エニラム６

6 青い神

　　
　三角海域の中央付近にジョーは作業艇を浮かべていた。ハッチをあけてその上に陣取る。ホワイティーはカイユンを今は途方にくれた様子で時折パシャンとジャンプしている。
　ジョーはそんな白イルカを見、髪を掻き揚げた。もう三十分もこうして事態の展開を待ち望んでいるが、何も襲いにきてくれない。
　
「ホワイティー、あんたの友達の坊やを襲ったのは一体何だったの？」

　イルカは胸びれをばたばたさせ、口を何回か開け閉めし、ぐるぐる回って懸命に身振りで伝えようとしたが、ジョーには喜んで踊っているようにしか見えなかった。

　「あたしはあんたの友達のカイユンじゃないのよ。悪いけどあんたのボディーランゲージ、あたしにとってはチンプンカンプンなんだけどな。」

　イルカは頭を上下に振り、了解したことを彼女に伝えると今度は胸ひれで空中にアルファベットを書き出した。
　しばらく眺めているうちにそれが文字だとやっとわかってきた。だが、これまた何の字を書いているのかよくわからない。そのうちイルカも人間も疲れ果ててしまった。
　と、ジョーはハッチをしめて海中に潜り、蛍光マーカーで全面の耐圧ガラス窓にアルファベットをなるべく大きく鏡文字で書いた。外から見ているホワイティーには普通に見えているはずだ。イルカはジョーの期待通り、アルファベットを口先でポイントし始めた。

　”ありがとう。これであなたに話したいことを伝えられるね。”

　水中では作業艇の中にいるジョーの声をホワイティーに聞かせることができないので、ジョーもまたアルファベット指でをポイントした。

　”もう一度聞くわ。教えて。カイユンを襲ったのは何？”

　白イルカは機関銃のような勢いでアルファベットをポイントする。ジョーよりずっと速い。

　”カイユンを襲ったのは大きな動物。”

　”動物？どんな？”

　”青くて首が長い。体の表面は固い鱗。長くて太い尻尾にはぎざぎざがついていて口から鋭い牙が二本見えた。大きな動物。リマン星にはいない。とっても怖かった。”

　竜・・・・か。
　カイユンの予想が的中したことになる。しかしジョーはまさか生物だと思っていなかったため、頭の中がごちゃごちゃになってきた。相手が巨大生物とは・・・・人間と違い行動パターンが予測出来ない分恐ろしい敵だ。

　”どのくらい大きいの？”

　イルカはさんざん迷ってから一語で答えた。

　”うんと。”

　ジョーはこけた。

　”あんたたちには大きさの概念が三段階くらいしかないってぇの？”

　イルカは自尊心を傷つけられたようだった。作業艇に体当たりをかませる。ホワイティーの体長の三倍程度しかない小さな作業艇はぐらりと揺れた。

　”わかったわかった、あたしが悪かったわ。”

　イルカは顔をしかめたが、ジョーはほほ笑みを返した。ホワイティーにとっては心外なことに、彼がどんなに怒った顔をしても、人間は笑っていると感じるらしい。イルカはまたアルファベット表をポイントした。

　”・・・・僕の大きさの三十倍くらいかな？ともかくうんと大きい。”

　大きさを聞いてジョーはげっそりした。まさにそれは怪物だ。怪獣だ。

　”・・・・で、カイユンは怪我させられたの？食べられちゃったとか？”

　”そいつが泳ぐまわりにすごい水流ができたから僕もよくわからないんだ。もしかしたら飲み込まれちゃったかもしれないし、流されただけかもしれない。でも、噛み砕かれた様子はなかったよ。・・・・あいつは僕らが今居る方に向かって泳いでいったからお姉さんをこっちに連れてきたんだよ。”

　ホワイティーの言うことが真実だとすればカイユンの生存の可能性はまだ少し残されているかもしれない。
　だが、そんな怪物を相手にする装備はこの作業艇にはない。武器は小さなレーザー銃だけであるし、サイズからして飲み込まれる可能性もある。対決するより、海流の向きに移動してカイユン達を探す方が妥当だろう。幸い燃料は十分にある。
　ジョーはその旨ホワイティーに伝えると、アルファベット表を使って彼と話がしやすいように海面から少しだけ潜った状態で移動を再開した。

　ジョーは海上の様子を船外カメラで見、ホワイティーはしきりにカイユンを呼んだ。
　いくら流されているとしても、生きていればここらへんで会えてくれないと悲しい。
作業艇は何かが下から近付いてくるのを捕えた。マリオ達の乗った潜水艇の計器よりも出力の小さなレーダーのため、発見が遅れた。カイユンにしては大きな影だ。

　”敵、敵、奴だよきっと！”

　狂ったようにガラスをポイントするホワイティーをジョーはガラスごしに殴った。・・・・拳が痛い。

　”邪魔よ！前面に貼りつくな！”

　全速前進、最高加速。
　だが、そいつは確実に距離をつめてくる。　作業艇が下から突き上げられた。ジョーは衝撃を軽減するため体を前にたおした。

　「・・・・？」

　巨大なものが当たったにしては衝撃はあまりにも小さかった。それに、まわりを泳ぐ魚は平然としている。

　「？？？」

　また小さな衝撃がきた。ジョーは前にのめった。作業艇の船外カメラのピントを合わせる。
　そこには確かに竜がいた。体色は青というより浅い珊瑚礁の海のエメラルドグリーン。顎の下から下腹にかけては綺麗なミルク色。手足があるべきところにはアシカのような大きく丈夫そうなひれがついており、尻尾はとかげの巨大版。ホワイティーの話した通り、二本の堂々たる牙が口からのぞいている。
　ただし・・・・

　”ホワイティー、どこが三十倍？”

　大きな溜息がもれた。
　大きな黒い目をくりくりさせて楽しそうに作業艇を突く竜は、作業艇と同じくらいの大きさしかなかった。

　”そりゃ、確かにこれは竜だけど・・・・可愛いモンじゃないのサ。”

　目で睨むジョーにホワイティーは首を振った。勢いをつけてアルファベットをポイントする。

　”これじゃない。僕が見たのはこんなチビじゃない！”

　その間にも竜は作業艇の色々な部分を突いていたが、くるりと回転すると尻尾で作業艇を強打した。
　こんどの衝撃は生半可なものではなかった。作業艇は横転し、不吉な音が計器板のところでした。回路がショートしたことを示す金属臭が漂う。
　手足を突っ張り横倒しの姿勢から懸命に体を起こして前面を見ると、竜が鼻面をガラスに押しつけていた。

　「げ・・・・」

　コントロールが効かない。動力がいかれたらしい。

　「前言撤回！こいつ、可愛くないわ！」

　また竜が尻尾を一振りした。ぐるっと作業艇が回る。竜はひれをパタパタさせた。

　喜んでいる。

　それはジョーにもわかった。
　くるりと後ろを向いて尻尾を一振り、またくるりと後ろを向いて一振り。作業艇はぐりんぐりん回転した。
　ジョーは手で天井を押さえ歯を食い縛った。錐揉み飛行は何回転しようとなんということないが、この回転は他人に転がされているせいか三半規管がすぐに悲鳴をあげた。

　”・・・・洗濯機の中の洗濯物の気持ちがわかるような気がする・・・・”

　ぐりんぐりん

　”あたし、生まれかわるときは絶対洗濯物にはならないわっ！”

　ぐりんぐりん

　”・・・・こいつ、遊んでる・・・・うっうっうっ、どうしろってのよ。”

　彼女を十五のときから鍛えてくれた宇宙生活の師匠は、敵に囲まれたときや、宇宙船の突発的な故障への対処の仕方は教えてくれたが、海中で竜に転がされているときの逃げ方は当然のことだが教えてくれなかった。

　”どーでもいいけど、こうやってぶん回されて死んだら、単なるマヌケよね・・・・でも、このままじゃ死にそ・・・・”

　ホワイティーは作業艇の回転による水の流れに逆らって必死にその場にとどまっていたが、竜が怖くて手出しはできなかった。が、作業艇の中身の人間がこのままではどうにかなってしまうだろうと考え、なんとかしたいという気持ちが恐怖に勝った。彼は頭と尾びれがくっつくほど身を縮めると額から竜の胴体に突撃していった。
　竜はイルカの必死の攻撃にも揺らいだ様子はなかったが作業艇で遊ぶのを中断した。別の遊び相手がやってきたのかと好奇心に満ちた目を向ける。
　ホワイティーはけたたましい声をあげた。胸びれを広げられるだけ広げてくちばしを前に突き出す。
　竜はポカンとしたように口を開けた。
　ホワイティーは尚もなにやらまくしたてる。まくしたててまた突撃を繰り返す。竜は首を縮めイルカを窺う。イルカはまくしたてる。
　やがて竜は首を縮めて服従の姿勢をとると一目散に海底目指して潜っていってしまった。
　イルカは心配そうに潜水艇のガラスを覗き込んだ。ジョーは衝撃から身をまもるためにずっと頭を両手で抱えていたが二、三度頭をぷるぷると振ると、アルファベットを指差した。

　”ありがと・・・どうやって追い払ったの？”

　”言葉は通じなかったけど怒っていることはあいつにもわかったみたいだ。あいつ、見た目よりずっと弱虫だ。”

　ポイントしながらホワイティーは体が下を向いていくのを感じた。ポイント表がある窓、つまりは作業艇が下に潜っているのだ。イルカは水面に顔を出して息をすると、また一気に作業艇に追い付いた。

　”なんで潜るのさ？”

　ジョーは計器をいじっていたが溜息をついた。

　”潜るつもりはないんだけどね。・・・・潜っちゃってるのよ。なんだか直りそうにないわ。ついでにハッチも開かない・・・・”

　ホワイティーは勢いをつけてガラスを突いた。

　”あんた、ガラス破るつもり？特殊強化ガラスがそうやすやすと壊れてたまるかってぇのよ。”

　ホワイティーはガラスにはりついてみたりハッチに触ってみたりしていたが、この事態はいかんともしがたかった。

　閉じこめられていないホワイティーよりも閉じこめられているジョーのほうが冷静だった。狂ったように泳ぐイルカをよそに、彼女は自分に残されている持ち札を検討した。
　計器は修理可能だが、修理完了の前に酸素が尽きそうだった。生きている機械は換気装置と海中を照らすライト、そして船外にのびたマニピュレーター・・・・ライトは赤外線から紫外線まで照射できるが、さきほどから赤外から紫外までの波長をバカの一つ覚えのように繰り返している。赤から黄、黄から青へ刻一刻と移り変わるライトは祭りのデコレーションのようでこの緊迫した状況になんとも不似合いなことこの上ない。

　もしもこのまま落下して海底に衝突したならその時にハッチが開くようになるかもしれない。・・・・この海域の深さはそんなにないはずだ。水圧は彼女を苦しめるだろうがハッチさえ開けば生きて海面に出られるだろう。ただし、その程度の衝撃でハッチが開く可能性は低い。それに外圧が大きくなるほどハッチは押さえ付けられて出にくくなる。
　時間はかかるがレーザーガンを使って内部から船体を破壊する方法もある。・・・・ただし、この密閉空間ではレーザーの熱で蒸し焼きになるおそれがある。

　”マリオの真似事でもしよっか。爆薬関係は苦手だけど・・・・一瞬でガラスが破れれば海水で冷めてあたしまで焼けないだろうしね。”

　工具入れを引き出し、彼女は準備を始めた。イルカはそれを眺めていたが、また呼吸をしに上がっていった。
　船体が海底についた。
　二度、三度と柔らかな砂の上でバウンドしたが、やはりハッチは開かない。
　砂に潜っていた茶色の魚が急いで逃げる。　呼吸をしてまたホワイティーが帰ってきた。今度はやけに作業艇のまわりを動きまわる。

　”またあの竜でも来たの？”

　”カイユンが生きてた！”

　アルファベット表をポイントするのももどかしく、イルカはそれだけ知らせるとまたぐるぐると泳ぎだした。
　イルカに続いてカイユンが現われた。ウエットスーツは肩のあたりがひどく裂け、ボンベやゴーグルはなくしていたが、腰に巻いたベルトの工具入れは失っていない。幸い怪我はないようで、水の中から心配そうにじっとジョーを見ている。刻々と色の変わるライトに照らされ、妙な感じだ。
　彼はイルカと同じくアルファベットをポイントした。

　”ご迷惑かけてすみません。ホワイティーから事情は聞きました。僕は何をすればいいでしょう。”

　ジョーは、この少年が生きていたことでひとまず胸をなでおろした。

　”ハッチが開けばすぐに脱出できるわ。手段がないわけではないけれどできれば外から開けて欲しい。調べてくれる？”

　”はい。”

　少年はハッチにとりついた。工具を出してカツカツと叩く。専門は海洋生物学だが、工学の知識も確からしく、修理の仕方に迷いはないようだ。
　二分ほどで少年は顔をのぞかせた。

　”開閉装置が壊れていますが、僕にも直せそうです。今、空気を吸ってきます。待っててくださいね。”

　大きな瞳を糸のように細くしてにっこり笑ってから手を振って水面へ向かう。
　ジョーは手を振り返し、青い水のなかをゆっくりとのびやかな手足を動かして泳いでいくカイユンを半ば呆然として見送った。眉根に小さな皺がよった。彼女は作りかけの爆薬を傍らに置き、目を閉じて考え込む。目の前に展開されたことが桁外れに異常だということに気付いたのだ。
　いくら海洋惑星で育ったからといって、さっきのように長く息がもつだろうか。五分以上たっていたのは確かだ。泳ぎが好きだといっても、海中で目が開けられるだろうか。
　カイユンがまた戻ってきた。彼の前髪は水でなぶられて額が出ていた。その額をきまぐれな船外ライトが照らす。赤外・・・・赤・・・・黄・・・・緑・・・・青・・・・紫・・・・紫外
　紫外光があたると、小さな妙な記号がカイユンの額に浮き出てきた。その記号をジョーは見たことがあった。

　”なんであの記号が？”

　ほどなく”かちゃり”という頼もしい音がし、カイユンがＶサインを手でつくってガラスを叩いた。ハッチが直ったのだ。ジョーはボンベを担ぎ、ゴーグルをかけると内部ハッチをあけた。そこを密閉したあと少しずつ外から水を入れていく。外部ハッチをあけて泳ぎ出ると、カイユンに予備のボンベを渡す。彼はボンベが必要そうでもなかったが、素直に担いで端を口に加えた。

　その時ホワイティーが警戒の声をあげた。先程の小さな竜が再び青い弾丸のように接近してきていた。竜は嬉しそうに”ウァン”と鳴くと、一直線にカイユンに迫ってくる。
　カイユンは身構えた。ジョーの腕を抱き抱え、タイミングをはかる。そして竜が口を開けたときに長い牙の一方に飛び付いた。
　竜はカイユンを牙に捕まらせたまま縦横無尽に泳いでいたが、それに飽きると素晴らしいスピードで一方向に泳ぎ出した。珍客を牙にぶらさげて泳ぐことも遊びの一つと思っているようだ。イルカはあわてふためいてそれを追い、ジョーは訳がわからずただもう一方の牙を抱いていた。

　魚たちが驚いて道をあける。水流・・・・青い世界のなかに巻き起こる白い白い泡、泡、泡、竜が大きな前ひれを動かすたびに速度がましていくような錯覚すら覚える。無限の道を無限に進んでいくと思い始めたとき・・・・
　牙にとりついていた二人は突然空間に放り出され、白い珊瑚の砂の上に落とされた。

　「痛っ・・・・」

　したたかに腰を打ったジョーが見渡すと、そこは小さな入江だった。非常に奥まっているので、入江というより洞窟といった風情である。砂浜は奥行二十メートル位か。今は上げ潮の時間であることを岩の削れ具合が示している。
　陽光は優しく白い砂を照らし、鮮やかな色彩の貝やカニが蠢いていた。竜は海面からエメラルドグリーンの長い首をのばし、目をくりくりと回している。大きく重い体は陸上では支えられないらしく、水から上がってこようとはしない。

　「キャプテン！怪我ないですね！無事ですね！よかった！僕、海の中で交信不能になったときもう会えないかと思っていたんです！」

　カイユンが飛び付いてきた。ジョーの胸でぼろぼろ涙をこぼしている。
　ジョーはやれやれと思いながら背をさすってやった。

　「うんうんうんうん、あたしも嬉しいわよ。・・・・あの竜、あたしたちをどうする気かな？」

　カイユンはごしごし目をこすると笑った。
　
　「あの子、単に遊びたいだけなんでしょう。でも、あの尻尾で叩かれたり、牙で噛まれたりしたらおしまいですから牙に抱きついてみたんです。首は太すぎて、他に捕まるところがありませんから・・・・僕のウエットスーツ、あの竜の牙で切り裂かれたんですよ。」

カイユンはぴらぴらとしたウエットスーツの破れを人差し指でなぞってみせた。カッターナイフで切ったように見事な切り口だ。

　「”あの子”といったわね。ということはあれはちびであって親は他にいるの？初めにあんたを襲ったのはチビ？」

　少年は砂の上にきちんと正座した。

　「いいえ・・・・初めに何か途方もなく大きくて青い固まりが迫ってきたんです。僕はそれを見た直後巻き起こった水流で飛ばされました。・・・・・気付いたらあの子が横に居て僕がさっきと同じように牙にしがみついたらここに連れてこられたんです。・・・・あの子がいなくなって僕はここを抜け出したんですが、そしたらホワイティーに会って・・・・」

　「ふ～ん。あんたの白イルカは、巨大な青い竜がカイユンを襲ったっていってたけど、カイユンははっきりと見ていないのね。・・・・ここが竜の巣穴ってわけでもなさそうだし。」

　ジョーはあたりを見渡した。砂の上には大きな貝殻だの、藻の固まりだのが置いてある。よく見るとひしゃげた鉄板だのもつれた電線だの、襲われたプラントや船が出所と思われるものも多い。・・・・だからといってこのチビ竜が襲ったわけはないだろう。このチビ竜は海に漂っていたもののうち気に入った物件を自分の秘密の場所にためこんだ、それが真実に相違ない。
　ジョーはゆっくりと立ち上がり、竜から遠い位置に移った。カイユンも従う。
　竜は時折胸ひれで水をぱしゃぱしゃかき回して、淋しそうに首をもたげていたが、二人が水辺に戻ってこないので、つまらなそうに大きな飛沫をあげて潜っていってしまった。

　「これからどうしますか？」

　カイユンが訊ねると、ジョーは自分の隣に座れと合図した。

　「・・・・作業艇もなくした今、こっちから積極的な行動はとれないわよ。」

　ジョーは作業艇から掻き集めてきたそう豊かでもない物品が入ったバックパックを叩いてみせた。

　「・・・・でも、どんなことをしてもマリオ達をみつけよう。みつけなくちゃいけないわ。それより・・・・見たわよ。」

　カイユンが何のことかわからずジョーの顔を見た。ジョーがゆっくりとカイユンの額に人差し指の先をつきつけると彼は俯いた。

　「俯くことないわ・・・・でも、教えて欲しいのよ。なぜ、あなたの額にリマンの霊長類研究センターのマークがあるのか。」

　少年は膝を抱えていた。細い手足が震えている。ジョーには非常にいたいけに感じられた。

　「・・・・僕の星の人たちって、普通の人とかなり変わっているんです。・・・・水圧にも強いし、息も長く続くし・・・・怪我しても回復が早いし・・・・人間は人間を実験することはありませんけれど、スポーツ選手の体の機能をお医者さんが研究することはよくありますよね。それと同じです。リマンから学者さんが来て、僕の星からたくさんの人たちがリマンに連れていかれました。僕もその一人です。」

　ジョーは腕組みした。腕組みして・・・・怒鳴った。

　「それってもしかしてあんたが実験動物にされてたってこと？」

　「え？実験動物・・・・」

　ジョーの言葉にカイユンの方がびっくりしたようだった。

　「・・・・確かに身体検査や運動機能検査を定期的に受けて、学者さんと何回も面接して・・・・でも、ひどい事されたことなかったし・・・・学校にも行かせて貰えたし・・・・親切な人もたくさんいたし・・・・」

　ジョーは食い付いてはなさない。まるでカイユンを叱っているような具合に怒鳴り散らす。

　「無理遣り家族から引き離されたんでしょ！あんたの星の人たちは反抗しなかったの！」

　「・・・・僕の星、貧しいんです。リマンからいろいろ貰っているんです。リマンからの援助のおかげで、生活が豊かになって、僕が小さかった時も風土病で死ななければいけなかった何万人もの病人の命が助かりました。・・・・だからみんな自分たちにできることがあればリマンに協力しようって思っているんです。・・・・でも、家族がばらばらになることはみんなの悲しみです。・・・・父さんは僕が連れていかれることになって逆らいました。政府の人を相手に大暴れしました。僕の村の人も僕を行かせまいとがんばってくれました。父さん、運がよかったんです。漢字学の学者で、かなり名が知られてましたから、投獄されませんでした。村の人もどうにか助かりました。でも、普通は反抗するとどこかに連れていかれて帰ってこないんです。リマンからマーリナへの援助も減らされます・・・・」

　カイユンは悲しそうに額を押さえた。太陽光では印は全く見えないが、カイユンには他人に見えようが見えまいが額が気になるのは同じことなのかもしれない。
　ジョーが手近にあった干涸びて固くなったヒトデの死骸を海に投げた。ヒトデも陸で死屍をさらしていたくはないだろう。

　「それでやっとわかったわ。カイユンの書類にに空白が多かったのが。・・・・わからないのは、なんでパレの収容所に回されたのかってこと。あなたが研究対象なら、研究所か、それでなくてもいつでも目に届く範囲においとくのが筋じゃない？」
　カイユンはこっくり頷いた。

　「それに関しちゃ僕も不思議だったんですが・・・・一応答えがあります。・・・・僕、僕の星の人の中でもへんてこな奴なんですよ。僕は十のときに故郷のマーリナから連れてこられたんですが、そのときイルカと話せたのは村で僕一人でした。それだけじゃありません。十八になってこんなチビなのは、明らかにおかしいんです。もっともっと背がのびて大人になるはずなのに。あんまり変り者だから、研究対象として不適当なんじゃないか・・・・って僕思うんです。どんな実験でもあまり変わったデータがでたときはそれを無視して考えますよね。それとおんなじで、僕も切り捨てられて収容所にいかされたんですよきっと。でも、僕、シークレットに入ってよかった。キャプテンみたいな優しい人に会えて。」

　ジョーがぱたりと仰向けに寝転がった。

　「どうしました？気分悪いんですか？わ～んキャプテン死んじゃ嫌だぁ～！」

　ジョーは起き上がった。胡坐をかいて自分の膝の上で頬杖をつく。

　「あのね、あたしのどこが優しいわけ？」

　きょとんとするカイユン。

　「どこって・・・・僕が行方不明になって心配してくださったでしょう？僕、本当に嬉しい。」

　「あんた本当に十八の男？」

　「僕は本当に十八の男です！」

　「参ったな・・・・十八の男ならあたし何人か相手したことあるけど・・・」

　「相手？僕だって今キャプテンの話相手してますよ？」

　もう一度ジョーは仰向けに寝転がった。この少年と話していると、頭のねじがきしむような音をたてて一斉にゆるんできそうだ。

　「・・・・もとい・・・・あたしはシークレットになって喜ぶ人間も、あたしを優しいという人間も初めて見たわ。Ｄ級シークレットをやれなんていわれたらもっと怒ったり喚いたり悲しんだりするのが普通よ。Ｄ級シークレットがどんなもんか、いくらあんたでもわかるでしょ？どうしてそういつもにこにこしていられるのか・・・・」

　カイユンは破れてしまったウエットスーツを脱ぎにかかった。

　「僕の星に、海のそこに住んでいる神様の話があります。海の神様は大きな大きなたいへんに歳をとった方で、海の色をした長いローブを羽織っています。右のローブの袖を翻すとそこから魚や貝が生まれてきて僕たちはそれを食べて豊かに暮らせます。けれども左の袖を翻すと大波が生まれてきて海は時化になります。・・・・でも、神様は左の袖を振って僕たちを苦しめようとしているわけではないんです。神様は両腕を使って海の中で命を回しているんです。片方の腕だけを使っては海の命は止まってしまうから・・・・僕のお祖母ちゃんが神様の話をよくしてくれたんです。お祖母ちゃんはこう言いました。”カイユン、だからね、時化のときにも神様を恨んじゃいけないんだよ。いつでもにこにこしておいで、泣いていても笑っていても時化の時は時化、収まりはしない。だったら笑っていたほうがいいだろう？”って。・・・・それに、僕、無茶苦茶ひどい状態に陥ったことがないんですよね。誰かしら優しい人がそばにいてくれてて、僕って基本的に幸せなんですね！」

　ジョーにはこの少年が幸せと言うよりも脳天気に思えた。そしてカイユンが思いっきり怒っている顔をいつか見てみたいものだと考えながらバックパックを開けて棒状の携帯食料を一つカイユンに放った。
　自分でももぐもぐやりながら現在の状況を復習する。
　青い大きなものがカイユンを襲った。その大きなものの正体はわからないが、先程のチビ竜の成体かもしれない。マリオやロマノフ達にも同じようなことが起きた可能性は大。計器が狂ったのは何のためか確定はできない。人為的なものかもしれないし、この星の海の中に磁気異常をひきおこす何かが存在しているのかもしれない。また、竜が電磁波を出している可能性も残っている。・・・・チビ竜は出してはいないが。

　そのチビ竜がまた水面から顔をだした。さきほど居なくなってから三十分ほどたっただろうか。口には誇らしげにピカピカ光るものがくわえられている。竜は二人の機嫌をとるようにその代物を砂の上にそっと置いた。
　ジョーが息をのむのがはっきりとカイユンに聞こえた。黒光りする合金には見覚えのある船体番号が刻まれていた。間違いない。マリオたちの乗っていた潜水艇の外壁の一部だ。

　「・・・・カイユン、あの竜にあたしたちを案内させることはできる・・・？」

　カイユンは唸った。

　「それはちょっと・・・・あ、でも、彼なら・・・・」

　カイユンの指差す先には、いつのまにかチビ竜の兄貴分になってしまったホワイティーがカイユンにはそれとわかる不機嫌そうな顔を海面から出してこちらを睨んでいた。
　カイユンがやって欲しいことを説明するとイルカは了解の印に鋭く声をあげて泳いでいった。

　「あのイルカも利口よねえ。

　ジョーが呟くとカイユンは勢いよく頷いた。

　「・・・・ホワイティーは特別のイルカ。普通のイルカよりずっと人間に近い考え方をします。・・・・でもそれはイルカからすれば”奇形”であって・・・・彼は仲間のイルカからは疎ましく思われているところがあります・・・・。」

　竜にこちらの気持ちを伝えるのに、長い時間がかかった。・・・・正確には伝えられたのかどうかわからない。ただ、竜は順調に海中を一つの向きに向かって泳いでいっている。首には海藻を撚り合せた綱が巻かれ、二人はそれに捕まっている。ボンベの酸素が消費されてしまうが竜が行って戻ってきた時間を考えればそれほどこたえないとの判断だ。
　竜がまわりの魚や流れてきた海藻にちょっかいを出そうとするたびにホワイティーがつつく、そのたびに竜はしゅんと首を下げ、黒い目を目蓋が半分まで覆った。
　この二頭の間では完全に優位関係が確立してしまっていた。図体の大きな竜が小さなホワイティーにど突かれる構図は奇妙だ。普通は体の大きなものが優位になりそうなものだが・・・・
　竜はいきなり止まった。
　特に変わったところのない風景だ。マリオと別れたところから十キロほど離れた地点。二人が首の縄から手を離すと、竜はゆっくりゆっくりまわりを泳ぎ始めた。ジョーはカイユンに頷いてみせると海底を目指した。

　潜水艇本体も死体もない。
　あったのは外側に接続されていた部品が少しだけだ。
　ホワイティーがが部品の一つをくわえて持ち上げた。真似して竜が別の部品を持ち上げる。カイユンがそっと竜の鼻面を撫でてやるとチビ竜は一瞬緊張したが、すぐに自分からじゃれついてきた。
　だが、何かの気配を感じたのか、ピンと硬直し、首を高く持ち上げた。
　威嚇しているのではない。怯えているのでもない。チビ竜の様子は、そう、偉大な人物が階段を降りてくるのを待っている衛士に似ていた。
　水が動いた。
　激しくはない。ただ、膨大な体積の海水すべてがジョー達の前から後ろに向かって圧倒的な力によって動いていた。
　ジョーが珊瑚の群落に爪先をひっかけて足場を固めるとカイユンが齧り付いてきた。ジョーは腰に下げていたレーザー銃を抜いて安全装置を外した。

　”何が来るの？”

　ゆっくりそれはやってきた。
　大きな大きな・・・・それこそ小山のような竜。チビ竜とよく似た姿、だが、色は深い深い青い海の色。体表のところどころを貝やイソギンチャクや藻が覆っている。それらの付着物すらこの生物に威厳を与えるのに一役かっている。牙はチビ竜の首と同じほど太く巨大な竜の胸に届くほど長い。思慮深そうな小さな黒い目は優しくチビ竜を見ている。
　この竜は何年の歳月をこの海で生きてきたのだろう。竜は首を曲げ、ジョー達を見た。鋭い牙は一撃で二人を引き裂くことができるだろう。しかし竜は口を開けようともしなかった。ただただ竜は見つめ続ける。
　ジョーは銃をおろした。レーザーガンなど役に立ちはしない。

　”なんて大きな・・・・なんて綺麗な竜・・・・あたしたちを全く恐れていない。そして攻撃しようともしていない。ただ、じっと観察しているわ。・・・・”

　カイユンがジョーの前に指で字を書いた。　”『か・み・さ・ま？』まさか・・・・でも似たようなものかしら？・・・・この竜はこの海の主かもしれない。神様と呼んでもいいわ。呼ぶのにふさわしい生きものよ。青い大きな神・・・・・”
　ホワイティーが叫び声をあげた。ジョーの背後から、体長三十メートル程の、明るい青い色をした竜・・・・目の前の竜よりはずっと小さな、しかし若々しく荒々しい命に満ちた竜が二頭、雄叫びをあげて迫ってきた。
　チビ竜は”青い神”の陰に隠れた。”青い神”はほら貝を鳴らすような太い声を発したが、新参の竜達は気にも止めぬ様子だった。ジョーの体の内側で、動物としての本能が危険を告げた。

”あいつら・・・・チビ竜とも”神様”とも違うわ！”