たしかに、そのときに |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、オフィシャルとかけ離れており、我が家設定満載ですので、ご注意くださいませ。今回は特に話のメインとなるのがオリジナルキャラクターとなっております。 時間はいろいろと飛びますが、基本的にはアレックさんルートで彼が帝国に飛び立ってからの『空白の２年』にロビュ小隊で起こった出来事がメインです。ルカが重傷を負い、他の者が命を失い、パイロットがコリン一人となってしまった小隊には、他の陸軍基地からパイロットが転属してきますが、オオルリを操れる者は限られており…… ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
“なんとなくたちよりましたぁ”というようにタオルを右手にふらりと入ってきたコリン=グレイディーア大尉は、目の前の光景にヒュウッと口笛をならした。 「うわぁ、なにがあったってぇの？……怪我……じゃですよね??これって、どんなシチュなんですか、ドゥニさん??」 入口を入ったところにある診察用の簡易寝台に、片目と特徴的なチョビヒゲだけを覗かせ、上半身の他の部分を包帯でぐるぐる巻きにされたドゥ二は、うんざりした様に息をつくと、指の先だけをちらちら振って見せた。簡易寝台の周りには包帯を持った四人の女性看護兵と一人の男性衛生兵が取り巻くように立ち、それぞれ幅広の包帯を持って両足首と膝を固定するように巻いている。そして、その傍らには、監視するようにフランツ=ローナー曹長が、腕組みをしていた。コリンに気づいたフランツは、ドゥニ以上にうんざりしたように息をついた。 「大尉殿。このブロッホ上級曹長は、昨日の深夜、夜間勤務についている女性看護兵の前で怪談めいた話をし、徒(いたずら)に恐怖心を煽り、うち二名に悲鳴をあげさせるまでし、療養中の傷病兵をも脅えさせるという下士官にあるまじき行為を致しました。自分は何か罰を与えるように軍医殿より依頼されたのですが、ブロッホ殿が反省するだけでなく、彼女らの益になるような罰をと考えた結果がこれです。」 尋ねるように、四人のうちの一人、アリサに目をやったコリンに、アリサは答えた。 「包帯の巻き方を練習しているんです。」 男性衛生兵がアリサの言葉を引き取る。 「普段は自分らがやるんですよ。ガ体のいい男が練習台になる方が実戦的なんです。いやあ……ですが」 衛生兵は喉の奥でくっくっくと笑った。 「人間一人を丸ごと巻くのは初めてですよ。」 コリンはつかつかと歩いて行くと、ドゥニの顔をとても楽しそうに覗き込んだ。 「とっても綺麗に巻いて貰っちゃってますよ。ドゥニさん、中々の男前じゃないですか。」 ドゥニは片目だけで天を仰いだ。がっちり巻かれて手足の自由がきかないため、それくらいしかできないのだ。もごもごと包帯越しに喋る。 「ひでえなあ、ドゥニおじさんは、ちょろっと夜勤疲れのカワイコちゃんを楽しませようとしただけだっつーに。…………コリン、いつまで笑っていやがるんだよ。大体何しに来たんだ。ははーん、医療室で、潤い貰って疲れを癒そうってわけか？」 ドゥニさんこそひどいなあ、とコリンは言い、右手のタオルを外した。手首のあたりが斜めに切れている。太い血管は切れていないが、傷はそこそこ深く、タオルには血の染みがあった。 「ほら、ちゃーんと怪我してるんですってば。腱とか筋肉とかは大丈夫で俺は平気っていったのに、エリカちゃんにすぐに医療室に行って下さいって睨まれちゃって〜、だから俺はバリバリ仕事したいのに、しかたなーくここにきたんですよ。」 ドゥニの目が、手首の傷の方を見る。 「何だ、随分と妙なところを切りやがったな。」 「なんか、今、ジャイロ（水平儀）って新しい計器をオオルリにつけているとこで、予備機の計器盤に丸い穴が開いてたんですよ。でもって、その穴のエッジが鋭くなってたみたいで。」 「穴に手をつっこんだってか？」 「とーぜんです。なんかちょっと魅力的な穴があるのに突っ込んでいかないなんてそんなの男じゃないでしょ？オズウェルには『触るな！』って怒られましたけどー。」 アリサはじいっと傷を見、コリンの右ひじあたりをぎゅっと抱え、そのまま椅子に座らせた。 「消毒の前に刺抜きしなくちゃ！……計器盤は木製だったんですね？……細い木屑にが刺さっています。」 刺抜きを器用に使って木屑を取り除き、アリサは次いで消毒薬を浸み込ませた綿玉をガラス瓶からピンセットで取り出した。 「うーん、刺さってたか。やけにチクチクすると思ったんだよねー。そんな怖い顔しなくても、だいじょーぶだって！ほら、ずっと押さえてたから、血はほとんど止まってるしさ。うっわー、沁みる、沁みるよ、アリサちゃーん」 ドゥニは包帯の下で面白そうに笑い、看護兵達もくすくす笑った。アリサが器用に包帯を巻くと、コリンは有難う、と言い、アリサの耳に囁いた。 「あとでエリカちゃんに謝っといてくれないか。なんか、あの時の事思い出させちゃったみたいでさ……」 アリサはこくん、と頷いた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アレックが帝国に飛んだ後、ロビュに人員補充のために新たに他基地よりパイロットが配属された。 ロビュはオオルリこと水上機Jk-3のみを配備戦闘機としている陸軍では変わり種の海辺の航空小隊である。滑走路はあるにはあるが、拡張工事をしない限りは水上機以外の戦闘機の基地としての役割は果たせない。そして、オオルリは乗り手を選ぶ『迷機』として有名であり、飛行機乗りの間で『青いじゃじゃ馬』と言われている。この戦時にあって、国境に近いロビュ小隊にはそれなりの実力あるパイロットを揃える必要がある。しかし、陸軍はオオルリをごく一部の基地以外では廃機とし、オオルリ乗り自体が少ない。そのため、新たに配属された五人のうち実に三人は大陸大戦時にアレックの部下として空を駆けていた者で、30を過ぎたベテランパイロットであった。彼らが転属したのは、むろん上からの命令によるものであったが、転属を不服に思っている者は皆無だった。彼らは嘗ての隊長、アレックが所属していた小隊に来ることを喜んでいた。他の若い二人は明らかに転属を左遷と受け取っていたが、今は帝国に飛んでいるが、あの救国の英雄、ユーティライネン准尉がこの航空班の隊長であり、自分達が留守を預かるのだと判ってからは目を輝かせた。彼らは哨戒任務にも積極的で、彼らにとってかなりの年下である隊長代理であるコリンからの問いかけや相談にも進んで応じ、急ごしらえの寄せ集めのパイロット集団はすぐさま気さくに互いの名を呼び合うまでにまとまった。 ルカがパイロットとして復帰した頃には、６人のパイロット達は力量には差があるものの一つの“チーム”として理想的なはたらきをするようになっていた。 中でも、チームのムードメイカーとなっていたのが『おやっさん』であった。彼はガタイが大きく、陽気で、声が大きく、酒と食べ物を愛し、いつも何かしら楽しげな話題を提供して、皆を笑わせた。20代のはじめのころから老け顔のためおやっさんと呼ばれていたそうだが、外見はそのときと変わっておらず、今はその呼び名と実年齢がやっとピッタリ合って来た、と彼と付き合いの長い別のパイロットは笑った。小隊に来た当初、おやっさんはコリンを“隊長”と呼ぶときに戸惑いを見せた。コリンがどうしてか問うと、彼は頭を掻きながら、『俺にとっての“隊長”はユーティライネン准尉だけだったもんでな』というと、コリンは笑って、『そうだなぁ、うん、実際俺はアレックさんが帰ってくるまでの代理ですよ』と言って、よかったら『隊長代理』と呼んで下さいよ、とおどけた。おやっさんはそれ以来コリンをいたく気にいったようで、それからは『隊長』と呼ぶようになり、その他におどけた調子で『若頭』とか『色男』とも呼んだ。他の隊員にも次々とニックネームをつけ、それらはまったくもって、各人の性格を如実に表していた。初めにニックネームがついたのはルカだった。『こりゃ、隊長の言った通り、すっげえ綺麗な顔立ちの少尉殿だ！掃溜めに鶴ってやつですな。とにかく少尉殿は上品ですからねー』、と『王子』と呼ばれるようになった。その呼び名で呼ばれるたびに妙にあたふた挙動不審になるルカを様子を楽しんで眺め、事あるごとにいやいや、お前さんは本物の王子より王子らしいんじゃあねえかなあ、と、バン、と背を大きな掌で叩いて大声で笑った。 おやっさんは、整備班の人間も親しみを込めて呼んだ。オズウェルは『不機嫌坊主』トゥーフォンは『お調子モン』、エリカは……誰もそれを教えたわけではないけれど、アレックとの結びつきを感じ取った彼は、とても優しく『おひめさん』と呼んだ。 おやっさんは、豪放で、がさつに過ぎる言葉や行動も多かったが、エリカの前では言葉を選び、振る舞いにも気をつけ、気のいい一人の頼れる大人であろうとしているようだった。選ぶ言葉を間違えてよくわからない物言いになってしまうこともしばしばあったが、それが可笑しくてエリカが笑うと、おやっさんも釣られるように腹を、肩を、全身を震わせて笑った。不安な気持ちを慮り、アレックのことはエリカの前では決して口に出さないでいたけれど、ある時エリカがアレック大陸大戦時にどんな隊長だったか聞いてきたのを境に、暇を見つけて昔語りをするようになった。時折聞き手としてコリンやルカが加わることもあった。空や飛行機のことは勿論、若い頃のアレックの茶目っ気たっぷりな物言いや悪戯の話を聞いてエリカは目を丸くし、また、大笑いし……おやっさんは時にはルカどころかコリンにすら口を塞がれるようなことを言いかけることもあり、若いパイロット二人とおやっさんがエリカを前にしどろもどろの弁解を始めだしたりもして、おやっさんが話し始めると戦時で緊張の下にあるはずのドックが途端に賑やかになった。 エリカが暗い顔をしていると、おやっさんは『おひめさん、おひめさん、生きてりゃ絶対いいことがある。笑っておくれよ、おひめさん、おひめさんが笑うとこのおやっさん、百人力、いや千人力の力が出せるような気になるぞ』と、大きな暖かい掌で持って、エリカの茶色の髪をぐりぐり撫でまわした。 おやっさんはコリンと二人の時によくこう言った。 『おひめさんがオオルリの整備をしているときには、あの不機嫌坊主がぶつくさ言いつつその実いろいろと気を使って仕事に集中させて悲しいことや辛いことを考えないようにしてくれる。王子さんはいつだって友人として見守ってくれて、優しい言葉をおひめさんにかけてやってる。整備のお調子モンや中尉殿は、漫才でもやってるみてえにペラペラ喋ってこのドックをしーんとさせねえようにしてくれてる。』 コリンは、『俺はあんまし考えてやってるわけじゃないんですけどね』と笑う。 おやっさんは、でしょうな、といいつつ、俺も同じですけどね、……隊長……ユーティライネン隊長は俺にとっちゃあ神様みたいなお人だから、おひめさんにはいつも笑顔でいてもらわねえと隊長に申し訳がたたねえんで。……年長者としてできることがあったら、何でもしてやりたい、おれにできることは何でも言ってくだせえよ。ね、中尉殿、と問うと、コリンは、うん、と一つ頷いてみせた。 重傷からドックに復帰してきた親方は、そのまま『親方』と呼ばれた。長年アレックの部下だったおやっさんは、親方とも旧知の間柄で、共に大陸大戦を戦った僚友だった。 おやっさんは、大陸大戦を経験してはいたが、エースの称号は得ておらず、操縦はかなり大味で、巧みにオオルリを操っているとは嘘でもいえなかった。が、編隊の組み方は優れていた。コリンがそう言うと、それは、俺の実力ではなく、ユーティライネン准尉の導きの賜物だと謙遜した。時折、帝国軍のヤクトケーファーが数機飛来することがあったが、ロビュのパイロット達はリトヴァク司令の指揮下、海上で敵を追い返し、時に撃墜した。ベテランパイロットは敵に遭遇して浮足立ちそうになる新米オオルリ乗りの2人の動きをよく把握し、援護に入って翼を振ったり時には至近距離で手信号を送ってみせたりして、落ち着かせた。 ロビュの航空班は、コリンは勿論、未だ本調子ではないルカの二人がそれでも群を抜いた操縦技術を持っていたが、おやっさんたちのはたらきもまた、なくてはならぬものだった。コリンを含めた航空班のパイロット達は彼のことを常に『おやっさん』と親しみを込めて呼んだ。エリカは彼のファーストネームに「さん」を付けて呼んでいたが、『おひめさんにそんな風に呼ばれると照れくさくて臍の辺りがむず痒くなる』と言われ、彼女もまた『おやっさん』と少しはにかみながら呼んだ。 そんな中、ヤクトケーファーの編隊は何度もロビュを襲った。過去にこの戦争の発端となったロランド空襲……あれはロランド壊滅を目的としたものではなかった。しかし今、彼らは明らかにロランドを焼きつくすことを狙ってきていた。……出口の見えない戦争の中、ここでロランドが完全に破壊されれば、ユクトランド国民の戦意は極端に下がる。それをロビュ小隊の軍人たちもよく知っていた。 何度目の襲来だっただろうか。その日の空での戦いは、熾烈を極めた。６人は編隊を組み、巧みに敵機を誘い、ルカが引き離し、コリンが撃破した。新たに加わったパイロットの操るオオルリのうち若者の搭乗した二機は翼を撃ち抜かれて海上に不時着、ベテラン組のうちおやっさんは撃墜されそうになった僚機との間に入り、敵を撹乱、ルカがヤクトケーファーを墜とすも、彼のオオルリは機銃の雨に打たれ、よろつきながら離着水桟橋へと戻って行った。 「予備機は出られるか！」 離着水桟橋まで戻ってきた彼は、オオルリから飛び降り左手で右の肘当たりを抑え、大声で怒鳴った。 「整備は完了している。だがあんた、怪我してるんじゃないか!？」 オズウェルがぶっきら棒に怒鳴ると、彼は、既に桟橋に運ばれていた予備機の機体に足をかけ、コクピットに飛び込む。 「本当に大丈夫ですか！手当てをしなくて大丈夫ですか!?」 茶色の分厚い飛行服の袖に血が赤黒く滲んでいるのに気付いたエリカが叫ぶ。彼は、大陸大戦のときにはこんなもんは怪我のうちには数えなかったぞと言い笑った。 「それよりおひめさん、俺の相棒を早く診てやってくれ！エルロンがやられている。方向舵も効きにくい。だが、エンジンは死んじゃいない。宜しく頼むぞ！」 プロペラが回され、予備機はコリン達が戦っている空へと戻っていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ロビュ小隊は、空戦に勝利した。それは、コリンとルカの力によるところが大きかったが、フランツの指揮する防衛班の高射砲掃射でヤクトケーファー二機が撃墜されたことが大きかった。 総力戦であったが、ロビュ小隊の損害は軽微であった。……少数の死者、多数の怪我人、医療室に充満する血の匂い……しかし、それは報告書には“軽微”と記される範囲であったのだ。 おやっさんは医療室に入りこんで、自ら傷の手当てをした。それを見つけたアリサが、腕を出して下さい、と迫ったが、彼は笑って、大丈夫大丈夫、俺なんかより怪我が重い奴のことをしっかり診てやってくれ、可愛いお嬢ちゃん、と、左手で右の肘と手首の間あたりを叩いて見せた。 それから幾日かが過ぎ、彼は、夜明け前の何もかもがシン、と静まりかえった時刻に医療室にやってきた。青ざめ、震え、腕が痛い、腕が痛い、と呻き、そのまま床に崩れた。夜勤だったアリサが額に手をやると、燃えるように熱い。軍医を呼び、軍医はすぐに腕に申し訳程度に巻かれている包帯を解いて患部を見……それは酷く膿んでおり、しかも普通の化膿した傷とは違って緑がかって見えた。 軍医はアリサに男の看護兵を叩き起こして連れてくるように命じ、アリサはスカートの裾をからげて走った。 軍医の診断は非情だった。それを告げると、彼は苦痛に顔を歪めながらも、それを拒否した。そして、腕を掴んだ軍医の手を驚くほどの力で振り払った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 叫び声をあげながら、大きな足音を立ててドックにやってきた男達に、ナカジマは怒鳴った。 「朝っぱらから何を騒いでいやがるんだ!?ん、おめえ、どうした？偉く顔が青いじゃあねえか。そして、……その服装は衛生兵の旦那方だな。一体どうしたってえんだ。」 早朝から機体整備を始めていた整備兵達は、おやっさんと、彼を追ってきた三人の衛生兵を注視した。おやっさんは、ここがドックだということはわかっているようだったが、ナカジマの声は耳に入っていなかった。 「医療室に戻れ！」 「嫌だ、戻るもんか！」 「戻れ！そのまま放置してはおけん！」 青ざめ、滝のように汗を流しているおやっさんの様子に、はらはらしつつも駆け寄ろうとしたエリカは、衛生兵の次の言葉に身を強張らせた。 「腕を切らなきゃ死んじまうぞ！」 「死んでもいい！腕を切られちゃ、飛べなくなっちまう！どうか切らないでくれ！どうか、お願いだ。」 「阿呆！死んでも飛べないだろうが！死んで飛べないのと、生きていて飛べないのとじゃ、生きている方がいいだろうが！」 「飛べなくなったら死んだのと同じだ！切らなくちゃ死ぬのなら、殺してくれ！」 と、だっとエリカは走り出て、後ろからおやっさんの腰に両腕でしがみ付いた。 「おやっさん、おやっさん！殺してくれなんて言わないで下さい。生きてりゃきっといいことがあるっていったのはおやっさんですよ！、生きて下さい！」 おやっさんは、一瞬、ぽかん、としたように口を半開きにして放心したようになった。そして、その場にがくん、と崩おれた。ぶるぶると震え泣きながらも名前を呼びながら力のなくなったおやっさんの体をさするエリカに衛生兵は、今まで立って動いていた方が不思議なくらいで、こうやって倒れてしまった方がきっとこの人にはいいことのはずだから気にしないように、と声をかけてからドックに備え付けられていた担架を使ってその大きな体を医療室へと運んで行った。 目の前に無言で差し出されたオズウェルの手に支えられ、エリカは立ちあがった。何か言わねば、と思いながらも結局気のきいた言葉の見つからなかったトゥーフォンは、黙ってエリカの肩をトン、と叩いた。親方は、俺達には今ん所何もできることはねえんだからな、あとで見舞いにくとして、てめえら仕事に戻りやがれ、と怒鳴った。今は何も考えずに手を動かすことが、心を落ち着かせるのに一番だとわかっていたのである。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その夜、遅くなってから、エリカは医療室におやっさんの見舞いにやってきた。……出迎えたアリサはエリカの両手をとって、大丈夫だよ、エリカちゃん。処置は無事に終わったし、抗生剤がきっとよく効くから、ときゅっと握った。そう、処置は無事に終わった。アリサは手術の補助に入り、一部始終を見ていたのだった。それは見たくて見たものではなかったが、見開いた目をとじることはできなかった。普段使わない大工道具と間違えそうな手術器具。全身麻酔され、手術台に体を厳重に固定した男の体にその器具を食いこませ……上腕をしっかり縛っていても吹き出る血……その血を必死に止血する。たくさんのガーゼ。ガーゼ。ガーゼ。軍医の指示が遠くで聞こえ、輸血をし、糸を通した針を手渡し、 「さっき、親方さんやオズウェル君たちが来た時には、痛い、痛いってうわ言をいっていたけれど、お薬が効いて今は寝ているわ。……もしも何かあったらすぐに私達を呼んでね。」 アリサに導かれた病室の中でおやっさんは静かに横になっていた。以前ルカが寝かされていたのと同じベッド……そのベッドの横に、ルカを見舞ったときと同じように、エリカは木製の三本脚の椅子に腰かけ、いつもは赤く見えるのに、血の気が失せてすっかり白くなってしまったおやっさんの顔をじっと見た。見守り続けて30分もたったろうか。…安らかだった寝顔の瞼が二三度痙攣し、すぐにそれは苦痛で歪んだ。そして呻いた。エリカが、私、エリカです、大丈夫ですか、軍医様を呼びましょうか。と耳元で語りかけると男は朦朧としつつも首を振った。 「手首のあたりが、物凄く痛むんだ。手の甲も指の先も、焼けつくように痛い。」 え？とエリカは硬直する。もう、この人には手首も指もないはずなのに。男はうわ言のように指が痛い、手首が痛い、と繰り返し、何だか怖くなったエリカはアリサを呼んだ。アリサは軍医を呼び、軍医は慣れた手つきで鎮痛剤を注射し、またたくまにおやっさんの顔は穏やかになった。軍医が毛布を捲くったときにエリカは見た。おやっさんの右腕は肘の傍で切られ、包帯が巻かれていることを。自分の頭を何度も撫でてくれたあのがっしりと大きな暖かい掌は消えてしまったことを。 ……あの掌の熱で、凍えた心を暖めてもらっていたのに……あの右手は……もう、ない。 項垂れ、病室から出て来たエリカをアリサは抱擁した。 「びっくりしちゃったよね。手や足を失くした人は、失くなっても『ある』って感じることがあるらしいの。」 「ううん、びっくりはしちゃったけど……それくらい…どうってことないよね。」 「……そう、だね。……辛いのは、腕を失くした、あの患者さんだよね。」 と、エリカは、自分の頭にそっと手を置いて、ゆっくりと掌を動かした。 「アリサ…………あのね……」 「なぁに、エリカちゃん？」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 深夜になってから見舞いに来たコリンが見たのは、語気強く迫るエリカと、眉をさげて、しかししっかり立ってそれを受け止めているアリサの姿だった。 「エリカちゃん、そんなことをしても何もならないよ？」 「何もならないのはわかってるわ。私の物凄い我儘だってことも。それでも私は放っておけない。……だって……だって……」 必死の形相のエリカとアリサの間に滑り込むように割って入ったコリンは、黙ってエリカを見つめた。 エリカは涙を堪えるように俯いていた。 「……私、………アリサから説明されて、頭ではよくわかっても、気持ちがついていけなくて……だって……そんなの………おやっさんは私の事、子供みたいによく撫でてくれました。整備のみんなやルカやコリンや、パイロットの皆の背をどん、って叩いて元気づけてくれました。あの手でオオルリの操縦桿を握って、空にあがって小隊を守って…………あの大きな手が……そんなこと、受け入れられなかった。」 アリサが静かに呟くようにコリンにエリカがしようとしていたことを告げた。 コリンの頬が一度ピクッと動き、彼はゆっくり目を閉じた。 (おやっさん。あんたは罪つくりだな) 胸の内で呟いてから、コリンは目を開け、視線をぐっと横の方にずらした。そこにはいつから彼らの様子をいつから見守っていたのか、医療室の主である軍医がいた。 「……ってことですが、軍医殿、これって軍規に違反するもんですかね？」 最前から様子を窺っていた軍医は、ひらひらと手を横に動かした。 「だが、勧めはしないぞ。特に若い娘がそれをやるのはな。」 「はは……可愛い女の子にそんなことさせたら男がすたりますって〜。既にいろいろと汚れちゃってる俺がやります。」 軍医は、防水シートで作られた袋をコリンに投げ渡した。 エリカは頷き、恭しく頭を下げた。 医療室の裏手の扉から外に出、コリンは傍らのエリカに諭すように話した。 「……これをやっても何にもかわらないんだけどね。……それでも君はやろうというんだな。」 「……うん。……きっと私は馬鹿なんだと思うわ。それでもやらなきゃいけないと思う。コリン、やっぱり私一人でやる。これは私が考えたことだから！」 コリンは息をついた。 「軍医殿も言ったろう。これは女の子のすることじゃない。考えたのは君でも、やりたいと思ったのは俺だ。そして、もしも俺がやらなかったら親方とオズウェルに殴られてしまうよ。……アレックさんが戻ってきたらアレックさんにもね。」 そういわれてエリカは釈然としない様子だったが口をつぐんだ。 「それよりも……俺は初めの一瞬手伝うだけだよ。あとは全部エリカちゃんがやるんだからね？それをやるからって整備の仕事がなくなるわけじゃない。俺も整備不良のオオルリで飛びたくはないからね。」 「勿論です。」 決然と眦を上げて言うエリカに、コリンは微笑む。それでこそおやっさん自慢の『おひめさん』だ、と。 ユクトランドは初冬であっても夜は氷点下まで冷える。ああ、寒いね、と白い息を吐きながらコリンは大きなブリキの缶の蓋をとった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 『おやっさん』は意識朦朧のまま、大きな陸軍病院へと移送されていき、整備兵達もパイロット達も見送ることはできなかった。その彼が、ニ年経って、平和になったロビュにやってきた。転属した者は、軍籍にあっても他基地を訪問することは理由がなければできない。それが可能になったのは、コリンが彼の私物がロビュに残っているため受け取りに来るよう書簡を送ったからだった。 『おやっさんが来るよ。』とコリンに言われていたエリカは午前の仕事がおわってすぐ教えられていた場所に急いだ。砲台跡におやっさんはきていて、海をゆったりと眺めていたが、エリカが走って来るのに気付いて『おひめさーん』とよく響く大声を張り上げ、左手を大きく振った。昔と変わらぬその声を耳にし、軍服の右袖が初夏の風に軽やかに翻っているのを目にしてエリカは泣きそうになる。おやっさん、ご無沙汰しました。お久しぶりです。と目の前に立ち、息を弾ませて挨拶すると、ご無沙汰したのは俺の方だよ、、おひめさん、健勝で何より何より！と左の掌でエリカの頭をぐりぐりと撫でた。 「この頃やっと左手で字がかけるようになってなあ。ミミズののたくるような字を書いておひめさんに心配させたくなかったもんで、手紙の一つも出さなんだ。すまなかったなあ。」 「いいえ！休戦協定が締結された後、電報を下さったじゃないですか。お元気になったと知らせて下さって嬉しかったです。」 「ああ、資材チェックの事務屋として活躍しとるぞ！ついでに食料のチェックにも励んでしまって、入院中に折角痩せたのに、今じゃもとよりバンドの穴が二つも外にずれてしまった！」 ガハハ、と腹をバンバン叩いてみせるおやっさんにエリカも少し笑った。 「……それよりおひめさん、ありがとうな。」 おやっさんは地面に埋め込まれた十センチ四方くらいの石板を指さした。 「グレイディーア殿から聞いたよ。おひめさん、俺の右手を弔ってくれたんだってな。」 あの日、コリンは『ゴミ』としてブリキ缶の中に捨てられていた右手を血まみれのガーゼや廃棄された包帯の中から探し出して袋に入れエリカに渡した。他のゴミと共に焼却されるはずだったものは、ここに埋葬されたのだ。 「……あ、あの……私はそのままにすることができなかっただけで……コリンが居なかったら結局それができたかどうかわかりませんし、お弔いをして下さったのは小隊の従軍牧師様ですし……私は結局立ち会っただけなんです。」 その、立ち合うってだけでも凄いことだと思うよ、おひめさん、とおやっさんはいい、目を上にあげた。 「弔ってくれたお陰で、俺の右手は天国に行って、俺を待ってくれている。俺がなにか間違いを起こして地獄に落ちない限りは、おひめさんのお陰で行く行くは感動の再会ってやつができるのさ！奴はきっと俺が行くのを恋い焦がれてる。だから、俺も奴に会えたらギューっと抱きしめてやるのさ！そしたら奴も俺の背中をバンバン叩いて、待たせやがって、このヤローとかなんとか大声あげながら感激の涙に咽ぶ……って、奴は口も目もないか！……右手の奴と再会したら、天国でオオルリに乗るのさ。白い雲の上を青い青いオオルリで飛んで、イエス様や12使徒や第天使様方をびっくりさせる……面白いと思わないか？少なくとも俺は楽しみにしてる。…………ほんとうにありがとうな、おひめさん。…………飛べなくなって自暴自棄になっていた大馬鹿野郎のパイロットは、グレイディーア中尉からその話を聞いて、なんだかとっても救われたんだ。……左手で文字を書く練習を始めたのも、それからだ。……ほんとうに、ほんとうに…… エリカはおやっさんの胸に頭をつけ、しゃくりあげた。おやっさんはエリカの背をそっとそっと撫でていたが、こちらにやってくる人物に気づいて、その手をとめた。エリカが顔をあげると、そこには、訓練から戻って飛行服を身につけたままのアレックが立っていた。 「ユーティライネン准尉……准尉殿…………隊長殿！アレック隊長ォォォォォォ！」 突進するようにやってきたおやっさんの大きな体をアレックはしっかりと抱擁した。 「隊長ォ！また、再びお会いできるとは！……ああ、隊長！」 「留守をしてすまなかったね……俺が居ない間、このロビュを守ってくれて有難う。」 おやっさんの目から涙があふれ出た。 「……そんな……俺は……当然の事をしただけで……隊長に……教えていただいたことを……やったまでで……ああ、隊長……俺は時々夢だったと思うことがあるんです。俺は本当に飛行機乗りだったんでしょうか。空を飛んでいたんでしょうか。」 「……ああ、たしかに君は間違いなく飛行機乗りだった。俺の部下であり、友であり、俺達の愛すべき機体、オオルリを駆っていた。……心配することはない。君がそれを忘れてしまうことはないし、俺はいつまでもそれを覚えている。俺も、大陸大戦の戦友たちも、親方も、コリンもエリカも。」 新しい涙がおやっさんの頬を流れたが、彼はそれをぐいと手の甲で拭い、笑った。 そして、肘までしかない右手を天に差し上げた。 「聞いたか！俺の右手！隊長殿も操縦桿を握って空にいたお前の事を覚えていて下さるんだ。お前も今までの事を全部忘れず待ってろよ。」 砲台へと続く道には、整備の面々、パイロット達がコリンを先頭にやってきていた。おやっさんは彼らに笑顔で両腕を振り、久しぶりに帰って来たぞ！色男、不機嫌坊主、お調子モン！と銅鑼声を張り上げて、親方に、相変わらず声のでけえ奴だな、お前は、ちったぁ客らしくおとなしくしろ、と怒鳴られて、子供のように舌をだした。 |
| 風色サーフ6周年記念として書いたものです。 構想だけは一年以上前からありましたが、題材が題材だけに、どの程度のグロテスクさが許容されるのか悩み、初めの段階では書いていた詳細な表現を全部削除したという代物です。「おやっさん」はこの作品以外にもいくつかの話に顔をだしていますが、こうやってロビュから去ることは初めから決まっていました。自分一人で空を駆けることはできなくなってしまいましたが、いつか、もう一度オオルリに乗せてやりたいと思っています。 |
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