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| ６ トラキアの竜騎士 |
主力を失ったコノートは無力だった。セリスがブルームを斬首して制圧するまで、半日も要しはしなかったのである。戦闘のあとで、セリスは自身疲れているにも関わらず兵を労って回った。アレスのところまできて手を差し出すと、アレスはごく軽くだが握手した。 「セリス・・・・ところで、イシュタルを射抜いた弓だが・・・・」 「ああ、パティの兄上のものだときいた。私はまだ会ってはいないのだけれど。」 「・・・・只者ではない。早く会って話をした方がよいと思うぞ。」 皆はこぞってファバルを探したが、彼も、パティもコノート城内にはいなかった。いないはずだ。二人とも近くの森にいたのだから。 結局二人が帰ってきたのはかなり遅くなってからで、それも荷車に大荷物をつんでいた。 セリスは自分の前に積み上げられた荷物・・・・巨大な猪７匹・・・・を感嘆して眺めながら跪いて深々と頭を下げているファバルとその横で同じ姿勢をしているパティを見つめた。 「お願いします。俺もここで働かせて下さい！帝国に雇われてはいましたが、すっぱり気持ち入れ替えます！これはほんのお詫びのつもりで・・・・あ、妹がみんなあまり肉を食ってないっていったもんで。俺にできることはこれくらいなもんで・・・・」 セリスは目をぱちぱちさせている。リーフが目をみはる。 「・・・・これは伝説の”古強者”と呼ばれる大猪だ・・・・」 パティがにこにこと顔をあげる。 「はいっ！弓は兄ちゃんの唯一の誇れるとこで！」 その頭をファバルが頭を下げたままぽこんと叩いた。 「お願いします！」 「・・・・私は別に構わないのだけれど？君は確かに傭兵だった。でも、私達になんの被害も出していない。違うかな？」 ファバルは頭をかいた。そして上を見上げた。そして叫んだ。 「そ、そういえば、俺、こっちの誰にも弓ひいちゃいねえんだったぁ！怪我ひとつさせちゃいねえや。・・・・あ、んじゃ皇子様、俺、とにかく弓兵として参加しますんで。」 レスターがまじまじとファバル・・・・いや、ファバルの弓を見つめていた。 「あ、あんたが隊長さんだろ？よろしくたのまぁ！」 レスターはそっとファバルの弓に触れ、彼の許可を得て取り上げた。そして隅々までながめていたが、彼の肩口にある小さな青い痣を見てゆっくりと頷いた。そして、セリスとシャナン、オイフェに耳打ちした。 シャナンは呆れ果てたように言った。 「・・・・では、この男は、神弓イチイバルで猪狩りをしたわけだ・・・・」 そして手を差し伸べファバルを立たせた。 「な？なんです？」 セリスは微笑んだ。 「・・・・ゆっくり説明するけど・・・・ファバル。ひとまずあなたはユングウィ家の直系の血筋を引く人です。リング公の長女ブリギッド様があなたの母上・・・・その弓は神々の武器の一つ、イチイバルです・・・・ファバル。私の方こそよろしく。」 「そうか、俺は・・・ええっ！今、なんていったっ！」 その夜は大騒ぎだった。戦勝祝いで城内城下町ともにわきかえり、猪鍋のまわりで兵も住民も酒をくみかわし、新たな仲間のファバルは従兄とわかったレスターと早くも意気投合してデルムッドと三人で杯を傾けている。拙いけれどフィーが父から譲り受けた笛を吹き、リーンがそれに合わせて踊り、ティニーの頬にもやっとほほ笑みらしいものが浮かんだ。ヨハンがラクチェにダンスを申し込み肘鉄を食わせられ、何杯飲んでも酔わないスカサハの隣でリーフは顔を赤くし、ナンナとユリアとオイフェは笑いフィンと同じだと王子保護者の酔いに染まった顔を指差した。セリスはユリアとラナの間で一時の安らぎを堪能することにした。 シャナンはパティを探していた。あの元気者がお祭騒ぎの場にいないのは明らかに異常だったし、第一いないと不思議と寂しい。それに今日はお説教してやらねばなるまい。 意外にもパティは人気のない城壁に腰掛けて足をぶらぶらさせていた。 「パティ！」 「あ？シャナン様、どうしたんです？」 パティは手でごしごしと目の辺りをこすった。 シャナンは拳骨でかなり本気でパティの頭を打った。 「うまくいったからよかったが、今日のような無茶はもう二度とするな！寿命が縮む！」 またパティが目をこすった。 「・・・・おい、泣くほど痛かったのか？」 パティはふるふると首を振った。しかし、じわっと涙が目に浮かんでいる。 「おい・・・・」 と、パティはうわああん、と大声で泣きだした。 シャナンがどう扱っていいものやらと戸惑っていると、彼女はしゃくり上げながら言った。 「シャナン様はお父ちゃんのこと、よく知ってますよね。」 「ああ・・・・デューとはずっと一緒に寝起きしていたし、命を救って貰ったこともある・・・・」 「お父ちゃん・・・・いい人だった？」 「・・・・もちろん。」 何故そんなことを今更聞く？と尋ねようとしたとき、パティが堰を切ったように喋りだした。 「・・・・お父ちゃん、私にお父ちゃんのことを”お父ちゃん”って呼ばせてくれなかった。”師匠って呼べ！”っていつも言われて・・・・明るくて楽しいお父ちゃんだったけど、そのことになると急に真顔になって・・・・私に”お前は本当は俺の子になるはずじゃなかったんだ”なんていって・・・・今日聞いてわかった。ベルお母ちゃんの本当の名前はブリギッドっていうんだって・・・・そして、お母ちゃんのはじめの旦那様・・・・ファバル兄ちゃんのお父さんはヴェルダンという国の王子のジャムカという人だったって・・・・そのジャムカという人、私のお父ちゃんにお母ちゃんのことを託してバーハラで死んだんだって・・・・私、どうして生まれたのかな？お母ちゃんはジャムカという人を裏切ったの？それともお父ちゃんがいけないことをしたの？」 シャナンは俯いて泣いているパティの青い縞模様の帽子を取ってそっと頭を撫でてやった。 「・・・・パティ、ブリギッド様はジャムカ様をとても愛していらしたし、ジャムカ様も同じだった。デューは当時はまだ少年で・・・・盗みをしてはジャムカ様に窘められていたものだった。どちらかというと、ブリギッド様を好きだったというより、ジャムカ様の弟分として、ジャムカ様の奥方を護る役目を懸命に果たしていたのだと思うぞ。それほどジャムカ様とデューの結びつきは強かったのだ。・・・・私はまだ恋をしたことがないのでよくはわからないが・・・・一緒に暮らしているうちに、二人の間に愛情が育っていったのだろう。・・・・それはジャムカ様への裏切りではないし、ましてや悪事ではない。デューがジャムカ様を思って済まないと思い続けるのは気持ちとしてわかるが、パティ、お前は両親が愛し合ってできた子であることに間違いはない。・・・・お前はいつも周囲を明るくしてくれる子だ。そんなお前が愛のない家に生まれた訳がない。」 パティはしゃくりあげていたが、一度勢いよく”すん”と鼻をすすると顔をあげた。少し無理した笑顔があった。 「・・・・私が保障する。・・・・それに、よかったではないか。ラナとは血縁だ。」 「ラナちゃんと？」 「お前の母上とラナの母上は双子の姉妹だ・・・・同じユングウィの血をひく・・・・」 「・・・従姉妹・・・・ですか？」 「そうなる。」 パティは途端に元気になってピョンと立ち上がった。 「シャナン様！あたし、ラナちゃんと話してきます！ラナちゃんにならいろいろ話せる！ありがとうございました！」 シャナンはたたたたと走っていくパティの後ろ姿を見送ってため息をついた。まあ、子供が元気なことはよいことだ。 「・・・・しかし、あの元気ものの盗賊が王族とは・・・・」 自分の手に残った縞模様の帽子を眺め、自分はパティを説教しにきたことを思い出し、苦笑するシャナンだった。 夜半を過ぎても町には松明が赤々と輝き、物資が少ないとはいえ、人々は歓喜に打ちふるえていた。リーフ王子がナンナとフィンと一緒に町に出るとそれを目ざとく見付けた老人が大声で祝福の声を上げた。 市井の少年として暮らした数年間、そして王子として暮らした数年間。リーフはずっとこの人々と一緒だった。そして多くの民はリーフがそのようにふるまったからなのだが、リーフのいらだちや心細さや悲しみには気付かず、ひたすら自分たちの守護者として受け入れてきた。そのような関係でも、リーフは自分を祝福する民に対して感謝していた。その中に、逃亡していた自分たちをかくまってくれたり、幼い頃一緒に遊んだ友人の姿を見付けると、彼は連れに気付かれないように（フィンは実際のところ気付いていたが）滲んできた涙を拭った。 離れたところからデルムッドがナンナを呼んだ。ナンナが走っていくと、デルムッドは照れながら道具屋で買ったらしい瑠璃のはまったペンダントを妹の首にかけた。 「フィン、お前に兄弟はいなかったのか？」 「はい。しかし、ナンナが私を父と言うより兄のように慕ってくれたので少し兄めいた気持ちを持つことができました。」 実際にはもう一人、自分を兄のように慕ってくれた少女がいた。 ”フィン、フィン。いってきまぁす。” まだ舌足らずの可愛い声が自分の耳の奥に残っている。 ”おみやげ、まっててねぇ。帰ってきたらまただっこしてねぇ。” 「おい、フィン。どうした？」 王子が心配そうに覗き込んでいる。 「何でもありません。」 「そうか。ならいいんだが・・・・もう一回りするぞ。」 「はい・・・・」 それから一月ほどして、セリスは全軍でコノートまで進みそこに駐留することにした。彼らを待っていたのはその東にあるマンスターの住民の代表だった。 「セリス皇子。我らは国境の民・・・・もともとはレンスターの民とトラキアの民が平和に暮らす町であったと古文書は伝えています。十数年前、町がトラキアの支配に置かれても我々は黙って隷属し、言われるままに従ってきました。しかし、もう我慢ができません。コノートが開放されたと同時に我らは独自に軍を編成しトラキアに対抗する決断をしました。・・・・もちろんトラキアも黙ってはいません。幾度か小競り合いが続き死者も出ております。・・・・どうか、どうか彼らが竜騎士団を派遣してくる前に力をお貸し下さい。」 マンスターの代表はセリスの足元に平伏した。 「頭を上げて下さい。・・・・私達はいつかはトラキアとは決着をつけなくてはいけないのです。事が始まってしまっているのならぐずぐずしているわけにはいきません。」 リーフが何か言いたそうにセリスを見つめた。リーフにとってトラキアのトラバント王は父や母や姉の仇。気が急くのも無理はない。但し、竜騎士との戦いはセリスにとって全く未知なるものである。徒に突っ込んでいっては勝機は掴めまい。 「私達も最善を尽くしましょう。・・・・あなた方が留守の間、マンスターの指揮は誰が？」 「旅の途中に立ち寄られたまだ年若い賢者様です。お名前はセティ様とおっしゃいます。・・・・」 「ついにあ奴らがコノートまで来たか。・・・・そしてマンスターから反逆の狼煙が上がる・・・・」 トラバント王は北の出城であるミーズ城で偵察部隊の報告を聞き、歪んだ笑いを薄い唇の端に浮かべた。とっくに壮年に達していたが、その狼のような鋭い眼光は味方の兵をも恐れさせるのに十分だった。 「陛下、ご命令を。」 それまで存在感を意識的に殺していた竜騎士が低い声で主君の言葉を待った。 「・・・・反逆は血をもって贖ってもらうまで。コルータ、わが娘と共にお前の一大隊をもってマンスターを支配下に治めろ。・・・・セリス軍が現われたなら同時に屠ってかまわぬ。」 「はっ・・・・」 「父上！」 凛とした声が響いた。カツカツと靴音を響かせ、赤い鎧をまとった女竜騎士が王の前に立ちまっすぐにその目を見つめた。父親が狼なら娘は隼、眼光の鋭さは負けてはいなかった。 「父上、私にはこの戦いが正義の戦いとは思えません。アルヴィス皇帝が大陸で行なう政は今や恐怖政治以外の何物でもなく、油断すれば私達のこのトラキアさえ吸収しようと画策しているのは間違いのないところ。その帝国に反旗を翻すセリス軍となぜ戦わねばならないのですか。今必要なのは血や槍ではなく話し合いではないのですか？このまま戦えばマンスターの住民に大きな被害が出ます。マンスターにはトラキアの民もたくさんいるではありませんか！父上はご自分の民を殺すおつもりなのですか？」 トラバントは全く表情を変えなかった。 「では、このまま攻め込まれてトラキアをセリスの統治する国にするというのがお前の望みか？」 娘は困ったように眉を下げた。 「そんなことは・・・・」 「ならば行け・・・・トラキアは・・・・我々の大地は我々自身が守るしかないのだ！」 娘はゆっくりとコルータの後から出ていった。暗い通路を抜けると太陽が溢れる竜の牧場に出る。コルータは部下たちに指示を出し、胸に下げていた笛を吹いた。竜騎士達もそれに倣う。忽ち上空には竜騎士の数と同じだけの飛竜が舞い、自分の主人目掛けてふわりと舞いおりる。 灰色の竜に鞍をつけ、武器を帯びてまたがったコルータは、まだ自分の竜を呼んでさえいない女騎士を叱った。 「姫さま。姫さまにはご自分のお考えがあってもそれはよろしいことです。陛下とは異なったお考えであっても・・・・しかし、ご存じですか、この世の最も大きな罪は何かということを。・・・・それは傍観することです。共においで下さい。私は先に参ります！」 コルータが飛び立つと、残りの竜が一斉に後を追った。荒々しい大きな生きもの達の羽撃き。トラキアに攻め込まれた国にとってそれは恐怖の羽音だったが、女騎士にとっては小さなころから馴れ親しんだ生きものの力強い命の歌だった。 女騎士は、自分の胸の銀色の笛を手にとり、口にして勢いよく鳴らした。褐色の大きな竜が舞いおりる。長い年月を生きた老練な空の戦士。女騎士は鞍をおき、手にした見事な槍を持ちなおした。 真ん中を握り、そこから穂先にむかって握り拳三つ分・・・・ 「さあ、お願いよ！マンスターへ！」 「父上。」 ミーズ城では凛凛しい若い竜騎士が飛び立つ竜騎士を眺めているトラバントに話し掛けていた。 「妹を戦場に送ったのはなぜですか。」 「・・・・ふっ、血・・・・か。あれはどんどん母親に似てくる。儂をまっすぐに見つめるあの目は、あれの母親が最後に儂を見据えてきた瞳にそっくりだ。」 「父上？」 トラバントは振り向いた。 「アリオーンよ。あれには学ばさねばならん。・・・・このトラキアで生きることがどんなことかをな。それがどんな結果になろうとも・・・・マイコフ、この城は任せたぞ。アリオーン、儂と来い。トラキア本城の守りを固める。」 「まあ、そりゃ、どこを射抜いても落ちるこたぁ落ちるぜ。竜ってのは。」 慣れない乗馬に戸惑いながらファバルは横をいくレスターに説明した。 レスターは顎のあたりに手をやった。 「イチイバルのような剛弓でファバルのような剛腕ならそうかもしれないが、そう簡単にはいきそうにないな。」 「ああ、なら、翼の付け根を狙うことだ。レスターのように狙いが正確ならやれるだろ。馬を巧みに操れるから、引き付けて射っても躱せるだろうし。」 竜騎士団の襲来が予想されるだけに、弓騎士隊を前線に出すのはしごく当たり前のことである。 「ところで、ありゃあなんだ？」 ファバルは黒い雲のようなものを視界に捕らえた。それはセリスたちの予想より遥かに早くやってきた竜騎士達であった。 マンスターでは市民たちが竜騎士の雲霞のような影を認めて、恐慌状態に陥っていた。自分から戦うことに志願した屈強な若者達でさえおろおろして砦で武器を手入れするくらいしかできなかった。が、幾人かは冷静に対処し、弱いものを逃がすことに心血を注いでいた。その中で一番の働きをみせたのが、昔たまたまこの町に立ち寄ったが、人々の窮状をみかねて自らレジスタンスのリーダーとして戦うことを決意した若き魔道士だった。町の人々は彼を賢者セティと呼んだ。 「女性や子供、お年寄りは馬車に分乗してコノートまで逃げて下さい。町は私達が守ります！」 食料や水もしっかりと配分し、ほとんど不平がないように細かなところまで気を配ってある。竜騎士が迫ってきたとき、マンスターの町の中には非戦闘員の姿は見えなかった。 「セティ。もう十分じゃ。あなたはこの国の人ではない。あれだけの竜騎士にはとても対抗できぬ。命をかけるのはこの国の者だけでいい。どうせ負け戦・・・・」 砦の中で町の長老が言った。呼び掛けられた緑の髪の生真面目そうな青年は穏やかに言った。 「いいえ。負けると決まったわけではありません。・・・・この世界は変幻するもの。風のようなものです。・・・・長老様。お願いがあります。竜がやってきてからしばらくの間、私を一人で戦わせて下さい。・・・・」 「一人で？」 セティはゆっくり頷く。冗談ではなさそうだ。 「・・・・わかりました。」 見張台から伝声管を通して男の声が飛び込んできた。 「竜だ！三十騎以上はいる！」 声の主が階段を駆けおりてきたのと、セティが屋上にかけあがったのが同時であった。セティは懐から魔道書を取出し、表紙に手を置いた。 「・・・・優しく暖かき風よ・・・・」 大きな魔力が光の粒子になってセティの躰からあたりに発散される。自分の魔法力を完全に開放するのはこれが初めてのことだった。セティはその爽快感にも似た心持ちにゆったりと身を委ねる。 先頭の竜が自分目掛けて降下してくる。 「風よ・・・・」 セティの手が印を結ぶ。 「刃となりて引き裂き給え！」 辺りの空気が一気に巻き上がった。一瞬ののち、敵に目掛けて見えない空気の刃が襲いかかり、その一撃で二頭の竜が翼を切り裂かれて地面へと落ちていった。 「何ッ！」 コルータが竜の手綱を引き、反転させる。 「・・・・風使い・・・・？」 上空で体勢を整えた竜は高度を上げ、急降下してセティを狙った。若き賢者はすかさず魔法を放った。印を結んだのは一瞬であったが、風は確実に竜の体を引き裂いた。コルータは一度舞い上がり魔法の届かない山際に移動した。 「分散して攻めるぞ！第一分隊は私と共にあの魔法使いの魔力を消耗させる。残りはコノートからレンスターに向かえ！」 ちらと横を見ると、王の娘は悲しげに少し高いところからマンスターの町を見下ろしていた。 ”鬼神の如き槍の使い手とはいえ、所詮は小娘か。” 「さあ！トラキアの竜騎士の力を今こそ見せるのだ！」 「弓騎士隊第二分隊はマンスターにそのまま進軍せよ！第一分隊はコノートに帰還！魔道士隊と弓歩兵はこの場で竜を迎え撃て！剣士隊は魔道士を守れ！」 オイフェの指示が飛ぶ。 白馬にまたがったセリスはリーフたちレンスターの騎士たちと並んで弓騎士達とともにマンスターに向かった。 「さあてと。」 ファバルは手に唾をつけて切り通しの崖の上に陣取った。 「来た来た来た来た！」 不謹慎にも少し嬉しそうに彼は叫んだ。アーサーがティニーのそばで空を睨んで身構える。こちらに飛んできたのは二十騎ほど。イチイバルの一撃が一頭の竜を射抜いたのを皮切りに戦闘が始まった。ファバルは次々に矢を放つ。その隙を埋めるように魔道士たちは魔法を放つ。雷と炎の魔法が竜の大きな体を焼け焦げさせる。苦痛に怒った竜が急降下してくると、剣士たちは身軽に飛びのき、剣をひらめかせて竜を、あるいは竜騎士を叩き切る。 「はいよっ！兄ちゃん。」 パティが兄に矢を渡す。 「おう。ありがとよっ・・・・馬鹿っ！また前線にでてきたんかっ！」 「お説教はあとでしてよっ！ほらっ！来たよ！」 マンスターから逃げた市民たちはコノートに抜ける橋のあたりで孤立していた。行く手にも竜の姿が見え、マンスターも竜に襲われている。馬車を動かすこともできず立往生していると、マンスターの上空を舞っていた竜のうち五騎が彼らに向かってまっすぐに突っ込んできた。馬車につないであった馬は驚き、後ろ足で立ち上がり暴走を始めた。母親は子供を抱き、年寄は目を閉じ、何事か祈りを唱えている。 竜は降下した。一度降下するごとに人の命が失われていく。騎士の槍や剣は無慈悲に人々の喉や胸を貫きマンスターの血を赤く染めていく。 小さな子供目掛けて一頭の竜が突っ込んだ。と、その竜はびくんと空で硬直したかと思うと地面に突っ込んだ。片方の翼をばたばたとさせ、もがいている。人々が遠巻きにしていると、竜は立ち上がり、鋭い牙をもった大きな口をあけ迫ってきた。その背には槍を構えたトラキアの竜騎士の姿が見える。 竜騎士は槍を振り上げると、人々の護衛役の剣士の胸を貫いた。手だれの傭兵と市民軍。力の差は歴然としている。そこにまた矢が飛んできた。今度は竜の目に刺さる。竜は暴れて騎士を振り落とした。騎士は乗り物を捨て、剣を抜くと人々に迫った。更に上空から残りの二頭の竜が降下してくる。地上の騎士がまた新たな死者を生み出そうとしたとき、戦斧の一旋が彼の胴を薙いだ。馬を速駆けさせてきたヨハンは汗を拭うと泣きじゃくっている小さな子供を馬上に抱き上げた。 レスターがファバルに教えられた通りに翼の付け根を射抜く。高度を下げた竜をアレスが剣圧で切り裂きセリスやリーフはが地上で迎え撃つ。 五頭がすべて地上に静かに横たわると、セリスはレスター隊をそのままマンスターに走らせ、向き直って市民に語りかけた。 「私は解放軍のセリスです。この近くの森でしばらく待っていて下さい。必ず私達の軍が迎えに行きます。もう少しだけ辛抱してください。部隊の者を護衛に残します。怪我人は遠慮なく申し出て下さい。」 既にナンナが治癒の杖をふるって手当てを始めている。 老人がセリスの横のリーフを見、杖をつきながら前にでてきた。 「もしや・・・・あなた様がキュアン王子の忘れ形見のリーフ様では・・・・？」 「ええ。私がリーフです。」 「おお・・・・私はキュアン様に以前お目にかかったことがございます。そのときはこちらの槍騎士様もご一緒でしたっけ・・・・お父上によく似ていらっしゃる・・・・あなた様はこのレンスターとトラキアの最後の希望でいらっしゃる・・・・」 「レンスターと・・・・トラキア？」 敵対するトラキアの名を聞き、リーフは眉をそびやかした。 「そうです・・・・レンスターを興した槍騎士ノヴァとトラキアを興した竜騎士ダインはもともとは妹と兄。考えようによってはあなたはレンスターとトラキアの両方の血をひいていらっしゃる・・・・私の祖国はトラキアです。約束していただけませんでしょうか・・・・トラキアを・・・私達の祖国を守って下さる・・・・と。」 リーフは老人の手を握った。・・・・そのまま、何も言えなかった。約束はできなかった。・・・・その時まで、トラキアを殲滅すれば、それで人々は幸福になれると信じていたのだから・・・・ また、一頭の竜が落下した。セティは自分を囲むように舞う竜騎士の中で印を結ぶ以外は微動だにせずしっかりと立っていた。落ちていく途中の竜騎士の投げた手槍で左足に傷を負っていたが、その痛みは表情に微塵も現われなかった。 竜の囲みが突如として崩れた。竜に比べてあまりにも小さな騎影。白く小さな・・・・ 「フィー！」 懸命にマーニャを操る妹の姿をそこに認めたとき、セティは冷たいものが背を流れるのを感じた。 ペガサスは主人の命令どおり、白い翼を大きく羽撃かせる。力はない。速さもかなわない。しかし、急に向きを変えることのできる機敏な動きと主人の手綱裁き通りに空を駈けることについてはどんな竜にも負けなかった。マーニャは竜の間を飛び回り、爪の攻撃を巧みに避け、隊列を撹乱した。竜は竜騎士の命令より、自分たちをからかうように飛び続けるこの小さな邪魔者を引き裂くことに夢中になった。 セティは全身全霊をこめて印を結んだ。風に乗せて妹に声を送る。 「フィー！下がれ！」 ペガサスは了解すると羽を畳んで急降下した。空に残された竜にセティは風の奔流をぶつけた。コルータ以外の竜が落ちる。セティは妹が無事に空に戻ってきたのを見てほっと息をついた。 「・・・・相当疲れたようですね。」 すぐ近くから声がした。 竜から下り、腰からすらりと剣を抜いたコルータが立っていた。 「もう終わりにしましょう。・・・・私が倒れてもまたあらたな竜騎士がやってきますが、あなたは危険すぎる。今死んでもらわねば・・・・・」 その体が後ろに倒れた。屋上の出入口ではレスターが弓を放った姿勢のまま立っていた。 コルータの言葉通り、南のミーズ城からは続々と新たな竜が北上を始めていた。セリスはマンスターでセティと出会った。年よりずっと落ち着いてみえるこの賢者と握手する間もあらばこそ、解放軍は新たな戦いの布陣を始めた。砦にファバルと魔道士部隊。砦の周囲には剣士隊と弓隊が陣取り、墜落させて止めを刺す役目を負う。騎馬隊は南へ向かい、敵の様子を見つつミーズ城を攻略する。戦いつつフィーは囮として飛ぶ。 （そうです。私の父の名はレヴィンと申します。） セリスは南に向かいながらセティの言葉を思い出していた。 （ええ、これがフォルセティ・・・・父から譲り受けたものです。・・・・そんな大それたものとは知りませんでしたが、父を探して旅をしているうちに自分の父が何者で、この魔道書がどういったものなのかはっきりとわかりました。・・・・あの通りの派手な人ですから・・・・マンスターの守りは任せて下さい。竜騎士を片付けたら私も他の皆さんと共に援軍としてミーズにかけつけます。） セリスの頭上を竜が飛ぶ。レスターの号令で一気に矢が放たれ、何頭かが落ちていく。遥か前方の竜に突きささった矢はファバルのものだろうか。アーサーの炎魔法、ティニーの雷魔法、そしてセティの強力な風魔法が吹き荒れる。 「ミーズまで一気に駆け込むぞ！」 オイフェが叱咤する。と、前方から槍が雨のように降り注いだ。 「投擲機だな・・・・」 アレスが呟くとオイフェはすかさず騎馬を木が疎らに生えた山裾に避難させた。進軍速度は落ちるが安全を図るにはこれしかない。が、それは敵に十分な時間を与えてしまうことに他ならない。オイフェが思案していると、ペガサスが歩いてきた。 「フィー、マンスターは？」 「あ、セリス様！まだ交戦中ですが大丈夫です。もう勝機は見えたから、シャナン様がこちらの部隊に加われ・・・・と。でも、投擲部隊が相手ではマーニャでは近くに近寄れませんね。」 オイフェはじっと腕組みしていたが、地図を広げてフィーを呼んだ。 「近付けなくとも投擲機の位置は確認できるかね。相手は大きな櫓だ。正確な位置とどんな種類の投擲機かを知りたい。」 「は、はい。」 しばらくしてペガサスがもってきた情報をオイフェは地図上に書き込んだ。そしてやおら黒鉛を削ったもので線を引いた。 「これが投擲の範囲だ・・・・ここから外れていれば攻撃は受けない。そして相手の懐に入れば投擲機はもう威力を発揮しない。」 地図の上での安全圏は複雑でしかも極めて狭い範囲だった。どんなコースを取ろうと完全に攻撃を避けることはできない。だが、アレスは事もなげに言い放った。 「俺が行こう。一つの投擲機を潰せば後続は容易く侵入できそうだからな。」 「アレス殿、しかしそれは危険です。」 「・・・・・盗賊から財布を守るのよりは簡単なことだ。デルムッド、一緒に来い。」 このごろ行動を共にしているアグストリアの血筋の二人を見送り、セリス達はひたすらフィーの合図を待った。 「セリス様！櫓が一つ崩れました！」 「よし！進軍！」 解放軍が突撃する。もはや前進を妨げるものは何もない。城からの数少ない騎馬隊と切り結び城門の守りを突破する。城主マイコフは城壁の上からセリス軍を見下ろし、大弓を引いていたが、セリスたちが城門を入ってくると武器を槍に持ちかえて階段を静かに降りてきた。 「セリスとはどちらかな。」 礼儀正しく尋ねる武将にリーフと並んでいたセリスは一歩進み出た。 「私がセリスだ。・・・・この城は制圧した。どうか投降して欲しい。そうすれば城に残ってまだ戦っている兵士たちも命を落とさずに済む。」 マイコフはゆっくりと首を振った。 「あなたはわかっていない。トラキアがなぜ傭兵国家として生きてきたのかを。私達は戦いを続けるしかないのだ。ただ、これだけはお願いしたい・・・・必ずグランベル帝国を倒す・・・・と。では・・・・いざ！」 二三度切り結びはしたが、セリスは難なくマイコフを倒した。しかし喜びはなかった。自害したイシュトーの死体を見付けたときのような苦さがセリスの心に広がっていった。 ミーズ城制圧後、物見台に昇っていったフィンは山の高いところにじっとしている一頭の大きな褐色の竜をみとめた。竜は全く戦おうとはせず、身動きしない様は彫像のようであった。 「フィン、あの竜は・・・・」 リーフも見上げ、訝しげに目をしばたいた。騎手は若い女性で、茶の長い髪が風になぶられている。 「あの竜騎士、マンスターの近くでも見かけた・・・・一体どうして・・・・遠くてよくわからないけれど、何だかとても寂しそうで悲しげだ・・・・」 竜騎士は西の空に夕日が沈むころになって舞い上がった。太陽の光に手にした槍が輝いた。ただの反射ではない。強い、しかし優しい光・・・・フィンははっとした。この光以前に見たことがある。 「ノヴァの聖光・・・・」 「え？」 「キュアン様の持つ地槍ゲイ・ボルグの放っていたのと同じ光・・・・」 「では、あの騎士はトラバントが父上から奪った槍を手にしているというのか。」 フィンは夕日の中に融けるように小さくなっていく竜を食い入るように見つめていた。 「地槍ゲイ・ボルグは聖痕を持つノヴァの血筋の方にしか扱えません。キュアン様の血を引く方・・・・生きていらしたんだ。」 キュアンと同じ茶の髪、もう二十二、三か。 「フィン、僕には何のことかわからない。あの竜騎士はいったい誰なんだ？」 フィンは自分の体を支えるように槍を床についた。 「・・・・リーフ様。あの方はあなたの姉上です・・・・そうとしか考えられません。アルテナ様・・・・生きて・・・・いらした。・・・・」 リーフは激しくフィンの肩を揺さ振った。 「姉上が？どういう・・・・どういうことなんだ!?」 青い髪の槍騎士は黙って褐色の竜が飛び去っていった方角を凝視していた。 |