聖戦TOPへ 
| 11 聖戦士の血脈 |
「たぁっ！」 シアルフィ城の中庭で、アルテナは今日もフィンを相手に鍛練に余念がなかった。槍騎士の繰り出す鋭い突きを自分の木槍で受け流すと、返す槍で弾いた。槍騎士の槍はからんと音をたてて転がった。 アルテナが手の甲で額の汗を拭うと、パチパチと拍手がした。セティのところで魔法を習っていたリーフが講義を済ませてやってきたのだ。さっきからずっとアルテナの様子を見ていたらしい。 「凄いや、姉上！さすが地槍ゲイボルグの使い手ですね。フィンを負かしてしまうなんて！」 アルテナは微笑んだ。 「リーフ、おばかさんね・・・・私はフィンの生徒です。技を研くために、フィンは手加減してくれているのですよ。」 フィンはリーフに微笑んでみせた。 「ええ、でも、思わず本気になってしまうところでした。」 リーフは転がっていた槍を拾うと、片手でぶんぶんと振った。 「姉上、私も一緒に習ってはいけませんか？」 「・・・・リーフ、魔法の練習で疲れてはいないのですか？」 リーフはどんと胸を叩いた。 「丈夫なのが自慢なんだ。な、フィン。・・・・やはりレンスター生まれなら槍が一番得意になりたいから・・・・」 槍騎士は頷くと、予備の木槍を取りに行った。 実際、リーフの体力は半端なものではなかった。フィンやアルテナに槍を弾かれ、体を弾かれ、何度転んでもめげずにつっかかっていく。昔はがむしゃらだったその槍術も、このところの実戦経験もあってか、洗練されたものに変わってきていた。アルテナが少し疲れて息をつくと、フィンが気遣って王子は一人で面倒をみるからと先にあがって湯を浴びてくるように声をかけてくれた。しばらく稽古を続けた二人は、汗びっしょりになり、泉水の縁に並んで腰掛けた。 「フィン、風呂をつかわないのか？」 槍騎士は微笑む。 「誰かが風呂桶に湯を運ばねばなりません。湯を運ぶのは重労働ですから・・・・」 「そうか。」 リーフはぴしゃんと水面を叩いた。 「じゃあ、私も体を拭くだけにする。確かにそうだ。それに僕は姉上たちと違って、水で十分気持ちがいいしな。」 リーフは上着を脱いで上半身裸になると、懐から手巾を取出し、水に浸して、自分と同じように裸になったフィンの背を拭った。 「リーフ様！私は一介の家臣にすぎません！」 リーフは恐い顔をした。 「そういうフィンは嫌いだ・・・・私にとってフィンは・・・・あなたはなくてはならない人だ・・・・兄と呼べなくとも兄として敬わせてもらう・・・・これは命令だからな！・・・・」 あさっての方を向きながらぶっきらぼうにいうリーフにフィンは実際、弟のような想いを抱いていた。しかし彼の真面目さが、主君と家臣という関係の外に踏み出させることを拒んでいた。彼は自分の手巾を水に浸すと、リーフの背を拭いた。 「子供扱いするんだな？」 槍騎士はすましていう。 「リーフ様の真似をしただけです。」 「リーフ、たくさん稽古をつけてもらったようですね。」 アルテナが傍に戻ってきていた。 「はい、もう嫌っていうほ・・・・ど・・」 リーフは目を丸くした。フィンも驚きを顔いっぱいに浮かべている。アルテナは困ったように首を傾げた。 彼女は、柔らかな材質の薄紅のドレスを着ていた。茶の長い髪には絹のリボンが結ばれている。解放軍に合流して以来、常に武人の姿をしていたアルテナであるが、今の彼女はどこから見てもたおやかで美しかった。 細い手足に残っている少女っぽさと、胸や腰の柔らかな大人の女性のもつ曲線・・・・ 「あの・・・・やっぱり変だったでしょうか、フィン？」 槍騎士は顔を赤くしてその前で意味もなく両手を横に振った。 「へ、変なことなど何も！お似合いです！」 「そうです！姉上！とても綺麗ですよ！でも、その姿はどこで？」 「湯浴みにいったらナンナと出会って髪を結ってもらったのです。・・・・そして・・・・ドレスはオイフェさんから頂いたのです・・・・エスリン母さまの若いときのものだから・・・・って。」 ドギマギしていたフィンの表情が、昔を懐かしむものになった。 「そういえば・・・・まだご結婚の前、レンスターに遊びにいらしていたときにその服をお見掛けしたように思います。」 リーフが興味しんしんで槍騎士ににじり寄った。 「そのときの話はまだしてもらっていなかったよなぁ。」 アルテナも弟の隣に上品に腰を下ろした。 「・・・・ではお話ししましょう・・・・あれは、私がキュアン様にお仕えするようになってから五年程たったときのことです・・・・」 「そして・・・・」 「あら？」 アルテナが小さな声をあげた。リーフがアルテナの胸に倒れこんできてそのまますうすうと寝息をたてているのだ。無理もない。このところこの王子は厳しい鍛練を自分に課している。アルテナが小さくゆさぶると王子ははっと目をさまし、しゃきっと立ち上がった。姉は小さく笑う。 「もうお休みなさい。ゆっくり寝ないと背ものびませんよ。」 「は、はい。姉上は？」 「・・・・もう少しだけフィンの話を聞いていたいのです。」 「そうですか、では姉上、フィン、お休みなさい。」 槍騎士の話はしばらく続いた。 「キュアン様が走っておいつかれて、そして・・・・・」 アルテナが自分にもたれてきた。フィンは以前と同じように、自分のマントを折って枕にし、アルテナの頭をその上に乗せた。と、眠っているはずのアルテナが口をきいた。 「以前、こうして眠ってしまった私を抱き上げて送ってくれたのですってね。ナンナから聞きました。」 「はい・・・・恐れ多いと思いつつ、失礼させて頂きました。」 アルテナは起き上がった。瞳が涙で濡れていた。 「・・・・アルテナ様？どうなさいました？」 「・・・・ごめんなさい・・・・私はトラキアでも同じような思い出があるのです。・・・・兄上だったアリオーンと一緒に中庭の泉水の縁に座り、いろいろな話をしました。・・・・私が眠ってしまうと、兄上は私を抱き上げてベッドまで連れていってくれました。・・・・私はレンスターの王女です。レンスターのアルテナです。それを確認したいためにあなたに何度もお話をねだりました。でも・・・・でも・・・・やはり私の中にはトラキアの記憶が強いのです。トラキアの王女としての記憶・・・・仇ではなく父親としてのトラバントの記憶・・・・そして兄上の・・・・恥ずかしいことに、私は今でもアリオーンを・・・・あの人を愛しているのです・・・・兄としてではなく！・・・・噂を聞きました。死んだはずの兄上がバーハラで生きているという・・・・その噂を聞いたとき、私は嬉しくて嬉しくてしかたがありませんでした。もはやアリオーンは敵将だというのに！・・・・こんな私を軽蔑するでしょうね・・・・私はリーフやその他の解放軍の人々の前では、トラキアのアルテナとして振る舞いはしません。でも・・・・捨てきれないのです！」 確かに、そんな噂がある。バーハラに近い空を、グングニルを手にした竜騎士が飛んでいたというもの・・・・バーハラで、傷の療養中のユリウスが、新しい家臣としてアリオーンを城下の者達に紹介したというもの・・・・セリスたちがそれを真実かどうか確かめるすべはないが、ユリウスの転移魔法でなら、落ちていくアリオーンをバーハラまで移動させることなどごく容易いことだとはわかっていた。フィンとしてもアルテナがこの噂に衝撃を受けることを心配してはいたのだが、この健気な姫は、こうして今心情を吐露するまでは誰にもそんなそぶりすら見せていなかったのだ。槍騎士はそっとアルテナの背に手を添えると立ち上がらせた。 「・・・・ちょっとそこまでいらして下さい・・・・」 二人が歩いていった先は、シアルフィ城の果樹園だった。 「よかった。ここは荒れていなかった・・・・」 槍騎士がほっとしたようにいう。 青白い月光に林檎の白い花が照らされている。レンスターよりもずっと遅く花をつけるこの地方ではまだまだ多くの花が咲き誇っていた。かすかな甘い香が鼻腔をくすぐる。 「覚えていらっしゃいますか？レンスターにもこれとほぼ同じ林檎園がございました。花をつける時期は異なっていますが、エスリン様も、故郷と同じ林檎の花を見ることができてお喜びだったのです。・・・・アルテナ様も果樹園が大好きでしたね。特にこの花のころが。」 アルテナは爪先立ちになって、花に顔を近付け、その香りを嗅いだ。 「・・・・はい・・・・小さな頃から夢に出てきました・・・・この白い花のことは・・・・」 「・・・・それを覚えていらっしゃる限り、アルテナ様はレンスターの王女でいらっしゃいます。」 アルテナが目をあけると、槍騎士は深く跪いていた。 「・・・・そして、もちろんトラキアの王女でもいらっしゃる。・・・・アルテナ様は二つの国の王女なのです。二つの国を愛していらしてそれはあたりまえではありませんか・・・・レンスターとトラキアはもとは聖騎士ノヴァとダインという妹と兄の兄弟国家・・・・仲のよかった二人がささいなことで争い、ゲイボルグとグングニルを手に取り決闘におよんだとき、それを止めに入った自らの愛する夫君をノヴァは誤って刺し殺してしまった・・・・それ以来、レンスターとトラキアは敵対し、ゲイボルグは、それを手にするものが最も愛する者の命を奪う悲劇の槍として扱うことが禁忌とされてきました。・・・・それがゲイボルグの伝説です。」 アルテナが激昂した。 「そうです！私の手にするゲイボルグは・・・・私は最愛の人をこの手で殺そうとしました！私は・・・・再び兄上が現われたとき、戦えるかどうかわかりません。」 槍騎士は静かに跪いている。 「伝説はいつか終わらせねばなりません。・・・・キュアン様の悲願が何だったか、まだお知らせしていませんでしたね・・・・キュアン様の願いは・・・・二つの国がまた、以前のような仲の良い兄弟の国となり、やがては一つになることでした。・・・・ゲイボルグの継承者であるアルテナ様も、グングニルを手にするアリオーン様もまだ生きていらっしゃる・・・・生きてさえいれば、和解の可能性はまだあるということです。・・・・あのトラキア城での戦いのあと、アルテナ様は私に訴えられましたね。アリオーン様は卑怯だ、差し違えようと突っ込んだ私を躱した・・・・と。・・・・私は・・・・私はアリオーン様も本当は和平を望んでいらしたと思うのです・・・・トラキアが解放軍に平定された今、アリオーン様の心も以前ほど頑なではないと思います・・・・アリオーン様にゲイボルグの槍先を向けてはなりません。希望を持たなければ、これから先、私も戦い続けることはできません。・・・・ですから・・・・そのように悲しまないで下さい。」 トラキアで生まれ、レンスターで育った槍騎士は立ち上がると優しく微笑んで少し頭を掻いた。 「アルテナ様が沈んだ顔をしていらっしゃると、私が天上にいらっしゃるキュアン様やエスリン様に怒られてしまいます。フィン、おまえが傍にいるのにこれはどういうことだ！、と。お二人とも、それは子煩悩な方でしたから。」 アルテナは小さく笑った。そして伸び上がると林檎の花の枝先を折りとって槍騎士に差し出した。 「私はこれから先、どんなことがあっても戦い抜くことをこの花に誓います。トラキア半島の真の平和の為に力を尽くします。あなたが持っていて下さい。アルテナは兄上を信じてみます・・・・二つの国の王女ですもの・・・・非力ながらレンスターとトラキアの人々の役に立たなくてはなりませんね。」 フィンは花を受け取った。その花を、不思議そうな顔をしてアルテナが見つめた。 「どうかなさいましたか？」 「・・・・なんだか・・・・遠い昔、こんな風に約束したことがあったような気がして・・・・」 槍騎士は笑った。 「きっと夢の中の出来事でしょう・・・・アルテナ様、あなたを心配している者がほら・・・・私の娘がさきほどからあそこにおります。」 ナンナが遠くからこちらを窺っていた。アルテナがそちらを向くと、軽く手を上げて挨拶をした。 「ありがとう、フィン。また私が気弱なことを言ったら、どうぞきつく叱って下さいね。おやすみなさい。」 アルテナがナンナといってしまうと槍騎士は堅い羊皮を懐のかくしから取出し、それを開くとすっかり変色して茶色くなった林檎の枝先を手のひらの上に置いた。キュアンたちが出発する最後の朝、自分はアルテナと一緒に果樹園にいたのだったっけ。アルテナはこの枝を髪に刺していたけれど、エスリンがキュアンと共に途中まで馬を並べると聞いて、一緒に行くと泣いた。出掛ける間際、この枝をフィンの髪に刺して、舌足らずにこう言った。 ”フィン、ちゃんとお留守番しててね。お城をしっかり守ってね。きっとよ。約束。” 今日までこの枝を保管していたのは、自分がキュアンたちを助けられなかったこと、城を守れなかったことに対する戒めのためだった。槍騎士は新しい枝を古い枝と並べて羊皮に挟んだ。 再び立ち上がった槍騎士は大きくのびをした。 ”キュアン様、エスリン様、お二人のお子様は大人になられました・・・・しかし、その優しさが脆さとならないことを私は祈っております。私の力が至らぬところは、どうかお二人が天上からお見守りください・・・・” ラクチェは、自分が斧戦士ネールの血をひくものの一員であるということを強く感じたことはなかったが、ここに来て、考えざるを得なくなった。まだ進軍の指令はでていないが、解放軍はこれからエッダ城を経てドズル城・・・・ネールの武器、聖斧スワンチカを持ったブリアンが待ち構えている城に向かう。リーンとコープルの姉弟が、まだ見ぬ父の故郷に複雑な想いを寄せているのを慰め、ユリアの誘拐に対するショックからか黙々と剣技を研くスカサハを慰め・・・・いや、ドズルのことを考えたのも、いつも一緒のスカサハがそんなだからかもしれない。 彼女はドズルに行ったことはない。ただ、ラナの母であるエーディンから、自分の父のレックスのことはいろいろと聞かされた。ドズルの異端児であり、親友のアゼル公子とともに家出同然でシグルドの軍に加わり、シグルドの父バイロンを陥れた父親との確執に最後まで悩み続けた父。皮肉屋でしかも優しかったという父・・・・どうもラクチェには実感がわかなかったが、ドズル攻めには彼女なりのこだわりがあった。 早朝、賄い場の傍の階段に座り込んでいると、ドズルの昼行灯が脳天気に声をかけてきた。 「おお、我が麗しの姫、何を沈んでおられるのか？悩む姿もまた美しいが、微笑みこそが天使には相応しい。」 ラクチェはつんと澄ましていった。 「犬は飼い主によく似るというが、部隊も部隊長に似るものだな。」 斧騎士部隊長は膝に手をあて、ラクチェを覗き込んだ。 「どのような意味なのかな？」 「・・・・弓騎士隊は繊細。槍騎士隊は真面目。斧騎士隊は・・・・脳天気だ。」 ヨハンは笑った。 「確かに。四角四面の人物が多い中、私の部隊は豪放と言えるかもしれないな。」 「・・・・戦の前でも後でも、ささいなことで大笑いしてふざけている・・・・どうも理解できない・・・・一体どうして笑えるのだ？」 ヨハンは少しだけ真面目な顔をした。 「怖いからですよ、姫。・・・・明日は死ぬかもしれぬという恐怖が、今日のうちは笑っておきたいという気にさせるのです。まあよいではないですか・・・・笑っていたほうが周囲の気持ちもほぐれます。・・・・槍隊も弓隊も、方法が違うだけです。生真面目で繊細でいることによって戦の狂気から逃がれている。」 「・・・・それでは私をダシにして歯が浮くようなことをいうのも、周囲の気持ちをほぐすためなのだな。」 ラクチェの鋭い眼差しが斧騎士を睨み付ける。斧騎士はあとずさった。 「・・・・まあ、いいだろう。周りもまともにはとってない・・・・それより、父上の斧、大事にしてくれているようだな。」 ヨハンが腰に差した斧をラクチェはじっと見つめた。 「・・・ああ。いい斧だ。レックス伯父上にはいろいろ世話になったし。・・・幼い頃、妾腹の甥である私とよく遊んでくれたのだ。」 「・・・・今度のドズル攻めのことだが・・・・まさかとは思うが、死ぬ気じゃないだろうな？」 ヨハンは声を出して笑ったがラクチェは首を振った。 「心配されているぞ。・・・・もともとヨハンは敵だった。帝国に力を貸したドズルの血を絶やすためにブリアン王と差し違えるのではないかと・・・・セリス様も心配して、そんなことはさせたくない、様子を探って、もしもそうならば説得して思いとどまらせてくれと私に訴えてきた。」 「はは・・・・私は生きていることが好きなんだが・・・・それに、もしも私が何かの弾みで死んでも、姫と、スカサハ殿の体にはドズルの血が流れている・・・・問題なしではありませんか！」 ラクチェは鞘に入ったままの剣でヨハンの腹をとん、と突いた。 「私たちは傍系だ。それに、剣士だ。イザークの王女アイラの子だ。・・・・斧を継承されても教えられぬ。だから、ヨハンは死ぬな。・・・・それに、イザークを逆賊として陥れたのはランゴバルトだと聞く。私はヨハンより強いのだし、ブリアンを屠るのは私に任せておけ。」 「考えて置きましょう。」 ヨハンは優雅に一例すると、その大きな手を振ってラクチェから離れていった。 「ラ〜ク〜チェ！」 後ろから肩をぽんと叩かれラクチェは見上げた。 「なんだ。フィーか。」 「あれ？驚かないの？」 「”気”は感じていたから。・・・・アーサーは一緒じゃないの？一人にしておくと危ないわ。昨日もあいつは城の中で迷ってうろうろしてた。」 あちゃあというようにフィーは額を手で叩き、ついでけらけらと笑った。 「アーサーらしいわね。でも大丈夫。今はティニーと一緒だから・・・・魔法の勉強・・・・っていってるけど、本当はティニーについていてあげてるの・・・・ついていてあげないと壊れてしまいそうで・・・・」 「ああ・・・・ユリアはどうしているのだろう。一人で心細くなっているのだろうな。」 フィーはラクチェの隣に座った。 「きっと助けようね。私、どんな遠くからでもユリアのことをみつけてみせる。」 と、賄い場から大きな布包みを下げたパティがスキップしながら飛び出してきた。 「どうしたの？パティ。その包みは？」 盗賊娘はにこにこしている。 「お弁当。シャナン様の部隊の人たちに。」 「お弁当？」 「弁当だと？」 フィーとラクチェは同時に大声をあげた。確かにシャナンたちは今日近隣の村に偵察に出掛ける。しかし、非常食は携帯しているはずだ。 「あ シャナン様！」 パティも妙なら、賄い場に顔を出すシャナンも相当妙ではある。 「はい、これ、お弁当。部隊の人たち全員分です。移動しながらでも食べられるようにパンにいろいろと挟んでみましたぁー！」 シャナンはフィーとラクチェに見つめられて居心地の悪さを感じ、パティの襟首を掴むと城内までひっぱっていった。 「おまえは一体何を考えているのだ！ファバルにおまえがまたなにか妙なことを企んでいるときいて来てみればこれだ。」 「だから 、お弁当。はい。」 「・・・・お前は呑気だな。私はこれから戦にいくのだぞ！」 「・・・・だって・・・・戦だってお腹は空くし、せっかく心をこめて・・・・ひっく・・・・」 しゃくりあげるパティにシャナンは慌てた。 「わ、わかった。とにかく置いていけ！」 嘘泣きしていたパティが途端に満面の笑みを浮かべた。騙されていたと知ったシャナンも苦笑する。 「今日のは自信作なんですよっ！ほら、お城の賄いのこと、少し真面目に考えてたから。」 「・・・・・。」 シャナンは何かいいかけて、しかし一度天を仰ぐと盗賊娘の頭をぐりぐりと撫でた。 それからしばらくしてシャナンが城門をくぐると部下の他にセリスが待っていた。 「セリス、どうした。」 「・・・・見送りに。シャナンは少し疲れているようだったから・・・・私の元気を分けてあげたい・・・・」 シャナンは光の皇子に微笑んだ。 「こらこら、私はまだそんな年ではないぞ。・・・・セリス・・・・不安なのだな。」 素直に頷くセリスにシャナンは微笑んだ。 「正直だな。しかしそれでは将としては失格だ。」 「・・・・シャナンやオイフェの前ではどうしても甘えてしまう。」 「・・・・光栄だ。・・・・これからは息抜きをする暇もなくなるだろう。ゆっくり休んでおけ。」 シャナンを見送ってから、セリスはオイフェと共に、城のそばの岬・・・・アルテナがパルマーク司祭を救ったあたりに馬で出掛けた。 「この岬からの風景も、シグルド様はお好きでした。若い騎士たちを伴ってゆったりと草原に寝転んで話をしたり・・・・あの頃は本当に平和でした・・・」 セリスは岬の突端に歩いていった。光り輝く霧のようなものが見える。それがセリスを呼んでいた。近付くと、霧は二人の人の形となった。追ってきたオイフェが息を飲む。 「シグルド様・・・・ディアドラ様も・・・・」 一度オイフェに向かって振り向いたセリスは霧に向き直った。 「あなた達が・・・・私の父上と母上・・・・？」 肖像画で見たとおりの父。自分と同じ青い髪、意志の強そうな眉の形・・・・そして美しく優しい瞳の紫水晶の髪のディアドラ。 幻となって現われたシグルドは口を開いた。声は直接心の中に響いてきた。 ”セリスよ、人の悲しみを知れ。真実は一つだけではない。” ”セリス、元気に育ってくれて・・・・お友達を大切にね・・・・” 「父上、母上！・・・・・」 じっと見つめるセリスの前で、二人の幻は光った霧へと戻っていった。しばし茫然とする二人・・・・やがて、オイフェがセリスの足元から金色の小さな腕輪を拾い上げた。 「ディアドラ様の腕輪・・・・セリス様・・・・幻などではありません。お二人はいつでもあなたを見ていらっしゃるのです。」 「ああ・・・・父上や母上や・・・・私にはたくさんの人々がついてくれている。・・・・私は私なりの真実を見付けてみせる。オイフェ、最後までよろしく頼むよ。」 「はい・・・・」 シャナンが言ったとおり、グランベル大陸での戦いは息つく暇もないほどの激しいものになった。しかし、セリスには大きな味方がいた。帝国兵とロプト教団に蹂躙された大陸の民衆は、精神的に解放軍を支えた。行く先々の町や村で精一杯の歓待を受け、しかもセリスは必要なもの以外は決して受け取ろうとはしなかったので更に心から受け入れられたのだった。”自分たちが必要とされている。”その思いがセリスたちに本来以上の力を出させた。破竹の勢いでエッダ城に配備されていた傭兵部隊を蹴散らし、城攻めを開始する。エッダはブラギの司祭達の国。そこに本来いないはずの暗黒司祭が駐留し、暗黒魔法をはなってくる。魔法の射程より長い射程を誇るファバルやこちらの魔道士達が対抗するが、中々戦いが進まない中、アレスが単騎で突っ込み、不思議なことに城の前で止まった。 暗黒司祭が魔法を放ったが、魔剣ミストルティンの力を借りるまでもなく魔法は四散した。アレスは馬上から自分の前に乗せていたリーンとコープルの姉弟を下ろした。二人は夢でブラギ神の啓示を受けたということでそれに従い二人で手をつなぎ、城門へ歩いていく。途中、何度となく暗黒魔法が三人を襲ったがブラギの力か全く影響を受けなかった。躍り掛かった兵士たちはアレスが片付ける。 と、不思議なことが起こった。城からの魔法攻撃がぱったりと止んだのだ。 白旗を掲げた、まだ子供にもみえるシスターが城門から走り出て解放軍に手を振った。 「我々に啓示があったのです。ブラギの血をひく金の髪の少年が城に歩いてくる。彼こそが真の王である・・・・と。」 大司教がゆっくりと語った。ずらりと司祭に跪かれ、セリスの隣の椅子に腰掛けさせられたコープルは顔を赤らめた。王とかそういったことを考えるには、少年は純粋すぎた。 「・・・・国を守るため、私たちは帝国に協力してきました。教義が正反対のロプトの司祭をも国に入れたのです・・・・しかし、コープル様が歩いていらしたとき、我らは自分の間違いに気付きました。それで・・・・ブラギの教えには反しますが・・・・彼らと戦ったのです。」 もともと人数としてはエッダの司祭達は暗黒司祭の三倍はいた。今まで従順でなすがままになっていた人々が一斉にとびかかってきて縄でぐるぐるまきにしたのだからたまったものではない。セリスたちが城内に入ったとき見たのは、さるぐつわをかまされてそこここに転がされている暗黒司祭の姿だった。ただ怯えるだけだったエッダの人々の奮い起こした勇気がセリスには嬉しかった。このエッダの蜂起の話は瞬く間に広がり、セリス軍が進んでいく先・・・・ドズル、フリージ・・・・の人々に希望をもたらした。 司祭達は、すぐにでもコープルに王として即位してもらいたいと願ったが、少年はそれはすべてが終わってからです、と戸惑いながら辞退した。司祭たちは残念がり、その矛先はリーンの方に向けられた。何も彼女を責めたわけではない。公女である彼女とどうみても恋仲であるアレスとの婚約を迫ったのである。 「公女様は、その殿方と深いお付き合いをなさっているご様子。そうであれば、神のみ前で誓いをなさいませ。・・・・その方はノディオン王家のご子息と伺いました。愛に身分は関係などありませんが、公女様に相応しいお方と存じます。」 仏頂面をするアレスの傍らでリーンは困って言った。 「司教様。今ここで婚約することが、神の御心なのでしょうか？」 司教は重々しく頷いた。 「あの・・・・なら・・・・アレスさんさえよかったら・・・・あの、でも・・・・・・・・アレスさんは迷惑・・・・でしょう？」 アレスは微笑み何も言わずにリーンを抱き寄せ、優しく接吻した。 「アレス殿！順序が逆です！」 司教が怒鳴ったがアレスは接吻を続けた。ただ、コープルがこういうと素直にそれに従った。 「アレス様。姉さんを困らせないで下さい。それに・・・・僕のような少年には刺激が強すぎます」 そんな小さな幸せに浸っている暇はなかった。偵察に出ていたアルテナが、シアルフィにブリアンの斧騎士隊、エッダにはその配下のフィッシャー将軍の斧騎士が迫っていることを告げた。セリスは自分と歩兵部隊をフィッシャー隊の討伐にあて、シアルフィに残した戦力では守りきれないとみて機動力のある騎馬隊をシアルフィに向かわせた。リーフの横にはナンナがぴったりと付き、槍騎士、弓騎士、斧騎士が駆け抜けていく。ラクチェはスカサハが慣れない馬を操ってやってくるのを見た。 「ラクチェ！乗れ！」 スカサハも感じているのだ。ブリアンを倒すのは自分たちの仕事なのだ、と。 双子が戦場に到着したときはすでに乱戦状態だった。斧に弱い槍騎士達は前線からは一歩引き、槍を持っていたリーフは剣に持ちかえて斧騎士に挑む。弓騎士隊はレスターの号令で一斉に矢を放つ。アーサーが火球を手のひらで作り気合いとともに投げ付ける。 ラクチェとスカサハは、デルムッドとアレスの戦う間を擦り抜けるようにかけた。戦況は互角。素早さに勝る解放軍と、破壊力に勝るドズル軍・・・・一瞬でも気を抜けば腕が・・・・頭すら潰れる・・・・アイラの双子は敵の、味方の死体を踏み越えてブリアンを求めた。最前線にいるのは斧騎士部隊。イザークで蜂起したときからずっとセリス軍に従ってきたヨハンの部隊だ。よく飲みよく笑う兵達が生死をかけて戦っている。敵の攻撃をまともに受けて押し返すことのできるのは普通の兵士では彼らだけだった。幾人かが叫んだ。 「お姫さま！そしてその兄ちゃん！前へでちゃいけない！うちの大将が悲しむ！」 二人は敵を倒すことでその答えとした。スカサハは飛ばされそうになりながら、斧を受けとめ押し返し、胴を薙いだ。ラクチェは敵の脇を素早く掻い潜り背後から止めをさした。 そのとき、凄まじい風を感じ、双子は目に手をあてて土煙を防いだ。斧騎士たちがじりじりと下がってくる。双子は逆に前に出た。両側を崖に挟まれた狭い通路に聖斧スワンチカを構えたブリアンが陣取っていた。ブリアンは落馬して地面に倒れていた斧騎士に向かって斧を軽く一振りした。ただの一旋で頭蓋が割れて脳漿が飛び散る。 一番前でブリアンと対峙していたのはやはりヨハンだった。斧騎士はブリアンから目は離さず呼び掛けた。 「ラクチェ！・・・・今のを見たのなら、下がっていたまえ。」 ラクチェはしゃきんと剣を構え直した。 「・・・・見てわかった。あの攻撃はあたったらどんな人間も生きてはいられないと。ヨハン、斧使いのあなたでも。」 スカサハも頷いた。 ブリアンは不敵に笑った。 「解放軍の死神兄妹とはお前たちのことらしいな。・・・・ならば儂が死神を殺した男になってやろう。」 温厚なスカサハが声を荒げる。 「私たちはイザークのマリクル王子の妹アイラの子、そしてあなたの叔父であるレックス公子の子でもある！イザークを陥れ父を死に至らしめたドズル家の罪、今こそ断罪してやる！」 双子はブリアンの右と左に分かれて立った。 「無駄なことだ！」 ブリアンは気合いを込めて斧をふった。瞬間、ラクチェは気弾のようなものを二の腕に受けて飛ばされた。すぐに立ち上がったがあたった場所はどす黒い痣になっている。同じように立ち上がったスカサハが合図する。ラクチェは素早く動いてブリアンを引き付ける。その隙にスカサハが回りこもうとするのだが、その度に気弾が襲い、近付くことができなかった。気弾は致命傷にはならないが、受けるたびに体力は消耗する。 ヨハンは、ブリアンのまわりの雑魚を相手にしていたが、ラクチェとスカサハが徐々に疲れていくのを見逃せなかった。相手の格が自分とは違いすぎるのはわかっている。わかっているが・・・・ ”ラクチェ、済まない。やはり私は皆が心配していることをするしかないようだよ。” 「兄上！あなたの敵は私だ！・・・・・うおおおおぉぉ！」 ヨハンは馬ごとブリアンに突っ込んでいった。気弾が馬を襲い跳ねとばす。しかしヨハンは手綱を握ってはいなかった。前に放り出される形になった彼はそのままブリアンの前に落ちた。ブリアンはにやりと笑いスワンチカを振り上げた。ヨハンは立ち上がり鋼の斧で受けとめたが、転倒し、スワンチカはやすやすと斧を砕き、ヨハンの腕を抉った。だが、ブリアンの笑みはそこで凍り付いた。ヨハンはレックスの形見の斧でスワンチカを押さえ付けた。腕の骨と斧でスワンチカを挟まれたブリアンは、ヨハンの力というより、その意外さに動きを止めた。その隙をスカサハとラクチェが逃すはずもなく、イザークの死神兄妹は今回もまたその名前通りの働きをした。 「ヨハン！」 血はどくどくと流れ、左の腕は辛うじてつながっているだけだった。 「ラクチェ。おお、やはり君は勝利の女神。勝ったようだね。スカサハもおめでとう。」 生死の境だというのにヨハンは笑っていた。 「喋るな。今、止血してやる。例え腕の一本や二本なくなっても人間死ぬものではない！」 「・・・・血が流れすぎたよ、ラクチェ。・・・・こうなるのがいいのだ。新しい世界には古いドズルの血などいらない。私の仕事は終わったのだよ。」 ヨハンは微笑んだまま目を閉じた。血塗れになりながらスカサハとラクチェは血止めをする。 「馬鹿、目を開けろ。お前のような馬鹿で気障な人間、天上ではいらないに決まっている！目を開けろ。」 ヨハンは再び目を開いた。 「そうだ。しっかりしろ。お前は私と一緒になるのではなかったのか！なのに私を残して行くというのか。嘘つきは死んで尚地獄におちるぞ！」 「・・・・ラクチェ。」 「何だ？何が言いたい？」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もうそれくらいにしておいたほうが・・・・う〜ん、なんというかな、ひっこみがつかなくなるだろう。・・・・・・・・・・・・・私は助かってしまったようだから・・・・」 ちょん、と誰かがラクチェの背を叩いた。コープルがにこにこと笑っている。そういえば、ヨハンの頬には赤みがもどり、腕の傷もぴったりと塞がっている。 「よかった。間に合いましたね。・・・・セリスさまが、怪我人が出るとしたら、あちらの戦場だろうからと僕をアルテナ様と一緒に出撃させて下さったのです。」 ラクチェはかあっと顔が熱くなり、重傷の怪我人には違いないヨハンをぽかりと一つ強く殴ってすたすたと歩いていってしまった。 「ふう、完全に嫌われたようだな。」 スカサハがヨハンを抱え起こした。 「・・・・いや、愛情表現かも・・・・あいつ、真剣だったのは確かですよ。」 ヨハンはラクチェに殴られた頭を右手でさすった。大きな瘤ができている。 「愛とは・・・・痛いものだな・・・・」 ドズル城が陥落したことを知り、フリージのヒルダは激怒した。 「あの斧馬鹿が！”何が俺一人でセリスなど捻りつぶしてくれる”だ。聞けば、神々の武器を持っていもしない者に破れたというではないか！・・・・あのバルドの小倅に勝つには力押しだけではだめなのじゃ！将軍！ユングウィのスコピオへの連絡は万全なのだろうね？」 「はい。こちらから狼煙さえ上げれば。」 ヒルダは赤く紅をひいた口を大きく開けて笑った。家臣たちにはその紅の色が血の色に見えた。 「今度こそ・・・・今度こそお前たちを地獄に送ってやる！見ているがいい。」 |