イチイバル日和
| 以前に書きました「ずっとここに」の続編となっております。宜しかったらそちらを先にどうぞ。また、このサイトの設定でのデュー、ブリギッドとファバル兄妹の関係は「最強の好敵手」ではっきりわかると思います。今回も発端はファバルに届けられた手紙です。 |
何処の世界でも、何時の時代でも、子供達はお話が大好きだ。お話には必ずといってよいほど悪い奴が出てくる。それは野蛮な盗賊団だったり、心の冷たい隣の国の王様だったり、魔法使いだったり、時によると大きな黒い竜だったりする。悪い奴はお腹の中まで真っ黒で、心には暖かさが欠片もなく、お父さんもお母さんも、お兄さんも、お姉さんも、お爺ちゃんお婆ちゃんそしてちっちゃな赤ん坊まで酷い目にあわせるのだ。時にはお城のお姫様を攫って生贄にしようとしたりすらするのだ！ さて、ここに悪い奴がいるとする。そいつはとっても悪い奴で、ぎったぎたにしてその上に乗ってげしげし踏みつけても誰も(そう、敬虔なシスターでさえも!)何も言わないほど悪い奴なのだ。が、怖ろしいほどに強い奴でもあり、普通の人間じゃ歯が立たない。そういう悪い奴をやっつけてくれるのはどういう人だろうか。子供達に聞いてみよう。 大概の子は「勇者様」という。神様に選ばれた特別な力をもった勇者様。お伽噺の主人公は勇者様であることが多い。他には、勇者様と同一人物であることも多いが、「王子様」「騎士様」という答が返ってくることも多い。いずれにせよ、彼らは強い。物凄く強い。 王子も騎士も王宮にいるわけだが、城の主人である王様となると、お話の中での扱いは少しぱっとしない。引退した勇者、という輝かしい経歴を持つ王様もいるが、その力は最盛期を過ぎたあとであることが多く、魔法使いに石にされてしまったり、お話の初っ端にずんばらりとやられてしまったりする。「王子よ…国を頼む…」と遺言したり、騎士に「民達を…守ってくれ」と言って事切れたり、そういうお話は枚挙に暇がない。 ところが、だ。 森と湖の国、ここ、ヴェルダンで子供達に訊いてみると答えは全く違う。 「そんな悪い奴、おいらたちの王様がけちょんけちょんにのしちゃうよ。」 「そうよ、王様がイチイバルでやっつけちゃうんだから！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ユグドラル大陸の西の外れ、ヴェルダン王国の青年王ファバルは、聖弓イチイバルの使い手であり、こと、武力行使するにあたってはまっこと驚くべき力を持っている。 騎士団が一個大隊が半日かかって押し戻せなかった、海を越えてやってきた侵略者を半時で散り散りバラバラにさせ （ファバルは『どーしてこんな奴らに時間かけてんだ！帰ったら特訓だ、特訓。……ま、久しぶりに大暴れできて爽快だった、ありがとな！』と言った。） 子供を攫って奴隷として売買している組織のアジトに単身乗り込んで行って一網打尽にし、(余談だが、遠距離から弓で全員の腕を射抜いて無力化した後に皮をつづり合わせて作った小汚い上着を着てやってきたファバルを見た首領は『どこかの山賊が子供を横どりしにきたのかと思った』と述懐する)…… そんなこんなで、ファバルは国民からの圧倒的な支持を得てはいたのだが、上品な貴族連中は眉を顰め、政務に携わる大臣達は、毎日ハラハラとし、気が休まることがなかった。 特に、ファバルの祖父であるバトゥが即位した時からずっと家臣として仕えている老大臣は薬師に胃薬を処方してもらう毎日が続いていた。 ファバルを嫌っているわけではない。そりゃあちょっとばかり……いや、大いに、かもしれないが、破天荒でがさつで大雑把で豪快でええとあとは……いやいやいやいや、主君に対してこんな物言いは不敬だろう。大臣はふるふるっと首を振った。残り少ない頭頂部の白髪がはらっと心細げに揺れる。とにかく、いろいろ難点はあるにせよ、ファバルは民に対して非常に心を配る人間だった。特に弱者には。戦乱が終結した後、ファバルが真っ先に出した命令は、食料や薬の供給確保と、老人や女性、そして特に孤児となった子供達への救済の指示だった。民のことを考えているときには、バトゥ王のような思慮深さがファバルの黒い瞳に宿り、また、きりっと口を引き結ぶと、ファバルの父ジャムカによく似ているとしみじみ思う。 しかし……このままでは胃に穴があく。きっとあく。しかし、しかし、自分がここで斃れたら、あの破天荒青年王はきちんと政を遂行できるのか？ダメだ、まだ斃れる訳には…… 胃の上を手で押えていると、脳天気なファバルの声が降って来るのが常だった。 「おい、大丈夫か？……胃が痛むのかぁ？腹がすきすぎると痛くなるよな。よし、今日は焼肉にしようや。厨房の手間もいらねえし、熱々のところを焼き焼き食べればすごくうまいぞ。俺も付き合う……なんだ？どうして顎をおとしてんだよ？」 そんな中、今日はファバルの私室がことのほか静かであった。いつもなら、「あーかったりー」だの「ちくしょー、肩が凝るぜぇ」だの大きな独り言が時折聞こえてくるのだが、今日はしんとしずまり、外からの小鳥の囀りが廊下にまで聞こえる。なんという平和な日だろうか。大臣はうむ、と一人頷いて微笑み……顔色を変えた。おかしい、こんなに静かなのは明らかにおかしい。警護につく兵士が驚くのを横目に体当たりするように扉をあける。……果たして、そこにファバルの姿は無かった。大きく開け放された大窓、いつの間に用意されていたのか、窓の外に垂らされたロープ。そして、金糸銀糸で縫い取りされた豪奢な上着が床に脱ぎ捨てられ、クローゼットからあれやこれやはみ出しているのは明らかに旅装を調えたあと。むろん聖弓イチイバルは部屋の中にはない。 「陛下ぁ〜〜！」 窓から身を乗り出して叫ぶも、ファバルの姿はない。大臣は向き直って机の上を見た。城から抜け出すのが大好きなファバルではあるが、大臣が涙を流さんばかりにしてこれ以上心配させてくれるなと懇願してからは、行き先を書き置いてくれるようになっていた。……しかし、書置きは今回はない。代わりに、読みかけの手紙がぐしゃっと握りつぶされ放り出されていた。 (た、確か今朝、イザークのシャナン王からの書簡をお渡しした筈……それがこの紙屑!?) 震える手で破らぬよう気をつけながら手紙の皺を伸ばし、家臣の身分をわきまえていないと思いつつ文面を読む。……瞬時に頭から血が引いた。 「こ、こ、これは……」 兵士が声に気付き手紙を掴んだ右手を振り回している大臣を気遣い入ってきた。 「ヴェルダン王国の一大事じゃ！すぐに陛下をお探ししろ。警護兵から報告がない以上、まだ城の敷地内にいらっしゃるはず。早く、早く、騎士団長にも連絡するのじゃ！」 と、息せき切って一人の兵士が走ってきた。 「申し上げます！城裏手で警備についておりました兵が一人、昏倒しておりました。先程目覚めましたが、陛下に殴られたとのこと。そして、厩から陛下の馬が居なくなっており……」 大臣はずでん、とその場に倒れ、兵の腕につかまってなんとか起き上がった。 「すぐに、すぐにユングウィのレスター様に連絡の準備を！彼の地からならば、確実に先回りできるはず!!そして陛下をお諌めして下さるはずだ！文面はこれから考える！」 グランベル諸国の一つである隣国ユングウィはファバルの従兄弟にあたるレスターが王として統治している。同じ血筋でありながら、こちらは物静かで穏やかで、ファバルと親友であるというのが信じられないくらいの落ち着いた青年であった。大臣は今までにも何度かファバルの無軌道を押えられなくなってレスター王の助力を仰いだのだが、そのたびに、このままではヴェルダンはグランベルの属国になりかねないと苦くも思っていた。が、こんなとき頼れるのはレスターしかしない。 （いっそ、陛下の代わりにヴェルダンもまとめて統治していただいたほうが……) とんでもない考えが浮かび、大臣は乏しい髪の毛を掻き毟った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ファバル、現在、ヴェルダンの森通過中 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ヴェルダンから鏡を使った信号連絡が入ったという家臣からの報告を受け、レスターは困惑の表情を浮かべた。傍らにあるシャナン王からの書簡を取り、もう一度読む。 (どこをどう誤解したのだろう。) シャナン王が、婉曲表現を使い、ファバルがそれに気付かず激怒したということはいかにもありそうなことではあったが、普通は少し考えればわかることではないか。 (……まあ、ファバルは妹のこととなると目が見えなくなるから。) 自分も妹には非常に甘いと感じているレスターははあ、と息をついた。 （イチイバルを持って出たということだと、本当にシャナン様をどうこうしようとしているのかもしれない。……さて、どうするか。僕もイザークに招待されてはいるけれど、途中でファバルを捕まえるのには、自由が効かない身。) 「レスター、どうしましたか？浮かない顔をしていますね。」 母が入ってきた。レスターはエーディンにことを掻い摘んで話すと、齢を重ねても未だ女神のように美しい母はにっこりと笑ってこう言った。 「軍師様にご相談しましょう。オイフェなら一番よい道を示して下さるわ。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ファバル、現在、ヴェルダンの森の出口目指して疾走中 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ すぐにユングウィからシアルフィへと伝書鳩が飛んだ。鳩が運んだ書簡を手渡された城主のオイフェはひゅう、と口笛を吹いた。そして、少し顎に親指をあてて考えた後、悪戯を思いついた子供のように微笑むと、騎士団長、副団長、そして歩兵団長を呼んだ。 「陛下。一同参りました。」 深々と金髪の頭を下げて礼をするノイッシュの両脇でアレクとアーダンも礼をする。 「これから言うことは極秘事項です。くれぐれも内密に。……下手をしたら、イザークとヴェルダンの間の戦乱にもなりかねません。」 「……！イザークとヴェルダン？陛下が慶事のためにイザークに出立される今日この日に何が起こったというのです。」 「……ヴェルダンのファバル王がイザークのシャナン王を暗殺しようとしているかもしれません。」 騎士三人は顔を見合わせ、アレクが爆笑した。 「陛下、いくらなんでもそんな見え透いた冗談はダメですよ。」 しかし、オイフェは顰め顔を崩さない。アレクが笑いを凍りつかせた。 「うわ、冗談じゃないんですか。」 「ああ、暗殺は極端としても、少なくとも『気がすむまで殴らせろ』では済まないことは必至。バルムンクを二度と握れぬようにイチイバルで腕の腱を射て切るくらいはやるだろうね。そうなれば、ただではすまぬことはわかるだろう。それで頼みたいことがあるのです。アーダン、あなたは最初の予定通り、私の護衛として共にイザークへと向ってください。ノイッシュ、あなたはファバルの先回りをして、各所の関所や宿などに行き、彼の進行速度を遅らせること。……ファバルは馬術が苦手ですから、心配ないと思いますが、念のため。アレク、あなたはファバルの後ろから尾行を。市井の人々に紛れての隠密行動はお手のものでしょう。二人ともくれぐれも騎士だということを気取られないように。逆切れされたら命にかかわりますからね。イザーク領に入る関所にファバルがついたなら、関所から鳩を飛ばして下さい。細工は流々仕上げをごろうじろ。」 赤い簡易鎧を身につけた騎士団長はその端整な顔の眉間に皺を寄せた。 「しかし、陛下。陛下がお留守の間、私達までがこのシアルフィを空けてしまうことは正しいことではありません。陛下をお守りするためにアーダンが随行するのはともかく……」 オイフェは年を経た今も依然として似合わぬ口ひげを捻った。 「またそのことですか。初めに供としてあなた方三人を随行したいといったときあなたは猛反対して、私も納得しました。ですが、今回は非常事態です。あなたはまた戦乱をこの地に呼びたいのですか。……状況は非常に微妙です。ファバル王がシャナンに危害を加えたいと願っているとわかっただけでも大変なことになるのです。……それを阻止するには、信頼できる手腕を持ち、そして、ファバルに顔を知られていないあなたたちが必要なのです。……それに、シアルフィはいまのところ安泰です。そして、騎士団長と副団長がいないくらいで屋台骨がゆらぐような国づくりを私はしてこなかったつもりですよ。……さて、お願いできますか、ノイッシュ。アレク。」 「俺は大丈夫ですよ。ノイッシュ、な、昔のようにまた二人揃って作戦行動だ。」 「しかし……」 しぶるノイッシュの肩をオイフェは一つトン、と叩いた。 「あなたたちだからこそ頼めるのですよ。私はイザークに着いてから最後の仕上げをするべく作戦を練っていますから安心してファバル王を連れていらっしゃい。いいですか、ファバル王の安全にも留意して必ずイザークに到着するまで見届けるのですよ。イザーク城下に着いたなら、貴方達にも連絡が届くようにしておきますからね。さあ、急いで準備をしなさい。アーダン、私達も予定を早めて出発しましょう。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ファバルは馬上で四苦八苦していた。彼の愛馬は、屈強な馬だったが、ファバルを主人というより『対等な相棒』と思っているようで、いくら手綱をひこうが、疲れてくると止まって草を食み、水場があれば水を飲みに行き、どうにも先へと進んでくれなかった。先程は街道をいく乗合馬車にすら追い越されてしまった。げんなりするファバルは手紙のことを思い出し、草を食む馬の背の上で左の手の平をバシンと右の拳で打った。 (あんにゃろ、うちのパティに恩を売って城で働かせた挙句、人身御供にしようなんて、卑劣すぎるだろうがよ！） シャナンはファバルの妹パティの命の恩人である。そして、イザークの城にパティが残ったのも、シャナンに受けた恩を返すためだった。ファバルとパティが居た孤児院の子供達の面倒もシャナンは見てくれている。 （それもこれも、上っ面だけだったってことかよ！うう、もっとはやく化けの皮剥がしておくんだった！あのバルムンクのおっさん！） 偽装の為にボロ布で包んだイチイバルに手をやる。 （こいつで……アイツの利き腕潰してやる！) オイフェが心配していたことそのままをファバルは考えていた。 妹をイザークの城に縛りつけ、王妃としては迎えられないといい、えっと、あいつはなんと書いていたっけか。とにかくきっと“妾”というものにしようとしているはずだ。他に王妃が居て、永遠に日陰の存在。都合のいい時にだけ慰み者にされる、不幸な日々。 “パティ！待ってろ！兄ちゃんが助けにいくからな！” ファバルは急ぎに急いだがどうにも何かに祟られているとしか思えないことばかりが続いた。泊まった宿屋で窓と扉の鍵が急に壊れて朝の出立が遅くなったり、何故か替えたばかりの馬の蹄鉄に亀裂が入って取り替えるのに随分かかったり、道すがら緑の服を着た軽そうな中年男に絡まれている若い女の子を助けたり……そして相棒たる愛馬は相変わらずのんびり屋で、イザーク領内に到着したのは、夕暮れ、ヴェルダンを出発してからおそろしく日数がかかってからだった。馬を城下の宿に預け、城のぐるりを見てまわる。城壁の外からファバルは王城の窓を見上げ、以前来たときにその場所を知っていたシャナンの私室を探した。 （ちくしょう。壁の外からは死角か。なんとかして中に入らねえと……窓が見えさえすれば、奴が窓に近付いたときに狙える。イチイバルなら硝子なんざア目でもない。） 城を一周し、一箇所、兵士が守っていない小さな鉄扉を発見したファバルはにやっと笑った。 (よし、いったるか！） 小さな鉤のついた細い棒を懐から取り出し、鍵穴に差し込む。鍵あけの技術は養父のデューから習った。ほどなくかちり、と音がして鍵が開く。いつでも射られるようにイチイバルを手にし、足で蹴って扉を開ける。 そこは城の裏手の疎林だった。人気のない草地をファバルは音を立てずに忍び足で移動する。そこで、ファバルは信じられないものを見た。 太い木の根元に、子供が三人倒れているのだ。しかも、その子供達には見覚えがあった。ファバルが面倒を見ていた孤児たち。自分を兄と慕ってくれた子供達！ 「ユイ！ヤーン！アルス！どうした！」 駆け寄り、しゃがみこみ、抱き起こし…… すると、ぐったりと意識を失っていたはずの子供がぱっちりと目をあけて笑った。 「ファバル兄ちゃん、久しぶり！」 「！?な、なんだ？いったいなにがどうなってんだ!?うわっ！」 目の細かい網が木の上から降ってきてファバルは子供ごと絡め取られてしまった。これではイチイバルは使えない。 「よ、坊ちゃん、久しぶり。」 網を投げた人物は木からぽーんと飛び降りてファバルの前に立った。 「!?????デューおじさん!?なんでおじさんがここに居て俺を捕まえるわけ!?」 と、ごッ！と誰かに後ろから頭頂部を拳固で殴られた。 「……ったく、オイフェの読みどおりじゃないか。ここまで馬鹿だとは思わなかったよ。」 振り向いて網越しに見えたのは…… 「か、かあちゃん!?」 ブリギッドは左腕で赤ん坊を抱き、右腕を腰にあてて仁王立ちになっている。 「手紙を最後まで読まなかったんだろう？呆れてものが言えないよ。ファバル、いいかい。今から網をはずす。でもイチイバルはあたしが預かるからね。怒鳴ったり喚いたりせずに大人しくしてな。少しでも暴れたら、あたしが承知しないよ。」 デューが網をまくりあげ、イチイバルを掴んでブリギッドに渡した。立ち上がったファバルは母親と養父に挟まれ、城の裏門から王宮内へと入った。あとからは三人の子供達が面白そうにぞろぞろと続いている。 大きな木の扉をあけ、広間に入ると、そこにはレスターとエーディン、そしてオイフェとシアルフィの三騎士が居た。 「あれ、レスター、どうしてここに。エーディン叔母さんまで！オイフェさんにええっとうわ、そこの人は街道で女の子に絡んでた軟派親父！」 ノイッシュが横目でアレクを睨んだ。 「絡んでたわけじゃないさ。あの子は昔からの馴染みで協力者ってこと。」 ファバルは目を白黒させた。 「一体どうなってんだ?!説明してくれ！」 レスターが進み出てファバルの両肩に手を置いた。 「僕らは結婚式に招待されたんだよ。」 「結婚式ぃ？誰のだよ。」 「勿論、シャナン様とパティのだ。」 「おいおいおいおい、そんなわけないだろ。あいつは、俺のとこに“パティを妃にはできない”ってふざけた手紙を寄こして……」 「……最後まで読まなかったんだろう、君は。……シャナン様はこう書いていらした。“妃という形を取らずに伴侶として迎えたい。国をあげてというわけにはいかないが、親しいものを招いて婚儀を行いたい”って。それはパティも納得済み…というより、もともとお妃なんて窮屈でなりたくなかったって。僕への手紙へはパティの筆跡でその旨書いてあった。……パティにとって、それが最もよいことなのだと僕は思った。あとでパティとゆっくり話すといい。」 オイフェがクスクスと笑った。 「安全にあなたを無力化するにはどうしようかと考えるのは楽しかったですけれどね。……イチイバルを使われたら私達にも生命の危険があるわけですが、貴方の弱点はわかっていますから簡単でしたが。」 「俺の弱点？」 「子供達、そして家族。……それがあなたの最大の弱点です。大丈夫ですよ。これから先、私が貴方の敵にまわることはそうそうありませんからね、弱点は誰にも話さないでおきましょう。それに、あなたの弱点はあなたの最大の武器でもありますからね。」 ブリギットが笑った。 「ってことだ。わかったかい？明日には婚儀が執り行われる。皆、あんたの到着を待っていたんだよ。ほら。」 扉が開いた。昔、シャナンやオイフェに育てられたティルナノーグの子供達。全員が揃うことはできなかったが、ラクチェとスカサハとラナが入ってきた。そして、バーハラへの進軍の際、同じ部屋にいたフィンがアルテナを伴ってゆっくり歩いてくる。 「……やべぇ。本当に結婚式かよ！……うわぁ、やべぇやべぇ。」 と、どん、と背中をどやしつけられた。これは…… 「パティ!!」 今は下働きの服を着ているパティが手を腰にしてむっとして立っている。 「もう！ファバル兄ちゃんったら、とことん迷惑なんだから。そういえば、セリス様のとこに来た時にも、お金で雇われて敵側にいたわよね。……手紙、最後まで読まなかったんでしょ！シャナン様の手紙のあとにあたしの手紙もつけてあったんだよ？あたし、何度も何度も、お兄ちゃんが誤解しないようにわかりやすくわかりやすくって書き直したんだよ？」 「すまねえ、とにかく手紙の初めの部分で、あのバルムンクのおっさんがお前のことを妾にしようとしてるんだと思っちまって。」 「何馬鹿なこと考えてんの。シャナン様にお妾さんをつくるような甲斐性あるわけないでしょう！」 パティの横に立ったシャナンが咽た。 「……私はそんなに甲斐性がないか？」 パティは大きな目をくるっと回し、へへへ、と笑った。 「甲斐性あってもなくてもシャナン様はシャナン様でしょ。」 シャナンは小さく笑い、ファバルの前で頭を垂れた。 「すまぬ。色々と心配をさせた。」 「……いや、今度のことは俺が悪かったって。……皆さん、すまねえ、いや、すまないことをしてしまって申し訳ない。随分といろいろなとこを騒がせちまって。この詫びはいつかきっと……ただ、落ち度の全ては俺にあった。ヴェルダンって国を咎めないで欲しい。」 オイフェがすっと皆の前に進み出た。 「いやいや、ファバル陛下、有難う御座います。」 いきなり礼を言われ、その上最上級の尊敬を表す礼をされてファバルは戸惑った。 「実は、私は、この三人の家臣を揃って供として随行したかったのですが、そこの赤い鎧の騎士団長がとんでもない石頭でしてね。陛下がこうしてひっかきまわしてくださったのを幸い、策を巡らして彼とその相棒を連れてくることができました。」 「は？何？俺、いいことしたのか？」 そのとき、初めてシャナンはノイッシュとアレクに気付いた。シャナンは二歩、三歩とよろめく様に彼らに近付き、右手でノイッシュ、左手でアレクの手をとった。そのまま何も言おうとしないシャナンに、アレクが小声で言った。 「いい男になったじゃないか。昔俺が言ってた“イイ男になる方法”が少しは役に立ったかい？」 すると、シャナンが途切れ途切れに言った。 「オイフェ殿を通してご健勝だとうかがってはいましたが、またお会いできるとは……アーダン殿とお会いできただけでも僥倖と思っておりました。」 アーダンも交えて四人の男は抱き合った。様子を見ていたパティがはっとした。 「シャナン様……泣いてるの…？」 シャナンは涙を手の甲で拭った。真面目一方の赤鎧の騎士が、眉を下げ、言った。 「泣き虫シャナン。もう泣くな。アイラ様に叱られるぞ。」 フィンが手拭を差し出すとシャナンは目にそれを当てたが、ブリギッドに後頭部をどやしつけられた。 「ったく、明日はハレの日だってのに、何湿っぽくなってるんだい。アイラが叱る以前にあたしが叱る。泣き虫な奴は義理の息子として認めないからね。」 「あっはっは、姐御にかかっちゃ、イザーク王も形無しだな。あ、おいらは泣こうが喚こうがお宝一杯持ってりゃ義理の息子として大いに認めちゃうから。」 両者形は違うがそれぞれ豪快なパティの両親に一同笑い、数刻前までシャナンを襲撃しようとしていたファバルも大口をあけて笑った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その夜、ファバルとパティは屋根の上に居た。ファバルはブリギッドから返されたイチイバルを携え、城を抜け出した時の薄汚い服のまま、パティはズボンの上に黄色のチュニックを着、子供の頃から被っていた青と白の縞の帽子を身につけていた。 「しかしなぁ、明日は嫁ぐ娘が、そういう格好で屋根の上ってのはどんなもんだよ？」 「んー？登れるうちに登っとかないと、てとこかな。」 「ばーか。人の嫁になったからって、屋根に上るのをきっぱりやめるようなお前じゃないって俺はよく知ってる。」 「あはは、そりゃそうね。屋根って気持ちいいじゃない。部屋の中だと息つまりそう。」 「……妃になりたくなかったっていうのは、つまりはそういうことか。」 「かも。」 見上げれば満天の星空だった。 「シャナン様をほうっておいて俺と一緒に居ていいのかよ。」 「明日からもシャナン様とはずっと一緒だし、お母ちゃんや師匠とは昨日いっぱい話したし。」 「……そっか。でもな、正直、こういう時、兄ちゃんは兄としてどういう話をしたらいいかわかんねえ。」 パティは笑う。 「別にどんな話だっていいよ。」 ファバルはうーん、と唸ってからこう言った。 「シャナン様のこと好きか？」 「うん。大好き。」 「すっごく好きか。母ちゃんやデューおじさんと同じくらい好きか。」 「そんなの比べるのがおかしいよぉ。あたしは、生まれたときからずっとお母ちゃんの娘をやってきた。師匠の娘をやってきた。そいでもって、ずっとファバル兄ちゃんの妹をやってきたんだよ。……あのさ、随分長い間母ちゃんとも師匠とも離れ離れになってたから、兄ちゃんと一緒だった時が一番長いんだよ。だからね。」 パティはファバルの左肩に、三つ編にした金髪の頭をトン、と預けた。 「シャナン様のことを海の深さと同じくらい好きとしたら、兄ちゃんのことは空より高いくらい大好きだよ。」 「……何だ、それ。なんかよくわからねえ。……お前、幸せか？今、こういうことになって、幸せか？」 「え？当然幸せだよ。」 パティは身を起こし、薄暗がりの中、ファバルの黒い瞳を真正面から覗き込んだ。 「兄ちゃん、だってあたしは今まで一度だって不幸せだったことなんてないでしょう？」 ファバルはいきなり目が潤んでくるのを感じた。パティを引き寄せ、妹の頭の上に、自分の頭を倒した。右手でしっかりとイチイバルを握る。と、聖弓から何か不思議な力が腕に流れ込んでくるのを感じた。 以前、ヴェルダンの王に即位してからブリギッドに教わったことを思い出す。 “ファバル、竜の神々から人に伝えられた武器には武器として以外にも力がある。フォルセティは温かな、自由に駆け抜ける風。イチイバルはまっすぐに飛ぶ力。限りなく遠くの二つのものを結びつける力。” 腕に流れ込む力はますます強いものとなっていた。 「パティ、見てろ。兄ちゃんからの贈り物だ。今日は、おそらくイチイバル日和だぞ。」 イチイバルの継承者は屋根に立ち上がった。 「イチイバル日和？兄ちゃん、今は夜よ？」 「夜の方が見易いからな！とにかくよーっく見とけ！」 ファバルはイチイバルを天に向けて大きく引き絞った。矢をつがえていない弓が優美にしなり、金の色にまばゆく輝く。すると、何もなかったはずなのに、金に輝く矢が現れた。ファバルが弦を放すと、光の矢はどんな宝石よりも美しく輝く軌跡を残して天へと消えていった。パティは歓声をあげ、ファバルは会心の笑みを浮かべた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「あら、流れ星。」 窓越しに空を見ていたアルテナは、急いで目を閉じ、胸の前で手を組んで願い事をした。目をあけると、夫が同じような姿勢から手を解いたのが見えた。 「綺麗な流れ星でしたね。」 「ええ、……不思議です。光が下から上に走っているようにも見えました。フィンは何をお願いしたのですか。」 フィンは微笑んだ。 「きっと貴女と同じことです。」 すると、アルテナは何故か真っ赤になり両手で口を覆った。 「な、何を願ったんです？」 「え、貴方と同じことかもしれませんが……」 すると今度はフィンが真っ赤になる番だった。 「「一体、何を願ったんです？」」 同時に言って、二人は顔を見合わせて笑った。 ……この二人だけでなく、多くの人々が、この“天上へと駆け上がる”流れ星に願い事を託した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 天上に達したキラキラと輝く矢を目にした“あるもの”は目を細めた。戦う道具である武器が人の血を流すために使われず、ここにこうして争いとは正反対のものを託されてやってきている。だから“あるもの”は希望を捨てずにまだこの世界に留まっている。彼は万能ではなかったが、彼に許されているいくつかの贈り物を地上に落とした。それは目に見えるものではなかったが、願い事をした者の大部分の願いはそれで叶ったのだった。 |
| ファバルのイザーク侵攻(?)話。ファバル周辺の数人に話を絞ろうと思ったのですが、名前だけのキャラクターも含めると実に10人を軽く突破。話のまとまりは悪くなりました。が、姐御とデュー必須。シアルフィ三騎士も出したい！レスター出すんならエーディンだって出ないはずがない！シャナンが婿ならオイフェとフィンは必須(←我が家ではこの三人にデューを含めて親友状態)とやっていったらこうなってしまい……ついでにレンスターの二人には最後にちょっとした役を果たして貰いました。 我が家のファバルは相当アホな子なのですが、(他所様のところのファバルでうちほど阿呆なファバルに遭遇したことがありません…)妹のパティと並んで、皆に幸せを運んでくるキャラクターのように思えます。イチイバルの「光の矢」は大沢版コミックスが影響したものと思うのですが、戦が終わったあとの、そして幸せな話ですから、人(シャナン)を傷つけようとして携えてきたイチイバルを違う目的で使ってみました。当然、捏造設定です。いろいろいじってゴメン、ファバル。でも、私は君が大好きだ。 で、一夜明けた結婚式では、ファバルが男泣きに泣いて(←実質花嫁の父)、「やっぱり一発殴らせろ」とかなんとかシャナンに迫って姐御に殴られてると思います。そんな状況が似合ううちのファバル。……やっぱりゴメン、ファバル。 |