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| 14 最後の聖戦 |
翌日の未明、哨戒任務に就いていたアリオーンの部下の竜騎士は、バーハラ方面からこれまでにない大部隊が進行してくると告げた。これに対して開放軍は全軍をもって対することを決定。ここに実質上の最終決戦の火蓋が切って落とされた。 隊長の号令のもと、次々に部隊が整列する。十数年前、バーハラの悲劇で命を落としたシグルド達の仲間の遺児が成長し、馬を並べて進軍を開始するのだった。 「スカサハ、死んだら駄目よ。」 城門に寄り掛かってラクチェは呟いた。 「ああ、ラクチェもな。」 「死んでいる暇はないわ。あたしたちには護る人がいる。」 杖にローブ姿の軽装の魔道士達を一回り見回して彼女は頷いた。 「決して殺させやしない。伊達に死神兄妹と言わさせているわけじゃない。あたしたちにはイザークのアイラとドズルのレックスの血が流れている。だから、強くて丈夫なはずでしょ。」 銀の大剣の柄を片手に握ったスカサハがラクチェの肩を抱いた。 上空高く舞い上がったアリオーンは自分より少し下から地上に向かって魔法が放たれるのを見た。フィーとアーサーのコンビではない。敵のペガサスの乗り手が自ら魔法を使っている。しかも複数。三騎いる。 魔法に弱い竜が相手にしたくはない相手だ。反転して後方を固める弓騎士部隊に知らせようとしているところに、地上で大規模な雷撃が吹き荒れた。先陣をつとめていた兵士の一角がほぼ一瞬にして壊滅した。紛れもなくあの魔法はトールハンマー、神の鉄槌・・・・ 「イシュタル王女か・・・・」 竜を叱咤し急がせる。開放軍は全力で戦わねばなるまい。 即座に進軍は一時停止した。最前線から少し下がったセリスのキャンプに軍の主力が結集した。 ファバル、レスター、そしてセティが揃って前線キャンプのテントの前にいるセリスの前に並んだ。 オイフェが重々しい声で命令を下した。 「全軍への被害が最小ですむようにするには長距離から敵を沈める必要がある。ペガサスは弓矢で黙らせる。トールハンマーは弓矢だけでは相手にはできない。セティ、止めをさすのは君の役目だ。」 フォルセティの魔道書を胸に抱くセティの腕に力が入った。その隣にアーサーの腕を引っ張ってフィーが並んだ。 「オイフェさん。じゃあ、あたしたちが撹乱します。この戦いを乗り切れば見通し明るいんでしょ？お兄ちゃん達がうまく動けるように空から引っ掻き回します。」 呑気そうな顔でアーサーが付け加えた。 「相手のペガサスって、乗り手自身が魔法を唱えてるんですよね〜。そしたら、魔法を唱えている時には隙ができるじゃないですか。フィーがペガサス飛ばせててその後ろで俺が魔法を唱えたら、そうとういけるんじゃないかなぁ〜って・・・・あ、大丈夫ですよ。フィーがどんなに無茶な飛び方したって俺は慣れてるから・・・・え？ティニー、」 妹の姿を認めてアーサーの表情がきりっとしたものに変わる。 「どうしたんだ、お前は魔道士部隊の方にいったんじゃ・・・・」 ティニーは首を振った。 「・・・・もう一度だけ。もう一度だけイシュタル姉様と話をさせて下さい。」 「そんな！ティニー、そんな危ないこと！」 「アーサー兄さま、私、兄さま達に助けてもらってばかり・・・・ティニーも少しは強くなりました。だから・・・・できれば姉様を助けたい・・・・駄目だとわかったら姉さまとも戦います！だから連れていって下さい。」 セリスは頷いた。 そのときざっざっと足音をさせながらアレスが進み出た。 「俺がトールハンマーを切ろう。・・・・ただ一度だけだ。あの一撃を食らえばミストルティンもどこまで保つか疑わしい。」 どこからテントに潜り込んだのかパティがばたばたと手を動かした。 「本気？やられちゃったらどうするの？」 リーンがパティの肩に手をおいて微笑んだ。 パティは静かにせざるを得なかった。 セリス軍はアレスを先頭にして進んでいく。彼の後ろにセティとティニーが続く。上空にはアーサーとフィーが待機している。まず、敵のペガサス部隊が動きを見せた。 「おい、フィー、いよいよ来るぞ。」 「わかってるわよ、相棒。・・・・余裕があったらで構わないけど、なるべくペガサスには当てないでね。あのコ達は言い付けを守っているだけでなんにもわかってないんだもの。」 その二人の横をかすめてファバルのイチイバルの矢が飛んでいく。 「マーニャ！お願い！」 ペガサスは味方の矢を軽々と避けながら空を駆ける。アーサーが魔法を唱え、青い空に火球が飛ぶ。アーサーの指摘は確かだった。相手はペガサスを駆りながら印を結んでいる。その隙をこちらの魔法が狙い打てるのだ。しかも神弓イチイバルの助けもある。 「フィー！もっと右！」 アーサーに言われて手綱をひく。敵は彼の魔法の直撃で馬具も損傷し、ペガサスから投げ出されて落下していく。と、ペガサスはその大きな羽を畳み、主人を救おうと急降下していった。 「駄目！」 思わずフィーは叫んでいた。敵のペガサスは主人においついてその大きな翼を広げたが、それは地面の直前だった。ペガサスも、その主人も落ちたまま動かない。 「！」 気をとられていて少し反応が遅れた。 三騎の敵のうち、他の一騎がファバルに落とされ、残っているのは一騎のみだったがその一騎が槍を構えて捨身の攻撃をこちらに向かってしかけている。 アーサーは慌てて印を結ぼうとし、フィーも細身の槍を手にする。ファバルも弓を引き絞ったが間に合わない。 と、上空から風の速さでアルテナの竜が飛び込んできてゲイボルグがペガサスの羽を傷つけた。 敵のペガサスは止むなく降りていく。本能的に安全と思われる山の中へ・・・・それを見てフィーは何故だかほっとした。 心配したアルテナが腕木信号を送ってくる。 フィーは大げさに手を振って答えた。アーサーがはりつめた声をかける。 「射手が狙ってくるぞ！戻って俺をどっかに降ろしてくれ。マーニャの負担になるだろ？」 「う、うん。」 見上げるとアリオーンの部隊が高空を舞っている。アルテナがアリオーンに合図を送ってすうっとフィーの援護に入った。 ペガサスが落とされたのを見てアレスは移動速度を早めた。たった一人で歩いてくるイシュタルが視界に入った。 「何の茶番だ？」 イシュタルは立ち止まった。銀の髪が横殴りの風になぶられる。それを気にするように彼女はそっと髪を手で押さえた。 「イシュタルねえ様！」 叫ぶティニーの声が聞こえたのか雷神の娘はぴくりと肩を震わせた。近付いていこうとするティニーをアレスが制止する。 戸惑うティニーにイシュタルの心の声が伝わってきた。 ”ティニー。もう遅いの。・・・・もう私にはユリウス様をとめられない。もうユリウス様はユリウス様ではなくなっています。・・・・私はこれから最後の仕事をしなくてはいけません。” 「ねえ様？」 イシュタルは目を閉じて印を結び始めた。魔法力が放出され、彼女の体の周りにぱちぱちと青白い火花を出現させる。 アレスが馬から降りてミストルティンを構えた。 セティがティニーを護るように飛び出して素早くフォルセティを唱える。稲妻の魔法がイシュタルからこちらに向かって放たれる。アレスが渾身の力を込めて魔剣を振り降ろす。稲妻は二手に分かたれ、セティ達を護り切った。 「暖かき風の流れよ！」 賢者から発せられた風の究極魔法はイシュタルを切り裂き、跳ね上げ、その場に横たわらせた。 ティニーは膝をついた。予想していたこととはいえ、やはり泣かずにはいられなかった。と、アレスが呟いた。 「・・・・違う。トールハンマーではない。」 セティも頷いた。 「ええ。・・・・術者の魔力によって威力を増していましたが・・・・あれは中位魔法のエルサンダーにすぎません。」 「どういう・・・・ことです？」 アレスは剣を収めた。イシュタルの背後の大部隊が蜘の子を散らすように逃げていくのが見えた。 「この女は戦を終わらせたかったのだろう。・・・・俺達に殺されることを望んで自ら襲いかかる振りをしたのだ。・・・・もはやユリウスの行為がロプト教団と繋がっていることは否定できないところまできている。・・・・光の戦士が使っていたトールハンマーを持つものが倒されたとしたらどうなるか、イシュタルにはわかっていたに違いないのだ。・・・さあ、もう行くぞ。あの女を無駄死にさせたいのか？」 彼女はいつもユリウスの傍らにいた。その魔力をもって解放軍の兵士達を何百人も屠った。・・・・・・・しかしまた、彼女がそこにあったからこそ、多くの・・・・・・彼女が殺した兵士の数以上の子供たちがその命を救われていた。 冷酷な・・・・・そして誰よりも優しかった雷神の娘・・・・ イシュタルの死体は荒野の真ん中にぽつんと転がっていた。雷神の娘の名に反して穏やかな死に顔であった。不思議なことに、その骸は細かな光の粒子になって空中に消えていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「お知らせします！東からここに向かい帝国の特殊部隊がやってきています！」 アリオーン配下の竜騎士の一人が駆け込んできた。 「特殊部隊？バーハラとヴェルトマーの正規軍が白旗を掲げたというのは策略だったのか？」 オイフェは神経質に口髭を捻った。 アリオーンが首を振る。 「策略ではないだろう。説明しよう。・・・・彼女が遭遇したのはどちらの軍でもない。動き始めたのは通称”黒の部隊”と言われていたものだと思われる。私も詳細はしらないのだが・・・・マンフロイの呪縛によって感情を持たない兵団が作られたと聞く。痛みも恐怖も感じない兵士だ。」 「アリオーン王、彼らはすぐにやってくるのでしょうか？」 「いいや。哨戒任務にあたらせた者からの連絡ではヴェルトマー城とバーハラのそばから離れないということだ。彼らはユリウスの回復を待っているのだろう。暗黒神ロプトゥスが完全に奴に降りれば、こちらに光の魔法ナーガがない以上、ほぼ奴らの勝ちだ。」 兵士から敵の分散状況の報告を受けていたオイフェが地図を眺めて×印を書いた。 「こちらからヴェルトマーを攻めるしかないでしょう。」 「なぜヴェルトマーなのだ？軍師殿。」 「そちらの方が防御が厚いからですよ。何か私たちに攻められたくないわけでもあるのでしょう。しかし、痛みも恐怖も感じない部隊ですか。厄介ですね。・・・・今少し考える時間を貰えますか。」 そう言ったきり、軍師は石のように動かなくなった。 「セリス様！セリス様！」 フィーが血相をかえて飛び込んできた。 「大変大変！ユリアちゃんが！ユリアちゃんが！」 「ユリアがどうしたって！」 敵の返り血を浴びた姿でテントに飛び込んできたスカサハは、実戦用の装束を身につけているセリスを目にした。 「スカサハ。僕が行く。僕はユリアに約束したんだ。護ってみせるって・・・・きっと正気に戻してみせる。」 「セリス様！俺も行かせて下さい。」 「・・・・スカサハ、今のユリアは強力な魔法で襲ってくる敵なんだ。冷たいようだけれど、魔法攻撃に弱い君では・・・・」 「わかってます。でも、でも、ユリアを倒すのではなく助けることが目的なのでしょう？だったら・・・・魔法の２・３発くらっても俺は耐えてみせます。耐えてユリアを押さえてみる。俺が駄目だったら、セリス様、そのときはどうか・・・・」 その背をラクチェがどやしつけた。彼女も半身は返り血で赤く染まっている。 「御託を並べている暇があったらそこに行くべきだわ。・・・・ユリアはナーガのたった一人の後継者。スカサハが駄目だったらあたし、あたしが駄目だったらまた別の誰かが行かなくちゃいけない、助けなきゃいけない。あたりまえのことじゃないの。さあ。行くわよ。スカサハ、あんたも馬術は苦手でしょ。早くいかなきゃ手遅れになるわ。」 オイフェが頷く。 「我々はその間に”黒の部隊”を相手に戦います。必要以上に恐れぬことです。死ぬことを恐れぬ人間は生きようという執念を持たぬのですから。部隊長諸君、こちらへ。」 ヨハン、フィン、レスター、そして魔道士隊や剣士の隊長、そして竜騎士を束ねるアリオーンが軍師の周りに集まった。 レヴィンの声がセリスの後ろから聞こえた。 「ユリアはマンフロイの呪縛の下にあるはずだ。マンフロイを殺さぬ限り、呪咀から開放されることはありえない。・・・・セリス、お前がユリアを助ける、押さえる、といってももしも手に余ったらどうするつもりだ。」 セリスはまっすぐにレヴィンを見据えた。 「僕は三人の聖戦士の血をひいています。父からは聖戦士バルド、母からは聖者ヘイム、そしてロプト教徒ながら平和のために共に戦ったマイラの血を。もしもユリアを止められなかったら、そのときの覚悟はできています。イシュタル王女が自分の身を賭けてなそうとしたことを成し遂げるのが私の役目です。」 小さな少年司祭は大きく首を横に振った。 「レヴィン様。マンフロイはロプトゥスに力をあたえられたとはいえ、人間です。人間の為した技は絶対ではない。それをあなたは一番よくわかっていらっしゃるはずです。・・・・僕はユリアさんをほとんど知ってはいませんけれど、セリス様と共に参ります。運命を見定めるものブラギ神の司祭として。」 オイフェの周りから人垣が崩れた。隊長達が自分の部隊に向かう軍靴の音がざっざっと響く。 「皆さぁん！行きますよ！」 ヨハンが銀の斧を天に向かって突き上げると男たちが歓声をあげた。 「槍隊！前へ！」 「弓隊！槍騎士隊に続け！」 蹄の音高く騎馬が駆け出す。その中にはリーフやナンナの姿も見える。最も初期からセリスたちに協力してきたイザークの剣士たちはシャナンに率いられて回りこむ道をとる。槍騎士隊のすぐ真上に降下してきたアルテナは気付いてくれたフィンに向かって、彼の青いマントの切れ端が結び付けられたゲイボルグを掲げてみせた。それに応えて掲げた彼の槍にはアルテナの額あての布が翻っていた。 「兄ちゃん！」 パティはファバルに大きく手を振る。彼女の横にはリーンが並んでいる。 手を振り返すファバルの向こうにはレスターの弓騎士隊が、そして更に先にはデルムッドやアレスがいた。 「無事で帰ってこなけりゃ晩ご飯抜きだからね！」 元気の良いパティの声に城の守りにつく少数の重装歩兵が苦笑した。 やがて兵士たちは動きだした。海面が波立つかのように騎馬が、人が東へと動きだす。先陣を切るのは青い髪の青年。 尖塔の上からラナはじっと様子を眺めていた。 「いたっ！ほら、あそこよ。」 フィーが叫んだ。いつも通り彼女の後に控えたアーサーが彼女の視線を追う。 「目がいいなあ。あ、見えた。・・・・でも・・・・本当にあれがユリアちゃんなのか？」 フィーはユリアに近付いた。 紫水晶の髪の少女がふらふらと戦場をあるいている。虚ろな微笑を浮かべ、ときおり光の魔法を唱えてあたりの木々を薙ぎ倒すその姿は幽鬼のようであった。と、ユリアは視線をあげ、ペガサスを見た。 「わっ！」 アーサーがあわて、フィーはぐいっと手綱を引いて飛ぶ向きを変えた。さきほどまでいた場所に向かってユリアの魔法が放たれた。そばにいるだけで空気がぴりぴりしているのがわかる強力な魔法だ。そして彼女は尚も攻撃を加えようとペガサスを追って移動してきた。フィーはポン、と手を打った。 「いける。」 「？なんのこと？」 「・・・・アーサー、このままあたしたちユリアの標的になるわよ。・・・・敵の部隊の中に彼女を入れたら乱戦になっちゃって助けられるものも助けられなくなる。幸い相手は徒歩だし・・・・」 「・・・・それってあぶなくないのかな。」 「ここまできて四の五のいってる暇ないでしょ？セリス様達が来るまで持ちこたえるわよ。」 アーサーはふう、と息をはいた。 「りょーかいッ！相棒！」 フィーがユリアをひきつけているころ、本隊は”黒の部隊”と接触していた。それは異様な軍団だった。槍で体を貫いても叫び声一つあげない。攻撃の手も緩まない。死ねば動かなくなるが、人間とは言い難いような者の集団だった。その中でも幾人かは恐るべき戦闘力を見せていた。まるで聖戦士が相手方に寝返ったような印象を与える。彼らは揃って黒い鎧をつけ、漆黒の武器をもっていた。その武器からまがまがしいオーラがたちのぼっている。オイフェは一度兵を下がらせ、素早く命令を与えた。そして各部隊の精鋭だけが集められた。 「セリス様達はユリア様のもとへ！シャナン、君はできるだけ早く中央突破してセティと共に幾人かを連れてヴェルトマーに向かってくれ。厳しいとは思うが。」 「わかった。・・・・マンフロイを討つのは私の役目だ。任せろ。」 体制を整えたセリス軍は再び進軍を開始した。一般兵は大きく廻りこんでバーハラ城近くに展開している通常部隊に攻撃をかける。迫ってきた黒の部隊には聖戦士の末裔たちが立ちはだかった。 「どうだ？」 オイフェが尋ねると、枯れ木に昇ったファバルは目を懲らした。 「大剣を構えた鎧の大男が一人。弓使いが一人。細身の剣をもったすばしこそうなのが一人。いかにも剣士ってやつが一人。暗黒司祭が一人。魔道士が一人。槍使いが一人。竜騎士もいる。」 「そして斧が一人。」 木の根元でレスターが付け加えた。 「・・・・騎馬はいないのか。」 「ああ、馬には効かないのかもな、その呪縛ってやつ。どうする？誰が誰とやるか籤引きでもするか？」 オイフェは即座に命令を出した。剣は剣、槍は槍と戦う。今までの戦いでは、互いが有利になるように組合せをしてきた。相手が斧なら剣、剣なら槍、槍なら斧というように。しかし今度の相手は別だ。普通の人間なら死をおそれて使わないような打ち込み方を平気でしてくる。ならば自分がよく知っている武器の方がよいという判断だ。魔法を切るアレスだけが、自分と違う相手と戦うのみ。 初めにぶつかったのは剣士とシャナンだった。だれもが、バルムンクをもつシャナンがすぐに相手をねじ伏せると思っていたが、シャナンは相手の一撃で押し戻された。それに一番驚いたのはシャナン自身だった。この敵、力だけならこちらの負けだ。 二三度切り結ぶ。冷汗がこめかみを伝った。奥義の流星剣を繰り出しても相手は動じない。手応えがあったように感じても、動きが全く変わらないのだ。むしろ自分の方が相手の絶え間ない動きに翻弄されている。この勝負、負けるかもしれない。自分にはマンフロイのもとに行く仕事が残っているというのに。 無力感を感じ、シャナンに隙ができた。相手はそこを狙って剣を振りおろす。と、それをラクチェが受けとめた。ラクチェも押さえ切れず、もんどりうって後方に倒れた。 「下がっていろ！」 敵との間に入り、流星剣を繰り出す。 効いてはいる。ただ、それがほんの少しというだけだ。何十回目かの切り結びのあと、敵はやっと大地に体を横たえた。 彼は休むことなく東へと向かう。かつて護れなかった女性の娘を救うために。女性を攫っていった元凶を倒すために。 「・・・」 足元に刺さった矢をレスターは引き抜いた。傍らではファバルがイチイバルを構えている。彼らは焦っていた。強力な魔道士たちが敵の魔法兵にかかっている間、この敵の射程に対抗できるのは自分たちだけだというのに・・・・相手は森から射ってくる。風向きから考えて相手の位置を割り出そうとするのだが、自分たちの矢があたっている気配がまるでない。その間に何人もの仲間が正確に心臓を射抜かれたという報告がはいってくる。ファバルは目を閉じた。神弓イチイバルはこうしていると討つべき相手を教えてくれるものだったが、今度はなにもわからない。相手の発する「気」が読めないのだ。 敵の矢が飛んだ。その瞬間を狙って弓を射る・・・・駄目だ。手応えがない。 「畜生。ここから先へは進めねえじゃないか。向こうを追い出すにしても、竜やペガサスじゃ相手の餌食だ。」 と、レスターが馬の腹をけった。そのまま敵が潜んでいる木立へと一直線に向かう。 「馬鹿っ！」 馬上のレスターに一直線に弓がとんだ。黒い弓は緩い弧を描いて正確にレスターの左胸に突き刺さった。 「このやろっ！」 そのまま馬は木立に突っ込んだ。と、それに追い出されるように黒い射手が出た。間髪を入れずイチイバルから矢が飛ぶ。眉間を突き通り矢が後頭部から突き出る。 ファバルは座り込んだ。 母親が行方不明になって以来、一度も泣かなかった彼が涙をこぼした。しばらく嗚咽していたが、やがて俯いたまま叫んだ。 「馬鹿野郎！・・・・お前が死んでどうすんだよ。ユングウィの城をラナちゃんに押しつける気かよ。」 「勝手に殺さないでくれ。」 見上げるとレスターが微笑んでいた。 「ウルの血筋のものに邪悪な矢はあたらない。君の妹もいっていただろう。」 そういうと彼は左の胸から二重に重ねた金属の肩あてを取り出した。 「敵は正確に左胸だけを狙っていた。だから、ね。」 ファバルはレスターを抱擁して大声で泣いた。と、次の瞬間にはけろっとして東を指した。 「援護に向かうぞ。この際一騎打ちとか正々堂々とかは無しだかんな。」 「ああ。」 ラクチェは剣を振って血糊を振り払った。 「ラクチェさん！大丈夫？」 ナンナが癒しの杖を掲げて馬を寄せた。 「幸いに、殆どが敵の血よ。・・・・ちょっとばかり脇腹をかすったけど。」 その”ちょっと”は彼女の左足を赤く染めていた。 ナンナは顔色を変えた。傷が青ぐろく変色している。毒だ。効けばよいがと願いながら杖を使う。傷は塞がったが傷口は黒いままだ。ラクチェは座り込んだ。 「・・・・騒がないで。開放軍の死神が倒れるなんて冗談じゃすまないわ。それにさっきよりずっと楽になった。ね、ヨハンを呼んで。」 リーフ王子と共に斧使いと戦っていたヨハンは相手を屠ってやってきたが、様子を見て急いで抱き上げる。 「ヨハン、お願い、私をスカサハのところに連れていって・・・・」 「ラクチェ・・・・」 「・・・・昼行灯がなんて顔してるの。私はスカサハと一緒に戦う為に行くのよ。痛くないわ。感覚がないだけ。生まれる前から一緒だったんだもの。スカサハが心配なの。」 ヨハンは直ぐ様馬を走らせた。彼自身、腕に傷を負っていたが、怪我をしていない者の方が少なかったのだ。見送るナンナにリーフが声をかけた。 「ナンナ、僕はこの場の敗残兵を叩く。・・・・申し訳ないけれど、僕には追撃するだけの力量がない。君は怪我人を頼む。」 「はい・・・・」 大空では竜騎士同士の戦いが繰り広げられていた。グングニルとゲイボルグ、二つの神槍と対等に戦う黒い竜騎士。その竜騎士が異常なのは、竜そのものも死を恐れていないことだった。竜は馬と違い、最後のぎりぎりでは竜騎士の命令に背き、自分の命を守るという。しかし、目の前の竜は違った。 アリオーンは肩で息をしている妹を見やった。自分もアルテナも消耗している。 敵が動いた。こちらの槍に刺されることを承知で竜が向かってくる。槍騎士の槍に加えて竜の牙がおそいかかる。アリオーンは必死に避けるしかなかった。まずい。自分の竜は疲労している。アルテナの竜はずっと年令が高い。正直限界だろう。竜騎士が空で戦っているときに地上に降りるということは死を意味する。手綱を強くひくが、竜は敵に向かうのを少し嫌がった。と、アルテナの竜が急降下した。 アルテナは唖然とした。大人しく自分の手綱さばきに従っていた老練な竜がいきなり降下し、のみならず自分を振り落とそうとした。 「静まりなさい！お願い！今は敵を倒さなければならないのです！」 竜はいうことを聞かなかった。地上におりると大きく首を振り、とうとうアルテナを振り落とした。 すると、途端に暴れるのを辞めた竜はじっとアルテナを見つめるような仕草をした。 鋭いが深い、慈愛の篭った眼差し・・・・かつて、トラバント王が自分に注いだのと同じ・・・・ 「お前・・・・」 竜は飛び立った。空気を裂くような鋭い叫びをあげると一直線に敵に向かった。そして喉笛にくらいついた。敵の竜の牙も老竜につきささり、竜騎士の槍が眉間につきたった。その隙をアリオーンは見逃さなかった。 天槍グングニルは黒い竜騎士の心臓を一突きに貫き通した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ヴェルトマーの城門近く、シャナンは馬を降りた。もうそこには魔道士を片付けたセティが待っていた。 「行きましょう。シャナン様。」 ヴェルトマー城内は静まり返っていた。こつこつと靴音だけが響く。 「私をお探しですかな。」 フードを目深に被った老人・・・・マンフロイがゆっくりと階段を降りてきた。 「そちらからお出ましか。負けを認めたということか？」 老人は首を振った。 「勝利を確信してのことだ。・・・・長かった。ロプト教徒として虐げられし年月・・・・すでにロプト神はユリウス皇子のもとにおりてこられた。」 バルムンクをゆっくりと抜く。 「それが開放といえるのか。ロプト神がもたらすものが恐怖と破壊と知っていてなぜそれを開放というのだ。」 マンフロイは少し笑ったようだった。 「貴様等にはわかるまい。我らの絶望を。我らに加えられた仕打ちを思えば恐怖のもとの安寧を目指す心がわかろうというもの・・・・お主等は騙されているとは思わないのか？ロプト教徒を地下に押し込めて尚、この大陸に戦乱は絶えなかった。光の竜族は大きな力をもっていながらそれを鎮めようとはしなかったのだ。・・・・お前たちが正義でわれらが悪と決めたのは、あの者達が自分を正当化する理論だけでしかない。」 老人の左手に紫色の光が宿った。セティが前に出る。賢者の作った魔法の盾が暗黒魔法を跳ね返す。 「賢者よ。なぜあがく。お前の父親も私が屠った。竜族が仕組んだからくりを教えてやろうか。今、お前の父を名乗っているのは・・・・」 盾をつくったままセティは言った。 「知っている。あの人が父ではないということは。しかしあの人は父に等しい人だ。」 盾が破れた。セティは腹に直撃をうけ、シャナンは何とか飛びのく。 セティは辛うじて立ち、印を結んだ。 「愚かな！フォルセティを屋内で使うというのか！」 暖かな風が吹き抜ける。威力を前方に絞った風の最高魔法・・・・その風の中をシャナンは走った。マンフロイの作った魔法の盾は剣を防ぐ役には立たなかった。風が止むと、バルムンクはぐさりとマンフロイの腹に突き刺さっていた。 子供の頃、シグルドと約束したことを守れなかった。彼の留守中、ディアドラを守るということを。 マンフロイの小さな魔法で宙を飛ばされ何もできなかった無力感。やっと、やっとこれで終わる。 セティの魔法で受けた無数の傷からの出血で気が遠くなる。シグルド、ディアドラ、アイラ・・・・最後に金の髪の元気な盗賊娘の姿が脳裏に浮かんだ。 「・・・・もう・・・・遅い。ロプトゥスはユリウスに降りた。ユリアの呪縛はわしが死んでもそうそう破れるものではない。」 レヴィンがすうっとそこに現われた。 「いや、まだ終わってはいない。」 マンフロイは目をかっと見開いた。 「貴様。まだ人の世に介入するのか。この世界は貴様等の玩具ではない。」 碧の髪の軍師は首を振る。 「私は一族の中では異端・・・・はぐれ者なのだ。・・・・マンフロイよ。ロプトが異端だったようにな。それに、この小さな者たちは自力でここまで来たのだ。私の力ではなく・・・・」 マンフロイは何かいいかけたが、それきり息絶えた。 ユリアは上空を低く飛ぶペガサスを追っていた。 癪にさわる。魔法をぶつけても届かない。目の前をちらちらする蝿のよう。 いつからか竜もそれに加わった。 あたりが騒がしくなった。 こちらに向かってくるわ。私の魔法で灼かれたいのね。 「ユリア！」 名前を呼ばれた。 そんな名前は意味をもたない。私はマンフロイ様の下僕なのだもの。 「マンフロイサマニサカラウモノ・・・・コロス。」 光の魔法が炸裂する。 避けられた。まあ、憎らしい。 今度こそ・・・・ 「ユリア！」 ああ、うるさい。 呪縛で曇った目に、青い髪の青年が映った。 「コロス・・・・」 「セリス様！スカサハさん！下がって！」 小さな司祭の後に戦士は下がった。ユリアの魔法はコープルの正面で四散する。 セリスはまた呼び掛けた。 「ユリア！」 うるさい、うるさい、うるさい！ セリスは剣を捨てた。 「ユリア・・・・思い出しておくれ。セリスだ。」 「スカサハだよ。どうか正気に戻ってくれ。」 ユリアは頭を抱えた。光の矢が八方に散る。遠巻きにしていた兵士たちの幾人かが命を落とした。 「くっ・・・・」 スカサハはセリスの顔が苦悩で歪んだのを見た。一度捨てたティルフングを拾うのを見た。 「ユリア！」 スカサハはセリスより先に飛び出して大剣でユリアの背に切り付けた。そして後ろから抱き留めた。咄嗟に繰り出したユリアの魔法が彼を焼いたが彼は手を緩めなかった。 「ユリア！」 セリスは正面からユリアの頭を抱いた。 「護れなくてごめん。約束したのに・・・・思い出して・・・・もう戦わなくていいんだよ。」 ユリアの紫水晶の瞳からはらはらと涙がこぼれた。 「セリス・・・兄さま・・・・」 ユリアの瞳に光が戻った。コープルが走りよる。それはユリアの背中の傷より、魔法で焼かれたスカサハの為だった。 「スカサハ！」 今気付いたようにユリアは魔法でぐったりしたスカサハの傷をコープルと一緒に手当てした。 「御免なさい！私・・・私、ひどいことを・・・・」 スカサハは昏倒していた。しかし、命に別状がないことはコープルが請け負った。セリスはそっとユリアの額にキスした。 「ユリア。ぼくたちが兄妹だということを知っていたのかい。」 「ええ・・・・アルヴィスお父さまに教えていただきました。・・・・今ならわかります。初めてお会いしたとき何故懐かしい気がしたのか。」 「ああ。きっと母上の血が引き合ったんだね。・・・・・でも、良かった。また会えたね。」 「はい・・・・」 空からフィーとアーサーが降りてきた。地上ではヨハンとラクチェが到着し、戦の中でもここだけは明るい空気が満ちているようだった。 「あれは・・・・」 バーハラ城の上に黒い霧が吹き上がった。それは瞬く間に膨れ上がり、空全体を覆った。昼だというのに夕暮よりもまだ暗かった。 「ロプトゥス・・・・」 これからが本当の戦いなのだ。 戦士たちはバーハラを目指した。遠巻きに城を囲む。それ以上のことはできない。互いを大切にしあう人々は再会を果たし、そしてこの異状な状況の中、次に命令が下されるのを待っていた。主立った戦士達は命をおとすことなくやってきた。ヴェルトマーで傷ついたシャナンとセティもすっかり傷の消えた姿で現われ、一同を安心させた。 そこに、セリスに支えられるようにしてユリアが現われた。その姿はか細くはかなげで戦いに向かう戦士とは思えなかった。 「これからは私の戦いです。」 凛とした声で彼女は言った。 「ディアドラ母さまを、アルヴィス父さまを助けられなかった無力な私ができる最良のことです。だって世界にはこんなにもたくさんの素晴らしい命にあふれているのだもの。」 その手には金に輝く魔道書が抱かれていた。マンフロイがたおれたあとにセリスに付き添われたユリアがヴェルトマー城の片隅で見付けたナーガの魔道書だ。 「せめてユリウス兄さまを・・・・」 コープル、セティ、アーサー、ティニー・・・・魔法系の聖戦士の血をひく魔道士たちが付き添った。そしてセリスとスカサハが後ろに立つ。フリージから駆け付けたラナも一緒だ。 黄昏の明るさのなか、一同は無言で進む。バーハラを覆う黒い霧の中から暗黒魔法が放たれる。魔道士達が全力で魔法の盾を作る。そして彼らは見た。黒い竜がその首をもたげるのを。暗い紫の炎を目に宿したその姿は、恐怖そのものだった。 「兄さま・・・・」 他のものが凍り付く中、ユリアだけは哀しげに竜を見上げた。黒い光、そんなものはないのだろうがそう見える奔流が竜の口から吐き出されて襲いかかる。セティでさえも防御するのがやっとの重苦しさ。それが通り過ぎたとき、皆傷ついていた。防御にかかりきりのセティを除いてラナが、コープルが回復の杖を奮う。 「スカサハ、セリス兄さま・・・・皆さん・・・・・そして、この世界全部・・・・」 ユリアが振り向いた。 「大好きでした。」 二人の男は呪文を唱えはじめたユリアの肩に手を置いた、と、急に少女の存在がなくなった。暗い世界を照らす眩いばかりの光・・・・空には白銀に輝く一匹の竜が居た。 「ユリア・・・・」 ユリウスはロプトゥスに精神を乗っ取られてあのような姿になったという。では、ユリアのあの姿は・・・・・ 黒竜と白竜はぶつかりあい、互いの存在を消そうと闇と光の奔流を浴びせあう。 聖と邪、光と闇、それらが混ざりあったとき”無”となる。 「いけない！」 セリスは走りだしていた。 「そんなことさせてはいけない！」 聖戦士の末裔達はセリスに従った。 玉座にユリウスは座っていた。その顔に生気はなく、脱け殻のようであった。 「ユリウス！」 答えはなかった。 「ロプトゥスの狙いはナーガの消滅だ。奴にとって、この世界のことなどどうでもよいことなんだ。力を貸してくれ。奴のこの世のよりしろとしての君が意志を取り戻せばきっと・・・・」 ユリウスは口を開いた。 「コロセ・・・・」 「何だって！」 ゆらりと闇の皇子は立ち上がる。 「殺せ！私を！」 言葉と裏腹にユリウスは魔法で襲いかかってきた。アレスが前に出てミストルティンで魔法を切る。 アルテナが、アリオーンが槍で、シャナンが剣で、ファバルが弓で、セティが魔法で攻撃したが、ユリウスは黒い壁ですべてを押し戻した。 「殺してくれ！・・・・・・・・兄さん！」 ユリウスの頬に涙がつたった。そこから光が溢れ、一瞬すべての黒い壁が消えた。ティルフングの一旋がユリウスの胴をないだ。 「あり・・・・がとう・・・・」 ディアドラの幻がユリウスの骸を抱えた。そばにはイシュタルもいる。いや、セリスには確かにそう見えたのだ。 そのときはロプトゥスとナーガの戦いが終決したときでもあった。光で消されていきながら黒竜は呻いた。 「マタシテモ・・・・・ナーガ・・・・・シカシワタシハマタヨミガエル・・・・トオクハナイイツカ・・・・・・」 突風が吹き荒れ人々は大地に伏せた。そしてそれが収まったときは春の陽光がさんさんと降り注いでいた。龍達の戦いの場の中央には、ユリアが笑って立っていた。 「セリスお兄さま！」 城から出てきたセリスとユリアが抱き合ったとき、人々は戦いの終結を確かなものとしたのであった。 |