目次に戻る あとがきへ アレクは光の中で目覚めた。 痛みも疲れも傷も残っていなかった。天空の武器や防具は身につけたままだ。だが、体も衣服もまるごと新しいものと変わってしまったように思えた。 どうやらここは大きな部屋らしい。壁も天上も床も柔らかな黄金色に輝き、不思議と母の腕のなかにいるかのような安心感を与えてくれた。手をついて起き上がるとあそこに、ここに仲間達が倒れている。血の痕も消えた姿で！ アレクの前から起きていた王宮戦士はゆっくりと立ち上がりアレクと手を握りあい、商人と魔道士が並んで倒れている所に目覚めを届けに行った。 トルネコはライアンに揺り動かされて小さな目をパチパチさせ助かったことを知ると丸っこい体で鎧の戦士を抱擁した。 ブライはアレクを労い、姫と神官が無事なのを見て安堵の息をついた。 神官は目を開けて自分の腕の中で眠っている姫の頬にそっと左手で触れ神に感謝の祈りを捧げた。 アリーナはパッチリ目を覚まし、慌てて自分から離れる神官を不思議そうに眺め、ついで花のように笑うと歓声をあげて神官の腕にとびついていった。以前のように戻った左腕に！姫はそのまま神官の手をひいて立たせると踊るようにぐるぐる回った。目をまわしたクリフトは勘弁してくれとばかりアレクに助けを求め、アリーナは仲間達と代わる代わる踊り、最後にはブライの白い髭に深々と顔を埋めた。皆、和やかに頬笑んでいたが、啜り泣きの声が騒ぎを止めさせた。 部屋の隅でマーニャがミネアに取りすがり、さめざめと泣いていた。真っ赤に泣き腫らした目で仲間達を哀しげに見遣り、すぐに妹に目を戻すと、しゃくりあげながら呟いた。 「おかしいよ。・・・・あたしみたいないい加減なのが生き残ってさ、あんたみたいないい子が死ぬなんて！神様の馬鹿！なんであたしを代わりにしてくれなかったのよ！馬鹿馬鹿馬鹿！」 マーニャの泣き声がうわあぁんと広がった。 クリフトがそっと近くに立つと、曾祖父の壊れた十字架を首から外して握った。 「マーニャさん、私がやってみましょう・・・・」 「・・・だって・・・禁忌の呪文なんでしょう。」 「・・・・もう、一方を使ってしまいました。あと一方を使っても罪が二倍になるだけでしょう。」 「いけない。あんたはあれで死にかけたのよ。今度使ったら死んじゃうかもしれない。馬鹿神官！そうなってミネアが喜ぶと思ってんの？」 ”その必要はありません。クリフトさん、マーニャさん。ミネアさんは眠っているだけです。皆さんより少し目覚めが遅れているだけですわ。” 深い穏やかな声がして、それと時を同じくして、紫色の髪のミネアの頭がゆっくりと起き上がった。 「姉さん！」 「・・・・ミネア!?馬鹿馬鹿馬鹿！眠ってるならそう言いなさいよ！」 「姉さんってば姉さんってば！・・・・無茶言わないで・・・・」 オレンジ色の竜が現われ、抱き合う姉妹を見守っていた。先程声をかけてきたのはこの竜であった。竜は勇者たちをよく知っているようで、特にアレクをじっと凝視していた。 「あなたは・・・・僕たちを地底から助けだしてくれた竜ですね。僕たちを助けるために天空城から降りて来てくださったのですか？」 ”まあ、アレク。私はいつだってあなた方と一緒でしたのに。” 「一緒？・・・・まさか、あなたは・・・・」 ”そうですわ。パトリシアです。” ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ”私はもともと竜の神の使いとして地上に飛ぶ役目をしておりました。しかし、イヴラスと同じように過ちを犯したため、馬の姿で地上に落とされたのです。でも、こうして私は元の姿に戻ることができました。有難う。” オレンジ色の竜は優雅に長い首を折って一礼した。 「いいえ、お礼を言うのは僕のほうです。あなたも運命の仲間だったのです。きっと。」 竜は嬉しげに目を細めた。 「皆さん、もうおからだはよろしいですね。・・・・マスター様がお待ちですわ。」 竜が一声吠えると壁は消え去り、アレクたちは竜の神の正面にいた。黄金に輝く竜は跪くアレクたちをいとおしげに見渡した。 ”勇者よ、よくやってくれた。・・・・闇の力は封じられた。仲間の者たちも見事であったぞ。踊り子よ・・・・” ”え？あたしのこと？” とマーニャはピョンと飛び出る。 ”そして占い師よ、姉妹力を合わせ、よく長い旅に耐えた。精霊もお前たちを祝福していることだろう。商人よ、慣れぬ戦いの場に加わってその苦労いかばかりであったか。戦士よ、勇者の右腕となり戦ってくれたこと感謝する。姫よ、そなたも女だてらに頑張ってくれた。魔道士に神官も姫を助けて守ってくれたな。・・・・試練は終わった。運命の探求は完結した。・・・・アレクよ。お前の地上での役割も終わったのだ。これから先はお前の故郷、ここ天空城で暮らすがよい。」 仲間達は喜んでくれた。それがアレクの居るべき場所と思っていたので。 アレクは竜の左右に立ち並ぶ天空人の中から母の姿を見いだした。母はアレクが哀しげな苦しげな様子をしているのに気付き、寂しそうに頷いた。 「お心遣い有難うございます。・・・・しかし僕は地上で生きて行きます。」 ”何故に？地上は此処より遥かに乱れている世界だ。人間として生きるのならば、天空人よりずっと短い寿命しか受けることしかできない。それをお前は望むのか？” 「ええ、でも僕はその世界が好きなのです。僕は地上で暮らし、育ちました。帰るところは地上です。・・・・それに・・・・竜の神よ、あなたは僕がさだめられた勇者だとおっしゃいましたが、僕は此処に居る七人の仲間なしでは勝つことはできなかったのです。この人たちこそ真の勇者です。このように素晴らしい仲間達が居る地上がどうして悪い場所でありましょうか。」 金色の竜はゆっくり一度瞬きした。 ”そうか・・・・お前にとってはそれが正しい道かもしれぬ。天空と地上を結ぶ絆であるお前にとって・・・・よかろう。仲間達と共に地上に戻るがいい。” アレクは天空の剣と盾とを床に置き、兜と鎧を外して再び跪いた。 「これらの品々をお返し致します。」 竜は従者に剣だけを運ばせると、防具は地上に持ち帰るよう伝えた。 ”三つの防具を遠く離れた別々の場所に収め、保管するのだ。・・・・魔王はまたいつの日にか現われる。” アレクは眉をひそめた。 ”アレクよ。残念ながら、魔王は滅してはいないのだ。世が乱れたときに必ず魔王は復活する。・・・・その時に選ばれた勇者が手にできるように防具を託すのだ。若者たちよ、お前たちの血を次代に伝えていくのだぞ。・・・・城の前庭に出るがいい。城の者たちが荷物を一緒にまとめてくれるだろう。” 前庭では、多くの人々がアレクたちの姿を認めてにこやかに笑いかけた。天空の防具は頑丈な箱につめられ、美しい形をした金色の鍵で錠が下ろされた。書庫にいたホビットが鍵をブライの所に持ってきて立ち話を始めた。マーニャはエルフの舞姫たちとなにやら口喧嘩を始めた。呆れて眺める一同にルーシアがかけよってきて、無事を祝い、一人一人と握手した。彼女のあとからは小さな竜の仔がどたんばたんとやってくる。 「だから、そもそも踊りってのは人間もエルフもへったくれもないはずよ！いて！この馬鹿竜！あたしになつくのやめてよ！」 エルフも人間も天空人も笑った。 小悪魔がアリーナに、”花は役にたったかい？”と訊ね、姫は小悪魔をぎゅっと抱き締めて頬摺りした。 荷物はオレンジ色の竜の背に括り付けられた。 ”さあ、お送りしますわ。” アリーナが真っ先に竜の首の付け根に陣取って歓声を上げ、他の者たちを待った。しかし、最後にアレクが竜の足に手をかけてよじ登ろうとするとハシバミ色の瞳を見開いて後ろを指差した。 アレクの母親が立っていた。そこにトコトコと小悪魔が寄っていった。 「おばさんもおいらの種をまいてご覧よ。ね、ほら。今日はお祝いだもの。」 母親はすっと腰をおろし種を雲に埋めた。如雨露が光のシャワーをかけると芽が伸びて 透き通り、仄かに太陽の金に輝く白い花がぱあっと咲いた。 「うわぁ、おいら、この花初めて見るよ。綺麗だなあ！はい、ほら、持っていってよ。・・・どうしたのさ。いらないのかい？」 母親は小悪魔に何事か伝えた。小悪魔はアレクに向かって走ってくると花を突き出した。 「あの人があなたにあげるってさ。この花、きっと役にたつよ！」 アレクは小悪魔に礼をいって花を懐にしまい、母親と笑顔をかわしあい竜の背に乗りこんだ。 ”もう会えなくなるけれど・・・・” アレクは俯いた。 ”これでいいんだ。・・・” 竜は飛び立ち、天空人達はすぐに見えなくなってしまった。雲の上の壮大な城は見る見るうちに小さくなっていった。やがてそれはすぐに他の雲と見分けが付かなくなり代わって地上の様子が見え始めた。山、川、平原、砂漠、町・・・・それは涙がでるほどに懐かしく、アレクたちの心を揺り動かした。 ”アレクさん、どこに降りましょう。私はあなた方全員ををどこか一つの場所に下ろすようにいいつかっておりますが・・・・” 「あ、ああ・・・・ええと・・・・あなたの本当の名前は？」 ”パトリシアで結構です。私は生まれかわったのですから。” 「・・・・皆がそれぞれの帰る場所に近いところが・・・・」 ”それでしたらサントハイムがよろしいでしょう。エンドールにもモンバーバラにも近く、北に回ればバドランドに出られます。” 「ふむ・・・・じゃが、わが国が船を出せるほど復興しておるかどうか・・・・あの戦いからまだ間がないからのぉ。」 パトリシアはくすくす笑った。 ”皆さんの回復にはだいぶ時間がかかったんですのよ。・・・・地上はもうとうに春になっておりますわ！” ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ パトリシアが降り立ったのは、サントハイム城の東の丘陵地帯だった。パトリシアは”人間たちが私を見れば大騒ぎになるでしょう。お城からは少し離れていますがここで・・・・”と、別れを惜しみながら天に帰っていった。 魔物の爪痕は、サントハイムの大地に色濃く残っていたが、焦土の上にも疎らながら草が生え、懸命に花を咲かせていた。花を揺らす風は優しく、戦いの日々が嘘のようだった。一同は太陽の光を浴びながら旅人の気分で歩いていく。 「あ〜、しっかしさぁ、こりゃ、凱旋って感じじゃないわね。勇者ちゃんに剣も防具もないっていうのがいけないわ。せめて鎧だけでも着ない？」 「いやですよ。僕はサントハイムに戦いにいくわけじゃないんですから。この青いチュニック姿で充分です。」 「でもねえ・・・・」 ”姉さんの格好が一番浮いてるわ。” ミネアがクリフトと顔を見合わせてくすくす笑った。アリーナは先頭に立って黙々と歩いている。 「姫さま、そうがむしゃらに歩きなさいますな。・・・・城はしっかり立っているでしょうし、お父上も堂々と玉座に座っておられるはず。いやはや、いつからそんなに心配性になられましたか。」 「・・・・心配なんかしていないわ！」 しかし、アリーナの足はゆっくりとなってはくれなかった。 城が見えてきた。壊れていた箇所には新しい石組が成されており、二番めに高かった尖塔が崩れたままになっている他は元通りだ。ただ・・・・静まりかえっているのが不気味と言えば不気味だった。 「ねえ、ミネア、みんなが戻ってるのは確実よね。デスパレスの近くで使ったキメラの翼が不良品だったってことないわよね。」 「あるもんですか！ほら、城壁のところに何人も兵隊さんがいるわ。」 アリーナは片手を軽く上げて兵士に挨拶した。兵士はさっと跪き、最上級の尊敬を表す礼をした。ここまでは予定どおりだ。大広間に入ったら、誰かに国王に王女が帰ってきたと取り次いでくれというつもりだった。そして二階の謁見の間へ行き父王の前で堂々と今回のことを報告するのだ。 しかし、城門が開いたとき、姫は我が目を疑った。城壁から本館に通じる道の両脇にびっしりと人垣ができているのだ。大臣も、女官も、下働きの者たちも・・・・農夫や商人らしきものもいた。そして開け放しになった広間に続く大扉の向こうには椅子から立ち上がって両手を広げている父王の姿が見えた。すると先程までの決意はどこへやら、アリーナは一目散に駆け出していた。ラッパ手がファンファーレを鳴らしたが姫の耳には届かなかった。父と娘は三年ぶりにしっかりと抱き合った。 「アリーナ、よく無事で戻ってきた。・・・・私があの恐ろしいイヴラスにお前たちにとって不利になることを教えてしまったので、つらい旅であったろう。」 アリーナは泣くだけ泣いてしまうと胸をはった。 「平気よ！私は強いんだから！正しいものが勝つのだって信じていたし！しっかりと爺ややクリフトの面倒も見られたわ。」 王は笑い、憮然とするブライを自分の隣にかけさせた。 「苦労をかけたな、ブライ、クリフト、我が娘は全く手におえぬはねっかえりだ。」 「ところで、お父さま、毎日毎日私達を迎える準備をしていたわけかしら？こんなに素敵なことって・・・・・・」 「夢をみたのだよ。お前が勇者殿と共に今日この日に帰ってくることを。さあ、早く私にその方々を紹介しておくれ！」 姫は慌ててアレクたちを紹介した。父王は席を立ち、一人一人に声をかけて労った。集まった国民から歓声がおこり、紹介が終わると勇者万歳の大合唱が始まった。 「姫よ、お前たちのために、諸国からも多くの人々がたずねてきてくれたのだ。」 スタンシアラ国王とその王女フェリスが上品に進み出た。ついでバドランド王。ライアンは主君に敬礼をした。エンドールからは国王マクゲア七世その人。ボンモールからは王ではなくその名代として今はエンドールに婿入りしたリックとその妻のモニカがやってきていた。モニカは丸々と太った赤ん坊を胸に抱いており、トルネコを微笑ませアリーナをぴょんぴょんと飛び跳ねさせた。マクゲア七世は気軽にアリーナの肩を叩いた。 「とうとうやりましたな。元気な隣国の姫よ。世界一強くなる夢はどうなりましたかな？」 「ええ！剣だったらアレクやライアンさんの方がずっと強いですわ。でも、素手なら私のほうが・・・・これから精進してどんな剣士にも敗けないくらい強くなってみせます！ね、お父さま。」 サントハイム王はにわかに頭痛がしてきた。だが笑った。 「アリーナよ、まず私・・・・お前の父を負かしてみるがいい。どれほど強くなったのか、手合わせしてくれるな？」 アリーナは目を丸くし、父と同様くすくすと笑った。 エンドール王は尚も喋っている。 「そこにいる二人は城下で評判だった踊り子と占い師ではないか？忍びで歩いていたときにたしかに見かけたぞ。トルネコも久しぶりじゃな。お前が選ばれし仲間の一人と聞き、わしは正直びっくりしていたのだぞ。」 「ええ、私もびっくりしておりました。ところで国王陛下・・・・城下に置いてきました私の妻はどうしているかご存じでしょうか。」 マクゲア七世が答える前に、キイキイと声がして灰色の固まりが兵士の制止を振りきって赤い絨毯の上を突進してきた。ガラス玉を胸に光らせシャツに飛び付きするりと肩の上にしがみつく。 「ちび！お前、私を忘れていなかったのか！」 トルネコがちびモグラをつついているとポポロがたまらなくなってやはり絨毯の上に飛び出してきた。そしてネネも。ポポロは頭一つ位背が伸びており誇らしげにトルネコから渡された日記帳を差し出した。 「パパ、約束どおり毎日日記を書いたよ！いい子でいたよ！」 トルネコは何度もポポロを抱え上げ、妻と抱き合った。 「どーもネネさんに挨拶しにあたしたちが割り込んでいくことはできそうにないなあ。」 鉄の扇でパタパタ扇ぎながらマーニャはミネアに寄り掛かった。 「ま、故郷のリオレラ大陸から誰か来るのは無理だろうし・・・・」 「・・・・一応来てはみたんですが・・・・」 野太い声が後ろで聞こえた。ぼさぼさの黒い髪、頑丈そうながっしりした体。 「オ、オーリン!?あなた死んだんじゃなかったの？」 「勝手に殺さないで下さい！助かったのは本当に幸運でしたが。・・・バルザックがこの国に居たと知ってようやくやって来たらお嬢さんがたが奴を倒したあとで・・・・ああ、でもまた会えるとは・・・・」 「なーに感傷にひたってんの。オーリンらしくないぞォ！」 きゃらきゃらと笑うマーニャの横からミネアがオーリンに噛り付いた。そのまま顔を胸に埋めて泣きじゃくる。 アレクだけが一人で皆の様子を眺めていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 夕方からは賑やかな大宴会となった。まだ国力は戻っていないが平和の訪れを喜ぶ国民は、自分たちが提供できるものを持って自発的に集まってくれたのだ。 「ララララ〜ねえ、これどおぉ？」 貸して貰ったドレスの裾を翻してマーニャが一回転した。 「なんだか装飾過剰ねえ・・・・姉さん出してくれるアクセサリーを片っ端からつけるんですもの。・・・・それなりに似合うけど。」 「・・・・少なくとも踊り子の衣装で出られるよりは王侯たちも安心して見ていられるだろう。」 「・・・・ライアンさん・・・・それ、どういう意味よ・・・・？」 控えの間は大騒ぎだ。トルネコは紺色の立派な上着を与えられたが胴のボタンがとんでしまい、ネネが急いでつけ直している。 アレクはほほ笑み、ちびモグラを膝の上に乗せ、つやつやした毛皮を撫でていた。 支度を整えたブライはすっかり寛いで国王と話をしており、時折如才無く宴会の用意の指示を出している。クリフトは、話を聞こうとまとわり付いてくる女官を振りきり、神官宿舎で儀式用の神官衣に袖を通していた。 アリーナはドレスを体に合わせるためにずっと立ちんぼうにさせられ、やがていい加減にむしゃくしゃしてきた頃、小間使いの待っている自分の部屋においやられた。 「全く・・・サントハイムに戻れたのは嬉しいけれど、これから先、厭になっちゃうわ。」 そう呟くアリーナを新しい小間使いの少女が出迎えた。 「うわぁ！あなたやっぱりほんとうのお姫様だったのね！」 「・・・・え！あなた・・・私の偽物をしていたメイ？」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「ええ、あたし、お針子になったんです。もともと手先は器用でしたし・・・・でも、なんて素敵！あなたが本物のお姫様で、しかも魔王を倒してきた英雄だなんて！」 アリーナは照れて頭を掻いたが、コルセットを締められて”きゅう”と悲鳴をあげた。 「だ・・・・誰がこんなもの発明したのかしら・・・・」 「・・・・痛い？軽くしめただけですわ。腰が細いからそんなに締めなくっていいんですもの。・・・・さっきも皆でびっくりしていたんです。こんなに華奢なお姫様が魔物を倒したのかって。はい、ドレスに袖を通して・・・・これ以上直しはしなくていいみたいですね。靴もどうぞ。」 「メイ、私に敬語を使わないで！う〜っ、窮屈！こんなの一晩着ていたら死んじゃう。・・・・色も真っ白で汚れやすそうだし・・・・それに、この靴！砂漠だったらめりこんで沈んでいくわ！・・・・メイ、私、冒険していたときの服じゃ駄目かしら。ずっとあれで戦っていたんだし。」 メイは笑った。 「ドレスがとっても似合うのに！それに今日は特別の儀式もあるから、ドレスでなくてはいけないと偉い方々がおっしゃってたわ。」 特別の儀式？ 「他の国の王侯もいらしているから丁度いいとも聞いたわ。」 「丁度いい？何のことかしら。」 「さあ？あたしの勘でいくと、婚約式とか？・・・・・・」 アリーナは鳥肌をたて、身震いしたが何事かメイに囁いて大笑いした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 広間にしつらえた席では王がいらいらと玉座の肘掛を叩きながら愛娘がドレスに身を包んでやってくるのを待っていた。マーニャが王のすぐそばにある特別席で大あくび。ミネアがたしなめトルネコが笑う。賓客たちもざわざわしだした。そこへアリーナの様子を見に行っていた女官が慌てて戻ってきた。 「陛下！たいへんでございます。姫さまはまだお部屋においでと思っておりましたら、もぬけのから！」 王は呻いた。ブライは天を仰ぎ、クリフトはずらりと並んだ神官連の一番末席で頭を抱えた。 「して、アリーナはどこへ！」 「わかりません！ただお部屋の壁が・・・」 「壁がどうしたのだ！」 「・・・・蹴破られてシーツが階下に・・・・近衛の方々にお手伝いいただいてお捜し申し上げましたが未だ見付けられず・・・・」 エンドール王マクゲア七世が慰めるようにサントハイム王の肩を叩き、モニカやリックがくすくす笑った。大臣や将軍達は困って口々に何か言い合っている。 「クリフト！」 いきなり王に名を呼ばれたクリフトは面食らい先輩の神官達に促され王の前に進み出て跪いた。 「お前、あのお転婆の居所を知らぬか？」 「？はい・・」 「・・・・そうか。お前が知らぬのなら、誰にもわからぬな。」 「は？ああっ！」 クリフトが王の背後にある開け放たれた大窓を見て十字を切った。 窓からはアリーナがロープを伝って降りてくるところだった。姫は大きくロープを振り子のように揺らして白いドレスの裾を翻し広間に飛び込んだ。 「さあ、どいつが私の婚約者？この場で相手になってやるわ！覚悟しなさい！」 マーニャが拍手し、王は卒倒しそうになった。 「馬鹿者！誰がお前に婿を取らせるといった？・・・・そうなってくれれば嬉しいが今日は生憎と用意はない！第一お前の了承も得ずにそんな話を進める理不尽な父親だと思っているのか！」 「あら・・・・？違ったの？そうね！お父様がそんなことするはずないわね！」 アリーナはあっけんからんと言った。姫の美しさを聞いてやってきて、おりあらば自分のものにしようとしていた貴族の子息達は彼女の登場のしかたに面食らって硬直していた。・・・・無理もない。 ブライは大きく咳払いした。 「姫さま・・・・今日は何月何日ですかな？」 姫はしばらく考えてパチンと指を鳴らした。 「私の誕生日！」 宴会はアリーナの誕生祝いと勇者の凱旋祝いとで大騒ぎになった。アリーナは十七歳の誕生日にあたって行なわれる成人の印である髪上げの儀まではなんとかおとなしく座っていたが、場所を移して中庭で宴会が開かれると大いにはしゃぎまわった。大臣達に挨拶し、下働きの者たちに心配かけたと謝り、女官の間を走り回り叱られ、近隣の村からきた人々に有難うと礼を述べた。音楽が始まるとすぐに貴族たちが踊りだした。アリーナは仲間達の手をとって踊りがよく見える所に連れていった。 「アリーナ・・・・誰かと踊ってきたらどうだ？」 姫は片手で前髪のあたりをポリポリ掻いて笑いこけた。 「・・・・踊りじゃなくて試合ならいくらでもやるわ。」 そこまで言ってから、姫はやわらかく笑った。 「お父さま、宴会が終わってから、お母様がいらしたときのようにお父さまのお部屋で私と踊ってくれる？アリーナはそれだけで十分。」 父王ははっとし、亡き王妃によく似た娘に向かって微笑みながらゆっくりと頷いた。 アリーナはにっこり笑い、目をフロアに移すと所狭しと踊りまくって居るマーニャに手を振った。踊り子は青年貴族達にしきりと投げキッスを送り、嬉しがらせるやら恥ずかしがらせるやら・・・・もっとも彼らよりも見ているミネアのほうが赤い顔をしていたが・・・・ 社交ダンスが終わり、各地方から出てきた人々による民族舞踊が披露された。チェルナ村の一団が出てくるとアリーナは歓声をあげ、はしゃいで席を立った。リアが笑顔で踊りの輪の中にいた。 「リア！」 姫はディルトの隣にいたクリフトを強引に引っ張りだして自分はリアに飛び付いた。仲間達も集まってくる。 「リア！リア！会いたかった！私、会いたかった！」 リアはアリーナを抱き締めた。と、後ろの方から大男がのっそりとやってきて深々とお辞儀をした。 「あ！あなた、メイの兄さんの詐欺師さん！」 男は慌ててアリーナの口を手で塞いだ。 「しーっ！も、もう足は洗ったんですよ、お姫さん。・・・・いや、実はあのあと旅の途中で食いつめちまいまして妹の止めるのを聞かず、チェルナで盗みを働いちまった。・・・・それがたまたまバルグさんの家で・・・・それが縁でチェルナで暮らすことになりました。・・・・」 リアはクリフトに頷いて見せた。クリフトも微笑む。 「姫さま。」 大臣の一人がやってきて、アリーナを諭した。 「いくら無礼講とはいえ、ここは正式な場。下々の者や低位の家臣とはあまり親しくなさいませぬよう。」 視線は神官やリアに向いている。 アリーナはいきりたった。ドレスも、退屈な挨拶も、儀礼的な受け答えも我慢できる。しかし、これは我慢のできないことだった。 「どうしてです。はっきりお言いなさい。」 「・・・・姫さまは王国を継ぐ御身であらせられます・・・・」 「それがどうしたと？身分がどれほどのものだというのです！」 クリフトが慌てて間に入り、大臣に一礼した。彼は怒っているような悲しんでいるような姫に微笑んでみせながら、自分がアリーナについているべき時は終わったのだと感じた。もう、この姫は為政者の娘としての責任を果たす年になった。自分も神官としての道理を果たそう。 実はこのとき仲間達皆が、自分の進んでいく道のことを考えていた。 魔王は滅んだ。 もう目的は達したのだ。 これからは別々に自分の運命を探求していくのだ。 戦士として、城の魔導士として、或いは商人、或いは踊り子や占い師として・・・・ ”僕は・・・・” アレクは目を静かに暝った。 ”僕は・・・・これからどのように生きていくべきなのだろう？” アリーナは言いたいだけのことをはっきり言うと、くるりと大臣に背を向けた。 王の目はじっと娘を追っていた。アリーナにとってこの王宮が狭すぎることを王は誰よりもよく知っていた。そして王自身、玉座に座って書類に目を通しているアリーナよりも、緑の中をはしゃぎながら走っていくアリーナがより好ましいと思っていた。 （あれのお転婆を諫めるにはよほど落ち着いた我慢強い男が必要だな） 小さく笑う父親の視線の先ではアリーナが足を締め付ける高い靴を脱ぎ捨て、白猫をふわっと抱き上げていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アレクは寝室のバルコニーに出て星空を見上げていた。サントハイムについてから十日ほどが経過していた。初夏の夜風が頬に快く触れていく。彼は耳から下げているシンシアのものだったイアリングにそっと手をやった。 「何を考えているの？」 アレクはアリーナの声にびくっと肩をすくめた。 「・・・・僕、ドアを開けっぱなしにしていたかな？」 アリーナは上を示し、屋根を伝って来たことを告げた。 「考え事の邪魔だった？」 「いや・・・・いいのかい。こんな所を見つかったら、大臣に叱られないかい？」 姫は小さく笑った。 「叱られるのは慣れっこだもの。・・・・皆がもうすぐ離れ離れになると思ったら眠れなくなっちゃって、バルコニーに出てみたの・・・・そうしたら、アレクがいるのが見えたから。私の部屋は尖塔の上だから下の方がよく見えるのよ。・・・・やっぱりアレクも行くの？・・・・もう故郷の村はないのでしょう？ずっとここに居ればいいのに。仕事だってきっとなにか見つかると思うわ。」 アレクは姫の赤い髪の上に手を乗せた。 「・・・・一度は帰らなけりゃいけないんだ。僕の旅が始まった場所に。自分の気持ちを整理するためにもね。それに山の麓近くには祖父がいる。父の墓もある・・・・だから折角だけど・・・・」 姫はくすくす笑った。 「そういうだろうと思った。アレクは将軍になってって頼んでも断るだろうって。・・・・寂しくなっちゃうな。」 アレクは頷いた。ライアンはバトランドに帰り、王宮戦士の職に戻る。ミネアとマーニャはリオレラ大陸に。トルネコ夫妻はサントハイムの援助のため、しばらくこの地にとどまって物資の輸送をきりもりしたいと王に名乗り出ているがそれもしばらくのことだ。 「ブライさんとクリフトさんは一緒だろう？もともと二人はこの国のひとだから。」 姫は手摺りの上に腰掛けると首を振った。 「ブライは一緒。でもクリフトは旅に出るの。禁忌の呪文を使った神官が城にいることはできないって。そして旅で自分を見つめ直したいって・・・・なんにも気にすることないのにね。道中敗残の魔物がいて危ないだろうから一緒に行ってあげようかって声をかけたら、怒られちゃった。”姫さまは国のことをお考え下さい！”・・・・・・何をしろっていうのかしら、国のために。」 アレクは手摺りに身をもたせかけた。 「自分で考えるしかないよ。・・・・僕もわからないんだ。自分が何を成すべきなのか。育ててくれた両親はもういない。勇者として戦ったというだけで他の技量があるわけでもない。ゆっくり考えよう。平和になった今は考える時間は充分にあるのだから・・・・」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その夜、しばらくしてアリーナはアレクをバルコニーに残し聖堂の屋根に登った。夜の散歩に出てきた白猫を膝に抱え、左右に揺れる尻尾をもてあそびながら、彼女なりに自分の取るべき道を考えた。そして決意を固めると屋根を伝って自分の部屋に戻り、ランプを灯し、鵞ペンを削り長い手紙を書き上げた。自分一人でどうにかこうにか正装のドレスを身につけ、高い靴を履くと、ドアを開け、廊下を守る警備兵の驚く姿を尻目に父王の部屋に入っていった。エンドール王マクゲア七世と杯を傾けながら談笑していた王は驚いて目を上げた。アリーナはちらとエンドール王に目をやったが書き上げた手紙を無言でぐいと父王に差し出した。王は一字一句をゆっくりと読み上げると緊張し切った娘に傍に来るように言った。 王は言葉を選んで長々と娘に語りかけると大きな暖かい手で握手した。そしてしっかりと抱き締めると愛情の篭もったキスを与えた。エンドール王は親子の様子を見守った。アリーナは恭しく一礼し、王の部屋を出ようとした。 「あ、アリーナ、待ちなさい。」 父王は何事かを娘の耳に囁いた。姫は首を傾げたが曖昧に頷いた。 「話はそれだけだ。さあ、もう今日はゆっくりとお休み。」 アリーナは部屋を出、その途端、歓声を上げて靴を脱ぎ捨て自室に走っていった。 「・・・・あれが導かれし者の一人だというのだから・・・・。」 王は微笑んですぐにブライとディルト司教を呼びに兵士をつかわせた。マクゲア七世が王の肩に手を置いた。 「いや、貴公は素晴らしい娘御をお持ちになった。・・・あの元気な姫のため、私にできることはありませんかな？」 王は少々口篭もりながらマクゲア七世に一つの頼みごとをした。マクゲアは豪快に笑って了承した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ しばらくしたある日の朝、、一同は旅支度をして城門前に集まった。アレク、ライアン、マーニャにミネア、オーリン。ここに残るトルネコ夫妻は暗いうちから起きだして荷物の最終点検をやってくれていた。サントハイム王から贈られた贈り物も入れられている。まだ城は静まりかえっており、勇者たちの新たな旅立ちにしては寂しい限りだった。 マーニャだけがそれについて文句を言うとアレクが笑った。緑色の瞳がキラキラと輝いて若者らしい底抜けの明るさだった。 「”勇者”になんて、僕はなろうとしていたわけじゃありません。・・・・この世界が今からずっと平和になって僕たちの名前が早く忘れさられた方がいいんですよ。」 「でもさぁ・・・・」 「相変わらずですね。マーニャさんは派手なことが好きなんだから。・・・・また、カジノで大勝負してお金をすったりしないで下さいよ！」 マーニャが怒り、ミネアが宥めた。 「姉さんってば、ほんとうのことでしょう？・・・・アレク、でも・・・・天空城で、魔王はまた蘇ると聞きました。私達が成したことはどんな形にせよ残して置かなくては・・・・」 「それはサントハイムが引き受けますぞ。」 ブライが大きな背負い袋を担いでやってきた。 「陛下は今度のことを書物と石板で残すと約束された。もちろん諸国の城にもその写しが置かれることになっておる。」 アレクはブライが旅じたくをしているのに気付いて問いかけようとしたが、クリフトが歩いてくるのを見て口をつぐんだ。 彼は神官衣を着ておらず、町人の着て歩くチュニック姿だった。見た目上、神官だということはまるでわからない。 「どーしたのよ！それ！」 事情を知らないマーニャが訊ねた。クリフトは俯きかげんに答えた。 「・・・・私は禁忌の呪文を使いました。城の神官でいることはできません・・・・黙って行こうと思いましたが陛下や司教様や爺さまに説きふせられここにこうして来ました。」 「もう！神官ってどうしてそんなにカタいのよ！いくら戒律っていったって馬鹿正直に考えることないじゃないの。あんたのおかげであたしたちは助かったんだし、神様だって許してくれるわよ！」 トルネコやミネアは説き伏せようとし、ライアンは無言で見守っていた。アレクはクリフトの旅の無事を祈り手を握った。ブライだけが呑気にほほ笑みながら傍観していた。 「さて・・・・冒険をともにした者のうちまだ集まっていないのは姫さまだけじゃな・・・・おや、来なされたか。」 アリーナが城門から走りだしてきた。今度はアリーナの格好に度胆を抜かれる番だった。皆を送り出すはずのアリーナがしっかりとした旅装束をしているのだ。前より少し長めの黄色のチュニック、一段と丈夫そうなブーツ、背負い袋の四角いでっぱりは鉄の爪だろう。 「な・・・・何？・・・・私の顔になにか付いている？クリフトの格好のほうがよっぽど変よ。」 クリフトが怒った。 「姫さま！私ははっきり申し上げたではありませんか。国民に対する義務を果たすのですと・・・・お考えになったのですか？」 姫は動じない。 「ええ、考えたわ。城に居て、国民の前に出て手を振ったりお父さまのお手伝いをしたりすることも・・・・でもね、私が城に居ても、そんなに役にたちそうもないと思うの。・・・・今、サントハイムは荒れ果てている。畑を全滅させられた村もあるでしょうし病気で苦しむ人々もいる。・・・・戦いで親をなくした子供も沢山居ると聞くし、働き手をなくして困っているお年寄りも・・・・どこで誰がどんな助けを欲しいのかがわかればお父さまが一番良い手段をとって下さるど私は信じているけれど、どれほど国土が荒れているかは兵士たちが必死で調べている状況よ。・・・・それにまだあちこちに敗残の魔物たちが出没しているわ。・・・・私はダンスも縫い物も下手だけれど、あちこち走り回ったり魔物をやっつけたりするのは大の得意よ。だから考えた末に旅に出ることにしたの！」 「しかし！」 「今度のことはお父さまも賛成してくれたわ。お父さまは私が止めて止まるような娘じゃないって承知していて下さったの。なんか文句ある？」 マーニャとトルネコがが腕をくんでうんうんと頷いた。ミネアははらはらしている。 「でも、私一人じゃ危なっかしいし、考えなしのことをするかもしれないから、ブライに一緒に来てもらうことにしたわ！」 老人は国王から贈られた新しい杖をくるりと回した。 「結局わしも旅立つことになってしまったわい。さて、いつまでこうしていても始まらん。そろそろ行きますかな。」 姫は大きな瞳をぱちぱちさせた。潤んでいるのがはっきりわかった。 マーニャたちは港の方向である南に、ライアンとアレクはしばらくは馬を並べて北東に向かう。クリフトは西に行く。 「みんな。私、きっとサントハイムを豊かにしてみせる！そうしたらまたこの国に来てね！」 マーニャが姫の額を人差し指で弾いた。 「さよなら、お姫様。お姫様はあたしの次にいい女よ！」 姫は頷き、クリフトをじっと見つめた。長年世話をかけた年上の友人にはなむけの言葉をかけようとしたとき、姫の心の中に薄ら寒い喪失感がかけ抜けた。自分でもなにかわからない妙な、しかし強い感情・・・・ そのとき、父王が囁いた言葉の意味がはっきりとわかった。 （アリーナ、お前は怪我をよくする。だから使い慣れた薬箱を持っていきなさい。お前のいろいろな傷に良く効く小さい頃からずっと使ってきた大切な薬箱を。） アリーナはひょいとクリフトが肩から掛けていた鞄を取り上げると馬車に飛び乗り発車させた。馬車はからからと人が歩くほどの速さで動き始める。 「クリフト！早く乗らないと置いていくわよ！」 「は？」 クリフトは狐に摘まれたような顔をしていたが我に返ると叫んだ。 「姫さま！私は旅に出るのです！」 遠くから姫が心の中の不安とは逆に笑いながら叫ぶ。 「自分を見つめ直す旅でしょう。だったら私達と一緒に来ればいいわ！・・・・来てほしいの！クリフトがいると・・・・」 姫は何を言おうか迷って髪を撫で付けた。胸が大きな思いでいっぱいになる。 「クリフトが居るとべ ・ ん ・ り なんだもの〜！」 クリフトは憮然としたあと優しい瞳をみんなに向けた。そして馬車の後を追った。 マーニャはけらけら笑い、口に手をあてて怒鳴った。 「さようなら〜お姫様〜！おじいちゃん〜！堅物神官〜！」 アリーナはクリフトを引っ張り上げると大きく手を振る。 アレクは肩が抜けんばかりに大きく手を振りかえした。元気なお転婆姫！さようなら！ オーリンがマーニャを促す。マーニャはアレクの額に熱烈なキッスをすると舞うように遠ざかっていく。ミネアは深々と頭を下げてアレクに囁いた。 「機会があったらモンバーバラに来てくださいね。あなたのことは一生忘れませんわ。」 オーリンも頭を下げる。 「アレク、我らも・・・・」 ライアンが促す。ライアンとアレクは王より譲られた馬に跨がり歩きだした。 ”さようなら・・・・みんな・・・・かけがえのない仲間達！・・・・さようなら・・・運命の旅の日々よ！” アレクは振り返り振り返り別れを告げた。 馬上の二人の姿が見えなくなってしばらくしてからトルネコ夫妻はやっと手を下ろした。 「行ってしまったね。・・・・」 ネネは夫にほほ笑みかける。肩に乗ったちびモグラがファーッとあくびをする。 「あの可愛らしい綺麗な王女さまは私達がここに居るかぎりはいつかお会いできますわ。あのお年を召した魔道士様もお姿のよい若い神官様も・・・・そして髭を生やした屈強な戦士様も、バトランドの王さまがこちらにおいでになるときはきっと御供としていらっしゃるに違いありませんわ。」 「・・・・マーニャさんとミネアさんはモンバーバラまで出向けば会えるね。・・・・アレクだけは・・・・それにクリフトさんは一度帰ってきて例え神官に戻ってももすぐまたどこかの村に赴任するだろうし。」 「嫌ですわ。そんなに寂しそうな顔をして。会えなくともあなたの思いはお仲間たちに伝わりますわ。私はあなたがいつかまたすべての方々に一時にお会いできると思いますけれど？」 「お前、それは無理だよ。」 ネネは笑っていた。”無理じゃないわ。”というように。トルネコは首を捻った。ネネのいうことはいつだってよく当たるのだ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ クリフトは馬車の中で憮然としていた。ブライが御者台からのんびりと声をかける。 「そう怒ることもないじゃろうが。また三人旅じゃ。お前さんはこの前、旅が楽しかったといっておったろう。」 「それとこれとは違います。私は自分を顧みる旅に出なければならなかったのです！」 アリーナは首を傾げる。 「クリフトは私に人助けが大切だと教えてくれたわ。一人旅より私達と一緒の方が病気や怪我で苦しんでいる人をたくさん助けられるわ。ね？そうでしょ？一人旅はまた別の機会にしたらいいわ。」 「そうじゃそうじゃ。それにおまえさんがいなければ、姫さまに生傷が絶えないぞ。毒をくらって倒れなさるぞ。」 「ブライ！私はそこいらの魔物に傷なんかつけられたりしないわ！」 いやはや、賑やかなこと限りない。クリフトは嘆息した。 「爺さま、私のように妻を娶っていない者が御供をしたなら、城内の口さがない者たちがあらぬ噂をたてるやもしれません。」 「どんな噂じゃ？噂になるようなことをしてみたいのか？」 神官は髪をかきむしった。そして話題を変えることにした。 「・・・・それにしても姫さま嬉しそうですね。アレクたちと別れて寂しいかと思いましたのに・・・・」 アリーナはむくれた。しかしにっこり笑うとクリフトの真正面に座った。 「そんな女々しいことはしません！また会えるんだもの！」 「会える？どういうことです？教えて下さい。」 「私のお願いを聞いてくれたら教えてあげる。」 「・・・・私にできることでしたら・・・・」 姫は居住まいを正した。優しい光をたたえた眼差しで口を開く。 「お城の神官に戻って。」 クリフトははっとした。 「しかし・・・・それは・・・・私は司教様に神官衣もなにもかもお返ししたのです。陛下からも姫さまのそば仕えの任を解いていただきました。」 「ふむ？司教のディルトはお前さんに渡してくれと、ほれ、新しい神官衣をよこしたぞ。」 ブライはクリフトに革袋を放った。中には以前より位の高い神官の着るような旅装束が入っている。 「それからこれはわしからの贈り物じゃ。」 ブライは念入りに膠で修繕した十字架を若者の首にかけた。 「さらに陛下から書きつけも預かっておる。“サントハイムの王宮の左手には魔道の塔、右手には聖堂。三者はいつも共にあるべき。神官よ、そういうことだから諦めてくれ。そば仕えの任は解くが、代わりに『姫の相談役』の任を与える。”」 ・・・・・・サントハイム王も茶目っ気甚だしい。 「全く、司教様も、爺様も、陛下も、姫さまも・・・・・・」 そこまで俯いていた神官は吹っ切れたように顔をあげた。 「わかりました！要するに初めの旅と同じようにすればいいのですねっ！爺さまは私と姫さまの祖父、姫さまは私の妹、私は修業中の神官。最後まで御供いたします！」 「嬉しいっ！」 姫は花のように笑いそのまま神官に抱きついた。 「約束して！ずっと・・・・ずっと一緒にいてね！」 クリフトの視線がどこか泣き出しそうになっているアリーナの瞳とぶつかる。 神官は微笑んでタメイキをついた。まだ自分の役目は終わってくれないらしい。 「はい、私の力が必要なくなるまではおそばに居ります・・・・」 神官にかじりついている姫とその背にやさしく腕を回す神官をちら、と確認し、ブライは鼻歌を歌った。馬車は三人を乗せて早足に北を目指した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「あ〜あ、もうサントハイムがあんなにちっちゃくなっちゃった。」 船の上でマーニャは少しだけ寂しそうに呟いた。オーリンとミネアは彼女の両脇で静かに彼方を眺めている。 「・・・・今となって思えば、いい男ばっかりだったわよね。」 ミネアがくすくす笑った。 「姉さんは、皆さんのことを無茶苦茶にいっていたじゃないの。”坊や”だの、”カタイ”だの、”朴念仁”だの”太ったおじさん”だの・・・・」 「・・・・そうだったぁ？・・・・ね、ミネア。これから皆どうなっていくのかな。幸せになってくれるよね。」 オーリンは、占ってみたらどうかとミネアに進言した。ミネアは、水晶玉を取出して呪文を唱えた。玉は未来の様子を映しだした。マーニャが目をこらして声をあげる。 「あっ、ライアンだわ・・・・相変わらずしかめっつらしてがちゃがちゃ腰に剣ぶらさげてるわねえ。・・・・すっごい山道ね。巡回中かしら。」 「お元気そうで何よりだわ。・・・・ほら、次はトルネコさんよ・・・・ポポロ君はだいぶ背が伸びているわ。ちびモグラ君も健在ね。」 「・・・・商売のほうはどうなんだろ。服装はぱっとしないけど。」 「お嬢さんたち、よくご覧なさい。ほら、ネネさんのいるカウンターの後ろにびっしりと紙が貼ってあります。船の予定だの、取引のことだの。」 「そうね。それに・・・・ほら、これがたぶんお店よ！なんて大きい！店員さんも大勢いるみたい。」 「う〜ん。順風満帆か。ねえ、サントハイムの三人組はどうなんだろう。」 「ちょっと待ってね・・・・ほら、ブライさんが映ったわ。」 「あちゃ〜、高笑いしてるわ。元気一杯ねえ。お姫様は・・・・わぁ！今よりももっともっと綺麗になっちゃって！だけどあの走り方じゃ台無しだわ。堅物は？ふふん、よしよし、ちゃんと神官衣着ているわ。アリーナを見て目を覆って十字を切ってる。今にして思えば、惜しかったなあ。あんなに姿のいい男ってそうそういないもんね。神に身を捧げるなんてもったいない。次は勇者ちゃんね。あれ??・・・・」 マーニャは映ったものを見て不審げにミネアを見た。ミネアも姉と同じものをみて水晶玉が壊れたかと思いもう一度占い直した。再び映ったアレクの姿を見て、またもやマーニャはミネアを見つめた。 「・・・・水晶玉が壊れたか、あんたの腕が落ちたか・・・・」 ミネアは首を振った。 「水晶玉は嘘はつかないわ。きっとこれは本当に起きることにちがいない。」 「・・・・あんなこと起きるわけがないじゃない。あたし、何かかけたっていいわよ。」 ミネアは珍しく賭にのってきた。勝ったほうの言うことを必ずきくという賭だ。 「よーし！取り消しはなしよ。」 オーリンは頭を掻いた。 「・・・・お嬢さん方、それをどうやって確かめるつもりです？」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アレクは無言で馬をすすめていた。年上の王宮戦士は真っすぐに前方を見つめ一歩先を行く。 何か話をしていたい。しかし、何の話をしたらよいのかわからない。・・・・結局のところ、ライアンの寡黙な性格はアレクにとって有り難かった。ライアンの後ろ姿を見ながら彼はさまざまなことを思った。 冒険の最中、アレクは勇者であり常に仲間達を導く存在だった。今はライアンの先導を受けている。そして・・・・その後は一人で歩いていくのだ。 バドランドへ通じる路が大きく北に曲がり、二人に別れの時がきた。ライアンは鹿爪らしい顔のまま、アレクの手をしっかりと二度、三度、握った。 「私に息子がいたならば、アレクのように育ってほしいと願っただろう。・・・・優しさの剣を持つ勇者よ。息災で・・・・」 アレクは頷き、深々と一礼した。剣士はくるりと馬を返すと振り返らず去っていった。アレクは勢いよく馬を走らせて小高い丘の上に出た。そこからはライアンが平原を進んでいるのが見渡せた。 いつしかライアンは見えなくなっていた。馬が心細げに嘶いた。広大な大地の中、そこにいるのはアレクだけだった。彼は馬を軽く叩いて宥めると眩しそうに太陽を眺め、自分の故郷に向かって移動して行った。 漆黒の闇の中、宝石のように光る星々。夜に目覚めを与える茜色の朝焼け。そして生きものたちの生命を謳歌する鳴声。・・・・アレクは危機の去った世界の美しさを旅の中で改めて噛みしめた。・・・・ただ安穏としている美しさではない。魔物たちの爪痕は大地に残っているし、神が世界に与えたもうた自然の猛威は砂嵐や豪雨となってアレクの行く手を阻んだ。にもかかわらずアレクはそれらの脅威にさえも秩序と平和を感じたのだ。 行く先々の村で、彼は村人たちを手伝って働いた。ある村では魔物に潰された水路を直し、次の村では馬に鋤を牽かせた。いつしか季節は秋に移り、彼は収穫の手助けをした。雪が降り始め、路が白く埋まってしまうと彼が滞在していたとある村の人々はこの働き者の若者に村で冬を越すようにすすめた。アレクは村人の厚意に感謝し、縄をない、凍った湖で魚を釣りながら春を待った。 春・・・・ 村人たちはアレクが世界を救った勇者だと知らぬままに、旅の安全を祈って彼を送り出した。彼の手にあった剣だこはなくなり、ベルトには剣ではなく、細工用の小刀と手斧が挟みこまれていた。 「おや、あんた、いつだったか会ったことがあるねえ？」 ブランカの近くまで来たとき、野菜を積んだ荷馬車から男が声をかけてきた。旅の初めのころ、街道からブランカまでアレクを乗せてくれた農夫だった。 「あ、あなたでしたか！その節はお世話になりました！」 「よかったね。生きてこの平和な日を迎えることができてさ。・・・・勇者様が世界をお救いくださったんだってな！」 アレクは微笑んだ。 「ええ、でも、僕はこの世界に住むすべての人々の願いが神に通じて平和になったのだと思います。勇者と呼ばれた人間一人の力ではありません。」 農夫は眉をひそめた。勇者が今の物言いを聞いたならきっと気を悪くするだろう。しかしこの若者には悪気などなさそうだった。以前の何かに焦っているような新米剣士の面影も今はない。・・・・一度は剣で身をたてようとしたが、夢やぶれ、故郷の村に帰って家業でも継ぐつもりなのだろう。農夫は馬車に乗るよう勧めた。アレクは感謝して荷台に腰掛けた。 街道のはずれまで農夫に送ってもらったアレクは丁重に礼を言い、山を目指した。振り返ると今まで来た道は木々の緑の中に隠れていた。山から木をおろすときに使う道を昇りつめ、樵小屋の屋根が見えると彼は足を早めた。 木々の下ばえが去年の落葉の下から驚くほど鮮やかな薄緑の葉を覗かせていた。鳥は囀りその声にまじって軽い斧の音が小気味よくコーンコーンと響いている。小屋の主は玄関口で薪を割っていた。樵の老人はアレクの姿を見ると持っていた斧を取り落とし言葉を失った人のように放心していた。 「お祖父さん・・・・・」 アレクはゆっくりと歩み寄り、老人の体を抱擁した。老人は孫の肩を節くれだった大きな手で抱いた。 「すべて・・・・すべて終わったのだな・・・・よく生きて戻ってくれた・・・・よく運命に立ち向かい勝利した・・・・死んだお前の父、儂の倅も喜ぶことだろう・・・・・」 老人の涙がアレクの服を濡らした。 小屋の裏手の十字架の根元には今日も花が供えられていた。アレクは今は亡き父へ祈りを捧げると、横にある小さな十字架に気付き老人に訊ねた。 それは老犬の墓だった。茶色の大きな犬はアレクがやってくる十日ほど前に主人の墓の前で眠るように静かに神に召されていたのだった。再びアレクが祈るために目を閉じると、何か小さな暖かな固まりが足元にじゃれついて来た。ふわふわした短い毛の薄茶の犬だった。老人が目を細め説明するには、その子犬は老犬の墓を建てたあと、”代わりは僕がしますよ。”というようにどこからともなくここに転がり込んできたのだという。アレクが撫でてやると子犬は激しく尻尾を振った。 祖父は孫を労い小屋に導き入れ、二人は長い間語りあった。頑固な樵の老人はいつしか柔和な年寄りに変わっていた。丸くなって眠っている子犬を抱いて、アレクは旅の話をした。・・・・今は遠く離れた七人の仲間達のことを・・・・旅の先々で出会った素晴らしい人々のことを・・・・そして闇の魔導士とピサロのこと、ロザリーのこと、・・・・自分のために死んでいった育ての親のエリスとグレッグ、ガイスト、ジューザ・・・・シンシア・・・・ 次の日に樵小屋を出発したアレクの背負い袋の口からは好奇心たっぷりに辺りを見回す子犬の頭と前脚が覗いていた。アレクは首を捻って子犬が元気なのを確かめると、一足一足険しい岩を登っていった。悲しみと怒りで下ったこの道。今は・・・・少なくとも怒りはない。 狼が一匹、牙を剥いて灰色の岩陰から唸りをあげた。子犬が怯えて頭を引っ込める。アレクは手斧を振りかざした。 「僕を餌にと考えているのならば戦うぞ。・・・・」 しかし狼の足の間に三匹の小さな仔狼が竦み上がって震えているのを見るとアレクは手斧を収めた。母狼はじっとアレクの様子を窺い、やがてその場を去っていった。 ”クゥ〜ン” おそるおそる顔を出した子犬の額を人差し指で撫でるとアレクは再びゆっくりゆっくり登っていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 子犬が”どうしたの？早く行こうよ？”というようにアレクの足の間を走り回った。アレクは村の入り口が近付くにつれて足が鈍った。 彼は胸をはり、目をあげた。そして焼け爛れたあとのある村の門を一気に走り抜けた。息をきらして村の中央まで走り、辺りを見回した。そして目を覆った。 村はあの日のままだった。焦土となった土には年を経ても何の草花も生えていなかった。家の骨組みは雨風で朽ちて崩れ落ち、池は毒々しい色に染まっていた。 ”・・・・ここには命が・・・・ない・・・・” 彼はうずくまり地面に爪をたてた。 ”失われたものは取り戻せない。・・・それはわかっていたはずだ。でも！・・・・でも・・・・” 掴んで投げた土が散らばった。 その中に小さな緑色のものが見えた。 名も知らぬ草の芽生えだった。しかしアレクにとっては大きな希望だった。彼はその小指の先にも満たない草を手にとって微笑んだ。 ”お前たちは懸命にこの汚された土地でも生きていこうとしているんだね。・・・・僕もやってみるよ。・・・・僕のためにこの村は滅んだのだから・・・・” 「おいで！まず家を作ろう！」 アレクが使えそうな煉瓦を集め始めると子犬は嬉しそうにキャンキャン鳴いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 精霊は地上から天に向かって呼び掛けた。 ”神よ、あの者は運命に従い戦いました。彼は戦いの中で多くのものを失い傷つきました。彼は務めを果たしました。・・・・それの代償として彼は何をあなたから受け取ったのですか？これではあまりに悲しいとはお思いになられませぬか？寂しいとはお思いになられませぬか？・・・・” 天上から答えがあった。 ”精霊よ。時の流れ、運命は変えることはできぬ。だのにお前は私に何を望んでいるのか？” ”運命の書に記されて居なかった事柄が昔ここで起こりました。勇者のために命を落とすことを承知で人々はこの地に集いました。しかし、その中に一人だけ自らの意思ではなく居合わせた者がいたのです。・・・・今、その者は私の魂の中に居ます。神よ、勇者の成したことに報いて下さい。私は小さな存在、あなたの足元にも及ばないものです。しかし私は彼をできるだけ幸福にしてやりたいのです。” 子犬が耳をピクンと動かした。そして元花畑があった場所に行くとペタリと座り込んでアレクを呼ぶように吠えた。アレクは子犬の傍らに立った。すると春の突風がさあっと吹き抜けた。彼が長く伸びた緑の髪を片手で押さえていると、風が彼の周りを舞い、まとわりつき、一人の少女の姿となってアレクの前に現われた。 薄紅色の髪、空色の服・・・・ 「シンシア！・・・・」 驚愕した声でアレクが叫んだ。 少女は目をぎゅっと暝り震えていたが彼の声で目を開け、歓喜と戸惑いの表情を浮かべて青年を見上げた。 「アレク・・・・？あ・・・・私どうして？魔物は？あなたはどうしてここに？」 アレクは少女を抱き締めて微笑んだ。 「終わったんだよ。すべて終わったんだよ、シンシア！・・・・あれから三年たったんだ。僕は生き延びて魔王を倒したよ・・・・ああ！どこから話していいのか！」 シンシアは声を弾ませるアレクの厚い胸板に一度顔を埋めてから顔を上に向けて長い睫をしばたかせた。 「不思議ね。私、ずっとアレクのそばに居たような気がするの。あなたをずっと見ていたような・・・・あなたが苦しんでいるのに助けられなくて悲しくって・・・・・」 春の陽光に、シンシアの片耳のイアリングが煌めいた。アレクは旅の間中自分の耳を飾っていた片割れのイアリングを外しシンシアの耳にそっと返した。 二人の眼差しが交錯しあい、双方の頬が同時に紅く染まった。 「僕と一緒に生きていってくれる？」 アレクが静かにいうと、シンシアは小さく頷いた。 どこかからパチパチと拍手の音と指笛の音がした。アレクが首を巡らせるとオレンジ色の大きな竜が着陸しておりその背からマーニャが滑り降りてきた。直ぐ様他の仲間達が続いて降りてくる。 「マーニャさん？皆！一体これは・・・・」 マーニャは指ぶえを鳴らすのを止め、色鮮やかな舞扇を揺らして艶やかに笑った。 「や〜だ。鳩が豆鉄砲くったような顔して。相変わらず垢抜けないんだから。・・・・今度のことにはあたしもびっくりしてるのよ。モンバーバラでの公演中、いきなりパトリシアが飛んでくるんだもん。いや〜、また会えて嬉しいわ 一段といい男になったわね〜っ 」 マーニャはアレクに抱きついた。ミネアがはがいじめにして引き剥がす。 「姉さんったら！とにかくパトリシアにとても素晴らしいことがあるって聞いてすぐに文字どおり姉さんと一緒に飛んできたんです。」 ミネアはますます落ち着きを増し、華やかな姉とは好一対を成していた。 「いやあ、しかしこういうこととは・・・・本当に素晴らしいことですね。ねえ、ライアンさん。」 トルネコが腹を揺らして言うと、重装備に身を固めたライアンはゆっくり頷いた。 「でも・・・・どうしてわかったんです？パトリシアさん、天空で知らされたのですか？」 パトリシアは首を横に振った。 ”私はお手伝いをしただけ。初めにわかったのはお姫様ですわ。” チュニック姿のアリーナはえいやっとばかり勢いよく飛び下り、クリフトに嘆息させた。ブライはクリフトが降りてからその腕の中に滑り降りた。姫は自慢げに胸を張る。 「私、お別れの日の前の晩に夢をみたの。アレクがシンシアさんに会っていて私達みんなでそれをお祝いにいく夢。どんぴしゃ当たったわ！」 「全く・・・・姫さまはぎりぎりまで私達に教えて下さらないのですから・・・・」 神官が溜息混じりにアレクの傍に行き、以前と変わらぬ優しい瞳を向けて握手し合った。 「まさに。いきなり旅とは年寄りには応えますぞ。」 老人は芝居がかった様子でさも大義そうに杖の宝玉で肩を叩いたがまだまだ矍鑠としていた。 「そうよ！それだったらミネアとの賭に敗けることなかったのに！おかげであたしは一月禁酒させられることになったわ。」 「だって、自信がなかったから・・・・」 戸惑っているシンシアにアレクは説明した。 「魔王を倒した仲間だよ。王宮戦士のライアンさん、商人のトルネコさん、踊り子のマーニャさんに占い師のミネアさん・・・・お二人は姉妹だよ。そしてサントハイムの魔導士のブライさん、神官のクリフトさん、そしてアリーナ姫。」 シンシアは頷く。 「ええ・・・・私・・・・私皆さんのこともなんだか知っているような気がします。」 シンシアがアレクを見上げ、アレクはシンシアを抱く手に力を力を込めた。 「・・・・これからどうするつもりかな？アレク。娘さんと二人で山を降りるつもりならばこの老人が魔法でお送りするがのぉ？」 ブライが穏やかに訊ねた。アレクはそっとシンシアに囁き彼女を見つめた。 「僕はここにとどまり村を元通りにしたいと思うのです。・・・・彼女と一緒に・・・・」 シンシアはこっくり頷いた。 アレクはクリフトに声をかける。 「クリフトさん。この村の新しい始まりの日に、僕ら二人を祝福して下さいませんか。」 マーニャがずりっとこける。 「ちょっと！アレク！なにほざいてんのよ！ドレスもブーケも何にもなしで・・・・！」 怒ろうとして二人の笑顔を見た踊り子は微笑んだ。 「前言撤回！・・・・・ほら！馬鹿神官！あんたが取り仕切る初めての結婚式よ！気合入れてやんなさい！」 どーんとマーニャに背中を叩かれクリフトは聖典片手に歩み出る。 トルネコが背負い籠の中から小さな箱を取り出した。中から現れたのは素朴なつくりの金のリング・・・・・ シンシアが微笑む。絹のドレスも花冠もなかったがそれでも彼女は充分に美しかった。 神官は顔をほころばせ、愛しあう二人の手をとって重ね合わせ、そして祝福を与えた。若い二人は誓いの言葉を神官のあとに続いて唱えた。神官に指輪を渡されたアレクはそっとシンシアの細い指に填め、シンシアもアレクの指にリングを通した。祝福の言葉のあと愛し合う二人はそっと唇を重ねた。 そのときだ。 アレクの懐のあたりからまばゆい光がほとばしった。母親から天空城で貰った花だった。光は空を、大地を優しく照らした。するとみる間に土地は緑を取り戻し、泉は清浄な水をこんこんとわきださせた。そして春の草花が一斉に蕾を開き甘い香りを漂わせる。 アレクは周りの変化に目を見張り歓喜の声をあげた。涙が瞳にあふれ、風景が霞んだ。そして更に深く愛情をこめてシンシアにあらためて接吻をした。 マーニャはミネアと手を取り合い、トルネコはしゃがんで花を指でゆらし、ライアンは兜をとってゆっくり目を閉じて春風を頬でうけた。 アリーナは辺りの様子の変化と、幸せ一杯の二人を代わる代わる見て目を輝かせていた。 「やっぱり、奇跡っておこるのね。」 マーニャは空に向かって叫んだ。 「神様！いいとこあるじゃない！有難う！」 ミネアは姉の横で微笑んでいた。いつかと同じように銀のタロットが柔らかな光を発していた。 パトリシアの声が各人の胸に響きわたってきた。 ”ここから少し離れたところで多くの人々があてのない旅を続けています。心の清い正しい人達で逆境に置かれていても希望をいつも抱いています。この間の戦いで彼らは村を失い新天地を求めていますがいまだ見付けられてはいないのです。その人たちをここに運んできてはいけないでしょうか？” アレクはオレンジ色の竜の前脚の近くに立ち深く頭を垂れるとそのとおりにしてくれるよう頼んだ。シンシアが走り寄る。 「シンシア！村が生き返るんだ！家が作られ畑が耕され、子供達が走り回るようになる。・・・・・・」 マーニャがからかうように甲高い声をかけた。 「あ〜ら、パトリシアにはもうちょっと待ってもらったら？アレク、しばらくシンシアちゃんと二人っきりで暮らしたいでしょ やることいくらでもあるわよぉ。・・・・子供が早く欲しいなら、自分たちのを早いとこつくれば？」 ミネアがわなわなと震え、マーニャは舌を出した。 「冗談冗談。・・・・村が本当に生き返ったらあたしここに来たいな。他に取り柄はないけどさ、踊ってまわりを明るくすることは大の得意だから。ミネアの占いも発展していく途中の村なら大いに力を発揮するわよ。ね、ミネア。」 「ええ・・・・でも、姉さん、どうやってここまで？」 「あう。そっか。う〜ん。キメラ狩りに精を出してキメラの翼を手にいれようか・・・・？」 パトリシアは頷いた。 “心配なさらずに。私は一年に一度、今日この日に、皆さんをこの村に運ぶことにしましょう。あなたたちの強い絆とこの新しい旅立ちの記念に” 旅の仲間たちが顔を輝かせる。マーニャが息を大きく吸い込んで叫ぶ。 「皆！聞いた？さっすが龍！あたしたち、なかなか縁が切れそうにないわよ！パトリシア！あたしたち来年の今日には必ずモンバーバラにいるようにするわ。街を出た西の平原で待ってるわね 」」 ”他の方々は？来年私はどこにお迎えに上がればいいのでしょう。これからどのようになさるのですか。” トルネコが一歩前に出た。 「きっと私はエンドールで商売をしておりますよ。サントハイムはもう八分どおり復興しましたからね。エンドールから船を出してソレッタのパデキアを買い付け、熱病で苦しむ国々に広めたいと思っているのです。いや、もしかしたら故郷のレイクナバに帰っているかもしれません。昔たいへんに世話になった仲間に恩返しをしなければいけませんからね。いずれにせよ、エンドールの店に寄っていただければわかるようにしておきますね。ライアン殿、あなたは？」 王宮戦士は龍を見上げた。 「私は騎士たちの師範として宮仕えの毎日だ。今は大きな事件でも無いかぎり城或いは周辺の山野の警備にあたっている・・・・もう少ししたら私は旅に出る。まだどれだけの魔物が潜んでいるのか。或いは彼らの中にも、我ら人間と共存したいと考えているものも多くあるのかもしれん。・・・・それを確かめに。私もトルネコ殿と同様、来年の今日に遠出をしているときには城の者に居所がわかるよう伝えておこう。」 ブライはくるりと杖をまわした。 「わしは相変わらず姫さまの教育係としてサントハイム城におることになるじゃろう。サントハイムは平穏無事ですからな。」 マーニャがちゃちゃを入れる。 「お姫さまがいて、平穏無事ねえ・・・・婚約者を決める舞踏会なんてのはやらないの？」 アリーナが笑う。 「よくわかったわね、マーニャさん。武闘会を開くの！」 姫は空を蹴飛ばし、魔導士と神官が大きな溜息をついた。 「国も落ち着いたことだし、あちこちから腕自慢が集まるわ。エンドールのマクゲアおじさまも開催に協力してくださるって！今から楽しみ！・・・・勇敢な素晴らしい人がいたら家臣として働いて貰いたいなって思ってるの。戦い方でその人の心はよくわかるんだから！」 「・・・・一応、婿殿募集ということもあるのじゃが。」 「あら、そんなのなし！」 クリフトがたしなめる。 「姫さまは貴族など嫌だとおっしゃっていましたでしょう。この機会を逃したら貴族以外の殿方と出会う機会などないではありませんか。今度のことも、父君が頭の固・・・・いえ、諸大臣をしぶしぶ納得させてやっとかなったのですよ。国の将来はどうなりますか！」 アリーナはクスクスと笑う。 「大丈夫、大丈夫・・・・いざとなったらどうにかするから。」 「え？」 「・・・・財産や身分や剣技・・・・そんなものでなく、優しさや献身や謙虚や愛そして本当の強さといったものに重きが置かれる国・・・・そんな国を私は作ってみせる！」 マーニャが拍手をする。 「そうそう、女の子はそのくらいでなけりゃ。そうして最後に最高にいい男をつかまえんのよ！で、堅物神官、あなたは？まだ聖地に巡礼に行きたいなんて駄々こねてるの？」 クリフトは頭を掻いた。 「・・・・国にはたくさんの孤児が出ました。王は城の敷地内に子供達を集めていらっしゃいます。私はそこで読み書きを教えることになりました。・・・・」 アリーナが口を挟む。 「そしたら私は武闘を教えるわ。ブライは魔法を教えるといいわ。そして私に子供ができたら特に念入りにしごいちゃう。その子達は大きくなったら世界中に散らばって世の中の為に大きな事をするの！きっと凄い子になるわ。爺やみたいにものは凍らせられるし、自分で怪我が治せて便利よ。私は治せないからず〜っとクリフトについていて貰わないといけないけれど・・・・」 「姫さま！武闘を教えるなどと・・・・また石頭の大臣達が大騒ぎいたしますぞ！」 「私は死ぬまで姫さまの薬箱役ですか？便利がらずに、怪我をしないようにすることをお考えください！」 「駄目！うんと怪我するから、一生一緒よ！」 仲間達はくすくす笑いアレクとシンシアは顔を見合わせて何事かを囁き合った。 パトリシアは目で微笑んだ。 ”わかりました。必ずお迎えにあがります。・・・・私は天空から皆さんを見守っています。そしていつもというわけにはいきませんがマスター様のお許しが出る限り、あなたたちに助けが必要なときには参上いたしますわ。わたしもあなたたちの仲間なのですから。では・・・・” 「パトリシア！」 アレクの声が響いた。 「母さんに・・・・母さんによろしく。そしてここで起こったことを伝えて下さい。」 竜は”たしかに”と請け合った。 パトリシアの大きな体が空中へと浮き上がった。下では緑の草原となったかつての冒険の始まりの村で八人の勇士達とシンシアが手を振っていた。 竜はどんどん天へと昇っていった。 ”・・・・・魔王を倒す旅が終わってもあなたたちにはそれぞれの夢をたどる旅がずっと続いているのですね。人間と言う名の小さな生きものよ！開いていきなさい、自らの手で自らの運命を！” 竜の行く先には雲一つない青空が勇者たちの新しい出発を祝福するかのように輝いていた。 おしまい |
| やっと終わったようです・・・・・ あとがき（言い訳）がありますのでよろしかったら見てやって下さい。 |