君を乗せて

ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、製作者様の独自裏設定は存じ上げませんので、オフィシャルとかけ離れております。また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。



アレックさんEDで時期はアレックさん帰還から少したったくらい。
ルカはその直前までロビュ小隊でパイロットを続け、「ロランド防衛の鉄壁コンビ」と言われていたが、本格的に平和が戻ってきて「士官学校に復学して卒業する」という理由で王都に戻った設定になっております。
ルカ自身は「自分は第三王子のカレルヴォである」ことを明らかにせず小隊を去っているので、王子だと知っているのは、クラウスと過去に王都で王家からじきじきに叙勲を受けたアレックさんだけということになります。
また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。

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　「姉ちゃん、ここら辺で留めていい？」

　脚立に登ったセルジュは束にした鮮やかな長いリボンで軒を飾っていた。

　「そうねぇ〜、もうちょっと右。もっともっと。そうそう、そこがいいわぁ。」

　「よいしょ。」

　フォンク亭の元気者は舌で唇を湿らせ、紐をきゅっと結び、脚立からポーンと飛び降りると小走りにサラがいるところまで行き、自分の仕事の出来栄えを採点した。

　「よーし、上出来!!」

　隣近所を見渡せば、皆、同じリボンで軒を飾っている。

　「うふふ、みんな可愛らしく飾れたわねぇ。」

　「うん、王女様万歳！母さんから、出店のこととか聞いたけれど、もう、お祭って感じだよね！軽業のテントとか、バザーとか、俺、すっげえ楽しみ。店にもいろんな町からお客さんが来るんだろうなあ。いろいろ話が聞けたら嬉しいなあ。」

　「あらあらまあまあ、セルジュ、私達はおもてなしをする方で、楽しむ方じゃあないでしょう？うふふ、でもそうねえ、本音を言えば、私も楽しみだわぁ。」

　シュレスベルク帝国から爆撃を受けて二年と少し。ロランドの街は、久しぶりに活気付いていた。あと三日で王都から王女がやってくるのだ。美しく可愛らしく、それだけでなく傷病兵や孤児の施設を自ら積極的に慰問している優しい王女。ユクトランド国内で王女の悪口を言う者はほとんどなく、王都では貴族の子女達は王女の着ているドレスをこぞって真似し、若い母親は王女の名前を模した名前を娘に付けたがった。その王女がこの国境の町にやってくるのだ。
　この異例と思われる王女の来訪には勿論思惑がある。たおやかな王女がこの国境の街に来ることにより、まだ内政が落ち着いていない旧シュレスベルク帝国がもはや脅威ではなく平和が訪れたということを国民に示すため。そして、開戦時に爆撃に晒されたロランドの街を王家が気遣っているということを示し、戦後の国民の意思統一をはかり、国力の回復を増進させるため。そして、最前線で戦ったロビュ小隊を労うため。聞けば、王女は王家の名代としてパイロットたちに十字勲章を預かってきているという。更に飛行機でロランド上空を飛ぶ予定もたてられているらしい。街の人々の中には、王女ではなく次期国王となるはずのフレドリク皇太子が来るべきであるという者もいたが、ロランドの住民達の多くは王女をより歓迎した。子供や娘達は特に。……整っているが冷たい風貌をしたやり手の政治家王子より、政治に影響力は持たなくとも可憐な王女を望むのは庶民の感覚としては正しいのだろう。
　実際、王女が来てくれる方がロランドの街に短期的には大きな経済効果を生むのは確かなことであった。





　王女がやってきた日はロランドの空はよく晴れた青い色をしていた。花火が打ちあげられ、露店が広場や道の両脇に溢れ、その中を、王女を乗せた屋根のない馬車が進む。薄桃色のドレスはたっぷりしたフレアーですらりとした白いくるぶしまでの丈。薄桃色の花で飾られた白いつば広帽子が流れるような腰までの金髪の上にのせられている。王女は飾りたてられた馬車の上から街のものたちの歓迎にこたえていたが、やがて自らの意思で馬車を降りた。そして、護衛の者に両脇をかためられてはいたが、徒歩でロビュ小隊まで歩いた。手を振られれば笑顔で振り返し、赤ん坊を抱いた若い母親が沿道に居ればその子の頭を撫でてやり、戦争で手や足を失った状態の人々には一人一人に声をかけ、白い絹の手袋を嵌めた華奢な手で相手の手をしっかりと握った。

　やがて、街の視察を終えた王女はロビュ城へと入っていった。





　「たいへん、たいへん、たいへ〜ん!!」

　王女が小隊に来るということで、ワクワクしながら目を皿のようにして外を窺っていたカレンはドックに駆け込んできた。

　「どうした。騒々しい。」

　王女が来訪するといってもドックの仕事に変わりはない。オズウェルはカレンを一瞥し、またすぐに手元に視線を戻した。

　「何落ちついてんのよ！たいへんなんだってば!!コリンはどこッ!?ここだって聞いたんだけど!?」

　コクピットの中で作業をしていたエリカがひょいと顔を出す。

　「……コリンはさっき着水したばかりだから、もう少ししないと来ないかな。」

　「来たのよ！王女様が！」

　まあ、と目を見開いて微笑むエリカと違い、オズウェルは不機嫌そうだ。

　「……王女が来たって俺達には関係ない。ああ、コリンは明日王女から勲章を貰うんだったな。その関係で呼びに来たのか？」

　「ち・が・うー！ルカがね、なんでだかわかんないけど、ルカが王女様と一緒に来たんだってば!!」

　これにはオズウェルも工具を取り落とした。









　「え？じゃ、ルカがここに来た理由って……」

　夕暮れのフォンク亭で、エリカがコリンに尋ねた。コリンは面子をフォンク亭に集めてはいたが、彼が来たのは一番あとであった。

　「ああ、ルカの奴、俺とちょっと立ち話してすぐにいっちまったんで細かいことは聞けなかったんだけど、王女様の護衛で来たんだってさ。で、詳しくはあとで説明するからって、面子揃えてフォンク亭で待っててくれって言われて。……前に第三王子のカレルヴォ殿下とあいつはタメで面識あるって聞いてたから、王女様とも知り合いなのかもな。なんてったって、フォルゴーレ家は代々王家の教育係の家柄なんだからさ。有り得ますよね、アレックさん。」

　話を振られたアレックは、少々難しい表情をしていた。

　「……ああ、そうだね。そういうこともあるかもしれないね。」

　「ですよね。おおっ！そうだったらルカ経由で王女様とお近づきになれるかも！」

　アレックは苦笑する。

　「ルカがおそばについていたら、コリン、君には近づけないと思うよ？」

　えー、なんでですか、と情けない声を出すコリンをカレンが真っ直ぐに指差す。。

　「そうそう。コリンは王女様の半径５メートル以内に近づいちゃダメよ。他の人が許したとしてもあたしが許さないわ。」

　「カレンちゃーん。俺、明日の午前中の式典で王女様から勲章貰う予定なんだけど〜？

　「それとこれは別でしょ。第一、士官学校に在学中のルカをわざわざ護衛に選んできてるってことは、王女様、よっぽどルカと仲がいいんじゃない？」

　トゥーフォンが頬杖をつく。

　「それってさ、もしかしたらルカが逆玉に乗るかもってこと？」

　エリカはアリサと顔を見合わせる。アリサは頬を紅くしたが、エリカは微笑んだ。

　「ルカは真面目で優しい人ですもの。王女様も好きになったのかも。」

　盛り上がる一同の端で、オズウェルはいつも通りに不機嫌な顔をしており、アレックは少々眉をさげ、何故か複雑な表情をしている。

　「遅いなぁ、そろそろ来ても……」

　コリンが呟いたときに、サラの声がした。

　「あらぁ、ルカ君久しぶり〜。そっちの可愛い人はだぁれ？うふふ〜恋人さんかしら〜〜？」

　首を巡らせば、軍服を着たルカが、黒髪の少女と一緒にサラにからかわれているのが見えた。

　「お〜い！ルカ、こっち、こっちだ！」

　コリンが呼ぶと、ルカは少女の手を牽いて小隊の仲間達がいるテーブルへと急いでやってきた。

　「皆、久しぶり……っていってもロビュを出てからまだ三ヶ月だけど……」

　ぐるりと皆を見渡したルカはアレックの姿を見つけてぱあっと顔を明るくした。

　「准尉殿！お久しぶりです……俺が撃墜されて重傷を負って以来ですからもう二年半ですね。よく戻ってきて下さいました……この国を守ってくださったことに感謝します……」

　立ち上がったアレックにルカは近寄り、抱擁した。アレックは微笑み、離れると首を垂れた。

　「俺こそすまない。あらゆる意味でね…･･･……ルカ、ルカの言葉も俺に翼を取り戻す力を与えてくれたんだよ。……二年の間、コリンと一緒にロランドを守ってくれたのは君自身の力だ。俺こそ感謝させて欲しい。あと、まだ俺の階級は伍長のままだよ。准尉という階級はお返ししたままだからね。」

　「あ、そうなんですか、すみません。……エリカ。」

　呼びかけられてエリカはルカの生真面目な顔を見上げる。

　「よかったね。アレックさんが帰ってきて。」

　すると、ルカの横にいた少女が鈴をふるような可愛らしい声で言った。

　「あなたがエリカさんですか。エリカさんのことはお兄様からよく聞いています。あの、私お会いできて嬉しいです。」

　お兄様……するとこの少女はルカの妹なのだろう。……しかし何故ルカの妹がここにいるのか。フォルゴーレ家の娘だとすれば王都在住のはずではないか。すると、ルカはバタバタと腕を振った。

　「す、すまない、俺の妹、王女様のお付の小間使いをやっているんだ。今日はどうしてもフォンク亭で皆と一緒に食事したいと言って……」

　「はい、すみません。私が我が侭を言ってしまったのです。挨拶もしないで申し訳ございません。私、ルビィと申します。兄が皆さんのお世話になっております。」

　コリンがびしいっとルカを指差す。

　「ルカ、あのなあ、こりゃあないだろう。」

　「え？」

　剣呑な表情でコリンは続ける。

　「……俺達二人はロビュ小隊の鉄壁コンビと言われていた。俺達は強い信頼関係で結ばれているはずだった。だろう？なのに、どうしてルビィちゃんみたいな妹さんがいたのに黙ってたんだよ!!俺は悲しいぞ！」

　「？？俺、妹がいることは教えていたと思うけど……」

　「そーかもしれん！だが、可愛いだけじゃなくこんなに美しくて魅力的な礼儀正しい素晴らしいお嬢さんだとは聞いていなかったぞ。」

　ルビィは自分を褒めちぎるコリンの演説を目を丸くして聞いていたが、途中でパン、と両手を合わせた。

　「あなたがコリンさんですね。」

　「え？ルカから俺のことも聞いてたんだ？名前を覚えてくれたんだね。光栄だなあ。」

　「はい、女の方に声をかけるのがお好きな方だとうかがっています！」

　コリンは前にこけ、他の皆は笑った。

　「酷いなあ。俺は単に誰にでも優しいだけだってば。ルビィちゃんは王女様のお付きをやっているんだって？だったらずっと王都にいるんだよね。もしよかったら俺の休暇のときに一緒に街をまわらないかい？士官学校時代にはずっと王都にいたからね。面白いところを色々案内できると思うよ。」

　「コリン！初対面で人の妹を誘惑しないでくれ！」

　「そーよ！失礼よ！ね、アリサ。」

　「うん、コリンはそういうところ、直さなくっちゃって思う……」

　そんな中、アレックは静かに言った。

　「ルカ、大丈夫なのかい？王女様……のお付きなのにここまで連れてきてしまって。」

　するとルカは苦笑した。

　「普段おとなしい妹が、初めて言った我が侭ですし……僕がしてやれる事はこの位までです。許可はとっています。……何かあったとしても、アレックさんもいる。その点は頼りにしています。」

　と、そのとき、おまちどうさま〜という元気な声と共に、セルジュがドンドンドン、と大きな盆から料理をテーブルの上に下ろした。

　「さあ〜、今日はルカが久しぶりに来たから大サービスするからね!!」

　厨房のなかからセルジュの母が手を振って挨拶する。その間にセルジュは走り回ってルカとルビィの分のグラスを持ってきて、飲み物を注いだ。

　「さあ、母ちゃんたちも腕によりかけて作ったんだ。どんどん食っておくれよ！」

　「よ〜し、えー、では、僭越ながら、ユクトランド王国軍ロビュ小隊航空第二班隊長、コリン　グレイディーアが乾杯の音頭をとらせていただきま〜す。ルカとの再会と、ルビィちゃんと会えたことにかんぱ〜い！」

　皆がグラスを打ち合わせるとさっそくパンを取り分ける。二つに裂くと香草の匂いがふわっとたって食欲をそそる。アリサとエリカが大皿から料理をとりわけ、カレンがフォークとナイフを添えて皆へとまわす。

　「はーい、これはルビィさんの分。どうぞ！」

　料理から漂ってくる匂いが鼻腔をくすぐる。ルビィはさっきまでグラタン皿の中でほんのり茶色に焦げ目がついてぐつぐついっていたホワイトソースをじっと見つめた。セルジュが解説する。

　「ロランド名物シーフードグラタンさ！えっと、あの、こういうの王都じゃ珍しいのかな？」

　「は、はい。」

　少女は木の匙を手にし、えい、とグラタンの中につっこみ、ぱくっと口に入れ……

　「熱いです〜〜」

　コリンがあわてて水の入ったコップを握らせると、ルビィはごくっと飲み、ふうっと息をつく。

　「あっつあつなんだから気をつけて。大丈夫？」

　セルジュが気遣うように覗き込むと、少女はにっこりした。

　「こういう熱いお料理もあるんですね。ぐつぐつ煮えたっているお食事なんて初めてだったものですから。」

　コリンが頷く。

　「そういや、ルカもフォンク亭で初めてグラタン食ったとき舌を火傷したっけなー。……仕方ないさ。そういう経験がなければ。冷ましてから食べれば大丈夫。熱さも美味しさのうちさ。なんだったら俺がふうふうしてあげようか？」

　「コリン！」

　コリンにくってかかるルカの横でルビィは注意深く口で吹いて冷ましてから口に入れる。

　「美味しい!!中でチーズが融けているんですね。具もたくさん入っています。貝柱に、海老に…あの、これは何でしょうか」

　セルジュは少女を見て笑った。

　「ああ、それはカラスだよ。」

　「カラス……!?貝ではないのですか!?ロランドではカラスを食べてしまうのですか!?」

　スプーンを取り落とした様子にセルジュが慌てて言い直す。

　「あー。こっちじゃカラスって言ってるけど、えーと、あの、なんだったっけ、何ていったっけ、姉ちゃん。」

　ムール貝よ、とサラに教えられてセルジュは得心したように頷く。

　「そうそう、ムール貝。ゴメンよ、俺、上品な名前ってあんまし覚えてなくってさ。うーーん。」

　いや、『カラス』と聞いて鳥のほうを思い浮かべてしまう方がおかしいだろう。
　
　「ルカさん、、もしかして、妹さんは丸ごとのオマール海老も食べたことがないのかしらぁ？食べにくいかしらね。」

　真っ赤に茹でられ、ほかほかと湯気をあげている見事なオマール海老を運んできたサラが眉を下げながらテーブルに置くとルビィは目を丸くする。

　「……」

　言葉を失っている少女の横からひょいとコリンは手をのばし、ハサミの部分をむしりとって殻を剥いた。

　「ほら、こうしてこうやって。ほーら、これでいい。ルビィちゃん、これを、こっちのソースにつけて食べるんだよ。こういう風にた〜っぷりとね、はい。」

　コリンに差し出された剥き身を受け取る少女の横でルカはむすっとしている。コリンのことを全面的に信頼しているルカだが妹にちょっかいを出されるのはどうにも嫌らしい。

　「あの……コリンさん」

　「え？何？」

　「私、今、手で受け取ってしまいました。……はしたないことしてしまいました！」

　セルジュが、ああ、もう、というようにもう一方のハサミをむしりとった。

　「あのさ、オマール海老食べるのに手を使わないわけにはいかないでしょ。俺、隣でむしってあげるよ。コリンより速いし、お客さんには余計な気を使わないで料理を楽しく食べて欲しいしさ。」

　キッチンバサミを忙しく動かし、魔法のような手さばきでオマール海老を解体していくセルジュに、ルビィはパチパチと拍手する。セルジュも悪い気はしないようで、細かくほぐしたオマール海老の身をカリカリに焼いたうす切りパンの上に乗せ、黄金色のとろりとしたソースをたっぷりとかけた。

　「あの、これを？次はどうしますか。」

　フォークとナイフを手にした少女をセルジュは笑う。

　「こういうのはさ、『あんぐ』って口を大きくあげて頬張るのがいいんだよ。あんぐってさ。」

　注意深くパンの端を持ち、大きく、だが上品に口をあけ、パンを頬張る。バターと何か香辛料がしみこんだパンの香ばしさ。上に乗せられたオマール海老に歯があたるとジュッと海産物特有の甘い汁気が出、特製のソースと混ざり合って喉へと流れ込む。今まで味わったことの無い味。

　「兄様、これもとても美味しいです。……初めて味わいました。なんというお料理なのですか。」

　目をキラキラさせて答えを待つ少女にセルジュは頭を掻く。

　「どういうって……ガーリックトーストにオマール海老をのせてソースかけた奴だけど……」

　ルカはそんな妹の様子に目を細めている。

　「美味しいだろう？フォンク亭はロランドでも老舗の店だからね。兄さんも初めてここでご馳走になったときに美味しくってびっくりしたんだよ。お腹がパンパンになるまで食べてしまったよ。」

　少女は二口目を食べ幸せそうに目を細めた。セルジュはその顔を見てにこにこする。どんな褒め言葉よりも今のルビィの顔はフォンク亭の看板息子を喜ばせた。

　それから一同は食べに食べた。サワークリームをたっぷりかけた鳥のハーブ煮込み、ふかしたての皮付きジャガイモ、旬の野菜をふんだんに使ったキッシュ、チーズの盛り合わせ。ルビィは美味しそうに食べていたが、最後はもうお腹がいっぱいになって、専ら皆と話をすることを楽しんだ。

　「それでは、皆さんは様々な国のご出身なのですね。」

　トゥーフォンが笑った。

　「そーそー。まさにユクトランドの縮図って感じ？アリサちゃんはロマッシア系だし、オズウェルはブリステント出身だし、俺は見ての通り両親が華夏の出だしさ。」

　すると、ルビィはトゥーフォンに向かってなにやら言葉をかけた。聞きなれない言葉に皆が首を傾げる中、トゥーフォンだけが目を丸くする。

　「驚いた。こんなところで華夏語を聞くとは思わなかったよ。」

　オズウェルが不思議そうにルビィを見る。

　「君は華夏語を知っているのか？」

　ルビィは恥ずかしそうに頷いた。

　「華夏語は難しくて、挨拶くらいしかできないんです。」

　トゥーフォンは首を振る。

　「いやいや！凄く発音いいんじゃないかな。俺、華夏系だけど、正直なところ華夏語はあんまり喋れないんだ。でも、おやじやおふくろの話してた言葉の響きととてもよく似ていると思うよ。」

　「……もしかして、ブリステントの言葉もわかるのか？」

　オズウェルに言われ、ルビィはブリステント語で返答する。それにオズウェルはブリステント語で答える。ユクトランドで育ったオズウェルはユクトの言葉であるクローニ語が母国語といっても良かったが、ブリステント語しか喋る事のできない母親のために、家ではブリステント語を使っていた。……オズウェルが会話を続けたことから考えて、ルビィの会話能力は素晴らしいものなのだろう。エリカが目を見張る。

　「ルビィさんはもしかして帝国語もわかるんですか。」

　「はい。帝国語は話すよりも読む方が得意ですけれど。……何か本でもあると助かりますが。」

　エリカがオズウェルの了解を得て彼が持ち歩いている帝国語でかかれた航空力学の本を渡すと、ルビィは序説の部分を美しい発音で読み上げた。エリカが胸の前で手を組む。

　「凄いわ。私なんて、勉強を始めて二年たっても、今だに辞書がないと読み進められないの。」
　「うんうん、私なんて会話できるのは王国語だけだよ。」
　「勉強家なんですね、ルビィさんは。」
　「本当に凄いよ。ルビィちゃんはいっぱい努力したんだねー。」

　褒める女性三人とコリンの横で、トゥーフォンは不思議そうに言う。

　「でもさ、俺の両親もそうだったけど、ユクトランドに入ってきたら、皆クローニ語を話してるよね。……沢山の言葉を身につける必要ないんじゃないのぉ？」

　すると、ルビィは真面目な顔になった。

　「ユクトランドには沢山の方々が移民していらっしゃいます。でも、それはユクトランドがその方々をとりこんでしまってユクトに染めてしまうわけではないと思うんです。そんなことをしたら絶対にいけません。逆に、もとからユクトに住んでいた私達は、他の国の言葉や文化をよく知ってお互いに尊重しなければと思います。……それに……もしも私が他の国に移住することになったとしたら……私、ユクトランドの言葉で挨拶していただけたら、それだけでとても嬉しいと感じます。だから私も他の国から来た皆さんにはそうして差し上げたいのです……あ、なんだか偉そうなことを言ってすみません。」

　エリカはオズウェルを一瞥したが、オズウェルは何も言わず黙っていた。エリカがにっこり微笑みかけるとオズウェルは天井の辺りを見てほんの少し頬を赤くした……これほどの語学力を身につけるには、それ相応の努力をしてきたということだ。そして口先だけでない人間をオズウェルは表立っては褒めなくとも、しっかりと評価するのだ。エリカがオズウェルの本を指差す。

　「偉そうだなんて、全然そんなことないわ。私も飛行機について勉強するために、帝国語やランブール語を読むのだけれど……そうですね。それらの本を書いた人に敬意を表すときには言葉も話せた方がいいのかもしれない。……そんな機会は来ないかもしれないけれど、本を書いた人に会えたとして、そのときに一番話したい言葉は、飛行機の専門用語ではなく、挨拶だと思うわ。挨拶ができたら、気持ちが伝えられる気がするもの。素晴らしい本を有難うございますって、お礼ができたら素敵だと思うから。……飛行機のことは筆記具があればあとは手振り身ぶりでなんとかなりそうだし。」

　ルビィはエリカの言葉を聞いていたが、満面に笑みを浮かべた。

　「有難うございます。……エリカさんとお話していると、とても元気になれます。さすがお兄様が好きになった方です。」

　コーヒーを飲もうとしていたルカが瞬時に顔色を変えた。いや、もはやその顔は茹でたタコの如く真っ赤だ。

　「★Å▽※δ〜〜ルビィ、何を言う!!!!あ、いや、エリカ、、君のことは同期の大切な友人だと思っている。それは確かだけれど、君のことは大好きだけど、昔は少しそういうことも考えたかもしれないけれど、今は別に……じ、じ、准尉殿!!」

　いきなり大声で呼ばれたアレックは背筋を伸ばす。

　「俺は、彼女に邪な考えを抱いてはいません！神に誓います！」

　「い、いや、謝らなくても。あー……俺こそ、少しも気付いていなくてすまない。」

　「そんな。謝っていただくなんて申し訳なさすぎます！」

　「はいはいはいは〜い！」

　コリンが割って入る。

　「まあいいじゃないか。俺だってエリカちゃんのことはだ〜い好きだったんだからさ！オズウェルだってそうだろ？ま、トゥーフォンはカレンちゃん一筋だけどさ。」

　「俺は別に」
　「そーよ、このスットコドッコイがあたしとどうこうなんて言わないでよね。」

　いつもの喧嘩が始まり、ぽか〜ん、と見ていたルビィもやがて笑う。しかし、いつしか彼女は下を向いて涙を拭っていた。ルカが気付いてハンカチを差し出すとルビィはそっと目頭を押さえた。

　「私……今日の事をずっと忘れません。……楽しかったです。お兄様は良いお友達を持って幸せです。……」



　その時、フォンク亭の扉が開いた。

　「いらっしゃいま……」

　サラが途中で言葉を切り、立ちすくむ。

　そこには黒いスーツを着た男が二人、立っていた。彼らは丁寧な言葉遣いで、知人を迎えに来ました、と告げたが、アレックとコリンは彼らから発散される説明できない気配を感じ、立ち上がった。アレックは男達に声を掛けようとしたコリンを制し、皆を守るように前に出た。伝説のエースの視線は相手を威圧するようなものではなかったが、十分に鋭かった。しかし、彼は小さく頷いた。スーツの男達も頷く。アレックは振り向き、ルカに対して静かに言う。

　「妹さんにお迎えの方がみえたようだよ。」

　ルカも慌てて立ち上がり、俯いているルビィの手をぎゅっと握って立たせた。そのまま、手をとってコリンとアレックの横を通ってスーツの男達にルビィを託す。

　「……お願いします。」

　「承知いたしました。」

　二人の男に挟まれて出ていこうとするルビィは今一度皆の方を向いて優雅にお辞儀をした。

　「皆さん……エリカさん、カレンさん、アリサさん、オズウェルさん、トゥーフォンさん……有難うございました。皆さんに、そしてこの街の全ての人に幸多くありますように。」

　そして、コリンとアレックに無理をして、しかし精一杯に微笑んで見せる。

　「コリンさん、アレックさん……いえ、グレイディーア中尉とユーティライネン伍長とお呼びしなければいけないのかもしれません。また明日お会いしましょう。……准尉様、明日の飛行は宜しくお願い致します。」


　ルビィはもう一度お辞儀をすると、男に挟まれて去っていった。アレックに並んだルカが手を肩の高さまで上げて振って妹を見送る。夜の闇に彼女の姿が溶けていってしまうとルカは手を下ろした。視線を下げて肩を落としたルカは、普段よりも小さく見えた。しかし、昔の仲間達に向き直ったルカは、背を伸ばし、口を引き結び、凛として言った。

　「……すまない。皆にはきちんと説明したい。……一緒に外に行ってくれないか。」



　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊



　日没後の広場は人気がなく、街灯の光も広場の中央には届かない。ルカは、皆を100年以上昔から水を噴出していた噴水を囲む石積みに皆を座らせ、自分はその前に立った。

　「わざわざ済まない。でも、皆には本当のことを話して置きたい。」

　アレックがまっすぐにルカを見る。

　「ルカ、いいのかい。皆に知らせてしまっても。」

　「……はい。長兄の許可はとっています。……妹については『おしのび』ということは問題ないはずですし、俺のことは……正式公表はする予定は長兄にはないようですが、ロビュ小隊でパイロットとして防衛の任につき、ロランドを防衛したということをじわじわと噂として広げたいと画策しているようです。長兄の真意がどこにあるのかは俺にもわかりませんが。……ですから。」

　そこまでをアレックに言ってから皆の顔を端から端まで眺める。女性三人は明らかに戸惑っており、オズウェルは不機嫌な顔、トゥーフォンはオズウェルの顔を見ている。コリンだけがゆったりと微笑んでいた。

　「既に不審に思っているでしょうけれど、ルビィは王女のお付きではありません。ルビィは愛称で彼女の本名はメルヴィ。王国の王女です。」

　「えー!?お、王女様ぁ？……」
　「そ、そんなこと。……でも、王女様だとすると、いろいろな事が腑に落ちるよね……」

　カレンとアリサにルカは頷いてみせる。

　「妹は、この三ヶ月、ずっと塞ぎこんでいました。心配して理由を尋ねてみましたが、理由を教えてはくれませんでした。ロランド視察が決まってからも様子は変わりませんでしたが、俺がロランドやロビュ小隊の話しているうちに、是非、フォンク亭に行ってみたい、そして空を飛んでみたいと久しぶりに笑顔を見せ……それでここまで連れてきてしまいました……」

　「ちょっと、ちょっと待ってくれよ！あの子が王女だったら、……あの子の兄さんであるルカって……」

　トゥーフォンが発した言葉をひきとってカレンが悲鳴のような叫びをあげた。

　「ルカってば、王子様!?」

　ルカは項垂れた。

　「嘘をついていて御免。俺はユクトランド王国の第三王子。名は……ルカではなくカレルヴォです。……俺は、四人のきょうだいのなかで最も存在感の薄い人間です。それぞれ優れたはたらきをし、評価されているきょうだいたちの中で一番役立たずの何もできない自分に嫌気が差し王宮から出ました。代々教育係を務めてくれているフォルゴーレ家に頼み込んでルカという人物を作り上げてもらい、士官学校に進み、ロビュに配属されました。……今を思えば、ただ、逃げていただけかもしれませんが。」

　しばらく、誰も何も言わなかった。

　「そうかぁ、王子さまかぁ。ま、そうかも、って思ったこともなきにしもあらずだったけどさ〜。」

　いつも通りの明るい声でコリンが言った。

　「え？」

　ルカが間の抜けた声を出すとコリンは右腕を大きくぐるっと回した。

　「いやさぁ、ルカ、お前ってなんか口に出して言えないようなことを抱えてるって雰囲気満々だったじゃないか？家族のことが話題に上るとなんか言いにくそうだったしー。それ以前にいくらなんでもフォルゴーレ家の子が軍にはいるかなあって疑問はあったんだよね。でだ、気になったんで、ちょいとさる筋を通してフォルゴーレ家のことを調べてみたわけ。したら、ルカくらいの子はいなかったし、ルカが言ってた男３人女１人のきょうだいっていうのも違ってた。だからさ。」

　「え？だって、コリン、君はそんなこと、ちっとも俺に訊きもしなかったじゃ……」

　「ワケ有りで、でも話したくないんだったら、追求してもいいことないじゃん？……俺に隠していることがあったとしても、ルカは必要以上にまっすぐで真面目で、嫌気がさすほど融通が利かない奴だろ。悪気があってやってる筈はないだろ。そういうときは面倒だし、放置だ、放置。……しかし、王子様か。……うーん、ルビィちゃんとルカって激似だよなあ。フレドリク殿下に似ないでよかったよかった。」

　カレンが怒鳴る。

　「コリン、あんた、王子様や王女様にそういう言葉遣いすると不敬罪に問われて営倉送りじゃすまなくなるかもよ！」

　ルカは首をふる。

　「そんなことは俺がさせないよ。……有難う、コリン。」

　ルカが握手するとコリンは、いいっていいって、と笑ってから、拗ねたようにアレックを見た。

　「アレックさんは、もう随分前から御存知だったみたいですね。人が悪いなあ。」

　アレックはふうっと息をつく。

　「大陸大戦終結時に、王都で女王様からじきじきに十字章をいただいてね。……そのときに、王子のお一人が飛行機についてとても興味を持っていらして、私と話がしたいとおっしゃって……それがカレル、いや、ルカだった。このことについてはルカがここに着任したときにはルイディナ司令とクラウス副指令、そして俺の三人だけが知っていたんだが……決して表に出してはいけない事柄だと釘をさされていたからね。」

　「それで？」

　オズウェルがぶっきら棒に言う。

　「え？」

　オズウェルが何を言いたいのかわからないルカは首を傾げた。

　「いや、それで、俺達に何をして欲しいんだ？」

　「…………」

　オズウェルがどのように答えて欲しがっているのかルカは考えたがわからなかった。

　「何をして欲しいわけでもないけれど……」

　「……だったらいい。俺もコリンと同じく面倒なことは嫌いだからな。」

　オズウェルの声は相変わらずぶっきら棒であったが、ルカはその声に暖かいものを感じ取ることができた。……アレックが不在の間、ルカとオズウェルはエリカをどうしたら元気付けられるかと心を砕き、性格は相当違ってはいたが、二人して語り合うことが何度もあったのだ。

　「……そうしたら、私達は今までと同じでいい？」

　エリカが尋ねるとルカは勢い良く頷いた。

　「ああ、公の立場にいないときには……俺はいつまでもルカだよ。……准尉殿、心配しないで下さいね。公の立場にあるときには、カレルヴォの名を疎ましく思うことなどありませんから。……俺は王都に帰ったら、もう二度とここには来られないかもしれない。パイロットとして操縦桿を握ることももうないのかもしれません。でも、『ルカ・フォルゴーレ』が居なくなってしまうことはありません。……ルカ・フォルゴーレの記憶を持ったまま、王国の第三王子は彼なりに空と飛行機の未来を造るために力を尽くしたいと思っています。」

　ルカはそれからしばらく話し続け……一人でロビュに帰っていこうとした。が、アレックとエリカが同行すると言い張り、結局ルカは二人の間に挟まれて小隊へと帰っていった。





　「王子様、か。」

　コリンは小さく呟いた。

　「ルカに似合っているとも、物凄く似合っていないとも言えるけど……あいつは自分が王族だってことにこれからも悩むんだろうなあ。……胃に穴が開く前に手紙でもくれるといいんだけどな。」

　トゥーフォンが彼にしては珍しく鋭い視線をルカの背に送っていた。

　「俺はさ、王族がどんなものかわからない。わかりたくもない。なんのかんのいいながら、奴らは生活に困ることもないし、途方もない権力を握ってる。人一人の命をどうとでもできる程のさ。……帝国みたいに革命でも起こればいヤバイけど、」

　オズウェルは何も言わない。トゥーフォンは答えや意見を求めているわけではないのだ。

　「だけどさ。」

　カレンが見上げると、トゥーフォンは微笑んでいた。

　「王族は嫌いだけど、俺はルカとさっきのルビィちゃんは嫌いじゃない、好きだよ。」

　「そうね、そうだわ。……あたしはフレドリク殿下だって好きだけど。」

　「……カレンちゃんは面食いだから……」

　ちょっとぉ、アリサ、あたしのどこが面食いなのよぉ、え、だって……という女二人の口げんかを耳にしつつコリンはまたゆったりと微笑んだ。



　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊



　夜もすっかり更けたが、エリカは一人ドックで作業していた。……といっても、明日、王女を乗せて飛ぶ予定の複座のオオルリの整備はとっくに終わっており、ドックの掃除や工具の手入れをゆっくりとやっている。ルカと一緒に戻った後、エリカはクラウスから呼び出され、ドックで待機しているよう命じられたのだ。

　すると、そこにルカがやってきた。

　「エリカ、こんばんは。……っていってもついさっき別れたばかりだけれど……。御免、いきなりいろいろと驚かせてしまって。」

　「ううん。確かに驚いたけれど……失礼かもしれないけれど、ルカはルカでしょう？」

　ルカは目を細めた。

　「そうだね。俺は俺だね。……失礼な事なんてないよ。……むしろこの場で『殿下』なんて呼ばれたら自分のことじゃないみたいだ。夜遅くに済まない。妹が……メルヴィが君と話したいっていうんだ。」

　「私と？」

　頷くルカ。エリカは目をぱちぱちさせる。

　「妹は飛行機に興味があってね。オオルリのことを聞きたいといっていた。でもそれだけではないと思う。……」

　「飛行機のことはともかく、私にお話できることがあるかしら。私、そんなに話が上手じゃないし……」

　ルカはゆっくりと首を横に振る。

　「君はここではなくてはならない整備兵だし、准尉殿に新しい翼をあげた人じゃないか！」

　そして、エリカの右手を両手で包むようにしてそっとそっと握った。

　「准尉殿、いや、アレックさんと幸せにね。俺に守れなかったものをあの人はしっかりと守ってくれる人だよ。……エリカ、准尉殿が勝手に飛んでいってしまわないようにしっかり捕まえておくんだよ。」

　するとエリカはくすくすと笑った。

　「何がおかしいんだい。」

　「だって、私の役目は、アレックさんが飛びたいときに翼を用意しておくことですもの。アレックさんが飛びたいと思ったらとめることなんてできない。……むしろ、自由に飛べるように応援したいの。」

　ルカは笑顔のエリカを見、小さくタメ息をついた。

　（エリカ、やっぱり君には敵わないな)

　そして、ほんの少しだけ握った手に力を込め、放そうとして躊躇い、結局ゆっくりと引き寄せた。そして、エリカの頭のてっぺんあたりに優しくそっと口付けた。

　「君と、アレックさんの上にいつまでもしあわせがありますように！」

　ありがとう、というエリカをルカは今度こそゆっくりと放し……少し顔をあからめて、別れの挨拶をすると去っていった。

　しばらくするとメルヴィがやってきた。黒髪のかつらはすでに脱ぎ、金の長い髪はエンジ色の絹のリボンで結ばれている。そして、部屋着とはいっても高級な絹のワンピースはこのドックにはひどく不似合いだった。

　「エリカさん、こんばんは。…といいましてもお別れたばかりですが……。さきほどは驚かせてしまい、申し訳ございませんでした。」

　ルカと寸分違わぬ挨拶をし、メルヴィは早速飛行機を見たいとせがんだ。エリカはオオルリの横に脚立を立て、王女に手を貸してコクピットまで登らせ、機体や、エンジンや、計器の説明をした。簡単な操縦法を教え、整備の手順を簡潔な言葉で、しかし、内容をはしょることなく教えた。メルヴィはルカから飛行機のことを色々ときいていたのだろうか。箱入りの王女としては驚くべき熱心さで、オオルリの、飛行機の、エンジンの、整備の、空のことをつぎに質問した。
　やがて、一通りの説明が終わってもメルヴィは帰ろうとしなかった。整備班のこと、ロビュのこと、エリカのことを王女は尋ね続ける。それは、必死に話を終わらせまいとしようと頑張っているようにも感じられた。ルカは、メルヴィが塞いでいる理由を言ってくれないと心配していたが、今のメルヴィはエリカに何か告げようとしているがなかなかできないでいるように見える。

　「王女様、何か気にかかることがお有りなのですか？」

　「え？」

　「私にはそう思えました。そしてルカ……お兄様も心配していらっしゃいます。」

　すると、メルヴィはその可愛らしい顔を少し歪め、泣きそうになった。

　「兄様はお判りにならないのです。……フレドリクお兄様も、ヨアキムお兄様も判って下さらない。でも、カレルヴォ兄様ならお判りになると思っていた……でも、判って下さっていなかった。」

　王女はそのままドックの床に座り込んだ。エリカが慌てて傍らにしゃがんで体を支える。

　「私は何も持っていないのです。」

　王女はそう言った。

　「カレルヴォ兄様が、随分前から悩んでいらっしゃることはわかっていました。士官学校に入学する前にも、兄様は私にだけは簡単に理由を話していらっしゃいました。“僕には、何もない。フレドリクお兄さまのような政治手腕も、ヨアキムお兄さまのような芸術の力もない。”とおっしゃって。……私とカレルヴォ兄様は仲の良い兄妹でした。上の二人の兄さまとは年が離れているせいもあって喧嘩も遊びも一緒にはできませんでしたが、カレルヴォ兄さまとは何もかも、良いことも、悪いことも分かり合っていると思い込んでいました。……ロビュ小隊から帰っていらしたとき、兄さまはすっかり変わっていらっしゃいました。……真面目で、誠実で、優しいところはそのままで、でも、パイロットとしてロランドを守りきったという自信で晴れ晴れとした顔をしていらした。……だからなのでしょうか。判って下さらないのは。私には何もないのに。」

　エリカは静かに言った。

　「王女様のお兄様は、以前、おっしゃっていましたよ。“俺以外の兄弟は皆何かを持っている。”と。王女様のことも。“可愛くて気立てがよい自慢の妹、と。」

　王女は激しく首を振る。

　「気立てがよいだけでは何にもなりません！それだって、周りに促されてのことです。手を振って、労いの言葉をかけて、握手をして……それは、誰にだってできること。王家の王女という肩書きだけがあれば、私以外の誰でもできることです。……私は何もできないのです。政はできません。絵も描けません。飛行機も飛ばせない。それどころかお菓子を焼いたことはあるけれどお料理も洗濯も満足にできません。……カレルヴォ兄様は以前、“今のままではいけない”、と周囲に言われました。だのに私は“そのままでいい”、と周囲に言われるのです。慰問に行き、手を振り、微笑み……やがて……やがては国と国とを結ぶために嫁ぐという仕事をしろと。……フレドリクお兄様がそうおっしゃる理由もよくわかっています。でも、私は……エリカさん、あなたが羨ましいです。しっかりした技術を身につけて整備というお仕事をしていらっしゃる。……」

　エリカは黙っていた。諭す、導く、そんなことはできない。それほど自分は大それた人間ではない。二年とちょっと前にはこのドックの中で厳しい親方と気難しいオズウェルの前でどうしたらよいのかと途方に暮れていた新参整備兵だった。ただ、この少女をこのままにしておくことはできなかった。

　「私は父の代わりにここに来ました。自分の意思できたのではなかったんです。そして、来たときには飛行機については何の知識も持っていなかったんですよ。自動車整備はできたけれど、それは何の役にも立たなかったんです。いろいろな人に教えて貰って、なんとかやってこられたんです。そして、何より、空と飛行機が大好きになって……私は別に立派ではありません。人より多くのものをもっているとも思いません。……」

　「でも……！」

　「王女様、王女様は私が持っていないものをお持ちではありませんか。」

　「私……が？」

　エリカは片言の帝国語で挨拶をした。

　「王女様は言葉に力があるということをよくご存知でいらっしゃいます。先程もトゥーフォンやオズウェルとも直ぐに打ち解けられましたよね。……オズウェルは難しい人で、初対面の人とあれだけ話すことなんて滅多にないんですよ。……王女様はもう、素晴らしいものをもっていらっしゃいます。何ももっていらっしゃらないなんて嘘です。……悩んでいらっしゃるのは、何をもっているか、ではなく、それをどう使うか、なのではありませんか。……でも、それだけは私がお手伝いすることはできません。ルカ、いえ、カレルヴォ殿下がパイロットになる道を自分でお選びになったように、それを決めるのは王女様自身です。」

　「でも……！」

　反論しようとして、王女は笑った。

　「久しぶりに誰かからお説教していただけました。いつもはカレルヴォ兄様がその役目をして下さっていたのですが、この頃それもなくて……そうですね……初めからわかっていたことですのに……すみません、エリカさんに甘えてしまって……兄様から度々お話を聞いていて、一度もお会いしたことがないのに、ずっと昔から存じ上げていたような気持ちになってしまって……」

　俯く王女にエリカはそうだ、と両手を打ち合わせた。

　「夕ご飯を食べてから随分たちましたけれど、少しお腹が空いていませんか。あのあと、セルジュ君がアップルパイを包んでくれたんです。宜しかったら召し上がりませんか？」

　「はい!!」

　結局、エリカと王女のお茶会が終わったのは日付が変わるほんの少し前で、ドックの前で控えていた王女の二人の護衛はまさに痺れをきらす寸前だった。


　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊


　「エリカ」

　ドックから部屋に戻ろうとするエリカは、聞き慣れた優しい声に呼び止められた。

　「アレックさん？こんな遅くに……もしかして私を待っていて下さったんですか？」

　まだ軍服を着込んでいるアレックは、頷いた。

　「司令が君を呼んだことを聞いたのでね。俺は明日の午後に王女様を乗せてオオルリで飛ぶことになっているのだけれど王女様の様子はどうだった？何か困ったことはないかい。」

　「はい……王女様、お話をしている限り、明日の飛行のことをとても楽しみにしていらっしゃるようでした。ルカがいろいろお話したみたいで、オオルリについてのこともいろいろ知っておいでです。……困ったことは……私は困っていませんけれど、王女様の方がなんだか困っているというか……？」

　「？良かったら話して。」

　エリカから一通りの話を聞いたアレックは目を細めた。

　「そう、そんなことが。……王女様はルカが大好きなようだね。……すぐに元気になっていただくにはルカに働いて貰うのがいいかもしれないね。」

　「ルカに働いて貰って……？」

　「ああ、エリカは一人っ子だったね。……ひとまず、俺に任せて？」

　はい、と答えてからエリカは問うた。

　「王女様からお話を聞いているうちに、気になったことがあるんです。……人を評価するときに、“何ができるのか”、というのはそんなに大きなことなんでしょうか。……例えばアレックさんは素晴らしい操縦技術を持っている。確かにそれは評価されるべきことですけれど、アレックさんはそれだけの人じゃありません。私は飛行機整備の技術を持っていますけれど、それだからといって、人として高い評価を受けていいものではないと思います。」

　「そうだね、……少なくとも俺は君については『整備士であること』を最も高く評価しているわけではないよ。」

　「え？あの、それはどういう……」

　はっきりと言葉で聞きたい？と伝説のエースは囁いてそっと抱擁した。



　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊



　翌日も快晴の良い天気だった。午前中は王女の手で、コリン、アレックに十字章が授与され、クラウスにも勲章が与えられた。王女が休憩をとり、軍内施設を見学している間、アレックは複座のオオルリでテスト飛行し、王女を乗せる準備をした。

　離水準備が整い、特別に用意された木製の階段でオオルリの後部座席に腰掛ける。少し緊張した面持ちで安全ベルトを締める。オズウェルが離水を宣言し、プロペラが回転を始める。水面を加速をつけて滑るように走った後、複座のオオルリはすいっと空に飛び上がった。


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　「……さすが、いい離水だな。」

　オズウェルが桟橋で呟くと、横で声がした。

　「ああ、本当にね。」

　それがアレックの声だと気付いたオズウェルはオオルリを指差した。

　「あなたがここにいるということは……アレは誰なんです!？」
　
　「大丈夫さ。……予め複座のオオルリでテスト飛行したからね。さっきだって俺は前ではなく、後ろにのっていたのだし。」


　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊


　「…………！」

　王女は息をのみ、目を見開く。心臓が早鐘のように打っているのがわかる。風が髪をなぶる。少し汗ばむほどだった地上に比べ、頬に感じる風は清冽だ。アレックのことを王女は見知っていた。ルカが少年の頃、飛行機の話を熱心にアレックから聞いていた時に、王女も同じ部屋にいたのだった。彼ならば安心だ。何せ王国一のエースなのだから。しかし、伝声管から聞こえてきたのはアレックより若々しい高い声だった。

　「どう、初めての空の感想は？」

　それが兄の声だとわかったとき、王女は思わず叫び返していた。

　「兄様!?どうして!?」

　兄は笑っているようだった。

　「やあ、やっぱりびっくりしたみたいだね。アレックさんが役目を譲ってくれたんだよ。……これを逃したらもうオオルリに乗る機会はないかもしれないって。……怖くないかい。」

　「怖かったですけれど……今は気持ちいいです！兄様が話して下さった通りに空が青くて、海も青くて、街が広がっていて……素敵です。……」

　ルカはよかった、といい、ゆっくりと旋回した。

　「わかるかい。ロランドの街。あの大通りを森の方から馬車できたんだよ。そこの他より少し大きな屋根がフォンク亭。どうしたの、ルビィ。」

　「なんでもないです。ちょっと涙が……」

　「目を拭いたらすぐにゴーグルをかけるんだよ。少し高度をあげるからね。」

　ルカはゆっくりと操縦桿を動かす。王女はそんなルカの後頭部を見つめ……なんだかとてもイライラしてきた。イライラしてきて……伝声管に向かって大声を張り上げた。

　「兄様の馬鹿！」


　オオルリがぐらっと揺れて、地上から眺めていたナカジマが『何やってやがるんだ、ルカの奴』と毒づいた。


　「!?!?!?ルビィ、一体何を?!」

　「兄様の馬鹿馬鹿馬鹿！こんなに凄いことができて、こんなに素敵な空を飛ぶことができて、それなのに、何も持っていないなんていって！兄様の大馬鹿！私の方がよっぽど何も持っていないのに！可愛いとか気立てがいいとかそんなこと言われてもちっとも嬉しくないのに、それを判って下さらないなんて!!兄様は真面目で優しいじゃないですか！誰がなんていっても、それで十分だわ！フレドリクお兄様やヨアキムお兄様はダメだっていっても、真面目で優しかったらきっとなんだってできるんだわ。できるはずだわ。それなのに！兄様の馬鹿ーッ！」

　淑やかな妹に大音量で叫ばれ、ルカは目を白黒させる。

　「ルビィ、そんなことを考えていたの?!……それだったら、それだったらお前だって！お前は優しくって気立てがいいじゃないか！僕になんだってできるのだったら、お前にできないはずはない!!」

　大音量で怒鳴り返して来た兄の声に、メルヴィは微笑む。

　「だったら！」

　「え？だったら！？」

　「だったら、カレルヴォ兄様と私の二人にできないことは何もないんですね！」

　「そ、そういうことになるかな？あれ、おかしいなあ。」

　王女は叫ぶ。

　「兄様！もっと速く高く飛んでください！きっと私が兄様と二人で飛ぶのは最初で最後です。どうかお願い聞いて下さい!!」

　「よし！」

　ルカはエンジンの出力をあげ、操縦桿を握る手にぐっと力を入れた。










　オオルリが着水すると、ルカがまず降りてきて、後部座席から飛び降りる王女をしっかりと受け止めてぎゅっと抱きしめた。




　「何があったかわかりませんけれど、いいことがあったみたいですね。」

　エリカがアレックの横に立つ。

　「ああ、多分だけれど、うまく喧嘩ができたんだろうね。」

　「喧嘩……ですか？……どうして喧嘩すると仲良くなるんです？」

　「どうして……っていわれても……きょうだいはそういうものだからね。」

　エリカは尚も納得できないように腕を組んでいたが1つ大きく頷いた。

　「そうですね！……私、きょうだいがほしいです。たくさんのきょうだいがいたらきっと喧嘩しても楽しいでしょうね。」

　「？」

　説明不十分な……というより自分でもよくわかっていないエリカの言葉にアレックが戸惑う中、ルカとルビィがやってくる。ルカはアレックと、ルビィはエリカと抱擁しあい……




　王女も第三王子も最初で最後の二人の飛行となったこの日の思い出を一生大切に持ち続けたのであった。


　
例によって、裏設定が公開されたらどうしようもなくなりそうな文です。
そして、題名がジ○リのようです。別のＳＳとも似てしまいました。それでもこれ以外は思い浮かばなかったので。

ヴィジュアルファンブックが出たら、きっと訂正を何十箇所もする予定……(悲)
ゲーム中では名前も出てこなかった王女様を第捏造してしまいました。四人きょうだいの王家の子供たちですが、なんとなくルカと王女は仲が良さそうだなと思い、きっと性格も似ているのかな、と思い、だったら、悩みどころも同じだろうな、ということで今回の話に。
　実はゲーム中でルカが“自分には何もない。妹の王女でさえ可愛くて気立てがよいのに”というような台詞にカチンときまして。
　「可愛くて気立てがよいのはルカも同じだろう」と。この時代、女性ましてや王女に求められるのは『よき妻』になることなのでしょうが、真面目で優しいルカにまでそう言われてしまう王女様がなんとなく不憫で。

　一番やりたかったのはロランド上空での伝声管による兄妹口喧嘩です。

　ルカ君ルート以外ではＥＤ後にルカの素性がどのように知らされるのかあるいはうやむやになるのかわかりませんが、エリカちゃんとの恋が実るかどうかは別にして、各人の抱えていた問題が解決して欲しいです。……それぞれのキャラクターに思い入れがあるだけに、「恋愛度外視(全員と親友状態)の全員Happyエンド」というものもみたかったな、と思います。

戻ります