| 女王様の最も大切な仕事(前編) |
サントハイムのおてんば姫がこの上もなく真面目で優しい婿を迎えてはや半年。 父であるライル王は娘に王位を譲り、悠々自適の毎日を送っている。 ……などということはない！ アリーナ王女は国民の大多数から愛されている。 その可憐な姿。その優しくまっすぐな心持ち。 しかしながら、彼女が為政者として優れた能力を備えているかというと、民達は大きく首を傾げるだろう……いや、違う。民達は全力で首をぶんぶんと左右に大きく振るであろう。 例えば、国のどこぞに強大な魔物が出た、となれば、ライル王はすぐに情報収集に努め、兵を派遣し、それと共に負傷者の手当てから、仮設の避難所建造やら炊き出しやらを命じ、更には家族を失った者への精神的な支えまでを講じるだろう。 しかし、アリーナはどうだ？……彼女は、魔物が出た、と聞くなり、光の速さで左手に愛用の炎の爪を装備し、誰よりも先に駆け出していくに違いない。そして、彼女を愛する婿殿が全力で制止しようとしても、それは無理なのだ。(何せ、クリフトの走る速さはアリーナよりも遅いのだから！) 今はいい、まだ今は。しかし… しかし、将来はどうなる？ライル王が老い、あるいは病床に伏せ、アリーナに王位が移ったときに彼女は立派な女王となれるのだろうか？ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アリーナは執務室の大きな大きな机に向かって座っていた。机の上には書状の山。その山を見上げてアリーナは腕まくりをした。 実のところ、帝王学など知らなくとも彼女が女王となることは可能だ。有能な文官達や、或いは聖職者ではあるが細かなところまでよく気のまわる頭脳明晰な夫君にすべて任せてしまえば国は成り立つだろう。しかし、ライル王はアリーナにいわゆる「飾り物の女王」になって欲しくはなかった。政は為政者一人がまわすものではない。多くの人々によって成り立つものである。だが、為政者たるもの、どのように政がまわっていくのかを掴んでいる必要がある。そのためには、早いうちから政務に慣れて置いた方がいい。かといって、いきなり政そのものに関わらせてはなにかとんでもないことを彼の愛娘はしでかしそうな気もした。今、アリーナが机に向かっているのは、そういったことを考え抜いたライル王の指示による。 サントハイム城には毎日のように国内外から書状が送られてくる。地方領主からの型どおりの季節の挨拶や、どうひっくりかえっても必要性が感じられない援助を求める訴えもあるが、天災などで困窮した人々の心からの叫びがきこえてくるような手紙もあった。それら全てに目を通し、真に取り上げるべきだと感じた書状を父王に届ける、それが今の彼女に与えられている課題なのだった。 本来、この仕事は、王が全幅の信頼を置いている家臣がしてきたものだった。書状を選り分け、王家への言われない糾弾や、意味をなさない文字の羅列、取るにたりない戯言を除く。そういった事が前もって成されているからこそ、王は重要な書状に対して深く考える時間を作ることができるのだ。しかし、、ライルはすべての書状をアリーナに読むように言った。 作業は遅々として進まなかった。やはり、というかなんというか、彼女は王の悪口を並べ立てた手紙に腹をたて、更に差出人の住所が書かれていないことに更に腹をたて、(アリーナは住所がわかっていれば、相手を蹴飛ばしに行きたかったのだ！)貴族のべたべたのお追従にげんなりし……一つ一つに時間をかけすぎて、朝から手をつけたのに、お日様がだいぶ高くなっても一向に書状の山が減っていないことに気付くと、アリーナはやっと我武者羅に書状を分類し始めた。かくして、太陽が一番高く上るころには、大机の上には整然といくつかの書状の山が作られていた。 「おや、アリーナ、終わったんですね。」 クリフトが綺麗に分類された書状を見てにっこりと笑った。彼は王からアリーナが手こずるようならば指導してやってくれと頼まれて、この部屋までやってきた。……いや、彼ならば頼まれなくとも、遅かれ早かれ指導しにきただろうが。一方、アリーナはさあ、どう？見て頂戴、とばかりに椅子の上で可愛らしく微笑んだ。 「どのように分類したのですか？少し見せて下さいね。」 一番近くの山から書状を３つほど取って目を通すと、それは、害は無いが、重要でもない時候の挨拶などの手紙であった。その次の山は……どうやら王へ胡麻をする領主たちの手紙らしい。どの手紙も、最後の最後に援助らしきものを無心する追伸がつけられていた。その左にある山は何だかとても楽しそうなものだった。お祭をします、とか橋が開通しました、とかそういうもの。その横が、数は少なかったが王家を中傷するような手紙、そして、アリーナのまん前にあるのは最も重要なものだった。……熱病が発生した南部の村からの報告。 「……そうですね。……南の村からの書状はすぐに陛下にお持ちするべきものですね。がんばりましたね、アリーナ。ほどなくお昼ですが、軽くお茶でも飲みましょうか。」 クリフトに言われ、アリーナはにまにまと笑った。……前回の書状分類のときには、天を仰がれ “なんで騎士団用武器のカタログなんてものが一番手前にあるんですか!?” と夫に言われてしまった。頭を抱え、、いいですか、見ていて下さい、と彼女に代わって椅子に座った彼の手さばきは惚れ惚れとするようなもので、“すごいすごい、クリフトがいたら私がやることなんて何もないわね、ほんとにすごーい！”とやんやの歓声を送ったら、彼女の愛すべき神官は脱力して机の上に伏せてしまったっけ。それに比べたらなんという進歩だろう。 「えへへ、がんばったでしょ？なんだかコツが掴めてきたわ。部屋の掃除と同じね。手にとって、それについて考えることや思い出すことがあっても、そこでとまったらダメなのよ！どんどん手を動かさなくちゃね。」 えへん、と胸を張るアリーナの頭にぽふっとクリフトは手を置いた。 「掃除と一緒にするのはどうかと思いますが、手を止めてはいけないというのは大切ですね。考えることはあとからゆっくりすればいいのですから。今日は大変な書状が少なくてよかったですね。……南の村からは別便で伝書鳩も届き、既に神官を10人派遣していますよ。」 「そうね。今日の仕事はやっててよかったわ。だってとってもおも……」 そこまで言って急に口を閉じあたふたと両腕を大きく振り回すアリーナの様子に、頭の中で危険信号が点滅したクリフトは、膝に手を置き身をかがめてじっとアリーナの目を覗き込んだ。 「おも…、ってなんですか？」 アリーナはハシバミ色の瞳を一瞬逸らしかけたが、ポンと手を打った。」 「おもたいお手紙がなかったなぁ、って。ほら、クリフト、お茶、お茶、喉が渇いちゃった！！」 先に立って廊下を小走りに行くアリーナをにクリフトは首を傾げてみせた。 「怪しい……」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 話がこのまま終わるわけはない。 果たして、その翌日、とんでもない事件が起こったのであった。 ライル王の居室に駆け込んできたブライは、一つ大きく深呼吸してから大声を上げた。 「陛下！姫様が行方不明でございますぞ！朝起きたときには寝台がもぬけの殻であったと！」 ゆるりと椅子にかけたライルは少しだけ身じろぎしたが、落ち着いた声で言った。アリーナの引き起こす騒ぎにいちいち動じて寿命を縮めていては、もうとっくにあの世とやらに行ってしまっている。 「聖堂の屋根裏は？」 「おられません」 「尖塔の上には？」 「捜索済みですじゃ。」 「地下通路はどうだ。先月、古い時代の隠し通路が発見されたはずだが。」 「……そんなものは、とっくのとうに姫様は完全踏破してしまいましたわい。」 「婿殿が居所を突き止めてくれそうなものだが。」 「奴めもこのじいと共に城内くまなく捜しましたが、見当たらないということで、お報せにあがりましたのじゃ！」 と、そこに話題の当人が走りこんできた。だいぶ息が上がっている。 「クリフト、落ち着け！神官帽が曲がっておるぞ！何かわかったことは。」 ブライに言われ、背の高い神官帽を慌てて被りなおしたクリフトは呼吸を整えた。 「城内の者たちに尋ねましたが、アリーナのことを見た者はおりません。ただ……門番のジェフもまた行方知れずとなっております。」 王の娘が行方不明で、門番もいなくなっている、……となると、門番が姫を拉致したと考えるのが普通だろう。が、このとき、誰もそんな想像はしなかった。 「ジェフのことが心配だな。……あのおてんばに好き勝手にひきまわされているとなるととばっちりが及ぶことは必至。……」 「まっこと、気の毒なことですじゃ……しかし、何故一介の兵士を？確かにあの者は姫様と親しかった……といいますか、城を抜け出そうとする姫様を阻止しようと何年もの間頑張ってくれておりました。……阻止できたことは一度もなかったはずですがの。」 顰め面でそう言ったブライは魔道士の杖をくるりと回し、その先についた宝玉で肩をとんとんと叩いた。 「ま、姫様の気まぐれは今始まったことではありませんからのぉ。ん？クリフト、お前さんはやはり心配か？顔の色が優れぬぞ。姫様の武闘の腕前はお前さんが一番良く知っておろうが？」 「確かにアリーナは武闘に優れていますけれど、何せあの通りの性格ですから……心配するなという方が無理ですよ、じいさま。」 すると、王が席を立って、クリフトの神官帽に手を伸ばした。一枚の小さな紙が帽子の縁に挟まっている。 「『みんなへ』か。うむ、間違いなくアリーナの筆跡だ。灯台下暗し……アレが見当たらなくなって婿殿が動転していたのはわかるとして、爺、どうしてわからなかったのだ。」 「……こやつ、背が高すぎて、側に立っておりますと、爺のところからは帽子の縁など見えませぬからな。それより紙にはなんと？」 王は紙片を広げた。 お父様、クリフト、ブライ、それからメイ。あ、もちろんランデルも。ちょっと行ってきます。十日くらいかかるかも。心配しないで。しっかり王族のつとめは果たしてくるから!!護衛にジェフを連れて行くわ。私が勝手に連れていくんだから、帰ってからジェフを叱らないでね。じゃ！ 「何が“じゃ！”ぢゃ！それにどう考えても、あの気弱な門番に護衛がつとまるはずがなかろうが、何を企んでおるんじゃ？」」 ブライがぶんぶんと魔道士の杖を振り回す横で、クリフトは頤に長い人差し指をあてて考え込んでいた。 「何処に行くというのでしょう。そして、“王族のつとめ”とは何のことなのだか。」 しばらくして、彼はライル王に向き直った。 「陛下。確約はできませんが、行き先がわかるかもしれません。これから調べて参ります。」 一礼して走り出していくクリフトを王は呼び止めた。 「陛下、何か？」 「……その『陛下』というのはそろそろ打ち止めにしないか。私は昔から息子が欲しかったのだ。父上と呼んでくれてもよかろうに。」 「え？は？そ、その件はまた後ほど！」 あたふたと去っていくクリフトの後ろでライルとブライは顔を見合わせにやっと笑った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その頃、アリーナは馬を疾走させるジェフの後ろに乗り、歓声を上げていた。王宮内でのふんわりしたドレス姿はどこへやら、今着ているのは娘時代に好んで着ていた黄色のチュニックに青い帽子。嫁いだといってもアリーナの外見はあまり変化していない。市井の少女といっても通りそうだった。…いや、少年と言ってもまだ通る。 「わぁ！やっぱり外の風はいいわ！ゴン爺さんが育てた花の香りも素敵だけれど、草の匂いや森の匂いも大好き!!」 一方のジェフは装備を整え軍人らしいなりをしているが、その表情は情けなさ全開だった。たれ目気味の目の上の眉はハの字に下がり、眉間には皺が寄っている。 「姫様、もうお城に帰りませんか？陛下も、クリフト様も、ブライ様も、みんなご心配でいらっしゃいますよ。いてッ！」 アリーナはジェフの背中をつねった。 「これから私、いや、私達は大切なお仕事をしにいくのよ！ジェフは私の護衛としてついてきてもらったんじゃない！それともあなたはか弱い王女をここに置き去りにするつもりなの？」 どこがどういう具合にか弱いのだろうかとジェフは真剣に悩んだ。門番やって10年近く。その間にアリーナに門番突破されたこと数限りなく、一蹴りで昏倒させられたこと実に18回。一緒にカルタをやれば、手を骨折させられ……いやいや、真剣に考えることではない。……とにかく自分はここから逃げられそうにはない。 馬がへたばらないくらいに先を急ぎ、野営も３度目になった。ジェフが塩漬け肉を切り分け焚き火の火で炙ると、アリーナが固パンを配る。水筒片手にもぐもぐと美味しそうに頬張るアリーナを見、ジェフはふう、と息をついた。 「何？何？どうしたの？」 「いや、申し訳ありませんッ！碌な糧食も持ってこなくて。」 「いいのよ。私が急がせたんだもの。私が持って出たのもジェフと同じものだったしね。これってランデル推奨の非常食なのよね。……お腹はふくれるんだけど、味はいまいちかな。でも、野宿のお料理って普通は。こんなものじゃないかしら。クリフトが野宿の時につくってたご飯は今を思えば絶品だったわね。うんうん。」 「クリフト様が？」 「おそらくジェフも気に入るわ。そうだ。お城に戻ったら、今度作ってもらおうか？」 「そ、そんな畏れ多いであります!!」 「そう？おいしいんだけどな。しっかり食べておいてね。おそらく明後日には怪物退治にとりかかることになるわ。」 「怪物…退治ですか…」 そう言ったきり、ジェフは焚き火を見て押し黙った。不思議そうにしているアリーナに顔を向ける。兵士にしては愛嬌のある痩せた顔が今は真剣な表情になっている。 「どうして、自分がお供なんですか。……もっともっと強い兵がいくらでもいるのに。自分みたいに弱い男では、怪物退治するのに足手纏いになってしまうであります。」 アリーナは驚いた顔をした。 「ジェフは弱くなんてないわ！昔に比べてどんどん強くなってる。これからだってきっと強くなるわ。」 門番兵は木の枝で焚き火の火を掻きたてた。パチンとはぜ、頬に飛んであちち、と手で払う。小さく息をつき、彼は続けた。 「……門番になって以来、姫様には門番突破されてばかり。行く手を塞ごうとしても、ただの一撃で熨されてしまって、そんな自分が強いわけがないじゃないですか。」 「ううん、本当にジェフは弱くなんかない。私が言うんだから間違いないわ。私に一撃で熨されちゃうのは私が強すぎるだけよ。」 ジェフは飲んでいた水を噴出しそうになって咽た。その背をさすりながらアリーナは言った。 「それに…ジェフは強くなりたいって真剣に思ってるでしょ。私、この耳で聞いたもの！」 門番兵の肩がぴくっと動いた。アリーナははっとして口に手をやった。 「……ご免なさい。屋根に登って星を見ているとき、聞こえ……ううん、聞いてしまったの。」 ジェフの顔が朱に染まる。あれはひと月ほど前。門番の職務を終えて控え室へと戻る途中、ずっと想いを寄せていた一人の侍女が歩いてくるのに偶然出くわし、重そうな荷物を半分持ってやったことがあった。同僚が結婚するのでいくつかの日常品を貰ったのだという。すぐに侍女の宿舎に着いたが、しきりにその同僚のことを羨ましがる彼女に、“あなたはどんな人が好きなのでありますか”となけなしの勇気を振り絞って真剣に訊ねると、彼女は“私はやっぱり強い人が好きだわ”と夢見るような素敵な笑顔で答えてくれた。そして、続けていろいろなことを喋ってくれた。彼女が宿舎に入ってから、しばらくしてからジェフは確かに“強くなりたいな”と独り言を言った。……あの時、宿舎の屋根にアリーナがいたのだろう。 「ジェフは十分強いのよ。でも、今まではその強さを発揮できなかっただけ。訓練だって模擬戦だって、誰より真剣にやってるじゃない。私と一緒に怪物を倒したら、みんなあなたを見直すわ。あの侍女の子だって、絶対にジェフのことが大好きになる。」 「そ、それでは姫様は、あの、もしや、自分のために…？」 アリーナは鼻の辺りを赤くした。 「……ホ、ホントのことをいっちゃうと、近頃体がなまってて、ここいらでズガーンと暴れてみたかったんだけど。…怪物退治はみんなの役にもたつし。 この間届いた書状には、怪物が家畜を襲っていて困っているって書いてあったの。王族として、困っている国民を放ってはおけないでしょう？それに、道すがら、会いたい人もいたしね。だ・か・ら、今回は私が勝手に暴れたかっただけなんだから、何にも気にすることなんかないのよ。」 若い門番は、なんのかんの言ってもアリーナが自分のことを真剣に考えてくれていることをひしひしと感じていた。サントハイムの姫様はそういうお方なのだ。 「ですが、姫様。」 それだけ言ってジェフは口を閉じた。 「あ、途中まで言って黙っちゃうのは反則よ！」 「いいえ。何を言おうとしていたのか忘れちゃいました。」 「あはは。じゃ、休もうか。今日はジェフが先に見張りね。真夜中過ぎたら私を起こして。」 リュックを枕にごろりと横になるアリーナからジェフはずずずと遠ざかった。 「……あのぉ、もう少し離れてお休みになられたほうが……自分も一応男ではありますし。」 「？気にしないけど。服だって着たままだし、前に旅したときにもこんな感じだったのよ。」 「あう。クリフト様は気になさるかもしれません。」 「大丈夫大丈夫。クリフトはそういう人じゃないから。」 だったらどういう人なんだ、とジェフが思う中、アリーナはもう毛布にくるまって目を閉じていた。そのまだまだ少女のような寝顔を見ながらジェフは参ったなあと思った。 （姫様。自分が強くなりたいって申しましたのは、そういう意味ではないのであります……) とにかく、怪物退治では姫様のお荷物だけにはならないようにしなくては。 ジェフは立ち上がり、剣を持ってくると黙々と素振りを始めた。 |
| 131313打、mount-root-yy様からのリク、「アリーナ女王陛下の立派な仕事ぶり」です。 アリーナが女王になったらどんな風だろう、と想像してみましたが、おそらく父王が崩御しない限りは彼女が女王になることはないと思いましたので、今回は「女王になるための修行をしているアリーナ」ということで書かせていただきました。例によって、オリジナルキャラクターが出張っておりますが、このサイトの仕様ということでご理解下さい。前後編となってしまいましたが、なるべく早く仕上げますので、どうかお待ち下さいませ。 |