目次に戻る 「姫さま！」 アリーナのあとから旅の扉に飛びこんだ瞬間、クリフトは異変に気づいた。 普通ならば、心と体がすうっと何もない空間に投げられたような心地よい感覚があるのだが、今回のそれは明らかにいつもと違う。大切な人を守ろうとして咄嗟にのばした腕は王女に届かず空をかいただけであった。 「姫さま！」 もう一度声を限りに叫んだが、王女の姿はかき消すように彼の眼前から消えた。歯軋りする彼を空間を満たす青く重いうねりが飲みこみ、神官は意識を失った。 「いたっ！」 したたかに腰を打ち、クリフトは目をあけ、木立の中に倒れている自分を認識した。 そこは旅の扉のほこらとは似ても似つかぬ場所。小さな、だが、よく整備された花壇、天に向かって伸びる大きなモミの木。目を空に上げれば見なれた二本の尖塔。 （サントハイム？） 彼は立ちあがって周囲を見まわしアリーナを捜したが気配は全くなかった。 （旅の扉の事故なのだろうか。まだまだ原理のわからない空間転移のしくみ・・・・姫さまが旅の扉のほこらに無事ついておられればよいのだが。） とにかく城の人々に知らせ、策をたてねばならない。 彼は木立から出、太陽がさんさんと降り注いでいる草地に出た。と、彼は目を見張った。 ぽかぽかとあたたかな白木造りのベンチにブライが座っている。膝には白猫が丸くなって眠り、宮廷魔術師の老人は房につけたまま乾燥させた干し葡萄をぷちぷちとちぎってはぽいと投げ上げ口で受け止めて味わっている。 「じいさま！」 クリフトの大声に白猫は逃げ、ブライもよほどおどろいたのか目を暗闇の猫の目のようにまんまるにして青年神官を見つめた。クリフトは老人のローブを握り、ゆさゆさと揺すった。 「何を暢気にしていらっしゃるのです！姫さまはご一緒ではないのですか！」 ブライは眉をそびやかす。 「この心配性め。それほど心配ならべったりとくっついておれ。・・・・それになんじゃい、古い神官衣を引っ張りだして。破れでもしたのか。」 クリフトは自分の装束をちら、と確認した。 「え？私はずっとこれを身につけておりましたが。」 なんとなく居心地の悪い間 ブライは、腕を組み、神官をじろじろと眺め、重々しく一つ咳をすると周囲をぐるっと見渡した。 「クリフト、よおっく聞け。ここは確かにサントハイムぢゃが、お前さんの認識からは3年ほどたっておる。」 「な、何を突飛なことを！」 しかし、クリフトはもう一度周囲を見た。そしてはあっと息を吐き出した。 「受け入れ難いことではありますが、じいさまの話は本当のようです。私の記憶にある若木がだいぶ太くなっていますし、じいさまの座っているベンチも丁度３年ぶんほど古びているようです。」 神官の冷静な観察眼、さすがである。 「なぜじいさまは、わたしが過去から飛ばされてきたとわかったのですか。」 うむ。とブライは頷き傍らに置いてあった魔道士の杖をもってくるりと回した。 「ひとつ。神官衣の色が違っておる。」 「は？ここでの私は何色の神官衣を纏っているのですか。」 高位の神官を示す色ではないことを祈りつつ尋ねる。 「深緑ぢゃ。お主のそれより一際濃い。」 「へ？」 おもわず間抜けな声を出してしまい、クリフトは口を押さえた。 「深緑・・・・って、じいさま！からかわないで下さい。そのような色の神官衣、わたしの知識のどこを捜してもありません！」 ブライはふう、とため息をつき、ちら、と笑った。 「そりゃそうじゃ。神官職としては王国始まって以来の役職じゃ。何色にしようか悩んだ末、”緑がクリフトのトレードマークだから、ちょっとだけ濃くすればいいじゃない。”という姫様のツルの一声で決まりおった。それだけではちょっとまあなんなんで立ち襟のところに銀糸でサントハイムの紋章を刺繍してみた。」 「はあっ？神官衣に銀糸で刺繍？私はいったい何をしているというんです？」 ブライは笑いを堪えているようだ。それには応えず彼の左手のあたりに視線を向ける。 「とにかく、まあ、今のおまえさんとちょ〜っとばかり違っているところがあって、気づいたというわけじゃな。そう思ったら、３年前に旅の扉を出たときのお前さんの様子を思い出し、ははあ、お前さんはあのときのおまえさんだと合点がいった。ま、立ち話もなんじゃ、座れ。何をぼーっとしておる。姫様のことなら心配無用じゃ。あのあときちんと旅の扉のほこらに到着しておられたからな。」 ぺちぺちとベンチを叩かれてクリフトは背筋を伸ばして正しい姿勢で座った。 「ほれ、食え。トルネコ殿が送ってくれた葡萄じゃが、とてもうまい。」 神官は素直にモグ、と大粒の干し葡萄を口に入れた。 「ここは本当に３年後のサントハイムなのですか。」 「だからいっておろうが。さっきから。」 神官は神官帽を膝の上に置き額に手をやった。 「空間転移だけではなく時間転移も？では神官学校で学んだ位相間跳躍の理論は間違っていることになってしまいますよね。ということは、つまりそのもとになっている位相形成原論そのものが・・・・」 ぶつぶついう神官のうしろ頭を杖の一撃が見舞った。 「はうっ！」 ブライはにや、と笑っている。 「お前さんは戻っていく身だ。折角だから現在のことをいろいろ聞いていくがいい。」 「はあ・・・・」 クリフトは目を閉じ、ゆっくりと目をあけた。 「あれから世界は安定したのでしょうか。」 ブライはにやにや笑いをやめた。 「そうか・・・・そうじゃな。お前さんは根っからの神官じゃった。・・・・まだ魔物の気配は失せない。瘴気を発する沼地などを調べると、必ずそこに魔物の巣がある。だが、3年前に比べて良い方向へ向かっていることは保証できるぞ。陛下も、姫様も、将軍たちも、もちろんわしもお前さんもがんばったのじゃ。」 アリーナの話が出て、神官は少し不安げに尋ねた。 「陛下はお元気なのですね。あの、姫さまはその後どのように？私は心配で・・・・・そのぅ・・・・・一緒に旅をしていて、王女としての心得をどうしてもうまく伝えられなくて、姫さまを反発させるだけで・・・・近くに長い間居すぎたのかもしれません。・・・・もっと厳しく接していれば良かったと・・・・」 ブライは大口を開けて笑った。 「心配するな。姫様もいつまでも子供というわけではない。今では立派に王女としての働きに目覚め、国民達からも慕われておる。ま、いろいろあったが。・・・姫様としては良い考えと思ったことが逆に騒ぎをもたらしたこともあった。」 端正なクリフトの顔に、それをどうぞ話してくださいと書いてある。 「例えばじゃ。姫様は姫様なりに考え、大規模な武闘会を催すことになされた。」 「舞踏会、ですか。」 ああ、やっと婿を迎える気になってくれたのだ。と冷静に受け止めている自分を少し腹立たしく感じながらも神官は穏やかに相槌を打った。 「世界から多くの人々が集まったが、その中には我が国の繁栄を快く思わぬものも紛れておってな。そこに悪しき魔族の介入もあって危機が訪れたのじゃ。あのときははらはらしたのぉ。こちらの隙をつかれた形になってしまい、ライアン殿とトルネコ殿の機転がなければ本当に危うかった。」 神官は目を見張る。 「ライアンさんやトルネコさんがいらしていたのですか？」 「ああ。姫様が是非に来て欲しいとおっしゃったので、８人全員そろっていたわい。」 「・・・・私は３年前に戻りましたら、このことを陛下に報告しますね。未然に危機を防ぐために。」 ブライは首をふる。 「それは無理じゃろう。ここで事件は確実に起こっているからの。おそらく、あっちへ戻ったとき、大部分のことをお前さんは忘れてしまうのだと思うぞ。古い文献にある時間渡りを試みた魔法使い達の記録から推測するとな。」 そうですか、とクリフトは残念そうに言い、黒くこげている城の外壁を指差した。 「さっきから気になっていたのですが、あの黒い部分はそのときの戦いの跡ですか？」 ブライはうんざりしたようにその部分を眺めた。 「アレをやったのはマーニャ殿じゃが、原因はお前さんじゃ。」 「？？」 「キレたマーニャ殿が悪いといえば悪いが、どうみてもお前さんにも非がある。」 「わ、私は何をしたのです？」 「・・・・・・知らぬ方がいい。・・・・とにかくミネア殿が怒ってお前の負った傷を治してくれなかったほどだ。アレク殿がぶつぶつ文句を言いながら癒してくれていたようだが。」 知らない方がいい？ミネアが怒るなど、そして、あのまっすぐな心のアレクに文句を言われるなど、一体自分はどんな極悪なことをしてしまったのだろうと神官は悩んだ。 「武闘会が再開されればされたで、お歴々の集まった前でお前さんはどえらいことをしてくれるし。」 どえらい？ ますます自分の未来に不安が広がるクリフトである。 「アレで聖地巡礼の旅がパァになったんじゃから。」 巡礼がパァ？神の道に反したことなのか？確かに自分に神に対する迷いはあるが。思いっきり誰の目にもわかるような非道なことをしてしまったのか？ 「ま、姫様は仲間が来てくれて始終嬉しそうだったし、お前の巡礼の旅がパァになったことについてもケタケタ声をあげて笑っておられた。わしも単調な日常から開放されて極度に面白いものを見せて貰って楽しかったぞ。そう落ちこむな。陛下も大層ご満悦であったのだぞ。それに、武闘会そのものは大成功じゃった。姫様も思い通りの者（兵士）が選べたとおっしゃってな。」 「そうですか。舞踏会で思い通りの方（男性）を・・・・・・あの、それでは、今、姫さまは・・・・」 ブライは白いひげをなでて自分の遠縁の青年を見つめた。 「なんじゃい？」 「姫さまは、今、幸せでいらっしゃるのでしょうか。」 ブライは目を細める。 「ああ、この間婿殿を迎えられ、とても幸せそうじゃ。相思相愛、美男美女で誰もがうらやむ仲じゃぞ。足りないところも補い合って王族としての責務を立派につとめあげておられる。」 神官の息を飲む音がし、たっぷり数瞬の間があった。しかし、口を開いたクリフトの表情は穏やかだった。 「良かった。」 ブライはこつ、と今度は神官の額を杖で打った。 「やせ我慢もたいがいにせい。お前さんの想い、わからぬブライではないわ。」 クリフトは微笑を続けている。それは無理やり笑っているのではなく、自然な、優しい・・・丁度彼がアリーナの小さな怪我を治すときのような笑顔だった。 「じいさま。私は私の想いを誤魔化そうとは思いません。おっしゃるように、その気持ちは奥底に持っておりますけれど、表に出すまいと心に決めています。神官でありながら最期の最期で神や人を呪うような私にその資格はありません。・・・本当に嬉しいのです。小さな頃から一緒にいてお守りしてきた姫さまが幸せになることが、私の夢の一つでしたから。夢がかなったんです。」 お前さんという奴は、という半ばあきれたブライの呟きが聞こえた。妙にしんみりした空気を吹き飛ばすようにクリフトはことさら明るく言った。 「それで、さきほどもお聞きしかけましたが、私は今、何をしているのでしょうか。」 ブライは何事か考えるように目玉をぐるりと回し、ひげに隠れて笑った。 「ディルト司教の補佐の任についておる。片腕と言われるほどに信頼をあつめておるぞ。それから、戦災孤児達のところをたずねては文字を教えたりしておるようじゃの。ふむ、それから、残念なことに姫さまの相談役はお役ごめんになった。」 「残念ではありませんよ。当然です。婿殿が居られるのに相談役などもう要りません。もう、私の手から離れて歩いていっていただきます。」 「・・・・誰がお主が姫様から開放されたといったか？相談役ではなくなったが、『姫様シリーズ』のお役はついてまわっておる」 「？？？？姫さまシリーズ？」 小さな頃はそば仕えだった。長い旅から戻って相談役になった。・・・・・王には執政官という政治関連の補佐がいるが、自分がそういった役目につくはずがない。 「ああ、陛下も、というより陛下が大いに乗り気で、抵抗したのはお前さん一人だけじゃった。もうここですでに２つの役職をこなしたぞ。初めに『姫様の○○○（漢字3文字）』今は『姫様の○○（漢字２文字）』ま、もう変わらんじゃろな。」 「そのお役目で私は何を???」 ブライは手のひらをひらひらとさせる。 「ああ、そりゃあ変わらん変わらん。姫様がつっぱしったときに身を挺して止めるとか、どうにも大雑把な部分をしっかり監督するとか、やっぱり今でも自由に暴れたがるのを説教するとか、魔物討伐に同行して回復や援護の魔法をかけるとか、姫様が悲しくなられたときに慰めるとか。」 「婿殿がおられるのにですか!?」 神官に怒鳴られ、ブライは耳に指を入れた。 「仕方ないじゃろ。姫様は小さな頃からお前さんと一緒じゃった。お前さんには何でもわかって貰えると思っておられるのじゃ。何かのおりにはどうしてもお前さんを頼る。」 「む、婿殿はそれで何もおっしゃらないのですかっ！それは根本的に間違っています。」 「・・・・婿殿は別段何も言わぬが。もはやこれはしかたない、自分の運命と思うておるに相違ない。」 クリフトはすっくと立ちあがった。 「じいさま、ご案内下さい。私はここにいる私と婿殿に意見をしたいと思います。姫さまのことを本当に想っているのなら、それは間違っていると。未来の私に暫く姫様のもとを離れ、巡礼の旅に出て頭を冷やせと言わせて下さい！私のような胡乱な男が婿殿を迎えた姫様の周りにいるなど正しいことではありません。」 ブライはぐっと神官衣のポケットのあたりを掴んで座らせた。 「止めい！婿殿と今のお前さんのことを一遍に考えるとわけがわからなくなる。それに、おぬしの巡礼の旅に出る案はパァになっとるというただろうが！それに、今城から出てもらっては困る。ちょっとばかりな・・・・姫様は具合が悪い。」 神官の顔色が変わる。 「ご病気なのですか。私がそばにいて尚、具合が悪いとなると、単純な怪我や病ではないということなのですね。」 「・・・・怪我や病ではないな。・・・・・姫さまにも責任はあるが、お前さんに、大いに責任がある。」 鹿爪らしくいうブライにクリフトは肩を落とした。 「魔物退治の折に、姫さまに何か妙な霊でも、憑依させてしまったのですか？あの、まさか、命に危険が・・・・・」 「ああ、大丈夫じゃ。時間はかかるが一年も経たないうちにまた元通り暴れまわれるようになるとわかっておる。ただ、具合が悪いのに、いつもと同じように弾みをつけて城内を走り回ろうとなさるので・・・」 言葉をきったブライにクリフトが首を傾げる。 「・・・・それを止めるために、おまえさんが後ろから羽交い締めにしていたり、ばたばたするのを抱き上げていたりもするな。」 「婿殿がおられるのにですか!?」 「何を真っ赤になっておる。・・・・姫さまはお前にそうやって注意されるのが嬉しいらしいぞ。」 「それは神の道に反します。人の道にも反します！」 ブライは微笑んだ。 「大丈夫じゃ。時がくればわかることじゃがおまえさんは何も罪を犯してはおらん。・・・クリフト、忠告しておく。お前さんは大切な者のことを考えようとして、そのときになるべく自分が幸せにならないような道を選んで行くきらいがある。それは間違いじゃ。大切な人間が何を求めているのかもっとよく見ることだ。それでお前も幸せになるのなら、それが一番のことではないか。」 神官はなにかよくわからない風をしていた。ブライはまた微笑んだ。 「わかっておる、わかっておる。誰がなんといってもお前さんの性格は変わらないのだからな。もういうな、ほれ、旅の扉が口をあけておる。」 クリフトが背後を振り返ると青い渦が空間に出現していた。 「今帰らぬと戻れなくなるぞ。さあ。」 クリフトは渦に向かい、後ろを振り向いた。 ブライが思い出したように口を開く。 「さっきお前さんは、夢が一つかなったと言ったが、このブライの夢、それもかなり大きな夢もここでかなっておるのだぞ。」 「それは・・・・・・？」 「まあ、いつか話そう。さあ、行け！」 ブライは乱暴に神官の背を杖でクリーンヒットした。 旅の扉に落ちたクリフトは再び意識を失った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「おう、やっと起きたか。心配させよってからに。」 背中をさすりながらクリフトが身を起こすと、そこは旅の扉のほこらだった。傍らではアリーナが横になっている。 ほっと息をつくと、ブライの呟きが背後から降ってきた。 「全く・・・・いつも酔う姫様はともかく、旅の扉が大好きなお前さんまでのびていてどうする。いざというときこれでは先が思いやられるぞ。」 何か夢を見ていた気がする。断片的には思い出せるのだが、全体が繋がらない。 「じいさま。私はこの旅が終ったら誰が何と言おうと聖地巡礼の旅に出ます。そうしないととてつもなくわけのわからないことが起こるような気がするのです。ええ、絶対に出かけます！胡乱な私がいつまでもいつまでも姫さまのもとにいてはいけないんです！ええ、正しいことではないんです！夢がかなってもあれでは駄目なんです！」 「なんじゃい？」 まくしたてたことに顔を赤くしたクリフトは照れ隠しをするようにブライに訊ねた。 「じいさま、じいさまには夢がありますか。」 ブライは横目でクリフトを見、うおっほんと大きく咳払いする。 「もちろんじゃ。国の安定と繁栄に決まっておろうが。ひとまずは姫様に立派な婿殿を迎えること、じゃな。」 「そうですね。愚問でした。」 ブライは可愛らしい微笑を浮かべて寝ているアリーナと、目の前で、生真面目に何事か考えているクリフトを優しい目で見た。 （わしの夢は、姫様と、お前さんと、どちらもが等しく幸せになることじゃ。そんなこともわからんか。） 夢はかなう、きっと。 人の心の奥底にある想いがあれば・・・・・ |
| なんか、すごくへんなモノを書いてしまいました。（後悔） ギャグのつもりで書いてましたが、最期まで徹しきれず（泣） どうとでもとれる、あやしい表現は読む方の想い次第で妄想するなり素直に受けとめるなり、 お任せ致します。（・・・・しかしクリフト、武闘会で何をやったんだ？） ブライが好きです。長生きして欲しいと思います。 |