僚機の翼 |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが公式設定とは異なっている部分があります。また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。 アレックさんルートグッドＥＤ後、エリカとは既に所帯を持っている設定ですが恋愛主眼の話ではありません。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
アレック・ユーティライネンは物音にゆっくりと目蓋を開いた。眠りにつく前から豪雨がこのロランドの街を吹き荒れ、窓硝子に叩きつけられる水滴の音と、時折思い出したように響く雷鳴で、幾度か目を覚ましそうになったような気がする。しかし、今は風雨とは異質な音が彼の耳に入って来ていた。何か固いものを叩く音。 アレックははっきりと目を覚ました。昨夜、“恥ずかしいけれど駄目なものはは駄目なんです、怖いんです、ゴメンナサイ”と稲妻が空を走り大きな雷鳴が轟くたびに頭まで毛布を引っ張り上げて腕に齧りついてきた妻は、前夜の整備の疲れからか頭をアレックの肩にもたせかけた姿勢でぐっすり眠っていたが、齧りついた腕は放してくれていなかった。 コンコン。 次第に意識がはっきりし、物音はノックの音だとわかる。 「エリカ、エリカ、すまない、誰か来たようだ。」 妻を優しく揺さぶり、腕にかけられていた指をほぐすように外すと、エリカも目をさました。ベッドから出て、寝巻きの上にコートを羽織った夫を見、跳ね起きて自分もガウンを羽織る。 「ロビュ小隊、航空班所属、アレックユーティライネン伍長、緊急呼び出しです。扉を開けられたし。」 ノックする者は、硬い声でそう告げていた。 アレックが扉を開けると、合羽を羽織っているものの全身ずぶ濡れになったまだ年若い伝令兵がドアの向こうに立っていた。アレックが姿を現すと、途端に気をつけの姿勢をとり、右手をあげて敬礼する。 「伍長殿、司令よりの呼集であります。」 伝令兵は懐に手を入れ、油紙に二重に包んだ紙を渡した。アレックはざっと目を通す。そこには、至急小隊に戻れという以外の情報は書き込まれていなかった。が、クラウスが無為に自分を呼び出すことなどないことは、アレックが一番よく知っている。 「わかりました。すぐに出頭します。」 「はっ！自分は階段下でお待ち致します。」 伝令兵が出て行くとアレックは寝室に戻って、軍服を身につけた。そして、エリカが整備の服を着ようとしているのを見、肩に手を置いて制止した。 「エリカ、君はまだ寝ているんだ。君に呼集がかかったわけではないよ。……君はこのところずっと疲れているようだし、ゆっくり休んでいたまえ。何日か前にドックで倒れたのを忘れたのかい？今も少し顔色が悪いよ？」 エリカは首を振る。 「アレックさんが呼ばれたのなら、それはオオルリに関係したことでしょう。だったら私にも無関係のはずがないです。あの子の整備、私がずっとやってきたんですもの。呼集がかかっていなくても、ドックで私にできることが待っている。親方さんや、オズウェルやトゥーフォンにもできることかもしれないけれど、私が居れば役にたつはず。違いますか。」 結婚してしばらくたつのにまだ自分を『さん』付けで呼ぶ若妻に、アレックは柔らかく微笑みながら肩をすくめて『降参』というポーズをした。 「ならば、一緒に行こう。ただし、上着を一枚余計に羽織ること。……気温も低くなっているようだからね。」 夫婦は互いにコートを着せかけ、その上から合羽を羽織った。傘も手にしたが、この激しい雨ではあまり役にたちそうになかった。 伝令兵のあとに続いてロビュ小隊に向かったアレックは、コートを脱ぐ間もなく、司令室へと導かれた。召集を受けていないエリカはアレックに小さく手を振ってから自発的にドックに向かった。地面を激しく打つような雨の中、ドックに入って合羽のフードを外すと、親方やオズウェルが目を丸くしていた。 「親方さん！あの、一体何が。」 ナカジマは呆れたように呟いた。 「あーあー、やっぱり来ちまったか。」 今度はエリカが目を丸くする番だ。 「え？」 「……いやな、エリカ、お前さんには知らさないでおこうってクラウスと話してたんだがな、オズウェルの奴は『あいつは絶対に来ますよ、アレックさんが来るな、というのでなければ』ってぼそぼそ言いやがって……」 横合いでオズウェルが頷く。トゥーフォンはまずオズウェルを見、それからエリカを見、真顔で言った。 「やることはいくつもあるんだけどさ、こんな整備、俺達だって初めてで……」 眉を下げたトゥーフォンにエリカはコートのまま、詰め寄る。トゥーフォン、親方さん、オズウェル、一体何が起こっているの？そう訊ねるエリカにナカジマは重い口を開いた。 「シュレスベルク共和国からの要請……ですか。」 司令室でクラウスと向き合ったアレックは戸惑いの色を隠せなかった。二年前、シュレスベルク帝国はユクトランド王国へ一方的に宣戦布告し、両者はいつ大戦へと突入してもおかしくない状況であった。しかし、時を同じくして帝国内のレジスタンスが革命を決行。ユクトランド王国を初めとした他国からの支援を受けたレジスタンスは瞬く間に拠点を制圧していき、内戦で疲弊した帝国は皇帝の国外逃亡という形で崩壊し、共和国となった。アレックはユクトランド王国第一皇太子の命を受け、帝国空軍機に包囲されつつもこれを撃破し、革命軍の指揮者に情報を伝える役目を負い……その後は第四皇女エルネスティーネの要請を受け、無名の一パイロットとして帝国機と戦い……和平の陰の立役者となった過去がある。 クラウスはいつもにも増して厳しい表情で、アレックを見つめる。 「旧帝国の第四皇女が国内視察中に暴漢に襲われ、ナイフで腕を切られた。傷は軽症であったが、敗血症の気配がある。シュレスベルク政府からの要請により、本小隊は抗生剤を首都近くまで至急空輸することとなった。」 アレックが眉を顰める。シュレスベルクは内戦により、軍事以外の各分野は大きな打撃を受けた。抗生剤の手持ちがないのは頷ける。そして、また、第四皇女がユクトランドにとっても需要人物であるのもわかる。……彼女はまだ成人前とはいえ、小シュレス主義者達からは偶像視されているからだ。旧帝国の残党は一掃されたわけではない。ここで揺れ戻しがくることは避けねばならない。 しかし…… アレックはクラウスの後ろにある窓に叩きつけるように降っている雨に目を向けた。 「飛べるか。」 司令に言われ、アレックはまたじっと窓を見る。 「これは私を指名しての命令なのでしょうか。」 頷くクラウス。……アレックしかいないのだ。彼ならば、最も高い可能性があり、そして……そしてもしも失敗したとしても、『あのユクトランド一のエース アレック・ユーティライネンをしても作戦は不可能であった』と上層部が対外的にも言い訳ができるのだから。 クラウスを見、アレックは微笑んだ。 「ならば、飛びます。……他の者への命令であったなら、私は『飛べない』と答えます。……部下を失いたくはありませんから。」 その答えにクラウスはかすかに眉を動かした。 「……私も、みすみす部下を失いたくはない。……もう一度訊く。飛べるのか。」 真情を吐露する司令にアレックは敬礼を返す。 「飛んでみせます。」 正直、ここまでの風雨の中を飛んだことは過去に二度ほどしかない。しかも、それはユクトランド国内……すべてを知り尽くした空でのことだった。今回は国境を越えた長距離飛行……悪条件は上げればキリがない。しかし、どんな悪条件でも、それを乗り越える術がないと決まっているわけではない。 自分が飛ばねば、皇女が死ぬ。皇女が死ねば、またユクトランドの国境は脅かされるかもしれない。それは自分の本意ではない。アレックは抗生剤を受け取りに軍医の所に寄った。二つの箱。一方が破損してももう一方が助かるようにとの配慮。そして箱1つには小さな皇女を癒すには十分な量の抗生剤アンプルが入っている。軍医に指示され、箱を持ってきたのはアリサだった。手渡すときにアリサは思いつめたような顔をしていた。それは無言ながら“絶対にここに帰って来て下さい。エリカちゃんは二年も待ったんです。今度は待たせないで下さい”と雄弁に物語っていた。 「行ってきます。」 軍医に敬礼し、振り向き様にアリサに軽く手を振り、アレックはパイロット控え室へと急ぐ。雨で濡れることによる体温の喪失を少しでも抑えるためにいつもよりも念入りに身支度を整え、マフラーを巻き、防水ズボンとコートを飛行服の上に身につける。司令から渡された地図をじっと睨み、航路を頭に叩き込む。1500ｍ近くの山が聳える山塊、川、平地、街……単独飛行では飛行中に無電で情報を受け取ることはできない。もっともこの天候では後ろに通信士を乗せていてもモールス信号を受けることなど不可能だろうが。少しでも防水できるよう地図にワックスを塗りたくり、それを懐に押し込む。 ドックに入ると、整備士の視線が一斉にアレックに集まった。複座のオオルリＢのコクピットに陣取っていたナカジマは年齢を感じさせない身軽さで床へと降り立った。 「俺が考えられるうちで最もバランスが取りやすいように鉄板背負わせた。機銃は外した。いつもより少し力かませて押したり引いたりしろ。……軽くは動かんようにしてある。」 ナカジマからの言葉はあまり詳しいものではなかったが、古くからの付き合いであるアレックにはそれで十分なのだろう。 「ああ、それと……硝子はぶったたけばふっとぶようにしておいた。」 アレックは目を見開き……はい、と微笑んだ。オズウェルもトゥーフォンもその『硝子』が何を意味するのかはわからないようだ。 「オズウェル、その箱を後部座席にワイヤーで括り付けてやれ。後部座席にくくったら、別のワイヤーで操縦席の脚にも巻いとけ。トゥーフォン、もう一度背負わせた鉄板のボルトを確認しろ。エリカ、明かりを渡してやれ。」 エリカは夫に掌に乗るくらいの小さな非常灯を渡した。アレックが横にある釦を押すと、赤い光が灯る。 「これを使わないで済めばいいけれど……」 エリカの顔は妙に青白かった。アレックは一度飛行手袋を脱いで、エリカの茶の髪を指先で優しく梳き、掌をエリカの頬にあてた。 と、背後でいてててて、というトゥーフォンの声が上がった。振り向けば、オズウェルがトゥーフォンの耳をひっぱり歩いていくところだった。 「早く済ませて下さい。……ちょっとの間だったら、俺達後ろ向いてますから。」 次にオズウェルが向き直ったとき、二人はちゃんと別れを済ませたようだった。 「いってくるよ。」 「……いってらっしゃい、アレックさん！」 ドックの扉が開けられる。雨は少しだけ小止みになったようだった。整備されたオオルリは台に載せられ、レール上を海まで移動させられていく。 離着水桟橋にはクラウス司令自らが出向いていた。飛行服のアレックに敬礼し、アレックも敬礼を返す。言葉はもう不必要なのだろう。 アレックがコクピットに乗り込むとき、ナカジマは大声を出した。 「いいか！敵は風だけじゃあねえ！雷と氷には気をつけろ！」 了解した印にアレックは頷いて飛行帽のゴーグルを一度上げた。 離水は何事もなく行われた。夜間、しかも雨の中であったが、オオルリはいつもどおり滑らかに空へと昇っていく。ドックの明かりが一度夜の闇にオオルリの青い翼を鮮やかに浮き上がらせた。……それで終わりだった。月も星もない雨模様の深夜の空、ユクトランド王国の伝説のエースは静かに旅立って行った。 「戦争でもねえのに、なんでまた自分の子供を面倒くせえことに送りださにゃあいかんのかな。」 ぼそりと呟いたナカジマの言葉にエリカは思わず彼の節くれだった手を握り締めていた。 「……ったく。なあ、エリカ、冗談じゃねえよなあ。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 雨脚は徐々に強まってきた。これは予想されていたことだ。小隊を出発する前にシュレスベルク共和国からの新たな入電はなかった。ということは、彼の地では天候が非常に不安定ということを示している。操縦桿を保ち、時折夜光塗料で光を放つ計器を見る。エンジン出力、高度……そして方位。彼が帝国に居る間にナカジマはオオルリにジャイロスコープを装備してくれていた。これで、機体の傾きと、方位を知ることができる。時折横殴りの突風が吹き付けてきたが、オオルリは操縦者の操縦桿さばきに従順に従い、多少煽られはしたものの、危なげのない飛行を続けていた。 雨はじわじわと飛行服の内部に侵入してくるものの、袖や襟の部分だけですんでいる。 雨は強くなり、時折ゴーグルを拭わないと視界が開けない。いや、今この状況ではアレック自慢の視力ではなく計器の示す値が命綱であった。 そのとき、雷鳴が聞こえた。 真正面で何本かの暗い色の細い稲妻が地面に向かって瞬間的に落ちた。そして、その両脇にも！ （まずい！) ここは雷雲の巣だった。再び稲妻が光り、雷鳴が響く。……その差はどんどんと縮まっている。 “雷に気をつけろ” ナカジマの言葉が脳裏にひらめく。オオルリの機体の一部には金属が使用されている。他に何もない場所では格好の雷の餌食だろう。アレックは雷雲が薄いと思われる場所に転進する。 目の前がいきなり明るくなると同時にドーンという音がした。駄々を捏ねるように揺れる機体を操縦桿をひいて落ち着かせる。……直撃はどうやら免れた。そして、有難いことに稲妻と雷鳴の間隔はどんどん開いていく。雷雨の地域を抜けたのだ。 (！） しかし、オオルリはダメージを受けていた。ジャイロ……機体の平衡と機首の示す方位を示す夜間無視界飛行の要である計器の針が狂ったように暴れていた。いっとき呆然としたアレックは一度息を整えて操縦桿を握りなおした。 他のメーターは……問題ない。オイル漏れもないようだ。 (大陸大戦時はジャイロなど使わずすべて目視で飛んで居たんだ。そのことを思い出せ。) 水平線や地平線が見えない状態で機体の水平を保つのはベテランパイロットでも至難の技だ。雲の中を飛ぶときに、ジャイロなしでは水平飛行を続けているつもりであったのにいつの間にか背面飛行になっていたという事例はいくらでもあったが、アレックにはまだ経験はない。己の平衡感覚を信じ、行くしかない。非常の時のためにもって来ていた方位磁針は蓋をあけるとただぐるぐると回った。……方位磁針もまた、落雷の影響を受けてしまったのだった。 燃料メーターを見れば、あと行程は３分の１ほどのはずだ。なんとか、なんとかもたせる！ 雨脚は相変わらず強い。風もまた間断なく吹き付ける。飛行を続ける中、アレックは異変に気付いた。本来、見えてくるはずの、シュレスベルク共和国の軍事施設の明かりが見えないのだ。これがただの街であったなら豪雨の中真っ暗であるのはわからないでもないが、軍事施設が明かりを落とすことはない。……風による影響で随分流されてしまっているのか？彼は地図を思い出す。方位を誤れば、分厚い山稜が続く。そこで燃料が切れてしまえば、どこにも着陸する場所はない。 （親方。短時間だけ。短い間だけです。上に行かせて下さい) アレックは操縦桿をゆっくりと引く。オオルリは急上昇を開始し、雲の中に入り……更に、雲を抜けた。 雲の上は星空だった。先程までの豪雨が嘘のように月が照り、星が輝いている。アレックは素早く北極星の位置を確認する。そして、遙か彼方、雲の上に突き出ているこの国の最高峰の位置も。 方位はわかった。さあ、戻らねば！この天国のように静かな世界に何時までも居ることはできないのだ。高度を上げたために、異常なほどの寒さがむき出しの頬を刺した。雨で濡れた翼の一部に氷が光ったのが見えた。……戻らねば。エンジンも薄い空気に悲鳴をあげている。……ナカジマが注意を促したように、翼が凍結して命を落としたパイロットはいままで幾百人もいるのだ。急降下をかける。この雲のすぐ下が山稜ならば、激突してそれで終わりだ。ただ……雲の様子と高度からしてそれはないとアレックは判断していた。彼は無事に豪雨の中へと戻ったが、アレックは機体のバランスに異常を感じた。後部が重い……視界の端で尾翼が凍り付いているのが見えた。 （……このままでは……落ちる) ええい、ままよ！とアレックはキールを下げた。風に煽られ機体が傾く。それには頓着せず、すぐにキールを渾身の力を込めて引き上げる。 バリン！ 物凄い音がし、キールを戻した反動で尾翼から氷塊が落下していったのを感じる。傾いた機体を立て直すのに苦労しつつ、これからの航路を反芻する。これからしばらくは山稜の上を飛ぶ。高度を保っていなくてはならない。しかし、山稜が終わって間もなく目的地が迫ってくるはずだ。アレクは笑った。親方はいつも必要なものを用意していてくれる。計器灯と夜光塗料でその存在を主張する高度計の盤面をアレックはドンと叩いた。軽く止められていた保護の硝子が飛ぶ。アレックは左手の指で直に高度計の針を触った。目は計器から放し、まっすぐに前を見る。もうすぐ夜明けのはずだ。いくら豪雨でも、ほの明るささえあれば、なんとか…なんとかコースを保てるはずだ。 自分が予定通りのコースを飛んでいるかどうか、もはやアレックにはわからなかった。ただ、彼は夜明けを待った。最悪、大きくコースを外れていたとしても、燃料に余裕はある。立て直せるはずだ。そして、昼までに抗生剤を届けることができれば、なんとか皇女の命は助かるだろうと軍医もいっていた。 そのとき、突風が襲い掛かった。 これは、豪雨によるものではない……地形効果……まったく風景が見えないのでなんともいえないが、山や谷を吹く風の悪戯だ。 （くっ……) 体勢は立て直せる。しかし、次にまた突風が襲い掛かった。……ここがユクトランド国内だったなら！ユクトランドならば、どの山の上を飛べば安全か、アレックにはわかっていた。どの山塊から山脈に入り、どうやったら山から抜けられるのか、彼は知っていた。何か指針が欲しかった。暗闇ではない導いてくれる指針。星でもいい、月でもいい、街の明かりでもいい。彼と彼の相棒――オオルリ――が今この時間にどこにいるのかを知らせてくれる何かが欲しかった。 と、何か異質な音が聞こえた。雨音ではない。風の声でもない。オオルリのエンジン音でもプロペラの回転音でもない。いや、これはオオルリではないなにか別のエンジン音だ。と、遠くから近づいてくる機体をアレックは認めた。折りしも、淡い朝日があたりを照らし始めていた。そこに浮かび上がったのは緑色の羽をもった旧帝国の機体だった。 「グリュンフォイエル!?……ヨハン？」 革命軍に参加しているときには一時共に飛んだこともある旧帝国のエースを捕捉したアレックの驚きを他所に、ヤクトケーファーは近づいてきてすれ違った。コクピットにはヨハンが座っているのが見えた。ヨハンはそのままぐるりと旋回し、手信号で“ついてこい”とアレックに指示を出した。アレックは素直に従う。ここは彼の空、彼のフィールドなのだ。 相変わらず雨は降っていたが、それからの飛行は順調なものだった。ヨハンはどこをどう飛べば最も安全かを知っていた。アレックの操縦の力量も熟知していた。最後にヨハンは大きな湖の周りで大きく一回円を描いて見せた。それはこの湖が終着点だという合図であった。 “これから本機は帰投する” 再び接近し、手信号が送られてくる。アレックも手信号を返す。 “貴公の誘導に感謝する” ヨハンはそのまま飛び去った。アレックはすぐに着水の準備をする。もう、目視で水面を捉えることができる。豪雨は雨粒を水面にピンで突き刺すような勢いで降っているが、歴戦のエースに不安はなかった。 教科書通りの着水を決め、あとは桟橋を探してゆっくり湖面を進む。 改めてコクピットを見れば、くるぶしまでたっぷりと水がたまっている。さっき割った硝子の破片は散らばり、いうまでもなくジャイロは派手に壊れたままだ。 （相棒、今回も随分と手荒く扱ってしまったね。すまない。) 桟橋が見えてきた。誰かが手を振っている。アレックも手を振り、懐から非常灯を取り出した。釦を押すとほの赤く光が灯る。 (エリカ。どうやら無事だったよ。……ああ、もしかしたら君にも叱られてしまうかもしれないね、『この子を乱暴に扱わないで下さい』って。……大丈夫、ちゃんと叱られるから。君にも、親方にもね。) ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 抗生剤は間に合い、皇女は命を取り留めた。シュレスベルク共和国の空軍でオオルリは整備を受けた。もっとも、本格的な整備はロビュに帰ってからで、ジャイロも割れた硝子もそのままだ。……晴れてさえいれば、アレックにジャイロは必要ない。ただ、酷使したエンジンの整備と、バランスを取るために無理やり取り付けた鉄板の除去には少しばかり時間がかかった。 整備を待っているアレックに来客があった。 与えられた部屋で、アレックは握手して来客を迎えた。 「ヨハン・レーヴェンハルト准尉。先日は有難う。君の厚意に感謝する。」 アレックは共和国の大臣達から、ヨハンがオオルリの誘導の為に飛び立ったのは軍の命令だったのではなく、彼の独断だったと知らされていた。軍法会議ものの行動だが、ここで彼を糾弾すれば、世論が黙っては居ない……ということで咎めはない。微笑んで握手するアレックにヨハンは複雑な表情をしていた。 「いや、深く考えて動いたわけではない。あまり感謝されても……戸惑います。」 「それでも、君は俺を助けてくれた。君がいなかったら、俺は生きていなかったかもしれない。感謝するのは当然だ。」 ヨハンはもごもごと何事かを呟いた。アレックが聞き返すと、彼は言った。 「俺は、あなたとは違う。……ケーファーに乗り込み、誰かを助けたことなど一度もなかった。俺は出撃命令が下れば離陸し、目の前に敵がいれば撃墜し……それだけだった。それだけのことで帝国屈指のエースという名を貰った。……あなたは僚機を撃墜されたことがなかったという。……俺は僚機が何機撃墜されたのかすら覚えてはいない。そして、革命が勃発したとき、俺は旧帝国から反乱軍側に寝返り、嘗て共に出撃した者達を撃墜していった。それにも痛みをあまり感じなかった。昨日まで同じ組織に居たものが、敵に回っただけ、それだけだった。作戦のときに、俺は一人で飛ぶことが常で、僚機と呼ぶ者はいなかった。……あなたとたまたま翼を並べたことがありはしましたが。 撃ち落す、という行為に長けていても、誰かを守るために飛ぶ、ということはしなかった。……それは俺にとってはあまり意味のないことに思えていた。だが……あなたがユクトランドから豪雨の中を来る、と聞き…… 俺にとっての僚機は、もしかしたらあなたの操るオオルリなのかもしれない、と気付いた。 ここであなたを守らなかったらもう誰も守れないのだろうと俺は思った。そうしたら……あとは体が勝手に動いていた。」 アレックはこの不器用な青年の言動を切なく感じた。ヨハンもアレックも二等兵からの叩き上げでエースとなり、准尉の位を得た。しかし、ヨハンはクラウスやナカジマのような人物に巡りあえず、不遇で孤独な毎日を送っていたという。帝国空軍に所属していた過去を持ちそれなのに尚、敵国だったユクトランドのアレックのオオルリを僚機と呼ぶ。それは彼の心がシュレスベルクには無かったということなのだろう。 アレックは言葉で訊こうとせずに、ポン、とヨハンの肩を1つ叩いた。 「ロランドでは皆元気でやっている。爆撃で半壊していたフォンク亭も立派に再開したよ。サラちゃんの怪我もすっかりよくなって何もかも元通り。セルジュ君もお店で大声を出して注文取りに精を出しているよ。」 ヨハンの表情が柔らかくなった。 「そうですか。それはよかった。……本当によかった。」 ああ、この青年の心は、こんなところにあったのか。 「時折フォンク亭に来ていたロビュ小隊の人たちはご健勝ですか。」 「ああ、……そうだね、よく外に出ていた若い連中のことだったら……コリンも、トゥーフォンも、アリサちゃんも、カレンちゃんも元気でやっているよ。ルカも重傷からすっかり回復した。彼は王都に今いるのだけれどね。」 ヨハンはもう一度、ああ、よかった。と言った。 「整備士のエリカは元気ですか。彼女にはとても世話になりました。まだロビュにいるのでしょうか。」 アレックはなんといったものか躊躇したが、顔を赤くしつつ言った。 「あー、彼女は……その……結婚した。今は……俺の……妻で……ああ……」 途端にアレックはヨハンからぎゅっと抱擁された。よかった、よかった、と繰り返すヨハンにアレックは有難う、と静かに返事をした。 入ってきたときとは別人のように、子供のような邪気のない笑顔のヨハンを見ているうちに、アレックはどうしても質問を1つしたくなった。 「オオルリは見てくれたかい。」 「はい。……以前にも拝見しましたが、不思議な設計ですね。しかし、美しい機体です。」 「……尾翼の花に気付いただろうか。あれはエリカが描いたのだよ。オオルリが戦闘以外で長い距離を飛んだときに『良く頑張ったね』という印に花を一輪ずつ書き足していっている。エリカはオオルリのことを人間のように『あの子』と呼ぶ。俺はオオルリのことを『相棒』と呼ぶ。……君は君の機体、あの緑の翼を持ったケーファーを何と呼んでいる？」 ヨハンは口を閉ざし、目蓋をゆっくりと閉じ、随分と考えているようだった。 「俺も、今日から『相棒』と呼びましょう。……あなたの翼を救う手伝いをしてくれたのですから。」 ヨハンとアレックは微笑みあった。 「お時間を割いていただき有難うございました。俺はこれで失礼します。」 「今度またロランドに来るといい。」 それが許されるなら、とヨハンは控えめにいった。二人のエースは固く握手を交わし、もう一度抱擁し合い、それから別れた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「おおーい、来たぞー来た来たー。アレックさん、帰ってきたぞ!!」 トゥーフォンが大声を出して医療室にやってきた。無電で無事は知らされていたものの、エリカはほっと胸を撫で下ろす。エリカとアリサとカレンは同時に立ち上がるとゆっくり歩き出す。……エリカを真ん中にして、少しだけ気遣うように顔色を見ながら。 「あれ？カレン、走んないの？」 「……歩いたってアレックさんは逃げないでしょ？」 えー？お前、いつもは走るだろー？とトゥーフォンはぼやき、一人走っていった。 アレックが離着水桟橋にオオルリを横付けにしたとき、三人娘はゆっくりあるいてきた。ナカジマはコクピットを覗いて“随分無理をさせやがったなあ！”とポカリと一発アレックの頭を拳骨で殴り、“ま、お前が無事ならいいってことにすっか”と豪快に笑った。オズウェルは早速壊れたジャイロの部分を点検している。ドックでゆっくりやればよさそうなものだが、最新機器のジャイロはオズウェルにとって今は何より興味がある素材らしかった。アレックはゴーグルを外し、飛行帽と手袋も外した。やってきたエリカをそっと抱きしめ、ただいま、帰ってきたよ、というとエリカはお帰りなさい、と言った。 「ヨハンに会ったよ。」 「あのね、アレックさん。」 同時に言葉が出て、その後同時に『先にどうぞ』というと、カレンが割って入った。 「今回だけはエリカが先よ!!」 横に立ったコリンも頷く。 「そー、そー、こういうときはレデイファースト、ってねｖ」 一度後ろに下がったエリカはアリサとカレンに押し出され、アレックと至近距離で向かい合う。 「あの、アレックさん……」 そこで、言葉を切り、エリカは頬を赤くした。 「あ、あ、あの、あの……」 「？」 首を傾げるアレックの前でエリカはコクン、と一度唾を飲み込み、一気に言った。 「わ、わたし、赤ちゃんができました！」 「は？」 「あの、だから、私、赤ちゃんが……」 「…………」 お★やったね、アレックさん、頑張っったんですねぇ〜と、コリンが陽気に叫び、 遠くでオズウェルが俺は何も聞いていないぞ、と目を丸くし、アレックさんが聞いてないのにオズウェルが知ってたら変だろーとトゥーフォンが嘆息する。 衝撃から立ち直ったらしいアレックがエリカの両肩に手を置いて言った。 「お母さんになるんだね。」 「は、はい、アレックさん、あのぅ……アレックさんはお父さんですよ！」 そういわれて、ボン、と少年のようにいきなり顔を赤くしたアレックの腹をナカジマがぐりぐりと肘で押す。 「ほら、アレック何とか言ってみろ。」 アレックは有難う、と囁いて妻を抱きしめた。７年前、部下を死なせたときには、このような幸せが自分に訪れようとは夢想だにしていなかった。自分は幸せになどなってはいけないのだと言い聞かせてきた。 遠い場所にいる友に向かってアレックは心の中で呟く。 君もいつか、ここに来なければ。いつの日か必ず。 |
| いつものことながら、我が家設定満載のため、オフィシャルで裏設定が公開されたときには、この文が完全に成り立たなくなることは必至ですが、承知の上でアップしております。 我が家設定ではヨハンはシュレスベルク内戦の際、軍の中でもレジスタンス側に転進する者が数多く出る中で、レジスタンスをユクトランドが支援していることを知り、寝返ったことになっています。彼は昨日までの僚機を次々と撃墜していき、「味方殺しのエース」とも呼ばれます。そして「伝説のエースグリュンフォイエルがレジスタンスに参加した」という行為だけでも帝国側に大打撃を与えたのです……とまあ、そういう･･･… 敵国のエースとして登場するヨハンですが、アレックさんと違って、自分の機体やそもそもパイロットであることの思い入れが今一歩薄いように思えます。ＥＤでも飛行機を降りて恋の逃避行してしまいますしね…。ヨハンルートについては「ロミオとジュリエット」になぞらえて語るのが良いのかもしれませんが、自分としてはヨハンの不安定な心が気になります。正当な評価を受けてこなかった、ということがあったのは事実ですが、それにしても、軍人として生きるようになってからの彼は、誰かを心から心配して行動することもなければ、自分自身の人生を大切に生きることもしてこなかったように思います。自分を愛せない人は他人も愛せない。他人を愛せない人は自分も愛せない。…ヨハンルートではそれを打破するのはエリカの存在であるわけですが、他のルートでエリカの代わりにヨハンを救えるのはフォンク亭の人々とアレックさんのどちらかなのじゃないかと思います。 戦時中は「強敵と書いて『とも』と読む」モードですが、戦後は本当の友になって欲しいな、と。 ところでレシプロ機のあれとかこれとかについては随分見当はずれなことを書いているかもしれませんが、これは架空戦記、ということでどうぞお許しを……この時期、ジャイロは開発されているはずですが、実際に搭載されていたのかどうか怪しい…… 尚、現実世界でのペニシリンをはじめとした抗生物質の使用は1930年代以降であるのですが、これも「架空世界」ということでご容赦下さいませ。 |
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