| 祝祭舞踏 ３ |
| 馬を二頭貸してもらい、荷馬車はハバリアへと早足で走る。手綱を握るオーリンの横で、ミネアは、きっちり背を伸ばしてかっちり座っていた。振り向いてはいけない。なぜならそこには…ほら、前方を走っていた乗り合い馬車を抜きにかかる今も、乗客達が目を丸くしてこちらを凝視している。いや、凝視しているだけではなくぽかんとだらしなく口を開け、茫然自失の状態だ。 （姉さん、今度は一体何をやっているの!?） 後ろの荷台に居るはずのマーニャの間断のない、意味を成さない独り言を聞き続けて、無視しよう、絶対に様子を見るのはやめよう、と心に決めていたのだが、さすがに気になって振り向いて……後悔した。 マーニャは荷台に立ち上がり右足に体重をかけ、左足をピンと伸ばして後ろに流し、さらに右手をクネクネと動かしている。そして… 「違う……違うわよ……ばっかじゃないの……あぁん……だとして……ふぅぅぅぅん……あああッ！この大馬鹿ッ！馬鹿馬鹿馬鹿ぁッ！」 固まっていた乗合馬車の乗客はこの不機嫌な調子の大声が耳に入ったのか、“ひいッ”と叫ぶ声がミネアにも聞こえた。 オーリンが乗合馬車を完全に抜き去り、しばらくしてから、やっとミネアは一息ついた。そして、 「姉さん！」 そう怒鳴った。が、マーニャは妹の声が全く聞こえないのか相変わらずぶつぶつ言っている。 「ああ、もうッ！姉さんってば！」 手で顔を押えて前に身体を倒すとオーリンがくすっと笑った。 「マーニャお嬢様は舞踏のことを一心に考えていらっしゃるのでしょう。あそこまで我を忘れて踊りに打ち込める……それは素晴らしいことですよ。」 「それはそうなのだけれど……」 自分の恥かしさはともかく、すれ違う人が皆びっくりしてしまうのはちょっと…それに 「…オーリンも恥かしいでしょう？」 忠実な,、父の一番弟子はにっこりと微笑んだ。 「私は一向に構いませんよ。それよりミネアお嬢様、少しお休みになってはいかがですか。夜遅くまで起きていらして、今日は日の出の前に出発。まだ昨日の疲れが残っていらっしゃるのでは。」 「眠いのは少しだけです。それにオーリンは私より早く起きていたではないですか。私が手綱をとりますからオーリンこそ少し休んで下さい。」 しかしオーリンはしっかりと手綱を握ったままだった。 「私は丈夫なだけが取り得ですからね。」 でも、と言いかけ、ミネアはあわててきゅっと両手の拳を握り、お腹の前あたりで組み合わせると小さくこくんと頷いて目を閉じ、頭をオーリンの逞しい二の腕に持たせかけた。心臓がどきどきするのが自分でもわかる。車輪ががたがたいう音、時々オーリンが馬にかける声、そしてマーニャのわけのわからない戯言。眠れるとは思っていなかったが、いつしかミネアはまどろんでいた。 彼女が目を覚ましたとき、既に日は傾き既篝火に照らし出されたハバリアの門が見えてきていた。 「ああ！やっと着いたのね！」 門の寸前でそう叫び、マーニャはぽーん、と荷台から飛び降りるとミネア達のことなど全く構わず門へと走った。自警団の若者が槍を構えて誰何するが、しなをつくって“お兄さん、た・だ・い・まｖ”と囁きぼーっとしている間にすり抜ける。ああ、まだなんとか普通のマーニャの反応は残っているようだ。ミネアとオーリンは顔を見合わせた。 「ミネアお嬢様、急ぎましょう。特に何も起こらないとは思いますが、あの調子です。今のマーニャお嬢様、何をするかわかりませんよ。」 「ええ、そうね。とにかく団長さんのところに行きましょう。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 馬の世話をオーリンに任せ、ミネアがテントに入っていくと、既にそこでは騒ぎが起こっていた。ダンスの時に伴奏をする楽団の責任者がマーニャと激しく言い合っている。 「馬鹿なことを！狂気の沙汰だ！」 「なんでそんなこと言うの！おじさんにはできるはずよ！お願い、今、言ったような曲を作って！」 責任者は首を振った。 「曲が作れる、作れないの問題じゃない！……そんな曲を使って、王宮でどんな踊りを踊ろうって言うんだい!?マーニャちゃん、そんなことをしたら！どんなお咎めを受けるか！」 マーニャは譲らない。目を見開き、腕を広げ、大きく身振りを交えながら相手に迫る。 「心配しないで！踊るのは私。咎めを受けるとしてもあたしだけ。…例え罰を受けるとしても、私には今考えているもの以外を踊るつもりは全くないわ。…私にはおじさんの曲が必要なの！おじさんの曲なしでは踊れないのよ！」 もう初老に達したラッパ吹きは暫く黙っていたが、無言で見つめ続ける踊り子に向かってうむ、と頷いた。とたんにマーニャはぱあっと顔をほころばせる。 「……その代わり、出来が悪くともぶうぶう言うなよ！」 「大丈夫大丈夫。おじさんに限って間違いはないもの。……さっきもいったけれど決して劇場のみんなに迷惑はかけないから安心して。何か起こってもあたしがすべての責任をとるわ」 すると、ラッパ吹きは目を細め、こつん、とマーニャの額を拳骨で小突いた。 「まったく…マーニャ、あんたはなんにもわかっとらんお嬢だな！……いいかい、モンバーバラ劇場の芸人達の中で、一人っきりで舞台に立っている奴は誰もいないんだ。あんたが踊るときには、わしら楽団員も、群舞の女の子たちも、団長も、袖で見守る他の連中も皆でお前さんを支えとるんだ。……だから、一人だけで責任をとろうなんて一人よがりな戯言を吐かれちゃ困る。……わしは曲をつくる。お前さんはレパード陛下がぐうの音も出せないような素晴らしい踊りをおどっておくれ！」 「ありがとう！おじさん！」 マーニャは熱烈なキッスを相手の頬にすると、くるりと身を翻してテントの外に出て行った。……心配そうにミネアが柱の影から見ていたのにも気付かずに。姉娘が出て行ったあと、ラッパ吹きはミネアを手招きした。 「あの…おじさん、姉さんは一体何をしようとしているのですか。」 「……ミネアちゃん。心配だろうが、そこを堪えて見守っておやり。……この舞台、うまくいけば、マーニャの一世一代の大舞台になるはずだ。……今はおじさんにはこれくらいしか言えないよ。」 「……」 ミネアはしばしの沈黙ののちに頷いたが、とても安心などできなかった。 夜半を過ぎてもマーニャは与えられたテントに戻ってこなかった。踊りを考えているのだとミネアにはわかっていたが、彼女には待つことしかできなかった。新しい舞踏を考えているとき、姉は他のものが全く見えなくなる。それが最愛の妹であっても…… 他にすることもなく、暗いランプの下で針を動かしていたミネアだったが、目が疲れ、折りたたみ式のテーブルに縫いかけのマントを置き、入り口の幕を跳ね上げて外に出た。時を知るために夜空を見上げれば、真夜中というよりも夜明けに近い。 ・・・姉さん、ずっと起きているのかしら。疲れて舞台の上で寝てしまっているのではないかしら。 大テントを見やれば、舞台の位置にぼんやりとした灯りが見えた。マーニャは起きている。そしてあそこで踊っているのだ。 何か暖かいものを持っていった方がよいのでは。と思ったが、首を振る。姉はそんなことをしてもらいたいのではない。…きっと。 何もできないが、眠ってしまおうとは思わなかった。マーニャが起きているなら、自分も起きていよう。起きていたからといって益になるわけではない。しかし眠ってはいけないような気持ちがした。 （姉さんをお守り下さい・・・） 目を閉じてそう祈る。ゆっくりと目をあけると、その目にとんでもないものが飛び込んできた。マーニャがこちらに向かって歩いてくる。その身体はふらふらと左右に揺らぎ、左手の先からは何かが地面へとぽたぽたと落ちている。血だ！ ミネアは走り寄って姉の身体を抱いた。途端にぐにゃりと体が崩れその体重を支えきれなくて二人で地面に座り込む。ミネアが唱えた回復呪文ですぐに二の腕からの血は止まったが、ミネアは力を振り絞ってマーニャの脇に腕を差し入れ立ち上がり、テントまで運んで敷物の上に姉を横たえた。 「姉さん、一体どうしたの！こ、これは刀傷じゃないの！」 姉に水を一杯飲ませてからミネアは怒鳴った。 マーニャは微笑んでいた。 「ミィちゃん、心配しないで。斬られたわけじゃないから。……剣舞って難しいのね…。……剣を振り回すつもりが振り回されちゃった。バカね。」 「そ、そんな、剣舞って、……剣士が鍛錬の為に舞うのならともかく、姉さんのような踊り子が踊る時に持つ剣は模造刀でしょう。それなのになぜ。」 「……手近に模造刀がなかったから……捜しに行くのも面倒で、護身用の短剣使っちゃった。あはは。ほんとにバカやっちゃったわ。血、初めはすぐに止まるかと思ったのに、いつまでもとまんなくって、ああ、これはまずいって思って……でも、さっすがミネアね。こんなにすぐに血が止まった。」 ミネアがマーニャの隣にすとん、と腰を下ろした。 「姉さんの馬鹿！」 そう叫んだものの、ミネアは次の瞬間、マーニャに取りすがってわんわん泣いていた。マーニャは妹の髪をよしよし、というように優しく撫ぜ、そっと梳いた。そして、立ち上がった。 「ありがと。……じゃ、また、あたしは行くね。」 すたすたと再び大テントに向かう姉の後姿にミネアは小さく“姉さん、無理しないで”と呼びかけたが、マーニャはひらひらと右手を振って見せただけだった。 それから戴冠式の日までは、マーニャにとっても群舞の娘たちにとっても楽団員にとっても修羅場続きだったらしい。“らしい”というのはミネアは稽古場を覗かなかったからだ。ただ、通常の舞台がはねてから、特別の練習が行われ、その稽古から戻ってくる娘たちの何人かが泣いていたのを彼女は知っていたし、遠くから聞こえるマーニャと楽団員たちの罵り合いのような叫び声をドキドキしながら聞きもした。やがてハバリアでの公演を無事に終え、戴冠式に向け、団長、楽団員、踊り子、そしてミネアはキングレオ城にその身を移した。各国から招かれていた王族たちが続々と到着する中、ミネアは不安な気持ちを隠せなかった。姉や楽団員の人々の張り詰めたような表情から、今度の祝祭舞踏は普通のものでないことはわかっていた。あまりに胸騒ぎがして、水晶球で占ってみても、占いの理通り、はっきりしたことは何も映らない。 他の団員と違い、他にすることもなく、中庭のぽかぽかした陽だまりでそっと小さな息をついていると、光の中に大きな影法師がうつった。目をあげると、懐かしいバトランドの王宮戦士が軍服を着て真っ直ぐに立っていた。 「ライアンさん！お久しぶりです。」 深々と腰を折るミネアに、ライアンはそれに負けぬほど深く一礼した。 「我が王より、ミネア殿とマーニャ殿がこちらに滞在しているとうかがっていたのだが、時間がとれず挨拶することができなかった。すまぬ。」 いえ、いえ、そんな。ライアンさんはお仕事がおありなのですもの。こうしてお会いできて嬉しいです、といいつつ、ミネアは自分の目から涙がこぼれているのに気付いた。ライアンは眉根に皺を寄せ、ミネアの前にそっと手拭を差し出した。 「す、すみません。泣いたりして。」 厳つい顔をした王宮戦士は構わない、というように手拭をミネアの手の上に載せた。 「……マーニャ殿のことが気がかりか？」 言われて、ミネアは、そうか、自分は心細かったのだと気付き、こくんと頷いた。 「・・・･･･私もマーニャ殿のことは様々な人々から聞いている。そしてまた、遠くからであったが舞踏の稽古場を垣間見た。……マーニャ殿は、燃え広がる炎のように激しく踊っていた。……イヴラスを倒すまでのあの戦いの旅の間ですら、マーニャ殿のあのような鬼気迫る表情は見たことがない。目の下に隈を作り、髪が乱れようと手櫛で直そうともしなかった。」 ミネアが息を呑む音がライアンに聞こえた。 「……余計に不安がらせてしまっただろうか。いや、ミネア殿。……マーニャ殿がそのような状態にあるからこそ、あなたの不安は無用だ。……マーニャ殿には、自分が何を舞おうとしているのかもうはっきりと見えているのだ。だからこそ、体の動きが想いと一つになるようにと自分を痛めつけている……ミネア殿、姉を気遣う持ちはわかるが、戴冠式の日を心安らかに待つがいい。……マーニャ殿は、日常に於いては随分といい加減なところをお持ちだが、今度の祝祭舞踏についてはそのようなことは全くないと私は断言できる。」 そうだ、言われなくともわかっていたことだ。マーニャはきっと素晴らしく舞うはずだ。…しかし、それはいったいどんな舞踏なのか。楽団員と罵り合いをするような内容とはいったいどんなものなのか。いや、いや、信じてあげなくては。自分が姉を信じずに誰が信じるというのだろう。 “マーニャ殿を信じなさい” ライアンに言われ、ミネアは少しだけ微笑んだ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 戴冠式の前日、マーニャは初めて与えられていた部屋に来た。ミネアと短い会話をし、星が輝きだす時間にはもうぐっすりと眠っていた。毛布の上に出た腕には、いくつかの擦り傷があり、ミネアはそっと掌をあてると呪文を唱えて優しく癒した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 戴冠式は、日が沈んでから厳かに始まり、厳かに終了した。“進化の秘法”の実験場となっていた、おどろなる城の気配など、この場には全く存在しない。邪神の像も、血の跡も、新たな世界の始まりにおいては忘れ去り、隠さねばならぬものであった。神々に祝福された清浄なる空気の中で、まだ少年の域をやっと脱したばかりの青年王、アレクサンドル=レパード王は、諸国の王達の臨席のもと、キングレオの王であることを神の名のもとに宣言したのである。 小さな金の冠を戴いた薄茶の髪をこげ茶の髪留めでとめて背中に流した青年王は、暖かな茶の瞳で人々に謝意を表すようぐるりを見回したが、舞踏を披露するため待機しているモンバーバラ大劇場の人々に視線が届いたときに、瞳が揺れた。自らの希望で彼らを招待したレパード王であるが、まるでマーニャを恐れているかのように、その目に不安が浮かんでいる。 「これより祝典にはいりまするー。モンバーバラ大劇場によりますー、戴冠式を祝うー、奉納舞踏ー。」 大臣の一人が宣言し、ファンファーレが鳴る。大広間の一段低いところに作られた舞台にマーニャ達は移動する。蝋燭は消され、灯りは舞台の両脇に設置された魔法の灯りである。その灯りには黒い布が掛けられ、舞台は暗い。そこに洒落た形のランプを手にしたすっと団長が進み出、頭を下げる。 「これから諸国の皆様にご披露させていただきますのは、我が劇場の舞姫、マーニャ嬢によります、“祝祭舞踏”でございます。至らぬ芸ではありますが、なにとぞご容赦のほど、お願いいたします。」 団長はランプを消した。あたりは暗闇に包まれる。 と、魔法の灯りにかけられていた黒い布が一斉に外され、舞台は昼のような明るさとなった。激しく銅鑼が鳴らされ、景気の良い小気味良い音楽が始まる。古くからこのリオレラ大陸に伝わる祭りの音楽だ。それとともに舞台脇の大きな衝立から、華やかな紗の衣装に身を包んだ二十人の娘たちが川の流れのように連なり現われ群舞を踊る。手にしたカスタネットを軽やかに打ち鳴らし、袖に結んだリボンが音楽に合わせてひらひらと翻る。ほうっという声が人々から上がる。その中に走り出てきたのがマーニャだ。いつもの舞台と同じように艶やかな笑顔を浮かべたマーニャは、高く跳躍し、激しく回転し、まさに炎の申し子のように情熱的に踊った。群舞の娘が両脇に消え、一人となってからも、舞台の端から端まで余さず使い、柔らかな娘らしい体の線をアピールしつつも力強く彼女は踊る。 しかし、その見事な踊りは目茶目茶な打楽器の強打で終結した。嵐のような銅鑼や太鼓の音に揉みくちゃにされるようにマーニャの身体は止まる寸前の独楽のようにがくがくと不自然に揺れ、そのまま倒れてしまった。 人々はざわめく。そのざわめきなど構わず、ラッパの音が響きわたった。新たな音楽が始まる。しかし、これは音楽といってよいものだろうか。それは聴いているものの神経を逆撫でするような旋律で、もう一本のラッパの音が被さったが、完全な不協和音であった。弦楽器はずり上がり、ずり下がるような音形を繰り返し、魔物が甲高く叫ぶような音を横笛が奏でる。 そんな音楽を背負って立ち上がったマーニャは、不敵に笑っていた。少し長めの短剣を両手に持ち、その刃を灯りにひらめかせて踊る。振り下ろし、横に払い、喉笛を掻き切る。紅を塗った唇を哄笑するように大きく開く。それは人間を苦しめ命を奪って笑う悪鬼の姿。 キングレオの家臣たちが踊りをやめさせるために動こうとした。それをレパードが制止した。 まだ彼にはマーニャの意図がわからなかった。しかし…彼はこのモンバーバラの踊り子を信頼していた。この踊り子は間違ったことはしない、と。 舞台上のマーニャがまたばったりと倒れた。 横笛が響く。しかし、それは先程までの激しいものではない。それは春になって小鳥たちが囀るような優しい音色だった。一本の横笛だけの音が響く中。マーニャはそっと上半身を起こす。そして、初めて世界を見た人のように、目を大きく開いてゆっくりと頭を巡らした。 そして彼女は笑った。 邪気なく。 子供がそうするように。 天使がそうするように。 この地に平穏が戻った時に多くの人がそうしたように。 ゆっくり彼女は立ち上がる。そしてゆっくり歩く。水面を妖精が歩いていくように。 その踊りに激しさは微塵もない。彼女はゆったりと腕をあげ、すうっと頭の上にまで上げ、その手を少しずつ前方に下ろし、舞台を注視する人々に何かを差し出すように伸ばした。 レパード王はマーニャが何を踊っていたのかを知った。彼女が踊ったのはこの国そのものだった。この祝典の中にあって、彼女は敢えてこの国が、いや、レパードが一番忘れたいと想っている、この国の暗い歴史を踊ったのだ。それは消えないことだから。そして、あの苦難があったからこそ、自分たちはこの平穏を尊いものと噛み締めているのだから。 祝祭、とは苦難を乗り越えた人がその中央にいるはずのものだから。 マーニャは笑う。すべての人に笑いかける。その姿は、悪鬼でも、炎の申し子でもなく、命を育む女神そのものだった。手を差し伸べるマーニャの動作に応えるように手を差し伸べている者も何人も居た。舞台の中央に進み出てマーニャは再び手を天に向かってゆっくりと掲げた。 横笛の長い長いトリルのあと、舞台は暗転した。 割れるような拍手の音。再び灯りがついたとき、舞台上には踊り子全員と楽団員が並んでおり、中央にマーニャと団長がいた。 揃ってお辞儀をするとき、マーニャは自分の体がぐらりと傾ぐのを感じた。ま、いいか、最後まで踊りきったあとだから、だらしなくのびちゃっても勘弁してくれるわよね。 しかし、彼女の身体はくず折れなかった。消耗しきった彼女の様子を気遣い、労おうと前に出てきていたレパード王が彼女を抱きとめてくれたのだった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 月明かりの中、城の中庭でマーニャとミネアは並んで座っていた。 「姉さん、いいの？宴会、まだ続いているんでしょう？」 マーニャはふふふ、と笑った。 「いいのいいの、お酒の一番おいしい奴はちゃんと飲んできたから。」 そして頭を掻いた。 「さすがに、これ以上飲むと潰れちゃいそう。今日までいろいろ無理してたから。」 ミネアはくすくす笑った。 「あーら、姉さん、今まで、宴会で潰れることを気にしたことなんてあったかしら？」 「……今回は別よ。これ以上あの王様に介抱なんてされたくないわよ！」 あら、そこなの、とミネアは爆笑した。そして、きゅっとマーニャを抱きしめた。 「な、な、なによ。」 「今日の踊り、とっても素敵だったわ！さすが姉さん！」 「あったりまえじゃない！マーニャ姉さんは世界一の踊り子なんだから！」 そうね、世界一だわ、少なくとも今日は世界一よ。…なによ、あたしはいつだって世界一だわ、と姉妹は笑いながら応酬し、ミネアは何か飲み物をとってくるわ、と立ち上がった。マーニャは仰向けに寝転がる。 「踊りっていろいろあるのよね。」 今まで、彼女ははじけるような踊りを身上としてきた。高く跳躍し、くるくると回転し、駆け抜けるような激しい踊り。しかし、彼女は今度の舞踏で、“静かな踊り”の持つ力を思い知らされた。人間本来の動きよりもずっとゆったりとした舞。それは自分には似合わないと決め付けていたが、舞には似合うも似合わぬもない。舞とは自分の心を表現する一つの手段だからだ。 「30過ぎたら踊れなくなって、そしたら引退してどっかの誰かさんのところにでも押しかけようとおもってたけど……やろうとすればもっともっと続けられるかもね。…あはは、そしたら押しかける暇なんてないか。……実際、どこまで私は踊りを続けられるのかしら。」 「……それは一生であろう。」 ライアンの低い声がして、マーニャはぱくぱくと口を動かした。 「ラ、ラ、ラ、ライアン、き、き、き来てたの!?」 「・・・・何日か前にマーニャ殿とはすれ違い声をかけたのであったが、はやり気付いてはおられなかったか。」 「へ？は？わ！あたし…ごめんなさぁい！え？何日か前っていうと、もしかしてあたしがズタボロでブツブツ言ってて寝不足で目が血走ってたあたり？」 重々しく頷く王宮戦士にマーニャがぎゃあぎゃあと騒ぎ、ライアンは苦笑した。 「…素晴らしい舞であった。」 「あ、有難う。」 そのあとどう会話を続けてよいかわからなくなり、マーニャは無理に話題を戻した。 「さっき、一生、っていってくれたけれど。…いつか身体が動かなくなる時がやってきたら私は踊り子じゃなくなるわ。」 ライアンは重々しく首を横に振った。 「私は命ある限り、剣士であろうと思う。……マーニャ殿。あなたは私が歳をとり、体がきかなくなったならば、私は剣士ではなくなってしまうと思うのか。」 マーニャは、まいったな、と思った。そして微笑んだ。 「そうね。そうだわ。私、腕一本、いえ、指一本でも動く限りはきっと踊り子であり続けるのでしょうね。」 「私も、踊り子であり続けるマーニャ殿が好ましいと思う。」 とライアンはいい、話は変わるが、先程の”押しかける”というのは何のことなのか、としかつめらしく訊いて来て、マーニャは固まった。 「拠点を移すということならばミネア殿にも知らせておいたほうがよいかと思うが…」 （この朴念仁が！あなたのところに押しかけようってことじゃないのよッ！） 心の中では大胆に叫べても声としては出せない。居心地が悪くてあたりを見回せば、そこには飲み物を持ったミネアが木の幹に半ば隠れるように立っていた。 「やっほー、ミネア、ありがと！喉、カラカラよぉー！」 「姉さん、どうしてそこであたしを呼んじゃうのよ！」 何もわかっていないライアンは姉妹を優しく見守っていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「いつかバトランドに押しかけるわよ〜！待ってなさいね〜、そして一生あんたのとこで踊り続けるんだから〜！」 遠ざかっていくバトランド王一行の列に、城の尖塔から叫ぶ姉の脇腹をミネアは小突いた。 「姉さん、本人に聞こえないところで怒鳴っても意味ないと思うんですけど？」 「いいのいいの、ほっといてよ。この鈍感朴念仁！あたしのとっておきの踊りはあんたのためにとってあるんだからね！大体あんたにあたしのこととやかくいう資格はないわ。ったく、あんたこそ意気地なしのくせして！ほら、ミネア、叫ぶとストレス解消になるわよ！叫んだって誰の迷惑にもならないんだし。」 ミネアは呆れた顔をしたが、すうっと息を吸い込むと控えめながら叫んだ。 「大好きです!……オーリン。」 「ミィちゃん、そこだけ小声になっても意味ないと思うんだけど？」 「だだだ、だって恥かしい。」 「はは、いいじゃないいいじゃない、ここで叫んでも何が変わる訳じゃないもの。何をどうしたって、あたしたちはあたしたち。時がたっても変わってしまうことはないわ。過去のあたしたちの上に今の私たち、そして未来のあたしたちが居る。十年後、二十年後、あたしたちがどこで何をしているのかはわからない。でも、どこでどうしていたって、そこには占い師のミネアと踊り子のマーニャがいるんだわ。そうでしょ。」 そしてまた、朴念仁！とマーニャは叫ぶのだった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 尖塔からの叫び声をはっきり聞いてしまったレパード王が、彼女らのために一肌脱ごうとし、しかしその方法がわからなくて苦悩する、などとは姉妹のあずかり知らぬことであった。 |
| キリリク（マーニャ＆ライアンのその後）を念頭においたものの、なんだか激しく方向性が違ってしまいました。Ａｋｉさんごめんなさい。今はまだこれが精一杯…このお二人さんは大好きなんですが、ミネアにしろ、マーニャにしろ、30近くなってからが勝負(?)のような気がしてなりません。オリジナルキャラクターのレパード君のみが二人の心の声を聞いてしまったわけですが、余計にこじれそうですし。 踊り子として生きる姐さんの心意気が少しでも書けていれば幸いです。 大変長期にわたる代物になってしまい、お待たせしたことをお詫びいたします… |