| 祝祭舞踏 1 |
「ふぁー！ もう……もう飲めなぁい……」 ミネアは大きな寝言を耳にし、ちら、と寝台の方に目をやったが、ベッドからだらりと手足を垂らしてうつ伏せに寝ている姉のマーニャの姿を確認するとくすっと笑って膝の上にある縫い物に目を戻した。ワインのビンに囲まれている夢か、ワインの海で溺れている夢でもみているのだろう。 港町、モンバーバラは真夏の太陽が真上からいささか厳しいほどにその光と熱を投げかけている。街の人々は日中は家屋の中で大人しくしており、太陽が地平線に沈みかけ、熱風が心地よい涼風に変わってから活発に活動を始める。そして、軒を並べる商店が活気を帯び、この街一番の賑わいを見せる頃、モンバーバラ大劇場もその幕を上げるのだ。 当然、劇場の看板スターである踊り子マーニャも夕刻が仕事の始まりであり、劇場の閉まる真夜中まで休憩を挟んで三回の舞台をこなす。そして、公演が終わっても、すぐに彼女の休息の時は来ない。団長を交えて他の踊り子や楽団と今日の出来がどのようであったかを確認し、納得がいかないところはその日のうちに練習するのだ。“ずぼらでいい加減”を売りとしている（本人はまったくそのつもりはないようだが）マーニャも、踊りに関してだけはいつも真剣である。酒瓶を片手にふにゃあ、という顔をしているだらけた時と、練習している時の眦を上げた眼光鋭い顔を比べてみるがいい。踊り始めてからの、つま先から指の先まで神経の張り詰めた体の線を見てみるがいい。そして、踊っているときには、目には見えない“何か”がこの踊り子の体全体から発せられているのも感じることができるはずだ。それは炎のような情熱であり、彼女の命の輝きそのものだ。それを一度でも経験したら、妹のミネアでなくとも“人というのはこんなにも変われるものなのだ”とあきれつつ驚愕するに違いあるまい。 昨日は“踊りにどうしても納得がいかないわ”と言い、一人残って明け方まで踊っていたというから、日中こうしてできの悪い魚の干物のようにベッドで伸びていても少しは大目に見てあげなくちゃ、とミネアは物音を極力たてないようにして針を動かしていた。 ミネアも夜は遅い方だ。彼女の生業である占いの客が来るのはやはり圧倒的に空に星がある時間帯だからだ。しかし、ミネアは姉と違ってなるべく朝早く起きるようにしている。日差しが強い昼には仮眠を取るが、どうにも姉のように昼過ぎまでずっと寝ているというのは性に合わないのだ。良い悪いというより、こればかりは性分なので仕方がない。 と、コンコン、と大きなノックの音がした。 「マーニャちゃん、ミネアちゃん。今、いいかな？ 大切な話があるんだが」 団長が“大切”というからには重要なことなのだろう。ミネアはマーニャを揺り動かし、“ほえ〜？ ”という意味不明な声をあげながらマーニャがベッドの上に起き上がったのを確認してから戸を開けた。 「ああ、寝ていたのかい。すまんね。しかし凄い報せなんだ！ いやあ！ 我がモンバーバラ劇場も世界的に有名になったもんだな！ うんうん！ 」 ふあー、と大きく伸びをしていたマーニャは手早く髪を撫で付けると目をらんらんと輝かせて団長の前にずいっと進み出た。 「団長！ もしや、どこかからお声がかかったとか？ 」 こくこく頷く団長にマーニャはにまあっと笑う。 「どこ？ うわあ、サントハイム以来の引越し公演ねッ！ 今度もどこかの国からじきじきのお誘い？ 」 なおもこくこく頷いている団長に、マーニャはくるっとつま先回転してみせみせた。手は胸の前でぎゅっと組み合わされている。 「うわぁ！ そしたら、美味しい食事に美味しいお酒が出て……うふふふふー」 （姉さん……よだれ出てる……） ミネアはため息つきつつも心は躍っていた。引越し公演は本当に楽しいものだ。大きな馬車を何台もしたてて街道を行き、馬車から見るいつもと違う風景に歓声をあげ、時には道行く旅人に芸を見せる。……公演が目的ではあるが、実のところ息抜きを兼ねた旅行なのだ。王侯貴族に呼ばれたとなれば、旅費はあちらもちだし、マーニャの言うように飲食についても何も心配することがない。きっと他の連中も姉と同様小躍りしているだろうことは想像するに難くない。 「で、団長さん、場所はどこ？ エンドール？ 」 団長は笑顔で首を横に振る。 「ええっと、スタンシアラ？ 」 また団長は首を横に振る。 「んーっと、じゃあ、意外なところでボンモール？ 」 またまた団長は首を横に振る。 「またサントハイムってのはなさそうだし。うえええ？ ま、まさかド田舎のソレッタとか？ まさかまさかの女しかいないガーデンブルグ？ 」 まだまだ団長は首を横に振る。 「……ってことは……あ、あの石部金吉の朴念仁大集団の王宮戦士が城でくだ巻いてるバドランド!?」 も一つ団長は首を横に振る。むろん、マーニャの頬にうっすらと朱がさしていたことはミネアにしかわかってはいない。 「ううううううううううう？？？？？？？ ま、まっさか、まっさか、天空城!? 」 「マーニャちゃん、いくら何でもそれはないだろ？そんなに遠出はしないよ。ほら、灯台下暗し。身近なところを忘れないでおくれ」 マーニャは腕を組んで考えていたが、目を吊り上げて叫んだ。 「まっさかキングレオ!? 」 今度は団長はこくこくと首をたてに振った。マーニャはどーんとベッドに倒れこんだ。先程の“魚の干物状態”に逆戻りだ。 「パス！ 絶対パス！ 皆で行ってきて。あたし、皆がびっくりするほどしっかり留守番してるから。地獄の魔王が復活しようともあたしがモンバーバラ大劇場を守ってみせるわ。……そんなわけで、団長さん、いってらっしゃーい！ 」 「？ な、何を言うんだい。マーニャちゃん、陛下からのじきじきの話なんだよ。ほーら、見てごらん！ 新生キングレオでの戴冠式だ」 団長は城からの正式な使いに渡された巻紙を拡げてマーニャに見せる様に掲げた。 マーニャは半身だけ起こし、 流麗な文字で王家の紋章の入った紙に書かれた手紙を面白くなさそうにちらっとだけ眺めた。不機嫌そうに口を尖らせる。 「……何だっていまさら戴冠式なの？ 王様になってから一年以上経つじゃない」 「戴冠式はまだだったろう。王族さんってのは、他の国との付き合い上、ああいう儀式はやらないわけにはいかないんだろうけど、国が落ち着くまではお金のかかる儀式はしないとレパード陛下は頑なに宣言していらしたからねえ。考えてみりゃあ、他国の王侯貴族をこのリオレラ大陸に招くのは、陛下は初めてじゃないかね。その祝いで城下での公演を頼まれ、しかも王宮に特別に舞台をつくってくださり、来賓の方々の前で戴冠を祝う踊りをぜひマーニャちゃんに、と御所望になったんだよ！ さすが目が高い！ マーニャちゃんの踊りは天下逸品だからねえ！ マーニャちゃんなしじゃ、リオレラ大陸の夜は明けないってことをちゃあんとご承知だ」 「とにかくパス！ ゴメンね、あたし、あの王様に会うのだけは勘弁！……なんか、こう」 モンバーバラ随一の踊り子はぎゅうと右の拳を握ってはあっと息を吹きかけた。 「なんっていうか、……顔を見たら殴っちゃいそうで……団長さん、あたしが王様殴ったら責任とってくれる？ 」 物騒なことを言うマーニャに団長は何か言いかけたがミネアが割って入った。 「すみません、姉さんってば起きたばかりで不機嫌になっちゃってて、あの、もうちょっとして姉さんが完全に目が覚めてから改めてお話を伺いますからッ！ すみません！ 」 団長を押し出すようにしてドアを閉めると、ミネアは心持ち首を傾げ、こちらに背を向けてベッドに転がり、寝た振りをしている姉を見おろした。 「姉さん。……気持ちはわからないじゃないけれど……レパード王は悪い人ではないのだし……みんなも引っ越し公演を楽しみにしていると思うし……実際、姉さんがいないと始まらないっていうのは事実でしょう？ 」 マーニャは答えない。 「それに……私は思うの。レパード王だって姉さんにお祝いの踊りを頼むのはきっととても勇気がいったのじゃないか、って……あの事件のあと、自分を殺しかねない勢いで罪を悔いて居た人よ。あの事件に深く関わっていて、事情を知っている人、例えばアリーナやアレクや私や姉さんが目にはいったら、きっと胸が痛むに違いない。あの人はそういう人だわ。姉さんだってそう思うでしょう？ でも、敢えて姉さんを呼んだ。それが何故か考えてみて。いろいろな国の方々をおもてなしするには、姉さんの踊りこそが相応しいって思ってくださったからよ」 マーニャは答えない。ただ、上になっている右足をあげて左足をポリポリと掻いた。 「姉さん！ 」 語気荒く叫ぶとぶーたれた声が帰ってきた。 「あたしを呼んだのは、奴があたしの踊りに悩殺されちゃった、ってそれだけのことでしょ。あーあ、魅力的だっていうのも面倒なことよね〜。あたしってつくづく罪作りな女よねーー」 ミネアは吹いた。 心底嫌そうな姉のベッドの傍にミネアは椅子を移動させ、水晶玉をもってくると両手で包むように胸の前に掲げ持った。マーニャはむっくり起き上がった。理由はよくわからないが、ミネアが占いをするときには、だらしなく寝転んでいてはいけない気がしたのだ。 「？ 何を占うっていうの？ 」 「今度の引越し公演のこと。……きっといいことがある、そんな予感が私にはするの。自分達に関わっていることは水晶玉ははっきり教えてはくれないけれど、それでも占ってみるわ。漠然としたことなら何かわかるかもしれない」 ミネアが紫水晶の目を閉じて強く念じると水晶玉は柔らかな光を発し、もやもやとした像を映し始めた。 「何かしら……よくわからないわ、この感触。……でも……これだけはわかる。……私達は、とても懐かしい人に会うわ。……それは姉さんにとっても私にとっても懐かしい人……そしてその再会が……姉さんのこれからの運命を……大きく変える……それはとても素敵なことで………お願い。それはどういうことなのかはっきり教えて！ 私に未来を見せて……ああ……」 ミネアの落胆のため息と同時に水晶玉は光を失った。やはり自分達に深く関係したことは占えないのだ。しかし、妹娘はにっこり笑った。 「姉さん、というわけ。旅に出れば懐かしい人に会うわ。そして、その人が姉さんの運命を変えるの！ ……それって誰かしら！ 私にとっても姉さんにとっても懐かしい人で、そのお祝いに呼ばれていそうな人って……王族とか、それから王族のお付きの人とか？ 」 マーニャは枕を投げつけた。 「こらあっ！ 私をおちょくる積り!? 百万倍にしておちょくり返すわよ！ 」 鼻のあたりを赤くするマーニャに対し、ミネアは顔色一つ変わっていない。 「おちょくるなんて……今いったことは本当に水晶玉が私に告げたこと。旅に出なければその素敵なことはきっと永久に起こらない。姉さんがそれでも良ければ我侭言って団長さんを困らせるといいわ」 マーニャはうーん、と唸っていた。ミネアの占いは外れることがない。ミネアが出会うと言えばきっとその“誰か”に出会うのだ。そして、それが自分が想像している相手ならば、確かにマーニャはその人物に再会したかった。……生真面目で朴念仁でいつも顰め面をしているバトランド一の王宮戦士。彼に再会しても自分が心に想っている“あぁんなことやこぉんなこと”を今現在吐露することはないのだが、それでも会いたかったのだ。 「……あー、わかったわかった。皆に迷惑かけるわけにもいかないしね。……しゃーないか。あの王様はやっぱり気に食わないけれど、頼みを断ったとあっちゃあモンバーバラの芸人の気風が疑われちゃうものね！ よーし、団長さんのところに行ってくるわ。じゃ！ 」 ぴょん、とベッドから跳ね起きるとマーニャは跳ぶ様に廊下に走り出ていった。ミネアは笑う。 「姉さん……判り易すぎ」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それから一ヵ月後、モンバーバラから十台の馬車に分乗し、モンバーバラ大劇場の面々は北に向かって出発した。以前サントハイムでの引越し公演の際は、精鋭を集めた旅で、モンバーバラに居残っていた者も多かったが、今回はほぼ全員だ。まだ芽の出ない前座の漫才師も、ステップに不安定さが残る、まだ十五歳の少女ダンサーも、自分の芸に必要な衣装や小道具の入った袋を傍らに置き、荷台から乗り出すようにしてはしゃいでいる。マーニャたちのように世界中を巡った者など殆ど居ない。これが初めての旅らしい旅だというものも居るのだ。 団長はすぐにキングレオに行くことはせず、まずハバリアを目指すことにした。ハバリアはリオレラ大陸随一の大きな港町。そこで二十日の公演を行うのだ。キングレオの城では未熟な芸人達は舞台に立つ機会は与えられないし、遊ぶことも許されない。たまには芸の道を離れて大きな街で息抜きをさせたいという団長の親心であった。 タンバリンが、カスタネットが鳴り、荷台から飛び出した軽業芸人がのんびり進む馬車の横で軽快にとんぼを切る。ボール五つでジャグリングをし、すれ違う農夫のびっくりした顔を見て微笑みながら優雅に挨拶してみせる。ハバリアってどんなお店があるのかしら、流行の服は？ 口紅は？ 母さんにお土産買わなくっちゃ。お金、足りるかなぁ？ とお喋りしあう踊り子たちの嬌声も多少賑やかすぎるきらいはあるが、開放された屋外ではそれとて耳に快い。 と、街道からわき道へ繋がる場所に、小さな一頭立ての馬車が止まっていた。御者台には大柄な男が座っている。それを見て、マーニャはあっと声をあげ、大きく手を振った。 「オーリン！ オーリンじゃないの!? 」 マーニャは自分が乗っていた馬車からミネアの手を引いて飛び降り、自分たちの今は亡き父、錬金術師エドガンが最も信頼していた弟子、オーリンのもとに駆け寄った。オーリンは相変わらず槍を携え、質素な身形をし、錬金術師というより槍猟師といった風であったが、尊敬していた師の娘達の元気な顔を見て、いかつい顔をほころばせた。 「マーニャお嬢様、ミネアお嬢様、お久しぶりです」 「本当に、手紙は頻繁にやりとりしていたけれど……キャッ！ 姉さん、やめてってば！ 」 マーニャはミネアの背を押して有無を言わさずオーリンの隣に座らせ、自分は逆隣に座った。 オーリンは“お二方とも相変わらずお元気ですね。”と笑った。 「はいはいはいはい、オーリンこそ元気でよかったわ。……しっかし凄い偶然ね！ ……う、私たちが再会する懐かしい人ってオーリンのことだったの？ ……えー、それじゃ、キングレオではあの朴念仁に会えないってことになっちゃうのかしら……」 複雑な表情をし、もごもごと独り言を言うマーニャの横でミネアがくすくすと笑った。 「姉さん、オーリンは私が呼んだの。手紙で、オーリンが用事があって北の方に行くってことだったから、だったら、私たちと一緒にいきませんか、って誘ったの。だから、大丈夫よ！ 」 何の話ですか、と尋ねるオーリンに、ミネアは内緒です、と言い、それより行きましょう、皆に置いていかれてしまうわ、と囁いた。あ、そうですね、とオーリンが手綱を動かすと、大きな体躯の農耕馬はゆっくりと歩き出した。 「それで、オーリンは北に何の用事があるのですか？ 」 ミネアが尋ねると、オーリンは低い、静かな声で答えた。 「新しい村ができたのですが、そこの人達に頼まれていたものがあるのです。以前にも３度ほど訪ねたのですが、具合の悪いことがありまして、それが改善できそうなので、今回またそちらに」 マーニャがふぅん、と相槌を打ってから言った。 「それって、錬金術に関係したこと？ 」 姉妹より年上の嘗ての従者は懐かしむような顔つきになった。 「はい。エドガン先生がお考えになっていた装置です。私は小さな変更を加えたにすぎません。もし、先生が生きていらしたら、きっと一回で村の皆さんの要望に応えることができたのでしょうけれど……まだまだ修行が足りません」 父親の名が出て、姉妹もまた、懐かしい気持ちになった。父の死、思えばそれが自分たちが光に導かれて魔王と化したピサロを討つ壮大な旅の始まりであったのだ。 前を行く馬車で、楽隊のメンバーが調子のよい曲を弾き始めた。マーニャが調子っぱずれの声で歌い、ミネアが笑い、オーリンが微笑む。 のどかな旅は、ハバリアの街の門をくぐるまで続いた。 かねてより団長が折衝していた通りに、十台の馬車は街外れの広場に止められ、すぐさまテントの設営が始まった。初めに子供たちが、そして、大人もやってきて何がおこるのだろうかとわくわくしながら様子を見守る。団長に二言三言囁かれた踊り子たちがたっと駆け出し、人々の前に出ると、しなを作って呼びかける。 「モンバーバラ大劇場、引越し公演でーす！ 」 「踊りに手品、軽業に小噺、どれを取っても一級品！ 」 「一週間後から始めまーす！ 」 「どうか来て下さいねー！ 」 一週間間を置くのは、芸人たちに休暇を取らせる為である。この七日間、遊びたいものは遊び、芸を磨きたいものは磨く。完全に自由な時間。それは団長が団員たちを信頼しているからこそ与えることができるのであった。 仲間の後ろからマーニャも鉄の扇を優雅に構えてバチっとウィンクした。 「そこのお兄さんたち、いい男を一杯引き連れて来て頂戴ねｖ」 投げキッスのおまけ付きで男たちはぽわん、と頬を赤らめた。 その時、マーニャは人垣の向こうに懐かしい顔を見た。信じられず、目をこする。いや、間違いない、あの人だ！ あの人がここに居る！ 急いで馬車に戻ってミネアを呼ぶ。姉の指差す先を見たミネアははっと息を呑んで手を口にあてた。目に涙が光った。姉妹が見つめる相手はそのときやっとこちらに気付いた。その人物は姉妹を見、大きく目を開き、ぽかんと口を開ける。 次の瞬間、懐かしい人の手をマーニャはぎゅっと握っていた。 「ああ、あなたに会えるなんて！！ 」 そして、懐かしい人も、マーニャの手をしっかりと握り締めたのだった。 |
| 88888HIT akiさんよりのキリリク「マーニャ＆ライアンのその後」。マーニャたちが再会したのは、あの人です。多分おわかりだと思いますが・・・どうにもバイプレイヤーに愛情過多で申し訳ございません。akiさん、ここまで、ライアンさんが全く出てきませんが、後編で必ず出しますのでどうかお待ち下さい。 |