いつまでも待っている |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。製作者様の独自裏設定は存じ上げませんので、オフィシャルとかけ離れており捏造満載です。また、ネタバレもございますので、ご注意くださいませ。 アレックさんルートでアレックさん行方不明後のお話です。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
| 入り口の扉が開かれ、人が賑やかに話しながら入ってくる。 「いらっしゃ〜い。」 ロランドの街にある食堂、フォンク亭の看板娘、サラのふんわりとやや間延びした声が客を迎える。その声を聞くと客は皆ほっとした顔をする。一年とちょっと前、この町は帝国からの空爆を受け、軽微とは言いかねる痛手を受けた。このフォンク亭もその例外ではなく、家は殆ど無傷だったものの、店は半壊し、見る影もない姿を晒していた。しかし、フォンク亭の人々は強かった。王都方面へと疎開した者も多い中、空爆の三週間後には、急ごしらえのまちまちな形をした椅子を並べただけだったが食堂の営業を曲がりなりにも開始し、やがて怪我をしていたサラの包帯もすっかり取れ、今は付近の人たちの力も借りて以前の通りとは言えないまでも立派に食堂らしい食堂に見える外観を取り戻していた。 むろん、更なる空爆が無かったからこそ復興が進んだのに間違いはない。一方的な戦線布告後、しばらくして、シュレスベルク帝国内に内乱が起き、帝国軍は他国を侵略するどころではなくなったのだ。時折南方から思い出したように帝国軍機ヤクトケーファーの編隊がぱらりぱらりとやってきたが、ロランドの街外れに駐屯するロビュ航空小隊の働きにより、ヤクトケーファーが国境線を越えることは無かった。オオルリを駆り、“エース”の称号を得たコリン・グレイディーア中尉と、重傷から奇跡的な回復を遂げたルカ・フォルゴーレ少尉の息のあった飛行は、『ロランド防衛の鉄壁コンビ』などと称されて敵に付け入る隙を与えなかった。帝国側も、突破できないロランドルートを避け、西に大回りして国境を目指したため、ロランドは戦時中の国境近くにありながら、少なくとも市民生活は平穏であった。 サラの笑顔、サラの間延びした声は、ロランドの平和の象徴である。少なくとも、フォンク亭を贔屓にしている殆どの客はそう思っている。 「あらあら、まあまあ、今日はみなさん揃っているのねえ。」 サラの目の前にはロビュ小隊のトゥーフォンと通信兵のカレン、衛生兵のアリサが居た。 「こんにちは〜サラちゃん!!そうそう、これだけ揃うのはひさしぶりだよな〜！」 一等技術兵に昇進したトゥーフォンが人懐こい笑顔で大きな声をあげる。奥からセルジュがやってきて腕を組む。 「うんうん、トゥーフォン、今日こそ溜まりに溜まったツケをなんとかしてくれよな。」 トゥーフォンはわたわたと手を振り回した。 サラはにっこりと微笑む。 「セルジュ、お客さまを脅しちゃあダメよぉ〜〜。トゥーフォンさん、あとで払ってくれればいいのよぉ〜、値引きはしないけど。」 ったく、トゥーフォン、あんたいつからツケためてんのよ！ そうキイキイ怒鳴るなよ！給料出たらまとめてはらうんだからさ!! カレンとトゥーフォンのいつも通りの言い合いにサラは目を細める。 「あらあらあらあら〜。今日も二人は仲がいいのねぇ〜〜〜ｖｖｖｖ」 「サラさん、いっときますけど、あたしはトゥーフォンとは別に何でもないんですから!!」 「俺だって別にカレンとは何でも!!」 「あらぁ〜、別に照れなくてもいいのよぉ〜ふふふ、ケンカするほど仲がいいっていうものねぇ〜」 “ぜぇんぶわかってるんだからぁ〜”的な笑顔で微笑まれ、脱力する二人。 「あ……！」 アリサが小さな声を出した。 「あ、よかった、エリカちゃん。来てくれたんだ。」 エリカはオズウェルに腕を捕まれてやってきた。『皆でご飯を食べに行こう』とカレンが誘ったのを、一度はやんわりと断ったエリカだったが、この状況からするとオズウェルが『根の詰めすぎで作業をすれば、ミスが出、結局俺達整備全体が迷惑を蒙る』とでも言い放って半ば強引に連れてきたのだろう。 オズウェルの顔を見て、サラは少しだけ瞳を大きくした。この気難し屋の整備班の若手がここに来ることは滅多にない。来ても、奥の席で飛行機関連の本を見ながら一人で黙々と食事しているだけの印象しかない。しかし、そんな青年が、今はエリカの腕をぎゅっと握っている。どんなことでも恋愛ネタにしてしまうサラであったが、オズウェルをからかおうとはしなかった。サラはエリカがアレック・ユーティライネンの帰りを待っていることを知っている。彼は一年以上前、重大な使命を帯びて帝国へと旅立った。エリカが彼の為に設計した飛行機で……。彼が使命を成功させたことはわかっている。彼が無事に目的地に飛んだからこそ、帝国内に内乱が起こったのだから。しかし……その後の彼の行方は杳として知れない。 トゥーフォンの、カレンの、アリサの……そしてオズウェルの視線がサラに集まる。と、サラはいつもどおりふんわりと笑った。 「エリカちゃーん。お久しぶり。」 エリカは微笑み返したが、それは少し無理をしているようでもあった。サラはセルジュに目配せする。弟はそれだけでここで自分がとるべき態度を悟ったらしく、大きな身振りを交え、いつもよりことさら明るい大声を出した。 「ねえちゃん、今日はいい野兎が入ったんだぜ。そして、えっへん、味付けは俺なんだ。さあさあ、沢山食ってって！さあさあ、トゥーフォン、どいたどいた!!!」 背を押し、エリカを席に連れて行くセルジュに、トゥーフォンが『セルジュ、俺だって客だぞー！』と叫び、『ツケ払ってないくせに！』とカレンが叫び、『お店の中なんだから大声出さない方がいいよ』とアリサがもじもじし、オズウェルははたして自分はこの場でどのようにふるまうべきか迷った挙句に棒立ちになっていた。 「さあさあ〜みなさん座って〜。ご注文はどうします〜？セルジュのシチューはお塩の入れすぎでちょっと辛かったけれど、母さんが味を整えたから大丈夫よぉ〜」 セルジュが顔色を変える。 「姉ちゃん!!エリカ姉ちゃんの前でそういうことばらすのは反則だろーッ!!」 「あらあらあらあら、ごめんなさーい。うふふ、でもシチューはお勧めよ。特にご注文がないなら、適当に見繕うけれど、それでいいかしら？」 セルジュとサラが飲み物や食事を運びトゥーフォンとカレンがお喋りして場を盛り上げ、しまいにはセルジュが商売そっちのけで話の輪に入ってきて普段は仏頂面をしているオズウェルですら、何度か噴出しそうになった。 「うーん、お腹いっぱいー！サラさん、美味しかったわ、ご馳走様〜。お勘定お願いします。」 カレンが厨房に声をかけるとサラは手をタオルでふきふきやってきた。 「どういたしまして。褒めてくれて嬉しいわぁ、皆さん、これからどうするの？すぐに小隊に帰るのかしら？」 「ううん。ルカやコリンはずっと小隊内待機命令が出てますけど、近頃帝国の動きもないし、私達は夕方まで半休取れてるんです。だから、ちょっと買いものを。」 「そうなんです。ほら、角の小間物屋さんが営業再開したでしょう。あそこでエリカちゃんに似合いそうなリボンをこの間見て。」 サラは店内をぐるっと見渡す。昼のピークはもう過ぎて、客数も減っている。 「セルジュ。」 「なんだい、姉ちゃん。」 「あんた、小間物屋さんに一緒に行ってらっしゃい。」 「え？いいの！！」 「……もてる限りの手を出し尽くして、ちゃぁあんと、リボンを値切り倒してくるのよぉ〜ｖ」 「了解ッ!!」 敬礼をするセルジュの横でトゥーフォンも手を上げる。 「はいはい、なんだか面白そうだから俺も行くよ。オズウェル、お前はどうする？」 オズウェルははあ、と息をついた。 「さすがに、そこまでは付き合えん。……あいつのこと、頼んだぞ。」 カレンが支払いを済ませ、セルジュが先導し、どやどやと五人は出て行った。賑やかな話し声が遠ざかっていき、席にはオズウェルだけが残った。すると彼は立ち上がりぶっきら棒に行った。 「あんたと、おかみさんにお願いがあるんだが。」 サラは睨むようなオズウェルの視線に怯むことなくいつものようにふわりと笑い、厨房から母親をひっぱってきた。そして、オズウェルを座らせる。サラに促されて話し出したオズウェルは、同僚のことが心配なのだ、と打ち明けた。 「あいつは、アレックさんがいなくなった日に一度は泣いた。だが、それ以来泣いたことなど一度も無い。弱音を吐いたこともない。整備や飛行機の知識の習得にかける気合もこれまでになく高い。……いつも笑顔で、ただ、ひたすらアレックさんの帰りを待っている。……外から見る分にはどうってことはない。しかし、俺も、トゥーフォンも、あいつが本当は泣いて、弱音を吐きたいんだってことをわかっちまっている。……だが、俺には何をしてやったらいいのかもうわからない。整備班で『いつも通り何事もなかったかのようにふるまう』他には。……ティノさんに相談したら言われたんです。『フォンク亭のおかみさんとサラさんに相談してみろ』と。」 オズウェルは、ロビュ小隊の厨房に勤めるティノに大きな信頼を寄せている。そのティノは昔このフォンク亭のコックであり、フォンク家の事情もよく知っていた。……ティノは、出征した夫の、父の帰還を、随分長い時間待ち続けていた二人にならエリカを託せると思ったのだろうか。おかみさんはこくり、と頷いた。 「あのお嬢さんのことは、前から気にかけていたのよ。……帰ってこない人を待つのはとても苦しいことですものね。……そうね。軍の方にはできないことで、私達にできることがあったなら、喜んで。ね、サラ。」 おかみさんに言われ、オズウェルはサラに目を移す。すると、サラは妙なことを言った。 「オズウェルさん。あなたは、エリカちゃんのこともアレックさんのこともほんとうに大好きなのね。」 その声は妙に真剣で、いつもの『恋の話が必要以上に大好き』なサラの口調とは全く異なっていた。しかし、次の瞬間、サラはにこにこといつも通り微笑んでいた。 「エリカちゃんのことをセルジュは『エリカ姉ちゃん』と呼ぶわ。だからあの子は私にとっての妹なの。……私達が小隊に出入りすることはできないけれど、エリカちゃんがここに来てくれた時には、お話してみることにするわ。」 「それで、オズウェルさん、アレックさんのことは、どうなのかしら。もう随分になるけれど生きていらっしゃる可能性は……。 軍事機密であろうことをわかった上でおかみは尋ねた。オズウェルは項垂れる。 「わかりません。……ただ……」 「ただ？」 「……もしも帝国内でアレックさんが殺されたのだとすれば、帝国はその事実を大々的に報道するでしょう。……あの人はユクトランドの伝説のエースなんですから。それがない、ということは少なくとも帝国はアレックさんが死んだとは思っていない。そして……この間、ロビュ小隊の司令が代替わりしたことは御存知ですよね。実は離任式のあと、ルイディナ元司令がわざわざドックまでいらしてこう言われたのです。『多くを語ることは許されぬが、置き土産として仄めかすくらいはよいだろう。希望を今すぐ捨てる必要はない』と。……それだけですが、少なくとも俺はあの人がまだ生きている公算が大きいのだと受け取りました。ただ、あいつにはそう言えなかった。ぬか喜びさせて、もしも間違っていたら……俺は自分を許せません。」 おかみは、オズウェルの肩にそっと手を置いた。 「どんなことが起こっても自分を責めることはありませんよ……すべては戦争のせいなのだもの。そしてあなたが戦争を起こしたのではないのだもの。」 夫を戦地に送り、そして、再び会うことができなかったおかみの言葉は、オズウェルにとって、重く、そして、まるで実の母から言われたように暖かだった。彼は一度瞑目し、顔を上げ、あいつをお願いします、と何度も何度も頭を下げて小隊へと帰っていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それからしばらくして、エリカ一人がフォンク亭へとやってきた。彼女の手には手紙が託されており、ティノから届けるように言われたということであったが、おかみさんが封をきって内容を確かめると、『このお嬢さんをよろしく』とそれだけが書かれていた。気丈にふるまっているエリカであったがオズウェルやティノや、その他の人々には『限界』と思われているらしかった。サラがふんわりと笑い、今日は何を食べていく？と訊ねると、微かにエリカの目が泳いだ。サラはぎゅう、と「妹」の手を握り締める。その手は氷のように冷たかった。 「エリカちゃん？」 「え？あ、サラさん、何です？」 エリカがサラの真似をするようにふわりと笑う。ああ、ダメだ、この子にこんな笑い方をさせてはいけない。こんな無理をさせてはいけない。サラは覆いかぶさるようにエリカを抱きしめた。 「エリカちゃん。ここは小隊じゃないの。軍隊じゃないの。だから我慢しなくていいのよ。ううん、ここはね、我慢しちゃいけない場所なの。」 エリカの大きな目から涙がこぼれる。サラはエリカの肩を抱き、丁度出てきてエリカの泣き顔を見て立ちすくんでいるセルジュに声をかける。 「セルジュ、姉さんの部屋に、あったかい飲み物を持ってきて頂戴。」 「う、うん、わかった。」 逃げるように厨房に飛び込むセルジュを視界の端に捕らえつつ、サラは二階にある自室へとエリカを抱きかかえるようにしてトン、トン、と階段を上がっていった。 サラの部屋は小さいが気持ちのよい部屋だった。窓際に机と椅子。ベッド。そして戸棚。それがすべてだったが、壁にはサラ自身がしたらしい刺繍がいくつか貼ってあり、机の上の一輪挿しには花が一輪さされていた。 サラはエリカをベッドに座らせ、自分も横に座った。すると、耐えていたものがすべてあふれ出してしまったように、エリカは声を詰まらせながらサラに吐露した。アレックの“必ず帰ってくる”という約束を信じているけれど、何年たとうと待ち続けると決めているけれど、彼がもうこの世にはいないのではないかという恐ろしい考えがわいて来てしまうこと。ドックで整備の仕事をしている間は平静を保てるけれど、夜になると心細くなること。堰をきったように言い立てるエリカにサラは穏やかに相槌をうちながら静かに聴いていた。そして、エリカが言葉を切ると、肩にまわした腕に力を込めた。 「辛いわね。寂しいわね。……泣いてもどうにもならないってこともエリカちゃんはよくわかっているのよね。……本当に、本当に辛いわ。……そうねぇ、確かに泣いていてはどうしようもないわ。……でも、整備のお仕事で根を詰めすぎるのはよくありません！悲しいことを考えないように倒れる寸前までお仕事を頑張るのは絶対によくないのよ！」 「あ……それはオヤカタさんにも言われましたけど。……どうしてわかるんですか。」 「見ればわかるわぁ。クマがあるもの。あのね、若い女の子が目の下にクマなんてつくっちゃいけないのよぉ。……そうねぇ、整備のお仕事、飛行機を作ること以外でできることを考えてみない？考えるのよ、アレックさんが帰ってきたときに、何をしてあげたら喜ぶかしらって。あ、キスとかそういうのはなしよ〜。ふふふ、だってそういうのはあたりまえですもの〜。まぁっ、赤くなっちゃって。アレックさんは幸せものだわ。さあ、折角待っている時間があるんですもの〜、いろいろ準備ができるでしょう。」 エリカは考える。帰ってきたら何をしてあげたいだろうか。ああ、なんだか“して欲しいこと”だけが頭を駆け巡る。名前を呼んで欲しい、笑顔を見せて欲しい、抱きしめて欲しい。ああ、そんなのじゃいけない。 「おっまたせ〜！」 セルジュの声が扉の向こうから聞こえた。サラが扉を開けると、セルジュは机に運んできたトレイを置いた。大きなマグカップが二つと、小さなパンケーキを載せた皿。 「姉ちゃん、飲んでみて。俺の特製ミルクティーだよ。ちょっとハチミツも入ってる。」 言われるままにエリカは口をつけ、紅茶の液面を見つめて微笑んで美味しい、と言った。 「……帰ってきたらアレックさんに美味しいお茶を入れてあげたいな。」 話の流れがわからないながら、セルジュはうん、と頷く。 「姉ちゃんに入れてもらったら、アレックさん喜ぶよ。そんじゃさ、ばあちゃんに習うといいよ。ばあちゃん、お茶をいれるのうまいんだぜ！」 「おいしいものも、作ってあげたい。」 「そうそう。それもいいわぁ。」 「でも、私、アレックさんの好物を知らないんです。食堂ではアレックさん、なんでも好き嫌いなく食べてたし、何が好きか、なんて話をしたこともないし。」 「それなら私が役に立てるわぁ。アレックさんは煮込み料理がお気に入りなの。シチューとかね。あとでレシピを教えるわねぇ。帰ってきたときにティノさんにちょっと厨房借りて作ったらいいわ。ね、他には？」 「シャツを縫うのはどうかしら。お裁縫は割と好きなんですけど。」 「シャツは……うーん、俺、アレックさんがシャツを着てたとこ見たことないなあ、アレックさんいつもここに来るときにはセーターだったよね？そうだ！セーターがいいよ！」 「編み物はしたことがないのだけれど……」 サラはしばらく言葉を発しないでいたがにっこり笑った。 「大丈夫よ。セーターだったら私が教えてあげられるわ。初めは難しいけれど、慣れれば楽しくなってくるし、間違えてもほどいて編みなおせばいいの。そうね、セーターがいいわ。そうしましょう。」 エリカ姉ちゃん、アレックさんのセーターの次は俺のセーター編んでよ、とセルジュが言い、サラがトレイで弟の頭を叩き……エリカは久しぶりに心の底から笑った。 次にサラのもとを訪れたとき、二人は毛糸を買いに行った。サラはまず、太い生成りの糸を手にした。 「最初はこれで模様編みをしましょ。糸が太いから編みやすいし模様も入れやすいわ。それと……細い毛糸も買っておこうかしら。初心者向きじゃないけれど、細い糸で編んだセーターは着心地がいいから……さあ、アレックさんにはどんな色が似合うかしら。」 エリカは散々考えたあげく、明るい水色の糸を手にした。 「まあ、アレックさんの瞳の色ねｖ」 するとエリカは頬を赤くした。 「あの……空の色の積もりだったんですけど。」 「……アレックさんの瞳は空の色ですものね。素敵。そうよねえ、アレックさんにはそういう明るい色も似合うと思うわ!!」 次に必要なのは寸法だった。本人がいないのにどうやって寸法を……と戸惑うエリカだったが、『残っている私服のセーターを見せて貰えば大丈夫』とサラに言われ、なるほど、と思いつつ補給班の上級曹長ドゥニに相談すると、倉庫に案内してくれた。アレックの部屋はクラウス司令に配慮されているのかまだ空いたままになっているが、私物は箱に詰められて倉庫の隅に保管されていた。それがなんだか遺品として扱われているようでエリカは複雑な気持ちであったが、近づいて箱に書かれた文字を見て笑った。『アレックの私物。帰って来るまでドゥニ預かり。勝手に処分すんなよ。』大きく箱の側面全体に殴りがかれているその文字を見たらきっと死神だって退散するだろう。その中からドゥニはアレックのセーターを引っ張り出してエリカに渡した。 「ほらよ。……ま、固いことを言えば、これは軍紀違反だ。司令には内緒だぜ？」 畳んだセーターに顔を埋めるようにすると、待ち焦がれている男の懐かしい匂いが微かにした。有難うございます、とぴょっこりお辞儀をすると、ドゥニはなぁに、可愛い子にはこのくらいサービスしなかったら男じゃないだろう、と、にやりと笑った。 サラはセーターを元に型紙をつくり、網目の数を割り出した。すぐにはセーターに取り掛からず、網目の作り方や模様編みの仕方を練習し、きちんとゲージもつくらせて太い方の毛糸で編み始めさせた。次に来るまでにどこまで編んでくるかを『宿題』としていたが、それはエリカがあまり根を詰めずに編めるような量であった。休みの日に、エリカは毛糸の入った籠を持ってフォンク亭に急ぎ、サラの部屋でお茶など飲みながら二時間ほど編み物をするのが日課となった。一着目のセーターが編みあがるまでに、三ヶ月が経過した。ざっくりとしたそれは、網目が不揃いなところはあったが、様々な模様が身頃にも袖にも散りばめられ、それなりに納得のいく出来であった。セルジュに着せてみたところ、袖は長すぎしかも肩が落ちている状態になりサラもエリカも笑った。 極細の空色の毛糸を使った二着目のセーターはなかなか編みあがらなかった。あまりに進まないので休憩場所に持ち込んで編んでいると、オズウェルがじいっと手元を覗き込んできた。編み棒の動きに視線を合わせ、睨みつけている。 「なぁに？オズウェル。」 「……編み物って奴はなんだか恐ろしく面倒だな。」 「そう？でもオズウェルくらい器用だったら、このくらいなんでもないわ。」 尚もじっと見つめるオズウェルにエリカは軽い気持ちで声をかけた。 「ここのところは単純なメリヤス編みと裏編みだからやってみる？」 かくして、オズウェルは生まれて初めて編み棒を手にし……興が乗って五段も編んでしまうこととなった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 空色のセーターも編みあがった。またセルジュに着せてみたところやはり肩は落ちたが袖はそれほど長すぎなかった。 「セルジュ、あなた、腕だけはのびたのねぇ。でも、腕だけなのねぇ。」 サラに言われ、セルジュははあ、と息をはいた。 そのうち、フォンク亭にコリンやルカがやってくるようになった。それは、本格的な平和が戻ってきたことの証であった。ある日、わいわいとやってきたロビュ小隊の若手の中にオズウェルの姿があった。彼は他の連中のたわいもないお喋りには加わらず、隅で航空力学の本を読んでいたが、サラがコトン、とナッツの皿を前に置くと、本を置いて会釈した。 「有難うございました。……あいつ、あなたのところに行くようになってから、明らかに元気になりました。……」 「あら〜、別にどうってことないわ。元気になったのはエリカちゃんの心が強かったから。それだけよ。」 「……いや、あいつのことをずっと気遣ってくれたからだと思います。身内でもなんでもないのに」 「……前に言わなかったら。エリカちゃんはセルジュのお姉さん。エリカちゃんは私の妹。だから身内なの。……あなただってエリカちゃんの身内以上でしょう？……」 オズウェルはきょとんとし、苦笑した。 「俺が兄だったら、随分とぶっきら棒で冷たい兄さんだと思いますが。」 サラはくすくす、と笑った。ぶっきら棒で冷たいなんてとんでもない。優しくて、愛情深い……恋人ではないけれど、最高のコンビ。それをサラは知っている。オズウェルのことはあれからティノに詳しく聞いた。そして、ティノの言葉には間違いなどありはしないのだ。 「……あとはアレックさんが帰って来るのを待つだけね。」 「……そうですね。」 オズウェルはゆったりと微笑むサラの横顔を見る。そこにはアレックが帰ってこないなどと危ぶむ気配はなかった。オズウェルはナッツに手をのばす。奥歯で噛み締めたそれは、ティノと同じオズウェルのお気に入りの味付けだった。 そして、やっとその日はやってきた。 「姉ちゃん！姉ちゃん！姉ちゃん!!」 厨房にかけこんできた弟は扉を指差している。カウンターを回って出て行くと……そこには、エリカとアレックが並んで立っていた。アレックはエリカが編んだ空色のセーターを着ており、二年前と変わらない様子でゆったりと微笑んでいる。その腕をエリカはしっかりと抱きかかえるようにして寄り添っている。 「あらぁ、アレックさん。無事だったのね！よかったわぁ〜!!お久しぶり〜!!」 「サラちゃん、セルジュ君、心配をかけてしまってすまない。やっと帰ってこられたよ。」 セルジュはアレックが帰ってきたときにはこういうんだ、と決めた台詞があったらしいが、そんなものはとっくに頭からふっ飛んでいた。 「アレックさん！よかった、よかったよ!!エリカ姉ちゃん、ずっと待ってたんだからな！そいで、酷いじゃないか、あのユーティライネンさんだったなんてさ、俺、これから目一杯飛行機のこと聞いちゃうからな！怪我してない？どうしてたの？あああ、でもよかった！帰ってくるなんてさ、二年もたってから帰ってくるなんてさ、父さんみたいに……父さんみたいに、もう駄目だと思っちゃったじゃないか。とにかくよかったっ！よかったよぅ。」 アレックが抱擁するとセルジュはうわーっと声をあげて泣いた。 サラはエリカに微笑みかけていた。そして、セルジュの頭を大きな掌で撫でているアレックの前に立った。 「んもう、アレックさんてば。エリカちゃんとお付き合いしているってなんで教えてくれなかったんです？やっぱり初めてエリカちゃんをここに連れてきたあのときが初デートだったんでしょう、ねえ、ねえ、そうだったんでしょう。」 「……いや、あの時は本当に何も……」 サラはいつものようにゆったり笑う。 「あの時、エリカのことをセルジュが“姉ちゃん”って呼んで、だからエリカは私の妹にもなって…･･･今度はアレックさんが私達のお兄さんってことにもなるのかしらぁ？」 アレックはエリカと顔を見合わせ……鼻のあたりを赤くした。 「ああ、そうだね、しばらくしたら、ね。」 「アレックさん、折角帰ってきたんですからもういなくなったりしちゃ駄目ですよ。エリカちゃん、ずっと待っていたんですから。穴埋めしてあげなくっちゃあいけないわぁ。いっぱい愛してるって言って、いっぱいキスして、いっぱい抱きしめて、いっぱい見詰め合って、いっぱい長生きして、うんと長生きして……」 言葉が途切れた。 サラはふんわり笑っている。その唇は微かに動いていたが、言葉を紡いではいなかった。 エリカがドン、と体当たりするようにサラを抱きしめた。ひとかたまりになっている二人をアレックがそっと抱擁する。 「俺のいなかったときのこと、エリカから聞いたよ。……有難う、サラちゃん。」 サラの顔が少し歪んだが、ふる、と一度だけ首を横に振ってふわりと笑う。 「いいんですよぉ〜。それより、ご馳走させて下さいね！セルジュ！母さん達にも知らせて!!お客さんたち全員にお酒を一杯ずつ奢って頂戴。今日はお祝いなんだから！」 わかったよ、姉ちゃん、とセルジュが元気よく言い、その日のフォンク亭は大賑わいとなった。 エリカとアレックが店を出たのは、閉店間際になってからだった。サラは自室に駆け上がり、カーテンをあけて、小隊へと帰っていく二人を二階の窓から見送った。アレックとエリカはぴったりと寄り添い、時折何事かを囁きあいゆっくりと歩いていく。 (よかった。本当によかったわ。) サラの両の目からぽろり、と涙がこぼれた。それは二人を祝福するうれし涙であったが、悲しみの涙、嫉妬の涙も混ざっていた。 （アレックさんは帰ってきたのに……どうして父さんは帰ってこなかったの？……私も、私もずっとずっと待っていたのに……) サラは戸棚の引き戸に手をかけ、中にあったものを取り出した。それは編みかけのセーターだった。エリカに教えたのと同じ形、同じ模様のセーターだった。戦地から戻った父がこれを着て喜び、サラを褒めてくれるのを夢見ていた。でも、それは叶わなかった。ずっと待っていたのに、ずっと帰ってくると信じて待っていたのに。さっきの二人のように寄り添ってこの街を歩こうと思っていたのに。 サラは毛糸の端を掴み、一気に引っ張って編みかけのセーターを解こうとし……床に敷いた敷物の上にへたりこんだ。……これを解くなんてできない。母親に手伝って貰って、父の帰還するその日をひたすら想いながら一目一目編んでいた日々をなかったことなんかにはできない。……セーターを解いてしまうこと、それはサラにとって父親がここで、このフォンク亭で生きていた思い出を壊してしまうことに思えたのだ。 座り込んだまま、セーターを掴み、胸に抱きしめて声を押し殺して泣く。 ダメ、こんなことじゃダメ。……サラ、あなたは泣かないって決めたでしょう？母さんだって頑張ってる、セルジュはまだ一人前じゃない。皆の前ではいつもふんわり笑っているんだって決めたでしょう？ サラはゆっくりと立ち上がり、ハンカチで涙を拭く。そしてふわり、と笑ってみせる。大丈夫、大丈夫。笑える。いつも通りに笑っていられる。 「姉ちゃん、姉ちゃん、大丈夫か？」 ノックの音に続いてセルジュの声がした。……ああ、失敗失敗、さっき階段を上がるときに、セルジュに心配されるような顔をしていたのだろう。サラが戸をあけると、案の定、眉を下げた弟の姿がそこにあった。 「姉ちゃん、何かあったのか。……あれ、何持ってるのさ。」 サラは編みかけのセーターを手にしたままだったことに気付き、少し慌てたが、そっとセルジュの背にそれをあててみた。……彼女の父親ドニス・フォンクは細身でアレックほど体格がよくはなかった。しかし、やはり肩幅はまだセルジュより随分広い。 「セルジュ、あなた、もう少し肩幅広くなんなさい。」 「え？なんだよ、それ。……それってもしかして俺のなの？」 それには答えずサラはふわふわっと笑う。 「急がなくていいわ。……姉さん、ゆっくり待っているから。」 |
| サラ姉さんの話。ふんわりふわふわ天然系で、恋の話が大好きな浮世離れをした女の子……というのが第一印象でしたが、セルジュ編で、「貴方達のお父さんが乗った飛行機を墜としたのは俺だ」と告白されたあとの対応で惚れました。怒らないんだね、泣かないんだね、強いんだね、と感心したあと、逆に「泣かせてあげたい」という気持ちが強く起こりました。 でも、サラ姉さんは泣いても、怒っても、きっと最後にはあのふんわりした笑顔を見せてくれるのでしょう。 しかし、「風色」の女の子達は皆嫁にしたいです。(司令とティーネ様はちょっと怖いかも) ところで、オズウェルに編み物などさせてみましたが、セーター着ているアレックさんに「そのセーター、俺も五段編みました」とぼそりと言わせてみたいなどと思っております。(本気を出せばオズは何でも器用にこなせるはず…！) |
戻ります |