| エンドールから船で南東に行ったところに大きな陸地がある。リオレラ大陸。遥かな昔には暗黒の大陸と呼ばれていたこともあったが、今ここに住んでいる人間たちはそのことを知らない。 リオレラ大陸の南端に、モンバーバラという町がある。決して大きな商業都市ではないのだが、船員や旅人の姿は絶えることはない。 歌と踊りの町！ 情熱と恋の町！ 旨い酒と綺麗な女！ モンバーバラには疲れた旅人の心を癒す娯楽が一通り揃っていた。 昼間はどこかのどかなこの町は夜になると途端に恐ろしいまでの熱気を帯びてくる。酒場では笑い声に混じって殴り合いがおこり、通りでは商人が怪しげな薬を売っている。所々ではローブをまとった占い師たちが冒険者や町の娘たちにカードで恋の運命を告げている。路地裏では華やかな装いをした女が通行人に声をかけ、一夜の夢を見ることにご執心な男をつかまえている。 そんな中で一番の賑わいをみせているのが、町の中央にあるモンバーバラ大劇場だ。 一度劇場に足を踏み入れると足の踏み場もないほどの観客がつめかけているのが見え、篝火と無数の蝋燭で照らされた舞台を歓声をあげて見つめている。 舞台では十人の踊り子達が、打楽器と笛の音楽にのって悩ましく体をくねらせながら群舞を舞っていた。呼吸の合った見事な踊りだ。やがて、踊り子達はくるくると回りながら舞台の袖に引き揚げていった。 そのとき、タンバリンとカスタネットがリズミカルに軽快な拍子を叩きだした。観客の一人が口笛を吹いた。男たちは一斉に伸び上がり、舞台の袖を凝視した。タンバリンのリズムが最高潮に達すると、舞台の中央に一人の踊り子が飛び出した。観客が大歓声をあげた。 「マーニャ！」 「いいぞ〜！」 「こっち向いてくれー！」 踊り子はリズムに合わせて小麦色の美しい肢体をしなやかに動かして舞った。篝火に髪飾りやアンクレット（足輪）が大きな黒い瞳に負けずにキラキラと輝きしゃらしゃらと小気味良い音をたてて鳴った。紫がかったさらさらした長い髪が動きに合わせてなびき、気紛れな小鳥のように踊りながら男たちにほほ笑みを投げ掛けた。 まさにマーニャは踊るために生まれてきたような娘だった。天性の体の柔らかさと激しい陽気な気性。”太陽の娘、火の精の申し子”と歌われるのも当然のことか。 マーニャは連続してこまのように回転し、最後に大きなジャンプを決めると、深々と優雅にお辞儀をし、観客の拍手に答えて何度も何度も大げさに投げキッスしてみせた。そして、舞台の上から降りると、楽団員に笑いかけ、楽団長の老人の頬にキスして感謝した。 ”あ〜あ！充実した舞台だったなぁ。私、やっぱり踊っているときが一番よ！” マーニャは手の甲で汗を拭うと楽屋に向かって歩きだした。 ”でもちょっと寂しいな。ここで踊ることはもうしばらくの間はないものね。陽気でいい町いい人達だったんだけど。” 看板スターのマーニャには個室の楽屋が用意されていた。マーニャが入ると妹のミネアがにっこりと微笑んで座っていた椅子から立ち上がり、姉にタオルを渡した。オレンジ色のの長いスカートの上から朱色のローブを羽織っている。姉によく似ていたが、その紫水晶の瞳に浮かんでいるのはマーニャのような陽気さではなく月の光にも似た神秘的な光だった。ミネアは踊り子ではなく占い師で、毎晩こうして姉の舞台が終わるのを楽屋で待っているのだ。 「姉さん、ごくろうさま。・・・・どうだった？居た？」 マーニャは大きく溜息をついて手を拡げてみせた。 「駄目よ。」 ミネアは目を伏せた。マーニャは続けた。 「あんなに大勢の観客がいるのに、この町には全然いい男が居ないわ。」 ミネアはむっとして声を荒げた。 「姉さん！そうじゃないでしょ！バルザックよ！バルザック！」 マーニャは舞台化粧を落としながらけらけら笑った。 「わかってるわよぉ。」 「もう・・・姉さんったら・・・」 マーニャの性格をよく知っているミネアだが呆れて溜息をついた。 「・・・・練金術師だったお父さまが弟子のバルザックに殺されてもう長くなるわ。これだけ捜し続けているのにまだ何の手がかりもない・・・・・」 マーニャがミネアの肩に後ろから手を置いた。 「・・・・ミネア、焦っては駄目よ。・・・・バルザックを見付けだしてあたしたちで必ず敵を討とうって約束したわね。・・・・きっと見つかるわ。神様は正しいものの味方でいらっしゃるもの。いつか、必ず。あなたが元気をなくしちゃだめ。」 「姉さん・・・・・」 珍しく真面目に話をする姉を頼もしくミネアは思った。 「・・・・・・・いいことミネア、元気をなくしたら、いい男もよってこないわよ。」 ミネアは深く息を吐いた。姉にシリアスな台詞を期待するほうが無理というものだ。 「あははは、大丈夫、大丈夫、バルザックなんかお姉ちゃんの呪文でフライにしてやるわ！」 マーニャが腕をぶんぶん振り回していると、座長がノックして入ってきた。太った体の上に乗っている真丸な顔は心底残念そうだ。 「マーニャちゃん。・・・・とうとう行っちまうんだな。あんたの踊りは最高だったよ。あんたを越える踊り子は今まで居なかったしこれからも居ないだろう。・・・・・寂しくなるよ。モンバーバラ劇場の火も消えるかもしれん。」 マーニャは座長の背を思いっきり叩いた。 「座長さんったらやあねえ。あたしが居なくなるからって世界が終わる訳じゃなし。涙拭いてよ。敵が討てたら戻ってくるから。そしたら大きな看板出してね！”モンバーバラ一の美人舞姫、マーニャ”って。」 ミネアがくすくす笑った。座長はミネアを見て優しく尋ねた。 「ミネアちゃん。これからどうするんだい。」 「ええ、北の方の町を捜してみようと思うんです。・・・・その前に故郷のコーミズ村に帰ってお墓参りを・・・・・もうすぐ父の命日なんです。」 座長はふむふむと頷いた。 「それはいいことだ。お父さんも喜ぶことだろう。・・・・敵討ちだそうだが、無茶はするんじゃないぞ。なにせあんたたちはまだ十六と十七だ。町の外には魔物も増えてきたようだし。」 マーニャが笑った。 「心配無用！魔物が出たら、あたしの色気で悩殺しちゃうから。」 座長も笑って二人の前に革袋を置いた。ミネアが開けると中には金貨が入っていた。 「こんなに・・・・」 「劇場に大入り満員の連続記録をつくってくれたお礼だよ。それから、敵を討った後に又来てもらうための旅費も入っている。そこのところを間違えてもらっちゃ困る。」 マーニャは礼をいい、しっかり革袋の口を閉めると、背負いかばんにしまった。 「本当に気をつけるんだよ。北に行けば行くほど強い魔物が出るようになるんだそうだから。」 二人は劇場の裏口から出て、夜の町を歩いた。マーニャもミネアもお揃いの黄色いマントを肩からすっぽりかぶり、これからのことを口々に話し合っていた。 「姉さん。今日はここで旅じたくを整えて泊まりましょう。座長さんの言うとおり、魔物には注意しなくちゃ。」 「そうね。薬草や毒消し草、食料や大きめの背負い袋も要るわね。・・・・ねえ、ミネア、あなたの占いで、バルザックがどこにいるかわからないの？」 ミネアは顔を曇らせて胸に抱えた水晶玉を撫でた。 「・・・姉さんも知っているくせに。私は、私達に深く関係していることは全く占うことはできないの。・・・・占い師は自分のことを占ってはいけないのだし、占っても何も見えないわ。」 「・・・・モンバーバラ一の占い師のあんたで駄目なら誰だって占えないわ。・・・・・・ね、ところでちょっと一杯景気付けにやっていかない？」 マーニャはグラスを傾ける真似をした。 「だ〜め！・・・・この間、酔って、呪文を連発して酒場の壁を黒焦げにしちゃったじゃない。あれで一週間分の稼ぎが一瞬にして消えちゃったのよ。姉さんは酒癖がわるいんだから。」 ミネアは手を差し出した。 「な・・・何よ。」 「座長さんから戴いたお金。私が持って歩くわ。」 「・・・・そこまで信頼ないのかなぁ。」 「・・・・なくしたくもなるわ。姉さん、座長さんにさばよんだ歳を教えていたでしょ？」 マーニャは舌を出した。今、マーニャは十八歳、ミネアは十七才である。 マーニャはミネアに革袋を渡した。 「もう、ミイちゃんはしっかりしてんだから・・・・」 マーニャは笑って、妹をひっぱると道具屋に向かった。 道具屋で一揃いの支度を整えると二人は武器屋兼防具屋にに寄ったが、女の身で装備できそうなものはあまりなかった。それでもミネアはいざというときに備えて、軽くてしなやかな茨の鞭を買った。そして姉に踊り子の服は売ってしまって新しく丈夫な服を買ったらと遠慮がちにすすめたが、マーニャは頑として譲らなかった。こういう他愛もないことで意見が対立したときはマーニャが必ず勝つ。 「あ〜、疲れたね、もう宿に行って寝ようか？」 マーニャが提案すると、ミネアも頷いた。眠くて瞼がくっつきそうだった。 ところが宿屋の前にくるとその眠気がふっとんでしまった。大柄な男が宿屋の主人を詰問しているのだ。 「・・・・ですから・・・そのようなお客さまはこちらには泊まっておられないのです。」 男は引き下がらなかった。 「この辺りで見たって奴がいるんだよ。隠し立てするとただじゃおかないぜ。直接調べさせて貰おうじゃないか。」 「ご冗談を！お泊りのお客さま全員に不愉快な思いをさせろとおっしゃるのですか？」 宿の中から、あまり冴えない風貌だが実直そうな旅の青年神官が出てきて二人の間に立った。 「落ち着いて下さい。今は夜ですよ。ここには小さな子供も泊まっています。わたしもあなたが言うような方は見ませんでしたが・・・・」 二人のいい合いは続いている。マーニャはミネアに合図すると宿屋の裏側に回った。 そこには清楚な姿にまるで似合っていない派手な赤いドレスを着て一人の娘が怯えて立っていた。 「姉さんの知合い？」 マーニャは口を妹の耳に寄せて”サ・カ・バ・ノ・ウ・エ・ノ・ヒ・ト”と説明した。酒場のうえは娼館になっている。言われてみれば、あの大男は酒場の用心棒だ。 マーニャは娘に笑い掛けた。 「大丈夫よ。言い付けやしないから。訳を話して。」 「あなたは・・・・町で評判のマーニャさん？」 「うふふ、評判ってほどのことはないけど。」 娘はマーニャが踊り子だということも、父親を殺されて妹と敵を捜しているということも見知っていた。美人なだけでなく心のしっかりした人だとことも。 「・・・・私の名前はリンダといいます。家計を助けるためにこの町に売られてきました。・・・・それは仕方ないんです。私も納得して酒場のう上で働いているんですから。・・・・・・今度、親方から、ここからずっと北のキングレオ城へ行けと言われたんです。”お城に行けばどんな贅沢も思いのまま、お前も新しい運を掴みな”と。お城からの使いに親方はたくさんのお金を貰っているようでした。」 「へえ、嘘みたいにいい話ね。」 リンダは頷いた。 「私より前に店の子が五人お城にあがりました。それからだいぶたつのに一人も帰ってきません。手紙もこないんです。・・・・・一週間に一回は書くって約束したのに。わたし、怖くなって。」 マーニャは思いをめぐらした。そういえば踊り子仲間の中で、一番の剽軽もののローゼという少女が”お城に行ってお姫さまになるの！”と出ていったきり戻ってこなかったっけ。 「ねえ、ミネア。キングレオっていえば、半年前に革命が起こって王さまが代替りしたわよね。」 「ええ、姉さん。新しい王さまはどうも良くない噂が絶えないけれど・・・・・」 マーニャはリンダに向き直った。 「お城に行くのが嫌で逃げてきたのね。・・・追われることはわかってたのに、その度胸気に入ったわ。」 マーニャはにこにこしたが、リンダは相変わらず震えていた。 「私は・・・・逃げられないって諦めたんですが・・・・・」 そこへ青年神官が宿の裏口を開けて出てきて、マーニャたちとリンダが話しているのを見て取り乱した。 「その人たちは！」 そしてリンダを守るようにマーニャを睨み付けた。 「こ、この人に何かしてみなさい。わ、私がただではすまさない！」 リンダが青年の腕をとらえて首を振った。 「違うの！この人は何にも言いはしません。・・・・・マーニャさん、この人、私の幼なじみなんです。神父さまの息子で、村からここに来て昨日偶然私に会って・・・・もういいの、ジェリフ。親方に逆らうことなんかできない。ここまで逃がしてくれたけど大方町の門は子分たちで固められているわ。あなたに迷惑をかけたくない。こんな売女にかかわらないほうがいいわ。」 「何をいうんだ！売女なんて自分を言うものじゃない。あなたははあんな場所に居ちゃいけない。お祈りを欠かしたことのなかったあなただもの。体を売ったからといって心までは売ってはいないはず。」 「でもジェリフ！」 「昨日あなたを見かけて、僕は後悔した。君がここに身を売る前になんとかするべきだったって。身売りなど神が許しておられないのだから。」 「いいえ。駄目。・・・会わなかったと思って出ていってください。」 「しかし、それは神様の望むことではない。」 マーニャは言い合う二人を見て、ちょっといらついてきた。 「あのー。お取り込み中悪いんだけど、子分が門を固めているってのは確実と思うわ。神官さん、町を脱出するいい手でもあるの？」 ジェリフは俯いた。 「げ。考えないで逃げてきたわけ？・・・・神官さん。あなた、言ってることは大いに頷けるし行動力にも感心するけど、詰めが甘いのよね。・・・・で、どうするの。正直なところ、リンダ、あなたこの町を出たい？」 リンダはちらりと神官を見た。 「出たい・・・・・そして故郷に帰りたい。でも、ジェリフの迷惑にはなりたくありません。」 「迷惑ではない！ただ僕は神の道に仕えるものとしてあなたを救うのが務めだから。」 またもや言い合う二人を見て、マーニャは爆発した。 「何をぐちゃぐちゃ言ってんのよ！どーして神官ってそうカタイの！”リンダ、愛してる、二人でこの町を出よう！”て叫べば簡単なことじゃない。」 マーニャの気迫に気押されて、二人は赤くなるどころか目を丸くして直立している。 「とにかく、このあたしに任せて！どうせあたしたちも明日は出発するんだから記念に大暴れしてもいいわよね。ミネア。」 ミネアは硬直した笑いを浮かべた。こうなったら止めてどうにかなる姉ではない。リンダを逃がすこと自体には賛成だからまあいいだろう。 マーニャはにっこりと・・・まるで舞台の上でのように微笑んでみせた。 「じゃ、呼びにいくまで荷物の整理でもしててね 」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 夜の町をマーニャとミネアはぶらぶらと歩いていって町の門を調べた。案の定、酒場の子分どもがうろついている。マーニャが行ってしまうことを知った町の人々は、二人を見かけると名残惜しそうに声を掛けてくれた。 「姉さん。それでどうやってリンダさんを逃がすつもり？」 人通りのない路地にはいってミネアは尋ねた。マーニャは頭を掻いた。 「これといったいい考えがないのよね。」 ミネアはぎゃふんとなった。 「・・・・・それでよく、さっきの神官さんに詰めが甘いなんて言えたわね。」 「平気平気。いざとなれば、呪文で・・・」 「駄目！姉さんの呪文はぶっそうなんだから。いくら酒場の子分だって殺人はいけないわ。」 マーニャは故郷のコーミズ村のおばばに火の精を使う呪文を習った。性格と同じく呪文も派手で、火が吹き出したり空中で爆発が起こったり、町のなかで使うのは危険だし目立ちすぎる。 「殺人はないでしょ！・・・・・ま、それもそうか。ミネアの呪文ならいいかしら。」 ミネアは姉と同じおばばに呪文を習ったが、姉のようにきまぐれな火の精を扱うことはできなかった。ミネアの扱うのは身軽で優しい空気の精であり、多少の回復呪文も唱えることができた。 「そうね・・・・でも呪文が使われたのを知ったら他の人は身構えるわ。四ヶ所の門に三人ずついたでしょう。三人が集まってくれるかどうか・・・・」 「それこそでたとこ勝負よ。リンダたちに知らせて決行よ！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ モンバーバラの南の門に姉妹はたどりついた。酒場の子分が三人居る。建物の陰からそれを確認した二人は頷きあい、まずミネアが水晶玉を持って近付いた。 「占いはいかがですか。」 ごろつきといえど、ミネアの占いがよくあたるという評判は聞いている。そして神秘的なミネアの美しさもあって振り向かずには居られなかった。そして三人のうち二人がミネアの回りに集まった。 ”あとの一人は任せたわよ。姉さん。” ミネアは心の中で言って二人の男に尋ねた。 「今日でこの町での占いはおしまいですから、ただで結構ですわ。さあ、あなたがたの知りたいさだめはなんでしょう。恋？お金？それとも名誉？」 一人がにやけて言った。手はミネアの肩の方にのびている。 「俺は断然恋の占いだな。」 もうひとりも同意し、ミネアは男の手の位置に身を固くして水晶玉を見つめた。そして小さく呪文を唱えたが、それは占いのための呪文ではなかった。 「世界に普く住む空気の精たち。私のためにいま少し道をあけ給え。眠りをもたらす安らかな雲となってこの者たちの目を閉じさせ給え。」 水晶玉を覗き込んでいた男たちはふうっと目を閉じてその場に崩れ落ちた。ミネアは男の腕を持ってずるずるとひきずり、門の横に寝かせた。 「いい夢見てくださいね。」 目をあげると、もう一人の男の姿はなかった。 ”姉さんがやってくれたのね。・・・・変だわ。リンダさんたちまだ来ないのかしら・・・・” ミネアが二人を引き付けることに成功したのを見たマーニャは建物の陰から手をくねらせるように振っておいでおいでした。最初は動こうとしなかった男も、それが舞姫のマーニャだとわかると、鼻の下をのばしてふらふらとついていった。マーニャは男がそばにくると、マントを脱いで踊り子の服の姿になった。そして腕を男の首に回した。 「・・・・・ねぇ・・・・私、今日でこの町とお別れなの。・・・・素敵な恋を捜したけれど、いい人は誰もできなかったわ。・・・・・逞しいお兄さん。最後の一晩、私にいい思い出をつくってくださらない？ねェ、・・・・それともわたしじゃいや？」 マーニャは妖しいまでに魅力的な瞳で流し目を送った。男はもう有頂天だ。マーニャは抱き締めようと迫ってくる男から逃げると微笑みかけた。 「あわてちゃいや。夜は長いんだから。あ！」 マーニャは大げさに驚いてみせた。 「ど、どうしたんだ？」 「私、イヤリングを落としてしまったみたい。捜してくださる？」 男が地面を捜そうとしゃがんだ途端にマーニャはそばにあった酒樽の底板で男の頭をなぐった。男は気絶してのびた。 「ははっ 平和的に倒せたわ。（これのどこが平和的だというのだろう？）さーて、ミネアの方は大丈夫かな。」 マーニャが出ていくと、ミネアは元気よく手を振った。ちょうど荷物を背負ったリンダとジェリフがやってくるところだった。 マーニャは妹の横に並ぶと、走ってきたリンダと握手した。 「どうにか片付いたわよ。さあ、早く逃げて。」 「マーニャさん、ミネアさん。私、どうお礼をいったらよいか・・・・・」 「いいのよ。そのかわり、もしもどこかの町であたしが踊っていたら是非観にきてね！」 ミネアも握った手の上に自分の手を重ねた。 「町を出れば、親方だって追っては来ないでしょう。お金のかかることは嫌いですから。お元気で。」 ジェリフが青い神官帽を被り直して礼を言った。 「本当に有難うございました。これでリンダも救われます。」 マーニャが口を尖らせた。 「まーだ言ってんの？・・・・ったく、”これで二人で暮らせます。”くらい言ったら？」 神官は頬を染めた。 「そ・・・そんな。ただ私は神官として・・・・これから彼女を故郷の村まで送っていってまた私は修業の旅を続けます。・・・・それではお二方とも・・・・・」 「あ、待って。」 マーニャがミネアに手を差し出した。ミネアは戸惑ったが了解すると金貨の入った革袋を懐から出した。ミネアは金貨を一掴み取出し、数を数えてもう一枚足すとジェリフの荷物に押し込んだ。神官は固辞して恐縮したがマーニャは気に留めなかった。 「あたしたちがもっているよりずっと役に立つわよ。」 「姉さんの言うとおりです。さあ、夜は魔物も多いけれどきっと神様が守ってくださるわ。」 二人はもう一度姉妹に礼をいうと連れ立って闇のなかに消えていった。 見上げると綺麗な星空。姉妹は黙ったまま肩を寄せあって天の川を眺めていた。 小さな頃。村の近くの原っぱに敷物を敷いてよく星を見たっけ。二人の真ん中には父のエドガンが座って、星座の形やそれにまつわる伝説を話してくれたものだった。ときには見習いのオーリンも混ざって・・・ 今、優しく話をしてくれた父はこの世の人ではない。オーリンも行方不明だ。あるいは父と同じようにバルザックに殺されたのかもしれない。 「ミネア、私達も行こうか。」 「ええ、姉さん。」 二人が宿に寄って預けておいた荷物を受け取って劇場の前まで来たとき、宿でリンダのことを尋ねていた男がつかつかと歩いてきた。ミネアは咄嗟に隠れようとしたが、この人は何も知らないはずだと思いなおして平然とすましていた。だが、男は物凄い形相でミネアの胸ぐらを掴んだ。ミネアの細いからだが宙に浮いた。 「ちょっと！あたしの妹になにするの！」 マーニャが叫んだ。が、男の後ろから、頭にこぶをこしらえた、自分が殴り倒した男がやってくるのをみて、キャッと声をあげた。 「どうしようミネア！さっき気絶させた男、正気に戻っちゃった。」 ”姉さんの馬鹿！どうして手足くらい縛っておかないの！” ミネアは捕まえられていて精神が集中できず呪文が使えない。マーニャは妹を人質に取られた格好になり手出しができない。マーニャは肩をいからせて目をつりあげていた。 「・・・・・妹を放しなさい。」 押し殺した声でマーニャは言った。 男は唾を吐いた。 「よくも見張りを色仕掛けで倒してくれたな。大方リンダを逃がしたんだろう。」 「そうよ。」 「どっちへ行った。」 「さあね。もうあたしの知ったことじゃないわ。・・・・・それより妹を放しなさい。」 男は残忍に笑ってミネアを掴んでいる手を更に上に上げた。 「リンダの代わりに働いて貰おうじゃないか。モンバーバラの美人姉妹が働いているとなりゃあ男たちがひきもきらずにやってくるぜ。え？いい玉じゃないか。」 「・・・・・妹に、下品な言葉を使わないでよ。・・・・・あたしを本当に怒らせたわね。後悔するんじゃないわよ！」 ミネアは男を蹴り付けて叫んだ。 「姉さん！駄目よ！」 そのときマーニャはすでに、呪文を唱え、手のひらを勢いよく前に押し出した。ミネアをとらえている男の足元に火球が飛んで弾けた。男は驚愕したがミネアをとらえている手は放さなかった。 「次はあんたに直接当てるわよ。・・・・妹を盾にしようとしても無駄よ。その子には私の呪文は効かないんだから。」 ”姉さん・・・はったりはやめてよ！姉さんの作った火が私にあたったら私はどう考えても黒焦げになっちゃうわ。” 男がほんの少し手を緩めた。喉が楽になったミネアは眠りの呪文を唱えはじめた。 しかし、姉妹が呪文を唱えるより早く、男はミネアを放さなければならなくなった。騒ぎを聞きつけた劇場の人々が、二人を助けに出てきたのだ。踊り子仲間も居れば、手品師、漫才師もいる。座長自らもお出ましだ。 「お・・・おまえら、なんだ。酒場の親分に楯突こうってのか！」 焦って男はいった。 座長が一歩進み出た。 「そんな気はないよ。ただ、マーニャや私達をいたぶるのは勝手だが、それで叱られるのはあんただよ。モンバーバラは私の劇場があるからこそ多くの人がやってくるんだ。人が集まるからこそあんたの親分の酒場も儲かる。・・・・・それにモンバーバラの名物姉妹をいじめたというだけで、酒場の収益は下がるだろうね。酒場はあんたのとこだけじゃないんだよ。」 座員たちも黙ってはいない。 「もしもマーニャやミネアちゃんになにかしたら、あたしたち全員であんたのその顔をひっかいてやるわ！」 「短刀投げならおれは大得意だ。お前の心臓をを的にしてやろうか。」 「おいらは前座で、お客に全然うけないけれど、マーニャちゃんに何度も励まされたんだ。おいら、体をはってでも二人を守るぞ。」 一同の殺気に押されて男たちは逃げていった。座長がマーニャとミネアを抱き締めた。 「全く、最後まではらはらさせるね。さあ、もうこれでごたごたはないと思うが、念のためにはやいところ町を出なさい。」 二人は自分たちを助けてくれたすべての人に会釈をして手を振った。 「元気でね！」 「しっかりやれよぉ！」 「また会おう！」 そして歓声のなか、二人はなつかしいコーミズ村に旅立っていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「姉さん・・・・」 「ん？」 月明かりに照らされた夜の街道を二人はやや急ぎ足に歩いていた。 「そっと出発するつもりだったのに、皆に送ってもらうことになってしまったわね。」 「そうね。あたしまでなんだかしんみりしちゃったわ・・・・・暗い中を出発することになるとも思っていなかったけど。・・・・・うふ。これって夜逃げっていうのかしら。」 ミネアは立ち止まって手を差し出した。 「？その手、何よ。」 「さっき渡した革袋。」 「・・・・覚えてたんだ。しっかりしてるわねえ。」 マーニャは鞄から袋を出して妹に渡した。 「・・・・・リンダに多くあげすぎたかな。」 マーニャは妹が”多すぎた”といわないことを知っていたが、それでも一応聞いてみた。 「そんなことないわ。・・・・・姉さんが無駄づかいしなければ、私達にはそれ位で充分よ。・・・・・ねえ、姉さん。ジェリフさんっていい人ね。」 「そうねぇ。いい人ね。・・・・いい男じゃないけど。」 ミネアは吹いた。 「いい人といい男の人って違うの？」 「大違いよ。・・・・あたし、神官ってのが男としては苦手なのよね。やたら堅苦しい感じで何かといえば神様がどうしたこうしたではっきり自分の言葉でものをいわないし、真面目は真面目だけどその真面目さが近くにいるとこっちにとっては重圧でどうも性に合わないの。一緒に旅なんかしたら露骨に嫌うかからかって遊ぶかどっちかになるんじゃないかしら。」 このとき、小さな縁のついた大きな神官帽をかぶったサントハイムの背の高い若き神官はフレノール付近の馬車のなかでで大きなくしゃみをしていたのだが、それはこの章の物語とは今現在何のつながりもない。 「私はコーミズ村の神父さま、大好きだったけれど・・・」 「それはミネアがいい子だったからよ。あたし小さい頃から神父さまにいろいろ叱られていたから・・・・・・・ねえ、ミネア、リンダたち、これから先どうなるのかしら。無事に逃げられるかな。」 ミネアは立ち止まって、水晶玉を幽かな月明かりのなかで凝視した。そして微笑んだ。 「姉さんが心配することないみたい。・・・・・あの二人はすぐに結婚するわ。たくさんの子供にも恵まれるし・・・・」 「ふぅん。あんなカタイ奴でもどうにかなる場合もあるのねぇ。・・・・・みて、ミネア。東の空がもう白んでいくわ。綺麗ね。私達の出発を祝ってくれているみたいよ」 それはそれは見事な朝焼けだった。朝焼けは凶兆の印という者もいるが、そんなことを忘れさせるくらいに美しい空の色だった。 「いよいよよ。」 「そうよ。今度こそお父さまの敵を・・・・・」 ミネアはこぶしを握った。 「ミネア、これからよろしくね。・・・・・さがすわよ、まず第一に敵のバルザックそして第二にいい男を！」 踊り子マーニャ、占い師ミネア。今、モンバーバラの名物姉妹はこうして旅に出た。 |
| ４章の開幕です。うちの姐さんはなんだかんだいって世話焼きのお節介です。 もうここいらからクリフト受難の萌芽が・・・・ |