カナンと恋歌（後編）
カナンが壮麗な造りの領主館に到着したのは太陽がまさに山の向こうへと落ちていくときであった。息を整え、持っているだけの礼儀作法を総動員して門番にここに来た理由を説明する。領主館の門番は、意外にも紳士的だった。まるでカナンがやってくるのを知っていたかのようにすぐに執事へと取次いでくれ、物腰柔らかな白髪の執事は館の応接室へと吟遊詩人を導いた。 “ここでお待ち下さい” そう言われてからどのくらいたったろうか。びろうどばりの椅子に姿勢よく腰掛けていたカナンは徐々に居心地の悪さを感じはじめ、立ち上がって部屋の様子を検分した。 金がかかっていることは確かだが、華美に走らず、気持ちの良い部屋だった。硬い材質の美しい木材で統一された調度、さり気ない装飾が凝らされた花瓶とそれに活けられた季節の花。灯されたランプの明かりは部屋の隅々まで行き渡り、柱の上方に施された吟遊詩人の持ち歩く楽器の彫刻・・・・・・・・竪琴、リュート、手風琴などをゆったりと照らし出している。 壁にかけられている精巧な織りのタペストリは有名な英雄譚を絵にしたものだ。一枚目は魔物に取り付かれた領主の圧制に苦しむ人々の絵。二枚目はそれに立ち向かう若き勇者が修行する姿。三枚目は魔物と変じた領主と戦う勇者。四枚目は、勝利して美しい姫と結婚する勇者。 子供もよく知っているこの英雄譚は、歌に歌われてもいる。しかし、この部屋には華やかな４枚目と好対照の沈鬱な色の五枚目のタペストリが飾られていた。 新しい領主となった後に自分の力に奢って魔物に取り付かれる勇者・・・・彼の姿の向こうには、彼を討とうとやってくる新たな勇者の存在が金色の光によって示されている。 古くから伝わっていた歌はこの五枚目のタペストリの内容を含んでおり、“力に奢るなかれ”という教訓を持っていた。しかし、時代の流れとともに聴くに楽しい部分だけが残っていったのだ。 もちろんカナンはこの教訓の部分を含んだ歌を知っていた。・・・・・・・しかし・・・・・・この５枚目のタペストリを応接間に掛けているこの家の主は、よほど歌というものに拘りがあるか、或いはよほど趣味が悪いかのどちらかであろう。 じっとタペストリに見入っていると、重々しい造りの木の扉が開いて、カナンと同じくらいの年の若者が入ってきて深々と一礼した。地味な茶色の上着に黒いズボン。客人に応対する使用人としては少し若すぎるのが気になった。 「申し訳ございません。若様がご面倒をおかけしております。」 こげ茶の癖のある髪に灰色の生真面目そうな目をした若者は、そばかすの浮いた愛嬌ある顔を一度上げるとまた深々と腰を折った。 「あなたは一体どなたですか。妹は？妹を返して下さらないのですか!?」 若者はカナンに腰掛けるように手で示すと、その前に立った。 「申し遅れました。私はこの家の若君のお側役を務めますフォラスと申します。・・・・・・・・楽譜の管理の仕事をしつつ・・・・・若様の引き起こすあれこれを収めて歩いている次第です・・・・・・カナン様、あ、お名前はファナ様に伺ったのです。あなた方がご兄弟ではないことも教えていただいております。誠にこのたびはご愁傷様で・・・・・」 最後の一言を聞いてカナンは立ち上がった。 「ご愁傷様ですって!?・・・・・・・・いったいそれはどういう!?」 フォラスははあ、と一つため息をついた。 「若様は“金の耳”という呼び名があるほど、音楽にはうるさい方でいらっしゃいます。その若様が、ファナ様にひどくご執心で・・・・こんなことは初めてのことです。あの方の容姿はもちろん、なによりその透き通った歌声に魅了されてしまったとおっしゃられ・・・・・この家の方々は代々歌にかけてはひどく貪欲な方ですから・・・・・・・奥様・・・・今の御当主の奥方様も、旅芸人一座の歌姫であらせられたのをお召しになられて・・・・・そのまま・・・・・ですから、その血は若様にも受け継がれておりまして、・・・・・・・・あの、でも、若様はお優しい方ですから、ファナ様には決して悪いようにはなさらないはずです。ファナ様には心に決めた方がいらっしゃらないようですし、ここでよい縁談に恵まれたと思ってくださいませんでしょうか。」 カナンは天井を見上げる。 良い縁談なら国に帰ればファナの父親や二人の兄、ことによったらラルフィスまでもが寄ってたかって用意してファナのところに持ってくるだろう。こんな山の中の、無理やり若い娘を召しだすような男に嫁ぐのが何がよい縁談だ。そんなことになったら・・・・ カナンの脳裏に、ジャキン、と大剣とレイピアを構えるローンとシェンスの姿が浮かんだ。 ・・・・・・・なんとかファナをここから奪還せねばならない。 「納得できるはずがないでしょう!?あなたもそれがわかっていらっしゃるからそうして謝っておられるのではないですか！」 丁寧だが凄みのある声でカナンは若者に詰め寄った。フォラスは情けない顔をしてそばかすの浮いた鼻をこすった。 「で、でも、・・・・・・・・若様がどれだけ頑固なのかは、長年付き合ってきた私がよく存じております・・・・・・・あれだけの歌い手、やすやすと手放されるはずが・・・・・・」 と、フォラスは少し明るい顔になるとポン、と手を打った。 「・・・・・・・今年は歌祭の大祭はありませんが、夏祭で歌比べが小規模ながら開催されます。そこでよい技量と認められた者は、御領主さまから褒美がいただけます。ファナ様によれば、あなたは歌の名手でいらっしゃるとか！御領主様は歌の技量に優れた方の頼みならよほどのことでなければ必ず聞き届けて下さいます！出場なさいませ！それが一番穏便に事を済ませる方法です。・・・・・・・・・・・・くれぐれも、館に忍び込んでファナ様を逃がすなどとは考えないで下さいませ。・・・・・・・ファナ様はカナン様のことを心配しておられました。そしてこう仰いました。“私のことは心配しないで下さい、ここの家の方々は良くして下さっています、私のことは放っておいて旅を続けて下さい、自分のことは自分で何とかしますから”、と。・・・・・ファナ様は優しいお方ですね。」 自分で何とかすると今言うより、召しだされる前に逃げて欲しかったぞ、とカナンは思った。・・・・・・・・・しかし、ファナに念を押されるまでもなく、この館の警備は厳重で、普通に忍び込むことは難しそうであった。火球の魔法を使えば門番たちに対抗はできそうだが、危険な魔法を使う男としてこの国全体に手配書がばらまかれるだろう。・・・・・・・ならば・・・・・・・この男の言う事は正しいのかもしれない。 「・・・・・・・・わかりました。納得はできませんが、歌比べに参加することにしましょう。・・・・・・・して、歌比べの歌はどのようなものでも良いのでしょうか。」 フォラスは自分の勧めが受け入れたのにほっとした顔をし、笑顔で言った。 「今年の歌比べは、既成の歌ではなく、自分自身が作った歌に限られております。題は、明日発表されることになっていましたが、もう決まっていますからお話しして宜しいでしょう。今年の題は“恋歌”のはずです。」 カナンは頭を殴られた気がした。カナンがその端正な顔をだらしなく弛緩させた様子にフォラスは慌てた。 「ど、どうなさいました？旅の吟遊詩人なら恋歌はお手の物なのでは？？？」 カナンは椅子に座り、フォラスを見た。・・・・・・・・頼りなさげなフォラスだが、このシムカの街の領主館で楽譜管理をしているのなら音楽に関する造詣は深いだろう。そして毎年の歌比べも聞いているに違いない。 カナンは丁寧な言葉遣いをやめ、言った。 「フォラスさん。・・・・・・領主殿の息子がここにいたら一発ぶん殴りたいくらいだ。しかし、それはできそうにないし、殴ったところでファナを返してはくれそうにない。・・・・・・・・・としたら、やはり歌比べに参加するしかないのだろうが・・・・ああ、やっぱり驚いたか。この話し方が俺の地だ。あんたも普通に喋ってくれていい。・・・・・・どうやらあんたは信用できそうだし、その若様のわがままには閉口しているようだしな。少し相談に乗ってくれないか。」 フォラスは壁際にあった椅子を持ってきてカナンと向き合って座った。 「はい、私にできることなら。今度のこと、非は全面的に若様にあるのですから。」 「そうか、では、まず少し俺の歌を聴いてくれ。」 カナンは竪琴を取り出し、ひざの上に置くと、壁に掛けられたタペストリの元になった歌を歌いだした。圧政、勇者の修行、勇者の凱旋、勇者の婚礼、勇者の堕落・・・・ フォラスは腕を組み、頭を下げてじっと聞いていたが、最後の和音が鳴ってしばらくしてからパチパチと拍手をした。 「すばらしい！あなたのように竪琴の技巧と声のバランスが取れた歌は久しぶりに聴きました！若い分、声の深さにあと一歩という感じはありますが、それを補ってあまりある声の張りはたいしたものです！ファナさんがあなたのことを手放しで褒めるのもわかります！」 ファナが褒めた？手放しで？ 少し不思議に思ったが、カナンは眉根に皺を寄せた。 「では、もう一曲聴いてくれ。」 ・・・・・・・・カナンは恋歌を歌った。・・・・・・・古くから伝わっており、よく知られた美しい旋律の恋歌・・・・・・・・娘は頬を染め、若者は娘の手を取り、二人は春の野をかけていく・・・・・ フォラスはまた腕を組み、頭を下げてじっと聴き・・・・・・最後の和音が鳴ってから・・・・さらに頭を下げて抱えた。 「な、な、なんであなたの恋歌は下手なんですか!?」 「・・・・・・・そうか、あんたもそう思うか。・・・・・・・・・褒めてやろう。俺の恋歌が下手だとわかるってことは相当耳がいいという証だ。」 ・・・・・・・・フォラスは少し笑いかけたが、カナンの仏頂面を見て慌てて口元を引き締めた。 「・・・・・・聴いたとおりだ。俺は恋歌というものが壊滅的に苦手らしい。こんな状況で歌比べをして俺の技量を領主殿が高く評価してくれるはずがない。」 「・・・・・・・・・・・・・でしょうね・・・・・・・・・下手すぎます。お館様の耳は誤魔化されないでしょう。」 フォラスの批評は確かだとわかっているため、カナンもこの楽譜管理の若者に文句を言いはしなかった。 「でもッ！」 若者は椅子から立って、カナンの肩に手をおいて揺さぶった。 「まだ歌比べには５日間あります。・・・・・あれだけの技巧をもったあなたです。きっと頑張れば誰にも負けない恋歌を歌うことができるに違いありません！・・・・・私は私でファナさんの為に何ができるかを考えて見ます。大丈夫！少なくともこの５日間の間は、ファナさんのことは何があってもこのフォラス、若様から守ってみせます！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 『安心してください！』 と胸を張って言ったフォラスの姿を思い浮かべながら、カナンは雑木林に座っていた。ポロン、と弦を鳴らすと夜啼鳥（ナイチンゲール）がそれに合わせて一声鳴いた。 恋歌、か。 多分、自分という人間は恋をしたことがないのだ、と思う。 故郷の村では、思春期になったときに、どんな少年でもそうであろうように、身近な少女たちのことが妙に気になってみたりはした。しかし、それは恋ではなかったと思う。それが証拠に、同じ年頃の少年たちが、少女たちと連れ立って歩いているのを見ても別段羨ましいとは思わなかった。自分に寄って来る少女は大勢いたが、それはどちらかというと鬱陶しいものだった。・・・・・・恋などということを考えるより、大人たちから寄せられる『お前は選ばれた子なのだよ』『“精霊の花の歌”を歌う為に生まれたのだよ』『精進しなくてはね、盟約のために』という根拠のない励ましから逃げるのに懸命だった。 半ば無理やりに歌を探す旅に出させられ、恋歌は生活の糧のもとになった。ただ、それだけ。甘く、技巧を凝らして歌えば、人々は金子を弾む。心を入れなくとも、手を抜こうとも、娘たちは目を潤ませて聞き入るのだ。だからカナンは恋歌というものをかなり軽蔑している。恋は病のようなものだ。病はそれを得た人間を蝕み、目を曇らせる。 ああ、恋に近い感情をもったことが一度だけあった、とカナンは薄く笑った。まだ少年だったラルフィスと、女剣士の姿をしたリースと共に在った初めの旅のとき。あのときに自分は、無垢な心のリースに心惹かれていたように思う。だが、カナンはリースともっとも心を通わせている存在がラルであることをよく判っていた。それに、・・・・・だからこそカナンはリースに惹かれたのであると思うが・・・・・・リースは恋という感情を持ってはいなかった。自分を、相手を燃やし尽くしてしまう恋という病魔ではなく、彼女にあったのは、もっと優しい柔らかい感情であった。 もし、今、リースが生きていたなら、カナンはリースに恋をするだろうか。 否、と吟遊詩人は首を振った。 恋などという言葉に捕らえてしまいたくはない。かの守護精霊にはいつも妖精と共に空を舞っていて欲しいのだ。 もう一度カナンは弦を鳴らした。夜啼鳥はもう眠ったのか、歌を返してはこなかった。 とにかく５日後までに何か恋歌らしきものをでっちあげなくてはならない。耳の良いフォラスが召使ならば、領主の耳はもっと肥えているだろう。さて、どうしたものか。 ファナがいくら気丈でも、軟禁されて心細く思っているに違いない。一緒にいる間はいらいらさせられていたファナのあらゆる言動が、今になって好もしく、愛らしく思えてくるのは、自分が相当煮詰まっている証拠だ。どうすれば、どうすればいい。理不尽な若君の手からファナを救い出すためにどうやって恋歌を歌えばいい？ ふっとあることが心に浮かんだ。 カナンは苦笑する。 “領主がそれを恋歌と認めてくれればいいが・・・・・” ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ５日間は瞬く間に過ぎた。夏祭が開かれ、今日は歌比べの日だ。音響の非常によい屋外劇場に人々が詰め掛けている。先ほどから何人もの吟遊詩人が腕を競ってきたが、これは、という演奏はなく、特別席に座った領主とその家族は少し退屈しているように見えた。竪琴を抱えたカナンは舞台上に上がるとその特別席に向かって一礼した。白髪の上品な細身の男が領主だろうか。その横にいる婦人が歌姫であったという領主夫人。とすれば、その横のかっちりとした服に身を包んだ姿の良い黒髪の若い男がファナを召しだしたという若君だろう。 （まったく迷惑なことをしてくれるぞ・・・・） 一度その男を睨み付けてやる。その男の斜め後ろにはフォラスがいた。カナンを元気付けるようにぎゅっと一度握りこぶしをつくるとその手を広げて振ってきた。 弦の調子を整え、自分の名を告げてからカナンは歌い始めた。ざわついていた観客席は彼の初めの一音だけで静まり返る。 竪琴の旋律は、野に吹く爽やかな風を思わせる。海を臨む野原には少年が駆けていく・・・・・・・そして・・・・・彼のすぐそばからそれを見守る・・・・・・守護精霊・・・・・ カナンはラルと共に旅した初めの旅を歌にしていた。・・・・・すべてを語るわけではない。リースに対してのラルの想い。そしてリースのラルへの想いだけを取り出して歌った。それはとりもなおさずカナンが二人に寄せている感情の吐露でもあった。 精霊の花が咲き乱れる丘の風景の描写で歌が幕を閉じたとき、歌比べの会場は割れんばかりの拍手と歓声で満たされた。領主も、彼の周りにいた人々も立ち上がって、カナンに対して敬意を表している。 拍手が鳴り止んだ後、領主は自ら口を開いた。朗々とした声が響き渡る。 「カナンとやら。素晴らしい演奏であった。・・・・・・・この会場に貴公を迎えられたことは私にとっての大きな幸いである。。・・・・・・だがしかし・・・・・・今回の題は“恋歌”であったはずだ。・・・・・・今の歌のどこが“恋歌”であるのか。」 カナンは舞台上で跪く。 「領主様、拙き演奏にもったいないお言葉、有難うございます。・・・・・・歌のことでございますが、恋歌というものはは男女の中にのみ存在するのではありません。私が歌いましたのは、“恋うる歌”でございます。人が精霊を、精霊を人が恋い、また、故里を、家族を恋う歌でございます。・・・・それは男女の恋歌よりも時には熱く真摯で心を揺さぶられるものと私は思っております。」 領主は笑った。 「・・・・・・・詭弁のような気がせぬこともないが・・・・・私はどんな恋歌よりも、貴公が“恋歌だ”と主張した先程の歌に心揺さぶられたことは確かだ。・・・・・カナン・・・・・貴公、まだ恋をしたことがないと見える。・・・・・・恋をした暁には、本来的な恋歌を是非聞かせてくれ。楽しみにしておるぞ。・・・・・さて、当然、褒賞を貴公に与えるべきなのだが・・・・・・いや、いや、貴公が何を望んでいるかはもう知っておる・・・・・・息子が迷惑を掛けたようだな。そのことの他に改めて何か望みを言って欲しい。きっと叶えるぞ。」 領主が少し頭を下げるとその横で黒髪の若者が父親より深く頭を下げた。そして言った。 「兄の失礼な振る舞い、私からも謝罪させて下さい。」 兄？ 黒髪の若者の横にはフォラスが立っていた。そしてにやっと笑った。 「てめえ、この野郎ッ！」 美しい吟遊詩人が浴びせかけた罵声は、音響効果抜群の屋外劇場にがんがんと響き渡ったのであった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 領主館、フォラスの私室に通されたカナンは、彼が帰ってくるなり、その胸倉をつかんで怒鳴った。 「いったい、どういうことなんだ！何が楽しくて俺をからかった！」 フォラスはまあまあ、とカナンの肩をポンポンと叩き、勢いをつけて寝台の上に腰を下ろさせ自分も隣に座った。 「酒場に出かけ、ファナさんの歌に魅了されたのは事実ですよ。そして頼んで家に来てもらったのです。落ち着いた場所で彼女からたくさんの歌を聞きたかったのです。前にお話したとおり、私たちの一族は歌に対して貪欲なのです。」 「・・・・・・あいつを自分のものにしたかったのか？ここでは歌を歌っていただけなのか？何かしたんじゃないのか！」 切れ長の目で睨み付けるカナンにフォラスは全く動じない。 「滅相もない！無理やりどうのこうのということは考えません。第一私はファナさんの歌に惚れたのであって、彼女に惚れたのではありません。・・・・末の妹が病気がちでしてね。ずっとベッドから離れられないのです。彼女には、妹の話し相手になってもらっていました。そして歌の教師もしてくれました。妹も一族のご多分に漏れず歌好きでしてね。とても喜んでいました。ファナさんも楽しそうでしたよ。」 「ちょっと待て。それじゃああいつはあいつ自身の意志でここに来たってことなのか？」 「ええ。お願いしたら快諾して下さいました。あなたのことをとても心配しておられましたが、そっちの方は私がきちんと連絡しておくから、と何度も言いましたらやっと納得して下さって。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 「きちんと連絡だと？ど、どこがきちんと連絡したって言うんだ！」 フォラスは澄ましていう。 「・・・・・・・・・確かに悪いことをしました。ですが、重ねて言いますが私たちの一族は歌に関しては貪欲なのです。ファナさんの口からあなたのことを聞きました。・・・・・・あなたは覚えてはいらっしゃらないでしょうが、私はファナさんに会う前に、あなたが辻で演奏しているところに居たのですよ。そして私は聞いた。月並みすぎるあなたの恋歌と、あなたの素晴らしい妖精の歌を。そして思ったのです。あなたほど才能のある方なら、きっと切迫した状況を突きつければ、今までにないほどの素晴らしい新たな歌を作ることができるのではないか、と。・・・・・・・館にあなたが訪ねてきたときの芝居は要するにそういうことなのです。ファナさんを助けるためには苦手な恋歌を歌わねばならない。そうすればあなたは必ず歌う。あ、もちろん歌の題を“恋歌”にしろと父に強要したのは私です。あなたが歌いやすい題でしたら、あれほど感動的な歌にはならなかったでしょう。私の計画は大当たり。私の耳は大満足です。私がいたからこそあなたはあの歌をモノにできたのですよ。・・・・・・う〜ん、やっぱり感謝してくれというのは少し虫が良すぎますかね。」 カナンがフォラスに毒舌を浴びせかけようとしたまさにそのとき、控えめなノックの音がして、少女が顔を覗かせた。薄紅のドレスに細い手足。顔色は良くないが、とても愛らしい少女だ。 「お兄様。」 「ピア。どうしたんだね？」 そのあとから、ゆっくりとファナが入ってきた。すっとカナンの前に立つと頭をたれる。 「カナンさん・・・・・・・私、とても心配をかけてしまいました。・・・・・ピアさんから聞きました。私の為にカナンさん、苦手な恋歌を歌比べで歌うことになってしまったって・・・・・」 少女が怒った顔をフォラスに向ける。 「ファナさんは悪くないわ！みんなお兄様がいけないのです！何かといえば歌、歌、歌。今度の事だって、ファナさんがカナンさんと直に話をさせて下さいというのをお兄様がお許しにならなくって。カナンさん。諸悪の根源はお兄様です。どうかファナさんを叱らないで下さい。ファナさんは外に出られない私に旅のお話をして下さいました。小さな手でも簡単に難しい曲が引ける指使いのコツも教えて下さいました。まるで本当のお姉さまみたいに・・・・・だからどうかファナさんを叱らないで下さい。」 カナンは頷いた。 「ピアさん、でしたか。ご心配なく。あなたの兄上が諸悪の根源であることはよく判っていますから。」 カナンが優しく微笑むと、ピアもファナも笑顔で微笑み返した。一方のフォラスは、ピアに叱責されたことが少し痛かったのだろう。眉を下げて言った。 「罪滅ぼしに何かさせて下さい。・・・・・・父の言ったとおり、あなたには褒賞を受ける権利があります。」 「そうだな・・・・・・」 カナンは、ファナに寄り添うように立っているピアの姿を見て口を開いた。 「では・・・・」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それからひと月の間、カナンとファナは褒賞としてこの館の客人となった。ファナはピアの話し相手となり、共に館の中を歩いた。病人はその間に血色もよくなってきて、父母や兄弟たちを喜ばせた。カナンはフォラスの管理する（管理しているというのは本当のことであったのだ）楽譜を見、また領主一族が所蔵している歌に関する本を紐解いて知識を広めた。 夕食の後には必ず誰かしかが歌を歌った。フォラスはあまりよい歌い手とは言えず、あたまを掻きながら『いいのは耳だけらしくて』と弁解した。 もちろんカナンもファナも歌った。 そして約束のひと月が過ぎ、ファナとカナンは館の人々に惜しまれながら旅立って行った。 「行ってしまいましたね。」 小さくなっていく二人の姿を見送ってフォラスが言うと、当主は頷いた。 「・・・・・・・・・フォラス、お前はどう思う。私にはカナン殿が、盟約の吟遊詩人に思えて仕方ないのだが。」 フォラスは父の顔は見ないで答えた。 「そういえば、伝説めいた、そして予言めいた旧い不思議な歌がありましたっけね。・・・・・・・盟約に従い、この世のすべての事柄を歌う翠の髪の吟遊詩人。・・・・・・父上、そんなことは不可能ですよ。」 「そうだな・・・・・・」 「それより・・・・・・なんでなのかなぁ・・・・・」 「どうした？」 「あれだけ美しい方と二人きりで旅を続けながら恋歌が苦手だなんて私には信じられませんよ。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 久しぶりの野宿、夕食の後、荷物を整理しているファナをぼんやりと眺めながら、カナンは尋ねた。 「ファナさん。今背負い袋にしまったその大きな包みはなんですか。」 「え？ああ、これですか。お屋敷で弦を100本ほど貰ったんです。」 100本とは太っ腹なことだ。 「それと、薬草もたくさん頂きました。お屋敷の方々、本当に優しい方ばかりでしたね。あとは調味料と新しい火打石と・・・・」 「ちょっと待て！」 カナンはファナの背負い袋を持ち上げ、その重さに驚嘆した。 「こ、こんな重いものをずっと背負って歩いていたのか？」 「え？はい。」 「言えば少しは手伝ったぞ。荷の重さで途中でへばられたらそっちの方が迷惑だ！」 「でも・・・・・・私が貰ったものですから・・・・・」 「・・・・・・・・・一応俺も男だ。あんたよりは力も強い。」 「はい。駄目そうだと思ったら手伝って下さいね。でも、このくらいは大丈夫です。・・・・・・それに、あなたの苦手な恋歌を無理やり歌わせてしまったのは、私が不用意にあのフォラスさんについていってしまったからです。荷運びくらいは頑張らせて下さいね。重いものを持って鍛えたら、きっともっと重い物だって運べるようになりますから。」 カチンカチンカチン ああ、もうこの娘はどうしてこうなのだ。・・・・物腰柔らか・・・・・・・言葉は丁寧・・・・・・はたらき者で・・・・・・・芯が強くて・・・・・・だが、気に入らない。気に入らないのだ。 「あの・・・・・何か私悪いことをいいましたか？」 カナンはファナを指差す。 「俺が一生恋歌を歌えなかったら、おそらくそれはあんたのせいだ。」 ファナはいつかのように目を丸くして自分を指差す。 「私・・・・・・のせいですか・・・・・・」 「そうだ。」 ファナは笑う。でしたら練習して下さい、と。 カナンは竪琴を手にすると、恋歌を奏で始めた。 「あら・・・・・・・・。」 ファナは小さく声を上げた。 「あの・・・・・怒らないで下さい。・・・・・・でも・・・・・なんだか前よりも下手になったみたいなのですが・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・聞き手が悪いんだッ！」 盟約の吟遊詩人。彼が最後の最後まで苦手にしていた歌は恋歌であったという。その理由を後世の学者たちが研究し、いろいろな説を発表したが、それが一人の半妖精の娘のせいだと看破するものは誰一人いなかったという。 |
| なんだか最後はギャグになってますね。まだまだこの２人の旅は続くのですが、もしも読んでくださる方がありましたら不定期にサイトに載せて行こうと思います。 |