10　帰郷

　セリスはユリウスからの書簡を見て茫然とした。

　「一体・・・・これは・・・・」

　オイフェが目を通しやはり驚愕の表情を浮かべた。

　「ミレトスへと通り抜けたければ聖戦士の血をひくものの命を一名頂く。・・・・トールハンマーとロプトゥス、どちらかでお相手しよう・・・・・・・・これが私の弟の言葉なのか？」

　ふらつくセリスをシャナンが支えた。唯一レヴィンだけが冷静でいた。

　「ユリウスはもはや人間であって人間ではない。この狂ったとしか思えない手紙はねじ曲げられた理性の表出。言い換えれば彼の最後の童心の名残・・・・相手はトールハンマーとロプトゥス・・・・どちらにせよ今の私たちにとっては恐ろしい魔法だ。レンスターでは一矢報いることができたが、今度もうまくいくとは限らない。特にロプトゥスは・・・・あの魔法に耐えられるほどユリウスが強靭かどうかは定かでないが一撃で並みの人間は絶命すると考えていいだろう。」

　セリスは縋るような目でレヴィンを見つめた。

　「セリスよ。ときには犠牲も必要なのだ。」

　「！誰かに魔法の標的になれと？・・・・いくらレヴィンの言葉でも私はそれには従えない！・・・・他に方法があるはずだ！」

　と、軍議の間の扉が開いて、立ち聞きしていたらしい数人が転がり込んできた。コープルが真剣にレヴィンを見上げる。

　「軍師さま。僕は魔法防御の大きさは他のどなたよりも大きい筈です！どうか、僕を囮にしてください！」

　ティニーがコープルを押し退けて前に出る。

　「いいえ！イシュタル姉様は本当は優しい人です！私に行かせてください！きっと説得してみせます！」

　さらにその前にパティが出る。

　「避けるのなら得意ですっ！あたしに任せてっ！」

　セティが後ろから来て三人を落ち着いた声で宥めた。三人ともすぐに黙った。それほどこの年若い賢者を尊敬しているのだった。セティは一礼した。

　「ロプトゥスが真の力を開放しているのならナーガの魔法しか対抗手段はないと聞きます。しかし、ユリウスはまだ一度もあの暗黒魔法を使ったことはないようです。それだけ威力をこめることはできないでしょう。・・・・ならば、魔法には魔法をぶつけるのが妥当だと思われます。聖戦士の血をひくもので神から渡された攻撃魔法を扱えるのは私のみです。・・・・セリス皇子、私を行かせて下さい。・・・・犠牲になるつもりはありません。聖なるナーガの魔法がなくともやってみせます。」

　セリスは賢者の緑の瞳に溢れる決意に圧倒されそうになった。レヴィンの声が後ろから聞こえる。

　「・・・・今ならばまだユリウスを相手にできるかもしれん。セティの言うように彼の魔法は開花していないのだからな。・・・・よい友たちを得たな。セリス。」

　それは息子を前にした父親の言葉ではなかった。セティは前にもまして不思議な感覚にとらわれた。この男は本当に父なのだろうか。

　「セティ王子。」

　セリスに王子と呼ばれ、セティは戸惑った。確かに父親がシレジアの王なら自分は王子であるのだが、まだそんな感覚はない。セリスとリーフ以外の公子や公女たちは皆、自分と同じ感覚をもっているに違いない。その戸惑いが、身分としては同じであるはずのセリスの前に彼を跪かせた。

　「私は軍を統べる者です。私も一緒に行きます。もし、ユリウスが弟なら、そしてまだ彼に少しでも人間らしさが残っているのなら説得を試みたい。・・・・・・私には聖剣がない。足手纏いにしかならないと思いますがよろしく・・・・」

　軍議の間を出るとコープルが、もしものときには自分が回復をするので同伴すると言い張った。

　「それに、万一のときには、クロード父さんの形見のバルキリーの杖が使えるかもしれません。」

　「ああ・・・・確か、死んだ者を蘇らせるという・・・・・・」

　「・・・・でも、気を付けてください。バルキリーの杖は万能ではありません。杖を振るのは僕ですが、力を発動されるのは神なのです。ブラギの神が、必要と認めた人間でないと復活はかなわないのです。」

　ティニーが何かいいたそうにセリスを見つめている。パティは何かいってやろうかと口をひらきかけたところをファバルに耳を引っ張られた。

　「何よっ！」

　「何ってなんだっ！お前がセリス皇子にとんでもないことを申し出るってきいて、兄ちゃんは駆け付けてきたんだぞ！お前なあ、お前みたいなのがいくら魔法を避けまくっても、相手を倒さなきゃ意味ないだろうが。一人でいってもどうしようもないだろ。」」

　パティは腕組みをし、にこにこ笑った。

　「あ、そうか。そうだよね。忘れてたぁ！」

　くるんとセティに向き直る。

　「ってわけで、あたしが引き付けるんで、セティさん。よろしくっ！」

　「兄ちゃんはそんなことはいってなぁいっ！」


　結局、パティはファバルの猛反対で残ることになり、アルテナがセティとコープルとティニーとを竜に乗せ、ユリウスの待つミレトス城へ飛ぶことになった。セリスたちの地上部隊の速度を考えながら、魔法の有効圏外ぎりぎりに迫り、アルテナは三人を降ろした。彼女はコープルを呼ぶと、その髪に手を置いた。

　「コープル、あなたは優しい子です。人のことを大切に考える善き心を持っています。・・・・でも、それだからこそ自分の命を大切にして下さいね。」

　「はい。大丈夫です。ハンニバルとうさんから、自分のことを大切にできない人間は人を大切にできないと教えられました・・・・心配して下さってありがとう。・・・・アルテナさんこそ、自分を大切にしてください。竜は魔法に弱いのですから、魔法使いに気をつけて・・・・」

　コープルはアルテナの手をとった。ユリアがセリスにしたような呪文を唱える。と、清浄な光が広がった。

　「マジックシールドの呪文です。・・・・もしもってことがありますから、今のうちにかけてあげたかった・・・・」

　「・・・・ありがとう。気をつけて。」

　騎馬でかけてきたセリスが追い付いて声をかけた。

　「いきましょう。セティ王子。」


　ミレトス城は青い海を臨む瀟洒な白い砦だった。その建物を振り返り、ユリウスは微笑した。

　「よい天気だな。イシュタル。」

　確かに天気は良い。だが、不思議なことにいつも吹いている海風がまったく止んでいる。

　「はい・・・・」

　「せっかくの気晴らしだのに、お前はつまらなそうな顔をしているな。」

　「・・・・いいえ、少し緊張しているのです・・・・」

　「そうか・・・・おや、来たようだよ。四人だ。・・・・誰の血筋かお前にはわかるかい？」

　イシュタルは近付いてくるセリス達を見て息を飲んだ。ティニーがいる。彼女の大切な従妹。しかし彼女は表情には出さず、静かに答えた。

　「トードの血筋のものが一人。それ以外はわかりません。」

　ユリウスは舌打ちし、仕方ないなというように得々と説明した。

　「一人はブラギ、一人は忌々しいフォルセティ。一人はバルドとナーガ・・・・あいつにも私と同じ暗黒のマイラの血が受け継がれているのに、光の皇子とはお笑いだ・・・・。」

　セティの視線がまっすぐにこちらを向いている。セリスが叫んだ。

　「ユリウス！私は君の兄のセリスだ！話を聞いてくれ！」

　ユリウスはくっくっと笑う。

　「兄？確かにな。私とお前の母親は同一人物だ。・・・・だがな、そのお前と私を結びつける唯一の人物を殺したのは私だ。」

　「え？・・・・」

　セリスの目の前が白くなった。

　「どうした？ディアドラを殺したのは私だといっているのだ。」

　何をいわれたのか判ってセリスは憤った。

　「貴様・・・・母上を・・・・」

　ユリウスはあくまで冷静にセリスを眺めている。

　「人間とは愚かなものだな。ほんの一区切りの言葉で感情を乱してしまう・・・・」

　乱れるのが当たり前ですわ。と、イシュタルは心の中で言った。それが人間である証。喜び、悲しみ、怒り・・・・それらをどこかに置いてきてしまったあなたが特別なのです・・・・
　セティがセリスの肩に手を置いた。肩からすうっと暖かなものが流れこんで来るような気がしてセリスの怒気が失せた。

　「イシュタル姉様！」

　ティニーの澄んだ声が響いた。

　「イシュタル姉様！もう止めて！」

　ティニーが二三歩こちらに進んでくる。ユリウスがにやりと笑う。セティがティニーの前に出て印を結ぶ。いや、ユリウスの方が早い！
　セリスたちは、ユリウスの背後から巨大な黒い竜が現われたのを見た。咆哮をあげ、赤い目を光らせ・・・・・邪悪な気がその体から発散し、小さなコープルは思わず頭を抱えてしゃがみこんだ。
　黒い竜は膨れ上がり頭を仰け反らせ・・・・

　「止めてくれ！」

　叫んだのは意外にもユリウスだった。彼はコープルと同じようにしゃがみこんでいた。

　「私をどうしようというのだ？これは私の体だ！私はユリウス。私は人間だ。お前のような化物ではない！」

　黒い竜は顔を顰め、急速に縮んでいった。
　その間にセティのフォルセティの魔法がユリウスを直撃した。風に吹き飛ばされながらユリウスは茫然と呟いていた。

　「・・・・暖かな・・・風・・・・」

　魔法で切り刻まれ大地にバウンドして倒れたユリウスをイシュタルは抱き起こした。彼女は彼をしっかりと抱え、彼女の腕の中でユリウスは笑った。その笑いはいつもと同じ歪んだものだった。

　「・・・・また出直しのようだ。この体が癒えるまで、待つしかないだろう。また会おう、兄上。そのときは私の魔法を完全な形でお目にかけましょう・・・・」

　ユリウスが片手で印を結ぶと彼とイシュタルの姿と共にかき消すようになくなった。

　「イシュタル姉様！」

　ティニーが膝をついて涙を流した。その肩をセティが抱く。コープルはユリウスが立っていた場所の草花がすべて枯れはてているのを見、背筋を寒くした。治癒の杖を掲げて一心に祈る。・・・・少しだけ、ほんの少しだけ、大地に命が戻ったのを彼は感じた。
　少年司祭の後ろ姿を見ながら、セリスは先程のユリウスの様子を思い出していた。・・・・黒い竜が現われたとき、ユリウスは一瞬だけ人間らしさを取り戻したようだった。・・・・もしも彼が何かに取り憑かれているのだとしたら・・・・自分を流れる闇の血に苦悶しているのだとしたら・・・・

　「救ってやれないのだろうか・・・・」

　光の皇子はぐっと拳を握った。

　ユリウスが去り、ミレトスの砦は難なく陥落した。軍議が終わり、各部隊に指示を与えるとオイフェはバルコニーにセリスを連れ出した。海に面したバルコニーからは、狭い海峡を隔てて北にグランベルの大地が見渡せる。

　「あれがグランベル・・・・」

　「ええ。かすかに見える城の影がシアルフィ城。・・・・セリス様のお父上でいらっしゃるシグルド様の城でございます。・・・・やっと帰ってきました。・・・・セリス様・・・・あなたの故郷ですよ。」

　セリスは父によく似た青い髪をそっとかきあげた。

　「・・・・故郷・・・・か。私はシアルフィの公子だけれど、初めてあの城にいくのだから、なんだか不思議な気がするよ、オイフェ。オイフェの方が懐かしいのじゃないかな。」

　オイフェはにっこりと笑った。

　「そうですね。あの城で私は六年間を過ごしました。シグルド様はもちろん、シグルド様のお父上のバイロン様にも可愛がっていただきました。以前セリス様にもお話しした騎士のアレクやノイッシュやアーダンにはよく遊んでもらったものです。・・・・あのころは本当に平和でした。」

　セリスは手摺りに凭れ、ぐっと身を乗り出した。

　「私が帰っても、人々は迎えてくれるのだろうか。・・・・その・・・・父上の再来としてではないこの僕を・・・・」

　軍師は頷いた。心配など無用だ。

それより・・・・　シアルフィに駐留する帝国の将をオイフェは先程知った。その男は・・・・
　聖戦士ファラの血を引き、炎の最高位魔法ファラフレイムを使う魔道士・・・・そして彼の主君シグルドを殺害した男・・・・グランベル帝国の主、アルヴィス。



　シアルフィの謁見の間の大きな椅子に深々と座り、アルヴィスは大きな虚脱感に襲われていた。と、ほっそりした姿がおずおずと入ってきた。

　「ユリア・・・・か。」

　ユリアはすうっと父の膝に縋りついた。

　「・・・・全てを思い出したのだね。」

　ユリアはこくっと頷き、小さくしゃくり上げた。

　「すまぬ。・・・・ユリウスがナーガの血をひくお前を殺そうとし、それをかばってディアドラは死んだ。彼女は最後の力でお前をどこか遠くに魔法で飛ばし、お前は記憶を失っていたのだったな。ユリウスがロプトゥスの血を引く邪悪な子であることを私は知っていた。知っていて何もできなかったのだ。もっと早くに・・・・ユリウスが闇の血の兆候を見せたときにこの手で殺しておくべきだった。・・・・ユリアよ・・・・私を憎んでいるだろうな。」

　ユリアは父の膝に頬摺りした。

　「いいえ。お父さまは優しい方です。私も、お母さまもいつだって愛して下さった・・・・お兄さまだって・・・・マンフロイがあの、不思議な黒い表紙の本をもってくるまではとても優しかったのに・・・・」

　それを聞いていたかのようにすっとマンフロイが現われた。

　「ほほう。記憶を取り戻されましたか。・・・・丁度よかった。わたしもそろそろヴェルトマーに帰ろうかと思っておりましたのでね。ユリア様、さあ、ご一緒に参りましょう。」

　ユリアは恐怖を顔に浮かべてあとずさった。その小さな体をアルヴィスが前に出て庇う。

　「ユリアは私の娘だ！お前に指一本触れさせはせぬ！」

　マンフロイは哄笑した。

　「これはおもしろいことを仰る。・・・・私はユリア様を守ろうというのですよ。私が守らなかったならユリウス様がすぐにユリア様を殺してしまうでしょう。・・・・アルヴィス殿下。殿下はユリウス様の言うとおりにしていればよいのです。もうあなたは実質的には隠居の身。かつてあなたが目指した理想世界がもうすぐ実現するのです。ロプトの血、闇の血が流れているからといって差別されることのない世界が・・・・あなたはそうしたいとおっしゃったではありませんか？だからこそシグルドを殺し、皇帝となったのではありませんか？そしてディアドラ様とご結婚なさった。さあ、ユリア様、一緒にヴェルトマーへ・・・・」

　ユリアは後ろから父に囁いた。

　「お父さま、ユリアは大丈夫です。ユリアは待っています。お父さまや、セリスお兄さまが助けに来て下さるのを。」

　「セリス・・・・が？」

　「ええ、解放軍でとてもよくして貰ったのです。他にも沢山の人たちが私を励ましてくれたのです。セリスお兄さまにオイフェさんにラクチェに・・・・好きな人もできました。スカサハさんといって、優しい人です。だからユリアは大丈夫です。・・・・ユリウスお兄さまもいつかきっともとのお兄さまに戻られます・・・・だから・・・・」

　マンフロイは呪文を唱えた。ユリアはマンフロイと共に姿を消した。

　「ユリアっ！」

　アルヴィスは頭を椅子の背に打ち付けた。

　「遅すぎたのだ！気付くのが遅すぎたのだ！私はやつらの手駒の一つにすぎなかったのだということに！・・・・もうやり直しも効かぬ・・・・」

　眉間から一筋血が流れた。
　どれほどの時間が流れただろう。アルヴィスは部屋の隅の紐を引いた。ほどなく白髪の司祭が恭しく一礼して扉の所に現われた。

　「パルマークよ、こちらに来い。」

　パルマークは緊張した面持ちで王の真正面に立った。

　「・・・・子供狩りの事だが・・・・」

　男の顔色がさっと青ざめる。

　「いや・・・・知っていた。お前が子供たちを密かに逃がしていることはな。フリージ家のイシュタル王女が協力者だということも。・・・・知っていて黙っていたのだ。・・・・今日はそのことではない・・・・これを・・・・」

　アルヴィスは絹の布に包んだものを隠し戸棚から取り出してパルマークに手渡した。司祭は怪しみながら丁寧に布を開いた。中のものが出てきたとき、彼は飛び上がらんばかりに驚いた。

　「こ、これは聖剣ティルフング！これをどうしろと？」

　皇帝は震えているパルマークを座らせた。

　「シグルドの遺体が握っていたものを保管していたのだ・・・・ファラフレイムの炎に焼かれても青く清く輝く刀身に変化はなかった・・・・お前は以前、シグルドに仕えていたシアルフィの家臣であった。私がここにきてからも、領民のことを思ってここにとどまっていたのであったな・・・・お前なら解放軍にいっても受け入れて貰えるであろう。・・・・この剣を、シグルドの息子に渡してくれ。本来あるべき場所に私はそれを返したいのだ。」

　「しかし・・・・陛下、それでは陛下は・・・・！」

　アルヴィスは微笑んだ。

　「先のことは考えてくれるな。・・・・私は決断したのだ。・・・・私は、私として生きるのだと。・・・・私がティルフングを託したことをセリスには伝えるな。間違えるな。私は解放軍と死力を尽くして戦うのだからな。・・・・・解放軍が私を倒すだけの力を持たぬのならば、私が相打ちをしてでもファラフレイムでユリウスを倒す・・・・頼んだぞ。」

　司教は泣いていた。

　「わかりました。・・・・二君に仕えてしまったこの身ですが、お約束いたしましょう。」

　「・・・・有難う・・・・早くいくほうがよかろう。この城の騎士達は、中央からの派遣軍が大部分だ。私がお前を守ることはできない・・・・地下牢にいる子供たちをつれて、逃げのびるのだ・・・・」

　司祭は剣をしっかりと抱き、扉までいき、振り返った。皇帝は椅子にかけ、死んだように目を閉じていた。

　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　シアルフィ奪還に向けての戦いは混線となった。ペルルークの商船で一気に上陸したセリス達は騎士の波状攻撃に遭い、停滞を余儀なくされた。イザークの剣士達がなんとか突破口を作り、アレスやデルムッドの騎士隊が魔道士部隊に突入するまで半日以上もかかっただろうか。ラナやコープルも前線に近い位置で兵士たちの傷を治した。白い僧衣は赤く染まった。よく覚えていない。パティとリーフが守ってくれたような気もする。味方を癒し、敵の兵士の傷も癒した。そんな奴らは殺してしまえという味方の罵声に怒鳴り返して必死に治癒の杖を使った。自分が何をしているのかわからなくなった。

　上空から戦況を見ていたフィーは、敵の一団が奇妙な動きをしているのに気付いた。魔道士隊が一小隊分、岬に向かって移動している。その先に自分たちの仲間はいないはずだと訝っていると、岬の先に一固まりになっている子供と白髪の男の姿が見えた。急いでアルテナから渡されていた笛を吹く。人間には聞こえないが竜には聞こえる音が鳴り響き、アルテナはすぐにやってきた。赤い竜騎士はフィーの指差す方を見つめ、全速で降下し、一人の魔道士を屠った。陣形が乱れたところでフィーも突っ込む。残った魔道士たちは”赤い竜騎士”の持つゲイボルグの切っ先の輝きを目のあたりにして蜘蛛の子を散らすように逃げていった。　彼女たちが岬に舞いおりると子供たちがわーっと集まってきた。

　「聖戦士様でしょう？」
　「強いんだね！」
　「嬉しいな！これでお家に帰れるんだね！」

　子供たちにまとわりつかれてフィーは大いに照れ、アルテナは一人一人を優しく抱き締めてやった。と、パルマーク司教が静かに言った。

　「あなたが赤い竜騎士ですか。レンスターのアルテナ王女様でしょうか。」

　アルテナは子供の一人を抱いたまま頷いた。

　「私は昔シグルド様にお仕えしていたパルマークと申します・・・・アルテナ様、あなたのお母上のこともよく存じておりました。実は・・・・」

　司教は布包みを開いた。



　アルテナに連れられて司祭はセリスの前にやってきた。オイフェが司教を見つめ、やがて頷いた。

　「たしかにパルマーク様だ・・・・私はシグルド様の傍仕えをさせていただいていたオイフェです。・・・・覚えておられますか？」

　「オイフェ？オイフェか！・・・・私も歳をとるわけだね。」

　「はい、お懐かしゅうございます。」

　司教は遥かな昔に思いを馳せていたようだったが、我に返るとセリスの前に跪き恭しくティルフングを差し出した。

　「・・・・私がシアルフィの城から持ち出したものです。これはあなた様のもの。」

　セリスはすらりと剣を抜いた。柔らかな光が放たれる。

　「これがティルフングなのですね・・・・・確かに力がみなぎってくるようです。手に馴染んでとても軽い・・・・・」

　「セリス様・・・・一刻も早くシアルフィを取り戻してください。」

　パルマーク司教の言葉には何か苦しげなものがあったが、セリスはそれには気付かないふりをして頷いた。反乱軍はやっと自分たちのペースで戦いを進めはじめた。驚いたことに、城に少数だが残っていたシアルフィの騎士たちは、自分たちの主君はセリスであると宣言し、帝国と戦う側についた。多くの命が失われたが、それでも彼らは内部から帝国の騎士を突き崩し、セリスのもとにたどりつくと跪いた。彼らにとって自分は初めて出会う人間のはずだ。そしてまだ年若く経験も浅い。しかし、こうして信じてくれる人々を前にし、光の皇子は熱い想いが沸き上がってくることを禁じ得なかった。
　セリスは突入部隊を選んだ。アレス、セティ、ファバル、シャナン・・・・神々の武器を持ち、今まで共に戦ってきた仲間たちである。上空ではアルテナが旋回している。

　「セリス・・・・俺も行かせてくれ！」

　スカサハが割り込むように走ってきた。

　「しかし、君は・・・・」

　「確かに伝説の武器はもっていない。でも、足手纏いにはならないから！」

　ラクチェもスカサハに肩を並べた。

　「セリス。私もお願いする。もしかしたらあそこにユリアがいるかもしれないのだろう。・・・・」

　そして、コープルとラナも進み出た。

　「城のそばには怪我人もいると思います。・・・・私、戦いはしません。ただ、手当てをするのが早ければ助かる人を見殺しにできない・・・・」

　セリスは全ての仲間に向かって頷いた。
　ファバルが弓を射、セティが風の魔法で翻弄する。アレスは重装歩兵を数人相手にしながらセリスに叫んだ。

　「早く行け！皇帝は、アルヴィスは奥にいるはずだ。」

　と、そのとき、炎の奔流が辺りを襲った。

　ヒルダ女王の魔法など足元にも及ばぬ強力な魔法が地を舐め、黒く、姿もわからないほどに焼け焦げた遺体がそのあとに転がった。ラナは手で顔を押さえ、嫌々をするように首を振った。
　セリスとイザークの剣士たちはひるまず炎の奔流の流れ出た点に向かった。敵の剣士がさっと襲いかかる。シャナンがすかさず前に出て、セリスとスカサハを先に行かせる。二人を追おうとする敵兵の前にラクチェが立ちふさがる。

　剣戟の響きを後ろに聞きながら、走る二人の前に、今度は魔道士が現われた。スカサハがセリスの肩を押し出す。

　「大丈夫。俺、少しは素早くなったから・・・・それより、ユリアのこと・・・・どうか・・・・」

　アイラの息子は突撃し、一人の胴を薙ぎ払い、そして襲いかかった暗黒魔法を見事に避けた。
　セリスは走った。もう敵はいない。足元に転がっていた炭化した死体ももうここにはない。

　「貴様がセリスか。」

　深い、落ち着いた声が響いた。セリスの視線の先にアルヴィスが一人立っていた。皇帝はセリスを、そして彼の手の中にあるティルフングを見、笑みのようなものを浮かべた。
　この青年がセリス・・・・かつて自分が愛した女性が心から慕っていた男、シグルドとの間に産んだ息子・・・・優しい目元はディアドラに似ている。意志の強そうな眉はシグルドに似ている・・・・ファラフレイムの魔法で消し炭のようにして殺したあの男の眉に・・・・
　セリスはティルフングの切っ先を皇帝に向けた。

　「グランベル皇帝、アルヴィス！解放軍の盟主たるセリス・フォン・シアルフィがお相手する！」

　「・・・・父の敵を討ちにきたのか。」

　「いいえ。私はユグドラル大陸のできるだけ多くの人々に平和を与えたい。そのために・・・・あなたを倒す！」

　皇帝は微笑んだ。

　「幸せなことだな。自分の正義を疑わずにそのような言葉を口に出来るとは。」

　「どういう意味です！」

　「・・・・その意味を知るには、勝利者となり、なおその後に続く永い時との戦いを経ねばならぬ。・・・・いずれにせよ、何かを得ることができるのは勝利者のみ・・・・さあ、かかってくるがいい！」

　セリスは勢いをつけて切り掛かった。その速さを見、皇帝はファラフレイムではない、印を結ぶのに時間のかからない炎魔法を放った。それはアーサーも唱えることの出来る魔法であったが、ファラの聖戦士の魔力は半端なものではなかった。セリスは足元に炎を打たれ、その衝撃で後方に飛ばされた。その隙にアルヴィスはファラフレイムの詠唱を始めた。セリスは剣を杖にして立ち上がった。そのままアルヴィスに突き進む。・・・・・ぎりぎりの時間だった。いや、ファラフレイムの呪文が完成するのが一瞬早いはずだった。アルヴィスの視界に、ここにはいるはずのない者の姿が目にはいった。娘のユリアと同じくらいの歳で僧侶のローブをつけた金髪の少女・・・・

　「セリス！危ない！」

　皇帝はディアドラの最後の姿を思い出していた。娘のユリアを守るため、ユリウスの放った暗黒魔法の前に両手を広げて飛び出していった最愛の妻・・・・

　“ロプトゥス！あなたにユリアを殺させはしない！”

　少女の姿と妻の姿が重なる・・・・

　呪文の完成が遅れた。ティルフングはアルヴィスの胸に深々と突きささっていた。セリスは横たわった皇帝の体の傍らに座込み大きく息をしていた。


　「セリス！」

　「スカサハ！」

　遅れてやってきたスカサハがアルヴィスに取りすがった。

　「ユリアは？ユリアはどこに？」

　アルヴィスは自分の命の灯が失われていくのを感じながら、自分をゆさぶるスカサハの手を握った。

　「お前がスカサハ・・・・か・・・・」

　いきなり自分の名を言われ、スカサハは戸惑った。

　「ユリアは・・・・ヴェルトマーに・・・・ユリアを・・・・頼むぞ・・・・スカサハ・・・・セリス皇子・・・・」

　消えゆく意識の中で、妻の面影が朧に浮かんだ。

　（・・・・・・・・・ディアドラ、君は私を待っていてくれるのだろうか・・・・）

　アルヴィスの胸が一度動いて最後の息を吐き出し、それきり動かなくなった。


　恐怖で凍り付いていたラナは、自分の体がふわりと抱き上げられたのを感じた。顔をあげると、ラクチェの顔がすぐ近くにあった。

　「あんなことをして！どうして！」

　「私は・・・・・戦えないから・・・・・そして、セリスがいなくなったら解放軍は・・・・・だから、だから私は」

　なぜ無茶をしたのかわかっていてもラクチェは怒らずにはいられなかった。怒りながら彼女はぎゅっと幼馴染を抱く。

　「わかってる。よくわかっている。・・・・・・でも・・・・・」

　ラナはラクチェに下ろしてくれるよう囁いた。ラクチェが言われたとおりにすると、この小さなシスターはまっすぐにセリスとスカサハのところに走っていった。・・・・・・彼らの傷を癒す為に。




　シアルフィの人々は、シグルドの遺児セリスを諸手をあげて歓迎した。アルヴィスの支配は決して悪政ではなかったが、ロプト帝国の影が消えた街には解放軍の到着を祝う花輪が掲げられ、城のバルコニーから手をふるセリスには、歓声がつぎつぎと浴びせられた。

　「・・・・これが故郷・・・・」

　傍らのオイフェに呟くと、軍師は頷いた。

　「・・・・まだ戦いは続きますが、ここがあなたの故郷です。待っている人々のいる、故郷なのです・・・・」

　セリスは大きく手を振って人々にこたえた。

　「・・・・そうだね。まだ戦いは続く・・・・でも・・・・少しだけ・・・・少しだけ安らかな気持ちでいさせてほしい・・・・」

　セリスが故郷を開放したことは、仲間たちにも安堵感を与えた。リーフの故郷であるレンスターもそうであったが、城主が仲間である場所は、なにかとくつろげるものである。
　アルヴィスは、城の内部や宝物に手をつけることなく律儀に保存していたので、どこに何があるかはオイフェの記憶と全く変わっていなかった。オイフェは主立った人々に部屋を割り当て、また、自分が先頭にたって、城のいろいろな場所をまわって歩いた。特にレンスターの人々はオイフェに案内されることを好んだ。
　オイフェ、フィン、リーフ、アルテナの四人は宝物庫にいた。シアルフィはレンスターと同じく華美なものを好まない国柄だが、貴重な宝物がしっかりと分類されてならんでいる。オイフェは珍しい石の標本につけられた札を見て笑った。

　「この札は私がつけたものです。」

　フィンが頷く。

　「確か、私がキュアン様の御供をしてこちらに伺ったときのことだったね。」

　「ああ、そうだったか。」

　昔の話をしていると、この二人はまるで少年のように目を輝かせる。

　「？これは？母上？」

　壁にかけられた一枚の絵を見上げ、リーフは首を傾けた。
　オイフェはにこにこした。

　「真ん中で椅子にお座りになられているのがエスリン様。右に立っていらっしゃるのがシグルド様。左に立っていらっしゃるのがキュアン様です。この絵はキュアン様がエスリン様とのご婚約を決断なさったときのものです。」

　アルテナは両親の絵姿を見つめた。可愛らしく、しかもいきいきとした表情の母、温和そうな、それでいて芯の強そうな父・・・・フィンから聞かされていた話からの想像とよく合った若き日の二人の姿がそこにはあった。彼女は胸に手を置いた。そして今は亡き父母に祈りを捧げた。・・・・それにしても・・・・

　「お父さまと、それからシグルド様の前にいる少年は・・・・？」

　オイフェは頭を掻いた。

　「シグルド様の前にいるのは私です。家族同然ということで、シグルド様が一緒に描いて貰えと仰って。ですから、キュアン様の前にいるのは・・・・」

　青い髪の少年。生真面目そうで、絵のモデルになっている緊張感からか口をきゅっと結んでいる。

　「ええ・・・・私・・・・です。」

　オイフェと同様、頭を掻きながらフィンが認めた。リーフが面白そうに忠臣と絵のなかの少年を見比べた。

　「レンスターにも、父上と母上とフィンの描かれた絵があったけれど、父上も母上もよっぽどフィンが気に入っていたのだろうなぁ。・・・・なあ、どうしても僕がフィンを兄上と呼ぶのは駄目なのか？実質兄上だと思うんだが。離れて暮らしていたアーサーやナンナに比べて実に兄弟らしいとは思わないか？」

　「いけません。」

　即座にきっぱり言われてリーフはむくれた。

　「けち！」

　フィンは苦笑し、オイフェが大声で笑った。



　「こっち、こっち。」

　ラナがパティの手を牽いて軽やかに物見台への階段をかけ上がった。少女二人のあとからはレスターとファバルが続く。

　「うわぁ〜、こりゃ、いい眺めだ！」

　イチイバルを常に担いでいるファバルは無意識に担ぎなおし、ぐるりと見渡して感嘆の声をあげた。レスターはそんな友人にくすっと笑ってみせてから自分も西の方を見渡した。
　パティは目の前に広がる草原をオレンジ色に染めていく夕日が沈んでいき空がすみれ色から紫色へ・・・・夜の色に変わり、一番星が輝くまでうっとりと眺めていた。

　「ホントに綺麗だったね！・・・・あれ？でも、どうしてラナってこの物見台のことを知ってるの？ここに来るの初めてでしょう？」

　ラナは手摺りに頬杖をついた。

　「かあさまから何度も聞いていたの。ここから何回もシグルド様と一緒に夕日や星を見ましたって。・・・・一度だけ、護衛についてきたミデェール父様と見たこともあるのですって。そのとき、かあさまったら、つまづいたふりをして、わざと父様に倒れかかったんですって・・・・公女と近衛じゃ、そうでもしないと並んで座ることもできなかったから・・・・って」

　パティは目をキラキラさせた。

　「ロマンティックだねっ！・・・・おかあちゃんは師匠にどう迫ったんだろう。」

　「・・・・ブリギッド伯母さまが？」

　「・・・・そんな気がするんだ。・・・・だって・・・・きっと、師匠、いや・・・・あたしのお父ちゃんからはいえなかったと思うもの・・・・だからね、きっとおかあちゃんが“あなたのことが大好きよ”っていったんだわ。・・・・・・・ラナちゃん。太陽が沈んだ方に、おかあちゃんたちの城があるんだよね？」

　「ええ。・・・・今は私たちの従兄のスコピオという人が城主なのだそうよ。」

　「その人、いい人・・・・じゃ、ないよね。子供狩りとか、してるって噂だものね。」

　パティは兄の前につっと出て、その鼻に人差し指をつきつけた。

　「ってことで、お兄ちゃんがスコピオってのを懲らしめなきゃね！」

　ファバルは面倒臭そうに髪を掻き回した。

　「確か、そいつはアーチナイト（弓騎兵）だぞ。レスターに頼め！」

　パティは今度は深々とレスターに向かってお辞儀をした。

　「・・・・どうしてレスターにはお辞儀をするんだっ！」

　ファバルが怒り、レスターが笑った。
　パティもケラケラ笑いながら、しかしそっとラナに囁いた。

　「・・・・ティニーの気持ち、少しわかったみたいな気がするの・・・・でもね、私は悲しくなっても泣かない。泣きたくなっても意地でも笑ってみせる。・・・・・・・・皆を元気にすることしか、あたしにはもう出来そうにないから・・・・無神経なおめでたい奴だって思われてもいい。ラナちゃんだけわかってて貰えたらいいから・・・・」

　ラナは従姉妹の手をきゅっと握った。
　ここはグランベルの地・・・・聖戦士の血をひく者は、自らと同じ血筋の者達と刃を交える・・・・これからバーハラ城に辿り着くまでに通る道筋は肉親と争う道になる。
　レスター達は従兄のスコピオと、ヨハンは兄のブリアンと、ティニーは伯母のヒルダ、従姉のイシュタルと再び戦う・・・・そしてセリスは自らの弟であるユリウスと・・・・・

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