乾杯 |
サイト開設10周年記念にpomさんからリクエストをいただいたものです。 時期は「あの事故」から10年経った1929年。アレックさんとクラウスとナカジマのお話です。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
その日もフォンク亭は常連客で賑わっていた。その喧噪の中、セルジュは店で最も奥まった席へと蒸留酒の瓶とグラスと、小さな鉢を運んだ。 「お待ちどう！御注文のお酒と……」 トン、トン、トン、と酒の入ったグラスを置き、その真中に、小鉢を置く。その小鉢には、クラウスとアレックには見慣れない少し赤味がかった何かヌメヌメしたものが入っていた。ナカジマは機嫌よくセルジュに片手を上げる。 「夜に親方達が来るっていうからさ、活きのいいイカが入ったんで、午前中に軽く日干ししてつくっといたんだ。」 「おう、ありがとよ。こいつと一緒にセイシュをくいっとやれりゃあ、いちばんなんだが、そりゃあ贅沢ってモンだろうな。」 つい最近フォンク亭の「看板息子｣改め「若旦那」となったセルジュは頭を掻いた。 「……うちでセイシュが作れりゃあいいんだけど無理だからなー。今日のところはうちの料理で我慢な。俺の特製オムレツも、ティノさんが腕をよりにかけて作った煮込み料理もすぐに運んで来るからさ！」 いつもアレックやナカジマが店に来ると、なんだかんだ席に張り付いて飛行機の話を仕掛けてくるセルジュであったが、今日はこの三人で他人に煩わされずに酒を飲みたいのだと理解しており、それだけ言うとすぐに厨房へと戻って行った。 ナカジマは、小鉢の中のものを懐から取り出した持参の『ハシ』で摘み上げ、口に放り込むと旨そうに相好を崩した。向かいに座ったアレックは目を丸くする。 「親方。なんですか、それは。俺は初めて見ます。」 遠目にはある種の細くて長い生物にも見えなくはないそのぬめっとしたものをナカジマは箸でつまんで高く掲げる。 「これか？こいつはジパングの料理で『シオカラ』っていうのさ。ついこの間、セルジュの奴に作り方を教えてみたんだ。活きのいいイカを軽く干して、そこにちょっとばかり塩をした肝をからませる。ほんとうのところはあと少しばかり馴染ませた方がいいんだが、これでも十分旨いやな。ま、ちょっと、くってみろ。ツマミにゃあ打ってつけだ。クラウスも食え食え。」 『戦友』二人がシオカラを口に運び、ナカジマの隣のクラウスが眉間のしわを深くし、アレックが、『慣れればきっと美味しいのでしょうね』と論評すると、ナカジマは気分を害した風もなく面白そうに大声で笑った。 「この味は、お前達みたいな若造にはまだ早ぇってこった。」 クラウスが頬を緩ませ、アレックが目を細める。 「親方、俺はもう44ですよ。若造じゃあありませんが。」 ナカジマはくい、と蒸留酒を喉に落とすと、にやっと笑う。 「44だろうが…… そこで、クラウスを見る。 「……54だろうが、俺にとっちゃあ若造だ。」 すると、クラウスが咳払いした。 「ナカジマ、お前が私と初めて会った時には、今の私の年齢とあまり変わらなかったはずだが？」 ナカジマは機嫌よく笑い続ける。 「ああ、俺も若造だったな。そして、お前達は鼻たれ小僧だった……俺がこの国の陸軍に入ったのが……56だったか？……ってぇと、クラウス、おめぇが39、アレックにいたっちゃあ29か？……今じゃこの小隊の司令官と、飛行小隊隊長。特にアレックにいたっちゃあ、嫁を貰って親にまでなっちまった。あっはっは、俺が年寄りになるのも無理はねえなあ。クラウス、アレックに先を越されちまったが、お前も早く嫁を貰え、嫁を。嫁はいいぞ！」 余計なことはいわんでいい、とクラウスがぼそり、といい、ナカジマは楽しそうにクラウスの大きな背中を節くれだった手でバンバンと叩いた。そうするうちに、はいよ、とセルジュが魚介類の唐揚げとオムレツを大皿で持ってきて小皿と一緒にテーブルに置いていった。アレックがオムレツを切って手際良く取り分ける間もナカジマは喋り続ける。 「…………まあ、この年になって、こうして３人で酒が飲めるんだ。長生きしててよかったぜ。……正直な話、71でこんな風に旨い酒を飲めるなんざ無理だと思っていたんだ。」 「……親方、俺が見る限り、親方はあと10年以上はドックに君臨していそうですが……」 「馬鹿野郎、俺が歳くって死んじまってるかもしれねえ、って話じゃねえ。俺はな、アレック、おめえよりもずっと長生きするつもりなんだぜ？？」 クラウスが、少し笑った。 「お互い、二度の大戦をよく生き延びたものだ。……６年前の戦いでは、三人の中では私が最も安全な場所に在って、二人が体に受けたような傷は全く受けなかったが。」 すると、ナカジマはわかっちゃあいねえなあ、アレックもクラウスも、と大げさに息をついてみせた。 「俺が心配してたのは、三人が揃ってるかってぇことじゃなく、『酒が旨く飲めるか』ってぇことだったんだ。つまりはアレック、てめぇのことだけだ。」 え？俺ですか？ときょとんとするアレックにナカジマは頷く。 「……あれは今からもう10年前のことになるか…………もう、あんときのことを話しても大丈夫だな？ん？アレックよぉ。」 アレックは少し……あくまで少しだけ眉を下げ、それでも笑顔で頷いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 大陸大戦中、クラウス=ウーデットの指揮下で夥しい撃墜数を誇り、しかも飛行部隊を率いては僚機を全く失わなかったアレックは、『救国の英雄』と呼ばれるエースであった。停戦後、このまま同じ指揮官のもとに彼を置くことは、クラウスの陸軍内での発言力を高めることに繋がる可能性がある、として、陸軍上層部はアレックをクラウスの指揮下から外し、陸軍北部旅団第一航空小隊に配属させた。そこでもアレックは飛行隊長として優れた手腕をあらわし、部下からの信頼を得ていた。 だが、訓練中に事故が発生し、アレック自身は軽傷で済んだものの、翼を並べていた部下２名を失ったのだった。上層部は、事故は訓練に使用された機体Jk３フライキャッチャー――オオルリ――の機体欠陥によるものと断定し、北部旅団のオオルリをすべて廃機とした……もとより、陸軍は、海軍使用の機体として開発されたオオルリの陸軍での使用を快く思っておらず、アレックの事故はオオルリ排斥派にとっては渡りに船の出来事であったのだ。 陸軍病院に収容されたアレックは、軽傷であったはずであるのに、かなりの時がたってもパイロットとして現場復帰したという情報はなかった。アレックからの個人的な手紙や電報なども受け取っていなかったクラウスは、陸軍上層部が“『救国の英雄』が実は瀕死である”ことが隠蔽されているのではないか、と案じ、八方手を尽くし、病院へと向かおうとした。だが、調べをいれたところ、アレックは入院していたのではなかった。正式な問い合わせを受けた北部旅団第一航空小隊は、アレックが事故の影響でパイロットとしての職務が遂行できなくなったのだと回答し、クラウスに面会に来るよう要請してきた。そんな回答を素直に返してきたのは、北部旅団が嘗ての指揮官であったクラウスの力を借りてでも状況を好転させたいと考えるほどにアレックの状態が憂慮すべきものだということをはっきりと示していた。 クラウスは取り急ぎ北部旅団第一航空小隊へと向かった。その隣にはナカジマの姿があった。大陸大戦時、常に彼らの傍に在り、アレックの操る機体の全てを整備してきたこの東洋人の老人は、『俺は一緒に行くんじゃあない、たまたまお前と行く場所が一緒なだけだ』と主張しつつも、面会許可を得るにあたっては、正式要請を受けたクラウスの“少佐”の肩書きを十二分に利用した。 クラウスとナカジマは殺風景な灰色の面会室でアレックが現れるのを待った。そして、彼がやってきたときに、アレックからの連絡がなかった理由を二人は即座に理解した。 アレックの外傷は完全に癒えていた。 しかし、顔色はこれ以上ないほどに悪く、体は小刻みに震え、一年前までの颯爽たる救国の英雄、陸軍准尉の面影は全くなかった。 上層部はアレックを表に出すわけにはいかなかったのだ。……『比類なきエース』アレックは英雄であり続けることがユクトランド王国には必要であり、今のような彼は軍に存在し、決して……それが軍人であっても……他者に見られてはならない者であったのだ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「まったくよお、俺達が声をかけてもお前と来たら死んで腐りかけた魚みてぇな眼をしやがって、床向いて震えながらいつまでもだんまりを決め込んでいやがった。……今になってもあの事故のことは話しちゃあくれねえけどよ。」 「……すみません。」 「いいさいいさ、話せるようなことなら、あの時とっくに俺たちに話していただろうからな。……お前、正直、俺とクラウスが面会に行ったときのことはもう、よく覚えちゃいないんだろう？……それとも何か覚えているか？」 「…………司令が……俺をじっと見つめていたことと……親方が怒鳴っていたことを……何を怒鳴られていたのかは忘れてしまいましたが……」 クラウスは頷く。……クラウスは待っていた。アレックが事故について話すのを。……18で徴兵され、彼の部隊に配属されてきたアレック＝ユーティライネンという若者のことを、クラウスはよく知っていた。もしかしたらアレック自身よりも。時折考え込むことはあったが、快活で人当たりがよく、悪ふざけの一歩手前でとどまる適度な柔軟性を持ち、部下思いで、まっすぐなものの考え方をし、軍人として責任をとるということがどんなことかを知っている。これは単純な事故ではない。機体の不調ならばいくら『相棒(オオルリ)』であっても黙っているわけはない。そして、操縦ミスや判断ミスで部下を死に追いやったのならば、隠すことなく上官に報告しただろう。……アレックはそういう男なのだ。彼が黙っているということは、そういった不備やミスはなかったということだ。……この男は、表には出せない何かを胸のうちにに抱えて苦しんでいる。だからこそ何も言えず、こうして震えている…………だからこそ、彼は無言で待っていたのだ。 無言のクラウスの隣では、“何とか言いやがれ！黙っていちゃあ何もわからねえ！”とナカジマが激昂していた。しかし、クラウスは、ナカジマが激怒しているわけではないとわかっていた。ナカジマもまた、アレックが無言でいることで『何か途方もないこ』とが起こったのだと察知し、アレックに喋らせて、アレックと、彼の『相棒』を救おうとしていたのだ。 しかし、結局、アレックは事故に対して何も口にしなかった。ただ、小さな声で、クラウスとナカジマに『申し訳ありません』と謝罪し、クラウスの提案した“ロビュ小隊にパイロットの教導官としての転属”は『飛べない教官など』と固辞し、ならば、他の部署に、との打診に対してやっと『考えさせて下さい』と答えたのだった。 「司令には感謝しています。……あの頃の俺は、空に戻れることはない、と自分で諦めていました……そんな俺を拾ってくれて……」 と、ナカジマがニヤ、と笑った。 「お前は諦めていたのか。俺とクラウスはどれほど時間がかかるか……10年かかるか20年かかるかはわからねえが、お前が空に戻るのを信じていたんだがな。」 「え？」 眼の前に座っている二人の男は、どちらも微笑んでいた。 「クラウスが信じていなかったンなら賭けができたんだが、二人とも確信していちゃどうにもならなかった。」 アレックは問う。 「……俺が、空に、戻ることを……？あのときの俺は、操縦席に座ることもできなくなっていたのに、ですか？」 信じられない、とアレックが呟くと、ナカジマは面白そうにアレックの青い瞳を覗きこむ。 「事故についてあれこれ尋ねてもお前はただ黙っているか謝罪の言葉を繰り返すだけで埒があかなかった。でもな。なあ、クラウス？」 ナカジマに話を振られたクラウスは、静かに言った。 「准尉、お前は、我々の発した質問のうち、一つにだけは、黙りこむこともなく、謝罪するでもなく、即座に否定し、はっきりと首を横に振ったのだ。」 即座に？はっきりと否定を？どんな質問をされたのだったろう。 ナカジマは戸惑うアレックに大きなはっきりした声で告げる。 「俺はお前にこう訊いたんだ。『お前は空や飛行機が嫌いになったのか』ってな。」 アレックは瞳を見開き、10年前のことを思い出そうとする。……いや、思い出せない。思い出せないということは、それが反射的な行為であったということであり、自分の存在の奥底にまで根を張っている想いによるものだということであり…… 中身の少なくなったグラスに、ナカジマが蒸留酒をつぎ足す。 整備士が『飛行機に』と言い、 司令官は『空に』と言う。 パイロットは『飛行機と空に』と少し恥ずかしげに言い、三人はグラスを掲げて乾杯した。 |
| 10周年記念に「『あの事故』から10年後、エルダー3人組で」とリクエストをいただいたとき、「なんて、私のツボを突いたリク…！」とのけぞりました。いつかは、と思いつつ、いや、難しくて…と躊躇していたところで背中を押していただきました。有難うございます(…と言いつつ、掘り下げや書き込みがまだまだ足りず申し訳ありません)。事故の真実は、結局二人には話せずに終わるのかもしれません。何もかも話せることが真の絆…というわけではないように私には思えます。 |
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