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開設８周年でリクをいただいた、ロビュ期間前のアレックさんとヨハンのシュレスベルクでの話です。 オフィシャルとかけ離れております。また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
ドアノブに手をかけ、格納庫横の小部屋に入っていったヨハン=レーヴェンハルトは、二つのことで驚いた。一つは出撃までには随分間があるのに、目下のところの彼のただ一人の同僚パイロットが既に部屋にいたこと。もう一つは、窓から差し込む朝日が彼の掌に乗せていた金属片に反射してヨハンの目を射抜いたことだった。 その銀色の小さな金属片が何であるかはヨハンにはすぐ見当がついた。……何故なら、今も彼の左の胸ポケットには色こそ随分違っていたが、それと寸分違わぬものが入っているからだ。知っているからこそ、ヨハンは不思議に思った。そして、警戒をしないと決めた相手に対しては思ったことを素直にすぐ口に出す生来の性格で臆することなくこう尋ねた。 「あなたは認識票を持っていないと聞いていたが、違ったのか。」 窓際に佇んでほの明るい赤みがかった夜明けからから少しずつ鮮やかな青へと明けていく空を見ていたらしいアレック＝ユーティライネンは、突然入ってきたヨハンにいきなりそう問われて、少しだけ眉を上げたが、すぐにいつものように微笑んだ。 「おはよう、ヨハン。早かったんだね。いや、俺もこうして早く来ていたから同じかな。」 すると、ヨハンは、はっとしたように少し目を大きく見開いてから会釈した。 「失礼した。部屋に入るときにはノックをするものだし、いきなり質問などせずに挨拶をすべきでした。」 アレックは目を細める。この目の前にいる静かな佇まいの礼儀正しい青年が、『死神』と怖れられていたシュレスベルク帝国のエース、グリュンフォイエルその人だと知ったら、ユクトランドの人々はどう思うのだろうか。 「いや、俺は君の上官ではないのだから、特に気にすることはないよ。あまり身構えないで欲しい。」 そう言いながら、アレックはヨハンの視線が尚も自分の掌に注がれているのを感じ、自然な動作でその方形の金属片を小さな皮製のポーチに入れ、レジスタンスで支給されたジャケットの左胸ポケットに大切そうにしまった。その動作をヨハンの緑の瞳が追った。ヨハンは詮索好きではない。むしろ自分のことにも他人のことにも無関心にすぎると思えることがあるほどだ。しかし、彼はよほど認識票に拘りがあるのか、ポーチがしまわれた場所を凝視している。 軍人はすべて氏名、生年月日、性別、血液型、国籍、個人番号が刻印された認識票と呼ばれる小さな金属片を入隊と同時に与えられる。アレックも母国に居たときには、金属のチェーンに付けられた認識票を常に首につけていた。しかし、その認識票は、命令によってロビュ小隊を出発するときに首から外された。もしもアレックがシュレスベルク帝国内で撃墜されたならば、認識票によって、彼がいったい誰であったのかが明らかになる。ユクトランドの誇る伝説のエースであるアレック=ユーティライネンを撃墜……それはすぐに喧伝され、帝国軍はますます勢いづいてユクトランドへの侵攻に攻勢をかけるだろう。そうなることをユクトランドは怖れた。「ユーティライネンらしき軍人」が撃墜されるのと「ユーティライネンその人」が撃墜されるのは随分と違う。つまるところ、アレックはロビュから飛び立つ際に「誰でもない男」となることを命令されたのだった。 ヨハンはその事情をエルネスティーネから聞かされて知っていた。 (だからの。あの金の髪のエース殿はここに居る限り『誰でもない』のじゃ。だがのぉ、名前がないというのは面妖なものゆえ、外向きでは偽名を使わねばならぬこともあろうが、わらわ達内々の間ではあ奴はやはりアレックと呼ぼうではないか。) エルネスティーネはそのように説明し、こう続けた。 (ヨハン、お主の認識票をわらわは預かっておる、主は、『俺はもう帝国軍人ではありませんから、この札に意味がありません』といとも無造作にわらわに差し出した。……空を飛んでいる限りは、主は認識票があろうとなかろうと『グリュンフォイエル』じゃ。お主の飛行技術は501部隊ならずとも、帝国のパイロットなら誰しもよく知っておるからのぉ。誤魔化しはきかぬ。き奴らは認めたくないであろうが、嘗ての帝国軍エースであったグリュンフォイエルは、今は造反して反乱に手を貸しているということになる。だがしかし、飛行機を降りているとき、お主はグリュンフォイエルではない、かといって帝国軍人であるヨハン・レーヴェンハルト准尉はもういない。つまりはお主も『誰でもない者』ということになる。……だが、わかっているであろ？お主が『誰でもない』わけなどなかろうが？以前も話した。わらわ達内々の間では、お前はいつでもヨハン、ただのヨハンじゃぞ！) (ただのヨハンじゃぞ！) そう、叫ぶように皇女は熱弁をふるった。そんなことをぼんやりと思い出しながら、ヨハンは尚もアレックの左胸を見つめる。 「……そんなに気になるのかい。」 「ああ。」 ヨハンは自分の左胸のポケットに右の掌をあてた。 「俺もあなたのように自分のものではない認識票をここに入れている。だからだろう、気になるのは。」 アレックが黙っていると、ヨハンは説明を待たれていると思ったのか、静かに話し始めた。 「……俺が持っているのは、火に焼かれ、黒ずんだ……嘗て俺が撃墜したパイロットの認識票です。ロランドへ旅に出たのも、実のところは遺族に認識票を渡す為でした……が……渡しそびれました。」 アレックは頷いた。そして、少しの間、目を閉じる。これまで見聞きしたことからそうではないだろうか、と何度も感じ、確信を強めてきたこと……それを確認しようとは思わないが、サラとセルジュ姉弟の父親であるド二ス=フォンクを撃墜したのはヨハンに違いない。セルジュは言っていた。父であるドニスは、帝国のエースパイロットに撃墜されたのだ、と。そして、アレックは知っていた。ドニスの終焉の地となったと報告された空域には、グリュンフォイエルの所属する部隊が当時投入されていたことを。目を閉じた彼の耳にヨハンの声が聞こえてくる。 「アレック、もしや……」 ヨハンはそこで言葉を切った。そしてアレックに促されてから先を言った。 「あなたの胸にある認識票も、俺と同じように、あなたが撃墜したパイロットのものなのですか。」 ユクトランドの救国のエースは首を振る。そして、ヨハンとそっくり同じ動作で胸ポケットを掌で押さえた。 「ここにある認識票の持ち主は生きている。今もロビュ小隊で元気にやっている。きっとね。」 ヨハンは小鳥のように首を傾げた。 「ロビュの軍人が持ち主？……自分の認識票を他人に託すことはユクトランドでは軍規に反しないのですか。」 「いや、違反しているよ。」 ヨハンは逆側に首を倒した。 「…………もしや、それはあなたの恋人のものなのですか。」 アレックが目を見開く。ヨハンはここしばらくで以前と比べて随分と表情が和らいできたがよもや彼の口から『恋人』などという単語が出てくるとは思わなかった。 「ティーネ様がおっしゃっていた。あなたはロビュ小隊に恋人を残してきたようだ、と。その人から認識票を託されたのですか。」 アレックは目を細める。 「託された、というより、飛行服のポケットに突っ込まれていたんだ。俺も、不時着後、やっと意識を取り戻しベッドに起き上がれるようになってジネットさんから渡された私物を整理していて初めてこれがあることに気付いた。」 整備班の技術兵達は普段戦闘に参加しないこともあって、認識票をチェーンにつけず、、紐のついた小さな革ポーチに入れて作業着の中に入れて居る者が多い。エリカもその一人であった。別れのとき、強く強く抱きしめて、思いを振り切るように彼女に背を向けたとき、飛行服に一瞬だが彼女の手がかかったように思えたのはこれを入れるためだったのか？彼女の心の動きはわからないが、『認識票だけでも連れていって欲しい』と願っていたのは確かだろう。 「…………大切な子なんだ……恋人、なんて言ってはいけないほどにね。」 そう、本当に大切な人。しかし、アレックはエリカのことをほとんど知らない。彼は、認識票を見てエリカの誕生日を初めて知った。血液型を初めて知った。……とても愛しい人だけれど、出会ってまだ数ヶ月もたたないうちに別れてしまった。自分の気持ちに気付き、彼女も同じ気持ちでいてくれたとわかってからは二ヶ月も経っていない。 彼女の両親の名前も、故郷の住所も、彼女の好きな音楽も、お気に入りの本も、彼女の子供の頃のことも……彼は殆ど知らないのだった。 知らないけれど、知らないことばかりだけれど、 彼女が誰よりも頑張り屋で、一生懸命で、まっすぐで……空と飛行機を愛していて夢を語るときキラキラと輝く緑の瞳を持っていることを彼は知っている。 飛べなくなっていた自分に新たな空より青い翼を与えて空に戻してくれた、大きな大きな存在だということはよく知っている。 ……それで十分だった。 彼にはそれで十分だった。 ヨハンは、わからない、といった風をしている。そして、何事かを考えていたが、しばらくしてこう言った。 「あなたがその認識票を持っている限り、空から墜ちるわけにはいきませんね。……まだ生きている人を殺してしまうことになる。」 アレックは苦笑する。いくらなんでも性別の違う認識票で取り違えが起こるはずはないだろう。しかし、ヨハンは大真面目なのだ。 「そうだね。……でも、そうだとしたら君こそ墜ちるわけにはいかない。君の胸にある認識票の持ち主を二回も殺してしまうことになるからね。」 ヨハンは真顔でそうですね。と呟くように言う。 「あの、アレック、あなたにお願いしてもいいだろうか。」 「……俺にできることなら。」 「もしも俺が墜ちたら、俺の持っている認識票を回収してロランドの街に住む本来の持ち主の遺族に届けてくれませんか。可能なら、で構わない。」 アレックは首を振る。 「それはできない。君は自分でそれを届けにいかなくてはいけない。また旅人としてユクトランドを訪れ、フォンク亭に泊まり、サラちゃんやセルジュ君に無事だったよ、と挨拶もしなくてはね。……」 フォンク亭の名が出たとき、ヨハンの顔が僅かに歪んだが、すぐに何かを懐かしむ表情に変わった。 「……ロランドは空爆を受けたはずです。フォンク亭は大丈夫だったのですか。おかみさんや、あの姉弟は……」 「……被害は受けた。サラちゃんは怪我をした。でも、命には別状ない。……フォンク亭はまだ立て直されていなかったけれど、あの人たちは挫けるような人じゃない。そして……フォンク亭の人たちは、いつだって『旅人』を暖かく迎えてくれるんだ。そうは思わないかい。君はあの人たちのことをよく知っているだろう。」 こく、とヨハンは頷いた。アレックは続ける。 「俺の方こそ頼む。もしも俺が空から墜ちたら、俺の持っている認識票を……ポーチに入れたまま……ロビュ小隊に届けて欲しい。フォンク亭で託してくれればいい。そう、コリンか、オズウェルか、或いはトゥーフォンに。……君のくれた翼は最高の相棒だった。幸せに、とそれだけ伝えてくれるよう頼んで欲しい。 認識票がエリカのものだということをアレックは語らなかった。ヨハンはエリカのことを知っている。だからこそ、彼女がアレックの想い人だという認識を植え付けたくはなかったのだ。もしも自分が命を落としたら、オズウェルが約束を守ってくれる。そうなったときに、自分は彼女と結び付けられて見られるべきではないのだ。そう考えながら、アレックはまた左ポケットに右手をやる。 すると、ヨハンが困ったように言った。 「それはあり得ない。」 「え？」 「あなたが墜ちて、俺が空に残っていることはあり得ない。……大陸対戦中、俺はあなたに敵わなかった。」 「……それは俺も同じだ。俺も君には敵わなかった。」 「いいえ、俺があなたの部隊と交戦に入り、他の機体を追い込むと、そこに必ずあなたが割って入ってきた。あなたとの交戦に神経を集中しないと墜とされることは必至でした。だが、あなたは俺と交戦しながらも、あなたの僚機を守ることを怠らなかった。つまるところ、俺よりあなたの方が操縦技術が上だったことになる。」 「いや、オオルリの旋回性能が優れていたからそういう見え方もしたのだろう。それに、君の場合、俺と空戦に入ったとき、帝国軍機は速やかに空域から離脱して援護がなかった。比較はできない。」 「……アレは、俺の機銃の流れ弾に当たるのを怖れてのことでしょう。……あなたとの空戦では、俺はあなたの機体しか目に入っていませんでしたから。 また、ヨハンは口を結び、何事か考えた。 「 ……いや、あなたが墜ちて俺が空に残ることもないが、俺が墜ちることもないな。……今はあなたは俺の背を飛んでくれているのですから、俺が帝国機に後ろを取られるわけがない。……アレック、俺達は二人とも墜ちるわけがない。ティーネ様は負ける戦は絶対になさらないのだ。ティーネ様が俺達二人をティーネ様自身の意思で作戦参加させている限り、俺達がよほど馬鹿な間違いをしない限りは墜ちるはずはない。」 ヨハンがエルネスティーネ皇女に無条件に寄せる大きな信頼をひしひしと感じ、アレックはその微笑ましさに空の色をした目を細める。 窓から差し込む日の光が強くなった。光が直接目に入ったヨハンが眩しそうに掌を目に翳す。 「ヨハン、時間だ。行こう。」 壁にかかった古びた時計を見、アレックが硬い声で言う。 「ああ、行きましょう。」 二人はさきほどまで胸にあてていた右掌を互いに軽く打ち合わせると、壁にかかっていた飛行服を取り上げて袖を通した。飛行帽と手袋を装着しながらドックへと向かう。己の鼓動を刻む胸の上に、死者と生者のタグをそれぞれ宿した二人は、生と死は連続であり対極ではないことをそれぞれ別の形だがよく知っている。それを承知の上で、一人は、敵を排除するため、もう一人は大切なものを守るために、ヤクトケーファーへと乗り込んでいった。 |
| ８周年記念でべにさんからリクをいただきましたお題です。「ヨハンとアレックさんでシュレスベルク帝国での空白の２年間」。エリカやフォンク亭やロビュの人たちへの想いも絡めて、ということでしたが、二人のエース以外の人たちを絡めることがうまくできませんでした。べにさん、すみません。当時の認識票がどんなものか少し調べた限りでは、ネックレスのように下げていたか(コリンのネックレスが認識票なのかどうか知りたいところです)、本文でちょっと出したように皮製の小さなポーチに入れる仕様があり、ポーチには絹の組紐がついていて、首にかけられるようになっていた国もあったのだとか。血液型が刻印されていたかどうかは現実の年代では微妙なところですが、架空戦記ということで、出してみました。 二人のエースはなにかと対照的で、特に、ヨハンは、空や、飛行機や、人や、更には生きることに対しての執着が帝国にいるときには極端に希薄だったと思われます。逆に、アレックさんは、空も、飛行機も、人も、命も、全てが愛おしいゆえに身動きが取れなかった人。この二人が共闘することは本編以上に意味がありそうです。そのため、ヨハンにとってのキーアイテムである「ドニスの認識票」に対比させるため、「エリカちゃんの認識票」を登場させました。実際に、あの状況でエリカちゃんが認識票をつっこむ余裕はなかったと思いますが「if]」の話ということでご了解下さい。アレックさんと一緒に帝国に飛ぶつもりだったエリカですから、認識票はいつもより手近なところに持っていたということで…… |
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