ドゥニさんの天気予報 |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、製作者様の独自裏設定は存じ上げませんので、オフィシャルとかけ離れております。また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。 時期はアレックさんED後から少したったあたり。ドゥニさんは以前と変わりなく補給班隊長としてトラックを駆り、基地にいるときには日夜ちゃらんぽらんにセクハラ大魔王しつつフランツさんに怒られる毎日です。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
「どうだった？」 自室にやって来た通信兵のカレンにエリカは尋ねた。カレンははあっと息を吐き、肩を竦めて両手を拡げる。 「う〜ん、それが微妙なのよ。」 カレンはベッドに座ったエリカの前に置かれた椅子にすとんと座った。 「微妙？」 「そう、微妙。一応ここいらにはうすぐもり、って予報が出ているんだけれど、経験上、予報部があんまり自信もっていないってわかるのよね〜。」 明日はエリカとカレンの休日である。で、フォンク亭と昵懇なロランド近郊の牧場に出かけようかということになったのだ。サラによれば、牧場主のおかみさんのつくるチーズケーキは絶品で、訪ねればきっとご馳走してくれるし、戦後まだまだ品薄なソーセージなども格安で売ってくれるという。若い二人の足であれば、ピクニック気分で出かけて夕方までには帰ってこられる。しかし、長距離を歩くのだし、天気のよいときがいい……ということで、明日の予定を決める為、エリカは気象予報の午後の入電分を待っていたのだ。 カレンは続けた。 「今まで『うすぐもり』って予報が出たときって、外れることが多いのよ。よくわからないときには晴れようが雨降ろうが一番言い訳できそうな天気だから『うすぐもり』って言っとくんじゃないかしら。」 少々むっとしているカレンにエリカは小さく笑った。 「うすぐもり、かぁ。カレン、明日どうしようか？」 「うーん、やっぱり雨に降られたら嫌だし……観測部の持ってるロビュ近辺の詳細な気象データとかは教えて貰うのに書類かかないといけないし。ええい、仕方ない、補給班は午前中に帰着したはずだし、気は進まないけど、ドゥニさんに聞くか！」 「ドゥニさんに？」 エリカは“にまぁぁぁ”とにやけて女性兵士に罪のないセクハラを日夜しかけてまわっている補給班隊長のドゥニの顔を思い浮かべた。……あのドゥニさんが予報？詳細なデータを使った気象予報を？どうしても結びつかない。 「ドゥニさんが天気予報をするの？」 「予報というか何というか……みちみち話すわ。ひとまず行こう!!」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 補給班の休憩室に向かって二人は連れ立って歩いていった。 「とにかく、悔しいけれどドゥニさんの予報は百発百中なのよ、これが。入電した予報が『晴れ』と出ていて、ドゥニさんの予報が『雨』だったら、どっちを信じるかっていったらドゥニさんの方だわ。それくらい信頼性が高いの。」 「……ドゥニさん、気象について勉強したことがあるのかしら？」 「あのエロ親父が真面目に勉強なんてしないと思うんだけど……あ、いた。ドゥニさーん！」 折りよく、前方の建物からドゥニが出てきたところであった。彼は手を振るカレンに相好を崩し、『うぉーい、カレンちゃん、おじさんに何の用だ〜〜』と大声で叫びながら手を振る。 小走りにやってきた二人を前にし、ドゥニは嬉しそうだ。 「今日はまたどうしたんだい？カレンちゃんの方から声かけてくれるとは。はは〜ん、補給班がしばらく留守しててドゥニおじさんの顔が見られなくて寂しかったんだな〜??」 「いや、それはないです。」 即座にそう返されてドゥニは前にのめった。 「間髪入れずに否定かよ。トホホ、おじさんは哀しいぞ。……じゃあ一体なんだ。エリカちゃんがアレックの奴の過去のあぁんなこととかこぉんなこととか、お嫁さんになる前に絶対知っといた方がいい奴の性癖とかを質問したいってぇの？」 ボン、と顔を真っ赤にするエリカに代わってカレンが怒鳴る。 「エリカがアレックさんの過去を知りたければドゥニさんでなくアレックさんに直接訊きますってば！」 「……カレンちゃん、お前さんがいきりたってどーすんの。冗談だよ、冗談だって。これが真面目っていったらアレックの奴に殺されるだろうが。で、何だ、実際、何の用なわけだ？」 カレンが経緯を話し、天気予報をして欲しい、というとドゥニは難しい顔をして腕を組んだ。 「天気予報か……」 その真剣な様子にゴクリと息をのむエリカの横でカレンはあー、また始まった、と冷ややかな表情だ。 「……アレは精神力を極端に削る難しい技だ。だから永久に封印しようと思っていたんだが……」 そこでにたぁり、と笑う。 「他でもないロビュ小隊のカワイコちゃんたちの頼みだ。ドゥニ・ブロッホ上級曹長、命をかけて天気を占ってみようじゃないか！……話しかけないでくれ。精神統一が必要だ。」 ドゥニは目を閉じ、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き……それを五度繰り返した。そしてカッ！と目を見開くと、これから夕焼けに変わって行くだろう西の空をじっと見つめる。ゆっくりと中指を口元にもっていき、その先をぺロリと舌で舐めて湿してその手を高々と上げる。指の腹は風が吹いてくる方を向いている。その手がゆっくりと下ろされ……それまで真っ直ぐだったドゥニの背ががくっと前屈みになった。そのままだらりと腕を垂らしたまま、体を揺らす。端で見ていると、まるで動物園のゴリラのようだ。その腕と体の揺れ幅はどんどん大きくなり…… 「はあっ!!」 掛け声と同時に、ドゥニは大げさに手足を動かし、カレンの周りを回り始めた。カレンは、はああああああ、とため息をつき、顔を手で覆っている。やがてがばっと、ドゥニはカレンの足元にひれ伏した。カレンが何かの御神体であるかの如くに大仰に腕のあげさげを繰り返す。 「キターッ!!来た来た来たーッ!!お告げがきたーッ！」 ドゥニは地面に座ったまま、カレンを見上げる。 「うーん、カレンちゃん、残念だが明日は雨だな。それもかなりの嵐っぽい。悪いことは言わん。ロランドに買い物に出かけるくらいはいいが、あとは小隊内でおとなしくしているこった。」 と、そこに、生真面目な声が割って入った。 「ドゥニ・ブロッホ上級曹長殿！」 ドゥニが座ったままおそるおそる声の主の方に首を巡らすと…… 「ごあっ！フランツ！」 「そこで何をしていらっしゃるのですか。」 「いや、これはだな。厳粛かつ真摯な祈りをもって、天気の女神をカレンちゃんの体におろして……」 「……女性兵の足元にひれ伏して視線を斜め上に上げるという行為のどこが厳粛かつ真摯だというのですか。……全く、あなたという人は。」 つかつかつか、とフランツは歩み寄って、ドゥニの首根っこを後ろからぐい、と掴んだ。 「いってぇ、いてぇってば！」 「……はあ、あなたは軍人として、しかも補給班を預かる隊長として恥ずかしくはないのですか！……あ、コールホーフェン一等兵とアレーニア一等技術兵、君達は行ってくれたまえ。私はこの人に少々話をせねばならぬからね。」 「は〜い！フランツさん、どうもでーす。」 カレンがエリカの手をひきその場を離れる。 「うーん、しかし、雨降っちゃうんだ。しかも嵐だって。エリカ、残念だったね。」 「……さっきの踊ったり、ひれ伏したりって何のおまじないなんだろう。」 「えーっ！あんなのインチキだってば。……それにしても、スカートを下から覗かれてたなんて気づかなかったわ、不覚！……エリカは作業着でよかったわね。……あ、もっともエリカがスカートはいてたら今日の夜ドゥニさんはアレックさんに殺されてたわね〜。」 「そ、それはいくらなんでもないと思うけど……ね、さっきの話なんだけど、ドゥニさん、踊ったりした以外は、空を見て、唾つけた指を空に向かって上げただけだったわよね。どうやって予報しているのかしら。」 真面目に言うエリカにカレンも確かに不思議だと思ったのか立ち止まって考える。 「もしかしたら、だけど、補給班に伝わる秘法なんてのがあるのかも。ほら、ドゥニさんって移動の時にはずっとトラック走らせてるでしょう？補給班にとっても天気は重要だし、微妙な空の色とかを見分けて年季を積むと予報ができるのかもよ。」 「空の色……ねえ。私達はずっとドックに閉じこもりっきりだから、せいぜい『夕焼けが綺麗だったら明日は晴れ』くらいしか思わないけれど……でもそれだけで予報ができるとは思えないわ。秘法があるのなら聞きたいわ。それとも、何か特別なルートで詳細な情報がドゥニさんのところには入ってくるのかしら？」 すると、カレンはパン、とエリカの背を叩いた。 「補給班に伝わる秘法があるかどうかは、元・補給班の運転手さんに訊いてみればいいんじゃない？」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ノックの音に気づいたアレックはドアを開けた。するとそこには最愛の少女が佇んでいた。 「どうしたの？」 食堂や中庭ではよく会うが、こうして部屋を訪れることはあまりない。何か良くない起こったのではないかとアレックは心配そうな顔になる。それに気づいたエリカはふるふると首を振った。 「緊急の用事ではないんです。でも、なんだか気になっていることがあって。今、いいですか？」 うん、しばらくしたらブリーフィングがあるけれど、今は大丈夫。散らかっていて御免、と通された部屋の床にはスケッチブックが何冊も所狭しと並べられていた。いや、綴じられているものではないバラのものも散乱している。 アレックはドアを開け放したまま、エリカに椅子をすすめる。通常、部屋には机に一脚の椅子しかないが、アレックはどこかから座り心地の良さそうな椅子をエリカ用に調達してきていた。自分も彼女に向かい合うように椅子にかける。 「これ、全部アレックさんのスケッチですか？」 その数に圧倒され、ここに来た用事をしばし忘れて叫ぶ。 「ああ、長年描いているうちにこんなに溜まってしまって……俺がいない間にドゥニさんが私物を箱に入れて保管していてくれたんだけれど、そのときに落としでもしたのか、紙ばさみに挟んでいたものの順番が狂ってしまって。殆どのものには書いた日付があるんだけれど、ないものもあって……記憶を辿りながら古い順に並べ替えているところだよ。実は昨日からこの調子なんだ」 以前にアレックのスケッチを見せて貰った事があるが、それは見せるためにかっちりしたものを選んでくれたらしく、ここに大量にならべられているものとはタッチも題材も違っていた。エリカは腰を浮かしてスケッチに見入った。青い背景に白いふわふわしたもの……これは…… 「これは……雲の絵ですか！」 「ああ、これは随分昔の絵だね。飛行機から見た雲だよ。もちろん地上に降りてから書いたのだけれどね。雲はほんとうに色々なものがあって、見ていて飽きないね。下手で申し訳ない。」 「……綺麗……」 積乱雲、いわし雲、絹雲……名前のわからない雲も多かったが、青い空に描かれた白い雲はエリカの目には十分に実物そっくりに見えた。 「あの、アレックさん、例えば雲の種類や形から天気を予想することってできますか。」 「ああ、おおよそのことは……俺達飛行機乗りにとって天候は重要だからね。雲だけでなく、空の色、風の向きや強さ、すべてを合わせてそれなりに判断することを今もしているよ。でも、何故？」 エリカがドゥニの天気予報のことをフランツにお説教されたことまで含めて言うと、アレックはやれやれ、と息をついた。 「全く、ドゥニさんも懲りないね。そんな芝居がかったことをせずにすぐに教えてあげればいいのに。……ひとまず、今後天気が知りたいときにはドゥニさんではなくて俺のところに来て？ドゥニさんと同じくらいには天気がわかるつもりだよ。」 「え？」 エリカは目を丸くする。 「アレックさんも予報ができるんですか!?あの、やっぱり補給班には天気を予報する秘法なんていうのがあったりしたんですか。」 アレックは笑う。 「そういうものは俺の記憶ではなかったよ。天気予報も基本的に通信で受けていたしね。……ただ、そうだね、やはり、軍部の大雑把な予報より、ドゥニさんの予報の方が当たったことが何度もあったね。特に嵐のとき。ドゥニさんの予報は年季がはいっているからね。もうかれこれ10年は百発百中なんじゃないかな？ただ、俺の予報は補給班とは関係なし。……ドゥニさんと同じような予報をできるようになったのは、この二年前からだし。」 二年前？ 怪訝な顔をするエリカに、アレックはくすっと笑ってみせる。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その後、アレックは微笑むばかりでどうやって予報をしているのかは教えてくれなかった。ともあれ、スケッチを並べなおすのを手伝い、二人でスケッチブックを何冊も開いて楽しく会話し、笑顔でアレックの部屋をあとにしたエリカだったが、廊下で立ち止まった。アレックはどうして詳しい天気予報ができるのだろう。それも二年前からだという。二年前といえば、アレックが空に戻ったときだ。だとすれば……やはり操縦席からの風景で予報をしているのだろうか。そんな話はまるで聞かなかったけれど。 エリカは疑問が生じたら、解決するまでとことんそれを追求する人間だった。なので、彼女はすぐさま来た道を引き返し、とある部屋の扉をノックした。 「は〜い！って、ありゃ、エリカちゃんじゃないか。来てくれたのは嬉しいんだけど、うーん、浮気は駄目だよ？俺、アレックさんに殺されたくないしー。」 なんでこのロビュ小隊の人々はいちいちアレックに殺されるなどというのだろう。優しくて温厚が服を着て歩いているような人ではないか。そうコリンに問いただすと、彼は笑った。 「いや、アレックさんが温厚で紳士的ってのは確か。でもさ、エリカちゃん絡みとなるとどうかなー。アレックさんだって牙剥いちゃうよ？いやいや、それだけエリカちゃんが愛されてるってことさ。」 頬を染めるエリカにコリンは片目を瞑ってみせた。 （ああ、やっぱりエリカちゃんは可愛いなあ。) 「話があるなら、休憩所に行こうか？まだ間があるけど、ブリーフィングあるし。」 ドック近くの休憩所は整備の人間とパイロット達がちょっとした空き時間に利用する場所だ。もっとも今は中途半端な時間なのか誰もいない。 「さーて、で、どうしたの？俺がどうにかできることなら喜んでどうにかしちゃうけど。」 エリカは天気予報の話をする。ドゥニの百発百中の予報のこと、そして、アレックも二年前から予報ができるようになったと言う話…… 「ねえ、ドゥニさんのことは別にして、二年前と言えば、アレックさんが空に戻ってからということでしょう。パイロットの皆は空に居るときに予報ができるの？そういう勉強をするの？」 コリンは、笑った。 「いや、士官学校で気象の勉強もしたし、俺もそれなりに雲や空の様子から天気は予想するけど実地では殆ど駄目。デートの予定入れてて当日ざんざんぶり、なんて日常茶飯事。考えてもご覧よ。アレックさんはエリカちゃんに出合う前、七年間も空を飛んでたんだよ。二年前にいきなりっていうのはおかしいと思わない？」 あ、そうか、とエリカははっとする。 「……やっぱり経験ってことなのかしら？ドゥニさんもアレックさんも天気に気を使った生活をずっとしてきて……アレックさんの場合やっと二年前に予報に開眼したとか……うーん、わからないわ。」 「経験じゃないよ。例えばさ、えーっと、ルカの奴も天気予報はうまかったよ？」 「…………コリンが予報できなくて、ルカはできて……二人の差って……真面目な人は予報できるの？」 コリンが“それはないでしょー。エリカちゃん”と笑う。 「でも、ドゥニさんはちゃらんぽらんだし……あー、もうわからない!!」 髪をくしゃくしゃに掻き毟り生真面目に悩むエリカの様子が可笑しくてコリンは爆笑した。しかし、真顔になる。 (弱ったな。……でもあの人たちは決して彼女には言わないだろうし……) コリンは微笑を浮かべ、しかし静かな瞳で語りかけた。 「こういう場合、種明かしをしたほうがいいのかどうか俺にはわからない。でも、俺はその種を知っているし、カレンちゃんはともかくエリカちゃんには知っていて貰った方がいいんだと思う。」 コリンの口調に篭っている真面目な響きに、エリカは背筋を正す。 「ドゥニさんは大陸大戦の最中に予報ができるようになった。そして……アレックさんは空に戻ったから予報ができるようになったんじゃない。帝国に飛ぶあの任務によって予報ができるようになったんだ。ルカの奴は……アレックさんよりも前だね。エリカちゃん、ルカが予報できるようになった原因をエリカちゃんはよく知っているはずだよ。……あの、思い出したくもない、帝国との仕組まれた合同演習のとき、俺が守ってやれなくて、ルカのオオルリは撃墜され……」 コリンの説明で、エリカの頭の中にひしめいていた情報がなんとなくひとまとまりになりそうになってきた。 「……ルカは瀕死の重傷を負った。……全身にね。そして、回復しても傷跡はずっと体を苛むものなんだ。」 コリンは一度口を閉じる。 「……痛むんだよ。嵐の前には。ずぅぅん、ってね。」 エリカが息を呑む音がコリンの耳にも届いた。それには気づかぬ風をしてコリンは続ける。 「ドゥニさんの傷は俺も見たことがある。大陸大戦の中期、最前線で交戦中、至近距離で砲弾が炸裂し、脇腹を吹っ飛ばされた。今でも背中からも前からも四十針近く縫われた傷がはっきり見える。アレックさんがあの任務で傷を負ったことはエリカちゃんもアレックさん自身から聞いているよね。」 「……でも、私は傷を見たことはないです。」 「……見せたりはしないよ。あの人は。無数の帝国機に囲まれ、後ろから撃たれた機銃による肩口への銃創がいくつか。そして、不時着のときの酷い傷。アリサちゃんから俺は聞いたんだ。医療室で様々な重傷患者を手当てしてきた彼女が、アレックさんの背中の傷を見たときにその酷さに言葉を失ったって。……だから予報ができるんだよ。並みのものよりずっと精度の高い気圧計を体に持っているようなものだからね。アレックさんは俺には笑いながら言うよ。傷が痛むから明日は天気が悪い。おそらく小雨の中の演習だから覚悟しておくようにってね。 ルカも、ドゥニさんも、アレックさんも。雨が降るときには痛む。嵐が来るときにはもっと酷く痛む。俺にはわからない。俺は幸運にもそういった傷を負わずに来たからね。」 深刻な顔になって俯いたエリカの肩をコリンはポム、と叩く。 「そんな顔しちゃ駄目だよ。これからもさ、天気が知りたいときにはドゥニさんたちに訊けばいい。エリカちゃんが深刻になっても笑顔でいても、皆の傷の痛みには変化ないんだからさ。だから笑顔で『天気教えて下さい』って気軽に訊けばいいんだ。これから先、エリカちゃんが気をつけなければいけないことはたった一つだけ。」 「え？」 「アレックさんの背中に爪たてちゃダメだよｖｖ」 エリカはむっとする。 「喧嘩はするかもしれないけれど、私、爪で引掻くような喧嘩は絶対にしないです!!」 コリンは笑う。 「うんうん、今はわかんなくっていいよ。その時が来たらわかるからさ。こーゆーことはやっぱ俺じゃなくってアレックさんに教わらないとね！」 コリンの目が、エリカの背後に誰かを見つけたようだった。 「あ、じゃ、俺、ブリーフィングの準備するから。」 コリンが席を立ち、エリカが振り向くと、アレックが歩いてくるところだった。 「コリンはもう来ていたんだ。エリカちゃん、何か相談事？そういえば、彼の班の新人のエンジン、しょっちゅうトラブルを起こすときいているけれど、そのことかな？」 明日は雨、しかも嵐に近いという。あんなにおちゃらけた様子をしていたドゥニも、目の前に居るこの人も、痛みを体に覚えているのだろう。 「ううん、オオルリのことじゃなくて、天気予報のことです。」 そうして、椅子から立ち上がると、アレックの後ろにまわって、そっと……縦横無尽に走っているという傷跡に響かないように背に頬を寄せて腰に腕を巻きつけた。 「どうしたの？」 「……ちょっと甘えたくなりました。」 アレックは、コリンが何を話していたのかをなんとなく予想できたが、エリカに確認はしなかった。そして、背の鈍い痛みが少女の温もりで少し軽くなっていくのを感じた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それから数日後、アレックとコリンが連れ立って歩いていると、イテテテテ、と脇腹を押さえているドゥニにぶつかった。 「あっれ〜、ドゥニさん、どうしたんです？古傷痛むんですか？明日は大嵐とか？」 アレックの顔を見れば、救国の英雄は『俺は痛まないよ？』というように首を横に振る。 「いや……気象部の新人の女の子にちらっと挨拶したら肘鉄かまされて……」 わきわきと右手を開いたり閉じたりするドゥニにアレックがため息をつく。 「……どういう挨拶をしたんですか、ドゥニさん。」 コリンは、といえば、楽しそうに笑っている。 「あはは、しょうがないでしょ、彼女達はドゥニさんのそこに傷があるって知らないんだしｖ」 ドゥニは脇をさすりながら空を見る。 「まったくなぁ、この傷といったら、役に立つといったら二つのことだけだなあ。」 「二つ？なんです、それ。」 コリンが尋ねるとドゥニはにか、と笑う。 「一つ目は天気予報ができるってことだな。」 「ま、そりゃわかります。で、二つ目は？」 「ははは、俺の奥さん、毎度毎度この傷に必ずキスしてくれんのよ、これが。アレック、お前も覚えとけ、お前の場合、背中全面すみからすみまでくまなくキスされるかもだな！随分とくすぐったいが笑わず耐えろよ。いいもんだぞう、ありゃ。それとも、もう、されちゃった？」 「……ドゥニさん、だから、何度も言いますが、物事には手順と言うものがあるわけで……」 コリンが不満そうに言う。 「あーあ、いいなあ、俺には傷ないから。」 「……傷なんざ無い方がいい。」 「……これからできちゃうかもですよ。」 いつもと違い真面目な口調のドゥニ、いつも通りの軽い口調のコリン。 アレックが微笑む。 「コリンが俺の僚機である限り、再び何かが起こっても俺が守るよ。」 コリンはくすくすと笑う。 「なんか、その台詞、アレックさんに口説かれてるみたいに聞こえますよ。……俺にも守らせて下さい。どっちかっていうと、口説くのは俺の専売特許ですから。」 「ああ、宜しく。」 ドゥニがふっと呟くように言う。 「アレック、お前は退役とか考えねえの？」 いきなり何を、とアレックは元上司を見る。 空を見上げ、ドゥニは言う。 「もうお前は随分と軍人として貢献したし、これ以上お前が傷を増やしたら、あの子は泣くだろうし……第一、お前さんはあの子のためにできるだけのことをするって決めたんだろが。……お前さんがずっと軍属でいるってことは、あの子の夢がずっと実現できねえってことじゃねえの。」 そうですね、とアレックはあっさりと認め、でも、色々なしがらみもありますし、第一、まだそのときではありませんから、と言う。 「そうそう、今アレックさんがいなくなったら誰よりも俺が困っちゃいます。まだまだ教えて欲しいことが沢山あるし、盗みたい技術も満載だ。新人パイロット諸君の世話を一人で焼くのはちゃらんぽらんな俺には荷が勝ちすぎですって。オズウェルや親方と話すのもアレックさんが居た方がいい。何より、アレックさんが退役したらエリカちゃんもいなくなっちゃうでしょ？一気にドックがばら色からどどめ色に急転直下。そんなの俺は嫌ですよ〜。」 実際、まだ、帝国の国内情勢は落ち着いたわけではない。そのために、彼らは軍人としてここに居る。 「おう、明日は快晴だな。肘鉄くらった表面の痛みはあっても奥は全然痛まんし。」 ドゥニがうーん、と両腕を伸ばして伸びをすると、アレックが続けた。 「ええ、雲も明日は晴れだと言っていますね。」 コリンも付け加える。 「空の色も、風も、ですね。」 ドゥニが叫ぶ。 「明日はきっといい日だぞ〜！」 翌日の天気は、三人が予報したとおりの雲一つ無い快晴であった。 |
| ドゥニさん＋アレックさん＋コリン。配属が変わっても「永遠の腐れ縁」である叩き上げ組のドゥニさんとアレックさん、チャランポランコンビのドゥニさんとコリン、そして、ロビュ小隊のエース双璧となった(はず)のアレックさんとコリン。 この三人は方向性は少しずつ違いますが皆気遣いの人だと思います。痒いところに手がとどく、というか。そして、自分が苦しいことを他人に言わないだろうことも共通。おちゃらけたり微笑んだり冗談を言ったりしたりしてごく自然に誤魔化してしまいそう。 そんな三人のちょっとした日常。 そして また恋愛から離れた話が増えた〜 (私はこのジャンルでいったい何がやりたいのだろうか) |
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