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| ４ 斃れし光、再び |
イードを制圧したセリス軍は南部へと転進した。南東のレンスターに至るには、西のブラムセルの傭兵部隊、南のフリージ家ブルームの長男イシュトー率いる魔法部隊、そして、ブルーム自らの城、アルスターを撃破しなくてはならない。ため息が出そうな行程だが、ここで音をあげていては帝国の本拠地、バーハラには辿り着けない。 「なんだか嬉しそうだな。」 デルムッドに馬を並べたレスターが話しかける。 「そうか？お前にはわかってしまうな。」 おさまりの悪い蜂蜜色の金髪を掻き揚げ、デルムッドは親友を見た。 「家族に近付いているせいだろう。妹のナンナはイザークに逃れたラケシス母上が父上と再会の約束をしたレンスターに移ってから生まれたってことだから・・・・年はラナくらいかな。ラナはまだ子供っぽくてか細いけど、美人のエーディンおばさんと美青年で評判だったミデェールさんの子だからきっと綺麗になるよな。俺、ミデェールさんのこと結構覚えてるんだぜ。母上は目を見張るような美人だっていうことだが父上は傭兵だったらしいから、結構凛凛しい妹かもしれない。・・・・いや、父上や母上のことは諦めてるんだ。噂もはいらないから。ただ・・・・ナンナだけは・・・・独りぼっちで寂しかっただろうから、思い切り甘えさせてやりたいんだ。俺、いい兄貴になれるかな？」 「・・・・だだ甘の兄さんになりそうだね。・・・・いい兄さんになれるに決まっているじゃないか。母上の修道院で預かっていた子供たちもお前によく懐いていたし・・・・そういえば、アーサーも同じようなことを言っていたな。」 上空を指差す。白い天馬の後にアーサーはしがみついていた。いつのまにかそこが彼の指定席になり、フィーの槍とアーサーの魔法のコンビネーションは無敵の偵察部隊と呼ばれるようになっていた。 「・・・・アーサーも妹はアルスターにいるそうだが、彼の妹ということは、おそらく魔道士ということだな。」 先陣を任されていたヨハンが馬を止めた。小高い丘の上からはダーナ城とメルゲン城が見渡せる。セリスも馬に揺られながらエーディンに聞かされたお伽話を思い出していた。 遥かな昔・・・・ロプト教が政をも動かしていた時代、その圧政に苦しむ人々は反乱軍を組織し戦っていたが追い詰められこのダーナの砦で希望のない戦いを始めようとしていた。と、そこに12人の神が天から下りてきた。神は人の姿をしていたが、実際はこの世界を見守る竜の一族の者であった。彼らは十二人の若者に自分の血を与えその血を受けたものは不思議な力を身につけ、神が与えた聖なる武器を操る能力を得た。・・・・それが今の聖戦士達の血筋につながる英雄たちなのだという。彼らは聖なる武器を操り、ロプトとの戦で超人的な力を発揮し、勝利を掴んだ。・・・・・これがダーナの奇跡と呼ばれる伝承である。 ダーナ砦は今は一つの城に姿を変えている。ダーナの奇跡からしばらくの間、砦は砂漠の隊商の補給地となっていたが、いつしか豪商人の屋敷となり今はブラムセルという男が王を名乗って砂漠の人々を搾取していた。帝国に手を貸しているが、このままロプトの配下になる気はさらさらない。彼にとって重要なのは自分の富と安全だけなのだ。今回のセリスの蜂起も、彼にとっては小さなことにすぎなかった。彼には最強と噂される傭兵部隊がついている。セリスを討ち取れば帝国内での自分の株があがる。更にあわよくば反乱軍がメルゲン城を攻めている間に漁夫の利をきめこもうと腹を決めていた。 セリスたちが進軍している今も、ブラムセルは長椅子に寝転がり、１人の踊り子の踊りに見入っていた。 踊り子は緑の髪を薄桃色のリボンで縛った初々しい清潔感をもった少女で、しかし、胸や腰はすでに女性の色香を発散させていた。踊り子はくるくると回り、跳び、楽の音が止むと深々と一礼した。ブラムセルがはしゃいだような拍手をする。 「おお、おお、ういやつ・・・・リーンよ、わしは今日は機嫌がよい。褒美をやるからこちらに来い。」 手招きする領主の顔に肉欲の表情を見たリーンは近寄らずに跪いた。 「私のような卑しいものはとても領主さまのもとになど参上できません。。私はここに控えております。」 「ほほっ・・・・しおらしいところもまた可愛い。だが、素直な女はもっともっと可愛いものだぞ。おい・・・・リーンをここに・・・・」 男に両側から腕を捕まれ、リーンはもがいたがどうなるものでもない。ブラムセルの手が踊り子のうなじをすっと撫でた。踊り子の顔が青ざめ鳥肌がたつ。 「領主殿・・・・その位でやめるがよかろう。」 黒い鎧を纏った一人の男が凛とした声で言い放った。構わずに尚もブラムセルが悪戯を続けようとすると男は腰から黒い刀身の刀を抜き放った。 「・・・・俺はお前に雇われた傭兵だがここは戦場ではない。・・・この魔剣ミストルティンの餌食になりたいか？」 ブラムセルは、この傭兵が死神とも渾名されている凄腕の剣士であることを承知していた。彼は踊り子から手を放すと曖昧な笑いを浮かべた。 「ほんの戯れだ。そんなに恐い顔をするな。そうか、お前の女だったか？さあ、行くがいい。」 黒衣の騎士はリーンを伴って去っていった。その後姿を憎々しげに見送ってブラムセルは呟いた。 ”覚えておれ！貴様の言った言葉を今に後悔させてやろう。” リーンは薄物の衣装の上から手製の薄緑のマントを羽織った。それだけで、踊り子は印象を変えた。ここにいるのは、上品で優しげな一人の少女だ。 「ありがとう。アレスさん。」 そう、黒衣の騎士は、いまでこそ傭兵に身をやつしてはいるが、かつてアグストリア諸国連合の獅子王と言われたエルトシャンの遺児であった。 「有難うございます、嬉しいです。でも、無茶は止めて下さい。ね。」 アレスは踊り子に口付けしようとしたがそれをリーンは赤くなって押し止めた。踊り子をしていてもそんな純粋さを失わないリーンがアレスにはいとおしい。死神と噂される彼の前で優しい微笑みを絶やさぬ彼女は彼にとっての天使だった。と、あごひげを生やした厳つい男がアレスの横に並んだ。リーンは一歩下がる。 「アレス、出撃命令がくだった。」 「ああ。ジャバロー・・・・獲物は何者だ？」 「・・・・反乱軍だ。・・・・お前が息の根を止めたがっていたセリスとかいうガキもいるぞ。・・・・半刻後に装備を整えて城門だ。いいな。」 鎧をがちゃがちゃいわせながら去っていくジャバローを見送ってからリーンはアレスを見つめ、首を振った。 「アレスさん、とても恐い顔をしている。」 アレスは無言で踊り子を見下ろす。 「・・・・アレスさんのお父さまを殺したのがシグルド公子だというのは以前に聞きました。でも、それが本当のことだとしても、敵討ちなんて間違ったことだわ。セリスっていう人にはなんの罪もないんですもの。それに・・・・私にはシグルド公子も悪い人とは思えない。・・・・・戦は嫌です。血がたくさん流れます。敵の命も味方の命も、神様の前では等しく掛け替えのないもの。・・・・・傭兵のあなたに、剣を捨ててください、というつもりはありません。悲しいですけれど、今はそういう時代ですから。でも、あなたが奪う命を一つでも少なくできるのなら、私はそうして欲しいんです。 アレスは背を向けた。 「どうしても？こんなに頼んでも？」 アレスにとって親の敵を討つことは生きる目的だった。まだ子供の頃、生れ故郷のノディオンを滅ぼされ、傭兵のジャバローに拾われて傭兵としての業をたたきこまれてきた。死ぬような目にあったことも数知れないが、そのたびに、シグルドに対する憎しみが彼に生きる力を与えてくれたのだった。 「・・・・俺はセリスを討たねばならん・・・・それにジャバローには大きな借りがある。」 そしてそのままリーンに背を向けてジャバローを負った。その背にリーンは叫んだ。 「もういいです！そんなにそれが大切だと思うならいけばいい！」 リーンはマントの隠しから捨て子だった自分の首にかけられていたペンダントを取り出してぎゅっと握った。装飾性のまったくないその金属のペンダントにはブラギ神の聖印が刻まれていた。 「神様・・・・勝手なお願いですけれど・・・・アレスさんをお守り下さい。・・・・そして、人の命が失われませんように・・・・」 ジャバローは騎馬し、後から黒馬でやってくるアレスに話し掛けた。 「女はどうした。」 「・・・・あいつは戦には関係ない。」 アレスの育ての親でもあるジャバローは冷たく言った。 「・・・・女は遊ぶだけにしておけ。お前には似合わん・・・・」 ジャバローは、自分が育て上げた聖戦士の血をひくこの青年が致命的な欠点を持っていることを承知していた。・・・・ジャバローは、あの踊り子がアレスの鉄面皮のような冷徹さに風穴を開けることを恐れていた。 「わかっている・・・・俺は死神だ。」 「セリス様！ダーナの傭兵部隊が動きました！槍と剣と・・・・数は少ないですが手だれみたいです！」 フィーが舞い下りて報告するとオイフェは自ら編成した騎馬隊を遠回りにダーナに向かわせた。 ジャバローは五百騎の傭兵部隊に停止の合図をした。 「アレス・・・・反乱軍はほど近いぞ。」 「ああ・・・・」 「・・・・お前、あの娘のことを考えているのか・・・・目に鋭さが欠けている。・・・・まあいい、もう済んだことだ。」 「どういうことだ？」 「・・・・ブラムセルがあの娘に執心していたことは知っているだろう。・・・・もう今頃は・・・・あの娘は奴のものになっているはずだ。」 アレスは手綱を強く引いた。馬の頭がダーナへと向く。 「どうする気だ？」 「・・・・リーンを取り戻す。」 「・・・・よく考えろ・・・・お前は傭兵・・・・砂漠の死神だ。聖戦士の血は受け継いでいてもお前を育てたのはこの俺だ。傭兵として生きるのなら、剣を命の拠り所とするなら、ここに残れ。」 アレスは剣のつかに手をやり、育ての親の背後、崖のあたりを見つめた。それから無言でダーナへと馬をすすめようとした。 ジャバローは息をついた。彼はブラムセルから彼を侮辱したアレスの始末を命令されていた。だが、息子のような存在であるアレスを始末するのは忍びなく、ここで選択をさせたのだった。・・・・アレスは彼に背を向けた。ジャバローはアレスの道を塞いだ。 「退け。あんたといえども俺の邪魔をするものは許さん。」 アレスが抜刀すると傭兵たちがまわりを取り囲んだ。死神の名は恐ろしいが、アレスの首をとった者には金貨１００枚というブラムセルの報酬が彼らを動かしていた。と、魔剣ミストルティンがうなりをあげ、傭兵が瞬時に絶命していた。傭兵の輪が一度広がり、またじわっと縮まった。アレスは返り血をあびながらただ一騎で戦い続ける。 ジャバローが叫んだ。 「・・・・アレスよ！お前は何の為に戦う？アレスよ！お前は騎士ではない！お前は傭兵だ！傭兵の戦いには理由などない！金で雇われ、戦いの中で生き、戦いの中で死ぬ！それが傭兵だ！」 「くっ！」 ミストルティンが砕いた一人の傭兵の剣の破片がアレスの馬につきささり、跳ね上がった馬から彼は落馬した。 「弓騎兵！狙え！」 待ち伏せていたオイフェの号令で矢の雨が降り注いだ。敵が隊形を乱した今が襲いかかる好機であった。 「黒衣の騎士を救え！」 槍騎兵の前にはヨハン率いる斧隊が立ちふさがり、繰り出される槍を切断し攻撃力をそぎ、シアルフィ最高の軍師の作戦の通り、次々と傭兵たちを屠っていく。 「捕まれ！」 敵の陣形の中に踊りこんだデルムッドがアレスを馬上に引き上げた。 「第二波！前へ！」 セリス軍の攻撃には傭兵にはない統率があった。ジャバローは体制を建てなおすため、撤退していった。 オイフェもまた一度軍をひいた。デルムッドはアレスを乗せたまま走る。隣にその腹に剣の破片を突き刺したままのアレスの乗馬が空馬のまま並走している。 アレスはデルムッドを排除しようと思えばいつでもできた。が、この青年の肩に縫い付けられた黒地に金の刺繍がそれを思い留まらせた。・・・それは彼の祖国であったノディオンの紋章であった。 アレスが馬から降りると、オイフェがすっと膝をついた。 「・・・・あなたの剣は、魔剣ミストルティン・・・・やはり間違いはなかった。お父上に生き写し・・・・アレス・・・様でしたね。私はあなたがお小さい頃にお目にかかったことがあります。私は開放軍の騎士、オイフェと申します。」 シャナンがじっと見つめる。確かに子供の頃に会ったエルトシャン王の容姿と風格をこの青年は持っている・・・・ただ、この青年の目はかの獅子王のような落ち着きをもってはいない。焦燥や憎しみが渦巻いている。 オイフェの隣にセリスが立った。 「私が、開放軍盟主のセリスです。・・・・アレス殿、よくご無事で！」 差し出されたセリスの右手を握る代わりにアレスは抜刀した。 「・・・・きさまがシグルドの息子か！私はエルトシャンの一子アレス！シグルドは我が父の敵！・・・・・我が母グラーニェはシグルドを呪い、悲しみのうちに死んでいったという。今こそ積年の恨みをこの剣で晴らそう！」 何人かがセリスを守ろうと前に出たが、セリスはその前に出て首を振った。 「・・・・結果的に父、シグルドの行為はエルトシャン陛下を死に追い込んだのかもしれない。しかし、アレス、父上と君の父上は友であったのです。二人の間には恨みなどなかったと聞く。・・・・今すぐにわかってくれとはいわない。ただ、しばらくここにとどまって欲しい・・・・何が真実であったのかきっとわかって貰えると思うのです。」 「・・・・」 シャナンがすっと歩み出る。 「あの戦いの中、グランベルの敵国であったイザークの王子である私をシグルド殿は保護してくれた。・・・・シグルド殿はエルトシャン殿と剣を交えたこともあったが、それは互いの信義に基づいてのこと。・・・・あれほど互いを信頼していた友人はそうそういないだろう。」 「・・・・馬鹿な・・・・どちらにせよ俺はすぐにダーナへと戻らねばならん。」 「それは好都合です。」 オイフェの静かな声にアレスが目を上げる。 「私達もダーナへと攻め登るつもりです。ブラムセルに私達を討つ気があるとわかった以上、あの傭兵部隊をそのままにしてメルゲン城はおとせませんから・・・・・」 「・・・・勝手にしろ・・・・だがな、お前たちの言葉に偽りがあるとわかったら・・・・セリスよ、俺はお前の首を情け容赦なくとるだろう。」 ラナがアレスの馬の傷を癒してパティがそれを牽いてきた。パティがくってかかる。 「何よっ！あんたっ！セリス様はねっ！悪いヤツ懲らしめて、みんながたらふく食える世界をつくってくれんだからねっ！」 アレスは構わず黒馬に跨がるとダーナに向かって駆け出した。 「か〜っ！なによあいつ。」 ラナがくすっと笑った。 「仕方ないわ。アレス様にはいろいろご事情があるようだから。」 「色々って？大体あいつそんなに偉いの？」 「す・ご・く・え・ら・い・ぞ。伝説の神剣持ちだしな。殺されなかっただけ幸いだった。」 シャナンが言うと、パティは飛び上がった。 「さて、慣れぬ馬だが私達も出発だ。」 騎馬隊に続いて歩兵隊も馬上の人となりダーナに向かった。 「なあ、レスター。」 「ん？なんだ？」 「俺・・・・えらいヤツを従兄にもっちまったみたいだ。」 レスターは馬の背で笑った。 「らしいな。でも大丈夫さ・・・・大丈夫って思っておこう。」 セリス軍はその日、傭兵部隊が一時帰還してすぐ、ダーナ城に攻め込んだ。 「リーン！どこだ！」 セリス軍が傭兵隊を屠り、特攻隊が城壁を破壊する。 真っ先に城に突入したアレスは王の間へ躍り込んで踊り子の名を呼んだ。しかし、彼を出迎えたのはジャバローだった。 「もうあの踊り子はここにはいないぜ。・・・・よく来たな・・・・さあ、勝負だ。」 ジャバローは銀の剣を抜く。 「退け！今はあんたの相手をしている暇はない。」 ジャバローは回りこんで出口を塞いだ。 アレスはミストルティンを抜いた。斬檄がジャバローを見舞う。その神剣の一撃をジャバローは軽々と弾いた。二度、三度と切り結んで、両者は全く互角だった。 「その切りも、突きも・・・・全部俺が子供だったお前に教え込んだ技だ。」 その言葉を振りきらんとして大きくアレスは剣を振り回した。 「どうした。冷静になれ。・・・・そうだ、焦っているお前はいつも脇が甘くなる・・・・」 五度、十度・・・・決着はつかない。 ノディオンで泣きじゃくっていた子供を拾ったとき、ジャバローは既にこのような日がくることを予感していた。だが、それでもよいではないか。伝説の魔剣を持つ男に剣技を教えたのはこの自分だ。しかし、子供は成長すればするほどに、黒騎士ヘズルの血をひく聖戦士の末裔だと思い知らされずにはおかなかった。・・・・傭兵は傭兵としての生き方しかできない。だから・・・・ 「うぉぉぉお！」 ジャバローは飛び上がるとアレスの頭目掛けて振りおろした。アレスの魔剣ミストルティンがそれを防ごうとかざされ・・・・ジャバローの銀の剣を切断してそのまま胴をざっくりと切った。 傭兵隊長は血の海に倒れた。思わずアレスはかけよった。抱き起こすとジャバローは微かに笑った。 「・・・・ようやく俺を切ったか。・・・・やっと一人前だな・・・・もう・・・・迷いなく戦えるな・・・・」 「・・・・喋るな・・・・」 「あの女は地下牢にいる。・・・・ブラムセルの野郎は俺が切っちまったよ。」 「何故・・・・」 「あいつは気付いていなかったが、俺の契約は今日の昼で切れていたからな・・・・アレスよ・・・・お前の父親を切ったのはシグルドじゃない。・・・・シャガールっていう下衆野郎だ・・・・ふふ・・・・驚いてやがる・・・・・・なあ・・・・アレス・・・・」 ジャバローはそれきりこときれた。 黒騎士は、黙祷してから地下牢へと向かった。そこでは愛しい踊り子が鉄格子に閉じこめられていた。アレスが鍵をあけるとリーンはアレスの胸へとびこんできた。 「無事でよかった！ずっと神様にお祈りしていたの！アレスさんが無事でいますようにって！・・・・・本当によかった！」 踊り子の手足には傷があり、衣服は乱れて辱められていたのがはっきりしていたが、この踊り子はまずアレスの無事を喜んでくれた。 「リーン・・・・」 「はい？」 「・・・・・もう放しはしない・・・・」 リーンはにっこりと笑い、滲んできた涙を拭った。そしてきゅっとブラギ神の聖印を握り締めるのだった。 セリスや開放軍の主立った者のもとにリーンを伴ったアレスがやってきたのは、ダーナ城で野営の準備を始めた頃だった。リーンはセリスの前に立つと、市井の踊り子とは思えぬ優雅さで深々とお辞儀をした。 「今更、何も言える立場ではないが・・・・。セリス、お前は俺の大切なものを守ってくれた。・・・・この借りは返さねばなるまい・・・・しばらく行動をともにさせて貰う。 「喜んで。」 セリスが言った。そしてまがりなりにも二人は握手を交わしたのだった。 「・・・・それでね、十二人の聖戦士様がこのダーナで誕生したのですって。」 フィーの話す『ダーナの奇跡』に聞き入っていたパティは腕組みをしてうんうん頷いた。 「じゃ、十二個の聖なる武器のうち、シャナン様のバルムンクとあンの野郎のミストルティンがこっちにある・・・・と。あとの十個はどこなんだろ。」 「・・・・天槍グングニルはトラキアのトラバント王がもっているわ。雷魔法のトールハンマーはアルスターのブルーム王、炎魔法のファラフレイムはアルヴィス皇帝、聖斧スワンチカはドズルのブリアン王・・・・・」 「え〜っ！向こうに四個もあるの？それじゃ、あたしがそうそう盗んでくるわけにもいかないなぁ。ねえ、フィー、残りの六個は？」 フィーは笑った。母親譲りの生真面目すぎるくらいの正義感から彼女もまた、盗賊のパティを睨んでいたのだが、パティの素朴で嫌味のない性格はそんなことなど忘れさせていた。それに彼女の用意してくれた今日の夕食はとても美味しかった。パティは”大きなお鍋とありあまるほどの食材に囲まれて過ごすのが夢”なのだそうだが、これはもう、持って生まれた才能という他はないだろう。 「・・・・光の魔法ナーガは全ての魔法の上にたつものだってお母さんはいってたけど、バーハラのどこかにあるんじゃないかな？地槍ゲイボルグは砂漠で竜騎士に襲われて無念の死を遂げたキュアン様がお持ちだったのだから、トラバントが持ち逃げしたんじゃないかしら。風の魔法フォルセティは、私の故郷シレジアの公子様がお持ちだったの。公子様はご存命ということだから、きっといつかは私達に合流してくださるわ。聖剣ティルフングはセリス様のお父上のシグルド様が持っていらしたはずだけど・・・・やっぱり帝国の誰かがもってるのよね、きっと。でも、扱えるのはセリス様だけのはずよ。聖戦士の直系で体のどこかに”聖痕”と呼ばれる紋章のような形の痣がある人だけがそれらの武器を使えるの。」 ラクチェがこっくりした。 「ああ。セリスには肩のところに剣の形の青い痣がある。」 フィーは満足そうに頷いた。 「え〜と、あと二つは・・・・聖弓イチイバルは・・・・ユングウィに伝わってた弓だけど、ラナのおばさまのブリギッド様が継承者だったの。だから、そのお子さま方が生きてらしたら・・・・」 「ふうん。レスターさんには受け継がれてないんだね。その弓ってすごいんだろうなあ。お兄ちゃんの使ってるボロ弓とは比べものにならないくらい。ね、最後の一つは？」 「ああ、バルキリーの杖よ。この杖だけが武器ではないの。なんでも死んだ人を生き返らせるための杖だ・・・・って。」 「杖か・・・・」 パティはごそごそとお宝袋の中をさぐった。杖が五本ほどでてくる。 「ねえ、フィー、これ、なんの杖だろ？」 「・・・・あたしに聞かないでよね！」 ラクチェも首を振り、ユリアはただ微笑んでいる。 「ねえ、ユリアは回復の杖を使えるんだから・・・・」 そこまで言ってからフィーはしまったと思った。ユリアは記憶を失っていたのだったっけ。彼女がへともどしていると、ラナがリーンと一緒に戻ってきた。 「わあ、踊り子さんだ！綺麗な人！ねえ、ねえ、踊って！踊って！」 嬉しそうにいうパティに、リーンは頬を染めた。 「すみません。踊り子ですけれど、人前で踊るのはあまり好きではないんです。小さい頃に別れた母が踊り子だったっていうことで、母をさがすために踊り子になったの。あ、私はリーン、皆さんのように戦うことはできませんが、よろしくお願いしますね。」 ラナはパティの広げた杖を見て喜んだ。 「これはレスキューの杖、こっちはリブローの杖、どっちもとっても貴重なもの。それにライブの杖が２本・・・・ありがとう。助かります！」 出所は聞かないのが花というものだろう。 「・・・でもこの杖はわからないわ。」 ラナが薄汚れた杖を取り上げるとパティは笑った。 「あ、それは、あたしの盗みの師匠がくれたもので。・・・・凄い杖なんだぞっ持つ人が持てばって師匠それしか言わなくってさ。絶対に肌身離さず持っていろ。絶対に絶対だ。正当な持ち主が近くにくりゃあ何か起こるって。変なんだよね。いつもと違ってやけに真剣にいってたんだよね。あたしにとっちゃ泥棒のお守りみたいなもの。・・・・大きな町にいったら調べようと思ってたんだけど・・・・」 「あら、そっちの革袋は？」 リーンが尋ねるとパティはにんまり笑った。 「いいからいらっしゃい！」 リーンにひっぱられてパティは城壁で一人夜の町を見ていたアレスの前にしぶしぶやってきた。革袋を差し出す。 「・・・・ねえ、アレスさん。お財布・・・・」 リーンに言われ、アレスは目の前の少女に財布をすりとられていたことを初めて認識したのだった。 「イシュトー兄さま。まだ起きていらっしゃいますの？」 メルゲン城で銀の髪を赤いリボンで可愛らしく編みこんだ魔導士らしき少女が、地図を前に考え込んでいる年嵩の青年に声をかけた。少女と同じ銀髪が揺れ、顔が上がる。 「ティニー。お前こそこんな時間に。もう寝なさい」 ティニーと呼ばれた少女は爪先で床を蹴った。 「知っています、ここにもうすぐ反乱軍がやってくるということは。イシュトー兄さまはブルーム伯父さまからここの守備を任されているのでしょう？・・・・・・私は明日には此処からアルスターに帰り手伝いをしろと伯父さまに手紙で指示されています。でも、私にはわかっています。私を呼び戻すのは、本城でも反乱軍に対しての戦の準備をするためだって。・・・・私、なんだか恐い・・・・アルスター城下の人々は私達フリージの人間を征服者として嫌っていますし、反乱軍はとても強いと聞いています。・・・・」 イシュトーは椅子から立ち上がり、自分よりずっと年若い少女の肩に手を置いて元気づけた。 「この砦の人々は私を信頼してくれているし、私にはトールハンマーには遠く及ばないものの、トローンとサンダーストームの魔法がある。反乱軍など恐れるにたらん。ほら、心配しないで！ティニーは笑っているほうがいい。」 イシュトーは従妹の額に優しくキスした。 ティニーは首を振った。 「私のことはどうでもいいんです。私・・・・誰のことも・・・・反乱軍も、レンスターの人達も殺したくはない・・・・・」 ティニーが立ち去ると、入れ代わりにイシュトーの右腕であるライザ将軍が入ってきた。 「・・・・イシュトー様、さっきそこでティニーとすれ違いました。・・・・」 「あの子も不憫な子だ。・・・・あんなに優しいのに父上には逆らえないのだろう。・・・・父上はなにかにつけ、ティニーを育ててやったことを恩に着せようとしている・・・・実際は・・・・」 イシュトーは知っている。彼の父、ブルームは無理遣りティニーの母ティルテュを家族から引き離し、アルスターに連れてきたことを。そして、彼の母ヒルダはティルテュを逆賊への加担者としていじめぬき・・・・ティルテュは病死したのだが、殺されたも同じだとイシュトーは思っている。 「戦況は明るくはないようですね・・・・」 「ああ・・・・この城には父上にとっての厄介者が集められている。父上は私達に死んで欲しいのだろう。・・・・しかし、私は父を裏切ることはできない。戦わねばならない。」 イシュトーは、自分が敗れることを覚悟していた。この戦乱の世にあって、彼は正しい男であった。しかし正しいものが生き残るとは限らない。 二人してそう遠くない将来やってくるだろうセリス軍の迎撃の作戦を練り、それが終わって二人はようやく恋人同士の顔となり、互いを優しく抱き締めた。 次の日、ティニーがアルスターに馬車で旅立ってしばらくしてからセリス達はメルゲン城に攻め込んだ。雷の魔法が飛び交う激しい戦いの中、セリス軍が優位に立ったことがわかると、敵の兵すべては投降し、メルゲン城は無血開城された。負けを悟ったイシュトーはこれ以上の命が無駄に失われることをよしと思わず、部下の命を助けることをセリスに要求してそれが通った直後に自分の命を断ち、白旗を掲げたのであった。 セリスが城内に入ると、イシュトーは毒をあおって静かに目を閉じていた。その膝に縋るような姿でライザも天に召していた。 城のものたちがすすりなきながら、イシュトーがいかに優れた、そして慈悲深い領主であったかを話し、自分がこの世を去ったあとには、セリスを光の皇子として仰げと言い残したのだと告げた。セリスは俯いて目を潤ませた。 「イシュトー王子・・・・これ以外に方法はなかったのですか？私達はきっとわかりあえたはずです。・・・・なのに何故、このような道を選んだのです。」 イシュトーは丁重に葬られ、傍らに、ライザが妻として葬られた。イシュトーの家臣たちは亡き主君に対するセリスの厚意を目のあたりにし、心の底にもっていた恨みが薄れていくのを感じた。 「セリス皇子。」 声をかけられてセリスが振り向くと、砂色をしたローブ姿の一団がふかぶかと頭を垂れていた。 先頭にたった白髪の老人が朗々とした声を響かせた。 「皇子。あなたの軍にこの雷魔導師団をお加え下さい・・・・あなたたちの兵となること、それがイシュトー様が私達に下した最後の命令なのです。」 セリスはゆっくりと頷いた。 そのころ、レンスターの城ではアルスターのブルーム軍と、今は亡きキュアンの一子リーフの蜂起軍との間に壮絶な戦いが繰り広げられていた。とはいえ、槍騎兵の精鋭ランスリッターも十数騎を残すのみとなり、全滅は時間の問題であった。 ”やはり時期が早すぎたのか？” リーフ王子は白銀の鎧に身をかため、城の階段を駆け下りながら焦っていた。彼が赤ん坊の頃に落とされた故郷レンスターをやっとのことで奪還して半年。城の重臣達に”今こそ蜂起を！”と懇願され、アルスター攻めを開始したのだが・・・・ ”やはり力が足りなかったのだ。何百という兵を失った・・・・やはりフィンの進言を謙虚に聞いていれば・・・・” 「リーフ！」 羽の髪飾りをつけた金髪の美しい少女がリーフに合流した。彼女もまた鎧をつけた戦装束である。 「ナンナ！僕も出撃する！もうこの城はもたない！・・・・フィンは？」 少年は、親を乳飲み子のうちに殺された自分の育ての親である忠臣の安否を尋ねた。 「お父さまは、城門を守っていらっしゃいます！」 「何だって！」 階段をダッシュしながらリーフは怒っていた。 ”全く！いつもいつもフィンは一人で無茶をする！” 階段を一気にかけおり、門をくぐると、そこには青い服に青いマントを羽織った槍騎士が、同僚とともに躰のそこここから血を流しながらそれでもしっかりと立っていた。彼の前には敵が・・・・魔道士、槍騎士、剣士とりまぜ数十騎倒れ伏している。 「リーフ様！お怪我は！」 リーフは唖然とした。フィンはいつも優しく・・・・帝国の手を逃れるため、ナンナと三人で逃亡生活を送っていたころは、自分が食べなくとも決してリーフとナンナにひもじい思いはさせなかった。・・・・いつも・・・・いつも自分よりリーフたちのことばかり考えている・・・・・ リーフはぐいとフィンの胸ぐらを掴んだ。 「いいか、フィン、お前、私より先に死んだらただじゃおかないからな。」 “だいたい、謁見の間にいた僕が怪我をしているわけないだろうが。” ナンナは”お父さま”と走りよって回復の杖をふるった。フィンは遅れて降りてきた重臣達に向かって敬礼すると発言した。 「今一度このような部隊が派遣されてくれば、この城はもう守りきれないでしょう・・・・これより私がメルゲンまでいって参ります。セリス軍はすぐそこまで来ている様子・・・・援軍をつれて帰って参りましょう。」 大臣が重々しく頷いた。すると、ナンナがよくとおる透き通った声で言った。 「お父さま、私も共に参ります。ナンナは回復の杖が使えます。それにラケシス母さまはおっしゃいました。どんなときにもお父さまの傍を離れるな、と。」 フィンが生真面目な顔で頷いた。と、リーフが怒鳴った。 「私も行くぞ！城が守りきれなくなったのは戦局を読みそこなった私の責任だ！私は・・・・槍は使えないが剣ならば少しは使えるぞ！」 大臣が淋しそうに笑うとフィンに耳打ちした。王子の言うとおりにした方が、むしろ王子の身の安全ははかられるだろう、と。 馬上の人となった三人は南西に騎馬を進めた。 ”いつもこの三人は一緒だった。” リーフはフィンの横顔を見ながら思った。フィンに守られているうちは駄目だ、と。誰かを守ることができるようにならなくては。 「？・・・・フィン、あれは何だろう。」 空を白いものが飛んでいる。しばらくすると、それはペガサスだとわかった。ペガサスは二人の人間を乗せていたが、上空を旋回すると、もときた方に消えていった。そして、再び、かなりの時間がたってから現われ、こんどはリーフたちから少し離れた場所に着地した。今度は緑の髪の少女が一人だけ乗っていた。 「レンスターの方とお見受けいたします。私は開放軍の天馬騎士見習いフィーと申します。」 フィンが答える。 「私はレンスターの見習い騎士フィン。あなた方のところに援軍の依頼に行く途中でした。」 フィーはぱあっと顔を明るくした。 「あなたがフィン様ですか。お母さん・・・・いえ、母からよく話は聞いてました。こんなに若々しい方だとは思わ・・・・あ、失礼しました。私の母、フュリーです。シレジアの天馬騎士だった・・・・」 「フュリーさんの？」 槍騎士の顔に笑みが浮かんだ。 「セリス様の軍はここからほど近いところにおられます。これからどうされます？私がセリス様の所に戻って報告してきましょうか。」 フィンは頷いた。 「・・・・私はレンスターへと戻ります。・・・・フュリーさんの娘さん・・・・どうか援軍を早く、とセリス様へお伝え下さい！リーフ様、援軍が着ましたら、レンスターの状況をお伝えください。いいですね、ここに留まり伝えることが今のあなたの仕事です。」 槍騎士はだっと駆け出していた。追おうとするリーフをナンナが”お父さまのおっしゃった通りにして！”と耳打ちする。リーフとナンナはその場に留まって、フィーが仲間を連れてくるのをひたすら待っていた。 「大丈夫よ、お父さまは。」 そういって難しそうな顔をしたリーフを元気づけようとするナンナが肩に置いた手をリーフはやや乱暴に払い除けた。 自分の従兄であるセリスは開放軍を率いてイザークから快進撃を続けている。それにひきかえ、自分は城一つ満足に守れない。家臣たちは今は亡き父キュアンの面影を自分の中に見ようとしている。しかしリーフは母親であるエスリンの血を濃くひいたのか、槍はさっぱりだった。神々の武器を操るものに現われる聖痕もない。槍騎士の国レンスター。神々の武器の一つであった地槍ゲイボルグを華麗に操った父キュアンの後は継げない。リーフは口には出さなくとも人々が自分に失望しているのを知っていた。 自分の隣にいるこの少女も彼にとっては大切な家族のようなものでありながら、越えられない壁の一つだった。両親を失い、フィンに育てられた境遇は同じでありながら、ナンナは血の繋がっていないフィンを父と呼び、フィンも容認している。自分に対して”お守り役”の立場を決して崩さないフィンに、何度腹立たしさを感じたことか。そして傷病兵の手当てをして立派に戦に役立っているナンナを羨んだことか・・・・・しかもナンナもフィンもいつも何もできないこの役立たずの自分に優しいことが、この寂しがり屋の王子の心をチクチクさせていた。 こんな自分をセリス軍はどう思うのだろう。・・・・・ 馬の蹄の音が近付いてきた。よく統制の取れた弓騎士、斧騎士、そして剣士が馬に乗ってやってくる。先頭にいる白い駿馬は速度をあげてまっすぐにこちらにやってきた。リーフの両脇を嵐のように騎馬が通りすぎる中、白馬に乗った青年と、その横の口髭を生やした軍師はリーフに近付いた。 「リーフ王子ですね。私はあなたの従兄のセリスです。」 リーフは、セリスの凛とした、だが温和な顔を見、それに比べて自分はきっと頼りのない醜い顔をしているのだろうなと少し下を向いた。 「援軍ありがとうございます。」 セリスは手を差し伸べて固く握手した。 「行きましょう！リーフ王子！共に戦ってレンスターの城を守りましょう！あなたの助けを得られれば私はとても嬉しく思います！」 リーフはしばらくぶりに微笑んだ。 「はい！」 アルスター軍は、じりじりと包囲を狭めていた。彼らは圧倒的に優勢でありながら、指揮官の指示には焦りが感じられた。 「たかが平の槍騎士見習い一人にいつまで手間取っている！」 城門にはレンスターの兵士が折り重なって倒れていた。その中でただ一人、青い服の槍騎士だけが愛用の槍を片手に戦っていた。 「し、しかし、奴はあのキュアンから直に槍術を教えられたともっぱらの噂で・・・・平の騎士見習いと申しましても、それはキュアンから正式な叙勲を受ける前だったからと奴が任官を固辞している結果からでしてこの国随一の槍の使い手であることは間違いなく・・・・」 「相手は一人だ！しかも深手を負っておる！城門を突破せよ！」 フィンは足元に積み重ねておいた手槍を投げた。魔道士の一人が胸に直撃を受けて倒れた。残りの手槍はわずか数本だ。今はまだ死ねない。この、キュアンとエスリンの思い出多い城の前では。失血で朦朧とする彼には、奇妙なことにここを守りきったなら、城の中から昔と変わらぬ姿で気さくな表情のキュアンが黒いマントに身を固め、その横をエスリン王妃が庶民的ともいえる優しいほほ笑みを浮かべて降りてくるような気がしていた。 一本・・・・二本・・・・手槍が減っていく・・・・・そして手槍がなくなったとき、彼はキュアンから手渡された愛用の槍をぐっと握って突き進んでくる重装歩兵の鎧の継目に突き刺した。重みが槍にかかる。そこに飛んできた雷魔法を躰を捻って避けた時、彼は転倒した。刃と魔法とどちらで自分は絶命するのだろうか・・・・そんなことを考えながら随分と長い時が流れた。意識がはっきりすると、まわりには傷病兵がたくさんひしめいており、自分は一人の騎士に抱えられているのがわかった。 「・・・・あなたは開放軍でいらっしゃるのですか・・・・間に合ったのですね・・・・」 朦朧としながら訊くと騎士は笑った。 「ああ、なんとか間に合わせたよ。まったく融通のきかない人なんだから。私が城の軍師なら、こんな作戦とらせませんでした。よく頑張りましたね。」 見慣れない口髭を生やした騎士が昔馴染みのような口をきいた。 「ああ、私はだいぶ老けたからわからないのも無理なしです。あなたはかわりませんね。フィン殿。私です、シアルフィでシグルド様のお世話をしていたオイフェです。」 「オイ・・・・」 フィンは起きようとして呻いた。 「そして私がシャナンだ。私はだいぶ背がのびたし、人相も悪くなったのではないかな。真面目すぎる石頭の部屋名主」 シャナンがオイフェの横にしゃがむとフィンは顔をくしゃっとさせて腕を上げると二人の頭を続けざまに軽く小突いた。 「・・・・立派になったね・・・・約束を守ってくれたんだね・・・・」 互いが窮地に陥った時にはきっと助けに行く・・・・・今はもうこの世のものではないシグルド、キュアン、エルトシャンという盟友が交わしたのと同じ約束・・・・・三人はにっこり微笑んだ。 「それは苦労したね。」 セリスは城の中庭の泉水に腰掛けてリーフと語り合っていた。 「私もイザークに隠れ住んでいたけれど、オイフェやシャナンに護られ、まわりには兄弟のようにして育った人々がたくさんいた。レスターにデルムッドにスカサハにラクチェにラナ・・・・そしてエーディンさんが母さんの代わりに愛情を注いでくれた。・・・・ここへはもっと早くくるつもりだったのだけれど・・・・」 「いいや・・・・私もフィンに護られて育ったから・・・・何かヘンだったけど。フィンは私が十になるまでは私の素性を明かそうとしなかった。追っ手の手を逃れるためだったんだろうが敵であるトラキアの国境近い村に隠れたりして・・・・セリス王子が従兄だと知ったのも十歳のときなんです。」 「・・・・いい人だね、フィン殿は。」 「ええ。でも、私はいらついてしまって・・・」 「なんとなくわかるよ。その気持ち・・・・」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「どうしたらいいんだ？」 デルムッドはレスターに向かって叫んだ。 「どう・・・って、いつものお前でいいんだよ。オレだってラナと話すとき余所行きの顔をしたりはしない。」 「あのな。妹を育ててくれたのは、この城を単身守り切った最強の槍騎士だ。・・・・その人を父と呼んでいるという話だ。きっと母上はレンスターでその槍騎士殿と新たな契りを結んだのだろう。それならば俺にとっては継父にあたる。第一妹自体に会うのが初めてなんだ。どんな挨拶をすればいい。」 二人の後から声がかかった。振り向くと、話題の槍騎士がナンナをともなって立っていた。 「さあ、ナンナ。」 ラナの手当てですっかり回復したフィンはそっとナンナの背を押した。その先には実の兄のデルムッドが神妙な顔をして控えている。ナンナはどうしたらよいのかというようにフィンの腕をぎゅっと抱いた。 「ほら、ナンナ、行きなさい。」 フィンに送り出されると、ナンナはデルムッドの前に出、深々と一礼した。 「妹のナンナです。」 「ああ・・・・お、俺が君の兄のデルムッド・・・・・だ。」 ナンナは振り向いてフィンを見た。フィンが微笑むとナンナはデルムッドに飛び付いていった。戸惑い顔のデルムッドに齧りついて泣きじゃくる。 その様子を、遠くから膝を抱えて見ていたパティは隣のラナに話し掛けた。 「離れて暮らしていた兄妹ってみんなあんな風なのかなぁ。」 ラナは微笑んだ。 「私はずっとレスター兄さまと一緒だったから・・・・。」 「うん。あたしもファバル兄ちゃんとずっと一緒だった。・・・・でもラナちゃんはいいなあ。あんなに素敵なお兄さんで。ファバル兄ちゃんは言葉遣いは悪いしうっかりものだし、弓以外にいいとこないもんね。ま、あの目付きの悪いアレスに比べりゃ、兄ちゃんの方が何倍もいい人だけど。」 ラナの横にいたリーンが小さく吹いた。ブラムセルにあんな目に会わされて以来、彼女はラナ達と一緒にいることが心の安らぎになっていた。アレスもそれを知ってか、遠くから見守ってくれている。 「アレスさんをここに呼んできましょうか？パティちゃんに財布を掏られて以来、彼、あなたを必要以上に警戒しているみたいよ。」 パティはニヤリと笑って懐に手を突っ込み、二人の前に革袋を取り出してみせた。リーンが口に手をあてる。 「あら、アレスのお財布！」 パティは得意そうに胸をはり、袋についた絹の紐をくいくいとひいてみせた。 「あの人、この紐をポケットに縫い付けてたんだけど、そんなのにひっかかりゃしないわ。あたしだって剃刀くらい持ち歩いてるんだから。」 リーンがパティを小突いてからアレスを探しにいくと、パティはケラケラと笑い、自分と同じように笑っているラナに話し掛けた。 「アレスさんって同じ神剣持ちなのに、シャナンさんとはずいぶん違うよね。シャナンさんは優しいし、ほんのときたまだけど素敵な笑顔で笑ってくれるよ。」 ラナが不思議そうな顔をした。シャナンはちっとやそっとでは笑顔をみせるような性格ではないからだ。 「確かにさぁ、アレスさんっていろいろあったんだろうけど、いろいろあったってうちのお兄ちゃんはあそこまで変にはならなかったよ。いろいろあってもラナちゃんだってフィーだっていい人だし。リーンさんはあいつのどこが気に入ってるんだろう。確かに顔はちょっといいかもしれないけど。」 フィーが二人の後ろからぬっと顔を出した。 「二人とも中に入らない？軍議が終わったんだって。ラクチェたちと一緒にフィンさんにお話を聞きにいくんだけど。」 ラナはこくっと頷いた。パティはどうしようかと思ったが、ラナの側にいたかったのでついていくことにした。 フィンはシャナンとオイフェに挟まれて座り、曾て自分が共に戦った人々の子供たちに囲まれていた。ラクチェにスカサハ、ラナにレスター、デルムッドにナンナ、フィー。そしてリーフ、セリス。フィンは先の戦いの際、途中でレンスターに帰国している。だから、まだそのとき十六であった彼の記憶には、生き生きとした人々の顔しか残ってはいない。そしてこの場にいる者の赤ん坊の頃も何人かは知っている。だから若者たちが、自分たちの両親について尋ねてくることにも喜んで答えることができた。 「・・・・そう、フュリーさんにはとてもよくして貰った。私が突出して敵に囲まれたとき、何度か救って頂いたし、シレジア流の槍の使い方も教えてもらって・・・・私は逆にレンスター流の槍術をお教えして・・・・」 フィーが嬉しそうに手を叩いた。 「それ、お母さんいえ、母から聞きました。私、地上で戦うときには母から教えて貰った特別な槍の持ち方をするんです。きっとそれがレンスター流の持ち方なんですね。」 「王族の方々とは、自分がお仕えするキュアン様やエスリン様以外とはあまりお話しする機会はありませんでしたがそれ以外の方々とは親しくしていただきました。そうですね。ミデェールさんとは気があって特によくお話ししました。・・・・宴会の時など、キュアン様は私達をも前の方に呼んで下さったのだけど、結局後ろの方で・・・・お酒にも弱かったから・・・・オイフェやシアルフィの三人の騎士の皆さんと一緒に、自分の主君の自慢話をしていましたっけ。もっともミデェールさんは主君のリング公より、エーディン様の自慢でしたけれどね・・・・」 ラナとレスターが笑った。 「その横で傭兵のベオウルフさんと剣闘士のホリンさんはひたすら酒を飲みながら剣の手入れをしていましたっけ。ベオウルフさんは職業柄、私と意見が合わなくて、喧嘩になったこともありましたけれど、今になって思えば、若くて世の中を知らない私にいろいろなことを教えてくれていたとわかります・・・・どうかすると、そこにラケシス様がいらして・・・・その理由もしばらくしてからはっきりしました・・・・」 今度はナンナが微笑んだ。デルムッドは納まりの悪い金髪を掻いた。 「でも、母はその後あなたと・・・・」 フィンは優しく微笑んでデルムッドの肩に手を置いた。 「ラケシス様と私の間には何もありません。レンスターにいらしたときにはもうナンナをお腹に宿しておられたのです。・・・・あの方は焼け落ちるレンスターから私たちと共に逃げ、気の回らない私を叱咤し、励まし、リーフ様を育てて下さいました。私の恩人であり、また、追っ手と戦った勇敢な戦友でもあります。」 ナンナが兄の腕を抱いて囁いた。 「フィンお父さまは、この戦乱のレンスターでノディオン公女である私が生きていく為に私を養女にして下さいました。」 デルムッドがほおっと息をつき、レスターに笑われた。 「・・・・でも、私はお父さまを本当のお父さま、いえ、お兄さまだと思っています。お城の中で兄様というと怒られるのだけれど、お父さま、お父さまはまだお若いのだもの、ねえ、これからは兄様じゃいけませんか？お父さま。」 フィンの人差し指が優しくナンナの髪を梳いた。 「ナンナ、その話はまたあとでね。・・・・話を続けましょうか。王族の方々の中でも、アイラ様はあまり賑やかなことがお好きではなく、時折、ホリンさんたちと一緒に剣の手入れをしていることがあって・・・・するとどこからともなくレックス様がやってきて・・・・酒の飲めない私に無理に酒を勧めてみたりミデェールさんのことをからかったり、ご親友のアゼル公子とフリージのティルテュ様の仲につっこみを入れたり・・・・」 ラクチェとスカサハが頭を抱えた。 「大体、アイラ様に諌められて終わったのだけれど・・・・お二人が一緒になるとは・・・・」 オイフェが笑った。 「フィンはそういうことには鈍感だったから。私は初めからわかっていたよ。」 シャナンも笑う。 「そうだな。年下の癖にデューの方がよっぽど世事にはたけていた。」 パティがぴょんと飛び上がった。 「デュー？それ、あたしのお父ちゃんというか師匠だ！」 フィンが目を丸くする。 「君が・・・デューの？」 シャナンが手で顔を覆った。 「どうりで素早いはずだ・・・・良く見りゃ生き写しだ。性格も・・・・」 オイフェが目を細くする。 「彼は今どこに？」 「お母ちゃんはベルっていうんだけど・・・・その顔じゃ知らないんだ？お母ちゃんはあたしがちいちゃいときにいなくなっちゃった。師匠・・・・お父ちゃんは自分のことを師匠って呼べっていってたの、とにかく師匠は、五年ほど前にトラキアのどこかの宝物庫に忍び込みそこなって、どっかで働かされてるらしいの。・・・・きっと戦争が終わったら帰ってくるよ。師匠ってそういう人だから！」 デューがシグルドと共に戦っていたことがわかり、パティは心底嬉しそうだった。 セリスがパティに笑いかけた。 「なんだか、父上と共に居てくれた人達に繋がる仲間が、どんどん集まってくれているようだね・・・・ただの偶然・・・・とは私には思えない。神の・・・・導きだろうか・・・・」 フィーが立ち上がってくいっと力瘤をつくった。 「もしもお兄ちゃんを・・・・いえ、兄を見付けたら、きっと兄も加わります！シレジアの最後の天馬騎士、フュリーの子供たちはセリス様に忠誠を誓います！」 ラクチェとスカサハ、デルムッドとナンナ、レスターとラナも立ち上がる。パティはすでにピョンピョン飛び跳ねている。最後にリーフが立ち上がった。 「レンスターの王子、このリーフも、亡き姉アルテナと共に、最後までセリス皇子と共に！」 リーンとアレスは、彼らの賑やかな話し声を遠くで聞いていた。アレスの左手にはリーンから渡された財布、右手には、ナンナから渡されていた手紙が握られていた。彼は今一度、その手紙に目をやった。 そこには父、エルトシャンの字でこう書かれていた。 ”憎しみを捨てよ。光のもとに集え。私とシグルドとキュアンの結んだ絆を再び。” 「セリス様とお話をなさらないのですか？」 リーンがそっと彼に寄り添い囁いた。 「・・・・ああ、じきにな・・・・」 リーンが微笑む。 「今のアレスの顔、とても優しい顔です。私、今の顔が大好きです。」 一方、レンスター城の中庭ではアーサーがぼーっと月明かりを反射する泉水を眺めていた。 「どうしました？」 細い美しい声に彼は振りむくと、そこにはユリアが立っていた。 「う〜ん。みんな城の中で盛り上がってるみたいだけど・・・・オレ、妹を見付けるまではそんな気になれなくって。」 「ええ。私も、みなさんはよくして下さるのですけど・・・・・・なんだかこういうときは一人でいたい・・・・」 しばらく二人は何も言わずに立っていた。月も位置を変え、煌々と二人を照らす。やがて、セリスとスカサハとラナがユリアを迎えにやってきた。スカサハが何事か強い調子で言っていたが、セリスとラナは微笑んでいるだけだった。ユリアはアーサーに軽く会釈して四人で去っていった。アーサーがため息をついて泉水の縁にしゃがみこむと、いきなりぱこんと頭を叩かれた。見上げるとフィーが立っている。 「魔導師は頭が命なんだけど〜・・・・・」 「だったら早く寝なさいよ！寝呆けてちゃ、唱えられる呪文も唱えられないでしょう？」 彼女がアーサーを引っ張って立たせていると、庭に続く果樹園の中を歩いている人影に気付いた。声をかけようかとも思ったが、その場の雰囲気に臆して二人は静かにその場を離れた。 果樹園の中ではフィンが一人歩いていた。 あの日もこんな風に林檎の花が美しく咲いていた。 ”フィン！フィン！アルテナを肩車して！” 舌足らずの可愛らしい声で自分の後をまとわりつくように歩いていた王女。それを遠くから微笑んで眺めていたキュアンとエスリン。 もし、あのとき。 キュアンが出兵するときに、見送るために、と、ともに出立しようとしたエスリンを止めていたら・・・・そして、あのとき自分が『アルテナもお母様と一緒に行く！』と暴れるアルテナ王女をもっと強く抱きとめていたら・・・・・キュアンはともかくエスリンと王女の命は助かったであろうに・・・・ 彼が槍術の基礎を教えた小さくて可愛らしい王女。騎士見習いの自分を心底好いていてくれた王女。 ”キュアン様・・・・申し訳ございませんでした。・・・・セリス様にお会いできたこのとき・・・・エスリン様やアルテナ様がここにいらっしゃれなかったことを・・・・・私は・・・・私はお詫びいたします。” |