バトランド王国は北を海に面し、南を山に囲まれた自然に恵まれた古くからの王国である。バトランド城は、領土の南東に位置し、小高い丘の上から城下町や村々を見守っている。 バトランド王は一見したところのんきでお人好しとも思えるほど国民に優しい君主であった。しかし、彼は領土の隅々までの様子を知るために各地に兵士を派遣し、国民の生活を脅かす事が起こればすぐに選りすぐりの戦士たちを送り込む用意を整えている優れた男王であった。その戦士たちは総勢五十名。国王直々に任命した勇者たちで、人々は彼らを王宮戦士と呼んだ。 「・・・・というわけで、灰青色した化物モグラの群れに俺は長剣をふりかざして突っ込んでいった。一振りで奴らの大半が血の海に沈んだ。だが、本当の戦いはそれからだったのさ！」 夜も更け、城の裏手にある兵士たちの食堂で、酒を酌み交わしながらの武勇伝が始まった。王宮戦士も夜の見張りにあたっている一般の兵士も交ざりあって談笑している。昼間の訓練の時に見せていた厳しい顔を今はかなぐり捨て、少年のように頬を紅潮させ、面白そうに仲間の話を聞いている。王宮戦士の一人が大きなどらごえを張り上げた。 「・・・・・でだ、そのモグラの死体で、王宮の大広間を一杯に覆えるほど大きな敷物ができたのだ。」 「へえ！それで村人の作物を守ることができたのですね。それにしてもジョルドさんの剣の腕はすばらしいものですね。さすが王宮戦士のお一人ですわ。」 炊事場に勤めはじめたばかりの娘が、目を輝かせ、話をしていた男を見つめた。 どっと笑い声が起こった。若い、まだ少年のような兵士が説明する。 「コリーン姉さん！ジョルドさんの話は五割引で聞いて丁度よいくらいなんだよ。大体考えても見てくれ。王宮の大広間程のモグラの敷物を作って何に使うと思う？」 娘はきょとんとしていたが、剣士たちが揃って笑っているのを見てやっとわかったように微笑した。そしてまわりを見渡した。自分のまわりで笑っている勇士たち。弟のカナルも笑っている。自分の同僚である下働きの者も微笑んでいる。 ・・・・しかし、それらの人々からぽつんと一人離れて、静かに酒を飲んでいる一人の男がいた。 「あの人は・・・・・」 ジョルドは笑うのをやめてコリーンに囁いた。 「あれは俺たちのなかでも変わり種さ。馬鹿騒ぎを嫌い、女遊びもしないし酒も度を超した事がない。出世を望みもせず・・・・・王が昇進させようとしたときには固辞して顰蹙を買った男だ。ただし、剣の腕はたいしたものだがな。夜中でも一人で自分を鍛えていることがある。つい最近、赤い色をした竜を倒したのはあいつだ。」 「・・・・あの方がドラゴンスレイヤー（竜殺し）の称号を得た方なのですね！わあ、こんなに近くでお会いできるなんて！お名前は？」 「あいつかい？ライアンだよ。」 ライアンは引き締まった体を持った、三十過ぎの長身の剣士だった。黒い髪は短く刈りこまれ、大きな口髭がいかめしくピンと横に跳ねている。太い眉の間にはいつも立て皺が刻まれ、それが彼を実際より歳取ってみせていた。彼は銅の杯から葡萄酒を飲みながら、外から聞えてくる啜り泣きにじっと耳を澄ませていた。女の声だ。ときどきそれを宥めているらしい男の声が交じっている。 ライアンはもう一口葡萄酒を飲んだ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「みなのもの。よく聞いてくれ。」 謁見の間に王宮戦士を集めバトランド王は重々しい声で言った。戦士達は跪き、頭を垂れている。 「わが王国の各地で子供達が行方不明になっているという知らせをわしは受け取っていた。そして昨日遠方のイムルの村からも母親がわしに訴えにきたのだ。・・・・・イムルでは同じ年頃の男の子供ばかりいなくなっているという。戦士たちよ。事の真偽を確かめこのわしに報告するのじゃ。魔物の数もこのところ増えている。油断するな。」 王宮戦士たちは一斉に立ち上がり広間を後にした。だが、ライアンだけはその場に残り、王のそばで小さくなっている母親に近寄った。母親は厳つい顔の戦士が鎧を鳴らして近寄ってきたのに怯えたが、泣き腫らした目を袖でこすると一礼した。 「戦士様！お願いでございます！子供達をおすくい下さいませ。」 ライアンは母親の肩に手を置いて言った。 「怯えることはない。子供は居なくなる前に何をしていたのだ。」 女はふるえ声で答えた。 「ププルは、いえ、息子は村外に出ておりました。森で遊んでいるうちに姿が見えなくなったのでございます。一人になったときらしく、一緒に遊びに出た子供たちは何も知らないといっております。・・・・ああ、戦士様、手がかりは一つとしてないのでございます。私は私は・・・・・・」 王宮戦士は慰めるように女の背を二度三度叩いた。彼は父母の顔を知らない。母はライアンを産んで間もなく亡くなり、王宮戦士だった父は沼に住む邪悪な水竜と戦って命を失った。ライアンは父の同僚の王宮戦士達に育てられた。戦士たちのすべてが父代わりであったが特定の”親”と呼べる人間はだれも居なかった。それだけに、この悲嘆に暮れる母親の叫びは孤独な彼の心を疼かせるのに十分だった。 「・・・・ときにあなたの息子の年はいくつかな。」 「・・・・今年十歳になります。」 ライアンは眉間の皺を深くした。以前に耳にした、三件の事件でもいなくなったのは確かに十歳の男の子だった。これはただの偶然だろうか。 考えこむライアンを、母親はじっと見つめていた。戦士は生真面目な黒い瞳で見つめ返した。 「我らができるかぎりのことはする。あなたは家を守り子供の帰りを静かに待っていてくれ。」 夜、ライアンは自分の宿舎に戻り装備を固めていた。使いこんで表面に傷が刻まれた鎧兜、彼の命を守り続けて何年にもなる愛用の大剣。竜退治の後に王から送られた宝石を散りばめたブロードソードは丁寧に梱包したのちに炊事場のおかみにあずけてしまった。全く王さまにも困ったものだ。ライアンの性格として、報奨を取ろうとしないのを承知の上でこのような高価な品物を押しつけるのだから・・・・・ 馬の鞍に置く荷は担いで歩くことも考えて背負い袋にし、ロープやランプ、干し肉や薬草などをぎっちりと詰め込んだ。 同室の兵士が遠慮がちに声をかけた。食堂で姉と話していた下級兵士のカナルである。本来王宮戦士たちは普通の兵舎よりも豪華な特別な部屋に住まいするようになっている。が、ライアンはそれを嫌い、二人一部屋の普通の兵舎を住居としていた。 「なにかお手伝いすることはありませんか？ライアンさん。」 カナルはまだ十七、イムルのそばの小さな村からやってきた志願兵だ。志願兵といっても一種の口減らしである。カナルも一年前までは農地で鍬をふるっていた青年だった。兵士になれば食物に困ることもなくそのうえ些少ではあるが故郷に金銭を送ることもできる。姉のコリーンがはるばる王都に出てきたことを考えても、家が裕福でないことははっきりしていた。 「別にこれといってはない。・・・・巡回の組のことは聞いているか？」 カナルは首を振った。 「いいえ。時期的にはもう王宮戦士のうちのどなたかについて巡視をするはずなのですが、何分私には後ろ盾となって下さるような方もありませんし、隊長殿が決めて下さらない限りお声がかりはないでしょう。」 ライアンは革袋の口をしっかりと縛ると静かに言った。 「明日、隊長から正式な通達があるだろう。俺と組を組んでイムルに行くことになる。よろしく頼むぞ。」 ぶっきらぼうな言い方だったが、カナルは嬉しそうに頷いた。 「ああ、僕もやっと認められたんですね。ライアンさんとご一緒できるなんてこれ以上光栄なことはありません！」 カナルの少年のように無垢な心は、見かけは恐ろしげに見えてもライアンが恐ろしい冷酷な戦士ではないと短い共同生活のうちに感じとっていた。実際、ライアンは寡黙で取りつきにくい男だがそれは内面を全く表してはいない。他の王宮戦士の誰よりも優しく情け深いといっても過言ではないのだが、彼は自分の感情を表に出そうとは決してしなかった。戦士として生きる決心をしてから、彼は心にも鎧をまとった。感情を殺し、氷のような冷静さで近ごろとみに数を増してきた魔物たちに立ち向かいその刃で敵を屠ってきた。 カナルにはそこらへんの詳しいことはわかっていなかったがライアンは信頼できる尊敬すべき剣士だとはわかりすぎるほどわかっていた。 剣の手入れをする戦士をカナルは溜息まじりに憧れをもって眺めた。 戦士は黙々と剣の手入れを続けた。 「・・・・荷をそろえておくがいい。」 「僕・・・・いや、私が役にたてればよいのですけれど。情けない話ですが剣を抜かずにすまないかと今から思っていますよ。ああ、どうにかしてライアンさんのように強くなって魔物を片端からやっつけてみたいなぁ。」 ライアンはギロリとカナルを睨んだ。青年は身をすくめて縮こまった。その様子を見て戦士はすぐに目の光を和らげた。 「カナル、悪かった。気にするな。ただ、戦士というものはそんなに良いものではないのだ。」 彼の脳裏には先日倒した竜の姿がよぎっていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 竜が巣食っていたのは辺境の集落の近くの洞窟であった。夜な夜な大地を揺るがすような咆哮が聞こえるということで王宮戦士のなかでも選りすぐりの二十人の男たちが派遣された。もちろんその中にライアンも含まれていた。 村人たちは口々に不安を訴えた。これは新しい暗黒の時代の幕開けではないか。このままにしておけばじきに竜は村を襲うだろう。田畑は荒らされ家は壊され多くの命が魔物によって奪われるに違いない。 一通り話を聞き終わると王宮戦士達は装備を整え岩だらけの道を洞窟へと向かった。現地に到着すると隊長は綿密な計画を練り、各人の持ち場を決め、攻撃の手順を確認すると煙を入り口で焚いた。 しばらくすると竜はいぶし出されて入り口へと出てきた。戦士たちは竜の太い四本の足にそれぞれ三人がかりでロープをかけた。竜は動きを止められて身を震わせた。戦士の何人かが笑みを浮かべた。竜の側面に控えた戦士たちが大きく剣を振りかぶった。そのとき、ライアンの視界の隅に竜の太い尾が薙ぎ払うように迫ってきた。 「離れろ！」 彼の言葉に素早く反応しきれずに二人の戦士が尾の打撃を受けて吹っとんだ。 ロープを持っている男たちはここで放すものかとしがみついていたが竜は体をくねらせ呪縛をふりほどいた。ここにきて初めて戦士たちに焦りの表情が見え始めた。やがて、地面の上を引き摺られ、戦士たちはすべてはねのけられた。そして竜はかっと目を開くとゴオッと火を吹き出した。何人かが体を焼かれて転げ回った。 「退却！一時退却せよ！」 隊長の声が響いた。 ライアンも一度剣を納め逃げ始めたが、隊長は何を思ったか村とは逆の方角、山の奥にいくほうへと逃げ始めた。また竜は火を吹いた。 「隊長！」 隊長は足を焼かれうずくまっていた。ライアンは素早く行動を起こし、隊長を抱えると岩陰に引き摺りこんだ。 「隊長殿！」 隊長は火傷の苦痛に顔を歪めながらもしっかりとした口調でライアンに話し掛けた。 「奴は怒っている。このまま我らが村に帰還すれば奴はそこまで追ってくるだろう。村に被害が及ぶことは必定。なんとか奴を・・・・・・・・・」 ライアンは大きく頷き岩陰から飛び出した。そして決死の覚悟で竜の後ろ足に切り付けた。竜は呻き金色の目で戦士を睨んだ。 「さあ！くるがいい！私が相手だ！」 重い装備をものともせずにライアンは岩から岩へと飛び移り竜を村から離れた方へと誘導した。竜の鈎爪や炎の息がいくどか戦士の鎧をかすったが戦士は恐怖の表情を浮かべることは全くなかった。 むしろ竜のほうに焦りがあった。この固い殻を身につけた人間を早く殺そうと足元も見ずにどんどん歩いていった結果、竜はバランスを崩し右に大きく揺らいだ。そこを見逃すライアンではない。彼は気合いもろとも飛び上がると竜の首の根元をざっくりと深く切った。緑色の血が飛び散り、竜は断末魔の声を上げてその場に倒れた。 その姿が今になっても妙に頭から離れないのだ。竜はそのとき確かに金色の目から涙をこぼしていた。そして最後にあげた叫びも悲しみの声に思われた。人間たちに知られず、なんの悪さもせず、岩ばかりの土地に静かに住んできた竜。それを自分たちはいぶしだしたのだ。縄張りを荒らされた上に煙を吸わされ、ロープをかけられ剣を向けられ・・・・・・・そんな状況で暴れようとしない生きものがいるだろうか？邪悪な竜と村人達は噂していたが、誰が邪悪と定めたのだろうか。古来、多くの神のうち、天空の城に住み、人間界を見守っている神は竜神だと伝えられてきているではないか。 村に龍の死体を運んでいったとき、村人たちは総出で戦士たちを歓呼で迎えた。そのときもライアンは名誉や誇りとは程遠い苦い切ない感情を胸の奥で渦巻かせていた。村人たちは一通り歓迎の式を済ませてしまうと興味半分に龍の死体を棒でつつき遠くから石を投げ付けて傷つけた。ライアンはそうやって興じている村人の瞳の中に龍よりずっと邪悪な気配を感じたようにさえ思った。 ライアンは首を振った。 今は魔物が増え、人々が苦しんでいるとき。そのときに王宮戦士たるものが迷いを覚えてはならない。 真夜中を告げる鐘の音がゴォンと響いてライアンは自分の考えから現実世界に立ち戻った。 傍らではカナルがトロンとした目をして小さなあくびをし、ライアンの視線に気付くと慌てて手で口を覆った。ライアンは荷物を部屋の隅にまとめるとトントンとカナルの背を叩いた。 「すまぬ。俺の物思いに付き合わせてしまったようだな。・・・・さあ、休もう。」 ランプを消し、手錬の戦士と新米兵士は眠りに落ちていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「忘れ物はない？隊長様にいただいたお手当ては鞄の一番底に入れた？」 バトランド城下町の大門でコリーンに言われ、馬を牽いて歩いていたカナルは憮然としながらも背負い鞄の底の包みを確認した。 「いいこと？ライアン様のお荷物にならないようにね。」 姉娘は弟の兜やマントの具合を直してやった。 「姉さん！言われなくてもわかっているさ！俺だって自分の力不足は承知しているよ！」 コリーンは弟の隣で弟と同じように馬を牽いているライアンに、少し不安げに訊ねた。 「ライアン様・・・・本当に弟のこと、お頼み申し上げます。・・・・頼りない子ですけれど真面目なことだけは保証いたしますわ。」 王宮戦士は微笑した。 「それで十分だ。真面目であればいい。」 そのとき、彼らのそばを一人のほっそりした婦人が逃げるように走っていき、そのあとを脂ぎった顔の大柄な男が追って来た。男はやがて婦人に追い付き彼女の二の腕をつかむとなにやら大声でがなりたてた。婦人は腕を振り解こうとあらがったが男は万力のように腕をしめあげ遠目にも手の色が変わっていくのがわかった。 カナルは弾かれたように飛びだして男の手から婦人を救いだした。 「フレアさんに何をするんだ！」 男は意地悪く笑った。 「これはこれは兵隊さん。私はこのご婦人に話をしようとしただけですよ。なあ、フレア。」 フレアと呼ばれた婦人は男から顔を背けた。カナルは男をねめつけ場合によっては剣を抜くことも辞さない様子だ。 「なあ、フレア。私はあなたの夫アレクスに金を貸した。・・・・・そのアレクスは靴つくりの材料を仕入にいったきり行方知れず。・・・・・大方他に女を作って逃げたんだろう。それともどこかでのたれ死んだか・・・・女一人暮らしていくのは大変だよ。私の妻になれば借金は意味がなくなるし楽ができる。これ以上いいことはないじゃないかね？」 フレアは唇を噛みしめた。 「いいえ！アレクスはきっと生きていますわ。生きて私のところに帰ってきます。私はずっとあの人を待っております。」 男は目をすうっと細くした。 「そうかい。ならば金を返すんだね。期限はあと一月のはずだ。一月たって返せなければ、お前さんの体で返して貰う。これは正式な取り決めだ。」 カナルはいきりたった。 「アレクスさんは帰ってくるさ！あの人は優しい人なんだ。奥さんを置いていくはずないんだ！フレアさんから離れろ！」 「ふふん。若い兵隊さん。私は街の有力者。へたな口をきくとあんたもこの街に居づらくなるよ。私は伊達や酔狂で金を貸しているわけじゃないのでね。・・・・・自分の幸せを追求していくこと、それは間違いではない。自分の生活を守りたい、豊かにくらしたい。それは当然の欲求だ。」 カナルはこぶしを握り締め必死に男を殴りたい気持ちを押さえていた。男は嘲ら笑っていたが、急に顔色を帰ると去っていった。カナルが振り向くとライアンが腰に手をかけて射抜くような瞳で逃げていく男を見送っていた。街の有力者といえど、王宮戦士に逆らうまで無謀ではないのだ。 フレアが深々と頭を下げると、カナルは顔を上げさせ、自分の胸をボンと叩いた。 「おれ、これからイムルのほうにいきます。きっとアレクスさんを見付けてきます！あんな奴のいいなりになっちゃだめですよ！」 フレアは疲れた瞳を涙で潤ませ、そのまま踵をかえして店を閉じたままの靴屋の中に入っていった。 「カナル。アレクスを見付けるなどと安請け合いはせぬほうがいい。」 カナルは唇を噛みしめた。そして俯く。 「安請け合いだとわかっていても言ってあげたかったんです。・・・・アレクスさんもフレアさんもいいひとなんです。俺・・・初めて田舎から出てきたとき、金、なくって・・・腹減って座り込んでいたらフレアさんがパンをくれたんです。チーズをはさんで。・・・・・おれ・・・・」 カナルが再び顔を上げたときにはライアンは既に馬に跨がり街の外へと出発した最中だった。 「あ？ラ、ライアンさん？待ってください！」 あたふたと追ってくるカナルの気配を背後で感じながらライアンはアレクスという靴屋の消息に気をとめておこうと心に誓った。 |
| 最後まで残ってしまった第１章・・・・。寡黙な戦士をどうやって言葉以外で語らせるか・・・更新はゆっくりの予定です。 |