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| 13 束の間の休息 |
フィンが命を取り留めたことにより、アリオーンに対する不信はおさまった。いや、それだけならばおさまらなかったはずだが、次の日の午前中には、顔色はやや悪いものの、槍騎士自らが立ち会い、リーフ王子との間に、レンスターとトラキアは主権を認めつつ兄弟の国として互いに協力しあうという誓いをアリオーンがたててからはトラキアの若き王を表立って悪くいう者は殆どいなくなった。不信は彼を洗脳していたユリウスへの怒りにとってかわった。 セリスを真ん中にし、リーフとアリオーンが宣誓書を挟んで握手を交わすと、アリオーンの傍に立ったアルテナも、リーフの傍にシャナンに肩を支えられて立ったフィンも笑顔をほころばせた。しかし、レンスターとトラキアの真の和平は、帝国をうち倒さねばありえない。 帝国軍は最前から小規模な部隊を送り込み戦闘を繰り返していたが、オイフェにとってそれはユリウスの回復までの時間稼ぎだと思われた。開放軍にも時間は必要だった。フリージやユングウィの投降兵士達の再教育と部隊の再編成・・・・ユリウス本人にたどりつくまでに予想される総力戦には是非必要なのだ。それはユリウスが本格的に動き始める以前に整備されなくてはならない。 アリオーンと、彼の部下で生き残った竜騎士、そしてフィーとアルテナは毎日のように哨戒任務につき、あちこちへと散っていった。 城の中庭にひらりと舞い降りると、フィーはペガサスの首をとんとんとたたいて労った。 「マーニャ、今日もよく頑張ったね。」 ペガサスはとことこと歩いて先に降りていたアルテナの竜の脇腹に鼻面をすり寄せた。よく、二頭同時に偵察に出されているせいか、似ても似つかぬ外見であるのに従兄とでも思っているようだ。アルテナはその様子を見ながらフィーの肩を叩いた。 「頑張ったのはフィー、あなたもでしょう。・・・・今日はいつもよりも多く飛んだのだから、ゆっくり休まなくてはいけませんよ。」 「アルテナ様・・・・それをいうならアルテナ様こそ・・・・アルテナ様は私を狙った偵察隊の弓兵と、ご自分の危険も顧みずに戦って下さいました。・・・・先日はユリウスに操られていたアリオーン様と戦い、しかもそのあと徹夜でフィンさんの看病をなさったってナンナさんから聞きました。あれからずいぶんたちますけれど、今、開放軍で一番働いているのはアルテナ様です。実戦のときはもちろん私達が休んでいるときにも任務に就いていて働き詰めではありませんか！」 赤い竜騎士は笑顔で力瘤を作ってみせた。 「それが私の役目ですもの。腕っ節だけは自慢できるのよ。心配しないで。」 といったとたんにアルテナの体がぐらりと傾いた。 「！」 フィーが素早く動いたがアルテナの体は地に倒れた。 「誰か！、誰か来て！」 「アルテナ様が？それでお加減は？」 槍騎士の腹の包帯を替えていたコープルはくすっと笑った。 「大丈夫です。アルテナさんは少しお疲れになっていただけです。セリス様が直々に今日と明日は休んでいるようにと命令なさいました。リーフ王子がつきっきりで見張っていますから、槍の鍛練にこっそり出ることもありません。」 そして目を糸のように細めた。 「・・・・アルテナさんは昔に比べるととても優しく笑うようになったんです。僕は弟のように接していただいていたからアルテナさんの笑顔がみられることがなにより嬉しいんです。・・・・傷口はとても綺麗に塞がっています。まだ激しい運動をしてはいけませんけれどね。」 少年司祭は杖を一度振った。光の粒が傷口の辺りを取り巻いた。彼は汚れた包帯を脇に押しやると新しい包帯を慣れた手つきで巻いた。 「フィンさん。この戦乱の日々、多くの人々が神のみもとに召されていくのです。ブラギ様は理由なくして、復活を命じられることなどないはずです。・・・・あなたは大切な役目を負うはずです。」 父であるクロード神父によく似た落ち着いた声で少年司祭はそう言った。 「私が・・・・？」 コープルは微笑んで頷いた。 「すべてはブラギ神の導きのまま・・・・さあ、アルテナさんのお見舞いにいきましょう。ゆっくりと歩いて下さいね。」 回廊を歩いていくと、太陽はだいぶ西に傾きやわらかな光を低い位置から投げ掛けていた。通り過ぎる人々が、傷はもう大丈夫なのかと声をかけてくる。それらに丁寧に答えつつ二人は一直線にアルテナの部屋へ向かいドアをノックした。 すぐにリーフが顔を覗かせ、フィンだとわかると大きく扉を開けた。 「ちょうどフィンの見舞いにもいきたかったんだ。もういいのか？姉上なら大丈夫だぞ。少なくともお前みたいに死んだりしていないからな。アリオーン殿とナンナはもちろんほかのみんなも来てるんだ。」 槍騎士が入っていくとアルテナは顔をほころばせ、アリオーンはすっと立ち上がって会釈した。 女の子達が談笑していたが、その中でも一際大きな声で喋っているのがパティで、それにポンポンと小気味よく合いの手を入れているのがフィーだ。彼女等はフィンが入ってくると口々に”元気になっておめでとう”と小鳥が囀るように声をかけた。 「アルテナ様、お加減は・・・・？」 「ほんの少し疲れただけです。心配をかけてごめんなさい。・・・・みんな大げさなのですから・・・・」 ナンナがそっとアルテナの肩にケープをかけた。 パティは窓枠に腰掛けて腕を組む。 「ううん。大げさじゃないわ。うんうん、大問題よね。みんな働きすぎなのよ。ファバル兄ちゃんみたいに殺しても死なないくらい丈夫なのは置いといて自分の体力以上にがんばっちゃうんだから。」 「・・・・おい、おれは殺しても死なないのか？」 「・・・・だって兄ちゃんってカゼ一つひいたことないじゃない？高いとこから落ちてもケガしたことないし。珍しいよね。そういうの。」 「・・・・私とスカサハもカゼひいたことはないわね。・・・・デルムッドとレスターだって。ここには珍しいのがそうとう揃ってる。」 ラクチェがぽつりと言って一同は大笑いした。スカサハがあとを引き取る。 「カゼをひいてしょっちゅう熱を出していたのはセリス様だったな・・・・」 パティは頭をぐいと傾けた。そしてにたぁと笑った。兄がうんざりした様子で息をふうっと吐いた。 「お前、また碌でもないこと考えてるだろう？」 その十日後、城でもフリージの城下でも大がかりな宴が催された。フリージの土着の祭りと開放軍の戦勝祝いをくつけたようなもので、無理のない程度に酒と馳走がふるまわれた。パティがオイフェに進言した形ではあったが、オイフェ自身、パティと全く同じことを考えていたのであった。 「・・・・ラクチェ・・・・その服で出るの？」 薄緑色の動きやすそうな服・・・・決して戦闘服ではない・・・・を身につけたフィーが腕を組んで頬を膨らませた。ラクチェはいつも身につけている紫の装束・・・・思い切り戦闘服・・・・だった。・・・・”死神兄妹”とあだなされてもはっとするほど美しい娘なのだが・・・・宴だというのに腰に長剣を相変わらずぶら下げていた。 「無理して着飾ってどうするというの？それに剣を下げていないと重みがたりなくて奇妙な感じでいけない。イザークの公子はシャナン様、そしてドズル公子はヨハンがいる。私が出ていかなくてもいいでしょう？それよりパティ。」 「へ？」 いきなり名前を呼ばれてこれまた普段着姿の盗賊娘は座っていた窓枠から飛び降りた。 「パティの方こそどうなんだ？」 「ん〜、やっぱ、あたしも出ないと駄目？」 「・・・・駄目ということはないが、ラナの支度をしてやってくれない？・・・・あの子は、何もいわなかったら、僧侶服のままで出てくるから。まだ怪我人のところにいるはず。」 「ラ〜ナ〜ちゃん。」 白いレースのリボンを手にしてパティが入っていくと、ラナは甲斐甲斐しく傷病者の世話をやいていた。ラナに度々会いにくるせいで怪我人に顔と名前を覚えられていたパティは声をかけられた。 「おうおう、元気のいい盗賊さんだぜ。」 「パティちゃん。またあんたのうまいシチューがくいてえなあ。」 「うんうん。宴のためにつくってあるよ。ここに鍋一つ運んでくるからね。ね、ラナちゃん。」 ラナは頷いた。 「ラナちゃん。そろそろ支度しないと。”舞踏会”って奴が始まっちゃうよ。”公女”は出なくちゃだめだって。あたしと兄ちゃんみたいながさつなのはともかくとしてラナちゃんはれっきとしたユングウィの公女様なんだからね。」 ラナは腰を上げた。ラクチェの言うとおり、そのまま出るつもりらしい。と、怪我人達がそれはいけない、着替えておいでと忠告した。 「その服にはおれ達の血や膿の匂いがしみついてしまっている。」 「そうともさ。ラナちゃん、こんなときくらいは綺麗なひらひらした服をきておいで。儂らにもそれをみせておくれ。」 「うん。それから他の人たちがどんな様子だったか教えてくれよ。」 「髪は上に上げてピンでとめたらどうかな。それからパティちゃんの持っているリボンを結ぶんだ。少し派手目にして、ちょうどいいくらいだと思うよ。いつも地味すぎるんだから。」 パティは渋るラナの背を後押しして衣装の箱が置いてある部屋に行った。 「お兄ちゃん、笛を吹いてくれる？」 城の中庭で催されている宴の最中、フィーがリーンの手を引いてやってくると、セティは話していたティニーに軽く会釈し、懐から笛を取り出して石作りの階段に腰掛けた。このシレジアの兄妹はれっきとした王位継承権をもつものなのだが、それを決して認めようとしない。従って、公子公女の座った列にも彼らの席はなかった。公女であるとはっきりしているリーンもこういう席でそういった役目をするのは本意ではなかった。 リーンが踊る。のびやかに美しく。リーンも嬉しかった。このように踊ることができるのは久しぶりだった。じっと見入っているコープルに笑いかけると小さな弟は大きく手を振った。そして隣にいる姉の許婚にその小さな体をもたせかけた。アレスはこの小さな司祭にだけは自然な愛情を注いでおり、二言三言話かけてから踊りに目を戻した。 リーンがくるくると回転してからすっと動きを止めると、あちこちから歓声があがった。舞台上の彼女が一礼すると、楽隊がダンスの音楽を奏で始めた。 「兄ちゃん、踊ろう！」 パティがファバルを引っ張りだして出鱈目にしかし楽しげに踊りだした。ファバルの方も心得たもので、妹を肩に乗せたり空中に放り投げて回したり、観客は軽業でも見ているようだった。 少しするとレヴィンがパンと一つ手を打った。すると楽団が優雅な曲を演奏し始めた。パティとファバルは慌てて中央から逃げ出す。ドレスに着替えてきたリーンがアレスと踊りだす。黒騎士は、傭兵あがりとは思えないほど見事なステップで周囲の者を魅了する。あちらでもこちらでも男女が組を作って踊りだした。アーサーはフィーに送り出されてティニーの手をとる。ナンナはダンスの苦手なリーフに丁寧に教えている。 その手を途中からアルテナが引き継いだ。ナンナは実の兄のデルムッドと踊り始める。 「・・・・姉上・・・・そんなに踵の高い靴をはいてしまわれたら、私よりずっと背が高くなってしまうじゃないですか！」 むくれるリーフの鼻の辺りでアルテナは笑った。笑ってしまってから後悔した。確かに弟は年若いといっても他の聖戦士の血をひく人々に比べて華奢で背が低めだ。 「・・・・私も、そのくらいの年には決して背が高くはなかった。」 傍らにやってきたアリオーンがリーフに優しく言った。 「血筋・・・・かもしれないな。レンスターとトラキアの王族はもともと兄と妹・・・・きっとこれからのびるであろうし、人間、背の高さで価値が定まるわけでもない。」 体格のよいアリオーンを、リーフは羨望の眼差しで見ていたが、自分と組んでいたアルテナの手をそっとアリオーンに握らせた。 「僕がアリオーン様と踊るわけにもいかないから・・・・二つの国の友好をどうか示して下さい。この場は皆が見ています。」 アリオーンは頷いた。優雅に踊り始めた二人を眺めながらリーフは一段低い位置にいたフィンの隣にどっかと腰を降ろした。まわりには槍騎士隊の主立ったものたちが結集している。 「リーフ様！壇の上にいらっしゃらなくては！」 「いいや、ここでいい。いや、ここでなくてはいけないんだ。」 リーフは真っすぐに家臣を見つめる。 「姉上がアリオーン王とあのように和やかに踊ることができたのはみんなフィンのおかげだ。私がここに居れば、みながこちらを見る。そうすれば必ずフィンのことも目に入る。・・・・好む好まざるに関わらず、フィンは今、この城の人々の心を繋ぐ役なんだ。わかるか？」 子供っぽい甘えた答えが返ってくるものと思っていたフィンは満足そうに微笑んだ。 「この戦が終わったなら、トラキアとの和平もなり、・・・・キュアン様の悲願であるレンスターとトラキアが兄弟国になる夢を果たせるかもしれませんね。」 「そうだね。アリオーン王が姉上と結婚すれば本当に私と兄弟だものな。」 「・・・そうですね。そうなるのがいちばんのことです。」 フィンは踊る二人に目をやった。薄紅色のドレスを身につけ、彼女の大好きな林檎の花を髪にあしらった王女はとても美しく、妙に誇らしい気持ちになった。目があったアルテナがはしゃいだように手を振ってよこした。柔らかく槍騎士はほほ笑み返した。 命をかけて護った王女の笑みが今ここにある。アリオーンに身をよせるアルテナを目の前にして、これこそが自分の、そしてここにいる人々の希望の姿なのだと確信した。 「あんなに仲がよいのだもの。・・・・婚儀を・・・・グランベルに居るうちがいいのかな？それともレンスターに帰ってからか？」 くす、とフィンが笑った。 「すべてはこの戦が終わってからです。」 「そうだな。とにかく戦に勝たなくてはな。それからだ。なにもかも。何もかも・・・・」 ダンスの人々に目を戻した槍騎士は、はっとした。アルテナがこちらを見ていた。そしてその顔には影がさしていた。・・・・・それは一瞬のことで、彼女は再びアリオーンに微笑を投げかけて踊り始めた。フィンは気遣わしげに顔を曇らせた。 華やかな宴はいつ果てるともなく続く。 シャナンとオイフェが立ち上がった。なんやかやとはしゃぐリーフにつかまっていたフィンも後を追った。 三人の盟友は庭の泉水の縁にゆったりと腰掛けた。 「ふう、落ち着く。どうもあのような賑やかなところは苦手だ。」 シャナンが呟くとオイフェが笑った。 「一番若い君がそんなことでどうする。」 「・・・・性格だからな。第一この三人はみんな地味だろうが。」 「確かに。しかし私たちと違って君はイザークの王だ。このような場に慣れなくてはね。」 一番年上のフィンがくすっと笑った。 「オイフェ、そういう君も同じようなものだろう。」 聖なる武器を持つイザーク王、薄いながらもバルドの血を引く最強の軍師、そこに肩をならべている彼は槍騎士隊長だが公式の身分は見習い騎士のままである。 オイフェは年上の友人を小突いた。 「君ももう少しくだけた方がいい。そして酒にも強くなることだ。いつまでも王子のお守り役でもあるまい？」 「私は・・・・リーフ様をお守りするとキュアン様と約束致しましたから。それより軍師殿、もう戦の後のことを考えているのですか。」 オイフェは決して似合ってはいない口髭を指先で捻った。 「この戦のことはもう考えられるかぎりのことは考えたからね。あとはユリウス・・・・いや、マンフロイの出方次第だな。・・・・戦の後のことは正直いうと読めないことだらけだ。」 そういってオイフェはどたどたと回廊を走っていくアーサーを指差した。 「彼がこの城の城主となるのかどうか。もしそうなるとして各国の関係はどうなるのか。・・・・そういったことは私には読めないからね。・・・・シャナン。」 「何だ？」 「・・・・なるべくならグランベルの王族を妃に迎えるように。そのほうが戦後の各国の平和協調が楽に図れる。」 鞘におさめたバルムンクで頭を叩かれたオイフェはふうっと息を吐き出して空を見上げた。 「いい満月だな。」 「ああ。剣で真っ二つに切れそうに見える。」 オイフェは笑った。 「物騒なことを言うな。切るのは他のものにしてくれ。・・・・最後の月なのだから。」 剣聖が眉を顰める。 「・・・・負けるということも考えているのか？」 「・・・・最後の戦の前に見る満月はこれが最後だという意味だよ。」 三人はしばらく皓々と冴える満月を見上げていた。 やがて槍騎士が立ち上がった。 「どうした。」 「アルテナ様を探しにいく。宴の途中からちら、と私の方を見て妙に思い詰めた表情をされていたのがどうにも気になる。」 「・・・・そうだね。リーフ王子やアリオーン様よりも君が相談に乗るのがよいかもしれない。」 「ええ。また、私を一度殺したことを気に病んでいらっしゃるのかもしれない。では・・・・」 去っていく友をオイフェは見送り、シャナンを見て微笑んだ。 「どうした？」 「いいや・・・・彼は心底真面目な男だと感心しているところだ。」 と、向こうからファバル、パティ、セティ、リーン、そしてラナにセリスが歩いてきた。ラナの腕にはディアドラの腕輪が、月光に照らされて優しくきらりと光っている。 「セリス、途中でいなくなったと思ったら・・・・いったい何をしていたのだ？」 「傷病兵のところへ。」 なるほど、このメンバーならば、笛に踊りに軽業に、楽しんで貰えそうではある。 「結局私が一番の役たたずだったけれどね。みんな有難う。今日は楽しかったね。ゆっくり休んで。」 皆はセリスとオイフェ達に一礼し、セリスは一人自分の寝所に去っていった。 ラナがオイフェに心配そうに告げた。 「オイフェさん・・・・セリス様、宴会のとき、思い詰めたような顔でほとんど食べていなかったんです。大丈夫でしょうか。何か少しでもお腹に入れておかないと・・・・」 オイフェはそっとラナの金の髪の上に手を置いた。 「何かみつくろって運んでいってはくれないかな。・・・・ラナはセリス様の好物を知っているし、セリス様もラナに叱られればきっと食べる。子供のときからそうだっただろう？」 ラナはこっくり頷くとぱたぱたと賄い場の方向にリーンと一緒に走っていった。いつもはラナと一緒に走っていくパティはじっとシャナンを見つめていた。どうもシャナンの様子が変だった。こめかみには冷汗が流れている。この青年には珍しく、”傷ついた子供”というのが相応しい表情が浮かんでいる。 ファバルがほわぁと大きな欠伸をした。横でセティが笑う。 「んじゃ、おれ達寝るわ。パティ、お前もしっかり寝とけよ。」 「ん、うん。じゃ、ね、兄ちゃんまた明日。」 「失礼します。オイフェ様、シャナン様。」 また、そこには年長者だけが残った。 「・・・・ラナが身につけていたディアドラ様の腕輪に気付いたのか。」 シャナンは頷いた。 「・・・・何度もいったことだが、後悔してもどうなるものではない。君のせいではなかった。」 「・・・・ああ・・・・」 オイフェは二三度シャナンの肩をたたき、去っていった。 シャナンの部屋からは大きなモミの木が見えた。 その木から月の光が漏れてくる。 そう、後悔はしないはずだった。後悔する分、すべての力を戦う力に向けてきたつもりだった。 しかし・・・・ ディアドラがさらわれなかったらユリウスは生まれなかった。このユグドラルの地が蹂躙されることもなかった。・・・・もしかしたら・・・・もしかしたらアイラやシグルドが死ぬことにもならなかったかもしれない。ディアドラを手中に収めたからこそマンフロイは思い切った手をうってきたのだ。 何度もオイフェから諌められた。セリスたちを育てながら彼が暗い考えにおちこむと、いつもオイフェは少しだけ怒り、あとは慰めてくれた。主君を殺され、セリスを育てる責任を負い彼こそが辛かったであろうに。 ”しかし私は約束を守れなかった・・・・” 椅子に座った彼は少し背をまるめた。 モミの木の枝がゆっさゆっさと揺れた。シャナンが窓から身を乗り出すと、上からパティが振ってきて枝に足をかけて逆さにぶらさがりこちらを見て手を振っていた。 「パティ？」 心底驚いて叫ぶと、パティは枝を手で持ちかえ、ぽーんと飛んでシャナンの部屋に入ってきた。 「へへへ。今日はみんな幸せそうだったからついつい悪ふざけもしたくなっちゃうよ。」 「・・・・ふざけるのもいいがもうそろそろ寝るのだな。明日からは遊んでなどいられなくなる。・・・・それにはしたない。上着がめくれてへそが見えていたぞ。」 盗賊は赤くなってしばらくじたばたしていたが、まだ何か言いたそうに絨毯を爪先で蹴っていた。 「どうした？」 「あのさ、お城の賄いのことなんだけど、マンスターの孤児院からそっくりまるまる子供たちを連れてっていい？働き者だよ。絶対役に立つって。」 パティはそのままシャナンの前をうろうろと動き回っていた。歩くたびに三つ編みにしている髪の毛がぴょんぴょんと跳ね、赤いリボンが揺れた。 「・・・・綺麗なリボンだな。」 パティは拍手した。 「気が付いてくれたんだ。ラナちゃんが結んでくれたんだよ。ラナちゃんのは白いけど、レースの柄はおそろいなんだ。」 と、ふっとシャナンがまた暗い顔をした。 パティはシャナンの後ろに回って言葉を続けた。 「駄目だよ！シャナン様がそんなことじゃ、辛いことがいろいろあったってラナちゃんたちから聞いてる。でもそんな顔しちゃ駄目だよ！」 シャナンが微かに笑う。 「・・・・お前のような子供に説教されるとはな・・・・」 途端にケラケラとパティが笑った。シャナンが振り向くと、自分の長い髪が三つ編みにされてあまつさえリボンまで結ばれているのだった。 「こらっ！」 神剣バルムンクの継承者は戦いのときと同じくらいの素早さで盗賊を捕らえようとしたが、盗賊はそれより早く飛びのいていた。 「背中を丸くしてすわってるとほんとに曲がっちゃいますよ。背中の曲がった剣聖ってすっごく変！そのリボン、あたしとお揃いですからね！それであたしの元気を分けてあげる！」 シャナンが微笑んだ。今だけのことかもしれないが、顔から暗い影が消えた。 「そういじめるな。人は誰で背を丸めたくなることがあるのだ。つっかえ棒でもないとね。うむ。確かにつっかえ棒が必要なようだ。・・・・そう、つっかえ棒がな。」 なんのことなのかと目を丸くしている盗賊の手をシャナンは素早く牽いて自分の膝に抱いて座った。シャナンの顎が自分の頭にあたっているのをパティは感じた。 「思ったとおり、ちょうど手頃な大きさだ。こうすると背は丸くならないし私も楽だ。」 パティはむくれた。 「どうせあたしは小さいですよ〜だ。」 シャナンは声をたてて笑い、盗賊の背をついて立たせた。 「ひとまず私は元気になったぞ。礼をいっておこう。・・・・台所を取り仕切る話はひとまずおいておいて、戦が終わったらイザークにおいで。もちろん孤児院の子供達も連れて。」 「本当！すっごいや！ガルグおじさんもよろこぶよ！お城だったら皆いつでもお腹一杯食べられるものね！うん、じゃ、早いところこの戦をおわらせちゃおう！」 「ああ、戦がおわってお前がくればイザークも活気づく。私のつっかえ棒にもなる。」 「う〜少しは背だってのびると思うけどなあ。ふふっ、ひとまずよかった。シャナン様が元気になってくれて。じゃ！おやすみなさい！」 盗賊はさっと窓へと身を踊らせた。 窓をのぞくとパティが時折手を振りながら木をするすると降りていくところだった。 シャナンは手を振り返し、そっと鎧戸を閉めた。 城下ではずっと賑わいが続いていた。セティは物見台の上で静かに笛を吹いていたが、唇を笛から外すと傍らで石畳にペタンと腰をおろして聞き入っていた妹の隣に座った。 「フィー、どうした。不安なの？」 天馬騎士は首を振った。 「不安はいつだってそう。偵察に飛んでいるときも、下から弓矢がきやしないかっていつも怯えてる。・・・・でも、昔よりは平気になったよ。お兄ちゃんも見付けられたし、私にはお母さんの遺してくれたこの槍と、マーニャがついていてくれるもの。・・・・あのね、考えてたの。あの人、どうしてあんな風になっちゃったのかな・・・・って。酷いよ。お母さんはあの人のことをずっと待っていたのに・・・・私だって・・・・」 レヴィンのことを言っているのだとわかってセティは眉を上げた。 「フィー、そのことだけれどね・・・・父上は昔のままの父上じゃないんだよ。」 「そうよ！あんな人、お父さんだなんて思わないわ！」 賢者は微笑んでマントで妹の肩をくるんだ。 「・・・・そうではなくて、・・・・今のあの人は父上であって父上ではない。・・・・兄さんはね、旅をしているときにあちこちで父上の噂をきいた。・・・・そして、父上はシレジアに攻め込んできたマンフロイと戦って死んだのだと教えられた。」 「でも！あの人はああして・・・・」 「ああ、僕も驚いた。死んだと思った人が生きていたのだからね。・・・・でもね、フィー、やはり父上は確かに死んだのだと思うよ。今居るあの人は・・・・これ上は今は言えない。」 不服そうに何かをフィーは言い掛けたが、セティの後ろの方を見て目を見開いた。セティが振り向くと、そこには懐かしいフュリーが立っていた。 「お母さん！」 フィーは飛び付いていった。温もりが、確かな手応えがそこにはあった。母は娘に優しく頬摺りする。 戸惑って立ち尽くすセティにフュリーは手を伸ばした。冷静沈着な賢者も次の瞬間に母の胸に齧り付いていた。 「おいおい、お父ちゃんには挨拶はなしかぁ？」 兄妹が顔をあげると、母の横には髪をぽりぽりと掻いているレヴィンの姿があった。いつもの氷のように冷たい瞳ではなくどこか悪戯っぽい子供のような輝きを瞳に宿した・・・・ フィーは大きく息を吸い込み、吐き出すと同時に怒鳴った。 「お父さんの馬鹿！」 レヴィンはたじたじとなってフュリーの背中にかくれる真似をした。 「おお、こわい。おい、フュリー、フィーは誰に似たんだ？俺もお前もこんなに気が強くはなかっただろう？」 フィーは泣き笑いしながらレヴィンに飛び付いた。 「お父さん！お父さん！本当のお父さんだ！・・・・どうして？どうして知らんぷりしていたの？どうして今まで優しくしてくれなかったの？どうして？どうして？」 レヴィンはフィーの髪を指で梳きながら言い聞かせるようにいった。 「・・・・悪かったな・・・・でもな、仕方ないんだ。今だって、ちょっとばかり時間を貸して貰っているんだ。ま、あいつも結構甘いから・・・・」 セティが頷く。それにレヴィンは頷き返した。 「いいか、時間がないから手早く言うぞ。セティ、お前は何もかも判っているようだが、自分の胸にしまっておけ。・・・・それが風使いセティの血を受け継ぐものの使命だ。・・・・セリスのことをフォルセティで守ってやってくれ。シレジアのことまかせたぞ。フィーはアーサーを少しつつけ。あれは掛け値なしの天然だ。放っておけば永遠にこのまんまだぞ。」 「な、なにっ！いきなりっ！」 「時間がないといっただろう！娘の心配をするのは親の務めだ。奴は悪い奴じゃない。俺よりは相当落ちるがな。」 フュリーがくすくす笑った。 「笑うな！はいはい。どうせ俺は楽器以外に取り柄のない人間ですよ。」 レヴィンは横笛をセティから取り上げると口に当てた。シレジアの子守歌のメロディが流れ出る。フュリーが座るとその膝にフィーが頭を載せた。傍らにセティが座る。笛の音は静かに流れ、兄妹を故郷の山間の小さな家の思い出へと誘った。緑の草、夏に咲き乱れる花々。優しい母とお調子ものの父と・・・・ 二人が目を覚ましたとき、まだ星はその位置を殆ど変えてはいなかったが、父も母も姿を消していた。 「お兄ちゃん・・・・私たち夢を見たの？」 「・・・・そうかもしれないね。・・・・さあ、下に戻ろう・・・・」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ フィンがアルテナを見付けたのは竜舎であった。さきほどまでのドレスではなく槍の稽古の際に着ている普段着だ。鍛錬用の槍を手に、竜に何事か話し掛けていたらしい王女は槍騎士を見て顔をほころばせた。 「アルテナ様、こちらでしたか。先程からお顔の色が勝れないようでしたので心配して参りました。」 「え。そうでしたか？フィンにはなんでもわかってしまうのですね。御免なさい。これからの戦のことなど考えていたら少しだけ心が弱くなったのです。もう平気です。竜と話していたら元気になりました。」 「そうですか。それならばよろしいのですが。」 「はい。」 槍騎士は微笑んだ。 「・・・・もう夜も深くなりました。お休みになられたほうが。」 「・・・・・・・その前に一つ聞いてください。」 雲間から月が覗いた。月光に照らされた彼女の姿は、彼女の名前のもとになった月の女神とみまごうばかりだった。彼女は柔らかく微笑んだ。 「今まで有難う。・・・・最後の戦が始まる前にどうしてもあなたにはお礼をいいたかったのです。私の壊れかけた心を救ってくれたのは、フィン、あなたです。そしてゲイボルグの運命に打ち勝ったのもあなたです。私が弟のリーフに会うことができたのも、レンスター流の槍さばきを身につけていたのも・・・・もし戦に負ければもちろん、勝っても私は兄上のもとに嫁ぐことになってあなたと話すことはほとんどなくなるでしょう。変・・・・ですね。だって、私、あなたと毎日のように長い時間お話していたのに・・・・・・」 微笑んでいるアルテナの目がわずかに潤んでいた。 「・・・・・これを・・・・・お守りに・・・・・」 王女はいつも結んでいる額あての布を解いて槍騎士に握らせた。 槍騎士は跪く。 「一介の見習い騎士にこのような心遣いを・・・・・申し訳ございません。」 王女はその傍に身を屈めた。 「いいえ、あなたは・・・・・あなたは・・・・・見習い騎士ではありません。私の大切な騎士です。これからもずっと・・・・・」 アルテナは槍騎士をじっとみつめ、綺麗に笑った。 「最後に・・・・・もう一度槍の稽古をつけて下さいませんか。お願いです。」 「はい。」 槍騎士は王女の手をそっととって立ち上がらせた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ お茶を注いでいたラナはセリスに運んでいった。宴のときに結い上げられていた髪は何時もどおりに下ろされて、僧侶服の彼女はティルナノーグで過ごしていたときと同じ姿だった。 「さっきまで幽かに聞こえていた曲、とても静かで綺麗な曲でしたね。たしか・・・・シレジアの子守歌ってセティさんがいってた・・・・あら、シチュー、全部食べられたんだ。偉い、偉い。」 セリスは少し膨れてみせた。 「子供じゃないんだから。・・・・ねえ、ラナ。」 「なんです？」 「いろいろ気を使わせてごめん。それと・・・・こんど出撃したら、私はもう戻れないかもしれないから・・・・」 ラナはぶんぶんと首を振った。 「何をいっているの？こんなにたくさんの人たちがセリスのところに集まって戦いをしているのにそんなことを言っちゃ駄目！ユリアさんを助けて・・・・できたらユリウスだって救って・・・・戦いを終わらせなくちゃ！」 セリスは笑った。 「大丈夫。そういうことは今までに随分悩んだけれど、自分で整理をつけたから。いつもラナとは一緒だったからずっと心配をかけっぱなしだね。・・・・・戻れないかもしれないから言っておきたくて・・・・ありがとう、って。」 「・・・・駄目です。戻ってこなければ。私は家族でしょう？兄さんなら妹にそんな弱音をいってはいけないわ。」 「・・・・また叱られちゃった。でもありがとうって何度言っても足りない。」 彼は自分の左胸に手を当てた。 「君には私の心の弱さをだいぶ担ってもらっていたから・・・・」 光の皇子は微笑んだ。 「・・・・しばらく一緒に星を見てくれる？昔イザークでよくしたように。」 ラナがこっくり頷くと、光の皇子は二つの椅子を窓に向けてならべた。 ラナは母から聞いた星の物語を小さい頃よくしたようにはじめた。 まだ真夜中には間があった。冬の星座が地平から昇りかけ、澄んだ空気を通して二人は遥か彼方の輝きをじっと見つめていた。 |