱いたけど、あたたまらなかった・・・・ 「・・・・・・」 喉の奥から嗚咽が上がってきた。 泣いているのは自分ではないと彼女は自分に言い聞かせた。泣いているのは今の自分ではない昔の自分だ。まだ汚れていなかった弱かった自分だ。自分はこんなに弱いはずはない。 彼女は、ベッドに身を横たえるとネオンの点滅がわからないように毛布を頭まで被った。目をぎゅっとつぶり、口を真一文字に結んだ。そしてそのまま悪夢のなかに落ちていった。 ひどい夢を見た。何人もの男に襲われ、ひきまわされて・・・・また寒かった。今度はひどく、凍えるほどに・・・・ 不思議なことに、誰かが彼女を抱いていた。その誰かを彼女ははっきりと知っていたが名前を思い出せなかった。背に回されていた腕にすうっと力が入れられる。彼女を抱いている誰かは無言でさらにきつく抱いた。欲望に任せて躰をさわるのではなく、ただひたすらに慈しんで暖めるように。それが誰なのか彼女はようやくわかったが、声を出すと何もかもが壊れてしまいそうで、呼びかけようとしてすぐに口をつぐんだ。額にかかる髪をそっとなでつけてくれる手の暖かさを、頬を相手の胸につけたままで彼女は感じていた。 「寒いの・・・・お願い・・・・ずっと抱いていて。」 すると相手は笑った。嘲笑するような喉の奥からのくつくつ笑いだった。 （抱いて？おまえは幾百度、幾百人にその言葉を使った？） 彼女は身をよじった。逃れようとした。男は哄笑した。もうそれは彼女の知っている男ではなかった。 （抱いてやる。それがお前の望みなんだろう。体が男を欲しがっているんだろう。） 義手の左手でで払い除けようとしたが、相手はびくともせず、逆にやすやすと義手をねじ切ってしまった。義手なのにそこから血がどくどくと流れだし、辺りを赤く染めた。体から全ての血が流れだし、寒くて、寒くて・・・・寒くて・・・・ 「キャプテン？キャプテン！」 何時の間にか、カイユンが肩をとらえてがくがくとゆさぶっていた。 ・・・・そうか、夢をみたのだ。それにしても酷い・・・・酷い夢だった。いまでもがたがたと体が震えている。あの夢に現れた男の冷たい指の感触が粘液のようにそこここにまとわりついていた。腰掛けなおし、両腕で自分の肩を抱くと、・・・・今度は落ち着いた。 「カイユン・・・・どうしてここに来たの？」 「声が・・・・叫び声が聞こえたから・・・・」 カイユンは真っ青になっているジョーを見つめ、すうっと腕をのばして、彼女の冷たい手をそっととった。 「カイユン・・・・ここは・・・・どこ？」 二人はくるっとあたりを見回した。 部屋は夜だというのに妙にほの明るく、芒洋としていた。そこにあるはずだったクローゼットもコート掛けもない。第一、バスルームや廊下に通じる扉もなかった。腰掛けていたベッドそのものも消えていた。 一瞬、これもまたビルダーのまやかしの世界かとも考えたが、今のこの世界はあのときの無機的な世界に比べてずっと暖かく居心地が良かった。 「カイユン・・・・？あれ？あたし、なんでこんな・・・・」 彼女は、少女の姿をしていた。水色のふんわりしたワンピースを着た彼女は、壊れ物のように儚げで華奢な十歳くらいの美しい少女だった。 カイユンがすぐそばに立っていた。 「・・・・キャプテン？どうして小さいんです？迷路の中での僕と同じだ・・・・」 ジョーは勢いをつけて走ってカイユンに飛び付いて笑った。 「これは、夢、でしょ？なんでもありでしょう？それに、カイユンだって子供だわ。」 なるほど、彼も故郷の星でよく身につけていた紺の半ズボンに白いＴシャツの少年だ。 「ここは一体？」 「さあ？・・・・・でも、夢なら、行きたいところに行けると思うわ。ね、ここのところにきゅっと力をいれて念じればきっと」 そういってジョーはカイユンの額を人差し指で触った。 「カイユンの行きたいところに行ってみて！」 「こう・・・・かな・・・・」 カイユンは目を瞑ってぐっと口を結んだ。 途端に潮風がさあっと拭き抜けて目蓋の向こうが明るくなった。目をゆっくりとあけると、そこには燦然と輝く海が四方に広がっていた。 ジョーが歓声をあげる。 空はあくまで青く、すきとおった水を湛えた海は抜けるようなコバルトグリーンに広がっていおり、白い海鳥が滑空している。 「これ、カイユンの故郷？」 こくんとカイユンが頷くとジョーはくるりと回って辺りを見回した。木でできた橋のようなものに二人は立っていた。大海原の中にぽつんと浮かんだそれは現実にはあり得ないものだったが、不思議と違和感はなかった。水色のスカートが大きく風に翻り、いつのまにやら頭の上に現われたワンピースと同じ色のリボンを巻いた麻のつばひろ帽子を片手で押さえて桟橋に座ったカイユンを見下ろす。 「ここは・・・・桟橋？前にたしか聞いたことがあったわ。」 「うん、家のそばの・・・・でも、本当は浜につながってて・・・・これじゃ間違いだなぁ・・・」 「ううん間違いじゃないわ。これは夢なんだもの！夢には間違いなんてないの！起こったことがすべて夢の中での『本当』になるんだわ。こんな風にキレイな海に囲まれてるなんて素敵！」 カイユンは、ジョーの屈託のない笑顔を見ていつまでもそれを見ていたいというように微笑んでいた。 夢というのは便利なもので、頭で念じれば椰子の大きな実が空中に現われ喉に快いジュースを提供し、虹色に光る魚が近くを泳いでいった。ジョーが、あの先には何があるのと尋ねれば、桟橋はすぐに白い帆をパンパンにはった子供用のボートになって、二人を乗せて走りだした。ボートの横をイルカの群れが競うようについてきて、その中には懐かしい（しかし、そこにいるわけはないのだが）ホワイティーの姿もあった。船を止めるとカイユンは海に潜り、船縁で覗き込むジョーのために真珠貝をいくつか拾ってきた。しかし、いざ、こじあけようとすると、貝に脚が生えて逃げ出してしまった。カイユンが憮然とすると、ジョーがそれを埋め合わせるように、最高の笑顔で微笑んで鈴を振るような声で笑った。 「あっ・・・・」 そのとき、突風が吹いて、つばひろ帽子が海にとんでしまった。ぽっかり浮かんだそれをカイユンが飛び込んで素早く拾ってくると、ジョーは帽子を受け取って慈しむように胸に抱いた。と、それはみるみるうちに形を変えて、水色の尾羽をもった白い大きな鳥の姿になってあっと言う間に空の彼方に消えてしまった。 「・・・・お気にいりだったのに・・・・」 しょんぼりしたジョーにあわてたカイユンが振り返ると、船底一面に水色の花がいっぱい咲いていた。カイユンはいそいで花冠を作ると、栗色の髪にそっと乗せた。 「帽子の代わり！」 ジョーは笑ったが、先程までのキラキラした笑顔ではなかった。よく見ると、ジョーはもはや小さな女の子ではなかった。すっかり憂い顔になってしまった少女を励ましたくて、自分が子供のままではいけないというように、カイユンも自分の姿を変えた。紺青の長ズボンに、水色の縁取りをしたパイル地の白いプルオーバー。初めてジョーと出会ったときの服。 ジョーはいきなりわっと泣きだした。 「どうしたの？どうしたんです？」 彼は泣きじゃくる少女を抱え、とんとんと背をたたいた。ジョーは泣きじゃくりながら顔をあげた。そして堰をきったように話しだした。 「私、もうすぐ汚れちゃうの。二人がかりで乱暴されて、キスされて・・・・一番初めに、好きな人に抱いて欲しかった。好きな人にキスして欲しかった。」 カイユンは顔を曇らせた。 「ごめんなさい・・・・こんな素敵な海なのに。カイユンの故郷なのに・・・・」 「嬉しいな。」 きょとんとするジョーの横でカイユンは笑った。 「そんな風に話してくれたの初めてでしょ？何だか嬉しい。大好きな人から言って貰えて嬉しい。」 「・・・・大好きな人・・・・？」 カイユンはにこっと笑った。目が糸のように細くなる。 「そう。好きな人。僕はキャプテンが大好き。」 「・・・・・・・・」 少女は少年の肩に頭をもたせかけた カイユンはそっと自分の頭を倒して彼女の髪に頬を寄せ、そっとジョーの髪に手を置いた。 「ね、いつだって僕はこうすることならできますから。僕だけじゃない。ロマノフさんやソーンダイクさんやマリオだってキャプテンが疲れたときには支えてあげられる。ゆっくり休んで下さい。僕らは昔のことはわかってあげられなくても今のキャプテンと一緒に生きていくことが嬉しいんだから。ね、おやすみなさい。きっとこんどはいい夢がみられますように。」 カイユンが優しく髪を撫でている。ジョーはとろんとしてきてそっと目蓋を閉じた。そして夢の中のことなのにまたその中で夢におちていった。 突然、けたたましいサイレンの音が辺りに響きわたった。 「・・・・こんどは思いっきり現実よねっ！」 ジョーは跳ね起き荷を背負い廊下に飛び出した。 |
| いつかはジョーの脆くて弱いところを描かなくてはいけないと思っていました。こんな彼女は嫌だという方もいらっしゃると思いますが、私の中ではジョーはこういう女の子です。 夢の中で彼女を支えてくれたのは家事担当ですが、彼もまた、彼女の夢が生み出したもので現実ではありません。・・・・・・誰か、彼女を支えてくれる人を見つけるよりも前に、彼女自身が自分の抱えている暗いものから抜け出そうとしない限りは本当の意味では過去から解き放たれることはないでしょう。話が終わる頃には、今より少しだけ、強くなってくれる・・・・と思います。 |