20年の幸福 拙作「そのとき」の続編的な短編です 独立しても読めますが前作を読みたい方は→こちらから |
「ふう……」 執務室の椅子に座り、ため息をついたアルテナの横に立ち、フィンはその横顔を覗き込み、低い静かな声で尋ねた。 「随分お疲れのようですが、少し休憩を取られては如何ですか。」 すると、アルテナはぶんぶんと首を振った。 「いいえ、午前中には殆ど仕事をしていませんでした。ただ……立ちんぼうにさせられていたので、少し肩が凝りました。」 もうすぐアルテナは目の前に居るこの槍騎士と婚儀をあげる。このところ、毎日のように、その婚礼衣装の仮縫いということでお針子頭に呼ばれ、アルテナがいうところの『拉致監禁』をされていたのであった。もともと女性らしいドレスを着ること自体が好きではないアルテナは仮縫いそのものが苦痛であるようで、フィンにも泣き言をこぼすことがあった。そんなアルテナにお針子達は手を焼いているようで、昨日もお針子頭自らがそれこそ扉を蹴破らんばかりの勢いでフィンの部屋に乗り込んできて、どうにかしてくれ、半分はいや、八割方はフィン様のせいです！と半ば脅迫するようにフィンに詰め寄った。少年の頃よりこのお針子頭を知っている槍騎士は、はたして自分にどうしろというのか、何故に自分に責任があるのかと訝ったが、背の低いまんまるちい体の件の女性はずり下がってきたそのまん丸な眼鏡をまん丸な鼻の上に押し上げてこう言った。 「四の五の言わず、こうおっしゃってくださいまし、『アルテナ様のドレス姿を楽しみにしております』と。それだけでようございます！宜しいですね!!」 自分は確かに楽しみにしていなくもないのだが、そんなわざとらしいこそばゆいことを何故口に出して告げねばならないのか、アルテナ様はドレスがお嫌いで、だから自分もつとめてその話題は避けてきたのだが、と尋ねたものの、物凄い剣幕で怒られ、止む無く言われた通りに昨夕はアルテナに言われた通りのことをしどろもどろに言ってみたが…… 「あ、でも、とても綺麗に縫っていただいています。その……」 そこまで言って頬を赤くしたアルテナは、『さあ、お仕事、お仕事!!』と書類の束を持ち上げてトントンと机上に打ち付けて揃え微笑んだ。 その微笑の柔らかな美しさに、騎士は思考停止する。おかしい、仮縫いの話をしていてアルテナが微笑むことなど初めてである。だが、その微笑みが急に曇った。 「どうかなさいましたか。」 声のトーンを変え、少し屈んでフィンはアルテナに視線を合わせる。アルテナは目を逸らすことなくまっすぐに見つめてきた。 「お針子頭さんの息子さんのことなのですが。」 「ああ、私も息子さんの話は彼女と話をしていて何度か聞きました。レンスター城で下働きをしていて、今は遠くにいる、ということではなかったかと。」 「ええ、私もそううかがっています。……仮縫いをしながら四方山話をすることがよくあります。シアルフィ時代からエスリンお母様のお針子だったあの方には、お母様のこと、お父様のこと、私やリーフが小さかったときのこと、そして、時にはフィン、あなたのことまでお聞きしています。記憶が朧ですが、私はあの方の息子さんとも遊んだことがあったらしいのです。フィンが野外教練で居ないときに私が一人で城の中の冒険をしていて、迷ってしまったときに息子さん会ったのですって。……私、そのあと随分と息子さんをひきずり回したらしく、そのときのお詫びが言いたいですからお会いしたいと言ったのですが……レンスター城の中で下働きとして働いていたことまでは教えて下さいましたが、今はもうこの城にはいない、連絡も取れない、『全く、あのバカ息子ったら』なんておっしゃって。……でも、おかしいと思うのです。あれだけ愛情深い方に育てられたたった一人のお子さんが、親御さんをないがしろにして手紙の1つも寄越さないなんて。……何度お聞きしても、あの方は笑って流してしまうのだけれど、本当は……本当はトラキアにいるのではないかと思うのです。私達がレンスターを取り戻す前に、城下では多くの人々が捕らえられ、トラキアの鉱山へと送られたということを私は知っています。若い男性ならば、特にその可能性は高かったはず。あの方は、私のことを思いやって本当のことをお話にならないのではないでしょうか。」 確かにその可能性はある。そしてあのお針子頭なら、アルテナの言うとおり、真実を教えないだろう。 「もしもそのようなことがあるのなら、今からでも私にできることがあるはずです。……悲しい結果が待っているかもしれません。でも、もしかしたらトラキアのどこかで生きていらっしゃるのかもしれません。ならば、私は……」 それきり俯いたアルテナの肩にフィンはそっと大きな手を置く。そして『お任せ下さい』というように頷いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その日の午後、夕食前の短い休息の時間にフィンはお針子達の詰め所に現れた。ミーズ城太守補佐のいきなりの来訪に年若いお針子達は右往左往したが、お針子頭がびし、と一喝すると静まり、お針子頭自身はフィンに促されて衣裳部屋へと移動した。 「今日は大感謝でございますよ！ええ、もう、仮縫いがあんなに順調に和やかに進んだことは初めてでございます。効果覿面、よくぞおっしゃって下さいました。」 フィンは目を見開く。 「……私はあなたに言われた通りに『ドレス姿を楽しみにしております』としか申し上げておりませんが。」 お針子頭はにやぁり、と笑う。 「それで十分なんでございますよ、『恋する乙女』にとっては。いつもは『つけなくてもよいのじゃないかしら』とおっしゃるフリルもレースも『きっとフィン様がお喜びになられますよ』と申し上げたら、今日は自らお選びになってドレス地にあててみたりなすって……ふふふふふふ、仕上がりは上々でございます。存分に期待なすって下さいましね。うふふふふふふふふふ。」 恋……恋されているのは自分なのか、とやっと認識したフィンが顔を赤くする。いや、こういう話をしにきたのではない。 「今日は少々固い話をしに来ました。アルテナ様が心を痛めていらっしゃることについてです。初めに言っておきますが、遠慮は無用です。遠慮されることは逆にアルテナ様のためにはなりません。アルテナ様はエスリン様のことをよく知るあなたを慕っており、力になりたいとおっしゃっているのです。」 フィンは窓辺の椅子にお針子頭をかけさせ、アルテナの考えていることを話した。 すると、お針子頭はくすっと笑った。 「いやですよぉ、そんなんじゃありません。アルテナ様にはお気遣い無用とお伝え下さい。あのバカ息子はトラキアに連行なんてされちゃおりませんよ。あたしに似ないでひょろっと背ばかり高い子でね。あんな体格じゃ鉱山に連れていこうなんて誰も思ったりしませんわ。」 「嘘をついておられるのではありませんか。」 「嘘など申し上げておりません。ブラギの神様にお誓いしますよ。何ならエスリン様とキュアン様にもお誓いしても構いません。息子は遠くにいったっきりで音信不通。どこを探したって見つかりゃあいたしません。……あんな息子のことで胸を痛めて下さるなんて本当にお優しい方ですよ、アルテナ様は。」 そして、ドーンとフィンの背を叩く。 「フィン様、責任重大でございますよ！ほんのちょっとでもアルテナ様を泣かせたりなさいましたら、このミーズの使用人達は相手が『救国の英雄・蒼の槍騎士』といえど、一致団結して詰め寄ってしまいますからね!!」 一度ゲホン、と咳をしたフィンは、しかし、至極真面目な顔をしていた。 「……今のお話、アルテナ様でしたら、ここで終わらせていたでしょう。……あの方は、無理に話を引き出そうとなさる方ではありませんから。……しかし、私は違うのですよ。アルテナ様が『人を信じること』でこのミーズを治めようとするならば、私は補佐役として『人を疑うこと』を考えます。……あなたは嘘はいっていない。しかし、真実をくっきりと語ろうともなさっていない。……真実がわからない限りはアルテナ様の憂いは晴れることがない。ならば、私は敢えてあなたに真実を語ることを命じます。……ほんとうのことを教えて下さい。 お針子頭は『何をおっしゃっているんですかねえ』と笑っていたが、フィンが口を一文字に引き結んだまま微動だにせず立っているのを見、首を弱々しく何度か横に振った。 「あのバカ息子はどこをどうひっくり返しても連絡してくる訳がないんでございますよ。」 沈黙が訪れた。 「それはどういうことなのですか。」 槍騎士が静かに、やっと聞こえるくらいの声で訊く。 お針子頭はゆっくりと、微笑みながら言う。 「いくら話しかけても、墓石は何も言ってはくれないものですから。」 フィンは頷いた。 「……やはり、そうでしたか。」 アルテナには示唆しなかったものの、フィンはこの答えが返ってくることを予想していた。 「……いつ、亡くなられたのですか。」 「あの、レンスター城のアルスターとの攻防戦の折です。」 「……申し訳ありません。」 お針子頭はまだゆったり微笑んでいる。 「フィン様、何をおっしゃるのですか。あなたが謝られることなど何もございません。」 「……我々がうって出る時期を読み違えたのです。……あそこまで苛烈な戦いになることは防げた筈。」 「……私は覚えております。フィン様が城門の前に立ち、血塗れになりながら戦っていらしたことを。……息子はバカだったんでございますよ。……あの子は戦いにおよそ関係のない裏庭に倒れていたということです。誰かが気紛れに射たらしい流れ矢に当たって……見つかったとき、小麦の袋を抱えていたそうです。……息子は料理人でした。戦の中だというのに、昼餉の準備をするために倉庫まで出たのかもしれません。……仕方がなかったのです。…………誰かが戦を仕掛ける限り、必ず誰かしかが息子のようなことになるのです。」 「…………」 お針子頭は微笑み続ける。 「ほら、フィン様でさえ黙ってしまわれた。……だから私はアルテナ様にお教えしなかったのでございます。責任はない、気に病まれることはない、といくら私が申し上げたところで、アルテナ様は心を痛められる。私は憂い顔のアルテナ様を見たくはありません。……それにね、フィン様、もう私は息子のことを話してもこうして笑っていられるようになったのです。……お若い方にはわからないかもしれませんが、息子が生まれ、20年間生きてきたことが決して『無』ではなかったと私は知っています。泣いて、笑って、けんかをして、冗談を言って……それは私にとっての宝物でした。……」 「……その、あなたの宝を失わせたのは私達です。」 「……わかっちゃいらっしゃいませんね、フィン様。……人は死んだら終わり、なんてお考えになってはなりません。……今はもう居ない人が生きた時間があったこと、それが宝なのですよ。勿論、あのバカ息子が今も生きていてくれたら、って思わないわけじゃありませんけれどね。……アルテナ様が思われる程に、私は悲しんじゃおりません。お伝えしなかったのは先程もお話したように、アルテナ様が必要以上に気にされることを慮ってのことですよ！私は本当に幸せでしたよ。……平凡で、飛びぬけたところはなかったけれど、20年間の幸福をあの子に与えて貰って……」 お針子頭は言葉を切った。 すると、フィンはドレスが所狭しとぶら下がっている方へ向かって声をかけた。 「……お聞きになりましたか。アルテナ様。」 すると、ドレスを掻き分け、その裏に隠れるように立っていたアルテナがやってきて、深々とお針子頭に向かって頭を垂れた。 「すみません……立ち聞きなどして。……私はいつの間にかあなたに気を遣わせてしまったのですね。」 槍騎士が口を挟む。 「……いいえ、私がアルテナ様にここにいるよう勧めたのです。……アルテナ様は真実を知らぬ限りは悩まれる方ですから。」 お針子頭は目を見開き、それから胸をぐいと突き出して腰に手をやった。 「まーったく!!あああああ、全く、こっちの気も知らないで!!若い人はなんでこうも無神経なんでしょうね!!そんなに昔のことを掘り返して、挙句の果てに勝手に落ち込むなんて!!…………許しませんよ。ええ、絶対に許しません!!」 「「え？」」 アルテナとフィンの声が重なった。 「許しません、と申し上げたのです。このようなだまし討ち、一城の太守とその補佐がして良いことではありません。」 顔を見合わせる二人に向かい、お針子頭は畳み掛けるように言う。 「償いをしていただけますでしょうか？いいえ、していただきますとも!!」 と、思いつめたようにアルテナが一歩前に出る。 「私にできることならば。」 すると、お針子頭は椅子から立ち上がって両手を差し出し、フィンとアルテナの手を握った。 「ならば、お二人の20年を私に見守らせて下さい。お二人の幸福な20年を。よろしいですか、幸福な20年ですよ。」 戸惑うアルテナの背を、フィンが空いている方の手でそっと触れた。茶の髪の娘は生真面目に言う。 「見守っていただけるのなら……嬉しく思います。」 するとお針子頭は両の手に握っていた二人の手を結び合わせた。 「……私こそ嬉しいですよ。ひとまず私はご婚儀のために最高のドレスを縫い上げますからね。ご夫婦となった暁には、エスリン様とキュアン様を遥かに凌ぐ勢いで猛然と仲睦まじくしていただいて、それからお子様は沢山の方が宜しいですわね。お子様方のおくるみの縫いかたは私の持てる限りの技をすべて伝授致しますからね。お子様はお嬢様が多い方が嬉しゅうございますわ。お子様のご衣装は男の子の正装もアレはあれで面白いものですが、やはり女の子のドレスの方がつくりがいがございます!!20年の間にはご婚約される方も出るかもしれませんね。腕のふるいどころですわ!!いいですか!!フィン様ももうよいお年なのですから精一杯頑張って下さいまし!!」 エスリンとキュアンを凌ぐ勢いで仲睦まじく??……シグルド軍の中で『目の毒』『万年新婚夫婦』と評判だったあの二人を凌ぐ??遥かに？猛然と？…… 目を白黒させるフィンとは対照的にアルテナは頷き…… 「……ならば約束して下さい。私もあなたの20年を見守らせて下さい。……あなたの20年が幸せになるよう祈らせて下さい。戦乱のない20年を私が皆に約束できるよう、私が挫けそうになったら叱って下さい。」 「！！…………ええ、ようございますとも。勿論、ようございますとも!!」 ……やっぱり微笑んでいたけれどお針子頭の目に、初めて涙が宿り、零れ落ちた。アルテナはその皺が目立ち始めた頬をハンカチで優しく拭い、フィンはその肩をトン、と叩いた。 |
| 20万HIT記念更新。企画アンケートをしていた期間にメールにてリクをいただいた「お針子頭さん」の短編です。 FEには「戦わないキャラクター」が殆ど登場しませんので、非戦闘要員サイドからの視点をつくるためにオリジナルキャラクターに登場して貰っております。 アルテナは「強くて弱い」女性ですが、ここぞ、というときに凛としていて欲しい、強くあって欲しい。その強さの源が、一般人にも理解できるものであって欲しい…お針子頭さんはこれで中々の狸ですから、要所要所で二人(特にフィン)の背中を押していただけるのではないかと思います。(といいますか全力で蹴飛ばして下さい) |