その村はどんな旅人も立ち寄らないような険しい山の奥深くにあった。村人たちは旅に出ることもなく、この十七年の間ひっそりと自分たちの村の中で暮らしていた。 不思議なことに、こんな世界から隔絶された村だというのに、村人はみななにかしらの高い知識を持ち合わせていた。 薬草から薬をつくる名人、革細工の達人。攻撃の呪文に長けた魔法使い、世界の様々なことを知っている賢者。神の道を説き、回復の呪文をすべて知っている神官。武闘家もいれば優れた剣士もいた。人々は自分の持っている技術を毎日磨き鍛練することを怠らなかった。 もう一つ不思議なことがあった。それは村の中に子供の姿がないことだった。子供がいてもおかしくない年の夫婦者は何組もいるのだが、現在子供と呼べる者が居るのは、釣り師のグレッグとエリスの夫婦の息子と、薬草屋のワトールとソアラのところの娘だけだ。 子供といっても二人とももう十七歳。他に遊び相手もなく、グレッグの息子のアレクとワトールの娘のシンシアは幼い頃から兄弟姉妹のように仲良く育った。シンシアはアレクより半年年下で、呪文を使える母のソアラに習って簡単な呪文なら使いこなせるようになっていた。 一方アレクは呪文と共に剣の修業に精を出していた。 「いてーっ！」 アレクは剣の師匠のガイストにしこたま肩を打ち据えられた。綺麗な緑色の瞳の上の、意志の強そうな眉がちょっと歪む。ガイストは木刀でこつこつとアレクの深緑色の髪を叩いて笑った。 「どうも太陽が真上近くになると神経が集中できなくなるようだな。そろそろ腹の虫が鳴く頃か？」 アレクは大柄で細身のガイストの姿を見上げると口をへの字に曲げた。 「も、もう一本！お願いします！」 「よし、来い！」 小川のほとり、森の入り口でアレクはこうして毎日剣の腕を磨いた。稽古をつけてくれるのはガイストの他に大男のマーグニだ。激しい打ちあいが続き、アレクの木刀がガイストの懐に入りそうになった・・・・と思いきやガイストはかわしてアレクはつんのめった。 倒れたアレクをガイストが助け起こして座らせた。 「悔しいな・・・・」 アレクは羨ましそうに、立っているガイストを見た。 「今まで一本も打ち込むことができないなんてさ。」 ガイストは金髪碧眼の端正な顔をゆるませた。 「いいや。君は小さい頃に比べればずっと上達したよ。君が勝てないのは・・・・」 「僕が勝てないのは？」 「・・・・私が強すぎるからだ。」 アレクはぶんむくれた。 「アレク・・・・・君は強くなるさ。・・・・強くなってもらわねば困るのだ。」 アレクは草の上で胡坐をかいたまま呟いた。 「魔道士のジューザさんも同じようなことを言っていた。僕は呪文を自由自在に使えるようになる。使えるようにならなくては困るって・・・・僕はまだ、ほんの小さな火球をぶつけることしかできないのに。」 ガイストはアレクを立たせた。心なしか寂しそうに見える。 「アレク。私達が教えられるのは、ほんの小さなことだけなのだ。あとは君次第だ。君が私達を越えられるかどうかはね。・・・さあ、今日の稽古はこれで終わりだ。君は君のお母さんから何か頼まれているのじゃないかな？」 アレクは木の根元に置いておいたバスケットを持った。父のグレッグが釣りをしている湖まで昼食を届けに行くのだ。 「ガイストさん！ありがとうございました。また明日！」 手を振って走っていくアレクにガイストは手を振り返した。そして自分にあとどのくらいの時間、この青年を教えることができるのか考えていた。 「父さん！」 アレクがバスケットを届けに行くと、グレッグは大きな淡水魚を釣り上げた瞬間だった。魚篭の中には十匹以上の大きな獲物が入っている。 「おお、アレクか。ご苦労だったな。」 父親は釣り竿を横においてバスケットを受け取った。山のなかの湖はひっそりと静まりかえり、早春を迎えて早くも恋の歌をさえずり始めた小鳥の声だけがときおり聞こえる。 「父さん、今日も大漁だね。」 「ははは、漁師が魚を釣らなくてどうする。お前は昼ご飯を食べないのか？」 「ん？僕は家に帰って母さんと食べるよ。」 アレクはしばらく父親のそばに立っていた。アレクはこの間十七になった。しかし村の大人たちはいつまでも彼を子供扱いし、村の外に出ていくことを決して許そうとしなかった。アレクは今日こそは父親に村を出る許可を取りたいと思っていた。しかし、こうして向きあっているとどうしても言葉が出なかった。 「どうしたね？具合でも悪いのか？」 「ううん。いや、いいや。また明日にでもいうよ。じゃ、父さん僕は帰るよ。」 アレクは湖をあとにした。グレッグもまたガイストと同じようなことを考えていた。 ”私があの子と一緒にいられるのはいつまでだろう・・・・・” 家ではエリスがパンとシチューの昼食を整えて待っていた。アレクは優しく美しい母を愛しており、エリスもまた息子を何者にもかえがたく思っていた。 「おかわり！」 「・・・・もう、喰いしんぼうね。」 「剣の稽古はお腹が減るんだよ。」 「はい！食べるのはいいけれど、その分剣術の腕をあげるのよ。！」 自分の隣に座って食べ始める母親の言葉にアレクはふと疑問を感じた。 「ねえ・・・・母さん。なぜ僕は小さい頃から剣術や呪文を習っているんだろう。僕は漁師の子だよ。・・・・どうして剣術を・・・」 エリスはびくっとしたがすぐにくすくす笑った。 「アレク、あなたが言い出したのよ。習いたいって。お父さんはあなたを漁師にしたかったのだけれど、小さい頃釣りに連れていって、その場で漁師としての技量はまるでないとわかってしまったというし。・・父さんも母さんも、お前が家業を継いでくれなくても、将来皆の役に立つことを覚えられればいいと納得して・・・覚えていないの？」 アレクは二つ目のパンに手をかけた。 「母さん・・・・僕はいつになったら村の外に出られるんだろう。」 母親は果物をすすめた。 「それはお前が決めることでも母さんが決めることでもないわ。・・・・そうね。きっとそれはもうすぐ・・・・」 アレクはギクリとした。このところ、父や母を含めて村人の言葉や表情の中には何かしら暗い悲しみがある。それがなんなのか、アレクにはわからなかった。が、なにか重大な時が迫っているのを彼は感じていた。 昼食を済ませると、アレクはぶらぶらと村の中を歩き回った。老夫婦の家で薪割りを手伝い、井戸から水を汲んで台所の水がめを満たす。 彼は、村の出口に近い原っぱまでくると、淡いばら色の髪を後ろに束ねた少女が花を摘んでいるのを見付けた。アレクはこっそりまわりこんでうしろから少女を目隠しした。 「・・・・わかってるわ。アレクでしょ？放して！」 アレクが手を放すとシンシアは”悪い人！”というように軽くアレクの背を叩いた。そして編んでいた花飾りをアレクの首にかけた。 「ほら、風は冷たいけれど春がこんなに立派に来ているのよ。素敵ね！」 アレクはシンシアの横にごろりと横になった。 「本当だね。太陽の光が暖かく感じられるよ。」 シンシアもアレクの隣に仰向けに体を横たえた。白い雲が青い空にぽっかりと浮かび微風で北に向かって流れていく。 「・・・・ねえアレク・・・・私達、いつまでもこんな風に暮らせたらいいのにね。」 「急に・・・どうしてまた・・・」 シンシアは顔を曇らせた。 「ひと月程前に、旅の吟遊詩人がこの村に迷ってきたでしょう。村の掟ではよそ者はどんなことがあっても村のなかに入れないという定めなのに結局助けてあげたわ。・・・・それ以来父さんの様子が変なのよ・・・・・ううん。父さんだけじゃなくて、皆どこか変。人助けをしたから良くないことがおこるなんて私は思っていないけれど、とても不安なの。・・・・私、ずっとこの村で平和に暮らしたいわ。」 「僕は・・・・」 頭の後ろに両手をまわしてアレクは答えた。 「この村は確かに大好きさ。村の人達もいい人ばかりだ。・・・でも、僕は早く外の世界を見てみたいんだ。この世界には僕たちの予想もつかないほど大きな町や珍しいものがあるに違いない。大人たちはまだ村の外に出てはいけないと言っているけれど僕は近いうちに外の世界に冒険しに行きたい。」 シンシアは黙っていた。青い瞳が心なしか潤んでいる。 「シンシア？別に僕は村を出たまま帰ってこないって言っているんじゃないんだぞ。それに、君とここでこうして話をするのが嫌いだって訳じゃない。・・・・どっちかっていうこうしているのが大好きだよ。」 シンシアは涙を拭った。 「おかしいのよ。大人たちの心配が私に乗り移ってしまったみたい。今、アレクともうすぐ別れなければいけないってそんな予感がしたの。」 「いやだなあ・・・・シンシアの予感はよくあたるから気になっちゃうぞ。・・・・思うんだけど、旅に出るとしても・・・・君とずっと一緒だったら楽しいだろうな・・・いつも二人でいられたら。」 そこまで言ってから、アレクはあっと叫んで顔を赤くした。 「シ、シンシア。僕は呪文を習いに行くよ！」 起き上がろうとして地面についた手がシンシアの白い柔らかな手に重なった。シンシアも飛び起きて二人はその場で見つめ合った。 二人は、お互いに、今までのような無邪気な付き合い方を続けるのが難しくなってきたのを感じた。アレクはシンシアをいつのまにこんなに綺麗になったんだろうと思い、シンシアは、アレクが男らしく逞しくなったのを認識した。しかし二人はそのことはおくびにも出さず、シンシアはアレクの背を押し出して軽口を叩いた。 「自分の呪文で火傷しないでね！アレクはおっちょこちょいなんだから！」 「ちぇ！自分が魔法をうまく使えるからって大きなこというなよな！」 二人が別れてすぐ、空は曇り、風は吹き荒れ、咲き始めたばかりの春の花は蕾のまま吹き飛ばされていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「さあ、精神を統一して、火の精を自分の統治下に置くのじゃ。」 呪文を唱えると、老魔道士のジューザの手のひらからは大きな火球が発せられ、開け放たれた窓から外に飛び出した。 「さあ、やってご覧。」 アレクは言われたとおりにしたが火球は大きなものにならなかった。ジューザは溜息をついた。 「どうもアレクは呪文よりも剣術の修業の方に力を入れておるらしいな。・・・呪文のほうも筋はいいんじゃが。」 そのとき開け放たれた窓から突風が吹き込んできた。アレクは春の嵐が吹いてきたと思っただけだったが老魔道士は空を見据えて目を光らせた。 「凶凶しい邪悪な気配じゃ。・・・・アレク！来るべき時が来たようじゃ！お前は一度家に戻れ！お前の父と母が、お前の取るべき道を教えてくれるだろう。さあ！」 アレクは魔道士の家から言われるままに飛び出した。空には血のように赤い色をしたおどろおどろしい雲が飛ぶように流れ、不穏な匂いが空気に混じっている。風に飛ばされそうになりながら我が家に辿り着くと、父と母が彼を待ち受けていた。 「父さん、母さん！一体何が！」 そこまで叫んでアレクは呆然とした。グレッグは長剣を腰に着け、エリスは魔道士の使う宝玉のついた杖を握っている。 「どうしたっていうんだ。父さんも母さんも・・・・・・」 グレッグはアレクの肩に手を置いた。 「いいか。よく聞くんだ。今、この村には邪悪な魔物が迫ってきている。私達は戦わねばならない。お前は村外れの地下にある隠し部屋に隠れなさい。」 アレクは首を振った。 「いやだ。父さん達が戦うのなら僕だって戦う！僕はまだ未熟だけれどこの村を護るために少しはがんばれる。」 「いいや。お前は生き残らなくてはならん。お前に生き残ってもらわなければ私達の苦労は何の意味もないのだ。」 普段は鷹揚な父が語気荒く話している。アレクはしかし首を振った。 「嫌だ！父さん。僕は母さんを守る。命を賭けて母さんを守るよ。」 エリスが涙をはらはらとこぼしながらアレクを抱き締めた。 「有難う、有難うアレク・・・・でも、あなたは本当は私達夫婦の子供じゃないの。」 頭の芯を殴られたような衝撃がアレクを襲った。 「・・・嘘だろう？そんなの嘘だろ？母さん・・・・嘘っていってくれよ！」 エリスは続けた。 「いいえ、本当のことよ。でも、ずっとあなたを本当の子供として育ててきたわ。ほんの赤ちゃんの頃から・・・・私達はあなたを立派な大人にするためにこの村に篭もって守り育ててきたわ。あなたは死んではいけない。あなたは世界でただ一人、邪悪な魔王を討つことができるのです。この村の村人、全員、十七年前からこの日が来るのを覚悟していました。あなたを守り育てるためにそれだけのために集まったのがこの村の人達なのよ！さあ！行きなさい！生き残って必ず邪悪な者を倒すのです！アレク！」 エリスはそっとアレクに頬摺りした。 「・・・・・？母さん？何。勇者ってなんのこと。魔王って一体？」 アレクはよく事情が飲み込めないままグレッグに肩を抱かれて外に押し出された。外ではガイストとマーグニが鎧に身を固めて立っていた。 「まだこんなところにいたのか！」 ガイストが叫ぶとグレッグはマーグニにアレクを押しつけた。 「アレク。挫けるのじゃない。自分が勇者だということを忘れるな。お前を助けてくれる仲間がきっと見つかるだろう。・・・・お前がやらねばこの世界は滅んでいかねばならないのだ！今は生き延びることだけを考えろ。」 マーグニは暴れるアレクを巨体にしっかり抱き抱えると隠し部屋に走っていった。ガイストの声が遠くで聞こえた。 「アレク！君はきっと素晴らしい勇者になれる。さようなら。私は君の剣の師匠だったことを誇りに思う！」 マーグニはアレクを地下室のその又奥の小さな扉を開けてアレクを押し込んだ。 「さあ、ここですべてが終わるまで待っているんだ。」 「すべてが終わるって一体どういうことです？マーグニさん。」 「・・・・外の騒ぎがすっかり静かになったら終わりさ。ここには水も食料も用意してあるからな。町へ降りていくための地図もある。じゃあな。・・・アレク、お前はまだ背も伸びるし力も強くなるぞ。・・・・・楽しかったぜ。」 マーグニは部屋から外に出た。アレクも続いて出ようとしたが、見えない壁に遮られてしまった。マーグニの蔭からジューザが魔道士の杖を掲げて現われた。 「アレク、その出口はしばらくの間お前が通れないようにわしが結界をはった。魔物には入ることができん。いや、奴らには扉があることさえわからないだろう。アレク、出ようと試みても無駄だ。騒いでも力を消耗するだけだぞ。・・・・強いそして優しい心を持った勇者になるのだぞ。」 そう言うと二人は出ていってしまった。アレクは壁に体当たりをしていたがどこにも出口を見いだせなかった。地上からは恐ろしいまでの地響きや爆発音に混ざって人々の声が聞こえてきた。 初めのうちは、村人に指示を出す長老の声や、防御呪文をかけるジューザの叫びがはっきりと耳に入った。幽かに父や母の声もしたような気がした。 ところが次第に魔物の雄叫びが多くなり、村人の阿鼻叫喚の呻きが始まった。魔物が火を吹き、家を薙ぎ払い、人々を殺していく・・・・ 「出せ！出せ！出してくれ！父さん！母さん！」 アレクは泣きながらどんどんと壁を叩いた。 ”勇者は見つかったか？” ”いや！まだだ！捜せ！サントハイム王の予知によれば緑の髪に緑の瞳の青年だ。見付けて殺せ！” 「勇者？僕が？・・・・僕を捜して殺すためにこの村を襲ったのか？・・・・なんで？なんでだ？僕は僕だ。勇者なんかじゃない。どうして？どうしてなんだ！」 急ぎ足に地下室への階段を降りてくる音がした。アレクは部屋の奥に転がっていた銅の剣を手にとって身構えた。 しかしやってきたのはシンシアだった。シンシアは青ざめ、泣いていた。そしてアレクが居る部屋に転がり込んできた。アレクは抱き留めた。 「アレク・・・・私は・・・私は母さんからあなたと一緒に逃げなさいっていわれたの。あなたを助けて無事に山のふもとの町まで降りるようにって・・・・でも・・・・母さんは私にそう話している時に魔物の爪にかかって死んでしまった。・・・・だから・・・・だから私は私の母さんの代わりの役目をするわ。母さんがするはずだったことをやるわ。だって、このままじゃ・・・・このままじゃ、あなたが そこでシンシアは言葉を続けられなくなった。 「駄目・・・・私・・・・ひざが震えて・・・・やっぱり怖い・・・・アレク・・・・私、怖い アレクは真っ青になって震えるシンシアをぐっと抱きとめた。シンシアの震えはアレクにすがり付いているうちに、収まってきた。 「アレク・・・・有難う、もう大丈夫。私、あなたを守るわ。守ってみせる・・・・アレク・・・・きっと生き延びてね。」 シンシアは、素早く片方の青いイアリングを外すとアレクの手に押し込んだ。 「・・・私のことを忘れないで。」 「シンシア・・・・どうしたっていうんだ。」 シンシアは精一杯の努力をして微笑んだ。 「アレク・・・・大好きよ・・・」 シンシアの唇がアレクの唇にそっと触れた。棒立ちになるアレクの前で、シンシアは呪文を唱えた。それは映し身の術だった。シンシアはアレクそっくりに自分の姿を変えた。 「何をする気なんだ！シンシア！」 シンシアは振り向きもせず走っていってしまった。 しばらくして、魔物の歓声が起こった。 ”勇者を殺したぞ！” ”確かか？” ”ああ、緑の髪に緑の瞳。間違いはない。” ”よし、早速ピサロ様に報告だ！引き上げるぞ！” それが何を意味する言葉なのか、アレクには十分過ぎるほどわかっていた。彼は全身の力が抜けてその場にくず折れた。 魔物たちの足音や羽音が遠ざかり、やがてなにも聞こえなくなった。アレクは正気をなくした人のようにのろのろと立ち上がり隠し部屋から村に戻った。 もうそこは村ではなかった。すべての家は崩され、炎があちこちから吹き出ている。ついさっきまで呪文を習っていたジューザの家も跡形もない。ガイストと剣の練習をしていたあたりは小川が塞き止められて水浸しになっている。焼き尽くされて骨だけになった村人の死体があちらに一つ、こちらに一つと転がっていた。 自分の家だった場所で辛うじて焼失を免れたいくつかの家具を目にして、初めてアレクは声をあげて泣き始めた。 死の村と化した故郷をアレクはさまよい歩き、拾えるかぎりの骨を拾い墓を作って埋めた。 それが終わるころには家々を焼いていた炎はほぼ収まっていた。美しい薄緑の芽を芽吹き始めた村一番の大木も焼け、原っぱの花畑は毒の沼に変わっていた。 「花畑・・・・・・」 アレクはズボンのポケットに手を入れた。シンシアから貰ったイアリングをそっと摘み出す。 花畑に揺れる花と、シンシアの笑顔がアレクの脳裏に浮かんだ。 「・・・・僕の身代わりに・・・・・・・シンシア・・・・・僕はずっと前から君を・・・・」 アレクは自分の左耳にイアリングをつけ、その場に跪いた。 神に長い祈りを終えた後、立ち上がったアレクの瞳には憎悪が炎のように渦巻いていた。 「僕は倒す！村の人達を、父さんを、母さんを、そしてシンシアを殺した魔物たちをこの世界から一匹残らず殺してやる。そのために勇者になれというのなら喜んでその役目を引き受けてやる・・・・・・」 次の日の朝、隠し部屋にあったもので簡単な旅じたくを整えたアレクは育った村をあとにした。 彼はまだ、自分には仲間達がいることも知らず、剣士としての技量も未熟なままに、憎しみだけで敵を倒そうとしていた。 アレクが旅だったあと、清浄な空気の流れが村の上にさしかかった。その中にいる「誰か」は生き物の気配をなくしたこの土地を悲しんでいたが、小さな小さな光をみつけて、その細くて白い腕を差し伸べた。 ”一緒に行きましょう” 小さな光は「誰か」と一緒になり、高空へ、他の空気の流れと寄り集まる場所へと登って行った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 村から山の麓に降りる道は南にむかって伸びていた。しかしひどい悪路で、少し歩く間にアレクは数回岩場から転げ落ち、体のあちこちに打ち身や擦り傷をこしらえた。革の短靴は破れて穴が開いた。このような悪路を越えて村人たちは山の中に村を作ったのだろうか。どう考えても不思議だった。羽でもなければこの山を女性が越せるわけがない。三度の夜を山道で過ごし、アレクはがむしゃらに下っていった。 無理をし、傷ついた彼を、山に住む狼たちが見逃す訳はない。切り立った崖を下りおわってほっと息をついたアレクに数匹が飛びかかった。 「くっ！」 アレクは素早く銅の剣を抜いて一匹目を討ち据えた。狼は坂の下まで転がり落ちたが、頭を二三度ぶるぶるとふると再び飛びかかってきた。 アレクも二度三度と狼の急所をついて、逆襲し、一匹又一匹と倒していった。すべての狼を殺したときにはアレクの膝はがくがくになっていた。そして、次の岩場を降りていくときに足掛かりを踏み外して崖下へと落ちてしまった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 目が醒めたときは暖かなベッドの中だった。ベッドの傍らには大きな茶色の犬が丸くなって眠っており、隣の土間では肩幅の広い白髪の老人が黙々と木を削って細工ものを作っていた。 「うっ、いたっ・・・・」 起き上がろうとしたアレクが呻き声を洩らすと、老人は立ち上がり、煎じ薬を椀に入れて持ってきた。 「飲め。」 老人はぶっきらぼうに言うと、アレクの口元に椀を近付けた。言われるままにアレクが口をつけるとゆっくりと椀を傾けていく。薬の苦い味に、アレクが飲むのを辞めようとすると強引に流し込んだ。 「これは薬だ。最後まで飲め。」 アレクが薬を飲みおわると、老人は包帯を変えて塗り薬をたっぷりつけた。 「寝ろ。」 老人にそう言われる前にアレクは眠りに落ちていった。 次の日、アレクは朝早くから目を覚まし、鎧戸から差し込む日の光を眩しそうに眺めていた。 老人はアレクが起きているのに気付くとやってきてベッドから降りて歩いてみるように言った。 アレクはゆっくりと足を板張の床におろし、よろけながらも二三歩歩いてみせた。その様子がまだまだ危なっかしいと判断したのか、老人は椅子に座っているよう命じた。そして、小さな木彫りの盆にパンとチーズと暖めたミルクをのせて渡した。アレクが礼をいおうとすると、老人は小屋の外に出ていってしまい取りつく島がなかった。アレクは老人が戻ってこないので、パンを齧り始めた。この質素な朝食はすきっぱらに沁みるように旨かった。大きな茶色の犬は近付いてきて、アレクの膝に鼻をすりつけて激しく尾を振った。ややあってから、老人は手斧を持ってきてアレクの前に座り、黙々と砥石でとぎ始めた。 「あのう・・・・・」 アレクは声をかけてみたが、老人にぎろりと睨まれただけたった。出足を挫かれたものの、彼はもう一度声をかけた。 「あの、おじいさん。助けていただいて有難うございました。・・・・・ここは一体どこでしょうか。僕はどうしていたのでしょう。」 「・・・・どこといわれても、ここは町や村ではない。山奥に続く森にある小さな樵小屋だ。昨日の夜、そこに居る犬がうるさく吠えたので崖の下に行ってみたらお前が転がっていた。・・・・こんな山奥に何の用だ。よほどの馬鹿者でない限り、あの岩山に登ろうとはしない。」 「・・・・登ったのではなく、僕はあの山の向こうからここまで下りてきたのです。」 老人はくぐもった笑い声を洩らした。 「・・・・山の向こうには、人間の村はないはずだが・・・・まあいいだろう。・・・・・しかし迷惑な話だ。お前は三日の間眠り続けていた。その間、切るはずだった木は切れず、こちとらの商売はあがったりだ。・・・・しばらくの間、ろくに歩けはしまい？その間仕事を手伝ってもらうぞ。お前のような餓鬼でも多少の役にはたつだろう。今日はひとまず蔓草を編んで縄でもなっていろ。」 老人は、土間を指差した。土間には蔓草の束がうずたかく積まれていた。老人は朝食の盆を受け取ると、研ぎ上がった斧を手に外に出ていった。 アレクは命の恩人のいうことに従い、土間に座り込んで縄を作り始めた。村でもやったことがある仕事だったが、なかなか蔓草は減らなかった。茶色の大きな犬はアレクのかたわらに寝転んでうとうとと居眠りを始めた。かなりの老犬らしく、毛づやは衰えている。アレクが時折なでてやると目をあけていかにも嬉しそうにアレクの手を舐めた。 夕方、老人が一日の仕事を終えて帰ってきたときには、アレクはすべての蔓草を縄にしおえていた。老人は無言で縄をしまうと夕食の支度をし、テーブルにアレクを呼んだ。会話をせずに食事が終わると老人はかなり長い祈りを神に捧げ古びた手作りの長椅子に横になり毛布を被り寝入ってしまった。ベッドを使わせて貰っているアレクが恐縮して代わりましょうと囁いたが聞こえた風はなかった。アレクはベッドのそばに跪いて祈った ”この世を統べたもう全能なる神よ。今日も一日無事に過ごせましたことを感謝します。願わくば、この足をすぐにお直し下さいますよう。そして父と母とを・・・・僕の大切な人達を殺した魔物に正義の刃を突き立てることができますように見守ってください・・・・・・” 次から次へと老人はアレクに仕事を与え、アレクは誠実にそれをこなしていった。旅を急ぎたいのは山々であるが、受けた恩を考えれば少しでも役に立ちたかったし老人の言うように、足はまだ完調ではなかった。洗濯、薪割り、水汲み・・・・・老人は相変わらずぶっきらぼうであったが、茶色の大きな老犬はアレクにすっかりなつき、アレクもこの犬を友達のように思うようになった。 体の調子がほぼ戻ったある日、アレクは樵小屋の裏手で畑を耕していた。わずかばかりの土地に、豆やかぶを作っているのだ。太陽が上に昇るとアレクは汗を拭ってその場に腰をおろした。老人が置いていってくれた弁当づつみを拡げる。アレクはきょろきょろとあたりを見回した。いつも居るはずの老犬が居ない。ぐるっと首をめぐらすと、犬は森の入口にある木の十字架の前にじっと座っていた。アレクは弁当を包み直して犬のそばに寄った。 粗末な墓だったが手入れは行き届いている。誰がこの下に眠っているのだろう。老人の家族だろうか。アレクの胸のなかに不思議な感情が沸き起こって、それが彼を跪かせた。自分のよく知っている人が近くに居るような気がした。 祈り終えるとアレクは膝から土を払って立ち上がった。そして昼食を食べおわると再び畑の手入れをし、与えられた仕事がすべて済むと、銅の剣を抜いて素振りを続けた。あまり夢中になりすぎて、老人が帰ってきて自分を見つめているのにも気付かなかったほどだ。アレクは剣を納め、老人に会釈した。老人は厳しい目をしていた。 「どうやら潮時のようだ。お前の体はもう完調だし、鍬や斧を持つよりも剣を振りたがる。・・・・・・・・お前はどうあっても親たちの仇を討ちたいらしい・・・・」 「どうしてそれを？」 「毎日のようにうなされていたからな。譫言で聞いた。」 アレクは老人に、自分が体験したすべてのことを説明した。魔物に襲われたこと。自分が勇者であり、魔王を倒さねばならないこと・・・・ 老人はじっと話を聞いていたが笑った。 「勇者だと？お前のような餓鬼が魔王を倒す？馬鹿も休み休み言え。」 アレクは怒って言い返そうとしたが、老人は続けた。 「・・・・だがお前がどうしても自分を勇者だといい、勇者として戦うというのならそれもよかろう。運命ならばな。わしに口出しできることではない。・・・・旅立ちは早いほうがよかろう。わしもお前とつきあうのに疲れてきたところだ。今日は休んで明日の朝平地に下っていくがいい。ここを朝早くに出れば夕方には小さな村につける。そこからはブランカの城に向かう街道がのびているはずだ。」 言葉は乱暴な老人だが、アレクはその裏に隠れた優しさを感じ取っていた。 「・・・・・色々お世話をおかけしました。・・・・・・ところでこれはどなたのお墓ですか？」 アレクが十字架を指した。 「・・・それを聞いてどうする？」 老人は墓を見ずに訊ね返した。 「いえ、なんだかとても懐かしいような気分になったものですから・・・・・」 老人は黙り込み、遠くを見るような目をした。 「・・・・・わしのたった一人の息子の墓だ。雷に撃たれて命を落とした。・・・・さあ、夕飯にするぞ。」 翌日の朝早く、アレクは樵小屋を出発した。樵の老人は、アレクに革のブーツを押しつけた。 「もっていけ。わしの所に置いておいておいてもなんの役にもたたん。」 アレクは老人の好意を有り難く受け取り、手を振りながらブランカの城へと下っていった。 老犬がくぅーんと寂しそうな声で鳴いた。 老人は犬を撫で、静かに呟いた。 「運命とは本当に苛酷なものだ。・・・・・果たして進むべき正しい道を見付けられるだろうか。・・・・・・神はすべてを知っておられるが、人間は神に導かれながらも先の見えない運命という道の上でもがきあがき苦しむ。・・・・・・神よ。あの若者に加護を与えよ。・・・・・・・もう・・・・・もうこの年寄に悲しい想いをさせては下さるな。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アレクは、地図を確かめながらどんどん山を下っていった。見晴らしが開けると、遥か遠くに比較的大きな集落があり、そのまた向こうには、白い塔のそびえた城がぼんやりとみえた。 その城の向こうにも大地はずっと続いている。その先は・・・・大きな湖だろうか。青い部分が始まって視界の限界まで広がっていた。 彼は途方に暮れるのを感じた。 世界は今まで彼が想像してきたよりも大きかった。気が遠くなるほど大きかった。 このように広い世界で、どうやって父や母の仇を捜し、魔王を倒すのか。・・・・・そして自分のような小さな存在にそれができるのか。 ”でも・・・僕はやらねばならない。やるんだ。” 彼は剣のつかに手をかけ、じっとりと手のひらに汗が滲んでくるまでそのまま立ち止まっていた。 十七歳の少年が勇者として山を降りた日、それはうららかで平和な春の一日だった。 |
| アレクの旅立ちです。 シンシアはきっとほんとうに怖かったと思います。 それでも、彼女は自分でどうするのかをはっきりと決めました。 この話のシンシアは、エルフでも精霊でもなく どこにでもいる普通の女の子です。 そして、アレクも、ごく普通の男の子です。・・・・勇者などではなく。 |